香港郊野遊行・續集

香港のハイキングコース、街歩きのメモです。

2023年08月

天皇と阿弥陀仏を同一視、なぜ 過去の浄土宗の戦争協力、今も問う(朝日新聞京都版より)

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 今年7月、日中戦争やアジア・太平洋戦争での浄土宗(総本山・知恩院、京都市東山区)の戦争協力についてまとめた報告書が公表された。僧侶有志らでつくる浄土宗平和協会が、学者と共に専門委員会を立ち上げ、3年かけて作成した。終戦から70年以上が過ぎた今、報告書を出す意義とは何か。大津市御幸町にある願海寺の住職で、同協会の理事長を務める廣瀬卓爾さん(78)に聞いた。

略歴

ひろせ・たくじ 1945年生まれ。佛教大学名誉教授で、専門は犯罪社会学。2003年から父が務めていた願海寺(大津市)の住職に。2018年から浄土宗平和協会理事長。

「戦争協力の全体像が分かるものを」

 ――まず、浄土宗平和協会が戦争協力についての報告書をまとめることになった経緯について教えてください。

 浄土宗の総括が非常に中途半端だと感じていたからです。戦後、教団は節目節目で戦争協力について反省する言葉を発していますが、では実態として何をしたのかについては十分に振り返ってきませんでした。

 浄土宗総合研究所(東京都港区)では、個々の僧侶が学術的には評価の高い成果を出していましたが、論文で発表してもなかなか読んでもらえません。5年前に平和協会の理事長を引き受けたことを機会に、専門委員会を作って、戦争協力の全体像が分かるものをまとめることにしました。

 ――2019年に立ち上げた「浄土宗『戦時資料』に関する委員会」では、どのような手法で歴史的な検証をしましたか。

 浄土宗の「宗報」や、宗内で発行された当時の資料に基づいて、日中戦争の開戦(1937年)から、アジア・太平洋戦争の敗戦(1945年)までの戦時協力について分析しました。この分野に精通する宗門内の研究者12人と学者2人の計14人で委員会を作り、宗教社会学者で佛教大学教授の大谷栄一さんに委員長になってもらいました。議論を重ね、作成まで3年かかりました。

終戦後も教団の要職に

 ――報告書では、当時の教団幹部の実名が出てきます。実名については、委員会でも議論になったそうですね。

 戦時中はあらゆる宗教団体が戦争協力をしていましたし、当時の状況では協力を拒むことはかなり難しかったと思います。しかも、終戦後も教団の要職に就いた人や、その薫陶を受けた教団幹部が多くいます。委員会のメンバーは教団内部の若手がほとんどなので、リスクもありました。でも、私は公的な文書に名前があるものは、匿名にするべきではないと考え、委員のみなさんにも了承してもらいました。

浄土宗「戦時資料」に関する報告書

A4判で約170ページあり、6章立て。戦時下の仏教界と浄土宗の動向から始まり、浄土宗の布教方針の変遷、実際の教学・布教活動などについてまとめている。浄土宗平和協会から川中光教・浄土宗宗務総長へ7月に提出された。同協会は報告書を800部作成し、協会員や希望する寺院に送付している。

天皇と阿弥陀仏を同一視、なぜ

 ――報告書の内容で驚いたのは、浄土宗は戦時中、天皇と阿弥陀仏を同一であるかのように教説で示していたことです。

 戦争協力のために、また当時の翼賛的な思潮に合わせてそのような主張をする人まで出てしまいました。その論理については、何度、資料を読んでもよく理解できません。浄土宗にとって、阿弥陀様はとても大事な仏様です。なぜ天皇と同一視してしまったのか。もちろん当時は厳しい状況でしたが、資料からは、ためらうことなく積極的に理由付けをしているようにも読めます。宗祖の法然上人や釈尊の名前が一切出てこない。宗教者であるにもかかわらず、自分が信じているものに依拠せず、教説を曲げている姿勢には愕然たる思いを覚えます。

 一方、出征する同門僧侶にとって、教説に阿弥陀様と天皇が同一とあるならば、天皇の命令に従うしかありません。

 ――協会では、報告書作りに合わせて、浄土宗の寺院に戦時資料の提供を呼びかけました。

 北海道から大分まで、全国の34の寺院から提供がありました。金属供出で、仏具や梵鐘(ぼんしょう)を献納したことはよく知られていますが、中には、本尊である阿弥陀如来の仏像を献納したことを示す写真までありました。

日清戦争の小冊子にも

 ――戦時体制への協力は、日中戦争の開戦(1937年)よりずっと前から始まっていたそうですね。

 調査の過程で、伊藤唯眞門主から小冊子の提供がありました。1894年の日清戦争の開戦直後に、浄土宗が出した「報恩教話」で、当時の日野霊瑞管長が、出征兵士に向けて説いたものです。報告書の最後にあえて全文を掲載しているのですが、教話には「身命を惜しまず天皇の恩に報いることは、臣下たるものの大義名分なので怠ってはならない」とあります。伊藤門主も内容を知って衝撃を受けたとおっしゃっていました。

 ――7月に報告書を川中光教・宗務総長に提出しました。浄土宗の戦争協力について、現在も問い続ける理由を改めて教えて下さい。

 まずは、教団に、戦時下に教団が何を為し何を為さずにいたのかをしっかりと認識してもらいたいのです。次に、若い世代の住職に、戦争協力の事実を知って欲しいという思いがあります。仏教の「不殺生戒」をなぜ守ることができなかったのか。当時の状況だから仕方がなかったという風に思う人が多いかもしれませんが、今の私たちが同じ立場だったらどうすればよかったのかを考え続けて欲しいのです。
(聞き手・西田健作) 

