香港郊野遊行・續集

香港のハイキングコース、街歩きのメモです。

2023年05月

「毅然とと報じなければ、問題の一部に」神父の性的虐待を暴いた元記者(朝日新聞有料記事より)

朝日

  ジャニーズ事務所創業者のジャニー喜多川氏(故人)による所属タレントへの性暴力疑惑は、世界にも波紋を広げ、過去に発覚した性暴力の問題と比較されることもある。中でも影響が大きかったのは、カトリック教会の神父による性的虐待と組織的な隠蔽(いんぺい)だ。問題はどのように発覚し、メディアに求められる役割は何か。米紙ボストン・グローブの記者として報道に取り組んだ、ノースイースタン大のマット・キャロル教授(68)に聞いた。

 ――ジャニー喜多川氏をめぐる疑惑を聞き、どのような印象を受けましたか。

 「まるで(映画の)『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のような思いでした。似たような疑惑は世界各国で次々と発覚し、何年にもわたって明らかになり続けています。私たちが最初の報道をしたのは2002年でしたので、20年以上にわたって続いていることになります」

 ――なぜ、ボストン・グローブは神父の性的虐待に取り組んだのですか。

 「一番のきっかけは、01年にマーティー・バロン氏が編集長になったことです。神父による性的虐待の記事は既に出ていたのですが、裁判記録は全て閲覧不可となっており、詳細は分かりませんでした。バロン氏が直前まで働いていたフロリダ州では、裁判記録を閲覧できないことは非常に珍しかったので、その記録を入手すべきだ、というのが報道の出発点でした」

カトリック教会の性的虐待

カトリック教会の神父らによる、少年を中心とした性的虐待は、1990年代ごろから世界の複数の国で問題になってきた。ボストン・グローブは2002年1月、特定の神父が何年も虐待を続け、教会も認識していたのに担当教会を換え続けることで組織的に隠蔽(いんぺい)していたと報道。また、多数の神父が性的虐待を繰り返しながら、教会が非公開の和解で対応していたことなども明らかにした。一連の報道は03年、ピュリツァー賞で最も権威がある公益部門を受賞。報道に至る経緯を描いた映画「スポットライト」(15年)はアカデミー賞の作品賞を受賞した。

 ――それまでも、神父による性的虐待は明らかになっていたのですね。

 「ボストンは米国の中でも、カトリック信者が多い都市です。取材班も、全員カトリックでした。私は子どものころ、カトリック系の学校に通いましたが、『あの神父には気をつけた方がいい』というようなうわさ話はありました」

 「ただ、何度も同じような話を聞くことで慣れてしまうという現実もあります。カトリック教徒が多い都市で育てば、誰しもが一つや二つの話を聞いていても、点と点をつないで『問題のある神父が多い』と認識している人がいませんでした。だからこそ、『この点と点をつなぐべきだ』と、外部から来た人が言うのが重要でした。もっとも、取材を始めてからは比較的すぐに、隠蔽(いんぺい)スキャンダルだと分かりました」

 ――自分の周りで起きていたことについて、見方が変わりましたか。

 「完全に変わりました。それまでは、何人かの悪い人がいる、というぐらいの認識でした。どのような組織にも、必ずそういう人はいます。しかし、そうではなく組織的な隠蔽が続いていたのです」

 「神父による性的虐待の問題は、ボストンで初めて発覚したわけではありません。過去にもありましたし、他の都市でも明らかになっていました。ただ、我々は隠蔽が続いていることを示す証拠の文書を入手し、新聞に掲載することができました。しかも、インターネットがちょうど広まっていた時期でしたので、全米でボストン・グローブの記事を読むことができました。(記事が出たことで)他の米国の都市でも同じような問題が明らかになり、さらには世界へ広がったのです」

 ――ボストンはカトリック教徒が多いだけに、教会に触れることがタブーだったのですか。

 「かつて、そのような意識があったのは間違いありません。神父の性的虐待が問題になっても、教会の幹部から新聞社に対して報道を見合わせて欲しいという趣旨の電話があり、うやむやにされてしまうことがありました」

 「1990年ごろには、ボストン近郊の街で神父による性的虐待が問題となりました。ボストン・グローブはこれをかなり熱心に報じましたが、被害者の訴えはあっても文書の証拠はありませんでした。次第にカトリック教徒から『教会バッシングだ』と反発が起き、ボストン・グローブへの抗議もありました。問題をさらに掘り下げることが困難になり、記事は減っていきました」

 「これはボストン・グローブにとっても苦い経験でした。ただ、2002年の記事は、文書で組織的な隠蔽を示すことができたので、構図が全く異なっていました。読者も(組織的な隠蔽を示す)文書を読むことができ、性的虐待を重ねた神父を別の教会に配転していたことが明らかになり、批判は教会の方へ向かいました」

 ――その後、教会以外にも性的虐待の問題が広がりました。米国では♯MeTooの運動も起きています。

 「雪崩のように、最初は小さな動きであっても次第に広がっていったのだと思います。多くの場合は、発言する勇気を持つ人が出てきていることが重要です」

 「権力を持っている人を告発することは、非常に大変ですし、構造的にも難しいです。日本のジャニー喜多川氏は、多くのタレントを抱えていました。それを頼りにしているテレビ局や新聞の場合、突然『この人は性的虐待を繰り返している』と報じることに抵抗があるのは自然でしょう」

