香港郊野遊行・續集

香港のハイキングコース、街歩きのメモです。

2019年10月

10.29 ジョシュア・ウォン、DQに。



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10.28 屯門

10.27 尖沙咀・旺角

 


10.26 平和的な抗議の土曜?

今朝の東京新聞から。

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今朝の東京新聞から。

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「赤狩りは再来しているか」(朝日有料記事より)



 分断があおられ、排他的な言葉が飛び交うトランプ時代、「米国は自由と理想の国のはずでは?」といぶかる声をよく聞きます。でも、こうした狂騒は、今に始まった話ではありません。約70年前の冷戦下に「赤狩り」で追われた関係者をたどり、米カリフォルニア州を訪ねました。政権を批判すると「反日」という中傷がぶつけられる今の日本にも、響く物語です。

 米ロサンゼルス中心部から北西へ約140キロ。信号のない山あいの片側1車線でアクセルをひたすら踏み続けた末に、ロックウッドバレーの表示が見えた。車のラジオの雑音がさらにひどくなってきた頃、牧場の看板を下げた木の門が。降り立つと360度ぐるり、山並みや乾いた砂、草むらがただただ広がっていた。

 彼はこんなにも人里離れた乾いた地で書き続け、刑務所へと向かったのか――。

 脚本家、ダルトン・トランボ。その名でピンとこなくても代表作を知らぬ人はまれだろう。オードリー・ヘプバーンをスターたらしめた映画『ローマの休日』(1953年)は彼の書き下ろしだ。

 だが76年の死後も長らく彼が書いたことは極秘だった。アカデミー賞に輝いたが、当時は、ひそかに名義を貸した別の脚本家に授与された。

 トランボは41年にもアカデミー脚色賞にノミネート、小説家としては39年刊行『ジョニーは戦場へ行った』で文学賞を受賞、30代で売れっ子の書き手だった。それが米ソ冷戦下の「赤狩り」で暗転する。

 47年秋、トランボら映画人10人が米下院非米活動調査委員会(HUAC)の公聴会に召喚された。反ナチスや労働組合への支持を背景に共産主義に傾倒した経歴などが「反米」とされ、共産党員かどうか、その場合は仲間の名も挙げるよう厳しく問われた。「ハリウッド・テン」と呼ばれた10人は憲法の思想信条・言論の自由を盾に証言を拒み、議会侮辱罪に問われた。

 牧場の南西のオーハイに住むトランボの長男クリストファーの妻、ナンシー・エッシャー(71)を訪ねた。鑑定家としてトランボの書簡や脚本メモを精査したことがある彼女は言った。「彼は『政府を批判するのは権利』『私の活動は問いただせても、思想は誰も問いただせない』と語っていた。それでも、まさか収監まではない、最高裁や憲法が守ってくれると思っていたと思う」

 米映画協会(MPAA)の会長は大手スタジオトップとの会議を経て10人の業界追放を表明。メディアも便乗した。

 トランボは召喚に先立ちロサンゼルスから牧場へ移り住んでいた。電話がなく、隣家は数キロ先と隔絶された牧場。米連邦捜査局(FBI)の尾行や盗聴から幼い3人の息子や娘を遠ざけ、生活費も抑えた。

 ナンシーによると、牧場は「Lazy-T(なまけ者トランボ)」と名づけられていた。38年の購入当初は休暇を過ごす別荘地だったためだ。だが移住後のトランボは「Lazy」の逆をいく。契約をことごとく打ち切られ、「タブー」となった彼は5人家族を支えるため金策に走り、偽名や他人名義で格安ででも書きまくった。王女が自由を求める『ローマの休日』はそうして49年ごろ生まれた。

 この年に保守寄りとなった連邦最高裁は50年4月、上告を認めず、トランボらの有罪が確定した。当時の脚本家仲間リチャード・コリンズは翌月彼に会い、44歳にして「かなり老け込んだ様子になっていた」と感じたという。

 トランボはケンタッキー州の刑務所に入るため6月、妻子とロサンゼルス空港へ。仲間や支援者らも駆けつけ、釈放を求める看板を掲げてデモをした。AP通信によると、その数は約500人に上る。

 トランボは収監手続きのためワシントンに赴く前にニューヨークへ飛び、同様に収監されるハリウッド・テンの1人、脚本家ジョン・ハワード・ローソンと合流した。オーハイに住む次男ジェフ・ローソン(93)はニューヨークで記者の質問に答えるトランボを間近で見た。「深刻な様子の父と違い、トランボは冗談を言って回っていた。彼も心穏やかではなかっただろうに」

 「赤狩り」が悲劇をもたらしたのは、トランボのような信念の人たちだけではない。

 ハリウッド・テンの収監後、追及は勢いを増す。収監の前月にトランボに会うほど近しかった脚本家リチャードは51年、トランボが模範囚として早めに刑期を終える頃に召喚された。ロサンゼルスからワシントンへ。それまでの態度を翻し、共産党員だった過去を証言、二十数人もの仲間の名を挙げる。

 「結婚式で付添人となった親友の名も挙げた。でないとFBIに追われ続け、家族も養えないと感じたのだろう」。長男の映画監督マイケル・コリンズ(75)は言う。

 リチャードは「誰しも平等。賃金も公正であるべきだ」が持論で、その理想から共産党員となったが、「自由を奪うソ連に幻滅した」。転向後は大手の仕事を再び得るように。代わりに「抵抗を続けた友人たちから二度と口を利いてもらえなくなった」。