中村時蔵、祖父も演じた大役に挑む 国立劇場で「妹背山婦女庭訓」(朝日新聞有料記事より)

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  建て替えのため秋に閉場する現在の国立劇場では最後となる歌舞伎公演「妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)」が9、10月の2カ月をかけて上演される。9月の第1部は、対立する両家の若い男女の悲恋を軸に、満開の桜が彩る「吉野川」の場を、クライマックスとする構成。中村時蔵が女形の大役、太宰後室定高(さだか)を初役で勤める。

 「定高は、女形の役の中でも一、二を争う大役。祖父の三代目時蔵も演じております。いつかは……と願っていました。連れ合いの跡を守っている、当主のような形でもありますので、それなりの格式が大事ではないかと思っております」

 大化の改新を題材に、天下を狙う蘇我入鹿(そがのいるか)の悪逆と、それに対抗する人々のドラマを描く。家同士が不仲と知らず、恋に落ちた太宰家の娘雛鳥(ひなどり)と大判事清澄(きよずみ)の息子久我之助(こがのすけ)。入鹿は2人を意のままにしようとするが、定高と大判事はそれに屈さず、互いに子供の恋の相手を救おうとする。

 「跡取りがいなくなれば、その家は潰れるわけです。それでも相手の子供は守りたい、助けたいという精神が、この芝居の大きな眼目ではないでしょうか」

 吉野川を挟み、対立する両家の館が並ぶ「吉野川」の冒頭では、本花道から定高、仮花道から大判事が登場。客席を川に見立て、セリフを交わす。「お互いが本心を隠して、腹の探り合いをしている形です。両花道を使うというのは、うまく考えたと思います」

 今回、役を教わる坂東玉三郎からは「泣きすぎないように」と聞いたという。娘の心を思いやり、その首を切る定高。「やはり、強いところがないといけません。ただ、首を切ってしまった後は、どうしても母親としての子供への愛情が、出ないといけないんじゃないかと思います。だから、そこまで『泣きすぎない』ということなんですね」

 1990年代は、2年に一度は上演されていた「吉野川」だが、今回は7年ぶり。現在、定高を演じたことがあるのは玉三郎、大判事は松本白鸚のみだ。

 今回、大判事を演じるのは、やはり初役の尾上松緑。「最初は気後れした様子だった」という松緑には、「高麗屋のお兄さん(白鸚)に教えて頂けるチャンスだよ」と声をかけ、背中を押したという。「次の世代に渡していかなければ。先輩から聞くということは大事なことです」

 66年開場の国立劇場には、10代の頃から度々出演してきた。特に思い出深いのは、69~75年に開かれた、若手による勉強会「杉の子会」だという。

 「ちょうど子役が終わったぐらいの年齢でした。今ほど、若手がいい役をできる場所がありませんでしたから……。公演でやることも大事ですけれど、大先輩から教えて頂いたのが、とてもいい財産ですね」

 この会で初めて演じた「本朝廿四孝(ほんちょうにじゅうしこう)」の八重垣姫のほか、「鏡山旧錦絵(かがみやまこきょうのにしきえ)」の中老尾上も、国立劇場の公演を機に、六代目中村歌右衛門に教わった。「怖かったですよ……。でも、言い方にユーモアもあるんですよね。的確なことをおっしゃって下さるので、自分が教わる時以上に、他の方の稽古を見ているのも楽しかったです」と振り返る。

 10月に上演される「三笠山御殿」の場では、「豆腐買(とうふかい)おむら」を、こちらも初役で演じる。一座で主役級の俳優が特別に出演して、観客を喜ばせることが多い役。「色々な方のものが目にありますし、自分から『やりたい』と言いました。長い芝居の中で、お客様がホッとできる、しゃれっ気のある場面ですよね」

 今回、元になった全5段の人形浄瑠璃のうち初段と三、四段目にあたる部分から、人気の高い場面や国立劇場が復活した場面を、2カ月かけて「通し」上演する。「時間的なこともありますし、今となっては全段をご覧頂くのは難しいと思います。その中で三、四段目は、良い場面がふんだんにあります。ぜひ、見て頂きたいなと思います」
(増田愛子)

中国経済のつまずき 「奇跡の終わり」 の始まりか N.Y.Timesコラム(朝日新聞有料記事より)

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ポール・クルーグマン

 2年前、中国は好調だった。数十年にわたる奇跡的な成長は、ひどく貧しかった国を経済大国に変え、国内総生産(GDP)では米国を上回る指標もあった。新型コロナウイルスに対する中国の積極的な対応は広く称賛された。世界各地でインフラ投資を進める「一帯一路」構想は、明らかに世界的な影響力を狙うもので、もしかすると覇権までも狙うものだった。

 しかし今、中国はつまずいている。コロナ感染流行の兆候が出た時点で都市を封鎖する「ゼロコロナ政策」は、継続が難しいことが証明されたが、この政策をやめても、期待された経済の躍進は生まれていない。実は、中国は今、デフレに見舞われており、1990年代の日本の景気後退と比較される状況になっている。(もっとも、日本は実際は通説よりはるかにうまくやっている)

 何が間違っているのだろうか。中国は景気を好転させることはできるのか。また、世界各国、特に米国は、どう対応すべきなのだろうか。

 中国のつまずきは、現指導部の政策によるものだとみる専門家もいる。ピーターソン国際経済研究所のアダム・ポーゼン所長の最近の有力な論考は、中国は「経済版コロナ後遺症」に苦しんでいると指摘している。これは、政府の恣意的な介入がもたらした民間セクターの信用低下であり、コロナ前から始まっていたものだが、それ以降さらに強まっているというものだ。

 だが、習近平国家主席の行動は一貫性がなかったものの、私は中国の問題をより構造的なものととらえるカーネギー国際平和財団のマイケル・ペティス氏のような経済学者と同じ立場をとる。

