
ロシアの侵攻に対し、占領された領土を奪還すべく、ウクライナは戦っている。ただ、その先に待っている「勝利」とは何か。ウクライナ出身の政治学者カテリーナ・ピシコバさん(46)はあえて疑問を投げかける。その真意を聞いた。
――この戦争に勝つのはウクライナか、ロシアかが、語られます。しかし、あなたが最近発表した論考で、「これは勝者なき戦争だ」と指摘しました。なぜでしょうか。
もしこれがチェスのようなゲームなら、勝ち負けを争えるでしょう。部隊を配置し、戦略を組み立て、そして勝つ。でも、今起きているのは、ゲームではありません。人間が招いた悲劇であり、危機なのです。ゲームより、むしろ災害になぞらえるべきです。
――勝利を目指すウクライナ国民の意識にも問題がありますか。
そうではありません。この戦争は、これまでに例のない侵略戦争であり、ウクライナ側の戦いには、国家の存亡がかかっている。だからこそ、勝利に向けた人々の決意は固いし、戦い続けることによる損得を計算する余裕も持ち合わせません。今は、国旗の下に結集する時期です。
問題は、戦いに伴う損失が長期的に膨大であり、ウクライナ市民の重荷となることです。これほどの犠牲者を出すことを正当化する理由を見いだせるか、次の世代に何を引き継げるか、国家はどのような形で存続できるのか、このあとウクライナは繁栄するのか。こうした疑問に答える処方箋はありません。
――人命に関して言うと、ロシア側も大きな損失を被っているように見えます。
ロシアとウクライナとでは、事情が全く異なります。ウクライナの政治制度は、決して堅固だとは言えないものの、民主的、合理的で、市民に開かれています。政治指導者の行動は制限され、平時の場合それはいい面が多い。ただ、戦争の時には難しい。指導者の方針が国民の支持によって正当化されなければならないからです。ロシアの指導者は、そんな手続きを踏む必要がありません。
――戦争の行方をどう見ますか。
戦争の決着が戦場でつく例は、実はほとんどありません。歴史をさかのぼると、片方がもう片方を軍事的に打ちのめすのは、ごくまれです。特にこの戦争でそのような展開になるとも思えない。遅かれ早かれ、軍事的ではなく、他の多くの戦争と同様に政治的に決着がつくでしょう。
政治的決着とは、双方がある種の妥協をすることです。どちらも完全な成功を収められないから。ロシアは2~3週間で勝利を収める完全成功例を思い描いていましたが、そうはならなかった。
完全な成功を諦める場合、限られたものを得て、交渉の席に座るしかない。今回の問題は、どちらもその席に座るつもりがないことです。どちらもまだ、もっと得られるものを得て、優位に立ったうえで交渉に入ろうと考える。ただ、そのうちに行き詰まり、どちらもこれ以上は得られないというところに至るはずです。
――膠着状態ですか。
ただ、軍事力のバランスは、均等ではありません。ロシアはウクライナに比べ、ずっと大きな軍事力と人口を持ち、動員するにもその理由を説明する必要がない。ウクライナにも動員力はあるが、人権や倫理に配慮しなければならない。(ロシアのように)人を使い捨てたら政府は持ちません。
今回の戦場はウクライナであって、ロシアではありません。多くの人がロシア経済への制裁の影響を調査していますが、その間にウクライナ経済は大打撃を受けています。民間人の犠牲も大きい。長期的に見ると、この戦争はやはりロシアよりウクライナに被害を与えるのです。ロシアはそれを見越して戦略を立てている。戦争の前線とは無関係の後背地にあるインフラを破壊し、ウクライナ全土から安全な場所をなくそうとしています。
交渉の時が訪れるまで、このような状態にどこまで持ちこたえられるか。その日がこの夏までに来るとは思えない。双方が状況打開を目指して軍事的なてこ入れを続けた後、手詰まりとなるか。そうなれば、政治的解決策が動き出します。
――そこまでには何年もかかりそうです。
