香港郊野遊行・續集

香港のハイキングコース、街歩きのメモです。

2022年11月

香港01より 丁雲山語る。

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丁雲山(ディン・ユンシャン)は、アメリカのロチェスター大学でヨーロッパ史と映画理論研究の二重学位を取得し、その後、ニューヨーク大学ティッシュ芸術学院で映画理論の修士号を取得した。

丁雲山は1999年から香港で映画製作に携わり、ジョニー・トー監督の『黒社会』『亡命』、ヤウ・ナイホイ監督の『跟蹤』など、20本以上の長編映画の企画、制作、宣伝に参加した。近年、丁雲山は映画制作に力を入れており、新進気鋭の監督たちとコラボレーションしている。出演作品には、ソイ・チェン監督の『車手』、徐欣羨監督の『骨妹』などがある。後者はマカオ国際映画祭で2つの賞を受賞し、香港電影金像奨に2部門ノミネートされた。

丁雲山は現在、香港映画芸術学院テレビ映画学部修士課程の上級講師(映画制作)であり、修士課程のコーディネーターを務めています。丁雲山は香港芸術発展局の映画評論家でもある。

ジョニー・トー率いる映画会社、銀河映像が制作した映画は、これまで三大国際映画祭の常連となっている。今では当たり前のことのようだが、20年前は香港映画で映画祭に参加できたのはウォン・カーウァイとアン・ホイだけだった。
J・トーの作品に関しては、商業作品として扱われ、映画祭からは程遠いものとなっている。 
1999年、丁雲山という名の青年は台湾で育ち、ニューヨークで映画を学び、その後チャイナタウンで映画『暗花』を見て、ジョニー・トーの作品に深く魅了された。彼は憧れの人に会いたい、香港の映画業界で働きたいと思い、キャリアを積むために香港にやって来た。これは彼の人生を変えただけでなく、銀河映像の国際市場における地位も変えた。
銀河映像のファンであれば、エンドクレジットを見ても丁雲山の名前が頻繁に登場したり、スクリーンの前にいる彼の印象を何かしら持っているかもしれない。 『無間道2』の朱盛載と『嚦咕嚦咕新年財
』の水玉は同一人物である。
丁雲山は1996年から1999年までニューヨークで映画を学び、チャイナタウンで時々香港映画をレンタルしていた。彼は当時の香港映画の質には大きなばらつきがあったことを認めた。 「ビデオテープではなくVCDだったので、画質が悪く、見るのが辛かったです。ストーリーが面白くないと、10分で観るのを諦めてしまう人が多かったです。」
かつてレンタルビデオ店の前で『暗花』のポスターを見かけました。禿げ頭のラウ・チンワンに惹かれてレンタルして観ました。 「あの映画の字幕はとても細かくて分かりにくかった。初めて観たときはすごく難しかったので、観ずに返却した。それから2ヶ月後、まだ『暗花』のポスターが貼ってあるのを見て、落ち込んでしまい、もう一度レンタルした。そして、もう一度観ようと決めたんだ。」そこで私は友人とチームを組み、一人は英語の字幕を、もう一人は中国語の字幕を視聴しました。私たちはお互いに補い合いながら内容を理解しました。トニー・レオンが頭を剃るシーンを見たとき、私たちはとてもショックを受けました。素晴らしい作品だと思いました。
その後、『真心英雄』はチャイナタウンで公開されそれを見た後、私は学校に戻り、教授に強く勧め、翌週一緒に見て議論するよう頼みました。こうして私は銀河映像とつながることになったのです。
卒業後、彼は銀河映像に入社するという明確な目標を掲げ、香港でキャリアを積むことを決意した。そして彼は『電影雙週刊』から電話を受け、その役職に応募した。彼はすぐに雇われました。彼がこの業界に入ったとき、映画『槍火』を撮影中だった。彼は、J・トー監督が200万ドルの費用を投じ、20日以上かけて香港映画の古典を撮影した様子を自分の目で見て、深い感銘を受けた。
映画好きの彼は、映画祭に参加して、お気に入りの作品を友達に勧めたいと思っていたが、目にしたのは国際映画祭だった。ジョニー・トー監督の映画は、決して国際映画祭が求めるような作品ではなかった。 2000年頃、いくつかの主要映画祭の責任者が変わり、新しい世代の映画製作者たちが躍進を求めて参入し、J・トーの作品にチャンスが訪れた。
「2003年、『PTU』をニューヨーク映画祭に持ち込むと担当者はとても喜んでくれました。1999年の『非常突然』が気に入って、銀河映像に電話して新作を映画祭に招待したそうです。
ところが、電話に出た担当者は理解できなかったのか、いたずらだと思ったようで、笑い飛ばしてと電話を切ってしまいました。当時、これらの商業映画が映画祭と関係があるとは誰も思っていなかったのです。そこで私は皆を繋ぐお手伝いをしました。」

