香港郊野遊行・續集

香港のハイキングコース、街歩きのメモです。

2023年03月

犠牲者と経済打撃 「勝者なき戦争」でのウクライナの「勝利」とは(朝日新聞有料記事より)

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 ロシアの侵攻に対し、占領された領土を奪還すべく、ウクライナは戦っている。ただ、その先に待っている「勝利」とは何か。ウクライナ出身の政治学者カテリーナ・ピシコバさん(46)はあえて疑問を投げかける。その真意を聞いた。

 ――この戦争に勝つのはウクライナか、ロシアかが、語られます。しかし、あなたが最近発表した論考で、「これは勝者なき戦争だ」と指摘しました。なぜでしょうか。

 もしこれがチェスのようなゲームなら、勝ち負けを争えるでしょう。部隊を配置し、戦略を組み立て、そして勝つ。でも、今起きているのは、ゲームではありません。人間が招いた悲劇であり、危機なのです。ゲームより、むしろ災害になぞらえるべきです。

 ――勝利を目指すウクライナ国民の意識にも問題がありますか。

 そうではありません。この戦争は、これまでに例のない侵略戦争であり、ウクライナ側の戦いには、国家の存亡がかかっている。だからこそ、勝利に向けた人々の決意は固いし、戦い続けることによる損得を計算する余裕も持ち合わせません。今は、国旗の下に結集する時期です。

 問題は、戦いに伴う損失が長期的に膨大であり、ウクライナ市民の重荷となることです。これほどの犠牲者を出すことを正当化する理由を見いだせるか、次の世代に何を引き継げるか、国家はどのような形で存続できるのか、このあとウクライナは繁栄するのか。こうした疑問に答える処方箋はありません。

 ――人命に関して言うと、ロシア側も大きな損失を被っているように見えます。

 ロシアとウクライナとでは、事情が全く異なります。ウクライナの政治制度は、決して堅固だとは言えないものの、民主的、合理的で、市民に開かれています。政治指導者の行動は制限され、平時の場合それはいい面が多い。ただ、戦争の時には難しい。指導者の方針が国民の支持によって正当化されなければならないからです。ロシアの指導者は、そんな手続きを踏む必要がありません。

 ――戦争の行方をどう見ますか。

 戦争の決着が戦場でつく例は、実はほとんどありません。歴史をさかのぼると、片方がもう片方を軍事的に打ちのめすのは、ごくまれです。特にこの戦争でそのような展開になるとも思えない。遅かれ早かれ、軍事的ではなく、他の多くの戦争と同様に政治的に決着がつくでしょう。

 政治的決着とは、双方がある種の妥協をすることです。どちらも完全な成功を収められないから。ロシアは2~3週間で勝利を収める完全成功例を思い描いていましたが、そうはならなかった。

 完全な成功を諦める場合、限られたものを得て、交渉の席に座るしかない。今回の問題は、どちらもその席に座るつもりがないことです。どちらもまだ、もっと得られるものを得て、優位に立ったうえで交渉に入ろうと考える。ただ、そのうちに行き詰まり、どちらもこれ以上は得られないというところに至るはずです。

 ――膠着状態ですか。

 ただ、軍事力のバランスは、均等ではありません。ロシアはウクライナに比べ、ずっと大きな軍事力と人口を持ち、動員するにもその理由を説明する必要がない。ウクライナにも動員力はあるが、人権や倫理に配慮しなければならない。(ロシアのように)人を使い捨てたら政府は持ちません。

 今回の戦場はウクライナであって、ロシアではありません。多くの人がロシア経済への制裁の影響を調査していますが、その間にウクライナ経済は大打撃を受けています。民間人の犠牲も大きい。長期的に見ると、この戦争はやはりロシアよりウクライナに被害を与えるのです。ロシアはそれを見越して戦略を立てている。戦争の前線とは無関係の後背地にあるインフラを破壊し、ウクライナ全土から安全な場所をなくそうとしています。

 交渉の時が訪れるまで、このような状態にどこまで持ちこたえられるか。その日がこの夏までに来るとは思えない。双方が状況打開を目指して軍事的なてこ入れを続けた後、手詰まりとなるか。そうなれば、政治的解決策が動き出します。

 ――そこまでには何年もかかりそうです。

 事態が急転するかもしれないし、スローモーションで進むかも知れません。誰も予想できないのは、戦争が長引くほど、両国とも既存の同盟国以外に連携する国を広げようとするからです。ロシアがイランと緊密な関係を結ぶようになったのは、その一例です。

