香港郊野遊行・續集

香港のハイキングコース、街歩きのメモです。

番外編

ダイヤモンドヒル、その由来。

貴重な映像、なかでも撮影所の位置関係が明確になっています。


バート・バカラック

バカラック死去。
94歳というから大往生。


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「京都育ちの片岡仁左衛門 南座の顔見世に立てる喜びや初心今も忘れず」(京都新聞単独インタヴュー)

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  京の師走、南座の顔見世が今年も近づいてきた。京都育ちの片岡仁左衛門(78)は61回目の出演となり、現役の役者で最多となる。初めて出たのは7歳だった1951(昭和26)年。関西での歌舞伎人気が振るわなくなった昭和中頃の苦境や30年前の大病も乗り越え、今の芸境がある。忘れないように心掛けるのは、舞台に立てる喜びや初心。本紙の単独インタビューで聞いた。

 ―仁左衛門の楽屋の鏡台には、55年ほど使い続ける愛用の品がある。白粉(おしろい)を溶かすなど、化粧をする時に使う「水入れ」。立派なものでなく、プラスチック系の樹脂でできた手のひらサイズの食品入れを転用し、ひびが入っても修理して使っている。実は関西で歌舞伎の仕事が減り、東京に出たばかりの昭和40年代に百円ほどで買ったという。


 「仁左衛門襲名(98年)の時、いい道具をそろえようと思ったけど、ずっと一緒に来た水入れだから、やっぱり捨てがたくてね。こんな物しか買えなかった頃の自分、その時代を忘れてはいけないという自分への戒めもあります」

 ―父・13代目仁左衛門が居を構え、一家で暮らした京都。ただ、昭和30年頃から関西での歌舞伎人気は低迷し、顔見世以外で上方の役者の出演機会は減った。


 「顔見世は東京からも多くの役者さんが出演して、千秋楽の楽屋では『来月は東京の歌舞伎座で』とかお話しなさる。関西の役者は次いつ舞台に立てるか分からない。寂しいもんでした。東京と関西は想像以上に距離があった。長兄の我當が(東京の)菊五郎劇団に預けられる時(54年)も、先代の井上八千代さんやご贔屓方が京都駅に見送りに来られた中、うちの父と兄が抱き合って泣いてね。そんな時代でした」


 ―高校時代は役者をやめようと考えた時もあった。


 「働く舞台がなかったからね。でも(今年6月に89歳で亡くなった上方の名脇役)坂東竹三郎さんたちが懸命に勉強していた。(門閥の)外から来た人がやっているのに、歌舞伎の家に生まれた自分が逃げていいのか。それで歯を食いしばり、とどまった。私より先に次兄の秀太郎が東京の舞台に何カ月か出て、京都に帰ってきた時、新しい服を買ってきたのを見て、すごいなあって。収入があったわけだから。私も東京に行って、ほぼ台詞(せりふ)のない役だったけど、とにかく働ける、舞台に立てる喜びでいっぱいでしたね」


 ―その後、少しずつ役が良くなり、坂東玉三郎との『桜姫東文章』(75年)で一躍人気に。顔見世でも主演演目が増えた。しかし、92年の顔見世で大病に見舞われる。実は12月半ばから高熱が続いた中、千秋楽まで勤め上げた夜に倒れ、救急搬送。胸に膿がたまる膿胸(のうきょう)や食道亀裂で命も危ぶまれた。半年飲まず食わずで入院治療を受けた。


 「その年の顔見世で『先代萩』で共演した山城屋の兄さん(坂田藤十郎)が僕の手を取る場面であんまり熱くてびっくりされた。コロナ禍の今なら劇場に入れないほどの熱だったんでしょう。でも、当時は何があっても倒れるまで舞台に出ないといけなかったから、熱も測っていなかった」

 ―丸1年の療養を経て94年1月の歌舞伎座で舞台復帰。舞踊『お祭り』の幕が開く前から観客の待望の拍手が広がった。一方、父十三代目は同年3月、まるで入れ替わるように京都嵯峨の自宅で永眠。90 
歳。十三代目と当代の共演は92 年顔見世『車引(くるまびき)』が最後になった。

 「まさか、あれが最後になるとはね。父も僕もまだまだ(舞台が)できるつもりだったから。『車引』で父は(敵役)藤原時平(しへい)役。ずっと菅(かん)丞相(しょうじょう)(菅原道真)を演じてきた父だから本当は(道真を追い落とす)時平をしたくなかったの。でも、僕ら兄弟が3人いるから(『車引』の梅王丸(うめおうまる)・松王丸(まるおうまる)・桜丸(さくらまる)の3兄弟と重ねて)勧められてね。父は自分が時平をするなら、丞相(しょうじょう)様に謝りにいかなあかんなあって言っていました」

 ―98年に当代仁左衛門を襲名。顔見世を大看板として支え続ける。坂田藤十郎や秀太郎、竹三郎ら上方役者が近年相次ぎ死去。そうした中、仁左衛門は上方の若手役者を育てようと指導に熱を入れる。毎年お盆は嵯峨にある十三代目の家で先祖を迎え、8月下旬の大阪での勉強会「上方歌舞伎会」に向けて稽古を付ける日々が恒例になっている。


 「上方役者の役の作り方・性根を、私は父からたたき込まれた。上方の役者は動きや台詞がリアル。台詞の譜面が崩れても心を込める。形から入るのも大事だけど、どういう気持ちで見得を切っているか。心が離れているようなことは関西の役者にはさせたくない」


 ―仁左衛門の楽屋の鏡台には、親指ほどの大きさの福助人形も置いてある。人形は口上の時のように頭を下げてお辞儀をしている。


 「役者は偉いんじゃなく、頭を下げる、この姿勢やと思うんです。物を大事にして、いばってはいけない。そう言いながら、えらぶる時もあるけどね(笑)。いつも言うのは、つらい時は下を見ろ、いい時は上を見ろと。何か不服があっても、自分よりつらい人はもっといる。芸で自分ではいいと思っても、もっと上はいる。戒めを忘れたらいけないと思っています」

 ―今年の顔見世で仁左衛門は、忠臣蔵外伝『松浦の太鼓』の主人公・松浦侯を20年ぶりに演じる。吉良邸の隣に屋敷を構える殿様の松浦侯は、期待していた赤穂浪士の吉良邸討ち入りがなかなか実行されず、機嫌を損ねていた。ある夜、聞こえてきた陣太鼓を指折り数え、討ち入りだと喜ぶ姿が見ものになる。