 マイケルの母、俳優ドロシー・カミンゴアは元夫リチャードと正反対の道を歩んだ。

 名優チャプリンに見いだされ、映画『市民ケーン』(41年)で新聞王の妻を演じるも、モデルとなった新聞王ハーストから作品もろとも怒りを買う。「反体制の共産主義者」と、ハースト肝いりのコラムニストに紙面で糾弾された。それでもHUACで証言を拒む。役者生命を絶たれ、酒におぼれ、マイケルらの親権も失った。71年、58歳で死去。マイケルは生活を父に守られたが、母を失った。

 マイケルの人生には、父への反発がついて回った。

 大学時代、映画界を追われた脚本家の娘に「あなたの父は裏切り者!」となじられた。監督になってからは、80年代、テレビ番組の仕事が決まってすぐ立ち消えに。「リチャードの息子だから」が理由だった。「私も父に納得できず、長く話をしなかった」


 マイケルは99年、CNNに請われてインタビュー動画を撮影したことがある。「赤狩り」に協力したエリア・カザン監督のアカデミー名誉賞受賞が物議を醸したのに伴う企画。撮影した相手は84歳の父リチャードと、90歳のエドワード・ドミトリク監督だ。

 ドミトリク監督はトランボと並ぶハリウッド・テンの1人ながら、出所後の51年にHUACで証言した、「テン」唯一の転向者だ。父と同じ道をたどったが、カメラの前での様子は対照的だったという。父が仲間への裏切りを恥じ入ったのに対し、ドミトリク監督はあくまで「仕事に戻るため正しいことをした」と、悔いは見せなかった。

 動画は放送されなかった。

 映画『トランボ』(2015年)のジェイ・ローチ監督(62)は南カリフォルニア大学で学んだ80年代、ドミトリク監督の講義を受けた。「非常に実務的で、多くを教わった」が、しばらくして学内で、ドミトリク監督の過去を非難する声を小耳に挟んだ。

 「約30年を経ても緊張状態があった」とローチ監督。「私は仲間を売る人間でいたくないが、監督としては気持ちもわかる。監督は偽名や他人名義では仕事ができないから」

 転向者をただ責めたりしないのはトランボも同じだった。マイケルによると、トランボは父リチャードと、その後も会い続けたという。「誰もが犠牲者だったことをトランボはわかっていた。本当に悪いのは、『赤狩り』をした側なのだから」

 「赤狩り」で俳優としての道を絶たれた母と、転向した脚本家の父を持つ映画監督として、マイケルは今、当時をテーマにドキュメンタリーを撮る準備を進めている。

 HUACの公聴会で父が名前を挙げた1人、脚本家ウォルド・ソルトの娘をはじめ、「赤狩り」を生きた人の子どもたちに同じ立場としてインタビューを重ね、何が起きたかを浮き彫りにしてゆく計画だ。トランプ時代の今、体制を批判すると非難される状況が各地で再び生まれている中、警鐘を鳴らしたいという。

 1944年生まれのマイケルは、小学校の頃に教室でよく、米ソ核戦争に備えて机の下に隠れる訓練をさせられたのを思い出す。「そうした核への恐怖が、共産主義への恐怖と結びつけられた。HUACはソ連と同じ戦術を使い、スターリンと同じことをしていた」と振り返る。

 恐怖をあおって人々を排他的にさせる構図はトランプ大統領の手法とも重なる。それだけに、「同じようなことがまた起きるのではないかと恐れている」とマイケル。「政治が不寛容になれば、民主主義がいかにもろくなり得るか、『赤狩り』の子どもたちは身にしみてわかっている。米国や世界中の人たちが、当時を振り返られるようにしたい」
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 「赤狩り」についてのドキュメンタリーは、タカ派の俳優としてかつてHUACに協力したロナルド・レーガンの大統領時代にも作られている。アカデミー賞俳優バート・ランカスターのナレーションによる『レガシー・オブ・ザ・ハリウッド・ブラックリスト(原題)』(1987年)だ。ジュディ・チェイキン監督(84)によると、30年以上経った今年に入って突如として、DVDやネット配信などの売り上げがほぼ倍増しているという。チェイキン監督は「いつもは平年並みで推移しているのに、びっくりします」と語ったうえで、言った。「歴史が繰り返される可能性は、ありますから」

 「今の状況はいったいどこから来たのかと、関心が高まっているのだろう」と歴史学者の南カリフォルニア大学教授、スティーブン・ロス(70)はみる。「『赤狩り』は当時だけの出来事ではない。トランプ時代に別の形で再来している」

 「赤狩り」は反共の名の下での労働運動潰しだったと同時に、ユダヤ系排斥の側面も強かった。「ホロコーストを逃れたユダヤ系を受け入れた」と一般に語られる米国だが、ユダヤ系が労働運動に傾倒、社会的地位も高める人も増えるにつれ、反ユダヤ主義が共産主義の恐怖と結びつけられた。トランプ時代の今、この反ユダヤ主義がまた勢いを増している。

 「しかも暴力を伴っている。恐ろしいことだ」と、映画『トランボ』の脚本家ジョン・マクナマラ(57)は言う。「ハリウッドにも、トランプ支持者は一定数いる。アメリカ社会は、過去を学んでいない」(藤えりか)

10.21 襲撃事件から3ヵ月の元朗

10.20 不認可遊行、尖沙咀~旺角

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10.18 觀塘・中環

 




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