 ただ、いざ和平交渉となった場合にロシアを信用できるのか、という問題は残ります。時間稼ぎをして、再び侵攻するのではないか。その対策として、ウクライナの主権と独立を守るメカニズムを構築しなければならない。欧米は一丸となってこの試みを支援すると思います。

 ――ロシアはこれからどうなりますか。

 現在のロシアの体制は、スターリン時代に極めて似ています。戦争を遂行する全体主義体制です。欧米ができることは限られますが、ロシア国内にも今回の戦争に反対する人々や、プーチン政権に批判的なジャーナリストはいます。数は少なくても、こうした人々と接触を保ち、支援し、認識を共有することが大切です。権威主義体制が一夜にして確立されたわけではないにもかかわらず、ロシア国内政治に欧米の関心が行き届かなかったことは、反省すべきです。この失敗を繰り返してはなりません。

 権威主義体制は国内の緊張や政治紛争に対して、フェイクニュースをばらまきながら弾圧する以外の手法を知りません。柔軟性に欠けるため、緊張を緩和させるすべを持ち得ないのです。逆に言うと、非常に安定しているように見えて、ある日突然、クーデターや権力奪取劇のような何かが起き、ドミノ現象となって全てが崩壊する。多くの権威主義体制は、このような道をたどります。

 ――ウクライナはどうでしょうか。ロシア軍を領土から追い出すまで戦うとゼレンスキー大統領は表明し、市民も支持しています。

 勝利に関して、国家の指導者が最大限の主張を繰り広げると、わなに陥ります。大規模侵攻を掲げたものの途中で撤回し、ウクライナ東部ドンバスでの小さな領土争いに移ったプーチン大統領はその例ですが、ゼレンスキー大統領も、独立時の領土を全て取り返すと主張することで、同じわなに落ちかねません。

 もちろんそれは、人々に希望を与えようとしての言動なのですが、まるでタイムマシンに乗って過去に戻ること、ロシアを恐れる必要のなかったころを取り戻すことを、人々は思い浮かべてしまいます

 ――大統領が取り組むべきことは。

 戦争という緊急時にあって、政治プロセスの多元性をいかに失わず、いかに透明性を保てるかに、政治指導者の今後もかかっています。もしそれが十分できていると市民が納得し、政治と社会が結びついていると信じるなら、理想とは多少異なる政治的解決策を取らざるを得なくても、大きな批判には結びつかないでしょう。

 民主的な社会で、不満が出るのは当然です。解決策に不満を抱く人も、その決定過程に自らが参加したという意識を抱けば、問題は長引きません。その人も、国の将来をつくる営みに加わるはずです。そうすれば、国内の過激なグループが力を持つこともなく、戦争から平和への移行がスムーズに進むに違いありません。

 それこそが、ウクライナにとっての「勝利」なのです。「あの領土を取った」「あそこも取った」だけではない。勝利とは、民主主義を戦争から守り、将来に結びつけるものでなければなりません。政府と市民に国際社会や市民団体も加わって、ダイナミックな動きをつくってこそ、真の勝利なのだと思います。

 ――あなたはウクライナ人ですが、極めて冷静に事態を分析しているように見えます。

 私は東部ハルキウの出身で、今も現地にいる父の身を案じています。父は侵攻初期、暮らしていたマンションが攻撃で破壊されたため、移転を余儀なくされました。ハルキウには親戚や友人もたくさんいます。今日は研究者として質問に答えましたが、戦争をどう思うかと尋ねられていたら、また違った答えになったでしょう。

Kateryna Pishchikova イタリア国際政治研究所準研究員(ロシア・コーカサス、中央アジア担当)、イタリア電子キャンパス大学准教授。専門は政治学、国際関係論。ウクライナ・ハルキウ出身。アムステルダム大学で博士号を取得し、米コーネル大学客員研究員などを務めた。
(ロンドン=国末憲人) 

スターバックスCEO、公聴会での証言(朝日新聞有料記事より)

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 労働組合との対立が深刻な米コーヒーチェーン大手スターバックスのハワード・シュルツ前最高経営責任者(CEO)は29日、米議会に出席し、「スターバックスが法律に違反したことはない」と述べ、会社による「反組合活動」はなかったと訴えた。シュルツ氏はスタバで結成が相次ぐ労組への厳しい姿勢で知られ、議会での証言に注目が集まっていた。

