香港郊野遊行・續集

香港のハイキングコース、街歩きのメモです。

2022年05月

「泊原発、運転差し止め判決」(朝日新聞有料記事より)

 北海道電力が再稼働を目指す泊原発(北海道泊村)の運転差し止めなどを道内外の約1200人が求めた訴訟で、札幌地裁(谷口哲也裁判長)は31日、「現在ある防潮堤は津波に対する安全性の基準を満たしていない」として、北電に運転差し止めを命じる判決を言い渡した。
大手10電力のうち北電を含む7社の社史編纂に携わった国際大学の橘川武郎教授(エネルギー政策)に聞いた。

 ――札幌地裁が泊原発の運転差し止めを命じました

 「原子力規制委員会で審査中の原発に対して裁判所が判断を下すのはちょっと違和感があります。判決文は、審査が長引いているから先に判決するんだというように読め、少しロジックとして弱い気がします」

 「ただ、北電はなぜ新しい防潮堤についてもっと主張しなかったのか。詳細は審査中だから言えないとしても、もう少し説明の仕方はあったはずです。判決文を読むと、なかなか主張をしない北電の対応に裁判長はよっぽど頭にきていたんだなと感じました。北電らしいなと思います」

 ――判決は再稼働に影響があるでしょうか

 「あまり影響はないと思います。判決のロジックが弱い気がするので、上級審で簡単にひっくり返りそうな印象を受けます」

 ――そもそも原発の訴訟リスクはどうみていますか

 「大したことはないと思います。過去の訴訟で原告が勝ったケースも上級審で全部ひっくり返っています。もちろん再稼働までの時間が余計にかかりますから経営的にはダメージですが、根本的なリスクではない」

 ――仮処分の決定で運転を止める原発もありました

 「でも仮処分で確定した事例はゼロです。上級審で全部ひっくり返っています」

 ――泊原発は原子力規制委の審査も長引いています

 「大手電力の中でも、北電の原発への対応や進め方は非常に拙劣だと感じます。一番早く再稼働を果たしたのは九州電力で、泊原発と同じ加圧水型炉(PWR)でした。PWRで再稼働を申請した大手電力は4社で、北電以外の3社はもう審査が終わっています。動かすものは動かし、廃炉にすべきものは廃炉を決めました。北電だけ審査が進んでいないというのは、客観的に考えておかしい」

 ――何が要因にあるのでしょうか?

 「もともと泊原発を3基とも動かすという北電の方針が欲張りでした。四国、九州、関西の各電力は廃炉する原発もちゃんと決め、絞り込んだ上で再稼働を果たしています。北電も最終的に泊原発は3号機に絞りましたが、その過程でだいぶ時間がかかりました。最初から3号機に人材を集中していれば、審査ももっと早く進んだかもしれません」

 ――なぜ3号機に絞るべきだと?

 「北海道の電力需要から考えて、3基とも動くと原発の比重が重すぎます。18年の胆振東部地震の際に苫東厚真火力発電所への依存度が高すぎてブラックアウト(全域停電)を招いたように、一つの発電所で5割近くも供給量をまかなうのはリスクが高いです。古い1、2号機は廃炉にすればいいと思います」

 ――北電と他の大手電力で何が違うのでしょうか

 「たとえば九電は原発の審査を通すためには肉を切らせて骨を断つと言うか、規制委に妥協すべきところはどんどん妥協します。その結果、規制委の新規制基準クリアも早いし、プルサーマルやテロ対策施設も全て第1号でした。同じ大手でも九電と北電では、良いか悪いかは別として、原子力対応のうまいか下手かがはっきりと見えます」

 ――北電にとって原発を維持する必要性はあるのでしょうか

 「原発は新設するのは確かに高くつきますが、既存の原発を動かす経済的メリットは大きいです。北電も再稼働できれば、電気料金を下げられるでしょう。原発は発電時に二酸化炭素を出さないというメリットもあります。泊3号機が動いていれば、ブラックアウトが起きていなかったのも確かだと思います」

 ――北電の電気料金は全国的にみても高いです

 「九電と関電は原発再稼働の後、値下げしているわけです。北電は道民に対する責任があるのに、ここまで再稼働を遅らせた経営責任は大きいと思います」

 「ただ、原発はどこかで事故が起きると止まります。3・11以降はっきりしたことは、原発はベースロード電源であることは間違いないが、極めて不安定な電源であるということです。そこを電力会社の人はまだ全然わかっていません」

 ――電源はバランスよく確保すべきだと

 「そうです。北電はいま泊原発のことしか考えていないように見えますが、そうじゃなくて、北海道は再生可能エネルギーのものすごい宝庫なわけだから、もっと再エネを軸とした将来ビジョンを出しながら、当面は泊3号機が必要だから再稼働させてくれと言うべきです」

 ――ロシアのウクライナ侵攻を受けた化石燃料の高騰で、原発を推進すべきだという声も自民党内では高まっています

 「ただ、政権は原発の新増設・リプレースについては先送りを続けています。結局、選挙で負けるから、原発政策に手をつけられずにいるんです。もう原発はのたれ死にしていくという未来が見えてきました。2050年には再エネが5~6割、アンモニアと水素などを使った脱炭素火力が3~4割となり、原発は1割以下といった形になると思います」

「習近平、目指すは毛沢東?」(朝日有料記事より) 

