香港郊野遊行・續集

香港のハイキングコース、街歩きのメモです。

2022年12月

今朝の東京新聞から。

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ボーイングは危機から教訓を得たのか 米紙敏腕記者もいぶかる現実(朝日新聞有料記事より)

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 買ったばかりの新車を時速100キロで走らせていたら、自動運転システムが突然起動し、車体をレーンの外に向かわせようとする。ハンドルで必死に車を戻そうとしても、その装置は何度も起動する。ついには時速180キロで壁面に突っ込み、車は大破――。
 もし、こんな死亡事故が起きたら一大事だろう。それが同じ車種で2回続けて起きたとしたら。欠陥車を売ったメーカーの信頼は地に落ち、しばらく立ち直れまい。

 ほぼ同じことが百数十人を乗せた航空機で、それも新造機で現実に起きた。
米ボーイングの小型機「737MAX」の連続墜落事故だ。2018年10月にインドネシアで、19年3月にエチオピアで墜落し、計346人の命を奪った。
 新型コロナ危機も相まって、ボーイングの経営は瀬戸際まで追い詰められた。昨年まで米ニューヨークに駐在していた私は、ボーイングの危機が米国型資本主義の行き詰まりを象徴していると感じ、当事者らに取材を重ねてきた。

 ぜひ、会って話したい人がいた。米紙シアトル・タイムズのドミニク・ゲイツさん。737MAX事故の報道で同僚とともに20年のピュリツァー賞を受賞した、敏腕の航空宇宙記者である。

 水際対策が緩んだこの秋、遅い夏休みを取って米西海岸シアトルに飛んだ。試練を教訓に、ボーイングは健全な企業に生まれ変われるのか。20年近くボーイングを見つめてきたゲイツさんとの対話を手がかりに、それを考えたかった。

 米産業界の巨人が引き起こした惨事は、世界に衝撃を与えた。米ネットフリックスがドキュメンタリー映画「地に落ちた信頼 ボーイング737MAX墜落事故」を2月に配信したのに続き、米アマゾンのプライム・ビデオも、この事故を題材にした「フライトリスク 墜落事故の真相」を9月に公開した。
 株価至上主義に染まった企業文化。行きすぎたコスト削減。製造現場の軽視。規制当局との癒着。そうした土壌の上に危うい航空機が産み落とされたことを、私は1月の連載「強欲の代償 ボーイング危機を追う」で報告していた。

 米国発の二つの配信動画も、登場人物や描き方はそれぞれ異なれど、問題意識は通底するものがあった。

 ボーイングの内情に迫る調査報道を続けてきたゲイツさんは、「フライトリスク」の主人公の一人だった。動画を見て、私は思わず声を上げて驚いた。ゲイツさんが、航空当局者とみられる人物と立体駐車場でひそかに待ち合わせ、車内で取材をする映像まで収められていたからだ。

 後ろ姿などの撮影で、声も加工され、「ネタ元」が特定されないよう工夫はされている。ただ、体形はおぼろげにみてとれるし、万が一ということもある。よく撮影に応じたものだと、勝手に冷や冷やした。

 ゲイツさんを自宅に訪ねると、撮影場所にもなった仕事部屋に案内してくれた。同業者として「ネタ元」の話になった。

 「このままボーイングの言いなりになっては、安全が損なわれると危ぶむ人が当局にいた。ボーイングにも、安全を犠牲にコスト削減を強いられるのが耐えられないという人がいる。僕が内部で何が起きているのか把握できるのは、彼らのおかげなんだ」
 ゲイツさんを知ったのは、2機目の事故からわずか6日後に出た記事だった。米連邦航空局(FAA)が737MAXに安全性のお墨付きを与える「認証」のプロセスを検証していた。FAAが審査の責任と権限をボーイングに丸投げし、事故を招いた飛行システムの危険性が見逃された実態を暴いていた。