 ――メディアとしてはどのように対応することが必要なのですか。

 「毅然(きぜん)と、しっかり報じる必要があります。そうしないと、メディア自身も問題の一部となってしまいます。隠蔽が続けば、問題はさらに悪化します。まるで傷が治るのではなく、化膿(かのう)してしまうように。傷を癒やすためには表に出し、消毒する必要があります」

 ――米国ではこの20年間でメディアの対応は変わっていますか。

 「変化していると思います。こうした問題を取り上げた報道が続き、経験を得ている記者も多くいます。報道をするにあたって、どこから手をつけるのかの知識も積み重なっていますし、性的虐待の問題を報じることも当然になっています」

 ――日本では、新聞で性的虐待の問題を報じることへの抵抗もあります。読者が読みたいと思わない、という考えもあります。

 「米国にもそのような抵抗はありました。多くの場合、『被害者が責めを負う』のではないかという心配がありました。しかし、結果的には報道が出ることで、『なぜこの問題を報じる必要があるのか』という理解にもつながったと思います」
(ニューヨーク=中井大助)


今朝の東京新聞から。

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文化庁の移転、都落ちでお気の毒? 「京都ぎらい」の井上章一さん(朝日新聞有料記事より)

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  京都市にある国際日本文化研究センターの所長で、新書「京都ぎらい」で知られる井上章一さん(68)は、京都に来た文化庁の職員は「お気の毒」と感じている。ただ、せっかく来たからには「文化の現場」を見て、霞が関のお役人体質を変えてほしいと願う。井上さんに文化庁の移転について聞いた。

 国際日本文化研究センターの2代目所長、故・河合隼雄さんが文化庁長官の時、文化庁の関西分室を提案し、2007年に京都国立博物館に置かれました。文化庁を関西に持ってくる先陣となりました。それが今回実現したので、めでたいことです。これが公式見解ですね。

 私個人としては、文化庁の方々に、ややお気の毒だなという印象です。もともと移転は第2次安倍政権の地方創生事業の一環でした。東京一極集中の弊害をなくそうと、中央省庁のいくつかを地方に移し、地方活性化の起爆剤にしようとしました。だが財務省や外務省を動かすわけにはいかず、霞が関では比較的、弱小省庁が候補に挙がりました。

 この安倍政権の方針に「嫌だ」という声が文化庁の中でたくさん上がりました。文化庁は著作権や国語をはじめ、様々な文化、芸術を担っています。文化財にしても東京の博物館に多くが収蔵されています。東京にあるほうがメリットが大きいと合理的な意見を言い続けました。

 官邸主導が強まっていたにもかかわらず、文化庁は安倍政権に忖度しなかったわけです。その意味で文化庁は、ほめてあげるべき省庁の一つです。

 移転が決まり、文化庁の職員が何を思っているか考えました。全省庁が地方に散らばるならともかく、「なんで自分たちだけが都落ちして、へき地に飛ばされなければならないのか」という魂の叫び声が聞こえてきます。平安時代、九州の大宰府に左遷された菅原道真のような気分だと思います。

 中央官庁の職員だから、いい大学を出て、子どもをいい学校に入れているでしょう。転校はさせたくないからと、単身での赴任を余儀なくされる職員は多いでしょう。もちろん、子どもと一緒に京都へ移ってくる職員も、いないとは思えません。ですが、転校した子どもたちは半年もしたら京都弁に染まってしまいます。親はいらだつでしょう。同情、察するにあまりある、です。

 受け入れる京都側も抵抗したことがあります。地方創生の「地方」ですね。

 京都は地方ではない。地方という言い方を変えてくれよと、こだわりました。その結果、書類上は「地域創生」に変わりましたね。安倍政権の地方創生はほとんど実っていませんが、京都側は地方呼ばわりを打ち消し、全面的にしりぞけたこととなりました。

 そういう京都側と、地方創生の目的で移転してきた文化庁が、うまく折り合いをつけられるとは思えませんが、京都に来てしまったので前向きに考えなければなりません。

 霞が関の役人は、すべてを書類で判断します。書類の字面だけを見て、これはもっと上にあげよう、これは自分たちの部門ではねつけようと判断しています。

 京都に来たのですから、お寺やお庭をめぐればいい。花街の祇園や上七軒でお茶屋遊びをしてもいい。和食がユネスコの無形文化遺産になったので、料亭の懐石料理を楽しむことも文化観光政策と言えばいい。

 京都で文化が営まれている現場を目にして頂きたい。その楽しさ、おもしろさに目覚めてほしい。書類で判断するのではなく、現場を見て考えてほしいということです。霞が関的な価値観にないもの、東京では味わえない文化の現場を知る意味は大きい。

 そのことを霞が関の中央省庁に伝え、「京都に移った職員は楽しそうに仕事をしているなあ」と思われてほしい。そうすれば、書類だけで動く霞が関文化が変えられるかもしれません。そうなることが難しいことはわかっています。夢物語に過ぎませんけど、そういう願いをあえて言っています。

 京都市民の半数は文化庁が来たことを知らないと思います。地方創生という意味では、文化庁より、たとえば、人気グループを抱えた大手芸能事務所が移ってくるほうが、はるかにインパクトが強い。市民の9割は認識し、京都の再認識につながるでしょう。その意味では、文化庁に大した訴求力はありません。