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銀河映像最愛找員工客串,丁雲山亦有份。「原本book了臨記,但個人no show,我凌晨3點收到電話要幫手,仲有專車接送。我其實不懂打麻雀,執行導演羅永昌要即場教我。(夜中の3時に現場に呼ばれ、羅永昌から麻雀の打ち方を教えられて撮影したという場面)

『槍火』は銀河映像が国際映画祭に進出する第一歩となり、その後の『大事件』、『黒社会』、『放逐』もすべてこの道を辿って国際市場に進出した。彼らは名声を得るだけでなく、新しい作品を支援する資金と市場も見つけました。 『黒社会』(2005年)の撮影準備をしていた頃、多くの人がこれもまたギャング、警察、そして犯罪を描いた映画になるだろうと予想していました。
しかし、『江湖』(2004年)の公開後、赤字が続き資金調達が困難になりました。そこで、カンヌ国際映画祭を機に海外市場を獲得しようと試みました。この試みが功を奏し、その後、ハリウッドとのコラボレーション作品『復仇』などを制作することができました。
海外の観客に最も人気の作品について、丁雲山は『放逐』を挙げ、「J・トー監督にとって、国際映画祭の期待に完全に応えてくれました。『槍火』は皆に好評で、続編としても大きな期待が寄せられていました。映像には個性的なスタイルがあり、エンディングは壮大でロマンチックです。上映終了後、観客は10分近くも拍手喝采しました。本当に素晴らしいです」と語った。その瞬間、彼は自分の使命が達成されたと感じ、すぐに銀河映像を離れ、教育に従事しました。

丁雲山は現在、香港演芸学院の映画・テレビベンチャーキャピタルのディレクターと大学院コースのコーディネーターを務めています。最近では学生作品「洄潮」のプロデューサーを務め、HAFアジア映画投資会議にも参加した。生と死に直面する二人の老人の物語です。老人は長年病気を患っており、治療から逃れたいので、故郷に戻って面会することを考えています。丁雲山さんは、長年にわたって蓄積してきた経験を活かして、クラスメートや企業のために協力の機会を見つけたいと心から願っています。 「末期の病気を患う老人を描いたこの物語は、映画会社にとって魅力的なものではないかもしれません。しかし、脚本の感情描写は非常に感動的で、生きる意味について考えさせられます。学校と業界の架け橋となり、卒業生の活躍の場を広げるお手伝いができればと思っています。」

「雨の中の女」1969年

1969年、フランシス・フォード・コッポラ監督。
そしてG・ルーカスによるメイキング。





「天才か希代のペテン師か FTX創業者の素顔」(朝日有料記事より)

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  天才経営者か、希代のペテン師か――。
 暗号資産(仮想通貨)交換業大手FTXトレーディングの経営破綻で、渦中にいる創業者のサム・バンクマン・フリード氏に世界の注目が集まっている。30歳の若さで会社を世界大手に育てあげたが、今や100万人規模の債権者を巻き込む破綻事案の中心にいる。どんな人物なのか。

