香港郊野遊行・續集

香港のハイキングコース、街歩きのメモです。

2022年03月

今朝の東京新聞から。

IMG20220406104918















































DSC06228

中国の歴史家が語る「天下観」(朝日新聞有料記事より)

ロシアのプーチン大統領は「ウクライナはロシアの歴史の一部だ」と語り、ウクライナを侵略した。現在の国際秩序を揺るがすその論法は、東シナ海や南シナ海で「歴史的権利」を叫ぶ中国の立場にも通底している。背景にあるものは何なのか。帝国時代から続く幻影の危うさを説く中国の歴史学者、葛兆光(コー・チャオ・コワン)さんに聞いた。

 ――帝政ロシア以来の歴史を説き、ウクライナ侵攻を正当化するプーチン氏の理屈に驚きました。

 「歴史の専門家として、今起きている問題で話せることは限られていますが、失われたものを取り返すというプーチン氏の主張は、私たち中国人にも受け入れがたいものです。ウラジオストクやサハリンなどは清朝のものだったというのが中国の立場です。プーチン氏の理屈が通るならそれらを中国に返せという話になるのではないでしょうか。帝国時代の領域意識と、現代の主権国家の領土は全く別のものだということをはっきり認識しなければなりません」

 ――プーチン氏には帝国の残像があるのですね。

 「プーチン氏はユーラシアにまたがる『大ロシアの夢』を抱いているのかもしれません。ソ連崩壊後に独立した国々を付属国とみなし、数千万人のロシア同胞が境外にいると言う。以前見たニュースで、プーチン氏が『ロシアには境界がない』と言っていました。現代国家の主権を軽視している表れで、だからこそウクライナ侵攻に踏み切ったのだと思います。帝国の君主の発想に近く、帝国の記憶がもたらした問題だと考えます」

中国人の意識のどこかには、漢や唐以降の大帝国の心象が残っており、あの偉大な時代を取り戻すべきだと考える人もいる、と葛さんは言います。これからの国際秩序はどうなっていくのでしょうか。後半では、中国が抱える複雑な問題と、衝突を避けるために歴史家の果たすべき責任について語ります。

 ――ロシアと中国に共通性はあるでしょうか。

 「羽田正・東大名誉教授は、第1次大戦が終わるころまでには伝統的な帝国は衰亡したが、ロシアと中国だけが依然として帝国にほぼ等しい巨大な領域と複雑な人間集団を引き継いだと指摘しました。多様な民族と広大な領域を抱えながら、ロシア人や漢人という絶対的主流を占める民族がいた点はよく似ています」

 ――中国にも帝国時代の領域意識があったと指摘していますね。

 「皇帝のいる中心地域を諸侯が囲み、その先は皇帝の威光が届かぬ世界になっていくというものです。『有疆無界(ゆうきょうむかい)』という言葉が示すように、ぼんやりとした辺疆(へんきょう)(辺境)という意識だけがあり、明確な境界がありませんでした。部屋にともした明かりが中心から離れるに従って暗くなっていくイメージです。そこには文明と野蛮という意識もあり、中国は文明の力で辺境を感化する、という考え方がありました。現代国家は明確な国境を持つ。大国も小国も平等で、優劣の差は存在しない。帝国時代の世界観は主権国家体制とは相いれません」

 ――ところが現代の中国にも帝国時代の意識が残っている、と。

 「中国人の意識のどこかには、漢や唐以降の大帝国の心象が残っています。あの偉大な時代を取り戻すべきだと考える人もおり、近年、国力の向上を背景に『天下』という言葉を語る人が増えています。学術界でも、中国の伝統的な天下秩序を唱える議論が出てきているのです」

 ――天下とは?