 とはいえ、農林水産省が捕鯨の国際会議に出席するように、霞が関には外交があります。多くの官僚は伝統的な日本文化とは疎遠だと思いますが、文化庁の職員は、祇園の数寄屋造りの建物で三味線に合わせて日本舞踊を踊る芸妓さんを見ている。こういう体験があるだけで、外国で日本を語るときの隠し味が違ってきます。京都の現場を知ることは、外交的な場での武器にもなると思います。
(聞き手・岡田匠)

「多くのタイ人が驚く結果」が示した社会変化 タイ総選挙(朝日新聞有料記事より)

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 14日に投開票されたタイ総選挙では、下院(定数500)で野党の2党の議席があわせて半数を超えました。政権交代に向けて、連立協議が進んでいます。

 タイでは2014年に軍がクーデターで権力を握り、陸軍司令官だったプラユット氏が暫定首相に就きました。以来軍は、政治の中心を占めてきました。

 軍政から民政へ移行した前回19年の総選挙でも、軍と関係の深い政党が他党と連立を組んで国会での勢力を維持し、プラユット氏の首相就任を支えたからです。

 その現在の連立与党の議席が、過半数を大きく割り込んだ今回の選挙。タイの政治はこれからどこへ向かうのか、選挙戦を現地で視察した法政大学の浅見靖仁教授に聞きました。

 ――選挙結果をどのように見ていますか?

 連立与党側の議席減は、予想されていました。経済の低迷などにより、国民の不満が高まっていたからです。もっと大敗してもおかしくはありませんでした。

 注目すべきは、野党第2党だった前進党の躍進です。多くの人が第1党になると予想していた最大野党のタイ貢献党は伸び悩み、議席を大幅に伸ばした前進党が第1党になりました。多くのタイ人が驚く結果になりました。

 ――前進党は、なぜ支持されたのでしょうか

 前進党は、不敬罪の見直しや徴兵制の廃止といった急進的な政策を公約に掲げ、軍への対決姿勢を鮮明にしました。逆に貢献党は、政権奪取をにらみ、軍に近い政党との連立をはっきり否定しませんでした。

 前進党が議席を増やしたのは、反軍感情の高まりの結果でしょう。政治に介入し、異論を力で抑えようとする軍に対して「言いたいことを言わせろ」と多くの人たちが一斉に声をあげた感じです。

 ――なにが批判されたのでしょうか。

 ひとつは経済の低迷です。コロナ禍で、主力の観光業が大きく傷つきました。ロシアのウクライナ侵攻の影響でエネルギー価格も高騰しています。こうした状況に有効な対策を打ち出せないことに対して批判が高まりました。

 君主制をめぐる問題もあります。20年には王室改革を求める反政府デモが広がりました。しかし、政府はこれを抑え込みました。丁寧に説明する姿勢に欠けていたことも不満が高まった原因の一つです。

 ――投票所での取材では、前進党の支持者には若い人たちが目立ちました。

 若い世代には、声を上げてこなかった大人たちへの不満もあったと思います。

 例えば、14年のクーデター後、プラユット氏はタイ人が守るべき「12の道徳訓」を打ち出して、学校などで唱和させています。「目上の人や、年長者を敬いなさい」といった項目のほか、「正直でありなさい」「国に尽くしなさい」といった項目も並んでいます。

 偉そうに道徳について語っているけど、では自分たちの行いはどうなのか、という不満を若者たちは抱くようになっています。

 軍出身の政治家についてもそうです。官僚や財界人たちの中には本音では軍人が経済や福祉の政策を担うのには無理があると思っているのに、軍人が怖くて声を上げないだけじゃないかといった不満です。

 こうした不満の受け皿となったのが、軍をはっきりと批判した前進党でした。

 ――一方で同じ投票所では、前進党の政策は急進的すぎて不安だから、バランスを取る意味で軍に近い政党に入れたという有権者にも会いました。

 前進党は第1党になったとは言っても、得票率は4割程度です。つまり6割は前進党の急進的な政策を支持していません。獲得議席では、前進党は全議席の約3割を獲得しただけです。これは前進党の連立協議にもかかわってきます。

 ――前進党は、第2党となった貢献党を中心に野党勢力に連立を呼びかけて政権を担うと言っています。

 カギになるのは、140を超える議席を得た貢献党の動きでしょう。貢献党は野党ですが、前進党ほど急進的な政策を打ち出していません。前進党との連立協議でも、政策や大臣ポストをめぐって、前進党から譲歩を引き出そうとするでしょう。

 しかし前進党は安易に妥協すれば支持を失いかねません。難しい交渉になると思います。

 ――貢献党が前進党ではなく、いまの連立与党側と組んで政権を担う可能性もあるのでしょうか。

 貢献党は選挙中、連立与党の中核だった国民国家の力党との協力の可能性を完全には否定しませんでした。しかし前進党が大きく躍進した状況で、すぐに軍に近い政党と組めば、支持者から批判を受けかねません。しばらくは、表向きには前進党との連立協議に応じる姿勢をみせるでしょう。

 それでも前進党主導の連立政権樹立を積極的には支援せず、その試みが頓挫したあとで、「政治を安定させるため」といった理由を挙げて、与党側の一部と組んで前進党抜きの連立政権を作ろうとする可能性もあります。

 そうなれば、ここ20年来のタイ政治の対立軸が変化することになります。

 ――どういう変化ですか。

 タイ政治では、地方の貧困層に手厚い政策を取ったタクシン元首相(在任01~06年)を支持するタクシン派と、都市のエリート層を中心とする反タクシン派の対立が続いてきました。貢献党がタクシン派で、現在の与党側が反タクシン派です。これは地方か都市か、という対立軸でもありました。