 労働問題を扱う上院委員会の公聴会で証言した。

 公聴会を主導したバーニー・サンダース上院議員らは、スタバがこの1年半で100回以上の連邦労働法に違反したとする全米労働関係委員会(NLRB)の指摘を踏まえて追及。シュルツ氏は法令違反を否定したうえで、「『労組つぶし屋』というレッテルをはられるのは不快だ」と反論。スタバに対する「疑惑」は「虚偽であることが証明されるだろう」と主張した。

 スタバをめぐっては、労組結成に関わった従業員が解雇され、労使間の大きな問題になった。シュルツ氏は自身の関与を否定しつつ、解雇は「スタバの安全や手順と一致しない活動のために業務時間外に店を開け、会社の方針に違反した」ことが理由だと釈明した。労組ができた店舗が閉鎖され、労組側が猛反発した問題についても、シュルツ氏は関与を否定した。

 シュルツ氏は、従業員が労組に加入する自由は尊重されると認めた。一方で、「私や会社にも『好み』を持つ権利はある」とも主張。言及した「好み」については、「我々がパートナーと呼ぶ従業員と直接的な関係を結ぶことだ」と述べ、スタバに労組はなじまないとの持論をにじませた。

 労働者の権利を重視する民主党の議員からは、「スピード違反で100回反則切符を切られた人が、『警官が間違っているのだから、自分は無罪だ』と言っているようなものだ」などと、シュルツ氏の証言に対する批判が相次いだ。

 一方、共和党の議員からは、資本主義の原理のなかで、業界最高水準の賃金や福利厚生をスタバが実現していることを評価する声が出た。スタバが世界的企業に成長したことを「米国の成功物語」として称賛し、シュルツ氏を責め立てるこの公聴会を「魔女狩り」だと批判する議員もいた。

 スタバでは2021年、労働条件の向上をめざしてニューヨーク州の店舗で初めて労組が結成された。労組側によると、これまでに全米の300近い店舗に労組ができた。

 シュルツ氏はスタバを世界的なチェーンに育て上げた実質的な創業者。昨年4月には3度目となるCEOに就任。現在はCEOを退任しているが、取締役として経営に関わっている。
(ワシントン=榊原謙) 

今朝の東京新聞から。

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今朝の東京新聞から。

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蔡英文総統、4年ぶり訪米のもつ意味は 台湾識者がみる米との間合い(朝日新聞有料記事より)

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 台湾の蔡英文総統が29日、外交関係を持つ中米歴訪の経由地として米国に向け、出発した。蔡氏の任期は残り1年余りで、総統としては最後の訪米になる可能性が高い。米国勤務の経験がある台湾外交部(外務省)の元職員、劉仕傑氏に今回の訪米の意味を聞いた。

 ――蔡氏は今回、中米グアテマラとベリーズに向かう往路で米東海岸のニューヨーク、復路で西海岸のロサンゼルスを経由します。

 台湾と米国は正式な外交関係がなく、総統はこれまで、飛行機の給油などの経由名義で訪米してきました。米国のどこを経由するかや、米国内での旅程についても、すべて米国による事前の同意が必要とされています。

 このため、総統が米国のどこを経由するかには、その時々の台湾と米国の関係が反映されます。蔡氏が今回、往路で経由するニューヨークは首都ワシントンに次ぐ政治都市です。同じく東海岸で学園都市のボストンに比べ、政治性は高いと言えます。

 米国が認めた経由地から判断する限り、蔡氏への米国の対応は悪くないと言えます。台湾の蕭美琴・駐米代表が米側に旅程を示し、一つ一つ相談して決めたのでしょう。

 ――蔡氏が米国から「悪くない待遇」を得られた理由は何でしょうか。

 米国は台湾との関係で、「想定外」のことが起きるのを嫌います。米国は過去に蔡政権とつきあう中で、蔡氏が「(台湾独立の主張など)想定外のことをしない」人物だと信頼したのでしょう。

 こうした米国の信頼を得るには時間がかかります。米国は来年1月の台湾総統に向け、各党の候補についてもこうした視点から観察していくはずです。

 ――台湾ではいま、対米関係は1979年の断交後で最良だという声もあります。ただ、蔡氏は今回も首都ワシントン訪問がかないませんでした。

 米国では2018年に米台の高官往来を促す「台湾旅行法」が成立しています。この法律によって、台湾の総統の訪米も、理論上は制限がなくなったはずです。蔡氏は2019年にもニューヨークを経由しており、蔡氏にとって総統として最後となる今回の訪米で、首都ワシントン訪問という「成果」を得られなかったのは残念です。