 ゲイツさんがこの記事の詳しい事実関係についてボーイングとFAAに通告し、見解をただしたのは、エチオピアで2機目の737MAXが墜落する数日前だったという。

 ニュースソースの広さと深さ。航空産業を知り尽くしているからこその、見立ての鋭さ。一読して「この記者はただ者ではない」と直感した。以来、彼の書くものは見逃さないようにし、記事でもよく引用した。

 事故後にボーイングの最高経営責任者(CEO)に就いたデービッド・カルフーン氏は「安全文化を強め、透明性を高め、顧客や規制当局、サプライヤー、乗客の信頼を取り戻す」と誓った。

 しかし、今年は心もとない動きが相次いだ。例えば、中西部シカゴにあった本社を、首都ワシントン近郊に移すという5月の発表だ。主要工場がある創業の地シアトルから、特別なゆかりもない金融都市シカゴに唐突に本社を移したのが01年。それは、メーカーの根幹のはずのものづくりの現場を軽んじ、株主のために利益をひねり出す「金融マシン」へと変質していく転機だった。

 一連の危機を教訓に原点シアトルに戻るどころか、むしろ東海岸へ遠ざかるという選択に、私は唖然とした。

 ペンタゴン(米国防総省)との関係を深めて防衛部門の受注につなげたい意図があると、ゲイツさんはみる。

 「民間機メーカーとしての自信を回復するためにも、シアトルに戻るべきだった。会社は現場を気にかけていない、自分に価値なんてないんだと落ち込んだ士気を、改めて鼓舞する象徴的な機会にできたのに。経営陣に物事が見えていない証しの一つだ」
 今月6日、「ジャンボジェット」ことボーイング747の最終生産機が、組み立てを終えてシアトル近郊の工場から姿を現した。誕生から半世紀、空の大量輸送時代を切り開いた名機だった。

 いま、ボーイングの旅客機の主な品ぞろえは小型機「737」と中型機「787」、大型機「777」の3機種の派生型だけになっている。

 737と787の間を埋めるサイズで、いずれ「797」になるとみられる新中型機の開発も、ボーイングでは検討されてきた。だが、それも幻で終わるのかもしれない。

 カルフーン氏は11月、「帽子からウサギを取り出すのは30年代半ばになる」と投資家に語った。白紙から設計する新型機は、あと十数年は出すつもりがないとの宣言だ。
 3機種では最も新しい787の最初の1機が、全日本空輸(ANA)に引き渡されたのは11年。それから四半世紀もの間、ボーイングは全くの新型機をつくらないことになる。

 737MAX事故の遠因は、コストと時間のかかる新型機の開発を避け、旧型機の改造でお茶を濁したことにあった。新型機をゼロから構想し、量産にこぎ着ける経験と知識が、組織の現場から失われることがないのか気になる。

 ボーイングの浮沈は、米国の経済や国防にかかわるだけでない。ANA、日本航空と大口顧客を抱え、主要部品を納入するサプライヤーが多い日本にとっても「我がこと」となる。

 「優秀なメカニックやエンジニアは、そこに確かにいる。しかし、経営は彼らの誇りをむしろ必死に破壊してきた。まずは、それを取り戻すところからだ」とゲイツさんは言った。それには現経営陣の入れ替えが必要だ、とも。

 「ボーイングは復活してほしいし、復活しなければならない。シアトルのため、米国のために。そして、日本のためにもね」

 成田・関西の両空港へは今年、アジアの計四つの航空会社が737MAXの乗り入れを再開した。連続事故でいったん運航を禁じられた737MAXが日本の空を飛ぶのは、ほぼ3年ぶり。日系ではANAとスカイマークも737MAXの導入を決めた。

 ゲイツさんと今後も連絡を取り合う約束をして、ボーイング機で帰国した。成田空港のロビーを行き交う人々の表情からは、空の旅ならではの高揚感がうかがえた。命を運ぶ産業が負っている責任の、果てしない重さを思った。
(経済部次長 江渕宗)

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カニエ・ウェストが映す米国社会 右傾化した「セレブ」が示す矛盾(朝日新聞有料記事より)