 ところが今回の選挙ではそれよりも、軍に近いかどうか、王制をどう受け止めるかといった点が対立軸になりました。軍に近いのが与党側、最も遠いのが前進党。間に挟まれる形になった貢献党には、これまでの対立を超え、与党側と組む可能性も出てきたというわけです。

 ――タイ貢献党がどんな対応を取るにしても、政権内での軍の力は弱まりそうです。

 タイでは06年、14年とクーデターがありました。歴史的にもクーデターが多く、なぜそんなに頻繁に起きるのかと、よく聞かれます。

 端的に言えば、軍の力と軍に反発する勢力の力が拮抗しているからです。

 軍だけが強ければ、いったんクーデターを起こしたあと長期間にわたって軍が権力を握るので、それほど何回もクーデターは起きません。

 タイで何度もクーデターが起きるのは、軍政が長続きせず、クーデターから数年経つと民主化が行われるからです。軍が自発的に身を引く場合もありますが、市民が大規模な民主化要求デモを行って軍を退場させたことも何度かあります。

 今回も、14年のクーデターから10年近くをかけて軍を退潮させる結果になりました。その原動力は若者たちです。集会や街頭デモで声を上げてきましたし、投票率も高齢世代より高いぐらいです。

 声を上げ続ければ、政治や社会は変わっていく。今回のタイの総選挙は、改めてそれを示しているように思います。

ゼレンスキー氏、なぜTシャツ姿? 保安庁幹部が語った情報戦の教訓(朝日新聞有料記事より)

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 カーキ色のTシャツ姿、無精ひげ。とつとつと発する低い声――。ウクライナのゼレンスキー大統領が連日、SNSで自国の窮状を訴えています。欧米などの議会に対し、オンライン形式で語りかける演説にも積極的です。一連の発信にどのような狙いがあるのか。ウクライナの政治・外交が専門の藤森信吉・北海道大スラブ・ユーラシア研究センター共同研究員(ウクライナ研究)は、ウクライナ政府内のある教訓が背景にあると語ります。

 ――ゼレンスキー大統領が各国の議会向けオンライン演説に力を入れています。これまで英国、カナダ、米国の議会などで自国の立場を訴えています。これにはどのような狙いがあるのでしょう。

 ウクライナも含め、多くの国には首脳が外交の一環として他国の議会で演説する慣習があります。ロシアがウクライナ南部のクリミア半島を一方的に併合した後に就任した前任者、ポロシェンコ大統領(在任2014~19年)も各国の議会を訪れて、英語でウクライナの立場を訴えていました。

 ゼレンスキー氏が議会演説に力を入れるのは、こうした従来の慣習に加え、相手国のより多くの人にウクライナの立場を知ってもらうという狙いもあるでしょう。

 ――議会向けに演説することで、どうして多くの人が知るということになるのでしょう。

 相手国の政府との対話ということになると、やりとりは少人数かつ非公開になることが多いです。「議会向け演説なら多数の議員との連帯をアピールでき、より多くの視聴者向けに放送される可能性がある」とゼレンスキー氏は考えているはずです。そうすれば放送を見ている国民にも直接訴えることができ、相手国の世論を味方につけることにつながります。

 本当は対面で訴えるのが一番迫力があるのですが、簡単に首都を離れられず、オンライン形式での演説に力を入れざるを得ない事情もあると思います。

 ――具体的にはどういう事情でしょう。

 戦争の激化で首都キエフ周辺の交通状況が不透明になっており、ゼレンスキー氏が外遊することは簡単ではありません。たとえ首都を出ることができても、ロシア側から「ゼレンスキー氏が逃亡した」と偽情報を流される可能性もあります。

 ――オンライン演説というやり方が最も現実的なわけですね。オンラインだと迫力に欠けるということで、やはりメリットは薄いのでしょうか。

 ところが、そうでもありません。ゼレンスキー氏はテレビタレント出身で政治経験が乏しく、双方向の政策討論は得意ではありません。オンライン演説ならば、議論を求められたりする場面は減るでしょう。

 ゼレンスキー氏は聴衆の心の琴線に触れる表現にたけています。カメラを介した一方向のオンライン演説は、ゼレンスキー氏の個性に合っているともいえるでしょう。

 日々ゼレンスキー氏がSNSで発信するビデオメッセージにも、同じことがいえます。原稿を完璧に頭に入れて話し、見る者の感情に訴えかけてきます。少しかれた低い声でとつとつと話している様子も、好感を呼ぶ要素かもしれません。

 ――ゼレンスキー氏が連日SNSのテレグラムに投稿するビデオメッセージですが、スーツ姿でなくカーキ色のTシャツ姿で、無精ひげものびています。これにも何か意図している部分はあるのでしょうか。

 今のウクライナ大統領府には、ゼレンスキー氏と関係の深いテレビプロダクションのスタッフも入っています。彼らが発信のあり方について、何らかのアドバイスをしている可能性はあるかもしれません。

 ただ、ポロシェンコ前大統領も、親ロシア派武装勢力と向き合う東部の前線を迷彩服姿で視察してきました。ゼレンスキー氏も同様に迷彩服姿で前線の兵士を激励しています。Tシャツ姿でいるのも、単に本人にとってなじみの深い服装だからということではないでしょうか。

