香港郊野遊行・續集

香港のハイキングコース、街歩きのメモです。

2022年08月

孤高の弁護士 激動の中国を生きた彼が遺したもの(朝日有料記事より)

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  人権派弁護士として中国の権力と闘ってきた浦志強さんは、三国志演義の勇将を思わせるような巨漢だ。7月、そんな彼が私の前で唇を震わせ、涙を浮かべた。彼が「精神の導師」と慕った先輩弁護士の思い出話になった時のことだ。「俺にとってはオヤジのような存在だった……」と。
 「オヤジ」の名は、張思之さん。がんとの闘病の末、6月に94歳で亡くなった。

 2015年の初夏、私は一度だけ張さんを取材した。天安門事件の犠牲者をしのぶ内輪の集まりに参加していた浦さんが拘束され、その弁護を引き受けたのが張さんだったからだ。

 知り合いから「裁判官や検察官にも多くの教え子を持ち、体制側からも一目置かれる法曹界の大物」だと紹介され、緊張しながら取材を申し込んだ。電話口でのつっけんどんな対応にしどろもどろになりながら、なんとか約束を取りつけたのを覚えている。

 やせた体に白髪、一見優しげにも見える目は、時々鋭くとがり、こちらの居住まいをたださせる迫力があった。

 張さんは事件の背後に、国際的な発信力を持つ浦さんの口を封じようとする当局の意図が働いていることを教えてくれた。その一方で、「この国で正しいことをするためには、我慢や節度も覚えなければならない」と話していたのが印象的だった。目立ちすぎることを戒める慎重さに、むしろこの国の強大な権力と向き合い続けてきたすごみを感じた。

 張さんは1950年代、共産党政権が司法制度の体裁を整えようとしていた時代に弁護士になった業界の草分けの一人だ。89年の天安門事件を原点に持つ多くの人権派弁護士たちからすれば、親子ほどの年の差がある。彼らに敬われながらも張さんは他の弁護士と群れようとせず、後輩が依頼人の利益より自分の名声に走るようなそぶりをみせればきつくしかり飛ばした。

 歯切れよく体制を批判する後輩たちと違って、張さんが海外メディアに取り上げられることは多くなかった。私は張さんを取材した時、彼がなぜ大物と呼ばれるのか、その意味を理解していなかった。彼が過去に弁護を引き受けた人たちの名前を知って驚いたのは、何年も後のことだ。

  70年代末、壁新聞などで共産党を批判した「民主の壁」運動で投獄され、その後の民主化運動の象徴となった魏京生さん。80年代の改革派指導者、趙紫陽総書記の秘書だった鮑彤さん。そして浦さんをはじめとする弁護士や記者など、中国改革派のそうそうたる面々が名を連ねていた。

 それだけではない。80年代初め、文化大革命の責任を問われた「四人組」の裁判では、張さんは被告らの弁護チームを率いた。毛沢東の妻だった江青をはじめとする「四人組」は、数え切れない人々の人生を狂わせた張本人として国中の恨みを買っていた。それでも張さんは、死刑判決(後に無期懲役に減刑)を受けた彼女の裁判が、「先に結論ありき」の政治ショーに終始したことを悔やみ続けた。

 張さんは依頼人の政治的立場を問わず、体制からはじき出された人々の弁護をいとわなかった。それは彼が、政治に左右されることのない、法の下での正義や公正さを追い求めていたことの証しでもある。

 法律家としての張さんの強い信念はどこから生まれたのか。私の問いに浦さんは「彼の人生が培ったものだ」と即答した。そう言われて調べた張さんの人生は、まるで中国現代史の縮図のようだった。

 張さんは27年に河南省鄭州で生まれた。日本軍の空襲が鄭州にも及び、一家は戦火を避けて陝西省や四川省を転々とした。16歳から国民党の学生志願軍に加わり、インドまで遠征。日本の敗戦後、北京の法科大学に進んだものの、国民党と共産党の内戦で勉強どころではなかった。友人に誘われるまま、共産党の地下党員となったのはその頃だ。

 49年に共産党が政権を握ると、張さんは国民党の支配下にあった裁判所を接収し、そこで働く人たちを監督する仕事を与えられた。法律の知識の多くはこの時、「門前の小僧」さながらに年上の裁判官や書記官から実地で学んだものだったという。

 しかし間もなく、張さんも多くの人々と同じように激しい政治の波にのみ込まれた。知識人らを標的にした50年代の反右派闘争や60年代からの文化大革命で迫害に遭い、30歳で農場に送り出されて15年に及ぶ「労働改造」を経験した。

 張さんは自著にこんな情景を書き残している。

 反右派闘争の時、張さんは職場で求められるまま、それまで親しくしていた上司の過ちを告発した。失脚した上司は、やがてがんを患い死の床についた。ためらいながらも見舞った張さんを上司は喜んで迎え、「君が持ってきたものなら」と、手土産のナシを無理して食べた。枕元で涙を流す張さんに向かって、上司は「君は若いんだ。昔のことは忘れていい仕事をしなさい」と励ましたという。

 階級闘争の名の下、自分を守るために同僚や隣人、家族までもが告発しあうような痛ましい時代だった。張さんは自分が迫害の犠牲になった恨みより、時代の空気にあらがいきれず告発する側に回った自身の弱さを恥じ、「(政治運動の標的になった)彼らの挫折と無念が、彼らに報いるために自分が何をすべきかという覚悟を与えてくれた」と記した。

 政治が生み出す不条理を目の当たりにしてきた経験が、政治に左右されることなく、ひとりひとりの人生と尊厳を守る「法治」への強い思いとなって張さんを駆り立てていた。

 中国は過去100年、戦争や政治運動など、人間がつくり出す数々の災禍を経てきた。自らの体験を通して、平穏な暮らしとまっとうな社会を守る大切さを心に刻んだ人は少なくない。その一人である張さんが生き方で示したのは、欧米のお仕着せでなく、中国で生まれ、中国で鍛えられたそうした信念だったように思う。

 張さんの葬儀は6月末に北京郊外で行われた。40人近い知人らが駆けつけたが、参列者によると、「名簿に名前がない」として当局に入場を阻まれた。人々が門の外で泣き崩れたため、短時間だけ別れを告げることが許されたが、その間わずか20分。何かに追い立てられるような葬儀だったという。

 政権が忌み嫌う人々の側に立ってきた張さんの業績が公に語られることはほとんどない。彼に救われ、励まされた人たちも、表だって口を開けない現実が今の中国にはある。

 ただ、体制の力が強まる今だからこそ、「我慢や節度」も身につけながら、したたかに闘えという張さんの言葉が重く響く。過酷な時代を通して法治の意味を問い、闘い続けた鋼のような精神は、彼を慕った後輩たちの胸にも刻まれている。(中国総局・林望)

中国発?のフェイクニュースに惑わされないために 台湾研究者の答え(朝日新聞有料記事より)

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  ペロシ米下院議長の訪台に反発した中国が、台湾を囲う形で軍事演習を始めた4日、蔡英文総統がビデオメッセージで訴えた。「中国から発信される情報について、全てのメディアはしっかり真偽を確認し、安易に引用しないで欲しい」
 報道の自由が尊重されている台湾では、異例の要請だった。

 蔡政権は、中国政府が、フェイクニュースや偏った論評による台湾世論の揺さぶりを積極的に仕掛けているものとみている。

 ペロシ氏が訪台した2日以降、台湾の主要紙は連日、多くの紙面を使って台湾での活動や中国の反応などを掲載してきた。

台湾では、サイバー攻撃に見舞われ、フェイクニュースが出回ることが半ば日常となっています。台湾側は、中国政府の関与を疑い、統一への抵抗をくじく狙いがあるとみます。「情報戦」とも言える実態へ迫りました。

