2019年12月
今朝の東京新聞は灣仔區・銅鑼灣ブロックで当選したキャシー・ヤウの記事。
題して「法治、もはや警治に」。
1時間の取材中、私の質問に答えている以外、邱汶珊さん(36)は携帯電話で話をするか、メールを猛烈なスピードで打っていた。
先月末の区議会議員選挙で初当選した民主派の邱さんの任期は来年一月からだが、早くも有権者からの陳情に追われていた。「マンションのオーナー組合から行政の窓口を紹介してほしいと依頼されて…」。メモにはやるべきことがびっしり書いてある。
7月までは香港の警官としてデモ隊と対峙(たいじ)。100万人規模となった6月9日、初めて催涙弾が使われた同12日のデモの時も、重装備で警備に当たっていた。
「黒警(ヤクザ警察)」と書かれたプラカードが目の前を横切る。何とも言えず切ない気分になったが、それ以上に嫌悪感を抱いたのは、市民に向け無差別に催涙弾を浴びせる同僚たちの殺気立った姿だった。
「なぜ市民を傷つけるのか」。市民の役に立ちたくて警官になったのに、理想と現実の乖離は大きすぎた。「もっと市民に貢献できる仕事がしたい」と区議選立候補を決意した。
警察を辞めた後、ふつうに街を歩いていると、近くにいた警官に「歩道を歩かないと不法集会の疑いで逮捕するぞ」と脅された。
「警察学校で教えられたことと全く違う。警官が個人的な憂さ晴らしをしているとしか思えない」
香港映画で描かれてきた「正義の味方」のイメージは過去のものだ。「逮捕され痛めつけられて心に傷を負った人たちが、再び警察を信頼することはない。香港社会は法治ではなく『警治』になってしまった」と険しい表情を見せた。
取材が終わると足早に次の仕事場へ。一心不乱の働きぶりは、警官だった過去を消し去ろうと、もがいているようだった。
市民による抗議デモの本格化から間もなく6カ月。香港の混乱にはいまも収束の気配が見えない。区議会選挙での民主派の圧勝は香港政府・中国政府に反発を強める民意を鮮明に示した。香港政治を長く見つめてきた立教大学の倉田徹教授は、現状はもはや「反乱」なのだという。それは、何を物語るのか。
11月24日の区議会選挙で民主派が8割超の議席を獲得し、親中派が大敗した。衝撃が冷めやらない翌25日、調査のため香港入りしていた倉田さんと香港理工大学前を訪れた。当時はまだ若者らが立てこもっており、警察が包囲するキャンパスの周辺は、ピリピリした緊張感がただよっていた。
――区議選の投票率は71・23%でした。過去の区議選の最高投票率を約24ポイントも上回っています。
「注目の選挙であることは分かっていましたが、投票当日、朝から投票所に並ぶ人々を見たときには目を疑いました。かつて『金もうけにしか興味がない』と言われてきた香港人が、政治に目覚めたことを示す光景でした。香港の選挙を調査して20年になりますが、このようなことは初めてでした」
「6月には主催者発表で約100万人や約200万人が参加するデモがありましたが、『数で民意を示す』という文脈で言えば、今回の区議選も一連のデモの延長線上にあります。区議選は親中派の支持者も含めてですが、300万人近い有権者が投票して民意を示した『デモ』と言えます」
――選挙の結果をどう受け止めましたか。
「区議とは日本の町内会長のような存在で、区議会には条例をつくる権限もなく、選挙はあまり注目されていませんでした。今回の選挙は民主化の過程の大きな一里塚です。東アジアの民主化は20世紀末に韓国や台湾などで実現しましたが、香港は乗り遅れました。しかし香港人は民主化を諦めていなかった。一連の抗議活動で香港人の意識が変わった以上、今後は7割を超える高い投票率も当たり前になるでしょう」
――民主派の勝因は?