 それに、今はキエフでも電気や水道の供給状況が不安定になりつつあります。きれいに洗濯したスーツを着られるかどうかわからない。もし着たら着たで、国民から不満が出るでしょう。

 ひげが伸びていることについても、休みなしで対応していると印象づけたい狙いがあるのかどうか、はっきりしません。ただ、日々のビデオメッセージでの表情を見ていると、ゼレンスキー氏は明らかに極めて強いストレス下にあると感じます。

 ――ウクライナ側はテレグラム、フェイスブック、ツイッター、インスタグラムなどの各種SNSを駆使しています。情報の発信元はゼレンスキー大統領やクレバ外相、ポドリャク大統領府長官顧問ら幹部のほか、非常事態庁、国防省、軍参謀本部など各種の機関にわたります。ここまでSNS発信を強化する狙いは何でしょうか。

 実は、私は2016年2月、研究調査で、ウクライナ東部の親ロシア派支配地域が自称する「ドネツク人民共和国」に行く機会がありました。

 ちょっと経緯をおさらいすると、ウクライナでは2014年2月、市民の抗議でヤヌコビッチ政権が倒れ、親欧米路線の政権が誕生します。東部では、新政権によるパージを恐れた住民・地元政治家にロシアの工作が加わり、ドネツク州、ルガンスク州の一部を占領した「ドネツク人民共和国」と「ルガンスク人民共和国」が出現しました。

 この「ドネツク人民共和国」に行くため、境界線の通過許可をウクライナ政府に申請したところ、情報機関のウクライナ保安庁から意見交換を申し込まれ、幹部と話す機会がありました。そのときに幹部が過去の教訓から学んだことを語ったのです。

 ――どういう教訓ですか。

 「14年のころ、我々は情報発信の面でロシア側にやられっぱなしだった。あのときから我々も相当勉強したんだ」と言っていました。

 14年当時、ロシアはSNSやユーチューブで「ウクライナの新政権はネオナチの集団で、東部のロシア系住民に対して集団殺害(ジェノサイド)を行っている」との偽情報を大量に流し、西側諸国の中にもそれを信じる人が一定程度いました。当時のウクライナは発信力が弱く、ロシア側の言い分を否定するというだけの対応が主でした。

 当時の反省から、今回は、ウクライナ側が死傷した民間人や住宅地が破壊される様子の映像などをSNSで大量に流し、先手先手で情報発信を続けることで、人々の中にウクライナへの同情心、連帯意識が生まれやすい環境をつくり出しているのです。

 ロシア軍の装甲車両が撃破される様子など、ウクライナの人々がシェアしたくなるような映像も、ネットに投稿しやすいよう短めに編集してあり、工夫が見えます。当局の積極的な情報発信をウクライナ住民が大量にシェアし、世界中でウクライナに賛同する気持ちが生まれることに一役買っているのではないでしょうか。

 一方のロシアは今回、フェイスブックやツイッターとの接続問題や運営側による投稿削除があり、こうしたSNSでの情報発信が思ったほど活発ではないという印象を受けます。

 さらに、ロシア軍に制圧された南部の都市ヘルソンをめぐっては、ロシア側が住民投票を一方的に実施して「ヘルソン人民共和国」として独立させようとしている、という動きを地元の当局者がSNSで明らかにしました。先にSNSで世に広めることで、ロシア側の動きを封じようとする狙いもあると思います。

 ――ウクライナ側の積極的な情報発信は、戦争の行方にどう影響を与えていくでしょうか。

 今後、ロシア側が生物・化学兵器を投入したり、都市住民への攻撃を激化させたりすれば、西側諸国がより強い対応を取るよう、後押しすることになるかもしれません。

 一連の情報発信によって世界中の人々の間に親ウクライナ、反ロシアの感情が高まっていけば、その世論が政府の行動に影響を与える可能性があります。北大西洋条約機構(NATO)側からこれまで以上に踏み込んだ支援を引き出せるかもしれません。

 ウクライナとロシアの対立はこれまで、スラブ兄弟国どうしのローカルな問題だととらえられていました。ところが今はロシア軍の非人道的な行いにより、戦争の構図は「国際社会または民主主義諸国」VS.「野蛮なロシア」という構図になりつつあります。

 ウクライナ政府はこの構図を強調し、民主主義諸国の最前線で自分たちが犠牲になっているとして、世界中から支援を得たいと考えています。

    ◇

 ふじもり・しんきち 1968年生まれ。専門はウクライナの政治・外交、エネルギー問題。慶応大大学院修士課程修了後、在ウクライナ日本大使館専門調査員、国際金融情報センター研究員などを経て現職。共著に「ウクライナを知るための65章」(明石書店)など。
(聞き手・佐藤達弥) 

今朝の東京新聞から。

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プーチンがウクライナでの戦争をやめられない理由 N.Y.タイムズ(朝日新聞有料記事より) 

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トーマス・フリードマン

 ウクライナにおける戦争について私が最近あまり書かなかったのは、開戦後の最初の数カ月間から、戦略的な変化はほとんどなかったからだ。その時期は三つの事実がほぼ全てを動かしており、現在もなお、それが続いている。

 第1の事実。私は開戦時にこう書いた。これほど大規模な戦争が始まった時、国際問題のコラムニストとして自問すべき大切な問いは非常にシンプルだ。それは、自分がどこにいるべきか、というものである。キーウか、ドンバスか、クリミアか、モスクワか、ワルシャワか、ベルリンか、ブリュッセルか、あるいはワシントンか。