 朝日新聞が確認したところ、このうち中国共産党の機関紙「人民日報」などの中国メディアが伝えた中国人研究者らの主張を大きく紹介した記事が2本あった。ペロシ氏訪問による台湾海峡の緊張の責任を米側に求める内容だ。

 「中国と米国の駆け引きは崖っぷち 北京が流れを変えようと努めている」(8月3日)

 「中国メディアが高らかに報道 (台湾)統一の決意は揺るがない」(8月4日)

 報じたのはいずれも、大手日刊紙「中国時報」の巻末2ページを使う「旺報」だった。

 1950年創刊の中国時報は2008年、食品製造業を営む「旺旺集団」(蔡衍明会長、本部・台北市)の傘下に入った。その論調は以降、急速に中国寄りに傾斜していく。

 蔡会長は90年代初めに、中国で最初の工場を設け、中国事業を拡大してきた。中国時報の買収後にも訪中し、中国政府で台湾政策を担う行政部門「国務院台湾事務弁公室」(国台弁)のトップ・王毅氏(当時、現国務委員兼外相)と面会。「上層部の指示に従い、祖国(中国)の繁栄をしっかりと報じる」と発言したと報じられた。

 蔡会長は12年、中国政府に厳しい姿勢を取る台湾の大手紙「リンゴ日報」などを、親会社の香港企業から買い取ろうとしたが、世論の反発もあって断念した。

 リンゴ日報は19年、旺旺集団が中国政府から多額の補助金を得ていたことを明らかにした。さらに同年、英紙フィナンシャル・タイムズ(FT)は、中国時報の社説担当幹部らが中台関係の記事の内容や掲載面について、国台弁から直接指示を受けていると報じた。

 中国時報側は、FTの記事を書いた記者を台湾の捜査当局に告訴したが、2年後に取り下げている。

 かつて中国時報でも編集長を務め、19年末に10年務めた「旺報」の社長を辞任した黄清龍さん(60)は「中国政府が台湾メディアにかけてきた様々な圧力」を肌身で感じた一人だ。

 黄さんが中国時報グループに入ったのは92年だ。同紙で編集長を務め、06年には米国留学の機会を得て、大学やシンクタンクで学んだ。

 台湾に戻った後、新たなオーナーとなった蔡会長に、中国進出を考える台湾の企業家や留学希望者らを読者ターゲットに据えた新聞の創刊を訴えた。米留学での経験から、「人々に、国力を増した中国の台湾政策を読み解く記事を提供する必要があると考えた」と言う。

 提案は採用され、黄さんは09年8月、新刊の「旺報」を社長兼編集長としてスタートさせる。中国政府の投資や留学の受け入れ政策の読み解きに力を割き、定期購読を除いた駅売りなどを1日1万部超まで伸ばした。

 「中国政府の政策についての実用的な記事の掲載に注力したことで、当時の台湾企業の需要に応える役目を果たせたと思う」と振り返る。

 会社との間に溝が生じたのは創刊から2年余りが経った12年2月だ。当時の中国の国家副主席だった習近平氏のライバルとされた重慶市トップ・薄熙来氏の絡む不祥事が明らかになった。政治闘争との見方が出るなか、旺報も多くの紙面を割いて事件を報じ、関連書籍の出版準備も進めた。

 だが、事件から1カ月、黄さんは突然、社長の肩書を残したまま編集長の職を解かれ、紙面への影響力を失ってしまう。「人事異動について事前に打診はなく、辞令も第三者を介して伝えられた。中国政府が事件に関する旺報の報道内容を問題視しているとの話を聞いており、中国政府の意向が働いたのだと思う」と語る。異動の背景は、今もわからないままだ。

 中国政府の旺報に対する、圧力とも受け取れる動きは続いた。同年12月には、旺報が中国側と共催する中台交流事業で訪台した中国人の参加者が毛沢東や台湾の蔣介石の時代を「個人崇拝」と批判したことを報じた記事をめぐり、中国政府から「今後は旺報と交流できなくなる」との意向が伝えられたという。

 黄さんは編集長職を離れた後、旺報の報道に中国側の主張がそのまま載るようになったと感じてきた。「中国メディアの記事には、必ず政府の意向が反映されている。民主主義社会のメディアは、内容を垂れ流すのではなく、自ら分析して読者に示す必要がある。それが、中国の世論戦を防ぐことにつながる」と言う。

 退職後は、旧知の中国研究者らと立ち上げたシンクタンク「台北市信民両岸研究協会」を使い、かつて何度も訪中した経験を生かし、ネットでの評論発信などを続けている。

 朝日新聞は今年6月、中国時報グループに対し、黄さんの異動理由などについて、面会や書面での取材を求めたが、「幹部が多忙」だとして回答を拒まれた。

 台湾の政治大学で新聞学を研究する馮建三教授は、中国政府による台湾メディアへの様々な働きかけを認めた上で、「中国は今後も台湾メディアを使った世論工作を続けるだろう。現状で効果を生んでいるかはともかく、それをしなければ状況が更に芳しくないと思っているだろうからだ」と分析する。

 一方で馮教授は、台湾メディアを巻き込んだ中国政府の世論戦が、伝統的なメディアに対する社会の信頼を低下させているうえ、中国を過度にヒール(悪役)化したり、恐れたりする風潮が広がっていると懸念する。

 台湾社会は87年までの38年間にわたり、国民党独裁政権によって、報道の自由が厳しく制限された歴史を持つ。

 馮教授は「(台湾の民意を得たいなら)中国は資金に物を言わせる強圧的な宣伝手法を変える必要がある」とした上で、こう語る。「台湾社会もメディアの自由な報道を狭めさせるべきではない。大事なのは、人々のメディアリテラシー(情報の識別能力)を高めることだ」

 メディアを宣伝の道具ととらえて統制する中国と、偽情報が流通する懸念も含めて自由を認める台湾。世論をめぐる攻防は、同じ言語を用いながらも正反対を向く、二つの言論文化のせめぎ合いでもある。
(台北=石田耕一郎)

「セルフ検査」普及の香港は今 2億キット配布、市販100円(朝日有料記事より)

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  香港では、新型コロナウイルスの抗原検査キットが自宅に「備蓄」されているのが、当たり前となっている。
 しかも、1個や2個ではない。

 「一人暮らしだけど、50個はあるかな」

 大学に勤める40代の香港人の友人は、こともなげに言った。

 政府から無料で配られたものが20個、自分で買い足したのが20個、そのほか職場からも配られた。

 別の友人に聞くと、やはり母親と2人暮らしの家に60個あるという。

 これほどの数が常備されているのは、キットによる検査がすでに「マスクの着用」と同じように特別なことではなく、日常生活の中に溶け込んでいるからだ。

 近所の薬局や雑貨店に行けば、日本円で1個数十円~100円くらいの値段でも買える。

 日本でも一般用の医薬品扱いとなり、インターネットでも入手できるようになる。「セルフ検査」が先行する香港ではキットがどのように使われているのか。

 「なんだか、のどがイガイガするな……」

 8月中旬の週末、体調の異変を感じた金融会社に勤める香港人の女性(48)は、「もしかして」と思ってすぐに、自宅にあった検査キットを取り出した。

「自分で検査」広がった結果、どうなった?
 付属のめん棒を鼻の2センチほど奥の方に入れ、軽く数回まわす。それを検査薬が入った小さな容器に入れ、測定キットに3滴を垂らし、浮かび上がる赤とピンク色の線が1本なら陰性、2本なら陽性だ。