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 今年秋に予定される中国共産党大会で、習近平党総書記(国家主席)が2期10年ごとに世代交代を進めてきたこれまでの慣例を破り、引き続き政権を担う可能性が高まっています。習氏は権力集中を強めるため、かつての毛沢東のポストである「党主席」を復活させるのでは、との臆測まで出ています。長期政権によって、習氏は中国をどこへ導こうとしているのか。中国共産党史研究の第一人者である石川禎浩・京都大学教授に聞きました。

 ――「習氏は毛のような存在になろうとしている」という見方が広がっています。これは一体、どういうことでしょうか。

 「中国共産党は、建国以来の国家指導者を毛沢東、鄧小平、江沢民、胡錦濤、習近平の5人だと位置づけていますが、統治手法は毛とそれ以降で大きく区別されます。毛が自身に権限を集めて独裁型の政治体制を敷いたのに対し、鄧は個人崇拝化が文化大革命という悲劇を起こしたという反省から、集団指導体制による党・国家運営を築きました。現在も制度上はその仕組みが維持されていますが、習氏が再び権力の一極集中を進める流れは強まっています」
 「鄧は集団指導体制と同時に、党中央顧問委員会を設立し、事実上、終身制となっていた多くの党幹部を引退に追い込みました。さらに憲法改正によって国家主席に2期10年の任期を設け、指導層が秩序をもって世代交代していく仕組みも整えました。こうしたさまざまな政治改革が、鄧の経済政策である『改革開放』にも好循環をもたらし、『アジアの奇跡』と呼ばれる急速な経済成長を支えました」

 ――それなのになぜ、習氏は再び権力集中を図ろうとしているのでしょうか。

 「『習氏は、権限分散が政治腐敗を招いたことに危機感を抱いた』といった話もありますが、正直に言って、理由はよく分かりません。習氏はすでに制度的にも実質的にも十分な権限を持っています。これ以上の権力集中は単なる個人的野望という気もしますが、一方で中国共産党がそんなレベルで国のかじ取りをしているとは常識的に考えにくく、本当に不思議です」
 「毛が独裁型政治を追求したのは、簡単に言えば『中国に共産主義社会を現出させる』という明確な目標があったからです。革命を成し遂げ、中華人民共和国の『建国の父』となった毛への権力集中は、実績から見ても他の幹部が納得できる判断であり、毛自身も自信があったと思います。これに対し、習氏は『中華民族の偉大な復興』や『社会主義現代化強国』といったスローガンを掲げていますが、内容もあいまいなそんな目標を実現するために今以上の力が必要かと言うと、甚だ疑問です」

 ――今秋の党大会で、毛が担っていた「党主席」を復活させ、習氏が就任する、との観測もあります。現在、習氏が担う党総書記と、党主席の違いは何でしょうか。

 「少し経緯を振り返ると、毛は建国前の1945年、新設された党主席に就き、76年に亡くなるまで一度もそのポストを手放しませんでした。毛の死後、華国鋒と胡耀邦が短期間、党主席を務めましたが、実権を握った鄧のもとで開かれた82年の党大会の際、廃止されました。党主席は共産党の歴史において、唯一無二のリーダーである毛にのみ許された特殊な地位・呼称でした」
 「ただし、党の憲法とされる党規約には、党主席も党総書記も権限はほとんど記されておらず、制度上の違いを説明するのは困難です。それでも、二つの地位が持つ意味合いは明確に異なると思います。党主席の正式名は『党中央委員会主席』ですが、現在約200人いる党中央委員の頂点に立つ者、という印象を与えます。肩書そのものが権威を帯びているとも言えるでしょう。一方、党総書記はあくまで党トップ二十数人の中央政治局、あるいはさらにそのトップ7人の政治局常務委員会の『取りまとめ役』という位置づけです」

 ――権威性に差があるだけで、権限には差がない、ということでしょうか。

 「いえ、党主席制の復活によって権限が強化されることは十分にあり得ます。例えば毛は晩年、政治局会議などに出席せず、会議の結論を居宅で受け取って採否を決める、というようなことがしばしばありました。明文化されなくても、党主席という立場を利用して事実上、最終決定権を握っていたのです。これに対し、党総書記は形式上、政治局常務委員の一人に過ぎません。現在7人いる政治局常務委員の人数は時代によって変動していますが、原則として奇数です。これは重要な意思決定を多数決で行うための仕組みと言われており、そのルールに従えば党総書記の意見が少数派になる可能性もあります。もっとも、習氏については、すでに『7分の1以上の権限を持っている』との見方がもっぱらですが」

 ――党主席に就くことで、習氏は毛と並ぶリーダーになれるのでしょうか。

 「それはどうでしょうか。官製メディアは、習氏が毛に劣らない指導者であるかのように懸命に宣伝していますが、かつての毛が身にまとっていたカリスマ性には及ぶべくもありません。中国の年配者の多くは、今でも『主席』と聞けば毛を連想するはずで、その特別な称号を使うことに反発を感じる人も少なくないでしょう」
 「82年に党主席制が廃止された時、当時の読売新聞北京特派員が『ソ連型の指導体制に戻る』との分析記事を書いています。当時のソ連の最高位が書記長だったことが大きな理由ですが、興味深い視点です。仮に今後、党主席を復活させるなら、習氏は『毛沢東と並ぶ』と見られるよりも、むしろ『旧ソ連型の党運営をやめ、新たな中国モデルを目指すのだ』と言い出すかも知れません。いずれにせよ、党はかつて集団指導体制へ移行した時に『過度な権力集中はもう起きない』と大々的に利点をアピールしているわけですから、それをもう一度変えるとなると、何らかの弁明が必要になるでしょう」

