
パラオ・マラカル島の南端にあるパラオ海上保安局。庁舎2階のオペレーションルームには、AIS(船舶自動識別装置)情報に基づき、パラオ近海の船舶の航行状況を示すスクリーンが設置されている。
2021年6月2日、このスクリーンに北部からパラオの排他的経済水域(EEZ)に見慣れない艦船が進入した。
ジム・シロー・クロウレアス上級職員(大尉)は「大きなレーダーがいくつもそびえ立った船体だったので、驚いた」と振り返る。中国の衛星観測船「遠望6号」だった。
21年11月29日、今度は中国の別の船がパラオのEEZに入り、12月4日まで航行した。中国の海洋調査船「大洋号」だった。20年7月には沖ノ鳥島付近で予告なしに調査をしていたことが確認された船だ。クロウレアス氏は「私たちは米沿岸警備隊にも協力してもらい、大洋号を追った。パラオの海底ケーブル沿いに移動していたようだが、中国から何の説明もなかった」と語る。
22年7月には、遠望6号と同じタイプの衛星観測船「遠望5号」がパラオのEEZを通過した後、スリランカに到着したのが確認されている。米国防総省の報告書は、「遠望」が中国軍の戦略支援部隊の指揮下で運用され、人工衛星だけでなく長距離ミサイルも追跡できるとしている。
こうした中国艦艇の動きについて、林廷輝・台湾国際法学会副事務総長は「米国の軍事活動の監視が目的だろう」と語る。
22年夏にはパラオで米軍をめぐる動きがあった。同年6月の軍事演習「バリアントシールド」では、パラオに最新鋭のステルス戦闘機F35を展開し、地対空ミサイル「パトリオット」と連動させて、敵のミサイルを迎撃する訓練を実施。翌7月にはパラオ周辺海域で、米軍が主催し、海上自衛隊や英海軍の艦艇も参加した共同訓練「パシフィックパートナーシップ」が開かれた。
この訓練にはパラオ海上保安局も参加し、パラオ政府によれば、日米英のほか、米国、英国、台湾の枠組みでも訓練をしたという。パラオ海上保安局には、日本と豪州が協力した中型巡視船各1隻と小型巡視艇3隻が配備されている。しかし、クロウレアス氏は「パラオのEEZは広い。追いついても、中国の大型艦には太刀打ちできない」と語る。
パラオ、ミクロネシア連邦、マーシャル諸島3カ国は米国と自由連合盟約を結んでいる。3カ国の国民はビザなしで米国で働く権利を持ち、様々な経済支援を受ける代わり、米国が3カ国の安全保障に関する権利を独占している。
中国にとって、扱いにくい地域だが、パラオへの中国の接近は海上にとどまらない。
人口2万人に満たないパラオの経済にとって観光は最大の民間産業だ。10年代前半は国内総生産(GDP)が年平均3・9%の成長を遂げ、その原動力となったのが観光客の大幅な増加だった。パラオ政府が22年に発表した経済財政資料によれば、パラオへの入国者は10年度の約8万1千人から、15年度の約16万9千人に倍増した。15年度の入国者の半数は中国人が占めた。
しかし、中国は17年末、外交関係がないことを理由にパラオへの観光ツアーを事実上禁じた。パラオへの入国者は年々減少し、19年度には約9万人にまで落ち込んだ。コロナウイルスの感染拡大も相まって経済はマイナス成長に陥っている。
中国政府の措置の背景にあると見られているのが、中国が自国の一部と主張する台湾とパラオの関係だ。
パラオは台湾が国交を結ぶ13カ国のうちのひとつ。ウィップス大統領は「中国は常にパラオに圧力をかけ、台湾から中国に外交関係を変更するよう提案している」と語る。中国は経済的な機会、投資にも言及し、「パラオに100万人の観光客が必要なら、中国が提供しましょう」とも持ちかけてくるが、常に「台湾との断交」という条件付きだという。
「今後も台湾との関係を断ち切ることは決してない。台湾は強力な同盟国であり、同じ価値観を共有している」。そう言い切るウィップス氏には、台湾の将来が人ごとではないという懸念があるという。
「台湾に何かが起こる可能性がある場合、私たちの主権はどうなるのか。中国の船が16世紀にパラオに来たという主張もある。それをもとに『パラオも中国の一部』と言い出すのかもしれない」
非営利組織(NPO)「組織犯罪と汚職報告プロジェクト(OCCRP)」は昨年12月、「太平洋での策略」とする報告書を発表した。報告書によると、中国人のビジネスマンらがパラオの有力者に対し、16年以降にカジノや経済特区などのビジネスを提案し、接近していたという。有力者にはレメンゲサウ、トリビオン両元大統領や州知事、閣僚らが含まれる。
報告書は、一連の動きに組織犯罪集団のリーダーが関与している可能性を指摘した。米財務省は20年12月にこの人物を制裁対象とした文書のなかで「(統一戦線組織の)中国人民政治協商会議のメンバー」と認定。この集団が麻薬密売や人身売買、違法ギャンブルなどに関わっており、パラオでも違法な活動をしていたとした。
こうした動きは、豪チャールズ・スタート大のクライブ・ハミルトン教授が18年に発表した著作「Silent Invasion(静かな侵略)」を思わせる。同書では、豪州に移住した中国の富豪が豪州の政治家や大学に献金して影響力を行使したエピソードなどが紹介されている。
太平洋島嶼(とうしょ)国では19年にソロモン諸島とキリバスが相次いで台湾と断交し、中国と国交を結んだ。さらに中国は昨年4月にソロモン諸島と安全保障協定を締結した。米国と自由連合盟約を結ぶマーシャル諸島、パラオのほかにツバル、ナウルは台湾と外交関係を保っているが、存在感を増す中国の出方は地域の今後を大きく左右するため、関係国の関心を集めている。
オーストラリアの研究機関などは、戦前にこの地域を統治した日本のアプローチを現代の中国と重ねて分析している。
第1次世界大戦が始まった1914年、日本はドイツ領だったパラオを含む南洋群島を占領。20年には国際連盟から委任統治が認められ、22年にはその行政を担う南洋庁がパラオに設置された。その後、対米戦をにらんだ日本海軍は、南洋群島を米艦隊撃滅のための「不沈空母」とする構想を持つようになった。
国際連盟の委任統治条項では南洋群島の軍事基地化を禁じられていたが、日本は33年に国際連盟を脱退し、34年にはワシントン海軍軍縮条約の破棄を決定。平時から南洋群島の開発を目的とした会社を通じて軍事基地を設置する準備を進め、41年12月の太平洋戦争の開戦直前までには、主要な島々に航空基地と軍艦が寄港する港湾施設が設けられた。
太平洋戦争の戦史に詳しい田中宏巳・防衛大学校名誉教授は「中国は日本軍が太平洋でラバウルやガダルカナルに固執した理由に関心を持ち、戦略的な意義について研究している」と語る。
太平洋島嶼国の事情に詳しい笹川平和財団海洋政策研究所の塩澤英之主任研究員は「近年の中国の動きをみると、かつての日本の足跡をたどっているようだ」と話す。その狙いについては「米国とオーストラリア、ニュージーランドが太平洋島嶼地域を勢力圏にしてきた戦後秩序を変えたいのだろう」と分析する。(パラオ=牧野愛博)