ロシアの隣で エストニアの危機感②:旧ソ連時代の戦車
タクシー運転手が英語の単語を並べて話す。「目的地、本当に、ここか」。間違いない。確かにここだ。
ロシアと国境を接するエストニア東部ナルバ。12月中旬、市の中心部から北に約6キロの場所を訪れた。
片側1車線の道路沿い。木々の向こうに川が流れる。その先はロシアだ。
市内の観光名所を案内する掲示板が、脇にぽつんと立っている。ただ、一帯は雪に厚く覆われ、何があったのかを示すものは、もはや残っていない。
旧ソ連へのノスタルジー
実は1970年から、旧ソ連時代の戦車「T34」がここに展示されていた。ロシア側から見れば「ナチスとの戦いの象徴」、一方でエストニア側から見れば「占領の象徴」だった。
だが、ロシアがウクライナに全面侵攻を始めたことを受け、2022年夏に撤去された。一部の住民はその動きに反対運動を展開し、しばらくの間、戦車の跡地にはキャンドルや花束が添えられた。
ナルバの約5万4千人の住民は84%が「ロシア系」。旧ソ連に対するノスタルジーはなお、色濃い。
では、この「T34」はどこへ行ったのか。現在の「居場所」になっているエストニアの首都タリン郊外にある「戦争博物館」の別館に向かった。
エストニア国防省が管理する別館には、遅くとも3日前に付き添いを申し込まなければ、一般客は立ち入ることができない。
博物館職員のシーム・オイスマさん(37)が案内してくれた。「(当時の)ソ連がこれをナルバに設置したのは、『私たちが君たちをナチスから解放したことを覚えておいてくれ』という考えからです」
T34は簡単には目に触れられないようになったが、一方で博物館の収蔵品になったため、法律で保護が義務づけられている。「訓練所に持っていって、標的にすればいいと個人的には思うけどね」
この戦車を見に訪れる一部の客は、いまもロシアへのシンパシーを感じているとみられ、花を持ってくるという。「もはやロシアがプロパガンダとして使えるものは、多くないからね」とオイスマさんは言った。
サイバー空間や情報空間の「戦い」
ロシアにとって、ナルバの戦車の撤去は不快だったようだ。それを裏付けるデータがあると、エストニア国防省でサイバーセキュリティーを担当するカロリーナ・リースさんは語る。
ロシアがウクライナへの全面侵攻を始めた22年で、大量のアクセスで重い負荷をかけるサイバー攻撃の典型として知られる「DDoS攻撃」はエストニアで302件検出され、前年に比べて4倍になった。また、22年の中でも、月別では戦車が撤去された8月が最多で、66件だったという。
「エストニアへのサイバー攻撃は、エストニアの政治家の発言や決定と明らかな相関関係があります」。リースさんによると、エストニア議会がロシアを「テロ国家」だとする宣言を出した22年10月にも、サイバー攻撃が増えたという。
ただ、エストニアは政府として、攻撃主体を突き止めたとしても、公表には慎重な姿勢を貫いている。「ハッカーたちはロシア政府から金銭をもらうために、『成功した』という評判を欲しがっています。公表することが逆効果になることがあるのです」
サイバー攻撃の多くは、市民に実害が出る前に食い止められる。ただ、必ずしもそうとは限らない。23年9月には、エストニア国鉄の発券システムが攻撃を受け、24時間ほど切符を買えない状況が続いたという。
「戦い」はウクライナの前線だけではなく、ウクライナ以外の周辺国も巻き込んで、サイバー空間や情報空間でも起きている――。
ロシアによるウクライナへの全面侵攻開始後、頻繁にそう指摘される。エストニアも例外ではない。「IT立国」として知られるエストニアが本格的な対策に乗り出したのは、07年の出来事が背景にある。
それはロシアの偽情報がからみ、国民の記憶に深く刻まれている。
きっかけは、タリン中心部にあった旧ソ連兵の銅像を移転する計画が実現に近づいたことだった。
「タリン解放者の記念碑」と呼ばれていたその銅像は、戦車と同様、一部のロシア語話者にとって「ナチスに対するソ連の勝利」を象徴するものだった。
だが、多くのエストニア人にとって旧ソ連は、91年8月の独立回復に至るまでの「占領者」でもある。07年3月の選挙では移転計画が大きな争点となり、連立政権によって決められた。
だが、ロシアメディアが「移転」ではなく「破壊」と報道するなどの偽情報を流し、エストニアのロシア系市民と警官の衝突に発展した。混乱に乗じた略奪も発生し、死傷者や逮捕者が出た。
さらに同時期に、エストニアの政府機関や銀行、メディアに対する大規模なサイバー攻撃が発生。現金が引き出せなくなったり、報道が困難になったりした。
この攻撃ではロシア政府の関与が疑われたが、今も攻撃主体ははっきりしていない。ただ、ここで明白になったのは、情報空間やサイバー空間における目に見えづらい攻撃が、いかに国家の脅威になるかということだった。
長年にわたるソ連の占領を経て、独立を果たしたエストニア。ソ連解体後も、ロシアが地続きで国境を接する隣国であることには変わりがない。そんな国が抱える強い危機感は、街中に見て取ることができる。
(タリン=藤原学思)