 待つこと15分。2本が浮かび上がっている。

 「はあ……」

 3日前に友人とカラオケボックスで歌ったのが良くなかったのか。翌朝にもう一度、キットで検査してみたが、やはり陽性だった。

 女性は月曜日の朝、陽性がわかった場合の政府の窓口に連絡をした。勤務先にも陽性であることを伝え、この週は自宅療養することになった。

 それから毎日、自分で「備蓄」のキットを使って検査をし、線が1本の陰性になったのは9日目だった。

 香港では新型コロナに感染しても、症状が軽ければ自分で抗原検査をし、2日続けて陰性ならば、その翌日から日常生活に戻っていいとしている。

 病院でPCR検査をすることもなく、この女性のように、自宅の抗原検査ですべて完結できる。もし感染しても、毎日検査して1日でも早く「2日連続陰性」を確認するため、ほぼすべての市民が当たり前のように検査キットを常備しているというわけだ。

 香港政府はこれまでに、抗原検査キットが20個入った350万袋を、すべての家庭を対象に配った。政府が無料配布するために調達したキットの数は、2億6千万個に上る。

 キットを活用するのは、陽性とわかった人が自宅にとどまることで、他人に広げるリスクを減らすためだという。

 薬局や生活雑貨店、さらに服などを売っている路上の市場など、どこでも手軽に買うことができる状況にしたことで「競争原理」も働いた。

 2月下旬に薬局で買った時には1箱128香港ドル(約2200円)だったが、需要の高まりとともに数え切れない種類の検査キットが登場し、値段はまたたく間に下落。3月には雑貨店などで1個7香港ドル(約120円)でも買えるようになった。

 30日、買い物客でにぎわう九龍半島側の雑貨店では、1個2・5香港ドル(約44円)で売っていた。

 香港の人たちはいま、人数が少し多い会合や食事会に参加する時、事前にそれぞれがキットで検査し、陰性の結果をスマホで撮影して、SNSで送り合っている。相手を安心させるマナーのようになっている。

 こうして検査キットが当たり前のように使われるようになったことで、「義務」として提示が求められる場面も増えた。

 香港政府は、バーで飲食する際には、24時間以内の検査キットの陰性証明の提示を義務づけている。飲みに行く前に、キットを買って調べることができるだろう、といった理屈だ。

 電力会社などは社員に検査キットを配り、出勤前の検査を義務づけている会社もある。9月からの新学期には、学校でも教師と生徒が毎日、セルフ検査をするよう求められている。

 デパートで接客する日本の大手化粧品会社の従業員も毎日、仕事前に検査している。

 そもそも香港では、中国本土の「ゼロコロナ」政策ほどではないが、日本や欧米に比べれば最近まで厳しい規制がとられてきた。外国からの入境後には今も、感染の有無にかかわらず3日間のホテル隔離が義務づけられている。

 ただ、いまは経済を動かすため、夜間の外食禁止などの厳しい規制は避けようとしている。その代わりとしての、「セルフ検査態勢」だ。

 当局によると、29日に新たに感染が確認された8488人のうち、抗原検査キットでの確認が5753人と7割近くを占めた。(広州=奥寺淳)

「エリート学生募集」につられて…いつのまにか中国の世論戦に加担(朝日新聞有料記事より)

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 「大陸企業の文化を学ぶとともに、自らの実力を向上させよう」
 台北市で家業を手伝う台湾人女性、張珮歆さん(25)は大学1年だった2018年、中国への交流ツアーの参加者を募るため、主催者団体の依頼で、若者に向けた宣伝サイトを作ったことがある。同世代の関心のツボを知った紹介文は好評で、閲覧者は数千人に上ったという。この年の夏休みには、サイトを見た多くの台湾人学生が中国各地に渡って国有企業などでのインターンシップ(企業実習)に参加した。

 共通の言語が使われる中国企業は、台湾の若者にとって有力な就職先だ。社会・経済状況を学べるツアーは、合理的なサービスだとも言える

台湾では、サイバー攻撃に見舞われ、フェイクニュースが出回ることが半ば日常となっています。台湾側は、中国政府の関与を疑い、統一への抵抗をくじく狙いがあるとみます。「情報戦」とも言える実態へ迫りました。

 ただ、張さんら参加者に当初は知らされないこともある。ツアーが帯びている強い政治性だ。参加の過程で、「中台統一」が幾度もちらつくことになる。

「ツアーの政治性感じたが、危機感はなかった」

 張さんが宣伝サイトの製作に関わったのは、ツアーを引率する「リーダー学生」に選ばれたためだった。「今思えば、台湾人として、気付かぬうちに中国の世論戦に協力する『ネット部隊』になっていた」と苦笑する。

 張さんは17年秋、主催者団体のフェイスブックを通じてツアーを知った。強い海外志向を持ちながら家庭の経済事情で諦め、同級生の海外留学をうらやましい思いで眺めていた。同団体がうたう「エリート学生募集」という誘い言葉に自尊心をくすぐられた。

 18年1月にあった選考面接では、中台統一を唱える台湾の小政党「新党」の副主席(副党首)があいさつするのを聞き、主催団体の代表を務めていたことを初めて知った。事前に見ていた同団体のサイトでは同党との関連がわからなかったという。

 張さんは振り返る。「その場でツアーの政治性を感じたが、当時は『人生を自ら切り開ける』という高揚感の方が大きく、危機感はなかった」

 張さんは面接で、社交的な性格や友人の多さが評価され、リーダー学生に選ばれた。18年2月に他のリーダー学生約30人と中国・南京で1週間の研修を受け、夏休みに予定される本ツアーに向けて、一般学生を引率する役割を与えられた。

 南京のリーダー研修では、「米中の比較」「中国の歴史」という内容の講義を受けた。議論の題目には、「中国が世界を統治すればどんな変化が起きるか」というものもあった。南京大虐殺記念館なども見学した。

 宿泊先には、日本円で1泊2万円ほどの高級ホテルの2人部屋が与えられた。自己負担は往復の割引航空券代のみだったという。

 南京から戻った後、張さんらリーダー学生たちは主催団体から、台湾の若者が愛用するフェイスブックに掲示板を新設し、本ツアーの参加者を募るよう求められた。張さんは重慶ツアーを担当し、現地の企業や観光地などを宣伝する投稿を行った。

 夏休みには一般学生30人を率いて、重慶市政府の協力のもと、国有企業3社での実習に参加した。張さんは、1カ月余り続いたツアーの閉幕式で、あいさつに立った台湾人の男子学生が、感極まって「中台統一万歳」と叫んだ姿が目に焼き付いている。

 一方で、張さんは重慶で、中国への感情が急速に冷めるのを感じていた。空き時間に1人で街を歩き、講義で語られた中国の「先進性」とは異なる貧富の格差を目の当たりにしたためだった。重慶から戻って数日後、主催団体から翌年のツアーの企画責任者にならないかと打診されたが、その場で断った。

 「短期間だったけれど、当初は中国で見聞きした国力に魅了された。でも、庶民の生活を見て、その政治的な宣伝に気付いた」と語る。

 主催団体の元代表で、新党の副主席(副党首)を務める李勝峯氏(68)は台湾政界では中台統一派として知られる。

 李氏は、台湾のほか、中国にも自身の会社を持つ。朝日新聞の取材に、「リーダー学生には、私が経営する台湾のIT企業で訓練を施した後、ネット掲示板で活動を宣伝してもらった」と認めた。その上で、中国を正確に理解してもらう狙いで、新党とは無関係だ。『中国の台湾統一工作だ』という誤解を招きたくないため、学生を募るサイトでは政治色を極力抑えている」と語った。

 ツアーは16年に始まり、20年にコロナ禍で中断するまで、毎年300人前後の台湾人学生を送ってきた。

 李氏によると、中国での活動は中国政府の協力のもとで行われ、航空運賃を除く経費はすべて中国政府の負担という。ツアー先にはすべて李氏が事前に訪問して地元政府と交渉しており、「中国政府の信頼を得ているから実現できる」と説明した
 
