
2021年12月




プロデューサー京須氏との公開対談(2019年10月3日)のなかでこんな話を。
だから今、香港でやっているのをみれば涙なしでは聞けません。
香港からきた映像をいくつか見て、泣いちゃいますよ、私は。
それはだって、あの国はあういう国だからしょうがないじゃないかという人もいれば、
あまりにもひどいという人も。
だけど、こっちはそのどっちでもないんだけど、見ててやっぱりひどいものはひどい。
いいのかこれで人間は、と思います。





朝日新聞の有料会員記事より
今年、没後20年の古今亭志ん朝と没後10年の立川談志。打倒志ん朝にひそかに執念を燃やす柳家小三治、天才ならではの苦悩をさらす談志など、春風亭小朝さんは、そんな驚きの逸話を次々と明かしました。立川流創設の経緯など、2人にはまだ見ぬ横顔がありそうです。
楽屋の雰囲気が一変する二人でしたよね。志ん朝師匠は、血統書つき若旦那に対する尊敬みたいなのがあって、ぱっと楽屋も華やかになりますからね。談志師匠は、ぴりぴりしてる感じですかね、入る時間になると、前座の顔つきがだんだん変わってくる。遅れて入ってきて、パフォーマンスが毎回違うので、周りが振り回される感じですよね。
うちの師匠(五代目春風亭柳朝)と志ん朝師匠が二朝会をやってらしたので、お稽古してもらいましたけど、真打ちになってからですかね、いろいろお話をするようになったのは。
――どんな話を。
なんかわかるんですね、落語界を良くしようということでは一致してるので、その辺のところは通じ合えるものがあったというか。
誰かの打ち上げの席で、みんなが酔っ払って騒いでるときに、隣に座ってて、耳元で、「俺が会長になったときはよろしく頼むな」って言われたんですよね。ああ会長になる意思があるんだなということと、よろしく頼むなっていうのはうれしかったですよね。
印象的だったのは、志ん生をいつ継ぐかって話になったときに、「落語界に何の話題性もなくなったときに継ぐかな」。意外だったんだけど、お父さんの名前を一つのイベントとして考えていらした。このままでは落語界が衰退していくので、盛り上げようという意思があったんでしょうね。もし会長になっていたら、いろんなことしたんじゃないですか、若手の起用の仕方とかでもね。
――志ん朝の特長は。
やっぱり、唯一無二のところがありますよね、口調もそうだし、華のあるあの雰囲気とか。あと実は相当にフラ(独特のおかしみ)のある師匠なので、もっと長生きしてくだすったらすごく楽しみにしてたんです。というのは、ある落語会でお父さんの十八番「黄金餅」を間違えたんですよ。そのときにね、自分でふっと噴いたんですよ。いままでだったらそんなことは絶対なかったんですけどね。このままいくと、志ん生師匠の域に入るっていうか、間違えたことが笑えるようになってきた志ん朝師匠はすごいぞ、と。
もともと楽屋のお話の面白い師匠なんです。お客様が持ってる、自分の作り上げてきた志ん朝のイメージを、志ん生になったら「もうそろそろいいや」って脱げたと思うんですね。
――談志は現役の噺家が影響を受けている節があります。志ん朝はそれほど語られません。
憧れの対象だったからじゃないですか。気さくに若手とも交流しますから、皆さん好感を持ってるんですよ。ばりばりサラブレッドで「この人は別」っていう感じじゃないんですかね。
――談志も落語の将来を憂えていました。
決定的な違いは、志ん朝師匠は落語界を何とかしていこうという風に考えてる途中で亡くなったんです。談志師匠も若手を育てながら何とかしようと「笑点」なんか作りましたけども、ことごとく小さく裏切られて諦めた人なんですよ。
その最たるものが、談志師匠が落語協会を飛び出て「小さん師匠の逆鱗(げきりん)に触れてる」といううわさになったとき。僕は訪ねていって「何で戻らないんですか」って聞いたんですね。「お前、台風の目に突っ込む馬鹿いねえだろ」とおっしゃったんですよ。「いやいや全然怒ってないですよ」「うそつけ」「とにかく一言謝ればいいから、一門連れて戻ってくればいいんだ、って師匠おっしゃってますよ」って言ったら、師匠が窓の外のほうずーっと見てて、「誰もそんなこと言ってくれねえんだよなあ……」ってぼそっとおっしゃったんですよ。談志師匠がピンチになったときに、救いに来る人がいないんだなあと思ったんですね。
談志師匠はおっしゃいましたからね、僕が若手の落語会をやってたときに「お前いい加減やめろよ、後悔するぞ。俺もいろいろやってきたけどな、裏切られるぞ、そのうち分かるよ」。ああそういう傷を負ってるんだなと思って。最終的に師匠がたどり着いたのは、一緒に走ろうじゃなくて、自分が走りゃあいいんだ、ついてきたきゃ勝手についてこい。そんな感じです。
――現役にいま残ってるところは。