 「自らを中心に置き、周辺の者たちを抱き込んで慈しむような伝統的な世界観です。周辺の国々は長い間、中国と中国文化の影響下にあり、何かあれば手を差しのべるべきだといった意識が中国人の無自覚なDNAとして受け継がれているように思います。東アジアの盟主として中国は権威を保ち、服する国々には実利を与える。指導者を含む少なからぬ人々に、かつての朝貢体制のような秩序の記憶がよみがえることがあります」

常に変化してきた「中国」
 ――「天下」という世界観が継承されてきた一方で、その中心に位置する「中国」という概念もまた、長い歴史の中で意味内容を変えてきたのだと先生は指摘していますね。

 「中国は秦や漢以降の長い歴史の中で、小さな中国と大きな中国、という変化を経験してきました。金や遼などの北方の異民族国家の圧力にさらされた宋の時代に、漢族を中心とした国家としての明確な意識が生まれ、漢族イコール中国人というアイデンティティーの基礎が作られました。宋や明は漢族を主にした小さな中国だったと言えます。ところが、元や清が広大な領土を持ったことで、モンゴル族やチベット族、朝鮮族、ミャオ族、イスラムを信仰する諸族らを含む大きな中国が形成されました。『中国』とは常に変化し、移動しながら形成されてきたプロセスなのです」

 ――領域の拡大が、中国の定義も変えたということでしょうか。

 「そうです。大きな中国が生まれたことで、中国とは何かという問題が生じました。私は新疆もチベットもモンゴルも古来中国だったというのは正しくないと考えています。例えば、唐と吐蕃(とばん)(古代チベットの王国)は対等な関係にありました。吐蕃は元の時代に帝国の一部となり、明朝や清朝を経て中国に組み込まれたのです」

 「中国とは何か、中国人とは何か。少数民族問題や国境問題などの多くは、小さな中国と大きな中国という二つの中国が混同されてきたことに由来します。現在の中国は大きな中国の基礎の上にできたもので、『多元的で一体性を持った国家である』とよく言われます。ただし『多元的』は歴史に由来する実態、『一体性』はこれから追求すべき目標、と意識する必要があります」

 ――共産党政権は「中華民族の偉大な復興」を唱えています。

 「中華民族は清末の知識人、梁啓超が名付けました。列強の圧力下、清の領土を守りながら近代的な民族国家に転じるために編み出したのです。モンゴル、ウイグル、チベットもみな家族だとされました。しかし、彼らは中国人というアイデンティティーをどれだけ持っているか。国家が抱える複雑な問題はこうして生まれ、なお解決していないと思うのです」

野心になりかねない
 ――「天下」をめぐる議論のように、帝国時代への回帰を思わせる動きが中国で芽生える背景には、欧米主導の秩序への抵抗があるのでしょうか。

 「背景は三つあると思います。一つは我々も世界のルールの策定に関わるべきだという意識の高まり。一つは100年余りの屈辱の歴史が終わり、ようやく我々の時代が来たという意識の広がり。もう一つは、欧米の制度や価値観が普遍的なのか、我々の制度や価値観にも普遍性はあるのではないのかという意識の芽生えです」

 「これらは明らかに中国の台頭による高揚感から来ています。問題は、そうした世界観がほかの文化や制度、思想を受け入れる開放性や普遍性を持ちうるのかどうか。できないなら唯我独尊の民族主義や国家主義に陥り、天下の覇を争う野心になりかねません」

 ――東シナ海や南シナ海をめぐる中国の主張も、帝国の記憶に根ざしているのでしょうか。

 「それだけとは言えません。国家戦略として石油や天然ガスなどの海底資源、マラッカ海峡の重要性などを考慮しているはずで、これは私の専門外です。ただ、天下観が影響を与えている面はあると思います。ハンチントンは文明の衝突を、フクヤマは民主制度と非民主制度の衝突という視座で世界を語りました。加えて、伝統的な帝国意識と現代の国家間規則との衝突も生じています。我々が直面しているのは非常に複雑な世界なのです」

 ――これからの国際秩序はどうなっていくのでしょう。

 「欧米主導の世界秩序を含め、問題のないルールはありません。改善や修正を進めることは必要ですが、転覆させてはなりません。中国は現在の国際秩序を尊重するつもりなのか、新しい秩序を打ちたてようとするのか。プーチン氏の轍(てつ)を踏めば、世界は大混乱し戦争の時代になるでしょう」