――習氏は2016年に「党中央の核心」と位置づけられ、最近は「人民の領袖」などと呼ばれる機会も増えています。党主席の復活が厳しい場合は、これらの肩書が習氏の権威づけにつながるのでしょうか。

 「習氏を修飾する言葉は、人民の領袖以外にも、『かじ取り』や『統帥』など、毛時代に使われた懐かしいものを含め、いくつか出ているようですが、それにどれほどの意味があるのか、首をかしげてしまいます。現在、党における習氏の地位は、総書記以上のものは何もないはずです。称号をいくつ増やしても、しょせん飾りに過ぎないのではないでしょうか」
 「中国共産党は『特色ある社会主義』という自らの政治モデルを素晴らしいものだとし、特に欧米など西側諸国も認めるべきだと訴えています。ですが、共産党の核心にあるのは秘密主義であり、彼らの政治の肝心な部分はブラックボックスのままです。リーダーの選出一つとっても、なぜ習近平が指導者として選ばれたのか、私たちはいまだに合理的な説明を聞いていません。バイデン米大統領の『専制主義国家』という批判に対し、『これは中国式の民主だ』と反論するのですが、国際社会に堂々と示せるほどの自信も中身も、まだ備わっていないように感じます。こうした状況が、習氏を権威づけに走らせている気がします」


石川禎浩(いしかわ・よしひろ) 1963年生まれ。京都大学人文科学研究所教授。専門は中国近現代史。昨年出版した「中国共産党、その百年」(筑摩書房)で司馬遼太郎賞。

「プーチンの失脚は?」(朝日新聞・有料記事より)

  ロシアのウクライナ侵攻が始まって3カ月が過ぎました。両軍の激しい攻防が続く中、戦争終結の見込みはあるのでしょうか。ロシアが併合したウクライナ南部クリミア半島の奪還までをウクライナ軍は目指すのか、それとも2月の侵攻直前の位置までロシア軍を押し戻すのが最終目標なのか。ウクライナ軍参謀本部での勤務経験もある予備役大佐、オレフ・ジダーノフ氏に、どんな終戦のシナリオが考えられるのか聞きました。

 ――ウクライナのゼレンスキー大統領は5月21日のテレビ番組で、ロシア軍を2月の侵攻直前の位置まで押し戻せば「勝利」との認識を示しています。一方、5月中旬の世論調査では、82%の人が「たとえ戦争が長引いたとしても領土を手放してはならない」と答えています。戦争終結のシナリオをどう考えればいいのでしょうか。

 私もこの82%の一人です。私たちにとっての「勝利のライン」とは、1991年、旧ソ連の崩壊に伴って各国が承認したウクライナの国境のことです。ウクライナの人々は(親ロシア派武装勢力が支配する東部の都市)ドネツク、ルハンスクやクリミア半島までを戦って取り戻す決意でいます。

Oleg Zhdanov
1966年生まれ。87年に砲兵学校を卒業し、旧ソ連の自走砲部隊に所属。ウクライナ軍の教育機関で教えるなどした後、2004~07年、ウクライナ軍参謀本部の作戦局に勤務し、大佐の階級で予備役に。ウクライナメディアに頻繁に出演し、ウクライナ侵攻の戦況に関するコメントを続けている。

 ――ゼレンスキー氏は5月24日のNHKのインタビューで、「領土を2月24日以前の状態に戻したうえで、ロシアとの交渉のテーブルにつく」とも述べています。ドネツク、ルハンスク両州からなるドンバス地方の親ロ派支配地域や、ロシア側が支配するクリミア半島を取り戻すまでは戦いをやめるつもりはないということですか。

 いいえ。大統領が言うように、中間的な状態があり得ます。2月の侵攻前の地点にロシア軍を押し戻した上で、ロシアに交渉を提案します。ここで、国境の外に軍を撤退させることを要求します。ドンバス地方や、クリミア半島からも出ていってもらいます。もしロシアが同意しないなら、戦いを続けます。


 ――しかし、交渉によってロシア軍に出て行ってもらうというのは、本当にリアリティーのある話でしょうか。

 もちろんあります。プーチン大統領とロシアを分けて考える必要があります。プーチン氏を相手にする場合はこうした交渉は不可能ですが、ロシアという国を相手にすると考えれば、交渉はそれほど難しくありません。プーチン氏はあと半年も権力を維持できるかどうか、わからない状態だからです。

 ――プーチン政権の内部に動揺が見え始めているということでしょうか。5月23日には、スイスにいるロシアの外交官が侵攻に抗議して辞職したことが明らかになっています。3月には、ウクライナ情勢に関する誤った情報を伝えたとして、ロシアの連邦保安局(FSB)幹部が自宅軟禁されたとの報道もありました。

 FSBだけでなく、軍の将軍や司令官の間でも停職や解任が行われ、「シロビキ」と呼ばれる治安・国防関係機関の中で不満が高まっています。(欧米の経済制裁の影響で)ロシアの億万長者や富裕層が全てを失い、困窮状態に陥っているという情報もあります。大統領を支える権力構造に少しずつ亀裂が入り始めているのです。

