香港郊野遊行・續集

香港のハイキングコース、街歩きのメモです。

2022年09月

今朝の東京新聞から。

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足立正生の新作映画(朝日有料記事より)

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  安倍晋三元首相を殺害したとして送検された山上徹也容疑者をモデルにした映画「REVOLUTION+1」が、国葬に合わせた26~29日に、東京や沖縄など全国13カ所で緊急上映される。永山則夫元死刑囚の心象風景を描いた「略称・連続射殺魔」で知られる足立正生さん(83)が監督を務めている。
 7月8日、安倍元首相が奈良市で演説をする現実のシーンから、映画は始まる。山上容疑者がモデルの主人公・川上が、手製の銃で凶行に至るまでの人生を獄中で回想するという形式を取る。川上を俳優のタモト清嵐(そらん)が演じている。

 父の自殺、兄の失明、そして母の統一教会入信。進学の道を断たれた川上が統一教会への怒りを募らせ、精神的に行き詰まっていく様を丁寧に追っている。暴力に訴えた川上に対し、彼の妹が批判的な視線を向けるなど、客観的に容疑者を描こうとしている。

 脚本家の井上淳一さんが3日間でシナリオの第1稿を書いたのが8月初旬。ライブハウスを経営するロフトプロジェクトの出資が決まり、8月末にクランクイン。8日間で撮影した。ドラマ「あまちゃん」の大友良英さんが音楽を付け、今は編集の最終段階という異例のスピードで作られた。

 足立監督は「事件を知って、大変なことが起こったと思うと同時に、映画を作ってきた身としては、これは映画で表現すべきだと感じました。山上の内面に迫ろうと思いました」と話している。今回の上映後、さらに整えて、年末には広く一般公開する予定という。

 足立監督の「REVOLUTION+1」は、安倍晋三元首相を殺害した山上徹也容疑者をモデルにした男の物語だ。撮影期間8日間、製作費700万円強。事件からわずか2カ月半余りで、国葬に合わせた26~29日に東京、大阪、新潟、沖縄など全国13カ所で緊急上映する。

 「スピードが速いと言われるが、ピンク映画はこんなものじゃない。もっと短い日数と少ない予算で撮り上げてしまいますよ」

 足立監督は、1965年に故若松孝二監督が起こした若松プロダクションに属し、ピンク映画の脚本や監督を担当してきた。若松プロでは、よど号ハイジャック事件など現実の事件を、社会の関心が高いうちに素早くピンク映画にして公開することがよくあった。現代では考えられない。

 「いくら粘っても、自分の中にあるイメージと、撮った映像の間に誤差が残るのは当たり前だと僕は思っています。だから、凝るべきところを凝らないで済んでいる。その分、スカスカだったり乱暴だったりもするわけですけど(笑)」

 ライブハウスを経営するロフトプロジェクトが資金を出すことで、映画化が実現した。「ロフトの平野悠さんが『そんな映画、公開出来ないぞ』と言うので『絶対に公開出来る映画にする』と答えました。そうしたら『分かった』と」

 足立監督は71年、パレスチナで「赤軍―PFLP 世界戦争宣言」を若松監督と共同監督した。さらに日本赤軍に入って革命家となり、レバノンで収監された経験を持つ。しかし「山上を英雄視したくはない」と断じる。「僕がやっていたような暴力革命路線はもう世間のお呼びじゃない」

 この映画では山上容疑者の内面に迫りたかったという。「彼が何に追い詰められ、どう煮詰めていったのか。それだけを一直線に描きました」。ただ、山上容疑者の動機はあくまで私的な怒り。足立監督は「これはテロじゃない」と言う。テロとすることで国家の管理が強まることを危ぶむ。「個人的な決起を、いつからテロと呼ぶようになったのか。元テロリストと呼ばれている僕は疑問です」(編集委員・石飛徳樹

ブレイディみかこさんが描く貧困禍の英国 無関心「日本はさらに」(朝日新聞有料記事より)

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 英国在住でライターのブレイディみかこさんは、初の長編小説「両手にトカレフ」で、「子どもの貧困」を正面から描いた。作品の底流にあるのは「そろそろ貧困問題に本気で目を向けなければ、世界は変わらない」という強い危機感だ。

 「ヒート・オア・イート(暖房か食事か、どちらかを選ばねばならないほどの生活苦)」

 英国ブライトンで暮らすブレイディさんは、朝日新聞のコラム「欧州季評」(7月)で、光熱費や食料費の高騰が暮らしを直撃し、満足に食べられないほどの「貧困禍」が急速に広がる英国の状況を伝えた。