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  米国の人気ラッパー、カニエ・ウェスト氏(現在は「イェ」に改名)。グラミー賞を何度も受賞し、ファッションアイコンとしても注目を集めてきましたが、近年は別の方面で話題を呼んでいます。2016年の米大統領選後、ライブ中に突然、トランプ氏への支持を表明。熱狂的支持者として、トランプ氏のスローガンである「Make America Great Again(米国を再び偉大に)」の頭文字「MAGA」をあしらったキャップをかぶって登場したかと思えば、最近は反ユダヤ主義の差別的な発言を繰り返して批判を浴びています。

 キリスト教とポップカルチャーの関わりについて研究する関西学院大神学部の柳澤田実・准教授は、カニエ・ウェスト氏を「米国社会を映し出す存在」だと言います。どういうことなのでしょうか。

 ――カニエ・ウェスト氏はどんな人物なのでしょうか?

 00年代初頭から、ラッパーや音楽プロデューサー、作詞家などのほか、ファッションデザイナーとしても活動しています。

 ヒップホップの中でも非常にエモーショナルで、内省的な内容もラップにしていく、そういう流れをつくった第一人者の一人です。芸術的な側面が強く、ファッション業界でも高い評価を受けています。

 一方で、いわゆるビリオネア(最富裕層)で巨額の資産を持っており、彼の音楽を聴かない人でも「お騒がせセレブ」として、彼の動向をニュースで知っている人も多いかと思います。

 ――政治的な発言が増えたのはいつごろからでしょうか?

 政治に関連する発言や振る舞いが注目されるようになったのは、18年からだと思います。「MAGA」キャップをかぶった写真をインスタグラムに投稿して炎上したり、実際にトランプ氏にホワイトハウスに招待されたり。

 米国社会で右派と左派による二極化が深まっていくなか、白人至上主義者のような発言をしたり、最近では反ユダヤ主義的な発言をSNSなどで繰り返したりするようにもなりました。

 ――そうした変化が起きたのはなぜでしょうか?

 カニエはあるインタビューで「アーティストは世界を映す湖だ」と言っています。本当にその通りで、彼の行動は米国社会をそのまま映し出していると思います。

 もともとカニエは、いかに黒人が社会で不平等を被っているかをラップするなど、いわゆる「リベラル派」を励ますような創作活動をしていました。05年には当時のブッシュ大統領に対して、黒人や貧困層への関心が薄いと批判したことで有名ですし、トランプ氏が出馬した16年の大統領選では、投票をしなかったとも言っています。それが突然、保守派を支持する言動をするようになったので、その変化に音楽業界にとどまらず多くの人が当惑しました。

 理由としてまず考えられるのは、彼が携わる音楽やファッションの業界で、白人がマジョリティーを占め、黒人アーティストの契約や待遇が「平等」からほど遠い状況にあることへの怒りがあるのでしょう。

 加えて政治に関して言えば、たとえば民主党は、有色人種などの「マイノリティーを支援する」とアピールするものの、それは票集めのためにすぎず、白人のリベラル派は結局、本当の意味での社会平等のために戦っていないように感じていたようです。

 高い地位に上り詰め、いくらお金を稼げるようになっても、アフリカ系アメリカ人の自分は本当の意味での「平等」を獲得できないことに気づいてしまった。

 リベラルであっても結局は白人中心という欺瞞(ぎまん)に満ちた社会を、彼は非常に鋭く見抜き、違和感を表明し始めたのだと思います。彼が変化していった時期は、黒人に対する暴力や差別への抗議運動「ブラック・ライブズ・マター(BLM)」が広がった時期とも重なります。

 ――非常に保守的な政治志向の強い「キリスト教福音派」に傾倒していることでも知られています。

 福音派というと、「右派」でトランプ前大統領の支持者というイメージが強いと思うのですが、彼らは理性より感情を重んじる情熱的で信心深いキリスト教徒です。

 欧米社会が世俗化する21世紀にあって、例外的に信者数を増やし続けているキリスト教の宗派でもあり、たとえばサッカーブラジル代表のネイマール選手や歌手のジャスティン・ビーバーさんも福音派だと言われています。