 プーチン氏は健康状態が悪いともいわれ、側近たちに解任される可能性もあります。こうしたことはかつてロシア帝国で「宮廷クーデター」と呼ばれていました。人々が街頭に出て抗議行動をすれば、それが引き金になるかもしれません。

 クーデターはクレムリンの壁の内側で静かに行われ、市民には公式情報しか知らされないでしょう。西側諸国は側近たちの財産を保全したり、口座凍結や不動産の差し押さえを解除したりして、彼らがプーチン氏の排除に動くよう背中を押すこともできます。

 プーチン氏に国の方針を変更するつもりはなく、ロシアは新たなリーダーの下でなければ、政治的方向性を変えることはできません。今後半年の間にロシアは内部から不安定になり、政権を担うエリートが交代する可能性があります。

 ――つまり、ロシアで政権交代が起こってプーチン氏が去り、新たなロシアの政権が生まれる。新政権の下でならば、ロシア軍がドンバス地方やクリミア半島から撤退することも可能になるということでしょうか。

 そうです。新政権が誕生すれば、欧米に制裁を解除してもらうための譲歩として、ウクライナ領内から全てのロシア軍を撤退させる用意をするだろうと考えています。ロシア軍が撤退した後で、両国の平和共存などを定めた条約に調印します。この調印をもって、戦争の終結ということになります。その後、西側諸国が少しずつロシアへの制裁を解除するという流れです。

 ――プーチン氏が権力の座にとどまるうちは、戦争が終わる見込みはないということになりますか。

 全くその通りです。プーチン氏はウクライナを独立国と認めたがらず、民族としてのウクライナ人を滅ぼそうとしています。ロシア国営メディアの記事にも、ウクライナ人に対するジェノサイド(集団殺害)のプログラムが書かれていました。殺し、あるいは監獄に入れ、あるいはロシア極東に放逐すると。

 ――プーチン氏が大統領でいる間、どのようにロシアと戦うのですか。

 91年時点のロシアとの国境まで到達することを目指しつつ、ロシア軍にできる限り多くの打撃を与え続けます。その打撃が、プーチン氏の失脚を促すことにもなりますから。ゼレンスキー大統領も、心の中では軍事手段によってドンバス地方とクリミア半島を取り戻す決意があると思います。なぜなら、国民の圧倒的多数がそれを望んでいるからです。国境に達した後、私たちがそれ以上進むことはありません。

 ――仮に平和条約が結ばれて戦争が終わったとして、その後、ロシアとの関係を修復する可能性というのはあるでしょうか。

 いいえ、それは不可能です。まず第一に、ロシアは戦争の賠償金を支払わなければなりません。少なくとも私たちの次の、そのまた次の世代くらいにならなければ、和解の可能性があるかどうかを考えることはできないと思います。私の世代は絶対に許さない。もっと若い世代は、(ロシア軍の)略奪や殺人、残虐行為を許せないという思いがさらに強いです。今後数十年間、和解することは確実にあり得ません。

 ――賠償金は損害に対する完全な補償を要求しますか。第1次世界大戦に敗北したドイツは巨額の賠償金を課せられ、これへの不満が後にナチスが台頭する一因になったともいわれています。

 完全な賠償を求めます。ロシア軍の手で殺されたり、負傷したりした人やその家族に対する支払いを含め、戦争がもたらした損害全てについて補償が必要です。ドイツも、21世紀に入ってからにはなりましたが、第1次大戦の賠償金を(2010年に)完済しています。

 賠償金の完全な支払いは、ロシアとの平和条約でも明記しなければなりません。条約に入れなければいけない内容は第一に、91年時点のウクライナの国境を侵害しないとロシアが保証すること。第二に、完全な損害賠償です。


 ――今後の戦況を考える上では、ウクライナ軍の使う兵器の性能も重要な要素です。今は旧ソ連製の兵器を使っていますね。

 基本的にはそうですが、欧米製の兵器への切り替えを今、進めているところです。使い方にも習熟しつつある。ウクライナ軍の兵士が欧州の国に渡って兵器の使い方を教わり、帰国してからほかの兵士に教えています。

 たとえば、対戦車ミサイル「ジャベリン」の使い方にはすでに慣れていて、戦争の初日から使っています。今、私たちが学ばなければならないのは、西側諸国製の大砲や戦車、対空ミサイルなどの使い方です。戦争が終わるころには、旧ソ連製の兵器は影も形も残らない。そう期待しています。

 戦闘機も、今は旧ソ連製の「ミグ」を使っていますが、(米国からの兵器の貸与を容易にする)レンドリース法により、今後はF15やF16を使えるようになることを期待しています。パイロットの訓練に少なくとも半年かかってしまうのですが、いずれにせよ欧米製の航空機に切り替えていくでしょう。

 ――欧米製と旧ソ連製の兵器というのは、どのくらい性能が違うと感じますか。

 建物の1階と2階の違いはわかりますか? 今、私たちが受け取っている西側諸国の兵器と旧ソ連製の兵器には、それほど圧倒的な違いがあります。これにより、ロシア軍に対して優位に立つことができます。ロシアの占領者たちに対して戦い続けるため、私たちはより多くの兵器を必要としています。

 ――日本はウクライナにどんな支援ができるでしょうか。

 日本に憲法上の制限があることはわかっています。人道分野や食料、医療などに関連した支援を期待したいですね。ウクライナ軍にとっては車両や機械なども役立つと思います。武器は除くとして、それ以外の支援は全て受け入れることが可能です。

