
「平和」は誰もが希求する。まして戦乱の地であれば、その思いはひときわ強いに違いない。
しかし、昨年11月にウクライナで実施された世論調査を見ると、ロシア軍による占領が続く状態での停戦を求めた人は、わずか1%だった。停戦の条件として、93%が「クリミア半島を含むウクライナ全土からのロシア軍撤退」を挙げた。多くの人々は、即座に平和を得るよりも、戦う道を選ぶ。つまり「平和」とは異なる価値を重視しているのである。
「ウクライナの人々が求めているのは『正義』である」
国際刑事裁判所(ICC、オランダ・ハーグ)のカリム・カーン主任検察官(52)は現状をこう読み解いた。ロシア軍による虐殺が起きた首都キーウ近郊のブチャなどを訪ねての結論として17日にミュンヘン安全保障会議の席で語った。
筆者が現地で得た感触も、カーン氏の見方と一致する。なぜ攻撃されるのか。あまりに理不尽ではないか。このような市民の怒りが、生命を賭しても「正義」を望む意識に結びついている。
この冬、ウクライナで何人かの法律家と語り合う機会があった。
キーウの弁護士ユーリ・ビルースさん(34)は、法律コメンテーターとしてテレビに頻繁に出演する有名人だ。その仕事の傍ら、ロシア軍が占領期に手を染めた戦争犯罪行為に対する訴追活動を、ボランティアで続けている。
ロシア軍の侵攻から間もない3月4日以降、被害に遭った人や遺族のもとを1軒ずつ訪ね、体験談に耳を傾ける。
キーウ近郊の農村に暮らす老人は、ロシア軍によってロシアに連行されて暴行を受け、捕虜交換で帰国した。ビルースさんは村を何度も訪ね、証言をするよう老人に促したという。戦闘が続く東部から車で避難しようとした20歳の青年は、ロシア軍の検問所で監禁され、兵士から性的暴行を受けた体験を、避難先からオンラインを通じて語った。
「話しやすい雰囲気をつくろうと、隣に腰かけ、時には一緒に涙を流すこともあります。時が経つにつれ記憶は薄れるので、停戦を待ってはいられません」
今回の侵攻を重く見るICCは、責任者訴追に向けた被害者の証言を募っている。ビルースさんは昨年末までに、約70人分の資料や証言録画を提出した。ICCには被害者救済制度が設けられており、損害賠償への道も開けるという。
中西部の都市ジトーミルの弁護士オレクシー・ヤシュネツキーさん(44)も、約50件の証言をICCに送った。ロシア軍に占領されたブチャから車で避難する際、銃撃で妻子2人を失った男性の体験などが含まれる。「一人ひとりの例を法廷で記録に残すことで、次の世代への教訓としたい」と語る。
ヤシュネツキーさんは各国の法律家と連携し、欧州人権裁判所(仏ストラスブール)への提訴も進めている。これに協力するサンマリノの弁護士アキーレ・カンパーニャさん(43)は「支援のネットワークが広がりつつある」と言う。
こうした動きに、ロシアが協力する兆しは見られない。違法行為にかかわった兵士らも、ロシアに逃げ戻れば捜査の手が及ばない。「だから結局、無駄ではないか」との疑問を口にする人もいる。
ただ、長期的には様々な可能性があると、弁護士らは言う。ロシアの体制がいずれ変わるかもしれない。対ロ制裁を巡る駆け引きから、ロシア側が譲歩することも考えられる。責任者がウクライナで捕虜となる確率もゼロではない。何より、失われた「正義」を取り戻そうと努めることは、被害者や遺族にとって大きな励みとなるだろう。
「正義」の実現を願う声は、パワーがモノを言う国際社会の現実の前に、しばしばかき消されてきた。一方で、今回の戦争では市民の思いが世界の世論に共有され、欧米では政府に行動を促す力ともなっている。
「正義」は確かに、建前にとどまりがちだ。ただ、建前が少しでも通用する世の中を実現できないか。切に願う。
(編集委員・欧州駐在)