「第一印象で、天才だと確信した」

 今年3月、FTXが本社を置く、カリブ海のバハマ。FTXの日本法人、セス・メラメド代表はバンクマン・フリード氏と会った時の印象をそう振り返る。

 経営難になった同業他社を買収するなどして事業を広げてきた、FTXのトップは、破綻前まではまさに「時代の寵児」と呼んでいい存在だった。

 「母国に送金するために10%の手数料を払う人たちがいる。1週間もかかるし、信じられないくらい大変だ」

 「私がクリプト(暗号資産)に最も時間を費やしているのは、人々がより公平にアクセスできる金融市場を作るためだ」

 4月、バハマで開かれたイベントで、身ぶり手ぶりを交え、暗号資産業界の将来について熱弁した。

 髪の毛はぼさぼさで、服装はTシャツに短パン、スニーカー、白い靴下。スーツやドレスで着飾った他の参加者と比べると異彩を放つ。イニシャルから「SBF」と呼ばれる、バンクマン・フリード氏の定番のルックスだ。

 型破りなスタイルは服装だけではない。

例えば2021年7月。FTXへの投資を募るオンラインのミーティングでは、長期的な会社のビジョンを問うベンチャーキャピタルからの質問に回答する間も、オンラインゲームをプレーしていたという。同時に複数のことをこなす「マルチタスキング」の例として持ち上げられた。

 バンクマン・フリード氏は、19年にFTXを設立。暗号資産の交換業者としては後発だが、同業他社の買収を通して規模を拡大。数年で200億ドル(約2.8兆円)の個人資産を築いた。

 そんなやり手の若手経営者が、「SBF」のツイッターアカウントで懺悔の言葉を発したのは今月10日のことだ。


 FTXが米連邦破産法11条(チャプターイレブン)の適用を申請する前日だった。以後、メディアでは、同社をめぐるずさんな経営の実態や、投資家や業界への負の連鎖が連日のように報じられ、SNSでは預けた資産を引き出せなくなった利用者らからの恨みの声が拡散している。

 かつての天才経営者は今や、米国の検察当局などによる捜査の対象となっている。

 バンクマン・フリード氏は、マサチューセッツ工科大学で物理学を専攻してから、金融機関でトレーダーとして勤務。名を上げたのは、暗号資産のビットコインの価格が韓国や日本と米国で異なることに目をつけた17年の取引だった。米国で買い、日本で売ることを繰り返し、巨額の富を築いたという。

 FTXを設立してからは、野球の大谷翔平選手やテニスの大坂なおみ選手などを使った広告戦略も成功し、最近は全世界の1割ほどのシェアを握ったとされる。コロナ下での投資ブームが後押しになったのは間違いないが、「何よりも、FTXのシステムが使いやすかった。SBF本人が有名トレーダーだった経験を生かしたサービスで、利用者に支持された」(日本在住の利用者)。

 人気の理由は他にもあった。「できるだけお金を稼ぎ、それを慈善活動に使う」という哲学に基づいた「効果的利他主義(EA)」を掲げたことだ。公の場や従業員に繰り返しこの考えを説き、実際に最近、気候変動や貧困対策などに取り組む団体に多額の寄付をしていた。ワシントン・ポストによると、21年10月からの約1年間で、将来のパンデミック防止に向けた活動にバンクマン・フリード氏やその周辺から7千万ドルが提供されたという。

 資金力を得るにつれ、政治との接点も増えた。ウォールストリート・ジャーナルによると、20年の大統領選では民主党のバイデン氏に520万ドルを寄付。企業経営者としては、2番目に多い額だったという。また、連邦政府の記録などによると、22年には主に民主党系の候補に向けて4千万ドル近くを献金した。米メディアによると、民主党支持で有名なジョージ・ソロス氏に次ぐ額だった。

 共和党もFTXの恩恵を受けており、バンクマン・フリード氏の側近は共和党系の候補に2千万ドル超を献金していた。バンクマン・フリード氏自身は米議会で複数回証言し、暗号資産の規制のあり方などについて語っていた。

 FTXの日本法人のメラメド代表は、こうした「天才経営者」の仕事ぶりを間近で見てきた一人だ。

 18年、日本の暗号資産交換業者「リキッドグループ」の担当者として、取引先だったバンクマン・フリード氏とやりとりするようになった。今年3月には、FTXによる買収後も日本の法令に準拠するようシステムを改修するため、FTX本社のあるバハマに約3週間にわたって滞在。バンクマン・フリード氏らと連日作業をしたという。