 台湾のNGOで事務局長を務める台湾人女性、李淇さん(28)も大学院生だった18年、修士論文の調査のため、台湾企業が募集していた約1カ月半の北京実習ツアーに参加したことがある。国有企業など15社から実習先が選べるプログラムだ。

 約60人いた参加者のほとんどは、中国での就職を望む台湾人の大学生だった。参加費は航空運賃込みで日本円で約6万円と格安で、実習生として働いた対価として日本円相当で約4万円を受け取れた。募集時の説明に、政治色は見て取れなかったという。

 だが、李さんは北京に到着後に開かれたツアーの開会式で、その政治性に驚くことになる。

 会場は、共産党の影響下にある中国の小政党「中国国民党革命委員会」の中央委員会が入居するビル。あいさつにたったのは共産党で台湾政策を担う統一戦線部の幹部だった。

 李さんの調査では、この時の参加学生のうち10人が中国に残って就職した。他に4人が主催者の台湾企業に協力し、SNSで後発のツアーを宣伝したり、引率者を務めたりしていたという。

 李さんは「そもそもツアー参加者の選考では、大学のサークル幹部を務めるなど、統率力のある学生が好まれていた」と話す。

 朝日新聞は李さんが参加したツアーを主催した台湾企業の代表にも取材を申し込んだが、「中台関連の活動内容について誤解を招きかねない」などとして拒まれた。

 中国での就職を望む若者に便宜を図るため、とも見えるツアー。ただ、台北大学犯罪学研究所の沈伯洋助教は、こうしたツアーには、「中国政府による世論戦の協力者をリクルートする目的も含まれている」との見方を示す。

 沈氏は言う。「台湾人の若者を確保するため、中国政府は、どの地域出身の中国人女性が台湾人の男子学生との交流を望むかについてまで研究している」

 沈氏の調査では、ツアー参加後に中国で就職した台湾の若者の一部は、中国側から「中台統一のモデル」として重用される。ネット部隊として、SNSで台湾の若者が受け入れやすい投稿を行わせることができるほか、他の若者の訪中を誘うリクルーター役を務めさせることができるためという。

 こうした台湾の若者への働きかけを中国政府が強めたきっかけは、14年の「ひまわり学生運動」だとされている。国民党・馬英九(マーインチウ)政権の親中政策に、若者が強く反発した社会運動だ。

 それから8年。沈氏は現時点で、台湾の一部の若者による親中的なSNSの投稿がもたらす影響は限定的だとみる。その一方、「中国は中台交流を通じた世論戦を諦めていない。新型コロナの流行による中台の交流停止は、ある意味で台湾を救った」と警戒を緩めていない。

 言論の自由のある台湾では、若者たちも多様な情報に接しながら判断を下すことが期待できる。ただ、その言論空間で重要な役割を持つマスメディアでも、気になる変化が起きている。

(台中=石田耕一郎)

”親中”拡散の夫婦は「中国で研修」 ネット部隊?自宅を直撃(朝日新聞有料記事より)

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  台湾東部・花蓮の地方裁判所で昨年10月、ひと組の夫婦に有罪判決が下された。罪状は、偽のアカウントを使って大量のフェイクニュースや根拠のない親中的な論評を散布したことだった。裁判所は開廷日を知らせる公式サイトで、夫婦の刑事裁判をこんな風に表現していた。
 「台湾の安全保障に関わる案件」――。

 なぜ、ネットへの投稿が、安全保障に影響するとみなされるのか。

 背景には、台湾社会で、中国政府がフェイクニュースを使った世論工作を展開している、という強い警戒感が広がっている現実がある。夫婦に対する捜査を担ったのも、米連邦捜査局(FBI)に相当する台湾の捜査機関・調査局だった。

台湾では、サイバー攻撃に見舞われ、フェイクニュースが出回ることが半ば日常となっています。台湾側は、中国政府の関与を疑い、統一への抵抗をくじく狙いがあるとみます。「情報戦」とも言える実態へ迫りました。

 夫婦は調査局から、中国と協力してフェイクニュースを散布し、台湾社会を分断する「ネット部隊」(中国語で「網軍」)だと断定された。「2019年8月に中国を訪問し、ネット部隊の研修を受けた」という指摘も受けた。

 一審で確定した判決文などによると、夫婦は石材工の台湾人男性と、主婦で中国・山西省出身の中国人女性だ。ともに30代で、16年からフェイスブック(FB)上で、誰でも閲覧できる掲示板「根拠地」やメンバー限定の掲示板「中央集団軍」などを運営し、最大で約7万人の会員を集めてきた。そして、他人の身分証を変造して20を超える偽アカウントを作り、一部を中国人ユーザーに提供していた。

 こうした偽アカウントからは、次のようなフェイクニュースが発信されていた。

 「(20年に死去した)李登輝元総統の死因は新型コロナだった」

 「(蔡英文総統の与党)民進党議員のおじの話では、政権は世論の批判を恐れ、コロナの死者数を隠している」

 「中台統一戦争で台湾が敗れ、蔡英文が(中国の空母)『山東』の艦上で投降文書にサインした」

 蔡政権は近年、台湾統一を目指す中国が、軍事圧力に世論工作を組み合わせる方法で、台湾社会の抵抗をくじこうとしていると再三、批判してきた。

 中国や親中国のカンボジアが関係するFBの掲示板でフェイクニュースや根拠のない親中的な投稿が作られる。それが、400近い偽アカウントを通じて台湾のネット空間に拡散されている。今年1月、調査局はそんな報告書を発表している。

 夫婦はなぜ、フェイクニュースの散布に関わり、中国政府とどんな関係があったのか。

 記者は5~6月、夫婦の自宅を2度にわたって訪ねた。

 花蓮空港のそばにあり、低層階の戸建て住宅が並ぶ古い住宅地だ。中国から移住してきた人が多く住み、中国に融和的な国民党の強固な地盤でもある。夫婦宅は近隣の家々と異なって1軒だけ、住所表記のプレートがかかっていなかった。

 1度目の訪問時に応対した男性は「夫婦の弟」を名乗った。今回の事件を「(台湾当局の意向がはたらいた)政治的な捜査だ」と批判した。そして、取材を受けるかを「兄」と相談して連絡すると回答した。しかし、その後も男性から連絡はなく、記者が6月に再訪したところ、夫婦と親しい20代の親族が取材に応じた。

 親族は、「弟」をかたった男性が元被告本人で、記者には身分を偽っていたことを認めた。

 この親族は男性が取材を拒んでいると話し、事件についてこう説明した。「元被告の男性は債務に追われて仕事が忙しく、掲示板のメンバーによる投稿をほとんど審査せずに載せていた」。また、「元被告は中国共産党による統治が効率的だと評価しており、中国と距離を置く台湾の蔡政権に不満を感じていた」とも語った。

 一方、18年春に元被告の中国人女性と知り合い、夫とも面識があったという台湾在住の中国人男性(42)は記者の取材に、「元被告の女性から、中国の捜査当局に知り合いがいると脅されたことがある」と振り返った。

 この男性によると、夫婦のFB掲示板には、中国軍による台湾上陸演習の映像や、中国国旗を掲げて記念撮影する人々の画像なども掲載されていた。男性はこうした投稿が台湾で暮らす中国人全体への偏見を招くと心配し、夫婦のFB掲示板で女性を、「中国のネット部隊」と批判した。すると、女性からはこんなメッセージが返ってきたという。

 「あなたは中国に帰国したあと、再び台湾に戻れると思っているの?」

 男性は「女性は中国の強大さを信じ、台湾をすぐにでも占領できるという考えを持っていた。親中的な考えを広げるために、社会的に影響力がある台湾人にも接近していた」と語った。