成長の鈍化は必然 不動産が覆い隠してきた

 基本的なポイントは、中国が様々な方法で個人消費を抑制したことで巨額の貯蓄が積み上がり、それを何らかの形で投資する必要があるということだ。これは、中国が欧米の技術に追いつくことで年率10%もの成長をとげていた15~20年前には難しいことではなかった。急成長する経済は膨大な資本を有効に活用できる。しかし、中国が豊かになるにつれて生産性の急速な向上を望める余地が狭まり、生産年齢人口の増加が止まって減少に転じた。

 そして、必然的に成長は鈍化した。国際通貨基金(IMF)は、中国が中期的に期待できる成長率は4%を下回るとみている。これは悪い数字ではない。多くの専門家が予想する米国の成長率の2倍くらいだ。しかし、中国はまだ、GDPの40%以上を投資しようとしている。それは成長率の低下を踏まえれば不可能だ。

 こうした問題は10年ほど前から明らかだったが、中国は巨大な不動産部門を生み出すことで、それを覆い隠してきた。この戦略は持続不可能だった。習氏のへまは報いを受ける時期を早めたかもしれないが、抜本的な改革がなければ、中国が今のような苦境に立つのは時間の問題だった。

「中国の地位を終わらせるものではない」

 では、中国は再起不能なのか。「中国経済の奇跡の終わり」と断言するポーゼン氏は正しいのだろうか。

 私はそうは思わない。アダム・スミスはかつて、「一国を襲う混乱の種は、ごまんとある」と述べた。中国はすでに超大国であり、現在のつまずきがその地位を終わらせることは考えにくい。さらに、中国政府は成長を持続可能なものにするかもしれない改革に奇妙な抵抗をしているが、この抵抗がいつまでも続くとは考えられない。

 中国の問題は米国にとって何を意味するのだろうか。バイデン政権は中国に、非常に強硬な姿勢を示してきた。強気な発言をするもののほとんど無策だったトランプ前政権よりも、はるかに強硬だ。米国政府は今、中国への依存を減らすため(自国や同盟国などでの)半導体生産を促す一方で、先端半導体チップの(中国への)輸出を阻止しようとしており、最近はハイテク分野での対中投資を禁じている。

 中国の世界支配への道がなくなりつつある今、こうした行動は要らなくなったのだろうか。

 いや、指導部が年々より独裁的でより不安定になっているように見える超大国の将来の行動を心配するのは、外国嫌いでなくても同じだろう。その超大国が危害を加える力を弱めようとすることは、たとえ多くの人を不安にさせるとしても、理にかなっている。そして、多くが予測するほどの超大国に中国がならないかもしれないという可能性も、その計算を変えるものではない。

持続可能でない投資、減らす改革が必要

 どちらかというと、中国の問題は予防的な行動の論拠を強化するかもしれない。中国の統治者たちは長い間、支配の正統性を経済的な実績に頼ってきた。彼らはいま、特に直近では若者の失業率の急上昇といった国内問題に直面している。彼らはどう対応するのだろうか。

 理想的なのは、私が述べたとおり、長年必要とされてきた、家計所得を向上させて消費を増加させ、持続可能でない投資を減らす改革を推し進めることだ。

 しかし、独裁政権が国内の困難に対処するために、対外的な冒険主義で国民の気をそらそうとすることがあるということは、歴史をあまり勉強していなくてもわかるだろう。

 そうなると言っているわけではない。しかし、現実的に中国の国内問題は、世界の安全保障に対する脅威を減らすどころか、より大きくしている。

「米国人も疑問? トランプ氏、なぜ今も話題の中心 米識者が読み解く(朝日新聞有料記事より)

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米ブルッキングス研究所 ウィリアム・ガルストン氏に聞く

 2024年の米大統領選に向け、共和党では、4度も起訴されたトランプ前大統領がいまだに他を圧倒する有力候補となっている。なぜか。かつて大統領選に関わった経験もある米ブルッキングス研究所のウィリアム・ガルストン氏(政治学)に聞いた。

 ――トランプ氏がなぜ、いまも米国の政治的な議論の主軸なのか、多くの日本人が疑問を抱いています。

 多くの米国人も同じ疑問を持っています。以前なら、4度も起訴されたトランプ氏が大統領選に出る資格はないとみなされていた。しかし、いまの米国は政治的に深く分断され、普通の時代とはいえません。バイデン大統領や民主党に反発する人々は情緒的にトランプ氏と結びつき、司法省が無実の罪でトランプ氏を責めていると信じています。トランプ氏が攻撃されるほど、支持者は熱心になるのです。

 ――共和党には主張が似た候補者もいるのに、トランプ氏ばかりが支持を集めるのはなぜなのでしょう。

 米国には「数十年にわたって自分たちの声が聞いてもらえず、困難な状況に目を向けてもらえなかった」と感じてきた人々がいます。製造業に携わり、グローバル化で苦境に陥った人たちが多い。性的少数者の問題などについても保守的な価値観を持っています。トランプ氏は「あなたたちを見て、声を聞いている。あなたたちを擁護する」と言いました。こうした人々が抱く経済的、文化的な苦しみを、過去の誰とも違う形で明確に示したのです。

 ――フロリダ州知事のデサンティス氏もそうした人の受け皿をめざしています。なぜ、トランプ氏がより魅力的なのでしょうか。

 すでに「本物(トランプ氏)がいるのに、なぜデサンティス氏を支持しなければならないのか」と感じる人が多いのではないでしょうか。トランプ氏は大統領をすでに4年間務め、支持者はトランプ氏の実績を見て好評価している。トランプ氏が何をするか知っていて、推測する必要もない。