 「あまり難しいことを考えずに、初めての方でも分かっていただける演目をと考えました。とにかく松浦侯の赤穂浪士への愛情が大切。そして無邪気なかわいさや大きさ。ただ、大きさは出そうと思って出るものではない。一つ間違えると逆に小さく軽薄になる。松浦侯は情の深い方。20年前に演じた時は、追いかけるのに精いっぱいでした」

 ―松浦侯を初めて本役で演じたのは1976年3月の南座。十七代目中村勘三郎から教わった。


 「勘三郎のおじ様から受ける印象は役者としての大きさでした。おじ様にお土産をと、京都でLサイズのセーターを買って帰ったら、おじ様は『僕はMサイズだよ』って。肉体はMでも、役者の大きさというものがありましたからね」


 ―今回は赤穂浪士・大高源吾役の中村獅童のほか若手が多く出演する。


 「私たちは歌舞伎を残していかなきゃいけない。先人が苦労して築いてこられた古典や伝統の技術をまずしっかり身につけてほしい。もちろん時代に合わせて歌舞伎は変わっていく。でも、われわれ世代には、まだいくらかでも前の歌舞伎の匂いが残せている部分がある。それを残し、基礎を身に付けてから、新しいことをやってほしい」


 ―「松浦の太鼓」は初代中村吉右衛門の得意芸「秀山十種」の一つ。昨年11月に77歳で死去した二代目吉右衛門も当たり役とした。


 「僕は播磨屋さんには正直いろいろ勉強させてもらいました。大きく、ゆったりとしていてね。若い時から六代目歌右衛門や十七代目勘三郎といった人たちと共演され、その財産はすごいものがあると思いました。今回の『松浦の太鼓』、こういう所が(播磨屋とは)違うなあという所も味わっていただければと思います」

子どもの頃の顔見世を「南座の楽屋に火鉢が置いてあったけど、それでも寒かった。びん付け油も寒くて溶けなくてね」と懐かしむ。

「香りも高きケンタッキー」HD

シネマヴェーラで始まった「フォード特集」、感染拡大という中で渋谷まで出かけるのは・・・・。
なんとyoutubeにアップされていました。
というわけで、ボグダノビッチによるフォードへのインタヴューから。

他愛もない競馬のストーリーを撮りに、はるばるケンタッキーくんだりまで出かけた。撮りながら、お笑いをどっさり詰め込んだ。
雌の仔馬がいて(実にホレボレする容姿だった)。それが何かと私にすり寄ってきたっけ。
群から一頭だけ離れて、俺んところにばかり来るんだ。
俺の帽子をくわえて逃げ、こっちを振り返る。そして、トコトコ戻って来ては地面に落とす。拾おうとすると、またくわえ上げて逃げていく。
持ち主が言ったもんだ。
「どうして名前をつけてやんなさらない? あの仔は監督さんにホレてるんですぜ」
そこで私は、その仔馬をメアリー・フォードと名づけてやった。
メアリーは大人になりレースに出場し、3回連続して優勝したという。
が、可哀想にその場で脚を折り、競走馬として使い物にならなくなって、乗物用の馬に売り渡されてしまったとか。
私は競馬の通ではないが、そんなことにならなければ、あの仔は有名な競走馬になったと思う。
あの仔馬のことは、いつも忘れたことがないな。馬にしては珍しいほど、私のことを愛していたんだ。
役者に演技をつけている間、あの仔は私の椅子の脇にじっと立っていた。
撮影が終わって立ち去る時、あの仔は群の他の連中が半マイルも向うにいるというのに、柵沿いに我々の乗った車の後を慕ってどこまでもついて来たものだった。

youtubeにアップされていたHD全長版が削除されたので、代わりにこれを。


「投票しないと罰金のベルギー、政治参加”9割”」(朝日・有料記事より)

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 このところ毎回、投票率の低さが問題となる日本の国政選挙。かたや海外では、投票が義務化されて怠ると罰金を支払わなければならない国々もあります。義務投票制を導入して130年近い歴史を持つベルギーでは、投票率は約9割にのぼります。「投票の義務」は、現地ではどのように進められ、どう受け止められているのでしょう。同国出身の法社会学者で、日本研究も手がけるディミトリ・ヴァンオーヴェルベーク東京大学教授に聞きました。


 ――ベルギーでの投票の義務化は古い歴史があると聞きました。

 「ベルギーで『義務投票制』が生まれたのは1893年です。9割近い投票率が続いてきましたが、投票は市民の義務だという意識が定着しています。税金を払う感覚と近いですね。投票の義務を怠ると、初回では40~80ユーロ(約5600~約1万1200円)の罰金ですが、何度も怠るとさらに高額になります」
 「幼いころの思い出があります。選挙管理委員会の仕事を手伝うのも市民の義務なのですが、くじで決まります。私の母親も選ばれたのですが、選挙当日に10分遅刻しただけで、罰金が科せられたのです。これには驚きました」

 ――義務化にはどんなメリットがあるのですか。

 「それにお答えするためにはまず、義務化された経緯からお話ししましょう。私は、オランダ最古の都市マーストリヒトと国境で隣接する北東部のオランダ語圏の町で生まれ育ちましたが、ベルギーは、オランダ語を話す北側とフランス語を話す南側の大きく二つに分かれ、東側にはドイツ語圏の小さな地域があります」
 「もともとベルギーはオランダとともに連合王国を築いており、オランダがベルギーの独立を承認してから半世紀以上が過ぎたころ、投票が義務化されました。多言語国家ベルギーは当時、国内の安定が急務だった。政治家の汚職による政治不信や、社会主義の台頭による政治の急進化という課題にも取り組む必要がありました。そこで、市民の政治参加を促して政治の正統性を取り戻すとともに、市民を政治的に教育することが大切だと認識されるようになります。その手段が投票の義務化だったのです。投票義務化の大きな利点の一つは、市民の教育に役立つということだと言えるでしょう」

 ――学校教育にも義務制の影響はありますか。

 「ベルギーでは、中学生や高校生のころから、学校でクラスの仲間たちと政治の議論をするのは日常です。例えば授業では、移民の受け入れやコロナ対策などについて各政党の主張を調べ、自分の意見を言います。私は日本の高校にも1年間留学した経験があります。『今の政権を支持する?』と質問しても日本の友人から応答はなく、教師との会話も盛り上がりませんでした。義務投票制が政治教育を促していることがお分かりいただけると思います」