 夫婦に対する判決文は、夫婦が裁判で起訴内容を認めたと記した。ただ、夫婦が中国で受けたとされるネット部隊の研修や中国政府の関与への言及はない。

 言論の自由がある台湾では、ネット上に中台関係に関する様々な投稿があふれている。中国の台湾統一戦略を研究する台湾・淡江大学の林穎佑助教は、ネット部隊による世論工作の特徴として、投稿にフェイクニュースが含まれ、台湾社会を揺さぶる意図が込められていると指摘する。

 「広告として中国企業の商品などを宣伝するのとは異なり、フェイクニュースを交えて、台湾の政治や価値観を攻撃している」のだという。

 林氏によると、中国政府は近年、台湾への世論工作のため、ネット上で多くのフォロワーを持つ台湾人のインフルエンサーや動画づくりを得意とするユーチューバーを取り込むことに力を入れているという。フェイクニュースを含む親中的な投稿をすることで、「中国政府と関係がある人たちから『チップ』などの名目で資金援助を受けられる構造になっている」との分析だ。

 台湾では19年に、中国の四川省政府の委託だとして、「中台友好、統一を支持する20~25歳の女性ネットインフルエンサー」を募る広告がネット上に掲載された。具体的な仕事内容は記されておらず、合格者は中国での研修期間中も最低5千~1万元(約10万~20万円)の給与を受け取れると説明されていた。朝日新聞はこの広告主に取材依頼のメールを送ったが、これまでに回答は届いていない。

 林氏は、「中国政府はここ数年、世論工作の成功率を上げるために、『台湾人を使って台湾人を制する』という手法を強めてきた」との見方を示す。「中国はいま、ロシアがウクライナで世論工作の効果を十分に上げられていない現状に目をこらしているはずだ」とも語り、中国が今後、台湾人のネット部隊の育成を加速させると分析する。
特にその候補として考えられるのが、若者たちだ。
(花蓮=石田耕一郎)

ロシアと似ていた「戦時下の情報操作」(朝日新聞有料記事より)

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  ロシアがウクライナに侵攻して1週間がたった今年3月3日、「戦時下の情報操作」と題した報告書が台湾で公表された。全文、1万字余り。台湾のネット情報調査会社「IORG」(Information Operations Research Group)が作成した。
台湾では、サイバー攻撃に見舞われ、フェイクニュースが出回ることが半ば日常となっています。台湾側は、中国政府の関与を疑い、統一への抵抗をくじく狙いがあるとみます。「情報戦」とも言える実態へ迫りました。

 内容は、ロシアの侵攻を受けているウクライナについて、ではない。中国からの統一圧力にさらされる台湾で起きている事態を分析したものだった。

 このころ、台湾のネット空間では、侵攻絡みのフェイクニュースや、根拠のない親中的な論評が拡散していた。「米国は有事に台湾も見捨てる」「今日のウクライナは明日の台湾」といった投稿もあった。

 こうした情報が、どこから発せられているのか。

 報告書は、直前の4カ月間にネット上に流れた中国語によるSNSの投稿やメディア報道など6700万件の分析から結論を導き出す。「主に、中国や香港の親中派メディア、中国版ツイッターの『微博』などによって流布されている」――。

 中国と距離を取る蔡英文政権は「中国政府がウクライナの国難を利用し、悪意ある政治宣伝をしている」(外交部〈外務省〉)と表明し、自らの対中姿勢や後ろ盾となる米国に対する世論の不信の広がりに神経をとがらせていた。

 報告書を出したIORGは、3月9日には第2弾として、ウクライナ関連のフェイクニュースを参考に、「台湾有事」が起きた際に流される可能性がある投稿を予測し、提示した。二つの報告書は、台湾の主要メディアに報じられた。

 なぜ、台湾を侵攻する側がこうしたフェイクニュースをばらまく、と考えるのか。IORGを設立したIT技術者の台湾人男性、游知澔さん(36)は「強権国家による世論工作は、人々が抱く民主主義への信頼を揺るがすことを狙っている」と説明する。中国の場合、それによって社会に分断を生じさせ、台湾統一に向けた介入を容易にする狙いがあるのだという。

 ロシアがウクライナに対し、軍事力を用いた侵攻と並行して、情報操作を通じた世論工作を同時に進める手法は「ハイブリッド戦」と呼ばれた。蔡政権は、この戦術について、台湾が長年にわたって中国から仕掛けられてきた「日常」だと考えている。

 台湾社会で世論工作への危機感が高まったのは近年のことだ。きっかけの一つは、やはりロシアによるウクライナへの軍事行動だった。2014年の一方的なクリミア半島の併合だ。

 19年5月、台湾の安全保障政策を担う行政部門の国家安全局は、「中国のフェイクニュースと心理戦への対抗策」とした文書を発表する。その中で、「中国は台湾への統一工作で、ロシアがクリミア半島を併合した方法をモデルとしている」と断定した。中国政府が、中国メディアや世論工作を担う「ネット部隊」(中国語で「網軍」)と協力して、フェイクニュースや親中的な論評を作り、台湾のネット空間に拡散させているとも指摘した。

 IORGの游さんも、こうした状況に強い危機感を抱いた一人だ。元々、後に「天才デジタル担当相」と呼ばれることになるオードリー・タン氏も参加していた台湾のネット掲示板で、行政の透明化などを促す社会運動に加わっていた。

 「台湾人のメディアリテラシー(情報の識別能力)を高める必要がある」

 游さんは19年、教育界にいた友人と世論工作の研究グループを設立。21年に会社化し、米欧の大学で学ぶなどした台湾メディアや政界出身者ら20~30代の計6人で運営する。

 主要な分析対象は、ネット空間に流れる中国語ニュースのほか、フェイスブックや、LINE、微博などに掲載される中国語の投稿だ。

 強権的な大国の圧力を受ける立場が共通するウクライナとも、交流を続けてきた。昨年12月、游さんらはウクライナの民間シンクタンクと情報交換のオンライン会議を開いた。

 会議では、中ロの日常的な世論工作が主な話題になった。約1時間の会議が終盤を迎えた頃、ウクライナ側の研究員から思わぬ言葉が飛び出したという。

 「ロシアは22年初頭に対ウクライナで行動を起こす」

 ロシアの軍事行動は当時、国際社会でまだ大きな話題になっていなかった。游さんは研究員の発言が忘れられず、すぐに同僚と話し合い、ウクライナ情勢に関するネットニュースやSNSの投稿の分析に着手したという。「研究員が語ったウクライナに対する世論工作は、台湾と驚くほどよく似ていた」

 2カ月後の今年2月。ウクライナ側研究員の予言は、不幸にして的中した。だが、IORGにとっては、開戦直後に素早く、報告書を台湾社会へ出すことにつながった。

 これまでのところ、中国政府が実際に台湾に対する世論工作を仕掛けているのか、どんな手法を使っているのか。全容はベールに包まれている。

 ただ、台湾国防部傘下のシンクタンク「国防安全研究院」の曽怡碩研究員は、中国は、クリミア半島併合をめぐるロシアのフェイクニュース散布を台湾統一に向けた戦略のヒントにしていると指摘する。さらに、16年の米大統領選でロシアが行ったサイバー攻撃やフェイクニュースの散布で米国社会が分断されたのを目の当たりにして、ネット部隊を用いた世論工作を本格的に戦術に採り入れたとみる。

 ネット上の中国語のフェイクニュースはかつて、台湾では使用頻度が低い中国の「簡体字」で投稿されていた。

 だが、近年では台湾で使われる「繁体字」に加え、台湾独特の言い回しも現れるなど進化している。人工知能(AI)による製造が疑われるケースも出ており、曽氏は「現在は台湾人だけでなく、(繁体字を使う)タイや日本などの華僑らも作成や散布に関わっている」との見方を語る。