 ――ワシントン訪問が実現しなかった理由をどう見ますか。

 米中台の関係はいま激しく動いています。蔡氏は任期最後の1年となり、米国も来年に大統領選を控えるなかで、米台ともに中国との緊張を高める行動をとりたくなかったのでしょう。

 特に、昨夏には当時のペロシ米下院議長の台湾訪問を受け、中国が大反発しました。今回、マッカーシー下院議長が訪台の意向を示していたにもかかわらず、蔡氏が先に訪米してマッカーシー氏の選挙区のカリフォルニア州で会談することにしたのにも、同じ狙いがあるのだと思います。

 ――訪米の時期には何か理由がありますか。

 蔡氏にとっては、今年の後半になれば来年1月の総統選が近づくため、歴訪の時間が取りにくいという判断があったのでしょう。政権としては、民進党の総統候補として名があがる頼清徳副総統により焦点をあてる必要もあるでしょうから。

 ――蔡政権では、外交関係を保っていた多くの国々から断交されるなどしており、台湾世論の不満も強いです。

 蔡政権による対米関係の強化は確かに評価できる一方で、台湾はこの間、世界保健機関(WHO)など国際機関への参加が認められてきませんでした。この点では世論の期待に応えられていません。

 ただ、台湾にとっては、対米関係が最重要です。国際機関に参加できないことによって、対米関係の強化をめぐる蔡政権への評価が相殺されるとは思いません。

 米議会は近年、数多くの台湾支援法案を提出してきました。こうした法案が今後、どう成立・実現されていくかに期待するとともに、台湾も対外関係で実質的な成果を得るために新たな手法を考えないといけないと思います。
(聞き手・石田耕一郎) 

「消されたくない」語った翌日、彼女は消えた 「白紙運動」続く拘束(朝日新聞有料記事より)

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 北京の出版社に勤務する曹芷馨さん(26)の身に異変が起きたのは、昨年11月29日昼のことだった。警察を名乗る複数の人物が突然、北京の古い住宅街「胡同」にある曹さんの部屋を尋ねてきた。

 男性の警察官が「曹芷馨だな。一緒に来てもらえるか」と話した。別の警察官は「大勢いるから、心配しなくていい」と落ちつかせるように語りかけた。寝間着姿だった曹さんは、取り乱しながらも「服を着替えさせて欲しい」と応じた。

 なにが起きたのか。この事態を知った知人には思い当たるところがあった。

 2日前、曹さんは北京市中心部であった「ゼロコロナ」政策への抗議活動に参加していた。白い紙を掲げて抗議の意思を示したことから、「白紙運動」とも呼ばれた活動だった。その後、一緒に現場にいた友人たちとの連絡が続々と途絶えていた――。

 一連の抗議活動の発端は、昨年11月24日に新疆ウイグル自治区ウルムチのアパートで起きた火災だった。逃げ遅れた住民10人が亡くなり、コロナ対策で通路が封鎖されたことが被害が拡大した原因だとの見方が広まった。

 厳しい規制で感染を抑え込む「ゼロコロナ」政策に対する疑問が膨らんでいる時だった。言論の不自由さを示す白紙を掲げて抗議を示す運動が、各地に広がっていった。

 曹さんも別の都市であった抗議活動の様子をSNSで知り、「ウルムチの人たちを追悼したい」と周囲に漏らしていたという。

 曹さんは友人らと11月27日午後8時ごろ、北京の抗議活動の現場に到着した。花束や白紙を掲げ、「自由が欲しい」と叫ぶ人たちに加わった。ただ、体制批判につながる言動はしていないと、様子を知る知人は話す。

 現場には、夜が更けるにつれて警察が集まり始めていた。曹さんは「法律に触れないか」「怖い」と心配していた。抗議は続いていたが、深夜0時ごろに現場を離れた。

 警察が曹さんの自宅を訪れたのはその2日後だった。近くの警察署に連行された。抗議現場で何をしていたのか、これまでの経歴や仕事の内容は、外国の活動と関わりはないか、と詳しく質問された。スマートフォンやパソコンも押収された。解放されたのは、翌日になってからだった。