 極右のように言われることもある福音派ですが、実は、米国ではもともとリベラル派に広まった宗派でした。1960年代の「ヒッピームーブメント」とキリスト教が合体し、反戦運動に関わっていたような極めてリベラルな白人中産階級の中で広がっていったのです。彼らは当時、「ヒッピークリスチャン」と呼ばれました。

 それが右傾化した理由の一つに、シリコンバレーのIT企業など巨額の富を稼ぐようになったリベラル派に対して、エスタブリッシュメント(既得権益を持つ支配層)になれなかった中産階級の人たちが、不満や敵意を募らせたということが挙げられます。

 また、福音派が共和党を支持する理由は、富の再分配をして貧しい人たちを救おうという民主党の政策は、宗教的な文脈からみると、「罪人から救われるための道を奪い、堕落させる」ものになるからです。罪人は自ら神と向き合って、罪から救われなければならないと彼らは考えます。

 つまり興味深くも厄介なのは、彼らの右傾化は彼らなりの道徳的な正しさを追求した結果なのです。カニエ自身が福音派にひかれた理由にも「道徳的な純潔主義」があると思います。

 ――道徳的な純潔主義ですか。

 カニエはポルノ依存症だと告白するなど、自分の罪深さを非常に強く認識しているからこそ、福音派の純粋思考にひかれているのだと思います。

 また、19年のインタビューでは、「これまで自分にとって神がカルチャーだったが、結局そのカルチャーもまた、不平等な業界や社会構造に支配されている限り、自分は自由になることはできない。カルチャーを超えた絶対的な『神』を求めることでしか、本当の意味での自由は獲得できない」という趣旨の発言をしていました。

 リベラルの欺瞞を批判しようとして右派に近づき、また何ものにも隷属しない個人の自由、道徳的な純粋さを求めるために福音派にひかれるカニエは、結果として今の米国社会で「極右」と言われる様々な集団に足を突っ込んでいるような状況になっているのです。

 そして、この「自由」や「道徳的な純潔」自体、米国人が建国以来重視している価値にほかなりません。

 ――ちょうど「イェ」と名乗り始めた時期と、こうした「変化」した時期が重なりますね。

 カニエが「イェ」をステージネームとして使い始めたのは確かに18年で、アルバム「Ye(イェ)」をリリースしたときでした。カニエによると、これは本名の「カニエ」を短縮したものであるのと同時に、聖書に頻繁に出てくる「汝(なんじ)」「汝ら」という宗教的な意味を含意しています。

 当時、出演したラジオ番組で、いみじくも彼は「(この名前は)私たちの良いところ、悪いところ、混乱しているところ、すべてを映し出している」と語っていました。

 ――最近、唱えている反ユダヤ主義は「ユダヤ人が社会を牛耳っている」との陰謀論でもあります。

 福音派の右傾化と同様、陰謀論は、中産階級であと一歩上位の階級に上がれない、鬱屈(うっくつ)した気持ちを抱えている人たちに多く見られます。昨年1月の連邦議会議事堂襲撃事件に参加した人たちも、同様の社会的属性を持つと言われています。

 陰謀論者に顕著な特徴として、被害者意識を抱えているということがありますが、カニエにもその傾向が強いと思います。自分の苦しみの原因は特定の誰か、特定の集団のせいだという発想です。自分自身を犠牲者に見立て、正当化するためにこうした「陰謀論」に陥るわけですが、そもそも経済的に困窮しているわけではない階層に、被害者意識を抱えた人たちが増えていること自体が問題なのだと思います。

 一方で、米誌「アトランティック」のライターで、ユダヤ系アメリカ人として反ユダヤ主義について多くの記事を執筆してきたヤイール・ローゼンバーグ氏は「彼が社会から否定されればされるほど、『ユダヤ人が社会を牛耳っている』という陰謀論を強化することにしかならず、これはユダヤ人にとって悲劇的な闘いだ」と言っています。

 ――それはどういう意味でしょうか?