 一方、デサンティス氏の州知事としての行動から、大統領として何をするかは必ずしも予見できません。(支持者にとっては)トランプ氏という確かなものがあるのに、なぜデサンティス氏と取り換えるギャンブルをしなければならないのか、ということになる。

 トランプ氏がコカ・コーラだとすれば、デサンティス氏はコカ・コーラゼロ。ゼロを好む人もいるけれど、コカ・コーラを上回る選択肢にはならない。

 ――トランプ氏の人気の秘密は、人柄でしょうか。それとも、彼が示した以上の政治的な課題をほかの候補が示せないことですか。

 トランプ氏は際だった個性と独自の政策を兼ね備えていました。多国間の貿易協定を認めず、民主主義を守るためとして米国が他国に介入することには否定的です。(排外的な主張を背景とした)移民政策も特徴的です。個性の勝負なら、トランプ氏が負けることはない。そして共和党内では、トランプ氏が示した政治課題に代わる強いテーマを打ち出せていません。

 ――トランプ政権下では、成果より問題の方が多かったのではないでしょうか。

 連邦最高裁で保守派判事を多数派にしたことや、不法移民の入国規制などは、支持者にトランプ政権の成果として好まれています。トランプ政権の(コロナ禍前の)18~19年には中間層の給与が上がり、いまのようなインフレもなかった。支持者は、トランプ氏が経済発展を導いたとみています。

 米国の強大な軍事力に欧州やアジアの同盟・友好国が「ただ乗り」している、と考えている人たちも、トランプ氏が日本や韓国に圧力をかけて防衛力への貢献を高めさせたと捉え、評価しています。トランプ氏は次の大統領選候補になれば、再び同じような主張をすると思います。

 ――24年の大統領選は再び、トランプ氏とバイデン氏との対決になるでしょうか。

 現時点ではその可能性が高い。現職対前職となれば、1892年以来、史上2度目のことです。実現したら、前職のトランプ氏も1期目の実績を訴えて返り咲きを目指す形になり、あたかも「現職」同士が争うような構図になる。現職大統領が再選を目指す選挙は、通常なら、4年間の実績に対する信任投票になりますが、今回はそれぞれの候補が大統領を務めた4年間の実績が比べられることになります。

 ただ、共和党側では候補者選びでまだサプライズがあるかもしれません。いまは本命とみられていない候補が、予備選の初期段階で勢いを得る可能性はある。起訴されたトランプ氏のように法的な問題を抱えず、政敵もいない候補――たとえば、ともにサウスカロライナを地盤とする女性のニッキー・ヘイリー元国連大使や、黒人のティム・スコット上院議員です。そうなる可能性が高いとは思いませんが、まだ、トランプ氏とバイデン氏の戦いになると決めつけるべきではないでしょう。

(ワシントン=望月洋嗣)
 

「ロシア側の情報だけでは危険」 ウクライナ側の見方を知る必要性(朝日新聞有料記事より)

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 ウクライナの国営通信社「ウクルインフォルム」の日本語版編集者を務める平野高志さん。インタビューの後編では2014年のロシアのクリミア侵攻の際に平野さんが日本の言論空間に対して抱いた危機感や、ウクライナとロシアの関係修復のために必要な条件について聞きました。

 ――ウクルインフォルムで働きながら、20年にガイドブック「ウクライナ・ファンブック」を出版されました。ウクライナの歴史や政治情勢についてしっかり紙幅を割いている一方で、観光名所やグルメの写真がとても豊富で、親しみやすいですね。

 「(ウクライナ南部クリミア半島をロシアが一方的に併合した)14年の問題でウクライナに注目が集まった時、私は日本でウクライナのことがいかに知られていないか、衝撃と危機感を覚えました。ウクライナ発の情報がもっとあるべきですし、それにはまずウクライナについて関心を持ってもらわないといけない。そんな思いを胸にツイッターで情報を発信していたら、出版社から声がかかりました」

 「何よりもまず、学術的な難しい本ではなく、誰もが一目で読んでみたいと思うような、ウクライナという国を面白いと思ってもらえる本にしたかったのです。文化や食べ物、歴史、言語といった基本的な情報について、楽しくビジュアルで伝えることを心がけました」

 ――日本でウクライナのことが知られていないのは危険だと感じたのはなぜですか。

ロシアのプロパガンダ戦略

 「当時、日本でロシアが人気があったとは思いませんが、それでもロシアに関する情報は日本でアクセスが可能で、色々な専門家がロシア側の見方を伝えていました。例えば、クリミア半島は元々ロシア領だったから、ロシア人がそれを取り返したいと思うのは当然なんだといった言説を伝えている人が多かったですね。ウクライナ側の見方を知らないと、ロシアの主張を相対的に、そして批判的に考えることができません。侵略する側の国の情報しかアクセスできないというのは非常に危険であり、アンバランスだと思いました」

 ――ウクライナ東部地域はロシア語話者が大半だから、ロシアとの関係の深化を求める傾向が強いといった言説もあります。

 「私は賛同できません。ロシア語を話せたり、ロシアに親近感があったりすることと、ロシアの行動に賛同することは全く違います。ロシアはそのあたりのわかりにくさを、うまく偽情報に使っています。小さな違いがとても重要なのに、それをできるだけ隠す形でプロパガンダを流しているのです」

 「現地に行けばすぐにわかりますが、ロシア語を話していたり、自分を民族的にロシア系だと見なしていたりしても、ロシアの行動に強く反対するウクライナ人は大勢います。アイデンティティーや考え方は様々なのに、あたかもロシア語を話す人はみんな親ロシアでロシアの行動に賛成だといったプロパガンダが広まったのは、非常に危険でした」

