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反体制的な言論を取り締まる「香港国家安全維持法(国安法)」が、海外で暮らす香港人をも分断しつつある。法律が犯罪と定める行為のあいまいさや当局の通報奨励により、同胞さえも容易に信用できなくなっている。国安法の施行からまもなく半年。多くの香港人が逃れた台湾を主な舞台に、その影響を探った。(台北=石田耕一郎)

 台湾の大学で学ぶ香港人の20代男性が今秋、気づいたことがある。

 学内での活動で知り合った香港人の新入生たちが同胞に強い不信感を抱き、自身の家庭環境などを語りたがらないことだ。先輩として50人ほどに入学手続きの仕方を教えたり、歓迎会を開いたりしたが、態度は変わらなかったという。

 男性は「多くの新入生は香港で民主化運動に参加した経験がある。香港政府に密告されることを恐れているためだ」とみる。男性も6月末に国安法が施行された後は、仲の良い友人以外とは民主化運動の話をするのを避けてきた。香港にいる母親からも「政治には関わるな」と注意を受けている。摘発を恐れ、香港に帰郷する時には、台湾でSNSに投稿した民主化運動絡みの内容をすべて削除してきたという。

 周囲の友人には、香港の親族が死去しても帰郷しない人や、家族による通報を懸念して実家ですら政治的な話をしない人もいるという。

 男性は嘆く。「どんな言動が国安法違反とされるかがわからない。香港の魅力は、言論や経済の自由だったのに」

「同郷人すら信用できない」

 同じく台湾の大学で学ぶ香港人の20代女性も、国安法が香港人同士に不信感をもたらしたと感じてきた。学内で香港の新入生と話した際、氏名すら教えてもらえなかった経験があるためだ。とはいえ、女性は民主化運動に参加した経験がある新入生の気持ちも理解できる。「誰が密告者かわからないからだと思う」

 警戒心を解こうと、会話では先に自らの経歴などを伝えるように努めている。「国安法は言論の自由だけでなく、人と人の信頼関係も破壊した。同郷人すら容易に信用できない現状がとても悲しい」

 女性は高校生だった2014年、香港で民主的な選挙制度の実現を求めた「雨傘運動」を見て、民主化運動に興味を持った。香港情勢の悪化に伴い、公務員だった父親の反対を押し切って台湾での進学を決めた。学業の傍ら、香港文化を紹介するイベントに協力し、SNSを通じて香港の魅力を発信している。「私は香港の繁栄が大好きで、自慢だった。いまは香港にとって、言論の自由や独自の文化がより大切だと感じている」と言う。

香港人、台湾へ続々

 台湾当局によると、台湾の居留許可を得た香港人は今年11月末までに9501人で、前年同期の約1・9倍。国安法の施行直前と比べると、1カ月あたり約1・8~5・1倍で毎月増加し続けている。香港の将来を悲観した学生が留学してくるケースが増えているほか、社会人の移住の動きも背景にある。

 台湾で香港人学生の支援を続ける済南教会の黄春生牧師は「国安法により、香港の民主主義と自由は葬られた。香港人同士の連携にも支障が出ており、民主化運動が引き裂かれている」と指摘。香港人による大規模な自助グループの形成すら妨げられている現状を懸念する。

 問題の背景には、国安法が「外国勢力との結託」などを罪と定める一方、違反行為を具体的には規定していないことや、香港政府による通報の奨励、一部の香港人によるスパイもどきの行為がある。

 香港警察によると、昨年6月からこれまでに、違法なデモに参加したなどとして逮捕された人はすでに1万人を超える。さらに、警察は今年11月、国安法違反となりうる行為についてSNSなどで通報を受ける専用窓口も設置した。

不信感は日本でも

 一方、台湾では、香港の探偵事務所の依頼を受けた香港人学生が、訪台した香港人民主活動家の写真を撮影し、10月に台湾当局から域外退去させられた事件があった。活動家の写真は香港の親中紙に掲載された。

 国安法がもたらした不信感は、台湾に暮らす香港人にとどまらない。日本の大学で香港の社会問題を研究する30代の香港人男性は今年、閲覧を友人に限っていたフェイスブック上の個人情報が、親中派のサイトに掲載された。誰が流出させたかわからぬまま、国安法の施行もあって、最近は初対面の香港人と容易に打ち解けられなくなったと感じている。

 男性が親しい友人たちと議論したところ、多くが同じ感覚を抱いていた。男性は「かつては香港人だとわかれば、民主化運動を語り合い、容易に協力関係を築けた。今はそれが難しい。話し合いを重ね、時間をかけて信頼関係を取り戻すしかない」と話す。