事態が急転するかもしれないし、スローモーションで進むかも知れません。誰も予想できないのは、戦争が長引くほど、両国とも既存の同盟国以外に連携する国を広げようとするからです。ロシアがイランと緊密な関係を結ぶようになったのは、その一例です。
ただ、いざ和平交渉となった場合にロシアを信用できるのか、という問題は残ります。時間稼ぎをして、再び侵攻するのではないか。その対策として、ウクライナの主権と独立を守るメカニズムを構築しなければならない。欧米は一丸となってこの試みを支援すると思います。
――ロシアはこれからどうなりますか。
現在のロシアの体制は、スターリン時代に極めて似ています。戦争を遂行する全体主義体制です。欧米ができることは限られますが、ロシア国内にも今回の戦争に反対する人々や、プーチン政権に批判的なジャーナリストはいます。数は少なくても、こうした人々と接触を保ち、支援し、認識を共有することが大切です。権威主義体制が一夜にして確立されたわけではないにもかかわらず、ロシア国内政治に欧米の関心が行き届かなかったことは、反省すべきです。この失敗を繰り返してはなりません。
権威主義体制は国内の緊張や政治紛争に対して、フェイクニュースをばらまきながら弾圧する以外の手法を知りません。柔軟性に欠けるため、緊張を緩和させるすべを持ち得ないのです。逆に言うと、非常に安定しているように見えて、ある日突然、クーデターや権力奪取劇のような何かが起き、ドミノ現象となって全てが崩壊する。多くの権威主義体制は、このような道をたどります。
――ウクライナはどうでしょうか。ロシア軍を領土から追い出すまで戦うとゼレンスキー大統領は表明し、市民も支持しています。
勝利に関して、国家の指導者が最大限の主張を繰り広げると、わなに陥ります。大規模侵攻を掲げたものの途中で撤回し、ウクライナ東部ドンバスでの小さな領土争いに移ったプーチン大統領はその例ですが、ゼレンスキー大統領も、独立時の領土を全て取り返すと主張することで、同じわなに落ちかねません。
もちろんそれは、人々に希望を与えようとしての言動なのですが、まるでタイムマシンに乗って過去に戻ること、ロシアを恐れる必要のなかったころを取り戻すことを、人々は思い浮かべてしまいます。
――大統領が取り組むべきことは。
戦争という緊急時にあって、政治プロセスの多元性をいかに失わず、いかに透明性を保てるかに、政治指導者の今後もかかっています。もしそれが十分できていると市民が納得し、政治と社会が結びついていると信じるなら、理想とは多少異なる政治的解決策を取らざるを得なくても、大きな批判には結びつかないでしょう。
民主的な社会で、不満が出るのは当然です。解決策に不満を抱く人も、その決定過程に自らが参加したという意識を抱けば、問題は長引きません。その人も、国の将来をつくる営みに加わるはずです。そうすれば、国内の過激なグループが力を持つこともなく、戦争から平和への移行がスムーズに進むに違いありません。
それこそが、ウクライナにとっての「勝利」なのです。「あの領土を取った」「あそこも取った」だけではない。勝利とは、民主主義を戦争から守り、将来に結びつけるものでなければなりません。政府と市民に国際社会や市民団体も加わって、ダイナミックな動きをつくってこそ、真の勝利なのだと思います。
――あなたはウクライナ人ですが、極めて冷静に事態を分析しているように見えます。
私は東部ハルキウの出身で、今も現地にいる父の身を案じています。父は侵攻初期、暮らしていたマンションが攻撃で破壊されたため、移転を余儀なくされました。ハルキウには親戚や友人もたくさんいます。今日は研究者として質問に答えましたが、戦争をどう思うかと尋ねられていたら、また違った答えになったでしょう。
Kateryna Pishchikova イタリア国際政治研究所準研究員(ロシア・コーカサス、中央アジア担当)、イタリア電子キャンパス大学准教授。専門は政治学、国際関係論。ウクライナ・ハルキウ出身。アムステルダム大学で博士号を取得し、米コーネル大学客員研究員などを務めた。(ロンドン=国末憲人)