 メラメド氏は「第一印象で、天才だと確信した。彼の言葉は魔法の呪文のようで、社員はみな魅了されていた」。バンクマン・フリード氏の生活ぶりは質素で、バハマではトヨタのカローラを愛用していたという。「天才であり、社会貢献に熱心である上に、謙虚な性格。完璧な存在に見えた」とメラメド氏は振り返る。

 だが、11月に入ってから状況は一変する。

 FTX関連会社の財務状態を疑問視する報道をきっかけに、顧客がFTXから資産を引き出す「取りつけ騒ぎ」がおきた。資金不足に陥ったFTXは11日、連邦破産法11条の適用を申請して経営破綻した。

 破綻後に明らかになった経営実態はずさんだった。

 バンクマン・フリード氏はFTXとは別に、「アラメダ・リサーチ」という投資会社を運営していたが、FTXに預けられていた顧客の資産を流用し、アラメダ・リサーチに約100億ドルを貸し付けていた疑惑が発覚。相当部分が消失しているという。

 「破産管財人」のような立場で、FTXの最高経営責任者(CEO)を引き継いだジョン・レイ氏は17日、裁判所に提出した書面で「40年間のキャリアで、これほど企業統治が破綻し、信頼できる財務諸表の完全な欠如を見た例はない」と断言。2000年代初頭、大規模な不正経理が発覚したエネルギー販売会社の「エンロン」の債務整理を手がけた時と比べても、ひどいとした。

 書面によると、FTXは銀行口座の残高の詳細が把握できていないケースも多いため、財務諸表の正確性に疑問があるという。その一方、経費支出についてはメッセージアプリで申請し、幹部が「絵文字」を使って承認する仕組みだったという。また、会社の資産の一部がバハマで個人の住宅購入に用いられている例もあった。

 米メディアによると、22日には担当弁護士がFTXがサイバー攻撃を受け、「かなりの金額」の行方がわからなくなっていることを明らかにした。米国の検察など当局が捜査に乗り出しているという。

 FTXの破綻により、暗号資産などを引き出せなくなった利用者は100万人を超える可能性がある。負債額は合計で100億~500億ドルと推定され、日本円で換算すれば数兆円にのぼる。上位50人の債務は合計で約31億ドル(約4400億円)に達し、最大で2.26億ドル(約320億円)という債権者もいるという。

 バンクマン・フリード氏は、現在もバハマにいるとみられる。この間、米メディアの記者の取材には応じ、「規制当局は全てを悪くし、消費者を保護することはない」などと毒づいている。

 ブルームバーグ通信は22日、バンクマン・フリード氏が従業員あてに出したという書簡を入手し、報道。それによると、バンクマン・フリード氏は「こんなことになるつもりではなかったし、戻ってやり直せるのなら何でもする」と謝ったという。

 書簡では会社の取引の状況を十分に把握せず、どれだけリスクがあるかも分かっていなかったと告白。その一方、破産申請の書類に署名した「8分後」には融資の打診があったことも打ち明け、「活用すれば、おそらく会社を救えたと思う」と述べた。

 バンクマン・フリード氏が本当にリスクを認識していなかったのか。それとも、危険だとわかっていながら、顧客の資産を流用したのか。米当局による捜査は今後、こうした点の解明も目指すとみられる。

 破綻は利用者だけでなく、グループに出資した投資家にも巨額の被害を与えている。これまでに、米セコイアは2・14億ドル(約300億円)、シンガポールの政府系ファンドのテマセクは2・75億ドル(約390億円)、日本のソフトバンクグループも約1億ドル(約140億円)を出資していたことを明らかにした。

 多くの投資家が巨額の資金を投資しながら、取締役の派遣など十分にFTXの経営を監視できていなかったことも明らかになっている。利用者保護のため暗号資産取引への規制強化を求める声が出ており、連邦議会も動き始めている。

 メラメド氏は、日本法人の顧客資産を返還するため奔走する。改めてバンクマン・フリード氏についてどう思うか。そう問うと、同氏はこう答えた。

 「いま思えば、表面の素晴らしいイメージと実態が違っていたことを認めざるをえない」

今朝の東京新聞から。

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中国から脱出する人たち 習体制に「足」で投ずる不信任票(朝日新聞有料記事より)