「民主派の市民団体の代表が選挙のあと、『(普通選挙の実現など)五大要求の勝利』と言いましたが、区議選を事実上の住民投票と位置づけ、要求の是非を民意に訴える戦略が成功しました」
「中国共産党は潤沢な資金を使って、香港の富裕層と貧困層を組織化し、親中派勢力の拡大を図ってきました。投票率が低ければこの戦略で何とかなりますが、全市民を巻き込む展開になると太刀打ちできません」
――なぜ親中派への支持は広がらなかったのですか。
「中国では戦後、政治や経済の混乱が続き、飢餓や迫害を免れるために多くの難民が英国統治下の香港へと逃亡しました。見方によっては彼らは祖国を捨てて植民地に身を投じた『逃亡犯』とも言えます。彼らの心の中には根本的に共産党への不信があります。デモの契機となった逃亡犯条例改正案への反発もそうした香港の人々の深層心理に触れたからでしょう」
――ずっとデモを取材してきましたが、「勇武派」と呼ばれる過激な若者たちが街を破壊する行為には、ぎょっとさせられます。
「勇武派の多くも覆面を脱げば中高生や大学生など普通の若者です。香港の人たちはそれを知っているので、世論調査では『警察が怖い』という人のほうが、『デモ参加者が怖い』という人よりもずっと多いのです。大人の間では、若者が自分の青春を犠牲にしてまで戦わないといけない社会をつくってしまった自分たちに責任があり、申し訳ない、という意識が共有されています」
「デモとは民意を体制側に平和的に示す行為ですが、政府が市民の声に耳を傾けないと知った若者らは、警察との衝突をいとわないなど実力行使に動きました。今回の運動は早い段階から、見せることを意図したデモから、直接行動としての『反乱』に変質したと私は考えています」
――「死なばもろとも」という広東語の「攬炒(ラムチャウ)」という合言葉が使われています。
「抗議活動が6月に拡大したばかりのころ、若者が『翌朝の太陽を拝めないかもしれない』と遺書を書き残していたとの報道を見て驚きました。『どうせ死ぬなら、全体を巻き添えにしてやる』というほどの深い絶望感があります」
――やや極端な発想では?
「香港の高度な自治を保障する『一国二制度』は2047年に期限が切れます。その後の政治体制は全くの白紙。自治や自由がなくなり、中国に完全にのみ込まれる可能性もあります。しかし、47年以降の政治体制のあり方を議論するだけで独立派とのレッテルを貼られ、弾圧の対象となります。今の若者が40歳代になるときの政治体制はまったく分からない。彼らがその不安の中で生きていることは理解しておく必要があります」
「一方、攬炒は、中国に弾圧を思いとどまらせるための、したたかな戦略でもあります。若者は、香港の機能が破壊されれば、中国経済に巨大なダメージになると考えている。だからこそ、自分を人質に取るような発言で、むしろ中国を威嚇しているのです。現に、懸念されている中国軍による鎮圧は起きていませんよね。中国も香港の価値は知っています」
――なぜ、香港政府は若者らの意見に耳を傾けないのですか。
「中国政府の影響力が強まり、北京の指示通りに動かざるをえなくなっているからでしょう。例えば、習近平(シーチンピン)国家主席は昨年、香港にある中国政府の出先機関に『香港の子供からもらった手紙に返事を書くように』と指示したこともあったとされます。超大国のリーダーがこんな細かい内容まで指示しているとすれば、香港政府の決定権はもはやないに等しい」
――中国政府は香港への締めつけを強めています。強硬路線の修正は望み薄にも映ります。
「区議選の結果により、中国政府が言ってきた『デモは一部の暴徒の仕業であり、大多数の香港市民は政府を支持している』との説明が間違っていたことが明らかになりました。今後の香港情勢は中国政府の路線の修正次第です。中国政府が民意を無視すれば、さらに大きな抗議活動につながり、一国二制度という政治体制の維持が困難になる可能性があります。一方、区議選によって香港市民の不満のガス抜きに成功すれば、現在の政治体制の枠内で問題点を改善する方向に向かう可能性もある。一国二制度を維持できるかどうか、今は大きな分かれ道です」
――経済大国となった中国は香港をのみ込むのでしょうか。
「上海や深圳が発展しても、香港の代替にはなりえません。香港は中国唯一の国際金融センターであり、経済活動の自由や法の支配が保障されない中国本土では、その機能は果たせないからです。中国にとっては、米国との対立が激しくなったからこそ、金融面や貿易面で対中制裁の抜け穴となる香港の必要性はむしろ高まります」
「一方、香港で大きな抗議活動が起きた背景には、米中対立の激化など世界の構造的な変化や、大国化した中国の影響力の拡大といった要素があります。同じ東アジアに位置する日本にとっても、ひとごとではありません。香港の状況を知ることは、今の世界をよく理解することにもつながります」
――香港の混乱はいつ収束に向かうのでしょうか。
「普通選挙を中国側が受け入れる可能性は極めて低い。デモ参加者がこの要求を突きつけた時点で、問題は政治体制のあり方を問う、やるか、やられるかの対立に化しました。時間が解決する問題ではありません。香港では混乱の長期化を予想する声が多数です」
――問題解決の糸口は見いだしにくい、と?