 ――オランダやオーストリア、イタリアなど、義務制を廃止した国もあります。ベルギーでは廃止の議論もあるのでしょうか。

 「国政選挙でも地方選挙でも投票は義務ですが、義務制には政治の急進化を防ぐ効果もあります。そもそもそれが、ベルギーでの制度導入の理由の一つでした。ところがいま、オランダ語圏の地方選挙で投票の義務制を廃止するという議論が始まっています。そこには、連立与党を作っている右派政党が、投票率を下げることで自らの選挙を有利に運ぼうとする政治的狙いがあるとみられ、批判も出ています」

 ――日本でも義務化は可能でしょうか。

 「私は裁判員制度の研究もしています。日本人が義務を引き受けて責任を果たしている姿をみると、投票の義務化は可能だと思います。だれもが投票に行くことは、社会的な少数者の意思を政治に反映させる効果もあります。政治家が政策を考える際、少数派の声を意識せざるを得なくなるからです。そんな『強い民主主義』をつくるために、日本でもやってみる価値はあると思います」

ロシアへの核移送に反対した元閣僚 これは民主主義と全体主義の戦い(朝日・有料記事より)

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  ウクライナは1990年代、旧ソ連から引き継いだ核兵器を廃棄し、持っていた核兵器をロシアに移送することで、非核兵器国となりました。もしこの時、核兵器を維持し続けていたら、その後の歴史は変わっていたでしょうか。今回、ロシアの侵攻を受けることもなかったでしょうか。
 当時、ウクライナで核兵器廃棄交渉を担当し、ロシアへの核兵器移送に強硬に反対したのが、環境保全相のユーリ・コステンコさん(71)です。ロシアへの強い不信感を抱くコステンコさんらは、ひそかに米国などと交渉し、核兵器の廃棄と引き換えに米欧から安全保障を確保しようと試みたのでした。
 実現しなかったこの試みは、ロシア軍の侵攻を受けた今、ウクライナに貴重な教訓を与えています。侵攻を「民主主義対全体主義の戦い」と位置づけ、「これに勝利することで、北方領土返還も実現する」と考えるコステンコさんに、首都キーウで話を聞きました。(キーウ=国末憲人)

 ――ウクライナの核兵器廃棄の経緯をうかがうために、前回インタビューをお願いしたのは、昨年3月でした。それから1年足らずのうちに、ロシアはウクライナに侵攻してしまいました。

 侵攻は予想通りでした。侵攻後、私は息子とともに領土防衛軍に入って戦いました。もしロシアが首都キーウを占領していたら、私は生きていられなかったでしょう。漏れ伝えられた情報によると、私の名前はロシアの処刑リストに掲載されていたそうです。しかも最初のページ(笑)。でも、ウクライナ軍が敗れるとは一度も考えませんでした。
 私は今、ウクライナの自立を目指す政治運動にかかわっていますが、メンバーの一部はソ連時代、拘束されて強制収容所に閉じ込められた経験を持つ人々です。そのような体験から、(ソ連の支配層の中心にいた)ロシア人が民主的な社会をいかに憎んでいるか、肌にしみて感じましていました。ロシア人の意識は、現代に至るまで変わりません。自由に振る舞いたいウクライナの意識を、ロシアのプーチン政権は認めようとしないのです。
 核兵器廃棄の交渉をしている頃から、ロシアはいつか、ウクライナの敵として立ち現れてくると、私は確信していました。ロシアはいつも、表では私たちと交渉し、「ロシアとウクライナ兄弟だ、別れてはならない」などと口にするのですが、本心ではウクライナの自立性を認めようとしないのです。

 ――ロシアは「プーチン大統領だから強権政治になった」と考える人が多いようですが。

 プーチン氏の問題ではありません。プーチン政権になってロシアが変わったわけではなく、ロシアは以前から同じです。ウクライナに対する態度は、ロシアの国家戦略となっています。
 ソ連が崩壊した時、分裂したロシアはそのうち民主社会となって発展すると、欧州各国はめでたくも信じていました。しかし、そうはなりませんでした。

 ――でも、ソ連が崩壊した時、ウクライナの独立にはロシアも賛成したと記憶しています。

 当時のエリツィン大統領が民主的な政治家を装ったからでした。ソ連の政治家のように振る舞うと、(欧米からの)人気を得られなくなると知っていたから。その証拠に、ウクライナが欧州連合(EU)に接近しようとした途端、エリツィン氏は態度を翻して、民主的に振る舞うのをやめました。
 ウクライナへのロシアの態度は、長い歴史を通じて変わりません。領土だけでなく、ウクライナの独立を奪い、その人材や経済を利用してきたのがロシアです。

 ――1991年に独立したウクライナは、ソ連時代に配備された何千発もの核兵器を引き継ぎ、ソ連崩壊時には米ロに続いて世界で3番目に多い数の核兵器を国内に置く国となりました。結果的にそれはすべて、96年までにロシアに移送されたのですが、当時交渉を担当する環境保全相だったあなたは、ロシア移送に強硬に反対したことで知られています。

 私は、核兵器廃棄の作業をウクライナ国内で進めるのが最も適切だと考えていました。実際、ウクライナ議会も核兵器のロシア移送に反対したのです。
 ウクライナ議会の構想だと、最初の7年間で弾頭42%、運搬装置36%を国内で廃棄し、次の7年間は米国との合意の下で完全廃棄に達する手はずでした。廃棄過程で取り出した核燃料は、ウクライナの原発で利用する。最終目標は、核兵器を廃棄したうえで北大西洋条約機構(NATO)への加盟です。NATOだけが我が国の安全を保障できると考えました。

 ――主要各国が当時、核兵器をウクライナから移送するよう求めたのは、核拡散を懸念してのことだったと記憶しています。核兵器の管理がおろそかになり、核兵器開発をもくろむ国やテロ組織の手に渡るのではないか、との心配からです。

 そのような懸念は確かにありました。ウクライナ議会はこれを払拭(ふっしょく)するために、国際レベルの核兵器管理制度を確立するよう提案しました。

 ――なのに、どうしてその構想が進まなかったのでしょうか。

 ウクライナ議会に多数いた親ロ派勢力が巻き返したからです。当時のクラフチュク初代大統領やウクライナ外務省も、ロシア移送を支持しました。
 ウクライナ議会の構想に米国は賛成しましたが、ロシアは強硬に反対しました。ロシアの頑強な圧力を受けて、ウクライナは結局、核兵器を手渡すことになったのです。