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この怒りの言葉どこから「インターセクショナリティ」と沖縄の50年(朝日新聞・有料記事より)


論壇時評 東京大学大学院教授・林香里さん
 5月15日は沖縄「復帰」50周年の日。作家の目取真俊は、50年経った今も新たな米軍基地が造られつつあることに憤り、これを「クソのような節目」と呼んだ(自身のブログ)。この激しい怒りの言葉は何処から来るのか。今月は、近年脚光を浴びているインターセクショナリティ(交差性)という思想に依拠することで、この状況を論じ直してみたい。

 インターセクショナリティとは、いうなれば「差別をよく見よ」ということ。発端は米国の黒人女性たちの怒りだった。彼女たちの身の上には、女性差別と黒人差別など複数の差別が折り重なって作動する。その抑圧は、白人女性が受ける抑圧とは本質的に異なると訴えた。

 沖縄の現状を理解するには、国内のどこにも増して、この見方が重要に思う。というのも、内閣府の資料によると、沖縄県民1人あたりの所得は全国最下位。母子世帯出現率、非正規の職員・従業員率、高校中退率などもいずれも全国1位で、子どもの相対的貧困率も29・9%と全国平均の13・5%の2倍以上だ。こうした状況には米軍占領の歴史と基地問題が深く関わる。つまり、沖縄の住人への抑圧は、他所で見られる抑圧と共通項をもちながらも、強さも質も苛酷だ。「復帰」50年というこのタイミングに、沖縄が各種の抑圧の交差を背負い、多くの住人が不安定な暮らしを強いられているという現実を、いま一度、本稿の読者と共有したい。

「インターセクショナリティ」という思想を手がかりに、沖縄を見つめ直します。主権や自治、グローバル、環境問題などについての論考をたどると、さらなる問いにぶつかります。

 たとえば、「主権」や「自治」。ウクライナ侵攻で見られるとおり、これらはときに武力衝突を招くほど重要な概念なのに、沖縄の文脈では軽視される。地域社会学者の熊本博之によると、名護市の辺野古基地建設は「国防および外交に関する問題」であるから、生活環境の悪化が予想されても、名護市民に建設の是非を決定する権利は与えられていない。今年1月の名護市長選挙における名護市民の選択肢は、辺野古基地建設阻止を諦めて交付金を受け取る政府寄りの候補か、阻止の可能性が低くても建設を認めず、交付金に頼らないと表明していた候補かのどちらかだった。市民は前者を選んだが、熊本は、協調的な市長が誕生したときだけ名護市民の理解が得られたかのようにふるまう政府および与党の独善的姿勢を批判するとともに、この状況は国策がふりかかる土地ならば日本のどこでも起こりうると危惧する。

 米軍基地と住民自治の権利に関しては、むしろ国外からの示唆が貴重である。沖縄大学で教える親川志奈子は、グアム政府の自己決定委員会委員を務めたM・マニブサンらを沖縄県平和祈念資料館に案内した時の経験を記す。マニブサンは、戦後の米軍沖縄統治の展示を見ながら、沖縄もグアム同様に植民地主義から解放され、自治を議論、選択する権利をもつ「国連の非自治地域リストに登録されているべき」であり、そうなっていなかったのは「アメリカの傲慢であり、怠慢」だったと指摘したという。

 ところで、親川のようにグローバルな視点に立って沖縄の不条理を見つめ直す姿勢は、復帰以前から培われてきたものだ。社会学者、山里絹子は1945年から27年間続いた米軍統治下に、沖縄の若者が米国に留学する「米留(べいりゅう)」制度があったことを取り上げている。山里は、「米留組」の留学者たちが「米軍の親衛隊」と謗(そし)りを受け、戸惑いながらも、沖縄と世界の架橋に貢献したと再評価する。「米留組」の中には、元知事の大田昌秀もいた。大田は米国で民主主義とは何かを学んだ経験をもとに、米軍基地問題の解決を訴え続けた。インタビューでは「世界中に沖縄がある」と語り、マイノリティー同士の団結の重要さを強調した。

 沖縄の抑圧に話を戻すと、基地による環境破壊も深刻だ。チョウ類研究者の宮城秋乃さんは、米軍北部訓練場返還地で米軍由来とみられる廃棄物を告発していたが、昨年12月、米軍関係車両の通行を妨げたとして威力業務妨害の罪などで在宅起訴された。弁護士の仲松正人は、政府が昨年成立を急いだ「土地規制法」によって、今後、宮城さんと同じような事例が全国の環境保護運動で起こることを懸念する。同法は安全保障上の重要施設周辺等の土地利用の規制が目的だが、規制対象が不透明で、住民を監視するためのものではないかと問いかける。

 こうした沖縄の数々の不条理を伝える地元紙の記者たちは、「記者である前に一県民」という立場性を手放さない。沖縄タイムスの編集局長、与那嶺一枝は、沖縄の問題は、米軍や日本政府という圧倒的な権力を前に、いわゆる「客観報道」では到底伝えきれないと説明する。「偏向報道」と批判され、ヘイトさえ受ける沖縄メディアだが、その当事者性は、むしろジャーナリズムのパワーであり、在京メディアとの協力・補完関係を築く必要性を呼びかける。