「英国統治下の1960年代、中国の文化大革命の影響を受けた左派系の組織が主導した暴動があり、多くの参加者が拘束されましたが、中国との関係に配慮した英国の指示で特赦が認められました。今回、五大要求の中には『拘束者の刑事責任の免除』との項目があり、実際に特赦を認めるべきだとの議論も一部にあります。特赦によって警察への怒りを解消できれば、普通選挙は実現できなくても、デモが収束に向かう可能性はあります。ただ特赦が実現するかどうかは習氏の判断次第です」
――希望が見えません。
「印象的だったのは、私が街で見かけたデモ参加者のビラに『香港は希望に満ちた絶望の場所』という言葉があったことです。デモ参加者は多くの犠牲を払っていますが、多くの人々が五大要求の実現という目標のために協力し合い、主体的に活動することに希望を持っているように思います」
「絶望とは普通、全ての終わりと思いがちですが、香港人にとってはこれまでのやり方をやめ、新しい行動へスタートを切るという宣言なのかもしれません。市民が知恵を絞って行動することで、米中という超大国の政治をも翻弄(ほんろう)してしまうのですから、香港はそう簡単に潰されるようなヤワな場所ではないと思いますよ」
政府への抗議デモが続く香港。11月24日の区議会選挙について、公正な選挙の実施を危ぶんだ団体の要請で、日本から唯一、民間の国際選挙監視団に参加したのが、伊勢崎賢治・東京外国語大大学院教授。国連PKO幹部などを経てアフガニスタンで武装解除を担当した経験をもつ。那覇市で朝日新聞などの取材に応じた。
――どのような経緯で参加したのでしょうか。
香港のNGOから、メールで参加要請があった。メンバーは豪州や英国などの人権派議員や弁護士ばかり。19人が三つに分かれて投票所を回った。政府が投票所を閉鎖することも懸念していたが、驚くほど平和裏に行われた。「国際社会の目が入っているぞ」というメッセージを送ることはできたと思う。
――実際の選挙の様子は。
異様だったのは、投票所の運営ルールが統一されておらず、場所によってバラバラで、カメラをつけた武装警官が投票所内にいる所もあったこと。非常事態宣言も出ていないのに、警察が中立性を失い、警察官が行動基準に縛られず個人裁量で動いている異常な状況だった。一方で若者は、シンボルの黒シャツを誰も着ずに投票所に足を運んだ。彼らはSNSで瞬時に情報を共有し、非常に計画的に動員している。「自由が欲しい」という一つの目的のために、全ての違いを超えてつながっていた。
――「暴徒化する若者」とも言われています。
彼らを暴徒と呼ぶのは絶対におかしい。人口700万人のうち200万人が参加するデモが、あれだけ長期間続けば、普通は「内戦」と呼ぶ。だけど彼らは誰も殺していない。中国というスーパーパワーを相手に、民主主義と自由を求めて見たこともない規模のデモを続けている。偉大だと思う。
――民主派圧勝で香港の状況は変わるでしょうか。
それは分からない。選挙の自由がないという構造的な問題は残ったままだから。今回、香港では分断が起こってしまった。大人も子どもも研究者も。
――日本政府は明確なメッセージを出していません。
香港で起きているのは明確に、人道に対する罪。いまの国際司法では人道被害は放っておかない。本当なら憲法9条を持っている平和国家こそが率先して「人道に対する罪はどこで起きようが許さない」という意思表示をする場面。だけど残念ながら、日本にそういう感覚はないだろう。
――沖縄について、運動は全国に広がっていません。違いは何でしょう。
沖縄の問題になってしまっているのだろう。だけど僕は日本の主権の問題だと思っている。日米地位協定は日本の主権に関わっているのだから。政府や多くの日本国民は、迷惑施設を押しつけられた沖縄が文句を言っているという構図にしたがっているが、それをどう打破するかだ。
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