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  中国で「新移民潮(ブーム)」が起きている。

 南京出身の何培蓉(ホー・ペイロン)さんに東京で会った。1972年生まれ。英語教師を経て、四川省など西部の貧困家庭の教育を支援するNGOを組織していた。

 出国は10月。タイにしばらく滞在した後、11月初めに来日した。数年前の日本訪問時に、何度でも出入りできる査証(ビザ)を取得していたことが役立った。

 「とにかく自由な空気を吸いたい。最終的にどの国で住むかは決めていませんが、中国に戻るつもりはありません」

 彼女は10年前、盲目の人権活動家、陳光誠さんを支援していた一人だ。陳さんは「一人っ子」政策のもとで強制的な中絶や不妊手術が横行していることを告発し、捕らえられた。長く軟禁されていた山東省の自宅から逃げ出した彼を、何さんは北京まで車で届けた。陳さんは米国大使館に保護され、今は米国で暮らす。

 彼女も当局に拘束されたこともあった。

 だが、「人々が変化を求める限り、中国の民主化は一歩一歩進む」と希望を捨てなかった。国内にとどまり、その一歩の後押しをしてきたつもりだ。

 「楽観的すぎましたね」

 自由は想像を超えて急速に狭まった。例えば、理由は明らかにされないまま高速鉄道のブラックリストに入れられてしまい、身分証の番号が必要となる切符は買えなくなった。さらに「ゼロコロナ」で動きがとれず、NGOの活動まで難しくなった。

 政治的に重要なイベント、3月の全国人民代表大会の会期中は、公安に「観光」を名目に強制的に省外に連れ出された。当局者数人と車に乗り、奇妙なドライブが続いた。SNSなどで意見を発信できなくするためである。

 中国政府は出国制限を強化している。往来を抑えるコロナ対策を理由にするが、人材や資金の流出への警戒と受け止められている。「出るなら早い方が良い」。中国共産党大会の直前に中国を離れた。

 箱根、京都――。本物の「観光」を味わいながら、日本で暮らす知人を訪ねて将来に向けて意見交換している。

 もうひとり、上海から知り合いの女性が近く、大阪にやって来る。30代半ばの会社経営者。お金持ちだ。ロックダウンで「心が折れた。人間らしい生活がしたい」。

 夫と別れて一人で育ててきた2人の子供は、英国の寄宿舎付き学校へ送る。自らは「何度も旅行して文化が大好きになった」日本で、知人の会社に身を寄せる予定だ。

 マンションで感染者が出ればいっせいに封鎖される。受診を拒まれたお年寄りや妊婦が亡くなる。モノがあふれる上海で飢える人も出た。自殺者のうわさも絶えない。気持ちはどんどん沈んでいった。

 習近平体制で言論弾圧が強まった5年ほど前から、人権活動家、作家や記者などが追われるように母国を離れる動きが加速した。そして、コロナ禍の今。脱出の波は、都市部に住む富裕層を中心とした「ノンポリ」にまで広がる。「勝ち組」が国を離れたがっている。デジタル技術を駆使した徹底的な管理で自由が奪われる日常は、民主派だけのものではなくなったからだ。

 「解放されたい」。そう願う人たち向けに、移住先の比較や資金の移し方を指南するオンラインの番組がたくさんある。

 日本は「欧米よりも会社を立ち上げやすくビザが得やすい」「漢字文化圏で、食べ物など生活もなじみやすい」などという理由から、人気の目的地の一つにあがる。

 「潤」という言葉が中国ではやっている。この字の中国語のローマ字表記は「RUN」。「逃げる」という意味である。

 国家に自分の人生の手綱を握られたくない人たちが、自らの「足」で習氏への不信任の票を投じ始めている。
(編集委員・吉岡桂子)

今朝の東京新聞から。

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ヒジャブを脱いだ女性たち「今こそ変革を」 命懸けてでも止めぬ叫び(朝日新聞有料記事より)