 インターセクショナリティの概念は、一つの差別で完結しない輻輳(ふくそう)的な抑圧の構造を丁寧に検証する。それは、包摂と連帯を理想に、すべての人をあらゆる排除から守ろうとするものだ。「復帰」から50年経っても「本土並み」が実現しない沖縄のことを、私たちは知った気になっていないだろうか。抑圧の交差という視点が、見直しを迫る。


 はやし・かおり 1963年生まれ。専門はメディア・ジャーナリズム研究。東京大学大学院情報学環教授。理事・副学長として、大学の「国際・ダイバーシティ」も担当する。著書に『〈オンナ・コドモ〉のジャーナリズム』など。

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「中国封鎖は不可能」、朝日新聞(有料記事より)

 対中穏健派として知られていたバイデン米大統領がなぜ「対中強硬」へと変容したのか。その謎に迫ってきた連載「バイデンと習近平 対中強硬の深層」の最後は、副大統領時代のバイデン氏と習近平氏のすべての会談に同席したダニエル・ラッセル元米国務次官補の証言を紹介したい。バイデン、習両氏の個人的な関係の変遷とともに、これからの米中関係について考える。

 ――米ホワイトハウス高官や国務省高官を務めたラッセルさんはオバマ政権当時、副大統領だったバイデン氏の訪中も同行していますね。

 「その通りです。私は米国の対中政策に深く関わってきましたが、とくに(オバマ政権当時の)2009~17年は習近平氏によって中国が大きく変わっていくのを目撃しました。私は11年と13年の2回にわたるバイデン副大統領(当時)の訪中を始め、バイデン、習両氏の米国内での会談のすべてに出席しました」

習氏はそれまでの中国政府高官とは違った
 ――バイデン、習両氏は交流を深めたわけですね。当時、習氏にどんな印象をもちましたか。

 「習氏はとても政治家らしい人物だという印象をもちました。ロシア語で言うところの『党官僚(apparatchik)』とは異なり、前任の胡錦濤とも全く違うタイプでした」

 「習氏は、率直に自分の意見を語りました。自身が今、何を考え、国際情勢をどう見ているのか、中国がどのような困難に直面しているのか、そして自分が何を実現したいと考えているか、と。同時に、習氏はバイデン氏の話に極めて注意深く耳を傾けていました。例えば、米国の国際情勢認識といった話にとどまらず、米国の正副大統領は政権内部の問題にどう対応するのか、自分たちの軍隊や経済問題についてどう対応するか、等々です」

 「率直に言えば、我々が習氏の態度に感銘を覚えたのは事実です。私自身、それまで出会ってきた中国政府高官たちは、党の見解に沿って話すだけで、質問にもきちんと答えようとしませんでした。しかし、習氏は違いました。習氏は相手の意見を聞き、自分の答えを考え、そしてそれを私たちに話したのです。習氏は本当の会話をしたのです」

 ――習氏はバイデン氏に対して具体的にどんな考えを伝えましたか。

 「習氏は、自分が中国共産党をどのような方向に導き、強化したいのかを語りました。習氏はなぜ中国共産党の指導体制を見直す必要があるのか、を語りました。習氏は『(中国共産党の)集団指導体制は過度に進み、合意を取り付けることが難しくなった。それぞれの異なるグループが党や国の利益ではなく、自分たちのグループの利益だけを追い求めるようになった』と明確に語りました」

政治腐敗、人民との距離、率直に語っていたのに…
 「習氏は、中国国内の政治腐敗や(共産党幹部と)人民との距離が離れている問題にも懸念を示しました。習氏はまた、経済格差の是正などの問題解決に向け、自分がどう取り組みたいかも語りました。私たちは習氏が進めようとしている方向性をある程度理解しました」

 ――バイデン氏はそんな習氏に対してどのような印象を抱いたのでしょうか。

 「バイデン、習両氏は(会談を通じ)個人的な強いつながりを持ったと思います。両氏の個人的なレベルでは、お互いに率直に話すことができるだけの信頼関係はあると思います。彼らは相手の意見はそれぞれ同意できないし、好きではないかもしれません。11年(の訪中)当時も、バイデン氏は習氏に対して極めて率直に自分の意見を語り、パンチを引っ込めようとはしませんでした。しかし、その様子は攻撃的でも、敵対的でもありませんでした。バイデン氏は『民主主義システムは、共産主義システムよりも圧倒的に優れている』と信じています。だから(習氏に対しても)それを隠そうとしなかっただけです」

 「バイデン氏は米国の価値観を強く信奉しています。『中国は自分たちの能力を過大にひけらかし、米国や西側諸国の能力を過小評価している』と考えたでしょう。しかし、個人的な感情でいえば、習氏を嫌いではなかったと思います」

 ――ではなぜ、対中穏健派として知られたバイデン氏が「対中強硬」へとかじを切ったのでしょうか。

 「率直に言えば、我々は習氏が国家主席に就任して1年やそこらで、こんなに早く動くとは思っていませんでした。こんなにも攻撃的で、極めて危険で挑発的な政策を追求するとは思っていなかったのです。習氏が個人崇拝の強化にいそしみ、前任の胡錦濤らと違って2期10年という慣例を破り、退任を拒否するとも思っていませんでした」

 「それがバイデン氏の思考を変えたのです。そして、米国の中国政策も変えました。米国の変化は、中国の行為によってもたらされたものなのです」

 ――中国は習氏のもとでどう変わったのでしょうか。

 「習政権下の中国は、自分たちの富と権力を世界を良くするために使うのではなく、中国が望むことだけに使っています。その権力の行使のあり方は抑制的なものではなく、近隣諸国の希望や利益を全く考慮に入れないものです。中国は自分たちの行動が国際規範や国際法に沿ったものか、自らに問おうとはしません」