 この戦争が始まった時点から、どんなタイミングで、どのような展開を見せるのかを理解できる場所はただ1カ所しかなかった。それは、プーチン大統領の頭の中である。残念ながら、プーチン氏は自分の頭の中へのビザは発行してくれない。

 これが現実的な問題になる。なぜなら、この戦争は完全にプーチン氏の頭の中から生まれたものだからだ。すでに明らかになっているように、プーチン氏は閣僚や軍司令官からの進言を頭に入れることがほとんどなく、また、当然ながらロシア国民から強い要請を受けることもなかった。ロシアがウクライナで勝つにせよ負けるにせよ、プーチン氏が終わらせると決めたときにのみ、ロシアはウクライナ侵攻をやめるのだ。

 これは第2の事実につながる。プーチン氏には「プランB」がなかった。キーウに攻め込んで1週間で占領し、傀儡(かいらい)の大統領を据えてウクライナを自らの懐に収め、欧州連合(EU)や北大西洋条約機構(NATO)、西欧文化がロシアに向けてさらなる拡大をすることに終止符を打とうとしていた。プーチン氏がそう考えていたことは、いまや明らかだ。プーチン氏の思い通りになっていたら、彼の影が欧州全体を覆うことになっていただろう。

 そして、これが第3の事実につながる。プーチン氏は、勝てない、負けられない、やめられない、という状況に自らを追い込んだ。もはや、彼がウクライナ全土を掌握することはありえない。しかし同時に、ロシア人の命と財産をこれほど犠牲にした以上、プーチン氏は負けるわけにはいかない。だから、彼はやめられない。

 言い換えれば、プーチン氏は「プランB」を持っていなかったために、ウクライナの町や民間のインフラ施設をしつこく、かつ、しばしば無差別にロケットで破壊する。そうした激しい消耗戦が初期設定であり、プーチン氏はそこにとどまっている。ウクライナ人の血を十分にしぼり上げ、ウクライナを支持する西側の仲間たちを十分に疲弊させ、ロシア語話者がいるウクライナ東部のうち十分なだけの広さの領土を手に入れれば、「大勝利だ」とロシア国民に売り込めるだろうとの期待を抱いていた。

 プーチン氏の「プランB」は、「プランA」の失敗を覆い隠すことだ。ロシアの軍事作戦に正確な名称をつけるとすれば、それは「メンツ保持作戦」となるだろう。

 一国の指導者が、自分がとんでもない愚か者だったという事実をしっかりと隠蔽(いんぺい)してくれる隠れみのができるまで、他国の民間インフラ施設を破壊する――。これが、ウクライナにおける戦争を、現代で最も病的かつ、最も不条理な戦争の一つにしている。

 9日にモスクワで行われたプーチン氏の戦勝記念日の演説を見れば、「ウクライナは実際に存在する国ではなく、ロシアの一部だ」という個人的な妄想から始めた戦争を正当化するために、プーチン氏があらゆる理屈を必死に探していることがわかる。プーチン氏は、自らの侵略について「西側のグローバリストとエリートたち」が引き起こしたと主張した。「彼らは自分たちの排他性を語り、人々を陥れ、社会を分裂させ、流血の紛争と激動を引き起こし、憎悪とロシアへの嫌悪、攻撃的なナショナリズムをまき散らし、そして人を人らしくする伝統的な家族価値を破壊している」と。

 これには驚かされる。プーチン氏はロシアの家族的価値観を守るためにウクライナに侵攻したというわけだ。そんなことを誰が考えただろう。プーチン氏は、彼が本当の国家ではないとするちっぽけな隣国となぜ戦争を始めたのかについて、自国民に説明するのに苦労している指導者なのである。

 プーチン氏のような独裁者がなぜこうも取り繕わなければならないのか、独裁者として望むことの全てを国民に信じさせることはできないのか、と思う人もいるだろう。

 ただ、私はそうは思わない。プーチン氏の行動を見れば、彼がいま、算数とロシア史という二つを恐れているように思える。

 なぜこの二つを恐れるのかを理解するためには、まずプーチン氏を取り巻く雰囲気を考えてみるとよい。偶然にも、私の好きなロックグループのネオン・トゥリーズの「Everybody Talks」という曲の歌詞がその状況をよく表している。中心的なリフレイン(反復句)はこうだ。

ねえ、ベイビー、僕の方を見てくれない?

僕は君の新しいお気に入りになれる

ねえ、ベイビー、何か言うことはないかい?

君は僕に作り話しかしないな

僕は哀れでだまされやすいんだ いつもこうなんだ

僕は気づいたんだ みんなが話しているって

みんな話している みんな話している

最初はささやき声から始まった

 権威主義的な国を取材する国際問題の記者として私が学んだ最も大きな教訓の一つは、どんなに厳しく管理された場所でも、そして、独裁者がどんなに残忍で鉄面皮でも、「誰もが話している(EVERYONE IS TALKING)」ということだ。

 誰が盗みをしているのか、誰が不正を働いているのか、誰がウソをついているのか、誰が誰と浮気をしているのか、人びとは知っている。それはささやき声から始まって、それ以上広がらない場合も多いが、誰もが話すのだ。

 プーチン氏も明らかに、それをわかっている。たとえウクライナ東部をあと数キロ占領し、クリミアを保持したとしても、この戦争をやめた途端、ロシア国民はプーチン氏の「プランB」について、冷徹な算数を行うだろう。そしてそれは、引き算から始まるのだ。