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  私が暮らし始めて3年目に入った中東イランの首都テヘランで、女性たちの装いが急に変わった。髪を隠すヒジャブ(ヘジャブ)と呼ばれるスカーフをかぶっていないのだ。
 一歩街に出ると、行き交う女性の2人に1人は、ヒジャブを着けていない。歩道上や車の車内、スーパーやレストランで、ヒジャブを両肩にふわりとかけている。一見するとおしゃれを楽しんでいるようだ。

 10月24日昼、テヘラン北部の複合施設「パラディウム・モール」。平日はいつも多くの女性客でにぎわう地下1階のフードコートに行くと、女性30人のうち18人が、黒や白、ベージュや青といった色のヒジャブを、肩にかけていた。髪の毛は丸見えだ。


 1979年にあった革命の結果、米国と親しい関係を築き、西欧化を進めた王制が倒された。それに代わって、イスラム法学者が国の指導者となる、現在に続く宗教体制となった。

 83年に導入されたのが、ヒジャブの着用を義務づける法律だ。女性たちは国籍や宗教を問わず、ヒジャブで髪を隠さなければならなくなった。

 根拠はイスラム教の聖典コーランにあるとされる。その解釈によれば、女性は、髪など美しいところを夫や父親、兄弟といった身内以外の男性に見せてはならず、隠すべきだとされる。

 ヒジャブをかぶらずに外出して風紀警察に見つかれば、逮捕され、罰金や禁錮刑を科される恐れがある。それでも、取材に応じてくれた25歳の女性は、自家用車の運転席で髪を出すようにした。「政府に抗議する意味でヒジャブを脱いでいます」

 きっかけは、9月にあった女性の急死事件だった。マフサ・アミニさん(当時22)はヒジャブのかぶり方が「不適切」という理由で逮捕された後、死亡した。

 警察は、死因を「病死」と説明したが、警察官の暴行を疑う声が上がり、政府に対する抗議デモが一気に全国へと広がった。

 あれから2カ月。デモは小規模ながらも、今でも連日のように続いている。ノルウェーを拠点とする人権団体「イラン・ヒューマン・ライツ」は11月5日、少なくとも計304人が、デモに関連して治安部隊に殺害されたと発表した。

 デモに加われば命の危険がある。だからといって、黙っていられない。日常の様々な場面でヒジャブを脱ぐことが、政府や現体制に対する不満や不信を表すという意味を持った。

 身の危険を知りつつ、抗議集会に足を運び続ける女性たちもいる。テヘラン在住のマフザド・エリアシさん(40)が、電話取材に応じてくれた。「私たちにできることは一つだけ。声を上げることです。それなのに……」

 エリアシさんはそう言って、9月21日に参加したデモについて振り返った。その日はテヘラン中心部の路上で、他の女性たちと一緒に政府を批判する声を上げていた。

 すると、緑色の制服を着た警察官が近づいてきて、2~3メートルの至近距離から銃口を向けた。パーンという音とともに、催涙弾が飛んだ。弾はエリアシさんのすぐ近くに止まっていた車に当たり、煙が一帯に充満した。エリアシさんは涙とせきが止まらなくなった。

 頑丈そうなヘルメットをかぶった治安部隊員に、こう言われた。「カメラがお前の顔を記録した。こんど、お前の姿を見たら逮捕する」。「どんな容疑で?」と問うと、「容疑なんて関係ない。我々には権力がある。それを使うだけだ」と返ってきた。

 エリアシさんは心底、嫌な気分になった。体制にとって不都合なことがあれば、人々の言い分には耳を貸さず、力ずくで黙らせる。体制側の横暴さを感じたという。

 エリアシさんの話を聞いて、私は、今回のデモの特徴を思い返した。局地的ではあるが、激しい弾圧に立ち向かう形で続いている。ヒジャブをめぐる女性の問題にとどまらず、体制に対する人々の怒りや不満が垣間見える。

 長引く経済の不況で、国民の不満は限界に達している。年間のインフレ率は50%と高止まりしている。食料品や日用品は例外なく値上がりした。私がバザール(市場)で話を聞いた人たちは誰もが、肉や卵をはじめ、食卓に欠かせないパンさえも、購入を控えるようになったと嘆いていた。