抜け落ちていた「14歳の少女ミア」

 「両手にトカレフ」の主人公は、14歳の少女ミア。家族のために学食でパンを万引きし、依存症の母にかわって弟の世話をするヤングケアラーでもある。

 ベストセラーとなった「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」では、「元・底辺中学校」に通うブレイディさんの息子や友人たちが、人種やジェンダーの多様性のなかで成長していく姿が生き生きと描かれた。

 ただブレイディさんは、「『ぼくイエ』では、ミアのような子どもたちのことは抜け落ちていた」と振り返る。生活が苦しい人が数多く暮らす地区の「底辺託児所」で保育士として働いていたブレイディさん。ノンフィクションでは書けない深刻な実態がある、と言う。

 「家庭の事情でクラブ活動もできない。親は心を病んでいて複数のきょうだいの世話をしている。『未来は大丈夫』じゃない子どもたちがたくさんいるのです」

 「両手にトカレフ」では、大正時代に大逆罪に問われ獄中で自死した金子文子の過酷な少女時代が、ミアの物語と重ね合わせて書かれている。「100年の時をへても、日本と英国という距離をへだてていても、貧困を生きる子どもたちは同じ経験をしているのではないかと思います」

半径5メートルから国を動かす

 貧困は、現代の日本でも深刻さを増している。

 内閣府が昨年実施した全国調査では、ひとり親世帯の3割以上が、過去1年間に必要な食料が買えなかった経験がある、と答えた。困窮者への食料支援を待つ数百人の列のなかには、子どもの手を引いた母親が並んでいる。

 ブレイディさんは、こうした子どもを含む貧困危機が十分に可視化、社会化されていないことを危惧する。生活苦や労働問題のニュースが大テーマとして扱われる英国に比べ、日本ではさらに貧困問題への関心が低調だと感じるそうだ。

 「多様性、ダイバーシティーというテーマならメディアは取り上げるが、貧困問題はいまひとつ焦点になっていない。でも、貧困対策をもっと真剣に考えないと、生きていくのが難しい時代になると思います」

 私たちになにができるのか。

 ブレイディさんによると、インフレが猛威をふるう英国では、困窮する人に温かい食事を提供する民間のカフェが各地で活動し、多くのボランティアが参加しているという。自宅前に生活用品を並べ、困った人々に直接提供しようと個人で動き出す人も。地べたの相互扶助に立ち上がる人々の存在が、英国の底力、屋台骨だとブレイディさんは語る。

 「国を動かすには、まず私たちが『半径5メートル以内』で立ち上がって、草の根レベルで子どもの貧困をなくすという意思を示すことが大切。そうなれば、政府や自治体も動かざるをえなくなると思います」
(編集委員・清川卓史) 

今朝の東京新聞から。

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今朝の東京新聞から。

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「二代目中村吉右衛門 残した言葉でたどる 現代と切り結んだ歩み」(朝日有料記事より)

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  昨年11月に亡くなった歌舞伎俳優の二代目中村吉右衛門さんをしのぶ「秀山祭」の公演が今月、歌舞伎座で開かれています。70年以上にわたる俳優人生で、自身の思いを語る、多くの言葉を残しました。朝日新聞の記事をたどると、伝統芸能の担い手として、現代と切り結んできた、その歩みが浮かんできます。
◆1944年5月生まれ。初代松本白鸚の次男。幼くして母方の祖父、初代吉右衛門の養子となり、4歳で初舞台を踏んだ。若い頃は、俳優をやめようと悩んだこともあったという。

 「忘れられない背中があります。大学時代、仏文学を専攻した影響もあり、自宅で実父に『役者をやめて、フランスへ行きたい』と告げました。『何でも勝手になっちまえ』。ただ一言発して、くるりと向けた背中。実父が継いだ高麗屋と、初代の播磨屋と二つの家を背負う双肩から、どーんとした重みが伝わってきました。仏行きは吹き飛びましたよ」(2008年2月10日付「おやじのせなか」から)

◆66年10月、中村萬之助改め、二代目吉右衛門を襲名。

 「吉右衛門の“二代目”を襲名するのではなく、まったく“新しい”吉右衛門を作りだしていきたいと思っています」「これからはファイト一本やり。祖父が得意だったし、ぼくも子役で出演した“陣屋もの”など手がけてみたい」(65年6月25日付「人」から 襲名発表会見翌日の掲載)

◆襲名後間もない頃から、着物での立ち居振る舞いが自然になるよう、日常も着物で生活していたという。記事に登場する「多賀之丞さん」は、三代目尾上多賀之丞。菊五郎劇団で活躍した女形。