 カニエの問題行動は、反ユダヤ主義という西欧社会に根深い陰謀論を顕在化させたもので、彼をたたいても解決にならないというのがローゼンバーグ氏の主張です。「社会派ラッパー」と言われるケンドリック・ラマー氏が、「カニエは自分自身でもある」と楽曲の中で表現しているのも同様の文脈で理解できます。

 右傾化した陰謀論者のカニエと社会派のケンドリックのメッセージは一見、大きく違って見えるけれど、どちらも社会の中で構造的な不平等という同じ課題に向き合っているという認識だと思います。

 アフリカ系のカニエは、白人が主導している「文化戦争」の中で葛藤し、戦っています。露悪的に白人至上主義者と組むのは最適な戦い方とは言えないですし、到底許されない発言があるのも事実です。しかし、一方で、彼の言動全般は、一元的な尺度によっては裁けないことだとも思うのです。

 カニエが体現しているのは、米国社会の構造的な問題、矛盾そのものです。また、彼はアーティストなので、社会の問題の多層性、複雑さをアートとして見せる人物であることも忘れてはならないと思います。

 カニエに限らず何かを全否定する前に、尺度を一元化せずに理解する努力をすることは、より解像度高く、社会で起こっていることを理解する助けになると思います。

 多様性の実現を目指し、また実際に社会的地位や価値観も変化している今、私たちは様々なことを知り、考える努力が求められる時代を生きています。しかし、それには大きな認知的なコストがかかるのも事実で、反動的に感情的になったり、陰謀論や善悪二元論のような単純なストーリーを求めてしまったりすることもある。

 SNSがそれを加速させるでしょう。

 ――カニエ・ウェスト氏の言動は批判の対象になっていますが、感情的に全否定することもまた、分断を深めているということですね。

 私たちが感情にフォーカスした、特に個人の感情を重視した時代に生きていることは、心理学、社会学、人類学など様々な分野の研究によって指摘されています。

 福音派に代表されるような60年代以降の宗教回帰や、左派にも支持されているセルフケア・ブームもその流れでとらえられますし、学問自体も90年代から感情的な側面に注目する傾向が強いです。

 そして言うまでもなく21世紀になると、SNSが人々の感情偏重に拍車をかけた。感情はもちろん大事なのですが、そろそろ感情を重視すること自体への反省が生まれてもいい時期かもしれません。

 政治が専門の方とは見方が異なるかもしれないのですが、11月の米国の中間選挙で共和党、特にトランプ派の票がいま一つ伸びなかったのは、共和党支持者の中に、感情的にあおられることへの忌避が表れた結果ではないかと期待しています。

 これまた福音派出身の著名投資家ピーター・ティール氏をはじめとするトランプ派は「20年の大統領選の結果は虚偽だった」と言えば支持者がついてくるだろう、くらいの考えでキャンペーンをしたように見えますが、あまり成功しませんでした。「いい加減、そういうあおるやり方はやめようよ」という考え方が、保守派の中にも出てきているとしたら、希望が持てることだと思います。「世界を映す湖」であるカニエも今後また、変わるのかもしれないですね。

 感情的な対立や分断については、日本も他人事ではないと思います。

 私たちがそもそも個人の感情にフォーカスした時代に生きていることを自覚して、誰かの言動について感情的に支持するかしないかを即座に判断をするのではなく、なぜそのような言動をするのか理解するように心がけたいものです。完全に賛同できなくても、何か共通の地平が見つかることもあると思います。理想論だとは思いますが、気に入らない誰かを叩き潰そうとするよりも、ずっと生産的ですし、深まる社会の分断を解決するには、やはりそれしかないのではないかと感じています。
(聞き手・牛尾梓)

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「殺人捜査線」ドン・シーゲル

1月から墨田のミニシアターで始まるシーゲル特集にも並んでいるけれど、五十席程度で120インチくらいのスクリーンで1500円というのは実にどうも・・・・。


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