 イラン統計局によると、9月時点の失業率は8.9%。とりわけ大卒の失業率は女性が23.2%で、男性の8.8%を大幅に上回った。

 こうした経済的な苦境は、米国のトランプ前政権が2018年に対イラン制裁を再発動したことが要因だ。だからこそ米国と交渉し、制裁を緩めさせる必要があるという考えもあった。

 ところが、昨年6月の大統領選では、対米関係の改善に前向きな候補は、事前の審査で「失格」となった。その結果、最高指導者ハメネイ師に近いライシ司法長官(当時)が、確実に当選するよう仕組まれた形となった。そして体制側の思惑どおり、ライシ師が大統領となった。

 この選挙戦では投票率が過去最低となったばかりか、「白票」の得票数は、当選したライシ師に次いで多かった。体制に対する国民の不満が示された。

 昨年4月には、イラン核合意の復活をめぐる交渉が始まっていた。合意が復活すれば、対イラン制裁は緩和される。だが、ライシ政権の要求を米側は「過大」と非難し、行き詰まっている。

 抗議集会に参加し続けるエリアシさんは言った。

 「私たちは街頭に出る以外に、政府や体制に声を伝える方法がありません。自由もなく、明るい将来も見えない。失うものがなくなったいま、命を懸けて変革を実現するしかないのです」

 集会の参加者はSNSを通じて、政治や社会の変革を求める声を上げるようになった。イラン国外のメディアや専門家は、今回の動きが現体制を倒し、新たな体制を打ち立てる「革命」につながるのかどうか、注目するようになった。

 英ロンドン大学東洋アフリカ学院のアーシン・アディーブモガッダム教授に意見を聞いた。教授はイラン人の両親を持ち、イランの革命や中東の民主化運動「アラブの春」に関する著作もある。

 いま、私の目の前で起きていることは革命に発展するのか。その問いに、「現段階では革命にはなり得ないです」と返ってきた。注目すべきは、抗議行動を引っ張るリーダーがいない点だ。「革命の成立には、そこへ向かう推進力を要する時がきます。その時に不可欠なのが、様々な勢力をひとつにまとめる指導者です。そうした人物はいま、見当たりません」

 体制側もそれを知っており、手荒な弾圧を繰り返すのだろう。ただし、教授はこうも言った。

 「それでも、これだけの民衆の怒りがイラン国内外で表に出た例は過去にない。ただでさえ人気を失い、ぼろぼろになった現体制の基盤を、さらに弱めていることは確かです」

 ハメネイ師やライシ大統領は、抗議の動きを「暴動」として非難している。そして、治安部隊は、デモに参加する若者や女性たちに銃を向けて黙らせる。そうやって体制は維持されているが、人々は新たな怒りを増幅させている。

 デモのリーダーがいないということは、人々の抗議行動は、自発的ということになる。私にはなおさら、デモがすぐに収束するとは思えない。


飯島健太(テヘラン支局) 1984年生まれ。2007年に入社し、大阪社会部で事件を取材。17~18年に英国で国際政治学を学び、20年4月から現職。変革を求める女性たちに新たな時代の勢いを感じる一方、デモ警戒中の治安部隊が街中で見せつけた銃器に身がすくんだ

「愉しきかな人生」(1944年)

成瀬巳喜男監督、1944年公開。




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「風の又三郎」(1940年)

島耕二監督、日活多摩川作品。


「業界一強」電通に300億円超の報酬か 質問を怒声で封じた元理事(朝日新聞有料記事より)

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  「皆がコスト削減で必死に努力しているなか、電通にこんなに手数料を払うのはおかしい。計算式をぜひ見直してほしい」

 2018年6月の東京五輪・パラリンピック大会組織委員会の理事会。ある理事が、スポンサー収入に対して広告最大手「電通」が多額の業務報酬を得る仕組みを疑問視し、質問した。

 すると、電通OBの理事だった高橋治之被告(78)が怒鳴り声をあげた。

 「電通は人も出して、赤字覚悟でやってんだよ!」

 電通から出向中の組織委マーケティング局長を名指しし、「ちゃんと答えろよ!」とも促した。局長はうつむいたまま無言だった。

 組織委は14年、国内のスポンサー集めを担う「専任代理店」に電通を指名した。電通は指名を勝ち取ったコンペで、スポンサーを集める前に電通が組織委に先払いする「ミニマムギャランティー」(最低保証)として、1800億円もの高額を示していた。