 「中国には、自分たちが過去に辱められたという被害者意識があります。その思いは今、さらに強まっています。『復讐しよう。自分たちが欲しいものは取ってやろう』と。(現在の中国には)責任感よりも権利の意識が強い。それがとても大きな問題なのです」

 ――習氏自身は国家主席に就任し、どう変わりましたか。

 「習氏は、明らかに独裁者になる方向へと向かっています。独裁者は、国内政治においてすべての敵対勢力を排除し、政治ライバルや自身に同意しない人々を追放します。そして、異なる意見には耳を傾けず、自分の聞きたい意見だけに耳を傾けます。その結果、彼が聞きたくないことはだれも話さなくなります」

 「習氏は、自分の周りは敵だらけだと信じているでしょう。そして、米国が自分の政権を転覆させ、封じ込め、破壊しようとしていると信じていると思います。なぜなら習氏自身がもし米国の立場にあれば、同じことをすると考えているからです」

 「その結果、バイデン氏の中国や習氏に対する見方は変わりました。バイデン氏は『米国の開かれた民主主義のシステムは、閉じられた権威主義のシステムよりも大きなアドバンテージをもっている』と信じています。しかし、バイデン氏は、習政権のもとの中国は、戦闘的であるという事実に直面しました。ゆえに、バイデン氏は中国の行動に応じて対応するようになったのです」

 ――バイデン、習両氏の関係をどうみていますか。

 「現在の関係は極めてぎこちないものです。ますます難しい状況になっていると思います。(新型コロナの影響で)対面式で会うことができないという環境も良くありません。これは大きな損失です。オンライン形式では対面式の議論と同じ役割を果たせません」

 「しかし、バイデン氏、習氏という2大国のリーダーがお互いを知るために10年間をかけ、多大な努力をして関係を築き上げてきたのは事実です。これは我々にとって数少ないポジティブな要素だと思います」

 ――米国の対中政策は、トランプ政権当時に「関与政策」をやめ、経済・軍事面で中国との競争に勝つという「競争政策」へと変わりました。これからの米中関係はどうあるべきだと考えていますか。

 「今や『関与政策』はほとんど選択肢ではないでしょう。しかし、『封じ込め』も同様に選択肢ではないでしょう。中国はもはや大きすぎるし強すぎるので、封じ込めることはできません。中国とは、共通の利益、国際的な利益のある分野において協力・連携する必要があります。好き嫌いは別として、我々はこの地球上に中国とともにあり、そこに我々の選択の余地はないのです。我々は(米中共通の利益を見つける)最大限の努力をする必要があるでしょう」

 「ただし、米国の戦略の中心は、『競争政策』だと思います。競争とは、お互いの顔を殴り合うものではありません。米国の方が新技術をより早く創出するなど、中国が提供するよりももっと魅力的なものを生み出すことにあるのです。これが私の答えです」
(聞き手・ワシントン=園田耕司)

 Daniel Russel 1953年生まれ。中国や日本など東アジア問題の専門家。オバマ政権下の2009~13年、米国家安全保障会議(NSC)アジア上級部長、13~17年に米国務次官補(東アジア・太平洋担当)を務める。現在はアジア・ソサエティー政策研究所副所長。

DR

今朝の東京新聞から。

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山梨にあった米軍基地、足元にあった忘れたい記憶(朝日有料記事より)

jg

  山梨の地元紙に年明けから、「沖縄」の文字が1面に載っている。毎月10回ほど。5月は15日から連日続く。
 「Fujiと沖縄 本土復帰50年」――。山梨日日新聞の創刊150年記念の大型企画だ。富士山のふもとにはかつて米軍基地が広がっていた。しかし、撤退し、一部は沖縄へ。そうした歴史を見つめ直す内容だ。沖縄の基地問題を特集するのは初めてという。

 4歳で米軍トラックにはねられ車いす生活となった男性、米兵に殴り殺された青年と、補償はなく泣き寝入りするしかなかった遺族……。第1部では米軍がいた11年間で起きた事件被害や、基地のまちの変容を11回にわたって伝えた。
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 「最初は山梨で起きたこととは思えなかった」。地元で起きた米軍の事件事故の資料の存在を知り、企画を提案した報道部長の前島文彦さん(44)は言う。

 前島さんは山中湖村など基地があった周辺に通った。見えてきたのは、今も傷の癒えない事件の遺族。そして、米兵を相手にする女性に宿を貸し、生計を立てていた人たちが当時を忘れたがっている姿だった。「山梨の負の歴史。本当に取材するのか」と言われることもあった。

 相次ぐ事件や登山道をまたぐ砲撃訓練。住民の反対運動が激しくなった後、米軍は1956年に撤退した。読者からは予想外の反響が連日、報道部に届く。「知らなかったことが恥ずかしい」「沖縄では今も起きている問題。自分事として考えたい」

 前島さんは「地元紙としてふさわしい企画なのかという議論もあり、不安はあった。でも、足元の歴史を見つめることで、離れた沖縄や日本社会の今を考えてもらえた実感がある」。連載は6月も続ける。