 米ホワイトハウスは、過去5カ月で推定10万人のロシア人戦闘員がウクライナで死傷し、プーチン氏が2022年2月にこの戦争を始めてからはおよそ20万人に及ぶと発表した。

 ロシアのような大きな国にとっても、その犠牲者数は多い。ロシア国民もこのことを話しているのではないかと、プーチン氏が心配しているのは明らかである。その証拠に、あらゆる形の反対意見を犯罪化することだけにとどまらず、4月には徴兵逃れすらも取り締まる新しい法律を強引に成立させた。これによって徴兵を拒む者は、銀行取引や不動産の売却、運転免許証の取得さえも制限されることになった。

 プーチン氏の精いっぱいの努力にもかかわらず、戦争の悲惨な状況や、戦争に参加せずにすむ方法について、誰もがささやき合っている。もし、プーチン氏がそれを恐れていないならば、彼はこれほどのことはしないだろう。

 プーチン氏のロシアを研究する歴史家であり、(シンクタンクの)アメリカン・エンタープライズ研究所の学者であるレオン・アロン氏がワシントン・ポスト紙に寄稿した最近の論考を読んでほしい。そこでは、プーチン氏が3月に、ロシア占領下のウクライナの都市マリウポリを訪ねたことについて書かれている。

 「国際刑事裁判所(ICC)が戦争犯罪の容疑をかけ、プーチン氏に逮捕状を出した2日後、ロシア大統領はマリウポリに数時間滞在した」とアロン氏は書いている。「(中世ロシアの英雄の名が付いた)ネフスキー地区に立ち寄り、新しいアパートを視察し、熱心に感謝する居住者の声に数分間耳を傾ける姿が撮影された。プーチン氏が去ろうとすると、『Eto vsyo nepravda!(全部ウソだ!)』と遠くから叫ぶ声が、かすかに動画に入り込んでいた」

 アロン氏によると、ロシアメディアは後に、「全部ウソだ!」の部分を音声から消去したそうだ。だが、それが当初は残っていたということは、ロシアの公営メディア組織の内部にいる誰かが、反体制的な行為として行った可能性もある。そう、「人の口に戸は立てられない(Everyone talks)」のである。

 このことが、プーチン氏が理解している別のことにつながる。「ロシア史の創造主は、軍事的な敗北にはきわめて不寛容だということだ」とアロン氏は言う。「近現代において、ロシアの指導者が明確な敗北、あるいは勝利が得られないまま戦争を終わらせると、たいてい政権交代が起こる。それはクリミア戦争(1853~56年)や日露戦争(1904~05年)、第1次世界大戦(1914~18年)での後退、1962年のフルシチョフ(ソ連首相)によるキューバからの撤退、さらには、(ソ連共産党書記長の)ブレジネフらが招いたアフガニスタンにおける泥沼化がゴルバチョフ(3代後の書記長)のペレストロイカ(立て直し)・グラスノスチ(情報公開)革命につながったことからも見て取れる。ロシア国民は、よく知られた忍耐強さからさまざまなことを許すものだが、軍事的敗北は許さない」

 プーチン氏のロシアについての本を書き上げたばかりのアロン氏が、ウクライナにおける紛争が終戦にほど遠く、いっそうひどくなる可能性があると主張するのは、こうした理由からだ。

 「プーチン氏にとって、勝つことも、逃げることもできないこの戦争を終わらせる道は、二つある」とアロン氏は言う。「一つは、ウクライナからもう血が流れないところまで続けることと、西側諸国がウクライナ疲れを起こすまで続けること、の両方、もしくはいずれか一方だ」

 アロン氏はもう一つの道をこう読む。「なんとかして米国との直接対決に強引に持ち込み、全面的な戦略核の応酬という崖っぷちに我々を追い込んだ上で、その後一歩引きつつ、恐怖を感じた西側諸国に、ウクライナの中立非武装化と、ロシアによるクリミア半島とドンバス地方の保持を含む、全体的な和解を提案することだ」

 プーチン氏の頭の中に入り、彼の次の動きを予測することは不可能だが、私も懸念せずにはいられない。なぜなら、プーチン氏の行動から察するに、彼は「プランA」に失敗したということをわかっているからだ。そして、プーチン氏自身が国家のためにとの名目で積み上げてきた悲惨な損失を正当化しようと、「プランB」を作り出すことに尽力するだろう。その国家では、誰もが話し、敗北した指導者が穏やかに引退することはないのである。

(NYタイムズ、5月9日電子版 抄訳) 

戦場で捨て駒にされた受刑者たち 記者が見たワグネル戦闘員の素顔(朝日新聞有料記事より)

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 戦場で半年生き残れば、受刑者に自由を与える――。

 映画や漫画のストーリーのような信じがたい手段を使ってロシアは戦争を続けている。

 ロシアの民間軍事会社「ワグネル」の創設者エフゲニー・プリゴジン氏はウクライナ東部での「戦果」を誇り、ロシアでの権力争いの道具にもなっている。プリゴジン氏は「おそらく今、世界で存在する最も熟練した軍隊だ」と強弁する。

 ネット上にはワグネルの戦闘員による残虐な映像があふれ、恐怖を武器にしているかのように思えた。非道なモンスターのようなイメージが私の中で膨らむ一方、実際の戦闘員の素性や肉声はほとんど伝えられてこなかった。