 ネットを使った悪意ある世論工作を防ぐ手段はあるのだろうか。曽氏は語る。

 「中国の世論工作はウイルスのようなもので、完全には防げない。手法が進化するため、ワクチンに当たる防御方法も時が経てば効かなくなり、共存を目指すしかない」

 教育を通じ、人々の危機意識を「高め続ける」こと。台湾はすでに、そうした対応を迫られる「日常」にさらされているのだという。

 では、具体的にだれがどのように、こうした工作をしているのか。昨秋、台湾の捜査機関が立件した刑事裁判があった。(台北=石田耕一郎)

「ペロシ氏機が消息絶つ」 台湾を襲うフェイクニュース、日本語でも(朝日新聞有料記事より)

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  台湾を舞台にした米国と中国の対立が世界を揺るがし、「ペロシ・ショック」とも言うべき事態が起きた今夏。サイバー空間でも、大規模な攻撃が繰り広げられていた。
台湾では、サイバー攻撃に見舞われ、フェイクニュースが出回ることが半ば日常となっています。台湾側は、中国政府の関与を疑い、統一への抵抗をくじく狙いがあるとみます。「情報戦」とも言える実態へ迫りました。

 始まりは、さほど目立つものではなかった。

 セキュリティー大手「トレンドマイクロ」の台湾支社で本部長を務める洪偉淦さん(56)が奇妙なことに気づいたのは、7月下旬のことだ。サイバー攻撃などの監視契約を結ぶ約500社の顧客企業に対し、ハッキング目的で届く詐欺メールの数が増えていた。

ペロシ氏の訪台で、台湾でフェイクニュースが大量に出回ります。それは中国語だけではなく、日本語のものも含まれていました。だれが、何の目的で発信するのでしょうか。記者が探ります。

 攻撃で使われたプログラムの種類やメールの文面などから、中国が関わっていると判断した。だが、増加の原因まではわからなかった。最近は、かつて大量にあった企業への攻撃が下火になっていた事情もある。

 「中国が再びサイバー攻撃を強化し始めたのかもしれない」

 そう感じていたところ、8月に入って謎は解けた。

 2日午後11時前、米国のペロシ下院議長を乗せた専用機が台湾の空港に到着した。中国の猛反対を押し切ってのことだ。時を同じくして、監視を続けていた詐欺メールの数が増え続け、翌3日にピークを迎えた。その数は、通常時の2倍に達していた。

 洪さんの結論は、「攻撃側が詐欺メールによって事前に企業のシステムに侵入しようとしている」。すぐに顧客企業に、「『政治的な理由』で国ぐるみの組織によるハッキング攻撃が行われている」と警告した。ネットワークシステムへの侵入防止対策を強化するよう、促すためだ。

 だが、被害はすでに台湾全土であらわれていた。

 南部・高雄にある台湾鉄道の新左営駅構内の電光掲示板には3日、中国で使われる簡体字で「(ペロシ氏の)訪問は祖国の主権への重大な挑戦だ。偉大な中国は最後に必ず統一する」との表示があらわれた。コンビニ大手のセブンイレブンでも3日、各地の店舗内の電光掲示板に「死の商人ペロシは台湾を去れ」との文字が出た。いずれも掲示板の広告契約を結んでいた業者がシステムを乗っ取られた結果だった。

 ペロシ氏の訪台は、台湾を自国の一部だと主張する中国を激怒させていた。4日には台湾を取り囲むような形で設定したエリアで、大規模な軍事演習が始まった。その間、ネット上の攻撃も激しさを増した。

 外交部(外務省)や国防部(国防省)など行政機関のサイトには、大量のアクセスでシステムをまひさせる「DDoS攻撃」が仕掛けられた。外交部への攻撃は中国やロシアのIPアドレスから行われ、最大で1分間に1億7千万回を超えたという。

 過去最大規模というこの攻撃を、外交部と国防部はともに、「中国によるもの」だと断定する。「台湾を心理的に動揺させる狙いだ」と批判した。

 ただ、電力や鉄道本体といった重要インフラ、台湾が大きな世界シェアを誇る半導体産業への被害は報告されていない。洪さんは「電光掲示板への(親中)メッセージの表示や、人々がめったに見ない行政機関の公式サイトを一時的に閲覧できなくさせた程度で、実害も大きくなかった」と語り、今回の攻撃からあるメッセージを読み取る。

 「『いつでも台湾のネットワークに侵入できる能力がある』と脅すことが目的だったのだろう」

 それだけに、洪さんは攻撃側がすでに台湾の主要企業のコンピューターシステムに侵入し、潜伏している可能性を懸念する。「ここ一番の局面で、集中攻撃を仕掛けてくる恐れがある」

 トレンドマイクロ社はすでに台湾の行政部門から依頼を受け、対策の強化を話し合っているという。

 台湾の国防部は早くから、中国が「台湾有事」の際に軍事侵攻とネット上の攻撃を併用すると分析してきた。2021年の国防報告書には、「中国はネット空間での攻撃能力を向上させており、台湾への軍事侵攻時には、サイバー攻撃で台湾のインフラや行政システムをまひさせて社会を混乱させ、台湾軍や警察などの治安機関を機能不全に陥らせる」と記した。

 蔡英文総統は4日に発表したビデオメッセージで、民間企業にサイバー攻撃の防止策をとるよう求めた。同時にもう一つ、ネット上のフェイクニュースに対する注意を呼びかけた。特に強調したのが「中国発」の情報だった。中国政府がフェイクニュースを使った「世論戦」で台湾の民意を揺さぶり、中台統一に対する抵抗心をくじこうとしている、という蔡政権の懸念があらわれた格好だ。

 蔡政権は現時点で、ペロシ氏の訪台や軍事演習に関する大量のフェイクニュースについて、中国政府の関与を示す具体的な証拠を示しているわけではない。

 ただ、中国にとって、敵視する相手の世論にはたらきかける戦略が存在することは、「隠し事」ではない。

 中国の国防大学は15年、軍幹部向けの教科書と位置づけられる書籍「戦略学」で、中国軍が伝統としてきた「世論戦」、「心理戦」、「法律戦」という考え方に改めて触れ、軍事力を後ろ盾とした戦争遂行の重要な手段だと強調した。これらは「三戦」と呼ばれる。同書はこのうち世論戦について、「各メディアを利用した宣伝工作で、中国に有利かつ、敵側に不利な世論を作り出すことだ」と説明している。

 「戦わずに台湾を奪う」。台湾国防部は中国の戦略をこう呼んでいる。

 台湾国防部のまとめでは、8月1~8日にネット上で確認できた台湾絡みのフェイクニュースや内容が疑わしい論評は272件に上っていた。中国で使われる簡体字によるSNSの投稿で、「台湾軍機が中国軍機に撃ち落とされた」「台湾の国際空港が中国のミサイル攻撃を受けた」といった内容もあった。

 NGO「台湾事実査核中心(ファクトチェックセンター)」は、ネット上の真偽が疑わしいニュースや投稿を選び、事実関係を調べて公開している。軍事演習前には、大勢の兵士が参加する演習の画像に中台の地図を重ね、侵攻をほのめかす内容の投稿が広がっていた。実際には画像は、北朝鮮軍のものだった。

 同NGOによると、今回は、日本と絡めたフェイクニュースも拡散されていた。実在の日本人記者による記事をかたり、ペロシ氏がアジア歴訪の最初に日本に立ち寄り、熱中症で入院したとする簡体字の投稿が出現。ヤフー(Yahoo)に似せた「@Yqhoo_news」というツイッターのアカウントを使い、日本語ニュースの体裁を装って、ペロシ氏の専用機が台湾上空で消息を絶ち、米国が中国による撃墜を非難したという投稿もあった。

 台湾の中央通信社社長も務めた同NGO創始者で前代表の胡元輝さん(63)は「近年は日本や米国を絡めたフェイクニュースが増えており、ほとんどが中国発だ」と指摘する。南京大虐殺の死者数など、事実が確認されていない内容で、日本人の残虐性を強調した投稿も確認されているという。