 2018年2月、沖縄県庁職員の山口直也さん(43)はローマの民家でイタリアの元首相、ランベルト・ディーニ氏と向き合っていた。イタリアには世界で4番目に多い約1万3千人の米兵が駐留。日本と同様、米軍の運用について二国間の地位協定がある。

 イタリアでは事故をきっかけに、飛行高度や時間など米軍への制限を強化していた。なぜ、可能なのか。山口さんの問いに元首相は即答した。「ここはイタリアだ。米軍基地があるのは日本だけではないが、米国の言うことを聞いているお友達は日本だけだ」

 沖縄県は17年度から地位協定の各国比較に乗り出した。深夜の飛行制限や事故後の原因究明など、住民の最低限の求めさえ日米は協定などを盾に十分に聞き入れない。そうした長年のいらだちが、異例の調査に踏み切らせた。

 基地対策担当になって3年目の山口さんは、ベルギーにも飛んだ。面会した元空軍幹部には、こう言われた。「なぜ地方の職員が聞きに来るんだ」「これは政府の仕事じゃないのか」

 米軍のすべての活動に自国軍の許可が必要なイタリア、墜落事故現場で、自国警察が優先的に捜査をするイギリス。米軍や自国政府、地元首長らの協議機関があるドイツ。フィリピンやオーストラリアも含めてこれまでに調査した6カ国すべてで米軍に国内法が原則適用されていた。山口さんは他国の実態にふれ、日本の常識が世界では通用しないことを知ったという。

 「日本では到底困難とされていることが、他国では当然の権利だった。他国との違いを知れば、日本の地位協定の改定は理想論ではないと思えてくる」

 外務省の担当者は朝日新聞の取材に対し、安全保障環境や駐留の規模が国によって異なるとして「比較することに意味はない」と言う。ただ、報告書をまとめた沖縄県には、全国の自治体や政治家から問い合わせが続いている。

 ロシアによるウクライナ侵攻が始まって2カ月が過ぎた5月、東京工業大の「国際関係論」の講義には例年の1・5倍ほど、約170人の学生が集まっていた。日米関係や領土問題を学ぶ大学院生向けの教養科目で、沖縄の基地問題も対象だ。

 「中国の軍事的脅威があるから、沖縄に基地を置いた方がよい」「沖縄の外に移転するのは現実的ではない」――。講義の後の感想シートには、こんな書き込みが相次いだ。

 担当の川名晋史准教授(42)は毎年同様の意見に触れてきたが、その傾向が強まっていると感じた。専門は国際政治学の安全保障論。米国の内部文書を通じて、基地の再編がいかに決められるのかを分析してきた。影響を与えていたのは軍事戦略だけでなく、予算の制約や、受け入れ側の世論だった。

 一方、「沖縄の相対化」を目指し、これまで未開拓に等しかった基地問題の国際比較にも、9人の研究者とプロジェクトチームを立ち上げた。

 韓国、サウジアラビア、スペイン……。8カ国の事情に詳しい安保や政治の専門家が各国の実情を検証した。スペインでは、国内の米軍基地をイタリアに「国外移転」。二国間ではなく、NATOという多国間の枠組みで米国と交渉することで実現していた。

 大学の講義でこうした研究成果を紹介すると、学生たちの感想に変化が現れる。「地理的な理由だけで沖縄に置かれていると思っていましたが、違うんですね」「ほかの国で移転した事例があるなら、日本でもできるのでは」

 川名さんは言う。「歴史という縦軸と、海外との比較という横軸。二つの視点から現実をとらえ直すことで、『動かない沖縄の基地』にも、現実的で検討可能な選択肢が見えてくる」(伊藤和行、福井万穂、矢島大輔)

 沖縄の米軍基地を減らす道筋はあるのか。外務省北米局審議官だった1996年に米軍普天間飛行場の返還交渉をした田中均・国際戦略研究所理事長(75)は、「今こそ動く環境にある」と言います。その理由を聞きました。

 ロシアのウクライナ侵攻を受け、世界の安全保障体制はがらりと変わります。冷戦以来、ロシアが再び脅威となり、米国はNATO(北大西洋条約機構)を中心とした欧州の安保体制をより意識せざるを得ない。日本も安保体制の全体を見直さなければなりません。

 そうした環境の変化の中で、沖縄の米軍基地は減らしていくべきだと考えます。一つの県に過度な負担を強いている状況は、日米安保の安定性から非常に危ういためです。

 普天間返還のきっかけとなった1995年の少女暴行事件は沖縄の反米感情が高まり安保体制が崩れかねないおそれが出たため日米両政府が動きました。同様の事件や米軍機による事故は、いつ起きてもおかしくない。日米安保の強化を要とする日本にとって、沖縄の基地縮小は利益でもあるのです。

 ただ、中国の台頭や北朝鮮の脅威もあり、沖縄の防衛上の位置づけは重要です。そのために、米軍と自衛隊との共同訓練や基地の共同使用を増やしていくべきでしょう。ロシアに近い北海道の防衛力を高めることも必要となる。日本は米国と協議しながら、米軍基地がある豪州や韓国、ハワイ、グアムなどと兵力の再配置を検討すべきです。

 物事を動かすには環境が整うことが必要です。96年の普天間返還合意の時は旧ソ連の脅威がなくなり、米側が安保体制を変えようという思いが働きました。今回はロシアの脅威が高まる逆の状況ですが、国民全体が安保と沖縄の負担軽減を考え、政府を動かす必要があると思います。

今朝の東京新聞から。

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