 ――プロパガンダを発信しているのはロシアだけでしょうか。

 「ウクライナ発の情報だからといって全てうのみにする必要は全くありません。ロシア発かウクライナ発かに関わらず、批判的に情報を見ることは非常に大切です」

 「ただ、私は過去の経緯や傾向を見ないといけないと思います。ロシアがこれまでどのような情報を流し、そのうちどれが偽情報だと判明したのか。そして、どれほど多くの偽情報を発信してきたのか。そういったことを把握した上で、ウクライナが発信している情報にも偽情報があれば、それはきちんと正さなくてはならない。ただし、これまでの傾向を考えれば、ロシア発の情報も、ウクライナ発の情報も同じ規模の偽情報があるはずだと考えるのは無理があると思います」

関係修復には…

 ――どうすれば両国の関係を修復できるのでしょうか。

 「これほどまでに広がったウクライナ人のロシアへの拒絶感が今後、どう変化するかは、第一に戦争の終わり方次第だと思います。例えばロシアが敗戦し、全面的に謝罪をし、多額の賠償を支払った上で、人々の痛みや苦しみ、恨みが和らぐだけの年月が経てば、両国の関係は正常化できるかもしれません」

 「一方でロシアが敗北せず、謝罪も行わない場合は、たとえ半世紀たっても関係は戻らないのではないかと思います。これ以上、死者を増やさないために即時停戦すべきだといった意見もありますが、それではロシアは自分の態度を改めることにはなりません。憎悪の連鎖は止まらないですよ」

 ――日本はウクライナにもロシアにも肩入れせず、中立を保つべきだとする意見もあります。

 「例えば、インドや東南アジアなどの国々は比較的中立の立場をとっているとされます。ただ、現在の侵略戦争という明らかな国際法違反や戦争犯罪に対して中立に向き合ってしまったら、今後も悪いことを悪いと言えなくなってしまうのではないでしょうか。自分の国が同じことをされた時に、糾弾できなくなってしまう。

ルールに違反し、明確に悪いことだと判明している場合には、毅然とした態度を取ることが法の秩序を守ることです」

受け入れられている感覚

 ――平野さんはウクライナの人々のどんなところが好きですか。

 「特定の国の人々をひとくくりにして語るのはあまり好きではありませんが、あえて言えば、受け入れてくれるところですかね。私は日本人ですが、外国人でもコミュニティーの中に受け入れられているという感覚を強く持っています。見た目や言語の壁であまり排除はしないですね。感情も豊かで、一緒にいて楽しさを感じています」

 「一方で、苦手な部分もあります。例えば、感情が豊かな分、その浮き沈みが激しい傾向がある。長期的な計画を、忍耐力を持って達成するというのも、あまり得意ではなさそうです。ですが、それは私が補えることでもありますし、提案すれば意見もきちんと聞いてもらえる。社会に受け入れてもらいつつ、自分が貢献できることもあるということが、居心地の良さにつながっています」

(聞き手・根本晃、伊藤弘毅) 

今朝の東京新聞から。

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「プリゴジンの乱」とは何だったのか マフィアと道化とプーチン(朝日新聞有料記事より)

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 四半世紀近いプーチン治世下で最大の危機――。6月下旬にあったロシアの民間軍事会社ワグネル創設者エフゲニー・プリゴジン氏による反乱は当初、西側メディアでそんな風に受け止める声が目立ちました。一方、ロシアの近現代史に詳しい東京大学の池田嘉郎教授の見方は異なるようです。

 ――プリゴジン氏の行動をどう受け止めましたか。

 いまだ不明瞭な部分もありますが、私は反乱やクーデター、蜂起という言葉で表現するのが適切だとは思いません。プリゴジン氏は権力の奪取を目的としていたわけではない。むしろ、プーチン氏が一番偉いという秩序を前提とした上で、ショイグ国防相とゲラシモフ参謀総長の罷免を求めた。これは日本史的用語では「強訴」、西洋史的には「プロテスト(異議申し立て)」という表現がふさわしいと思います。

 「将軍や代官が一番偉いのはわかっているが、最近飢饉が続いている割に、年貢の取り立てが厳しすぎるじゃないか」。これが強訴の例です。プリゴジン氏も同じように「自分たちはこれだけ(ウクライナ東部バフムートなどの)戦場で犠牲を出しているのに、プーチン氏はショイグとゲラシモフを優遇している。もう少し我々のことを考えてくれ」と訴え出たのです。

 プリゴジン氏はモスクワへの進軍を「公正の行進」と自称しました。「公正」を掲げるのは「我々にこそ道理がある」と主張することで、まさに強訴やプロテストの特徴です。

 ――プリゴジン氏は強盗などの罪で20代を獄中で過ごした後に飲食事業に参入し、プーチン氏の庇護を得て財産を築いたとされ、2014年にワグネルを創設しました。一方でチェチェン共和国のカドイロフ首長なども自前の民兵組織を有しています。ほかにもロシアには様々な勢力がプーチン氏の周辺にいます。

例えるならマフィアの権力関係

 ロシアでは1991年のソ連崩壊後、中央権力が弱体化し、各地で共産党やKGB(国家保安委員会)の残党、新興財閥らが利権を牛耳るようになりました。2000年に大統領に就任したプーチン氏はそうした利権の構造を温存したまま、中央集権化を進めました。難しく言えば、各地の地方権力が王権の下で形だけ統合されていた16~17世紀のヨーロッパのような初期近代国家に似ていますが、マフィアの権力関係に例えるとわかりやすいでしょう。

 具体的には、プーチン政権下ではショイグ氏、ゲラシモフ氏、プリゴジン氏、カドイロフ氏ら取り巻きの様々な利権集団があり、プーチン氏が彼らの親分として各集団の利害を調整して統治しています。