 ――ただ、ロシアへの移送には米国も最終的に賛成しましたね。

 その通りです。米国は当時、ロシアと友好的な関係を築こうとしていました。当時、ロシアのエリツィン大統領は民主的な改革派と見なされたのに対し、ウクライナのクラフチュク大統領はむしろ古い共産党メンタリティーの政治家だと思われていたからかもしれません。
 ロシアの真の姿を見抜けなかったのは、米国の失策でした。米国も欧州各国も、今回ウクライナに侵攻するまで、ロシアは民主国家に生まれ変われると信じ、ロシアがジョージアと戦争しようが、クリミア半島を占領しようが、見て見ぬふりをしてきたのでした。

 ――もし核兵器がロシアに移送されず、ウクライナにとどまったとしても、安全保障の支えとなったでしょうか。核ミサイルはそこにあっても、それを使用する権限や発射ボタンはロシアが握っていたわけですから、役立たずの兵器ではなかったでしょうか。

 確かにそうです。核兵器はあっても使うことはできませんでした。ただ、使う方法が全くなかったわけではない。ソ連の核兵器を開発したのは、ウクライナのハルキウにある研究所でした。発射システムを構築しようと思えば、ここでできたのです。
 もちろん、ウクライナが核兵器を使う可能性は皆無です。広島、長崎の悲劇は大きな教訓として受け止められていました。世界中どこにも、核兵器使用の責任を担える国はありません。私たちが追い求めたのはあくまで、核兵器を廃棄した後のウクライナの安全保障でした。どこがウクライナを守ってくれるか。これを探すのに一生懸命だったのです。

 ――その結果、国際社会が出した結論は「ブダペスト覚書」でした。ウクライナなど旧ソ連3カ国の核兵器廃棄を受けて、米英ロなどが3カ国の領土保全を約束したのですが、ロシアによる2014年のクリミア半島占領や東部ドンバスへの介入、さらに今回の軍事侵攻によって破られました。

 この覚書は、条約ではなく、政治宣言に近いものです。内容は適当だし、破っても何の責任も負わされない。ロシアはこれを、単なる紙切れと考えて署名しました。紙切れと分かっていて受け入れたウクライナ政府も悪い。これでは安全保障にならないと、私たちは反対したのですが。
ロシアは高をくくっていたのです。「米国は、戦争をしてまでウクライナを守るつもりはない」と。

 ――今回、米国はウクライナをどこまで守るでしょうか。

 今回のロシア軍侵攻は、ウクライナだけの問題ではありません。欧州の命運にかかわる問題です。ウクライナの領土を巡る戦いであると同時に、民主主義対全体主義の戦いでもあるからです。
 この戦争でウクライナが負けることは、民主主義陣営の敗北を意味します。プーチン大統領は次に、欧州各国に手を出すでしょう。中国は台湾に侵攻するかも知れないし、北朝鮮は韓国を攻撃するかも知れない。行き着く末は第3次世界大戦です。だから、米国はかかわらざるを得ない。私たちを支援するためでなく、自分たちを守るためです。自分たちのために、ウクライナの手を使って戦うのです。
 今は、ウクライナが戦うことでNATOを守っているのが現実です。NATOはかつて、ロシアと良好な関係を保ってきましたが、真のパートナーはウクライナであると気づいたでしょう。

 ――ウクライナでの戦争が長引き、犠牲者が増えるに連れて、「今すぐ停戦すべきだ」との主張が出てきています。

 大反対です。クリミア半島を占領されて戦わなかったら、何が起きたか。もっと大規模な戦争でした。今回占領された領土を諦めると、1年か2年してロシアはまた攻撃を起こし、さらなる領土を取ろうとします。ウクライナだけでは収まらない。その次はバルト3国、ポーランドと広げ、大西洋に達するまで続けるに違いありません。他国の領土を奪ってきたのが、ロシアの歴史です。

 ――では、ウクライナはそのロシアと今後どういう関係になるのでしょうか。

 戦争に敗れたロシアは、かつてソ連が崩壊したように、内部崩壊を起こすでしょう。カフカスの各共和国やタタールスタン共和国などが分離した後のロシアは、これまでの野蛮な手法をやめるに違いありません。その時、ロシアに奪われたウクライナの領土も、ロシアが事実上占領しているジョージアの領土も、もとにもどるでしょう。日本の北方領土もその時返還されます。
 これは、遠い未来の予想ではありません。ロシアの経済状態を分析する限り、ロシアはもはや戦争を続けられない。兵器の部品も欧州に頼れなくなる。経済制裁の負担もかさむ。経済危機はいずれ、政治危機に結びつきます。崩壊はずっと早く到来すると思います。
 この戦争でのウクライナの勝利は、民主世界全体の勝利であり、ロシアを隣国として抱える日本にとっての勝利でもあります。日本人に訴えたいのは、ロシアと交渉しても、決して平和は訪れないこと。残念ながら、これを理解しない政治家が、EUにも日本にもいます。ロシアは決して、ウクライナにとってだけの脅威ではない。日本にとっての、世界にとっての脅威なのです。

ブリュッセル・タイムズが伝える新杉並区長・岸本さとこ。

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フランドル地方の都市ルーヴェンに10年以上家族で住んでいる岸本聡子さんが、東京都杉並区の区長に選出されました。
岸本さんは日本人のルーツを持ちながら、夫のオリビエ・ホードマンさんと2人の子供と一緒にルーヴェンのケッセルロー地区で10年以上暮らしてきた。それでも、彼女は常に祖国との強い絆を保っている。
「covid19危機のとき、すべてがオンラインで行われ、聡子はルーヴェンから日本のオンライン公開討論にたくさん参加した」と夫のオリヴィエ・ホードマンは月曜日にフランダースのローカルラジオで語った。
「聡子は政治にとても興味があり、アムステルダムのトランスナショナル研究所での仕事を通じて、政治についてもよく知っています」と彼は言った。「彼女は日本の進歩的な運動でとても人気があり、杉並の市長選に立候補するように頼まれました」。
杉並区は日本の首都東京の一区であり、人口は50万人以上と推定されている。現在、岸本は杉並に滞在し、数週間にわたって選挙活動を続けている。
「聡子は人生の最初の25年間を日本で過ごした。その後、彼女はオランダに移り住み、ルーベンで10年以上一緒に暮らし、今では2人の子供にも恵まれています」とホーデマンさんは言う。
しかし、聡子は常に日本とのつながりを持ち続けてきた。だから、区長選への出馬要請があったとき、彼女はすぐに熱意を示した」と述べ、「まさか彼女が当選するとは思ってもいなかった」と付け加えた。
「"選挙結果 "は大きな驚きだった。さとこは、保守的な市長を打ち破ったのだ。どうやら、彼女の政治的メッセージが多くの市民に訴えられたようだ」とHoedemanは説明する。「民営化をやめて、市民参加を」と。
日本とのつながりを大切にしてきた彼女は、杉並区民から「本物の日本人」だと思われている。また、彼女の当選は日本全国でも大きなニュースであり、日本の政治に「新しい風が吹き始めた」と見られている(ホーデマン氏談)。
岸本夫妻が日本に移住するかどうか、また、どのように移住するかは、まだ決まっていないという。"私たちの一番下の息子はまだ中学生で、まだ数年あります。だから、日本への移住はそう簡単にはいかないだろう。まだ考えなければならない。"