 どのような人が戦闘員として戦っているのか――。

 実態を知るために証言を聞くことが必要だ。戦場やロシア国内でのワグネル戦闘員の取材は極めて困難だ。ウクライナで捕虜となった戦闘員へのアクセスが最も実現に近い手段だった。

 ウクライナ保安庁からワグネル戦闘員の捕虜に話が聞けるとの連絡があったのは、3月下旬だった。

 そして、インタビューに応じた戦闘員5人が語った内容は、プリゴジン氏の主張とはかけ離れていた。

5人の戦闘員が記者に語った、入隊の理由や戦場の様子。そこからは、ロシア社会のひずみや弱みにつけ込んだ実態も見えてきました。

 許可を受けてすぐに、捕虜が収容されているウクライナ中部ドニプロの郊外にある施設に向かった。

 施設は4メートルほどの高い塀と有刺鉄線に囲まれていた。頑丈な鉄格子の門を三つくぐり、看守に施設内の小部屋に案内された。看守が退室し、捕虜が入ってくるのを待った。

 取材に看守は同席しなかった。部屋には私と通訳、戦闘員のみになる。

 激戦地で戦っていた受刑者――。屈強で命知らずな男たちを想像しつつ、心積もりをして待った。

 だが、最初に部屋に入ってきた男性は想像とはまるで違っていた。

 「コンニチハ」

 クバルチノと名乗った37歳の戦闘員は部屋に入るなり日本語であいさつしてきた。気弱そうな男性だった。緊張しているのか不安げな表情を見せた。

 取材が始まると、覚醒剤取引で10年の刑期で服役していたこと、不十分な訓練のまま前線に送られたことや、戦場での恐怖を淡々と話し出した。

 その後に入ってきたのは、ニックネームがブミャーチと言う30歳の男性だった。私が入れ墨をした男性の腕を撮影していると、「全部見たい?」と言ってきた。男性はおもむろに上着を脱いで、やせた体に彫られた入れ墨を得意げに見せ、ポーズをとった。終始、軽い口調で、時折笑いながら話していた。

 取材した5人はみな戦場におびえ、二度と前線には戻りたくないと言っていた。想像した屈強な男も、命知らずの男もいなかった。

 これまで会ったウクライナ兵たちの士気、使命感とは明らかな落差を感じた。

 では、なぜ入隊を決意したのか。意外なまでに共通した答えがあった。犯罪歴を消してもらえるからだ。ワグネルはロシア人の平均月給の何倍もの報酬も約束していた。だが、報酬よりも犯罪歴の消去が大事なのだという。

 5人はいずれも前科3~8犯の犯罪歴を持っていた。前科があるとまともな仕事につけないのだと言っていた。

 「人生をやり直すチャンス」

 この言葉を取材中に何度も聞いた。

 5人のうち、軍経験があるのは1人だけだった。その男性も20年以上前に軍を離れていた。準備もなく最前線に放り込まれたのに違いはなかった。男性は「前線は2~3週間生き残るのも現実的ではない」「受刑者は大砲の餌」と言っていた。

 ▽森を横切る任務を始めたとたん、3方向からの銃撃を受けた▽誰もいないと言われて敵陣に行ったらウクライナ兵が待ち構えていた――。

 5人の証言からは、ウクライナ軍の位置を知るためにあえて突撃させる捨て駒だったことがうかがえた。

 ウクライナに派遣されたワグネルの戦闘員は4万~5万人とみられ、米政府の推計では3万人以上が死傷している。米政府は、昨年12月の死者の90%は元受刑者だと推定し、「訓練や装備、組織的な指揮系統もないまま、刑務所からつまみ上げられて戦場に放り込まれた男たちだ」と指摘している。

 5人の証言は米政府の分析と整合していた。

 取材した戦闘員がワグネルの戦法について表現した言葉が耳に残る。

 「人体のツナミ」

 大量動員し、遺体が積み上がってもなお進ませるおぞましい戦法だ。

 複数の戦闘員がワグネルの「戦果」は「勝利とは言えない」と吐き捨てていた。

 そして、約束された報酬が本人、家族を含めて受け取りを確認できたという戦闘員はいなかった。

 英メディアによると、プリゴジン氏は受刑者を前線に送る意義を強調し、「あなたの愛する人が、棺(ひつぎ)になって戻るのを受け取ることになるのとどちらを望むかを考えたらいい」と語っていた。国民感情も計算した政策だったのだろう。

 私は以前、ウクライナで戦う親ロシア派武装勢力の戦闘員たちの捕虜を取材したことがある。侵攻によって職にあぶれた人たちだった。部隊に加わった理由をカネのためと口をそろえたが、戦意が乏しかったのは今回の5人と共通していると感じた。

 取材した戦闘員からは「この戦争の意味がわからない」という声が漏れた。そして、戦争に加担してしまった後悔を口にした。ただ、今なお、「戦争は西側が引き起こした」と根拠のない主張を引きずる者もいた。

 ロシアはプロパガンダを使いながら、自ら作り出した社会のひずみや人々の困窮、弱みにつけ込んで自国民を戦地に送り、攻撃を続けている。そんな実態が垣間見えた。

 そして最も被害を受けるのはウクライナ市民にほかならない。大義のない侵略で、戦争犯罪を重ねるプーチン政権の罪の深さは計り知れない。
(ドニプロ〈ウクライナ中部〉=杉山正) 

今朝の東京新聞から。

P5181804

ダイヤモンドヒル、その由来。

貴重な映像、なかでも撮影所の位置関係が明確になっています。


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