 「ウクライナを含め世界で起きている領土問題は、国家間の力と力の衝突によるものですが、歴史認識の違いも原因です。歴史学の重要な役割は、帝国時代の観念で世界を理解するのをやめさせることです。手術で病根を切り取ることはできませんが、病気の原因を明らかにすることはできる。それが歴史家の果たすべき責任です」


 1950年上海生まれ。復旦大文史研究院長を経て現在は同大特別招聘教授。京大や東大で特任教授なども務めた。邦訳に「中国再考」など。

 葛兆光さんは2011年の著書「宅茲中国」(邦訳「中国は“中国”なのか」)で、中国とは何か、という古くて新しい議論を提起し、そこに潜む帝国時代の記憶の危うさを指摘した。ロシアのウクライナ侵攻は、その警鐘を私に思い出させた。

 中国とは何かを問うことは国境や民族をめぐる問題につながるだけに政治リスクを伴う。しかも現下のウクライナ危機で中国政府がロシア寄りの立場をとるため、心中で憂う専門家らも大半が口を閉ざしている。その中で葛さんが取材に応じたのは、力が支配する時代に戻してはならないとの一念からだろう。知識人の勇気ある発言は、今の世界で一層の重みを持つように思う。
(中国総局長・林望)

fd

今朝の東京新聞から。

DSC06227

今朝の東京新聞から。

P_20220324_121313

今朝の東京新聞から。

IMG20220318095441

国立劇場三月公演、朝日新聞・有料記事より

「近江源氏先陣館」 吉右衛門の遺志、継承の秀演。

菊之助が岳父・吉右衛門の遺志を継ぐ初役「盛綱陣屋」。眦(まなじり)を決した秀演である。
「注進受け」に腹が薄い憾(うら)みはある。が、凜乎(りんこ)たる口跡と明晰な理知はすばらしい。危殆(きたい)に瀕する伝統歌舞伎の継承を担う菊之助にとって、亡き吉右衛門の孤高求道の生涯は、自身の内面をいかに深め富ませるか、志操を問い直す鑑(かがみ)となり続けるだろう。

二代目鴈治郎を思わせる吉弥の微妙(みみょう)が実に良い。線の細さを熱意で補い、随所で竹本を活かすセリフ術が冴えている。ダレやすい「三悪道」の件(くだり)が、丑之助の小四郎の特筆すべき名演と相俟(あいま)って手に汗握る見どころになった。梅枝の篝火(かがりび)は心の裏付けが周到。最後の駆け付けに裂帛(れっぱく)の気迫が加われば申し分ない。莟玉の早瀬は手に余る役ながら精確な学習成果。片岡亀蔵休演の代役・橘三郎の時政は並み居る共演者に遜色ない古怪な大きさが嬉しい(7日所見)。
種之助の伊吹藤太の身体能力には三津五郎の再来たることが期待される。萬太郎の信楽太郎の謹直。小川大晴の小三郎の快活。又五郎の和田兵衛の腹に徹(とお)った手強さ。志半ばで惜しくも斃(たお)れた吉右衛門哀悼の心か、総員が尋常ならざる緊張感を漲(みなぎ)らせる。

端厳堅牢で芝居気十分の葵太夫が見事。先代猿之助が根を養い、歌右衛門が枝葉を茂らせ、吉右衛門が花を咲かせた彼の語り芸が次世代継承の要となって、小四郎の出から長丁場を貫くさまは実に壮観である。

入門解説は萬太郎の弁舌すばらしく絶好の観劇誘導となった。ただしNHK大河ドラマに媚びた売り込みは感心しない。歌舞伎に親しんでもらいたい今の若者の多くはテレビなど見ないものだ。

(村上湛・明星大教授)

国立3月

今朝の東京新聞から。

DSC06224

今朝の東京新聞から。

IMG20220316090623

今朝の東京新聞から。

P3111190

今朝の東京新聞から。

P3111193
www.flickr.com
記事検索
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

プロフィール

大頭茶

月別アーカイブ
*iphone アプリ 開発
*ラティース ラティッセ
  • ライブドアブログ