プロパガンダにみるプーチンとトランプの相似(朝日・有料記事)

ウクライナをネオナチから解放する――。
ロシアのプーチン政権は、見え見えのプロパガンダをなぜ連発するのか。ヘイトスピーチや差別語など言語のダークサイドに詳しい言語哲学者の和泉悠さん(南山大学准教授)に聞くと、都合のいい「事実」を作り上げて、権力の序列関係を強調しているのだという。

 ――プーチン政権のプロパガンダとは、どのような性格なのでしょうか。

 「いろいろなものを含んでいます。例えば『どこそこを破壊したのはウクライナだ』とあからさまなうそをついたとします。これは『偽情報』(disinformation)です。一方、『ネオナチからの解放』は、それだけ見れば特別変なことは言っていない。ウクライナと結びつけるから、おかしなことになる。プロパガンダは、必ずしもすべてが偽情報でなくてもよいのです。そもそもプロパガンダの目的は、相手に間違ったことを信じさせようとするものではないからです」

 ――では、何が狙いなのでしょうか。

 「相手を恐怖で混乱させ、分断を引き起こすことです。『ウクライナ政権はネオナチだ』と言うことで、恐怖をあおり、解放者の『我々』と恐ろしいネオナチの『やつら』を分断する。『ナチスは悪だ』や『迫害をやめさせよう』のようにだれも否定しない言葉を利用して、都合のいい主張にすり替える。客観性や一貫性はお構いなしに、膨大な情報を迅速かつ継続的に流す。『そういう考えもありかな』と思わせる種をまけばいいのです。速く広く伝われば、裏を取ろうとするジャーナリズムを出し抜けます。自国民が情報の真偽を検討する前に、そして他の選択肢などを理性的に検討する前に、混乱させてしまえば勝ちです」

 ――いまに始まったことなのでしょうか。

 「ロシアは2014年に一方的にクリミアを併合しましたが、その時も同じようなことをしています。アメリカのシンクタンクのランド研究所が、16年にロシアのプロパガンダについて面白い分析を出しています。それによると、特徴は四つあります」

 「まず、量が膨大かつ複数のチャンネルを使う。二つ目が、迅速、継続的でかつ反復的。三つ目が、客観的事実にコミットしていない。四つ目は、一貫性にコミットしていない。今回も当てはまるかもしれません」

 ――なぜ、そんなことをするのでしょう。

 「権力の維持に有効だからです。だからナチスドイツなどのファシスト政権も、トランプ前米大統領もやってきました」

 ――どういうことですか。

 「まず、人々が混乱して分断されていれば、団結して自分に逆らうのを阻止することができます。次に、プーチン大統領のように権力者が『やつらはナチスだ』とまじめに断定するとき、裏には『自分はそういう発言をしてもいいのだ』とのメッセージがあります。『ナチス』という言葉の内容だけでなく、だれかを『ナチスだ』と言うこと自体に、大きな影響力があるのです。ウクライナの政権に対し、そういう言葉を使ってよいのだという承認を意味します」

 「なにかについて、それをしてもよい、してはダメ、というルールを作れるのは、権力を持っている人です。教室を想像してみて下さい。夏休みの宿題はこれこれで、何日までに提出しなさいと決められるのは先生です。生徒が『宿題はその3分の1にしましょう』と言っても通りません」

 「さらには、ルールだけでなく『事実』を作り替えることができる存在こそ権力者です。古代中国で、秦の始皇帝に仕えて絶大な権力を握った側近が、鹿を馬だと周囲に言わせることで権勢を示したように、権力者は『事実』を作り上げようとします。それによって序列関係をはっきりさせるのです。何かを『ナチス』や『フェイクニュース』などと呼ぶことがどれほど荒唐無稽であっても、それを言う意義があります」

 ――そうして権力の序列関係をはっきりさせてから、何をするのでしょうか。

 「こうしたランク付けは、暴力の正当化につながります。善良な『我々』より何もかも劣っている『やつら』は危険な存在になります。まったくそのような事実がなくても、人々に危害を加える『危険なやつら』とされ、『正当防衛をするしかない』となるわけです。学級内の理不尽な序列『スクールカースト』が容易にいじめや暴力に転化するように、スケールは違っても、権力の序列関係はウクライナ侵攻を正当化するのに使われていると思います」

 ――プーチン大統領は、そうした効果を意識してプロパガンダを連発しているのでしょうか。

 「わかりません。自分が信じることを誠実にやっているだけかもしれない。ただ、いつか自分が国民から『やつら』の側に追いやられるかもしれないという恐怖はあるのかもしれません。いままで敬語で呼ばれていたのに、ある日突然タメグチで話されたら、当惑しませんか。例えば会社で、部下から『さん』をつけずに呼び捨てにされたら、上司はびっくりするでしょう。ただの言葉なのにです。権力の序列関係は継続的に確認しなければ安心できない。プーチン大統領はプロパガンダを連発することで、序列関係を確認し続けているのかもしれません」

 ――そうした状況はロシアなど特殊な国のできごとにも思えます。

 「そうでしょうか。欧米や日本でも、より巧妙になって存在していると思います。例えば米国では、表面上は黒人などへの差別的表現が完全に排除される一方で、選挙での不正投票防止を理由に、投票手続きを厳格化する州法の制定が進んでいます。裏の意図は、マイノリティーの投票制限かもしれない。『選挙の公正』はだれも否定しませんが、それをマイノリティーへの隠された差別メッセージとして使うことも可能です」

 「トランプは、移民を『犯罪者』呼ばわりしましたが、これは有権者に恐怖を感じさせて、『やつら』と『我々』を分断しようとする言葉です。プーチン大統領の『ネオナチ』と同じです。都合の悪い報道を『フェイクニュース』と切って捨てる『言語的ハイジャック』や、オバマ元米大統領を『アメリカ合衆国出身ではなく、大統領になる資格はない』とこき下ろしたのも、広い意味ではプロパガンダの一種だと思います。人々に間違った事実関係を信じさせるというより、感情を喚起し、じっくり考えさせない手法がプロパガンダだからです」