 互いに利権を維持し合うなれ合いの中で、子分たちは誰がプーチン氏のより近くにいられるかを競っています。今回はそのバランスが少し崩れ、利権集団の一つであるプリゴジン氏が、別の利権集団であるショイグ氏、ゲラシモフ氏に対抗したというのが私の理解です。

 ――プーチン政権が戦争の苦戦や兵士の犠牲の実態を国民に隠蔽する中で、プリゴジン氏は反乱の以前から、ロシアのエリート層への痛烈な批判を繰り返していました。

 プリゴジン氏の演説はある意味、民衆のガス抜きとして、中世ヨーロッパで宮廷におかれていた「道化」のような役割を担っていました。道化が王様をバカにすると、王様は怒りますが、道化を処分はしない。道化は王様の権力を愚弄することによって、逆説的に人々に秩序を意識させるという役割を果たしていたのです。プリゴジン氏も軍をやり玉にあげてもプーチン氏を直接は非難しないなど、「ここまではセーフ」という一定のルールの中で批判を展開して、庶民の喝采を受けていました。

 ――プリゴジン氏が反乱によってロシア南部の都市ロストフナドヌーを制圧した際、市民から歓迎を受ける姿が報じられました。

 ロシアの世論調査によると国民の約8割が侵攻を支持していますが、終わりは見えず、世界中から非難され、閉塞感は強いと思います。また、ロシアは格差が激しく、庶民は権力者や、腐敗した地元の警察、軍、役人らに日常的に恨みを抱いています。大衆としては、ワグネルがその「秩序」に混乱をもたらし、全く別の可能性を切り開くと一時的に期待したわけです。不公正な秩序が一挙的に変わる「真実の瞬間」がくる、という世界観も中世・近代のヨーロッパやロシアの民衆が抱いていたものです。

 ――プーチン氏はプリゴジン氏の反乱を受け、当初は反逆者として厳しく処分すると宣言していました。ですが、結果としてプリゴジン氏は足元ではロシアやベラルーシ国内を自由に移動しているようです。実質的には無罪放免に見えます。

 現代国家において、反乱とは国のシステム全体を覆そうとする深刻な事態です。ところが、欧米や日本と異なり、ロシアは現代国家の前提となる法の支配や民主的選挙ではなく、人間関係で成立する社会です。有力者であれば法を犯しても処罰されない。ロシアでは結局、裁くのはプーチン氏なのです。

 今回で言えば、子分の一人でなおかつ道化的な役割を担ってきたプリゴジン氏が、「ちょっとやり過ぎた」。だからマフィアの構図で言えば、別の組(ベラルーシのルカシェンコ政権)のところで預かってもらうことになった。日本の江戸時代で例えると「お家取りつぶし」にまでは至らないが、もめ事を起こした責任を取らせて、領地を移し替える「国替え」を行うといった感じです。(反乱の最中に)ワグネルの攻撃によってロシア軍のヘリコプターが撃墜されて10人以上のパイロットが死亡したとされますが、それも罪に問われていない。プーチン氏は人の命の上に立っており、彼の言動こそが法律なのです。

プーチン体制、傷ついていない

 ――反乱によってプーチン体制にひびが入ったとの指摘が当初、西側メディアで目立ちました。

 西側の自由民主主義では、民意が離れれば政権は選挙で審判を受けて崩壊します。ですが、ロシアでは民意があろうがなかろうが、政権が警察などの治安機関や軍をコントロールしておけば、民衆は力ずくで抑えられるわけです。

 プーチン体制はあの巨大な国の中で、テクノクラート(合理主義的な技術官僚)から武闘派、地方エリートまで様々な利権集団を上手にまとめています。結局エリートとしては、各自が甘い汁をすすれればよいわけです。

 今回、プーチン氏が築き上げたシステムは傷ついていないように思います。仮にプリゴジン氏がプーチン氏を武力で打倒していたとしても、誰も言うことを聞かなかったのではないでしょうか。エリート間のバランスが崩れてしまいますから。

 私はプーチン体制の現状には批判的ですが、研究すればするほど、プーチン体制は結構柔軟で、簡単にはゆらがないことがわかるのです。

(聞き手・根本晃)
 

ロシアの偽情報に対抗 ウクライナの反省「戦争は頭の中から始まる」(朝日新聞有料記事より)

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 ロシアによるウクライナ侵攻から24日で1年半となる。各地で激しい戦闘が続くが、ウクライナはインターネット空間も「戦場」の一つとして戦いを続けている。ロシア発の偽情報やプロパガンダに、ウクライナはどう対抗しているのか。

 「正直、なぜ2014年にこの機関がなかったのか、私にはわからない」

 ウクライナの政府機関「偽情報対策センター」の幹部、アナイート・ホペリア氏は7月、オンライン取材にそう吐露した。

 センターでは、平均年齢25歳の職員52人が、ウクライナに関する虚偽情報を監視・分析する。

クリミアの反省生かす

 ホペリア氏の言う「2014年」は、ロシアがクリミア半島を一方的に併合した年だ。「大規模な実地での攻撃と、ネット空間での攻撃がウクライナで同時に展開された。ロシアのプロパガンダに大きな影響を受けてしまった」

 当時の反省も生かして21年にできあがったセンターは、上部組織である国家安全保障防衛会議に毎週、報告書を出す。「ウクライナ軍が生物兵器を使った」「西側諸国はロシアと交渉し、平和に戦争を終わらせたがっている」――。ネット上のそういったウソについての報告書をつくり、今後のロシアの動きを予測し、警鐘を鳴らす。

 他国との連携も重要だ。最近、「ポーランドがウクライナを併合しようとしている」という偽情報が広がった際には、ポーランド政府と協力した。ホペリア氏自身は来日し、日本の政府関係者とも偽情報対策について意見交換をしたという。