 その日、曹さんは自宅に保管してあった古いスマホに、新たに購入したSIMカードを挿して知人に連絡をとった。少し落ち込んだ様子だったが、「あなただったらきっと私よりも慌てふためいていた」と冗談を言って笑った。

 「あんな深刻なことになるなんて、このころは2人とも思っていなかった」と、この知人は振り返る。

 中国政府もその1週間後の12月7日、白紙運動が求めていたように、ゼロコロナ政策の大幅緩和に踏み切った。

 ところが、事態は次第に深刻化していった。そのことを曹さんが認識したのは、12月18日になってからだった。

 友人たちが再び拘束された。

 上海市の友人宅に遊びに来ていた曹さんのもとにそんな情報が届いた。

 自分も拘束されるのではないか。その不安から、曹さんは北京には戻らず実家のある湖南省に戻ることにした。不安がぬぐえなかったようだ。12月22日、1人自分にカメラを向けて、その動画を撮影した。

 「私が失踪した後、世間に公開してもらうようこの動画を友人に託します。みなさんがこの動画を目にしたとき、私は警察に連行されていることでしょう」

 3分余りの動画には、カメラをじっと見つめて怒りや不安を押し殺すように話す曹さんの様子が映っている。

 「同胞を追悼するために現場に行きました。現場では秩序を守って活動しており、警察とも衝突していません」

 「追悼の場に赴くだけで捕まってしまうというのなら、この社会で私たちは感情をどこに向ければいいのでしょうか」

 「理由もなく消されたくありません」

 動画を受け取った1人は「誰にも知られないまま、存在がなかったことにされるのを恐れたのではないか」と曹さんの気持ちを代弁する。

 動画を撮影した翌日の12月23日、曹さんは「心配ばかりしていられないから、いまやるべきことをやる」と電話で知人に話し、実家で出版社の仕事に取りかかっていたという。この知人はこれを最後に、曹さんと連絡がとれなくなった。

 複数の関係者によると、中国当局はこの日、湖南省の実家から曹さんを連行。北京市の留置場に拘束した。

 そして今年1月19日、騒動挑発容疑で正式に逮捕。曹さんの友人のうち、少なくとも女性3人が同じ容疑で逮捕された。

 この時期、北京市当局は20人以上を一時拘束したとみられている。多くは1カ月ほどで保釈されたが、保釈された女性の友人によると、保釈後も北京市外の実家に戻され、警察の監視下にあるという。

 逮捕された4人の拘束は現在も続いている。曹さんは2月、勤務していた北京の出版社を解雇されたという。

 曹さんの恋人の男性は朝日新聞の取材に「彼女は普通の社会人に過ぎない。現場で政治的な要求をしておらず、彼女は罪を犯していない」と訴える。

 曹さんが逮捕されて以降、弁護士が数回接見することができた。恋人の男性は弁護士を通じ、曹さんが好きな伊坂幸太郎さんの小説「ゴールデンスランバー」の主人公を引き合いに出して、こう伝えた。

 「くじけないでほしい。たくさんのひとがあなたを支持している」

 「ゴールデンスランバー」は首相暗殺のぬれぎぬを着せられた主人公が、様々な人に助けられながら逃亡を続ける物語だ。

 2月になって曹さんからの返事が届いた。

 「あなたの言葉を受け取って、生きていく勇気をもらいました。これを災難とは思わないで。再会できる日を楽しみにしています。この先はずっと一緒にいられますように」
(北京=高田正幸) 

イラク戦争20年:「穴」が多かった情報、無批判に消費したメディア イラク戦争の学び(朝日新聞有料記事より)

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 イラク戦争では、開戦に至る根拠ともされた大量破壊兵器(WMD)に関する情報について、収集する過程での問題点や分析の誤りが露呈した。信頼が失墜した情報機関には、何が教訓として残されたのか。オランダのライデン大学安全保障・グローバル問題研究所のトーマス・マグワイヤ助教授に尋ねた。

 ――イラクへの武力行使を促す結果となった米英の情報機関に、どのような誤りがあったのでしょうか。

 まず、WMD開発計画についての情報収集に、非常にむらがありました。集めた情報にはたくさんの「穴」があり、正確で信頼できる情報がなかった。戦争の正当化の一部として使われた情報には、まったくの捏造もありました。

 例えば、「カーブボール」の暗号名で知られる人物が最たる例です。彼はドイツに亡命したイラク人でした。自分を重要人物に見せかけることで利益を得ようと、イラクのWMD計画について自分が持っているという情報をドイツの情報機関に伝え、それが米英にも伝えられました。