 ――そうしたプロパガンダに惑わされないすべはあるのでしょうか。

 「ずっと頭の片隅で考えているのですが、難しいというのが正直なところです。惑わされないという意識を乗り越えてきてしまう。わかっていても、振り込み詐欺にひっかかってしまうような……。でも、プロパガンダの基本的な戦略や戦術、機能といった点を知っておくことは、自分が餌食になっていないか考えるよすがにはなると思います」

   いずみ・ゆう 1983年生まれ。南山大学准教授。専門は意味論。差別語やヘイトスピーチなど言語のダークサイドにも詳しい。著書に「悪い言語哲学入門」など。

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「ロシアを突き動かした屈辱感」(朝日新聞・有料記事より)

 ロシアのウクライナ侵攻を、「新冷戦の幕開け」など、これまでとは異なる時代の始まりと位置づける見解は、少なくありません。しかし、アジア太平洋の国際関係を専門とする菊池努・青山学院大学名誉教授(68)は、これを「ソ連が崩壊する過程の最終段階」、つまり「冷戦の終わり」だと考えています。その論拠を聴きました。
(ロンドン=国末憲人)

 ――ロシア軍のウクライナ侵攻については、「これまでとは違う時代の始まり」だと分析する論者が多いように思います。なぜ、これをむしろ「古い時代の終わり」と位置づけるのでしょうか。

 今回の出来事は、ソ連という「帝国」が崩壊する最終段階にあたると考えるからです。「帝国」は、衰退する過程で様々な問題を引き起こします。第1次世界大戦前後までに「帝国」は世界の他の多くの地域で消え去りましたが、ソ連と中国は、その後も「帝国」の特徴を維持し続けてきました。

 歴史の大きな流れからみると、今回の侵略は、その帝国が崩壊する際にしばしば生じる、血なまぐさい事件の一つだと思います。それは同時に、「冷戦」が、名実ともに終わりを告げようとしていることも意味しています。

 ――冷戦が終わったのは、1989年にベルリンの壁が崩壊し、米ソ首脳が冷戦終結を宣言した時ではないのでしょうか。

 冷戦は、米ソが世界を巻き込んで長期にわたってぶつかり合った激しい争いでした。今から振り返ると、89年の冷戦の終結はあまりにも平和的でした。やはり冷戦のような争いの最後は流血を避けられないのではないか。その具体的な例が、ウクライナ侵攻という形で今になって現れてきたのだと思っています。

 「帝国」が衰退する過程では、強かった時代へのノスタルジーと自分たちの現実の力との間、自分たちが考える国際的な地位と実際の国際社会での扱いの間に、大きなギャップが生じます。衰退する帝国は、このギャップに耐えられない。失われた栄光を取り戻すために、非合理的な行動や、現実を無視した暴力に訴えてしまうのです。ウクライナに侵攻したロシアにうかがえるのも、そのような姿です

 ――一般的には、プーチン大統領だから侵攻した、と考えられがちです。だから、多くの人がプーチン氏の精神状態を推測しつつ、今後の行く末を案じるわけですが。

 確かに、プーチン氏を抜きにしては、今回の出来事を議論できないかもしれません。ただ、大きな歴史の流れの中でプーチン氏と言う人物が登場したと考えるべきでしょう。決してプーチン氏1人の意向で侵攻したというわけではないでしょう。現実に、今回の侵攻についてロシア人の8割が支持しました。これは、単なる情報統制の結果とは思えません。ロシア国民の間にも強い屈辱感があり、それを払拭(ふっしょく)できるのであれば軍事力の行使も支持する雰囲気があったのだろうと察します。

 ロシアを突き動かしたのは何か。やはり、「冷戦後30年間にわたって欧米から二流国家として軽んじられてきた」という屈辱感、世界から一目置かれる国家としての地位を取り戻したい痛切な思いではないでしょうか。「自分たちは世界のメインテーブルに座るべきなのに、欧米は全く無視してきた」と訴えたいのです。

 もちろん、西側には西側の理屈があって、「我々はロシアを国際社会に迎え入れようと努力してきたではないか」「主要国首脳会議(G7)にも加えてやったではないか」などと反論します。

 プーチン大統領の演説や論稿からも、耐えがたい屈辱感が読み取れます。これに加え、トランプ政権時代からの後遺症もあって米国と欧州との関係は揺らいでいました。フランスのマクロン大統領は「NATOは脳死状態だ」と言うし、政権が交代したばかりのドイツは何もできないように見える。

 プーチン氏はこれを見据えて「欧米は平和ボケしている。今がチャンスだ」と思ったのかもしれない。もちろん、そこには誤算がありました。欧米がこれほど厳しく対応するとは思っていなかったし、ロシア軍の戦闘能力がこれほど劣っていたというのも予想外だったでしょう。

 ――欧米に関しては、米国のイニシアチブによる結束が目立ちます。

 オースティン米国防長官が先日「ロシアの弱体化を望む」と述べたように、米国は本気でウクライナを支援していると考えられます。米国は、ウクライナを想定した「武器貸与法」まで制定しましたが、これは第2次世界大戦の時と同じです。大戦中にこの法律ができて、ドイツに攻められていた連合軍は息を吹き返したのです。この時と同じ名称の法であることも、米国の本気度を象徴しています。

 ――これは、冷戦時代に米国が欧州を支えたのと同じ構図ですね。

 米国が欧州に関与してきた最大の理由は、冷戦時代にロシア東欧の通常兵力が西側よりも圧倒的に強かったからです。欧州がこれに対抗するには、米国の核兵器が必要だった。だから米国がかかわったのです。

 しかし、今回の出来事が示したのは、ロシアの通常兵力が想定したほど強力ではない、ということでした。しかも今後、ドイツは国防費を国内総生産(GDP)比2%以上に引き上げる方針を決めている。フィンランドもスウェーデンも北大西洋条約機構(NATO)に加盟する。欧州の軍事力はさらに強化されるわけです。

 そうすると、米国はどうするか。拡大抑止、つまり核の傘は従来通り提供し続けると思いますが、米国が圧倒的な力を示しつつ欧州の安全保障にかかわる姿は変わるのでないか。

 つまり、冷戦の真の終結は、ロシアを変えるだけでなく、米国も変えることになるのではないか。具体的には、欧州の安全保障秩序の再編に伴い、米国は従来の役割を縮小し、欧州諸国がより大きな責任を担うようになるでしょう。冷戦の時のように欧州が米国に多くを依存する状態はなくなるのではないか。米国には、欧州よりももっと重要な課題が生じているのです。