 「戦争はまず、頭の中から始まる。情報空間はいまや、実際の戦場と同じぐらい重要になっている」

 14年以降、ロシア側からの偽情報への対策にあたってきたのは政府機関だけではない。「報道の自由促進」を掲げるNGO団体「ディテクター・メディア」もその一つだ。

 特に22年2月に始まったロシアによる侵攻以降、ウクライナ関連の報道やSNS投稿について毎日ファクトチェックを行い、「偽情報」と認定したのはこの1年半で1500以上に上る。「情報は、最も影響力のある武器だ」とヤロスラウ・ズブチェンコ副編集長は言う。ロシア側の偽情報の狙いについては「誰も信じられない、何を信じたらいいのかわからない、と思い込ませることだ」とみる。

 たとえば6月にウクライナ南部のカホウカ・ダムが決壊した際、「ウクライナのしわざだ」「米国がやった」といった相反する複数の主張がロシア側から広がっていたという。

 ズブチェンコ氏によると、ロシア側は14年、ウクライナで政府側と反政府側の「内戦」が起きているという主張を世界に向けて発信。ロシアが介入しているという批判を打ち消すため、あくまでウクライナ国内で争いがおきているという根拠のない論陣を張り続けたという。「そうしたプロパガンダは大きな成功を収めてしまった」

 ズブチェンコ氏は「もう二度と同じことが起きてほしくない」と強調。ただ、「たとえばハンガリーでは多数が『ウクライナ侵攻はNATOの失敗だ』というナラティブ(言説)を信じている。14年と同じことが起きつつある」と嘆く。

 オンラインメディア「ニュース・オブ・ドンバス」で、主にウクライナ南東部の情報を発信するユリア・デビコ記者は、ロシアが一方的に併合を宣言した東部ルハンスク州生まれ。ロシア語話者に囲まれて育ち、昨年2月に全面侵攻が始まる前日まで、港湾都市マリウポリで記者として8年を過ごした。

 勤務先のサイトは、ロシア側が「ドネツク人民共和国」「ルガンスク人民共和国」と自称する「政府」から、15年ごろになって閲覧を制限する措置を受けた。「ウクライナ寄りだ」と判断されたことが理由だったとみられる。

 ロシア側から標的にされた編集長の写真は「まるで裏切り者の犯罪者」のように政府庁舎に掲げられ、また、車が燃やされることもあったという。

 「彼らは、ある出来事が起きると可能な限り多くのパターンの説明をする」と言う。

ロシア、偽情報の狙いは

 ロシア側の偽情報をここ10年ほど目の当たりにしてきた。

 14年7月にウクライナ東部の上空でマレーシア航空機が撃墜され、298人が死亡した事件では、ロシア側から様々な情報が流されたが、主張する攻撃主体がばらばらなど、矛盾していることも多かったという。

 「ロシアの偽情報キャンペーンの狙いは、情報空間の中に混乱を作り出し、人間に対する不信感を高め、人びとを分断することだ」。だからこそ、事実を伝える記者の仕事が重要だと考えている。

 一方、ロシア側のプロパガンダを「両論併記」の名のもとで伝えるメディアの問題点は「真実をゆがめてしまう」とかねて指摘されてきた。NGO団体「リビウ・メディア・フォーラム」(LMF)は昨年12月から今年3月に西側メディアの編集幹部への聞き取りなどをして、報道のあり方に関する報告書を出した。

 「ウクライナが痛みを伴う妥協をしても、和平交渉が必要だ」「ウクライナへの支援は戦争を長引かせるだけだ」――。両論併記の結果、意図せずして、読者にそうしたロシア側のナラティブを広めてしまっていることが確認されたという。

 元記者でLMFのアナリストを務めるゾヤ・クラソウスカ氏は「ファクトチェックや論破も大事だが、それぞれのコミュニティーで情報にまつわる信頼関係を作り上げることが重要だ」と、メディアと受け手側の関係の重要性を訴える。

 そのためには、メディアが「何がプロパガンダか」を議論・共有し、正しい知識を持つ専門家の視点も交えながら、市民の信頼を勝ち取る必要があると話す。

 「ロシアの脅威を完全になくすことはできなくても、一定程度コントロールし、権利や自由、生命が脅かされた際に自分を守ることができる状態が『平和』ではないか。未来の社会のために、私たちにいま、できることがある」
(リビウ=藤原学思) 

性の気配を消した“千年の都”の半世紀 「京都ぎらい」井上章一氏(朝日新聞有料記事より)

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 「そうだ京都、行こう」。30年前の観光キャンペーンには、やや時代を感じる。今の京都は「そうだ」と思いつく行き先ではなく、真っ先に浮かぶ大本命の観光地だろうから。今春には文化庁も移転、千年の都はさらなる文化的高みを得るのか。そうだ、京都で育ち、ベストセラー「京都ぎらい」をものした井上章一さんに聞いてみよう。

いのうえ・しょういち 1955年生まれ。京都・嵯峨出身。国際日本文化研究センター所長。専門は風俗史、建築論など。著書に「霊柩(れいきゅう)車の誕生」「つくられた桂離宮神話」「美人論」など。

 ――今春に文化庁が京都に移転しましたが、「文化首都」をうたう京都側にとっては、移転実現は「勝利」なのでしょうか。

 「歓迎している人は多いですね。ただ、京都府・京都市の姿勢には問題があると思っています。中央省庁の移転は、安倍政権による『地方創生事業』の目玉政策でした。ですが、京都側は『地方』という言葉をいやがり、関係書類や会合の名称を『地域創生』に換えさせました。京都は『地方』じゃないと主張し、それを押し通したんです。しょうもないことにこだわる行政やなと感じています」