 イランがアフリカからウランを入手しようとしたとか、ウラン濃縮用のアルミ管を購入しようとしたなどの情報も、イラクが核兵器計画を進めていることを示唆するものとして扱われました。こうした非常に弱い情報から導き出された結論に、米国でも英国でも、皆が同意していたわけではありません。

 しかし、最終的な情報の評価は、すでに下されている政治決定を正当化するための証拠を見つけるという、政治的な圧力のもとで行われたのです。

マグワイヤ助教授は米国の分析担当者に「イラクに対する思い込み」があったといいます。問題は何だったのか。記事後半ではメディアに問われる役割について指摘しています。

 ――圧力にはあらがえなかったのでしょうか。

 特に米国では、政府は(イラクに侵攻するという)政策を先に決めてしまっており、情報機関に対して「イラクにWMDがあるか調べよ」ではなく、「イラクがWMDを持っている証拠を出せ」という問いを投げかけたことが、一番の問題でした。

 ただ、情報の分析担当者にも、イラクに対する思い込みがありました。過去にフセイン大統領がWMDを開発しようとしていたことは事実でしたから、「彼は欺瞞に満ちているのだから、今も何か隠しているに違いない」と思い込んだ。今となってみれば、彼が欺瞞に満ちていた理由は、権威を誇示し続け、イランを抑止しようとするためだったことがわかっています。

 ――イラク戦争が情報機関に残した教訓は何でしょうか。

 イラクが持つ兵器の脅威に関する情報を公開した時に、評価に対する確信度の度合いや、その評価のもとになった証拠を、十分に市民に伝えなかったことです。情報の評価についての議論が割れていることや、結論には合意がないことは伝えられませんでした。

 イラク戦争後、米英では、情報機関から警告や情報の評価を外部に発信する際、重要な所見とその所見の確信度は、政府内で共有する場合と対外的に発表する場合とで同じにしなければならなくなりました。

 現在、米英で情報が公表される際は、確信度がより正確に伝えられるようになっていると思います。

 ――最近では、米国政府が新型コロナウイルスの起源をめぐる情報を開示しました。確信度が低い情報も開示され、混乱を招いているようにもみえます。

 イラク戦争の時は、政府内で合意がまとまっていないことを隠し、結論に誰もが賛成しているかのように演出されました。当時と比べ、新型コロナについての情報は透明性が高く、理解しやすい伝え方になっていると思います。

 一方で、受け手の混乱も招いています。そして、今回の場合は中国に「ほら、我々のせいではないのだ。米国内ですら『中国のせいだ』という結論に合意できていないじゃないか」と主張する機会を与えてしまっています。

 このように、情報を定期的に公開する場合、内部で評価や結論に合意が得られていないと、それ自体が問題を引き起こす可能性があります。

 情報は多くの場合、決定的ではない。そうであれば決定的な情報が出てくるまで何も言わずに開示しないか、「まだわかっていない」と明確にして、混乱を防ぐかすべきでしょう。

 ――イラク戦争では、誤った情報に基づいて記事を書いたメディアへの信頼も崩れました。

 イラク戦争でメディアが得た教訓の一つは、匿名の高官の話であれ公開情報であれ、情報をあまりに無批判に「消費」してしまったということです。

 ロシアのウクライナ侵攻をめぐっては、昨年1~2月ごろ、米英から、かなり定期的な情報開示がありました。それらに対して、メディアからは「イラク戦争の前も似たような情報開示があって大やけどした。今回は疑ってかかろう」という姿勢がみられました。生の情報や完全な分析・評価を欠いたまま政府が何らかの主張をした場合、記者たちからは「それは主張にすぎない。証拠を見せて欲しい」という声が出ました。

 政府が情報公開を頻繁に行うようになれば、問われるのはメディアのような仲介者です。公開された情報の評価やその根拠の信頼度について、批判的な質問をすることがより重要になり、責務ともなります。
(ワシントン=下司佳代子)

 〈Thomas Maguire〉 ライデン大助教授のほか、ロンドン大キングスカレッジ戦争学部の客員研究員も務める。専門は、国際政治におけるインテリジェンス(情報、諜報)とプロパガンダの相互作用など。 

ウクライナ侵攻、和平の道は 元仏大統領側近が語るイラク戦争の教訓(朝日新聞有料記事より)