 ――インド太平洋地域の重要性が高まっているということですか。

 米国の最大の懸念は国内問題ですが、国際問題としてはその通りです。米国は5月、ワシントンで東南アジア諸国連合(ASEAN)との首脳会議を開いた後、バイデン大統領が訪日して日米豪印(クアッド)首脳会合に臨みました。インド太平洋を重視する姿勢は、今回の出来事があっても全く変わっていない。

 米国とインド太平洋地域との関係も、これまでと同じではありません。米国が主導権を握って力ずくで地域諸国を引っ張っていくのでなく、同盟国や友好国などの自助能力を強化する支援をこれまで以上に重視するでしょう。日本、豪州、韓国、インド、ベトナム、シンガポールといった「自立した同盟国やパートナー」の取り組みを促し、彼らを結びつけ、束ね、地域全体のガバナンスを高めることによって、インド太平洋の新しい国際関係をつくっていく。米国が提唱する「Integrated Deterrence」(統合抑止)の戦略を広く解釈すれば、「パートナーシップ」こそがアメリカの政策の中心になるでしょう。

 背景にあるのは、米国だけでインド太平洋が直面する課題に取り組める時代は終わった、という意識です。何をしようにも、国内のコンセンサスが形成できないのです。米国がグローバルパワーであることをやめるわけではありませんが、これまでのように、いろんな地域の様々な問題に直接かかわる余力も国内の支持も、なくなっているのだと思います。

 ――米国の欧州からインド太平洋へのシフトは、ロシアのウクライナ侵攻以前から言われていたことです。つまり、その大きな流れは、ウクライナへの侵攻があっても変わらないということですね。

 その通りです。「侵攻によって世界が変わる」という人はよくいるのですが、では何がどう変わるのか。いろんな人の意見を聞きましたが、よくわからない。「再び冷戦だ」という人もいますが、ではその冷戦がどのような形で現れるのか。今までの冷戦がそのまま欧州で再現されるわけでもないでしょう。まだ議論が生煮えの感じを受けます。

 もちろん、ドイツの安全保障政策が大きく変わりました。欧州の安全保障の重心が東に移って、フィンランドやポーランド、ウクライナなどの国が安全保障の中心に位置するという変化はあるかも知れません。ただ、これで国際社会の根本的な仕組みが変わるとか、「力こそ正義」という世界が到来するとも思えません。「気に入らないことがあれば軍事力を行使する」といった世界になるわけでもないでしょう。

 ――すなわち、米国にとって真剣に相手にするのは中国やインド太平洋であり、欧州へのかかわりは早く片付けてしまいたい課題だと映っているのでしょうか。

 米国は「冷戦の後始末」と位置づけているのではないでしょうか。米国は冷戦の当事者ですから、その幕引きをしないといけない、という意識でしょう。

 ――菊池先生はこれまでの論文で、「ルールに基づく国際秩序」の重要性を強調されています。今回、これが大きく損なわれたように思えませんか。

 「ルールに基づく秩序」(RBO)には、様々な要素があります。例えば、日米同盟など「同盟」という存在も、その重要な一部です。「ルールに基づく秩序」は、その背景に力のバランスがないと存続しえません。「ルールに基づく秩序」の強化も、NATOの復権や米国の同盟ネットワークの強化などと結びついています。その秩序がなし崩しになっているとは、全然思いません。

 「ルールに基づく秩序」は、ロシアだけの問題ではありません。我々は目をつぶっていますけど、米国だっていろいろな問題を抱えています。途上国の側には、米国も国際ルールを逸脱した行動をたびたびとってきたではないかとの思いもあります。特に、トランプ政権の時はその傾向が強かったのですが。

 確かにウクライナは深刻な問題ですが、これで世界が無秩序になったわけではありません。国際秩序には復元力も当然備わっています。国際法違反の行為に対して「罰せよ」という動きもあるわけです。ロシアの侵攻によって戦後の「ルールに基づく秩序」は終わった、などというほど単純な話では全くありません。

 ――そうすると、いつかロシアも秩序の中に戻していかなければなりませんね。

 そういうことだと思います。ただ、ではプーチン大統領と取引ができるのか、という問題はありますね。プーチン氏は戦争犯罪を問われているわけですから、そのような人物と話し合って次の世界をつくっていけるのか。しかも、それはすでに一度失敗した試みです。やはり、ロシアの側も変わらないと、難しいのではと思います。

 ――ロシアの現状を「帝国の崩壊」とすると、これと並ぶ中国は今後どうなるでしょうか。

 中国を見ると、習近平国家主席は今、「中国の夢」にしきりに言及しています。「夢」とは何かというと、「中華民族の偉大なる復興」。そこに見えるのはやはり「帝国ノスタルジー」です。

 プーチン氏と同じように、習近平氏も「過去の屈辱」について多く語っています。「中国が150年にわたって屈辱を受けてきたのは、弱かったからだ。我々は今強くなった」などと言うわけです。この屈辱感が強く行動を規定している点で、プーチン氏と習近平氏とは共通しています。

 アジアで問題が起きているのは、朝鮮半島から東シナ海、台湾海峡、南シナ海、中印国境と、中国の周辺部ばかりです。これは「中国やロシアには国境の観念が薄く、周辺があいまいになっているからだ」と指摘する人がいます。現代の主権国家なら、はっきりと領土を確定して、「ここまでは私のもの」「ここからは他人のもの」と決める感覚を、当然持ち合わせている。しかし、中国やロシアはある意味でまだ近代国家ではなく、すなわち「帝国」であるのだから、そのような感覚が希薄なのだと。もちろん、中国も表向きは「領土の一体性を尊重する」などと口にするのですが。

 ――では、中国もこれから、ロシアのように崩壊するのでしょうか。

 内外の変化に対して中国共産党はこれまで巧みに対応してきました。簡単に崩壊するとは思いませんが、少なくとも深刻なストレスを内外に抱えています。

 戦後、米国が主導してきた「ルールに基づく国際秩序」に、中国はロシアよりもはるかに深く組み込まれています。この秩序は、自由貿易や通貨の安定などの国際公共財を提供するとともに、民主主義や人権の擁護、透明性など内政干渉的な性格も強く帯びています。中国はその秩序から取捨選択をして、自分たちに都合のいい公共財的な機能だけをフルに利用して経済成長を実現する一方で、民主主義など都合の悪い側面は排除してきました。とはいえ、もし今ある国際秩序が動揺すると、中国が受けるダメージは、ロシアよりもずっと大きいでしょう。