 胡さんは「台湾人の対日観を変えようとする狙いがあるのだろうと感じる」と語り、早急な対策を訴える。

 台湾が置かれた状況と、多くの符合を示してきた国がある。今年、ロシアの軍事侵攻を受けたウクライナだ。


 サイバー攻撃に見舞われ、フェイクニュースが飛び交う。ペロシ・ショックで起きたことは、台湾が過去数年にわたって警戒してきた事態でもある。「情報戦」とも呼ぶべきその実相を追った。(台北=石田耕一郎)

今朝の東京新聞から。

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JAZZスタンダード・ナンバーの”イージー・リビング”。

スタンダード・ナンバーとしてよく演奏されていた”イージー・リビング”、テーマ曲として使われた映画はこれでした。
1937年のパラマウント作品「街は春風(Easy Living)」。
主演は、レイ・ミランドとジーン・アーサー。
脚本はプレストン・スタージェス、監督はミッチェル・ライゼン。
大昔にWOWOWでオンエアされたとのこと。





ウクライナ人作家の考える戦争の結末(朝日有料記事より)

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  ロシアによるウクライナ侵攻から8月24日で半年になる。侵攻当初の3月上旬、朝日新聞に緊急寄稿したウクライナの国民的作家アンドレイ・クルコフ氏(61)が、節目を機に再び取材に応じた。この半年間はウクライナをどう変えたのか。戦争はどうすれば終わるのか。ロシアはどこに向かうのか――。ウクライナを代表する知識人の一人が縦横無尽に語った。
 ――この半年間はウクライナ人にとってどのような意味を持つのでしょうか。

 「ウクライナ人の精神性そのものが変化したとは思いません。変わったのは、自らの国とその運命に対する関わり方です。ウクライナ人は悲劇に対して堂々と、泣き叫ばずに対応することを学んだのです」

 「戦争当初からウクライナ人がパニックにならなかったのは大変重要なことです。もちろんショックを受け、ある程度の間は硬直していましたが、抑制不能な恐怖には陥らなかった。最後まで戦う覚悟があることを示しました」

 「この半年間は、ウクライナ人とロシア人の間にある大きな精神性の違いを実証しました。ウクライナ人はロシアの強大な軍隊を前に、運命論者に甘んじなかったのです。つまり、『全てが崩壊した。何もできることはない。終わりだ』といった心境にならなかった。私の見方ではこれこそが、ウクライナ文学をロシア文学から隔てるものです」

 「ロシアの古典的な文学作品の多くは運命論に基づいています。ウクライナがドストエフスキーを生み出せなかったのは、そうした精神性――自分を守ることができず、自分が犠牲者であることを受け入れるという意識――を持ち合わせていないからなのです」


 ――そうしたウクライナの精神性が一層強固になったということでしょうか。

 「ウクライナ国民の全てがウクライナ的精神性を持ち合わせているというわけではありません。古い世代では多くの人がいまだに、ロシアと近いソ連的精神性を備えています」

 「ただ、この戦争は、より多くのウクライナ国民がウクライナ的精神性を持つきっかけとなりました。精神性は国家や国民性の基盤となり得、戦争などの危機的な状況によって新たに獲得したり強化したりできるのです」

 「一方、ウクライナはもう戦前のような姿には戻れないでしょう。巨額の軍事費用を抱える国家にならざるを得ないからです。そして隣国と戦争状態にある軍事国は決まって、言論や報道の自由の擁護が難しくなります」

 「政治家は、反体制派を敵のために働くものたちとして描こうとするでしょう。その際はウクライナの作家や知識人が阻止しなければなりません。こうした意味で、この半年間は現在のウクライナだけでなく、その未来像までも変えたと言えます」

 ――戦争が長期化することは予想外でしたか。

 「私は最初から、この戦争は何かしらの停戦協議によってきわめて短期間で終わるか、プーチンが死ぬまで続くかのどちらかだと思っていました。今日では、後者の予測の方が現実に近いようです。プーチンは自らを敗者だとは認めませんから」

 「ウクライナ人は毎日、街が砲撃されることをわかっている一方で、仕事を見つけ、お金を稼ごうとしています。つまり、戦争と共に生きようとしているということです。ほとんど冷静とも言える態度です」

 「外国にトウモロコシの輸出を再開したことは、もはやシュールレアリスム(超現実主義)的とも言えます。爆撃されている国が農業を続け、飢餓と闘う他国を助けているのですから。実際、この奇妙な状況はウクライナ人を励まし、ウクライナが戦争に負けていないことを示しています。ウクライナは戦争を行いながら、農業や貿易にも従事することができたのです」

 ――前線から離れた都市では今、あたかも戦争が起きていないかのように夏休みを楽しむ人々の姿が見られます。これも、ウクライナが戦争に負けていないことを示すための意識的な側面があるのでしょうか。

 「それ以外にそもそも、ウクライナ人は充実した人生を送ることが大好きなのです。私は最近、ロシア軍によって激しく攻撃されたキーウ近郊の街イルピンで、破壊された家屋の前で住民たちが川遊びをしている写真を見ました。ウクライナ人は死なないうちは、生きようとします。今が夏であり、暑いのであれば、川に入る必要があるのです」

 ――戦争はどうすれば終わるでしょうか。

 「利益にならない軍事行動のために、これだけ多くの軍備と兵士を費やすのは無駄である。プーチンの側近がプーチンにそう証明した時、停戦にいたるかもしれません」

 「プーチンの最大の目的はウクライナを爆撃して物理的に絶滅させることではありません。プーチンが目指していたのは、ウクライナを政治的に完全に支配することであり、ウクライナを(ロシアと同盟関係を結ぶ)ベラルーシに変えることでした。ですが、この目的はもう達成することができません。彼自身は理解できないかもしれませんが、彼の側近は理解しているでしょう。ただ、彼にそれを伝えることを恐れているのです」

 「それでも数カ月の間、前線が完全に膠着すれば、侵攻を始めた国が敗戦したのだという意識が生まれてくるはずです。私はそれによって、戦争を止めることができるかもしれないと考えています」

 「一方で私が恐れているのは、欧州が再びプーチンの面目を保つために妥協を提案する動きに回帰することです。その場合、ロシアが得る利益はウクライナより大きくなります」

 ――ウクライナ国民は占領された領土を諦めるなどの妥協に踏み切るでしょうか。

 「世論調査によると、国民の約8割が妥協を拒否しています。ウクライナのメディアは基本的に、前線の情報はポジティブなものしか伝えません。だから、ウクライナ人は自国の軍隊の力をとても信じており、ロシア側と妥協せずに、占領された領土を奪還できると考えています」

 「ただ、私はプーチンが死なない限りは、最終的に何らかの妥協点を模索せざるを得なくなるだろうと考えています。その模索は永遠に続くかもしれません。理由の一つは、誰もプーチンのことを信じていないからです。彼は既に世界を何度も欺いてきました。彼の約束や署名はあてになりません」

 ――いずれにせよ、早期に終戦する可能性は低いということですね。

 「越年することは間違いありません。ただ、私は最大限続くとしてもあと1年半ほどではないかと考えています。ロシアにはこれ以上リソースがないからです。総動員令をかければ兵士を確保できるかもしれませんが、技術的リソースは欠乏します。ロシアはウクライナを旧ソ連製の兵器で爆撃しているとされますが、それは近代的兵器が既に底をついたからです」

 「もしかしたら北朝鮮やイランに供給を要請することができるかもしれません。いま起きていることはまさに、ロシアをイランや北朝鮮の国家像に近づけているのです。ロシアのような豊富な資源を持った国が北朝鮮と同列の地位になることは、自らの経済的な将来性をより困難にするものです」