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  2003年のイラク戦争前、攻撃に急ぐ米英を思いとどまらせようと外交攻勢を展開したのが、フランスだった。当時、シラク大統領の外交顧問としてその活動を支えたモーリス・グルドモンターニュさん(69)に、経緯と教訓を聞いた。

 ――当時フランスは何を目指したのですか。

 私たちは米国に反対したのではなく、国際社会が機能しなくなるのを避けようとしたのです。正当な理由なしに国連安全保障理事会が戦争を認めることは、国連憲章の曲解につながるからです。

 攻撃を正当化するには、サダム・フセイン政権の大量破壊兵器開発を示す客観的な証拠が必要だと、シラク大統領は考えました。しかし、私たちの情報機関によると、それは存在しない。後に、その情報は正しかったとわかりました。

イラク戦争をめぐり米英と交渉を重ねてきた経緯をグルドモンターニュ氏が振り返ります。後半ではイラク戦争の教訓、ウクライナ侵攻の和平を決める要素についても語っています。

戦争に走った米英、シラク大統領が予想した「テロの波」

 米英の攻撃を思いとどまらせるには何が必要か。交渉相手のコンドリーザ・ライス米大統領補佐官(安全保障担当)に尋ねたら、「サダムが退陣したら」。大量破壊兵器の話など消え失せ、体制転換が目的となっていたのです。

 確かにイラクは暴力的な警察国家でしたが、それは、イラン・イラク戦争の末にたどり着いた地域の均衡を崩す理由とはなりません。シラク氏の「戦争はテロの波を広げる」との予想は、その後、過激派組織「イスラム国」(IS)の出現で当たりました。

 ――米国の聞く耳を持たない態度は、「冷戦に勝利した」という米国の慢心に基づくのでしょうか。

 ソ連と共産主義に対し、戦うことなく勝利を収めたことに、陶酔していたのだと思います。

 ――当時、英国は米国側に付いて、結局戦争に走りました。

 中東という地域での均衡の大切さを英国はよく理解していただけに、この態度は意外でした。均衡を破ればどんな大きな結果がもたらされるか、英国はわかっていたはず。にもかかわらず米国に従ったのは、政治的な選択です。私は英国を随分説得しましたが無駄でした。

 ――つまり、中東の安定よりも米国との関係を優先したと。

 米国とのいわゆる「特別な関係」を重視したということでしょう。

 ――戦争反対の陣営には、仏独とともにロシアも加わりました。現在の姿からは想像できません。

 私たちは当時、あらゆる力を使って、ロシアを国際社会に引き入れようとしていました。G7(主要7カ国)にロシアを加えてG8に改変したのはその成果です。

 シラク氏は、あらゆる独裁者に同じ試みをしました。あえて対話し、ともに働けば利益があると説得する。国際社会に引き寄せ、ルールを共有させる。そうすることでダイナミックな動きをつくり出し、将来の進化を呼び寄せるのが、彼の考える政治でした。

避けられなかったウクライナ侵攻、原因は

 ――イラク戦争の教訓は何でしょうか。

 戦争は必ず避けられるということです。戦争は、運命ではない。しかし、避けようとすると、敵と対話をしなければなりません。そのためには、安全保障に注意を払うよう心がけるべきです。安全保障なしには、繁栄もなければ、平和もありません。

 ――しかし、今回ロシアのウクライナ侵攻は避けられませんでした。

 ウクライナでの危機の第一の原因は、冷戦後の安全保障のシステムをつくれなかったことにあります。

 ――あなたが昨年出した回想録によると、フランスは06年、北大西洋条約機構(NATO)とロシアの合同でウクライナに対する安全保障の供与を試みたといいます。

 ウクライナには安全保障上の空白があり、いつかそれが危機に結びつくと、シラク氏は認識していました。彼は、ウクライナを中立化させ、ロシアとNATOが交差する形で安全を保障する構想を練り上げ、双方が加わる評議会を設置しました。しかし、試みは途中で止まってしまった。構想を検討もしないまま、米国が拒否したからです。

 ――これも米国の傲慢さからですか。

 傲慢さからだったのか、ロシア人の感情と心理の奥底を知らないからだったのか。米政権のこうした傾向は、次のオバマ大統領の「ロシアは地域大国に過ぎない」との発言にも通じます。この言葉の裏には、ロシアをあえて無視し、時に軽蔑する意識があったに違いありません。しかし、ロシアは、地域大国ではない。米国と均衡する核大国であり、大陸をまたいで欧州からアジアにまで領土を持つ本当の大国です。