 中国にとって、ロシアはある意味で頼りになる存在です。自国の周囲は、米国の同盟国や友好国ばかりなわけですから。だから、今回も中国は実質的にロシアを支持し、米国を批判するわけですが、一方でウクライナの危機が国際経済システムに大きな影響を与え、中国経済を揺るがすことにも、危惧を抱いています。

 ――その意味では、中国もウクライナの問題の早期収束を願っているわけですか。

 そう思います。中国は、さらに長期的な課題も抱えています。中国に最大の利益を与えてきた経済のグローバル化が今、様々なところできしみを起こしていることです。人、モノ、カネ、情報が国境を越えて自由に行き交う世界が、これから変わっていくかも知れない、とも言われている。それは、中国にとって非常に大きな懸念です。

 いずれにせよ、ロシアよりもはるかに強大な力を持つ中国が「過去の屈辱を晴らす」「民族の栄光をもう一度」などと言うと、周囲に与える緊張も、ロシアの比ではありません。その意味で、アジアは欧州よりもずっと深刻な問題を抱えていると言えるのです。

きくち・つとむ 青山学院大学名誉教授。日本国際問題研究所上席客員研究員。1953年、群馬県生まれ。南山大教授などを経て、今春まで青山学院大教授。その間、副学長も務めた。専攻はアジア太平洋の国際関係。著書に「APEC アジア太平洋新秩序の模索」など。

「泊原発、運転差し止め判決」(朝日新聞有料記事より)

 北海道電力が再稼働を目指す泊原発(北海道泊村)の運転差し止めなどを道内外の約1200人が求めた訴訟で、札幌地裁(谷口哲也裁判長)は31日、「現在ある防潮堤は津波に対する安全性の基準を満たしていない」として、北電に運転差し止めを命じる判決を言い渡した。
大手10電力のうち北電を含む7社の社史編纂に携わった国際大学の橘川武郎教授(エネルギー政策)に聞いた。

 ――札幌地裁が泊原発の運転差し止めを命じました

 「原子力規制委員会で審査中の原発に対して裁判所が判断を下すのはちょっと違和感があります。判決文は、審査が長引いているから先に判決するんだというように読め、少しロジックとして弱い気がします」

 「ただ、北電はなぜ新しい防潮堤についてもっと主張しなかったのか。詳細は審査中だから言えないとしても、もう少し説明の仕方はあったはずです。判決文を読むと、なかなか主張をしない北電の対応に裁判長はよっぽど頭にきていたんだなと感じました。北電らしいなと思います」

 ――判決は再稼働に影響があるでしょうか

 「あまり影響はないと思います。判決のロジックが弱い気がするので、上級審で簡単にひっくり返りそうな印象を受けます」

 ――そもそも原発の訴訟リスクはどうみていますか

 「大したことはないと思います。過去の訴訟で原告が勝ったケースも上級審で全部ひっくり返っています。もちろん再稼働までの時間が余計にかかりますから経営的にはダメージですが、根本的なリスクではない」

 ――仮処分の決定で運転を止める原発もありました

 「でも仮処分で確定した事例はゼロです。上級審で全部ひっくり返っています」

 ――泊原発は原子力規制委の審査も長引いています

 「大手電力の中でも、北電の原発への対応や進め方は非常に拙劣だと感じます。一番早く再稼働を果たしたのは九州電力で、泊原発と同じ加圧水型炉(PWR)でした。PWRで再稼働を申請した大手電力は4社で、北電以外の3社はもう審査が終わっています。動かすものは動かし、廃炉にすべきものは廃炉を決めました。北電だけ審査が進んでいないというのは、客観的に考えておかしい」

 ――何が要因にあるのでしょうか?

 「もともと泊原発を3基とも動かすという北電の方針が欲張りでした。四国、九州、関西の各電力は廃炉する原発もちゃんと決め、絞り込んだ上で再稼働を果たしています。北電も最終的に泊原発は3号機に絞りましたが、その過程でだいぶ時間がかかりました。最初から3号機に人材を集中していれば、審査ももっと早く進んだかもしれません」

 ――なぜ3号機に絞るべきだと?

 「北海道の電力需要から考えて、3基とも動くと原発の比重が重すぎます。18年の胆振東部地震の際に苫東厚真火力発電所への依存度が高すぎてブラックアウト(全域停電)を招いたように、一つの発電所で5割近くも供給量をまかなうのはリスクが高いです。古い1、2号機は廃炉にすればいいと思います」

 ――北電と他の大手電力で何が違うのでしょうか

 「たとえば九電は原発の審査を通すためには肉を切らせて骨を断つと言うか、規制委に妥協すべきところはどんどん妥協します。その結果、規制委の新規制基準クリアも早いし、プルサーマルやテロ対策施設も全て第1号でした。同じ大手でも九電と北電では、良いか悪いかは別として、原子力対応のうまいか下手かがはっきりと見えます」

 ――北電にとって原発を維持する必要性はあるのでしょうか

 「原発は新設するのは確かに高くつきますが、既存の原発を動かす経済的メリットは大きいです。北電も再稼働できれば、電気料金を下げられるでしょう。原発は発電時に二酸化炭素を出さないというメリットもあります。泊3号機が動いていれば、ブラックアウトが起きていなかったのも確かだと思います」

 ――北電の電気料金は全国的にみても高いです

 「九電と関電は原発再稼働の後、値下げしているわけです。北電は道民に対する責任があるのに、ここまで再稼働を遅らせた経営責任は大きいと思います」

 「ただ、原発はどこかで事故が起きると止まります。3・11以降はっきりしたことは、原発はベースロード電源であることは間違いないが、極めて不安定な電源であるということです。そこを電力会社の人はまだ全然わかっていません」

 ――電源はバランスよく確保すべきだと

 「そうです。北電はいま泊原発のことしか考えていないように見えますが、そうじゃなくて、北海道は再生可能エネルギーのものすごい宝庫なわけだから、もっと再エネを軸とした将来ビジョンを出しながら、当面は泊3号機が必要だから再稼働させてくれと言うべきです」

 ――ロシアのウクライナ侵攻を受けた化石燃料の高騰で、原発を推進すべきだという声も自民党内では高まっています

 「ただ、政権は原発の新増設・リプレースについては先送りを続けています。結局、選挙で負けるから、原発政策に手をつけられずにいるんです。もう原発はのたれ死にしていくという未来が見えてきました。2050年には再エネが5~6割、アンモニアと水素などを使った脱炭素火力が3~4割となり、原発は1割以下といった形になると思います」
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