 ――両国の関係を修復することはできるでしょうか。

 「いつかは可能でしょう。このような戦争を経た後の両国の関係というものは、世代が交代した後に修復されます。つまり、戦闘に参加した世代が、人口の最後の世代、高齢者になった時です」

 「戦後に生まれた人は、戦争を個人的な悲劇と捉えるのではなく、家族や国家の悲劇と見なします。彼ら彼女らが同じく戦後に生まれたロシア人と交流するようになったとき、ロシア人は言うでしょう。『あなたたちと戦ったのは私たちの親の世代なのだから、私たちは関係ない』と」

 「親と子の世代間には常に対立があるものです。20~30年後には関係を再構築する営みが始まります。しかし、だからといって、戦争が忘れられることにはなりません。この戦争はウクライナの歴史の教科書で大きな位置を占めるでしょう。それはつまり子どもたちが基本的に、ウクライナの一番の敵はロシアだという認識の下で育つということです」

 ――仮にプーチン氏が数年後に亡くなったとして、ロシア国民が自らの行動を深く悔い改めることがあれば、早期の関係修復が可能になるでしょうか。

 「一般のロシア人が悔い改めても意味はありません。もしもロシアにプーチンと正反対の新しい指導者が現れ、ロシア国民を代表して謝罪し、ウクライナ復興のために必要な資源を送るといったことがあれば、和解は早まるかもしれません。しかし、特に敗戦後のロシアで、そのようなリベラルで民主的な指導者が現れることを想像するのは困難です」

 「ロシアはウクライナを攻撃しておきながら、基本的に自らのことを西側世界と北大西洋条約機構(NATO)の被害者だと考えています。ウクライナを負かすことができないのは、NATO諸国が兵器を供給しているからだと」

 「そのため、今のロシアで『我々は間違っている』『我々は侵略者で、変わらなければならない』と直言できる政治家が選挙で選ばれる可能性はありません。国民自身が、悔恨し、謝罪する気がないからです。彼ら彼女らはこの戦争が正義であり、ロシアの利益を守るための戦争だと捉えているのです」

 ――ロシアの人気作家でスイス在住のミハイル・シーシキン氏も、「プーチンの後には新たなプーチンが現れうる」と予測していました。

「私は基本的にシーシキンの意見に賛成です。ロシア人は現在のプーチンよりさらに残忍な別のプーチンを探すでしょうが、見つけることはできません。なぜなら現在のプーチンより残忍なプーチンは存在しないからです。起こりうるのは、新たなプーチンがロシア国民自身に対して残忍になることです」

 ――粛清を繰り返したスターリンのようにですか。

 「まさにスターリンのようにです。仮に新たなプーチンが現れるとすれば、それは今のプーチンよりさらに恐ろしくなる(強権体制を敷く)ためなのです。新たなプーチンは今のプーチンよりどうしても弱く見えてしまうため、彼は国内の敵の打倒に邁進(まいしん)する必要があるでしょう。敵を壊滅させて初めて、彼は尊敬されます」

 「このシナリオが現実となるために要するものは、さほど多くありません。ロシアでは既に、国外に出る者は裏切り者だと言われています。新たなプーチンが国境を閉ざし、国民を自国に閉じ込める可能性もあります。つまり、ロシアから逃れようとする人が捕まるということです。裏切り者の粛清も始まりかねません」

 ――21世紀にソ連が再び現れるということになりますね。

 「その動きが既に起きているのです。これからはソ連の生活に関連する宣伝が活発になると思います。ロシアで外国の外交官のための店を開く計画があるという情報がありますが、これもソ連を思わせるものです」

 ――2014年のマイダン革命をルポした「ウクライナ日記」(集英社)を出版されているように、ウクライナとロシアの関係を綿密に追いかけられています。この戦争は予想外でしたか。

 「予想外ではありませんでした。ウクライナにクリミア半島を諦めさせるため、ロシアが遅かれ早かれ何かをしてくるだろうということはわかっていました」

 「ロシアにとって最大の問題はクリミアの併合を国際社会に認めさせることで、ドンバス地方の問題は副次的なものです。そしてその唯一の方法はウクライナ自身がクリミア併合を認めることであり、そうすれば欧米の制裁も解除されます」

 「プーチンは既に高齢で残された時間が少ないため、軍事的手段を決行しました。しかし、もし彼がもっと若ければ、戦争ではない他の方法を試したと思います」

 「ロシアは国際政治において、脅迫や汚職によって常に大きな成功を得てきました。ガスや石油による収入を考えると、外国において必要な決断を実行するための資金は常に十分にあったのです。プーチンはクリミア半島の問題を未解決のまま残したくなかったから、彼は戦争を始めた皇帝として歴史に名を刻むことになったのです」

 ――プーチン氏は6月にあったロシア国内のイベントで、18世紀にスウェーデンとの大北方戦争に勝利し、領土を拡大したピョートル1世(大帝)を引き合いに出して侵攻を正当化しました。

 「とても興味深いことです。ピョートル大帝を持ち出したのは、大帝が1709年にウクライナで行われた北方戦争最大の戦い『ポルタワの戦い』で勝利したからだと思います」

 「ロシアに反乱を起こしたウクライナコサックの頭領マゼッパがスウェーデンのカール12世と共に戦いましたが、敗北し、ウクライナは自らの独立を失うことにつながりました」

 「そのため、今行われている戦争は、新たなポルタワの戦いであるとも言えます。プーチンはスウェーデンだけでなく、他の多くの国々がウクライナを助けているこの戦争に勝利し、ピョートル大帝の『功績』をなぞりたいのです」

 ――侵攻当初にクルコフさんが朝日新聞に寄せたエッセーで、もう二度とロシアに行ったり、本を出版したり、ロシア文化に関心を寄せたりすることはないと発言していました。考えは変わらないままですか。

 「はい、私はロシアの文化や文学にもう興味は無く、これからも湧かないでしょう。ただ、文化の力でロシア社会を民主的な社会に変えていこうとする試みがあれば、注目するかもしれません」

 「ですが、今日のロシア文化は、基本的に、帝国の住民――他者より自らが優れていると信じ、他の人々を壊滅させる権利があると考える人間――をつくりだしています。より具体的に言えば、ロシア文化はロシアに敗北したのです。ロシア文化は機能不全で、ロシア人に何が良くて何が悪いかという道徳的な価値観を伝えることができませんでした」

 「ロシア正教会の指導の下、自らを信心深い国民であるとみなしているロシア人は、殺すなかれ、盗むなかれというキリスト教の十戒を捨ててしまいました。彼ら彼女らはいま、キリストの教えの全てを破っています」

 「もし文化の使命が、社会に真実の下に生きることを教えることであるとすれば、現代のロシア文化は空虚なものです。ソ連の文化はイデオロギー化された文化であり、いわばソ連人の行動規範や生き方を厳密に定義しているようなものでした。ロシアの指導者層は現代のロシア文化が何もできないと理解しており、だからソ連文化を復活させたいと考えています」

 ――ロシアにも戦争に反対する良識派はいます。その人たちの意見が主流になる可能性はないのでしょうか。

 「今は無理だと思います。ロシアは強固な集団的意識を有する国だからです。国家から見て『正しい』と見なされる民衆が、自ら異分子を駆逐します。そのため、体制に反対する者は沈黙するか、国を出てしまうのです」(聞き手・根本晃)

 アンドレイ・クルコフ 1961年、旧ソ連のレニングラード(現サンクトペテルブルク)生まれ。3歳でキーウ(キエフ)に家族で移住。キーウ外国語大学卒業後、出版社勤務、南部オデーサでの兵役を経て、小説家に。約40カ国語に訳された国際的なベストセラー「ペンギンの憂鬱(ゆううつ)」(96年)、マイダン革命を書いたルポ「ウクライナ日記」(2014年)など。
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