たとえば、(独演会の終演時に)自分のファンの前で一回幕を閉めて上げさせて何か言うとか。それと、過剰な演出。たとえば、落語の中で奥さんの髪の毛をぐっとつかんで引っ張るみたいな、そんなことする必要はないんです。でも過激なものを見ちゃうとやりたくなる。それは本寸法じゃない。談志師匠の生き方のスタイルに憧れてまねしたいってことですよね、芸じゃなくて。
――談志志ん朝二人会をプロデュースするなら、どのネタをお願いしますか。
うーん。特別ないなあ。談志師匠に関しては来てくれればいいし。志ん朝師匠の会だったら絶対来ますけどね。対談は入れますねどっかでね。ネタは自由じゃないですかね。
――いいと思った噺は。
志ん朝師匠はね、もちろん十八番の「明烏」とか艶もあって素晴らしいんだけど、師匠は楽屋の小言が面白い人なんですよ。それが落語に生きてるんで、「小言言兵衛」とかね「寝床」とか「化物使い」、これは他の噺家にはない面白さ。他の噺は芸術作品みたいに作り込んでますけども、小言をいう噺に関しては、結構地が出てる。楽しんでたと思いますよご本人も。
談志師匠は、意外なところでは「笠碁」みたいな噺が良かったりするんですよね。よくおやりになってたところでは「黄金餅」は談志師匠の作品だなという気がしますね。
談志師匠と二人っきりで話してたときに師匠がね、「こないだ志ん朝と飲んだんだよ。志ん朝にな、志ん生になれっていったんだよ」「師匠何とおっしゃいました?」「なってもいいけど、兄さん口上に出てくれる?っていうからさ。出てやる代わりにもっとうまくなれって言ったんだよ」って、楽しそうに笑って話してたんですよ、そこまではよかったんですけどね。僕が「志ん朝師匠はどうしたらもっとうまくなると思います?」って聞いたら、その瞬間にね、げんこでテーブルをドンとたたいて「俺だってわかんねえんだよ!!」って言ったんですよ。これ半分志ん朝師匠だけど、半分自分に対してかなと思ったんですよ。どうしたらこれ以上うまくなるか分からない。それはもう談志師匠の苦悩だなっていう感じだったんです。
――小三治は志ん朝談志どちらを意識していたと思いますか。
小三治師匠はね、志ん朝師匠いじめが結構あったんですよ。一番すごかったのは、東横落語会で、トリの志ん朝師匠が「船徳」だったんですね。その前に小三治師匠が上がって、あえて十八番中の十八番、「百川」を出してきた。これが大変な受け方したんですよ。で、これは絶対やっちゃいけないんだけど、終わった後にちょっとふざけたことをして、袖に引っ込むまでまた爆笑になっちゃったんですよ。小三治師匠が逆の立場だったら、前の人の笑いが完全に収まるまで出ないんですよ。ところが志ん朝師匠はまじめな方だから、めくりが返ったら出てっちゃう。「船徳」に入ったんだけど、受けなかったんですよ。何よりも驚いたのはお客さんで、みんな階段をうなだれて歩いてるんですね。小三治師匠に完全に食われたのを見てしまったショックがあるな、と思ってみてたんです。
――俺は負けてないぞ、という小三治の自負でしょうか。
もちろんそうです。小三治師匠は、僕が入った頃は、志ん朝師匠や談志師匠がいると隅の方にいておとなしくしてたんですよ。それがだんだん、少しため口になってきて、あるときから少しいじるようになってきたんですね。それはご本人が「もう俺は負けてない」っていう自信をきちんと持ってからですね。
小三治師匠の生き方なんですけど、あるところまで完全に月型の人間だったんですよ。明かりを当ててもらえるまで待つタイプだったんですね。それはずーっと一貫してましたね。
――どっちに似ている?
いやいやいや、どちらでもないですよね。談志師匠も志ん朝師匠も言うならば太陽タイプ、自分から光を発散するタイプですから。
――現役の噺家で志ん朝や談志に似ているのは。
あー難しいですねえー。ただ談志師匠をきちんと理解してるのは、寄席で師匠と一緒に育った、上のお弟子さんたちですね。でも、談志師匠の内心、こいつかなと思ってたのは、談春さんだと思いますけどね。
――志ん朝は。
どうなんだろうなあ。……聞かないっすよねえ。うーん。古今亭の中で、きれいな高座をっていう意識は多少志ん朝師匠の影響を受けてんでしょうけどねえ。うん。……いないかなあ。
二人とも、唯一無二の存在みたいな意識があったんじゃないですかね。自分たちにね。難しいんですよ。志ん朝師匠ぐらいまぶしいの、なかなかないので。

残る40議席は、親中派が99・9%を占める選挙委員(定数1500人)だけが投票でき、投票率は同時点で98・14%だった。この枠は、過半数に近い親中派を確実に当選させるために新設された。
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