和平を決めるのは「戦場」 と「政治」

 ――今後、ウクライナに平和をもたらすには、どうしたらいいでしょうか。安全保障の枠組みを議論する上でも、まず和平が前提だと思うのですが。

 ウクライナを支援しつつ、同時に戦争を終わらせる方策も考えるべきです。ウクライナに停戦を強要する、という意味ではありません。ただ、戦争が長引くほど、欧州とウクライナの破壊が進み、ロシアの利益となります。

 和平を決めるのは戦場です。いわゆる「戦争の絶頂期」を待たなければなりません。現在は双方とも軍事的な山を登っている段階ですが、いつか、片方が片方より弱くなる。

 ただ、登る最中である今こそ、平和への準備を始めるべきです。平和を考えないで山を登ると、常に「もっと武器を」「もっと攻撃を」の発想に陥ります。制御の難しい循環に取り込まれるのです。だから「どこまで行くのか」を明言する必要があります。

 ――ロシアがウクライナ領土を一部占領したままでの和平は可能でしょうか。

 戦闘が収まっても、ロシアがそのまま居座るケースは考えられます。状況は異なりますが、戦争を機に南北に分断された朝鮮半島の例や、トルコの占領によって南北に分断されたキプロスの例がある。キプロスはその形でEUにも加盟した。ウクライナも、領土の一部をロシアに占領された状態になる可能性はあるでしょう。

 ――しかし、ブチャの虐殺のような残虐行為を知った以上、占領は認めがたいのではないでしょうか。ロシアを追い出した上で和平を語ろうと、多くのウクライナ人は考えるようです。

 確かに今は、そのようなシナリオが語られます。実現するかどうか、そのうち分かるでしょう。

 ――つまりは戦場の動向次第だと。

 戦場次第、政治次第です。欧米で何がおきるかも正直わかりません。ゼレンスキー大統領でさえ、立場を変えるかもしれない。彼は戦争の初期、ウクライナの中立に前向きでしたが、その後先鋭化しました。

 欧米各国間でも、米政権内でも、意見の違いはあります。米国で共和党が優勢になって「ウクライナ支援は、優先課題ではない」と言い出したらどうするか。

 ウクライナの独立と主権が守られるよう、あらゆる努力をしつつ、厳しい現実にも直面しなければなりません。もちろん、虐殺をしっかり記録することなどは必要です。

冷戦終結後、後回しにしてきた議論

 ――当面何をすべきでしょうか。

 ウクライナの主権と国境を守る形での和平を見いだすとともに、欧州そのものの安全保障構築に欧米が取り組むことも重要です。それは冷戦終結後、私たちが後回しにしてきたことでした。安全保障は大衆の心理に結びつく課題です。これについて語り、議論しなければなりません。

 ――ロシアの安全保障についても同様ですか。

 もちろんです。安全保障を国ごとに切り離すことはできません。隣国の安全を確保することは、我が国の安全を守ることなのです。

 つまり、「戦争の後に外交」ではだめなのです、戦争と同時に外交を進めなければ。ロシアと近い関係のインドや中国、トルコとも、対話を続けなければなりません。

 ――日本はG7の議長国を務めますが、どう行動すればいいでしょうか。

 日本は、アジアに位置する欧州の大いなる同盟国です。欧米にとって、日本をパートナーとして得ることは、中国、東南アジア、太平洋地域と接するときの切り札となる。日本はインド太平洋地域の大国であり、その発言には耳を傾けなければならない。日本が、自国について、その地域について語る声を、私自身も(駐日大使として)聞いてきました。

 インド太平洋地域で、安全保障は特に中心にあるべき課題であり、そこで日本は本質的な役割を果たせると思います。この地域では中国の台頭が安全保障の不均衡を生み出している。この状況に対応できる何か新しいものを生み出さなくてはなりません。
(パリ=国末憲人)

     ◇

Maurice Gourdault-Montagne
 パリ出身。仏国立東洋言語文化学院でヒンディー語を学ぶ。パリ政治学院を出て外交官となり、駐日大使、大統領外交顧問、駐英、駐独、駐中国大使、外務事務次官を歴任した。シラク大統領の外交顧問(シェルパ)時代、当時のドビルパン外相とともに、イラク戦争に反対する外交攻勢で中心的な役割を果たした。昨秋、回想録「他者は我々と同じようには考えない」(未邦訳)を出版。

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