 「それを(尾上)多賀之丞さんにいわれましてね。家でも和服の方がよござんすよって。たしかにそうだと思ったので、なるべくそうしてるんです」「体型も違ってきますよね。ぼくはもう洋服着たって、ほかの人みたいにスマートに着こなせなくなっちゃった。帯とバンドとの感触ってずいぶん違うものです」(77年10月24日付記事から)

◆85年、香川県琴平町にある、江戸時代に建てられた芝居小屋「旧金毘羅大芝居」で始まった「四国こんぴら歌舞伎大芝居」に出演。前年、テレビ番組の収録で十八代目中村勘三郎、澤村藤十郎と訪れたことがきっかけとなり、企画が動き出した。第1回で主演した「再桜遇清水(さいかいざくらみそめのきよみず)」は、江戸時代の作品を元に、「松貫四」のペンネームで自ら筆をとった。

 「歌舞伎はビルの中にあるホールでは魅力が半減してしまう。しかし、ふさわしい小屋で上演すれば、おもしろさが十二分に発揮できることを実証したい。そのことが、大劇場で上演する歌舞伎を考える時の刺激にもなります。そしてここから新しい作品を生み出したい。残念ながら、新作はまだ『再桜――』1本きりですが、木戸をくぐったとたんに観客が芝居の世界にすうっと入ってくれるこの小屋でなら、相当実験的な作品も受け入れてもらえる気がします」(2004年4月19日付記事から 「こんぴら歌舞伎」20回記念公演を終えて)

◆89年から放映が始まったテレビ時代劇「鬼平犯科帳」に、実父・初代白鸚も演じた長谷川平蔵役で主演。人気シリーズとなり、16年まで続いた。

 「おやじの鬼平とは違った私なりの鬼平をやってみたい。役者の四十代は体力的にも演技の面でも一番の働きどきですから」(89年8月18日付記事から)

◆松貫四の名前で創作に関わった作品には他に、98年初演の「藤戸」、99年初演の「白鷺城異聞(はくろじょうものがたり)」がある。共に平和への祈りを込めた作品だ。終戦の前年に生まれ、子供のころ、戦争で負傷した人を見てショックを受けた思い出もあったという。その願いは切実だった。

 「城そのものは戦のために造られた修羅的な場。多くの血が流されたはずです。でもその後、平和が続いたから立派な城が残り、平和や市民のシンボルになっているのです。いまだに世界のあちこちで戦争が起きています。テレビで見るたびに、なぜ殺し合いをしなければいけないかと悲しくなる。われわれ役者が世界平和に参加できるとすれば、舞台しかありません。平和の大切さ。それをどこかで感じていただけるような舞台にしたいですね」(99年7月10日付記事から 姫路城での「白鷺城異聞」初演にあたり)

◆初代吉右衛門の芸を顕彰し、次代に引き継ぐことを、二代目の使命と感じていた。06年、初代ゆかりの作品を上演する「秀山祭」を始める。

 「養父亡きあと、吉右衛門劇団が途絶えてしまったので、秀山祭を実現できて養子の義理をようやく果たせた思いです」「養父の歌舞伎への姿勢と魂は残していきたい」(06年8月21日付記事から)

◆11年、国の重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定。

 「自分のやってきたことを、それでいいよ、と認めて頂いた。それを次代に伝えよ、と。うれしさと共に重責で緊張します」。「優れた芸は、まずまねろと教えられた。自分の考えはそれから」。「80歳で本公演の25日間、勧進帳の弁慶を勤めるのが夢。(老いを)わからぬよう演じるのも技ですから」(11年7月16日付記事から)

◆「伊賀越道中双六」の「岡崎」をはじめ、初代ゆかりの演目の復活上演にも意欲的だった。15年には、初代も演じた「競伊勢物語(だてくらべいせものがたり)」の紀有常を初役で勤めた。

 (前年に上演した「岡崎」について)「びっくりするくらい好評でした。やられていないからダメ、と決めつけないほうが良いのではないでしょうか」。
 「お客様が『こんな面白い芝居があったのか』と思って下さることで、誰かに『(自分も)やろう』と思わせることになる。そこまで引っ張っていけるか、大変な責任です」(15年8月27日付記事から)

◆20年に始まった新型コロナウイルスの世界的流行は、多くの舞台を中止に追いやり、歌舞伎座も5カ月間にわたり公演がストップした。その間の思いを、こう語っている。

 「役者というのはお客様の支援で生きているものだとあらためて実感しました。役者は花火師であり、打ち上げ花火のようなものです。修業で体に身につけたものを舞台で花開かせ、美しいなあ、ああ、いいなあと感じていただく。お客様とひとつの空間で一心同体になれたら成功なのでしょう」(20年8月27日付記事から)(増田愛子)
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