 一方、組織委が電通に支払う報酬は、スポンサーからの協賛金に比例して増える契約となり、1800億円までは協賛金の数%、2千億円を超えると12%になった。報酬には、選定したスポンサーが五輪の商標などを使用するサポート業務への対価も含まれていたという。

 電通の通常業務の手数料相場は15%とされ、ある電通社員は「五輪が突出して高い手数料というわけではない」と語る。ただ、五輪の国内スポンサー収入は最終的に3761億円に上り、電通は1割弱の300億円超を得たとみられる。

 しかし、スポンサー契約の実態は民間契約を理由に開示されない。宅建業法で土地売買の手数料の上限が決められている不動産業界などとは対照的だ。

 五輪や電通に関する著書がある作家の本間龍さんは「業界一強の電通が全てを仕切ったこと」が問題の背景にあるとし、「複数社でやれば電通と他社で相互監視が働くが、それがなかった。契約の可視化は電通にとってプラスにならず、行われなかった」と語る。

形骸化した「みなし公務員」規定

 電通で「スポーツビジネスの第一人者」の地位を築いた高橋元理事は、11年に退職すると自身のコンサルタント会社を設立。電通時代と同じように仲介業を展開した。

 そんな高橋元理事が逮捕された根拠は、五輪ならではの規定だった。税金をつぎ込む五輪は公共性が高いため、組織委の理事は特別措置法で「みなし公務員」と定められた。民間人ではなく公務員に準じる立場になり、職務に関する金品の受け取りは禁じられた。

 「(高橋元理事は)普段のビジネスをそのままやっただけで、悪いことをした意識は薄いと思う」。検察幹部はそのうえでこう言う。「民間なら問題はないが、みなし公務員だった」

 東京五輪に限らず、ラグビーW杯日本大会(19年)や大阪・関西万博(25年)でも、運営側の理事らはみなし公務員になっている。

 高橋元理事は、ラグビーW杯と東京五輪のセットでスポンサーになるよう企業側に売り込んだことがあり、東京地検特捜部はセット販売の実態も調べた。しかし、高橋元理事はラグビーの組織委には名を連ねておらず、事件になったのはあくまで五輪だけだった。

 ただ、これは高橋元理事に限った問題ではない。東京五輪の複数の理事経験者は、みなし公務員にあたることを「全く理解していなかった」と取材に答えた。事件で贈賄側となった複数の企業の幹部も「高橋さんがみなし公務員だとは知らなかった」と供述した。

 民間と公共が交わる事業の公正さを確保する規定は形骸化していた。

企業が欲しがった名誉

 企業側のコンプライアンス意識の低さが高橋元理事のビジネスを成立させた面も大きい。

 いずれもトップが逮捕された出版大手「KADOKAWA」や広告大手「ADKホールディングス」では、社内で賄賂にあたる可能性が指摘されても、重視されることはなかった。

 一方、出版大手「講談社」は元理事から、KADOKAWAとセットでのスポンサー就任と手数料の支払いを持ちかけられたが、断った。講談社の関係者は「週刊誌という媒体を持つ嗅覚(きゅうかく)の差が判断を分けたのでは」と振り返る。

 贈賄企業はなぜそこまでして五輪に執着したのか。

 スポンサーの中で事件になった紳士服大手「AOKIホールディングス」とKADOKAWAは、「ティア3」と呼ばれる最下位ランクのスポンサーだった。

 より上位のスポンサーだった企業の関係者は、電通ががっちり握っていた上位と違い、「ティア3だから、高橋さんが介在する余地がよりあった」と語る。

 さらに、ティア3だった別の企業の幹部は、五輪事業で利益は出ないとしながら、「お国に協力した名誉みたいなもの」が欲しかったと打ち明けた。

 東京五輪という国家プロジェクトに参画することが、一流企業の証しであり、社会的信用につながる――。そうした考えがコンプラ意識の欠如と結びつき、贈賄企業を高橋元理事の元に向かわせた。

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