 ――京都にある日本文化研究拠点の長としては、喜ばれてもいいはずです。

 「ここの2代目所長は河合隼雄先生(元文化庁長官)でした。河合先生は文化庁の京都誘致を早くから目指しており、それが実現したわけです。現所長の私は、河合先生のご努力に敬意を示すべきでしょう。これが公式見解です」

 ――本音はどうでしょうか。

「都落ち」なんやろうな、と

 「文化庁側は移転に抵抗してきました。国宝や重要文化財の多くが東京にあり、また著作権問題などへの対応も考えると、文化行政の拠点は東京にあったほうがいいといった理由を挙げていましたね。私は、聞きながら、要するに来たくないんやろうな、と思っていました。京都への赴任は『都落ち』なんやろうな、と」

 「かつて何回も聞かされました。京都へ家族で赴任された東京の女性が、面と向かって私に『子どもが汚い言葉を覚えて困る』とこぼすのを。汚いって、京都弁のことですよ。子どもの教育に熱心な霞が関の官僚は、東京の名門校へ入れた子どもを田舎の京都へ転校させたくないと思うでしょうね。私は同情しています」

 ――今日も京都駅は大混雑でした。コロナが明け、雑誌やテレビでは年中「京都特集」をやっていて、京都人気は高まる一方です。

 「観光地としての京都は徐々に変貌し、現在のイメージができたのです。1970年の大阪万博は半年で6400万人の入場者を集めました。ブームとなった個人旅行の目減りを防ぐため、国鉄は『ディスカバー・ジャパン』キャンペーンを始めました。そこで増えたのが、旅行特集などを載せた雑誌名から『アンノン族』と呼ばれた女性観光客です。京都も人気の的でした」

 「後(のち)には、JR東海が『そうだ京都、行こう』と言いだしました。京都観光がヒット商品になります。女性観光客の増加で、落ち着いた伝統と文化の街というイメージを求められ、街自体がデオドラント(脱臭)化されました」

デオドラント化した古都

 ――「デオドラント化」とは、街のにおいが消されることですか。

 「言い換えれば『脱・性化』でしょうか。性的なにおいが消されていったのです。明治大正期には、京都のエロチックな気配を強調する雑誌記事がたくさんあります。29年に出た『全国花街めぐり』(松川二郎著)では、京都の歓楽街の質を高く評価しています。京都も、全国の盛り場と同じで男性が愉(たの)しむ場所だったのです」

 「観光へ女性が参入したことで、街からいかがわしさが薄れていきます。京都は、新しい観光客である女性に喜ばれるよう、歴史や文芸の香りが漂う『千年の都』という像を濃くしていきました」

 ――舞妓さんや花街は、今でも観光客に人気があります。

 「昔とちがうデオドラント化された芸舞妓さんの人気ですね。80年前後に日本各地で生まれた『ノーパン喫茶』は京都が発祥なのに、当初は大阪・阿倍野生まれと信じられてしまった。京都のイメージとは結びつかなかったからです。大阪は70年以降も、出張・社用のおっさん向けのいかがわしい歓楽が街中に潜んでいるイメージが変わらず、だから『あんなもんは大阪発祥やろ』となったのです」

 ――街の「デオドラント化」は研究にも影響しましたか。

 「建築学科の学生だった45年前のことです。京町屋の調査をした時でした。そこで暮らす老婦人が、数寄屋(造り)について『数寄屋ゆうたら、お妾さんのお家(うち)やな』とつぶやかはった。意外な指摘でした。大学の建築学は、別荘や茶室の数寄屋造りに言及します。でも遊郭や花街、ましてや妾宅(しょうたく)の数寄屋などは語りませんから」

 「20世紀中葉の大学には、まだそういう世間知が生きていました。京都の『脱・性化』とも重なりながら、性的な要素は学問や研究から捨象されてしまった。将来的には、教科書的な数寄屋像だけしか残らなくなります」

 ――性の要素から目を背けてしまうと、学問や研究が社会の実像を捉えられなくなっていく?

 「平安時代の話になりますが、藤原頼長の『台記』という日記があります。夜の性生活、とくに男色を中心に克明に書き記した日記です。恋い焦がれた相手と結ばれた際の興奮などが、あけすけに描かれています。研究者たちは、これを政治的ネットワークの拡張手段だと言う。男色は政治の道具だったというのが定説です」

色恋沙汰は学問にならない?

 「でも、政治は抜きで、相手をほんまに好きやったかもしれへんじゃないですか。この疑問を歴史研究者にぶつけると、必ず『相手が好きだったから、では論文にならない』と言われます。論証ができないからではありません。実証ができなくても、政治の道具説は定説になります。学会では、色恋沙汰が論文として通らないからだそうです。困ったものだと思いますが、どうですか」

 ――そういう主張をされると、失礼ながら、専門家から批判を受けることはないですか。

 「いや、直接自分の耳には批判は入ってきません。スマホを持っていないのでSNSを見ない。というか見る能力もないし、自分用のパソコンもないので、ネットを見る能力もありません」

 ――最初のご専門は建築学でしたが、現在は「風俗史」です。風俗史の面白さとは。

 「風俗の歴史を調べると、現代とは違った価値観に基づいた時代がかつてあったことがわかり、意外な実相も浮かび上がります。例えば『立ち小便』という言葉は、女性の小便をもさしていました。戦前まで、公衆便所は少なからず男女共用で、男は壁に向かい、女は壁を背に立って、一緒におしっこをしていました。フーテンの寅さんが口にする『粋な姉ちゃん 立ち小便』は現実の光景をさしていたんです。肥料としての値打ちを下げないため、そうして大便とまざらない小便を採っていた。良き肥料を得るための、公衆便所は男女共同参画社会だったんです」

 「戦前のプールは、男女で遊泳時間や区域を分けていました。かたや温泉は男女一緒です。時代も進み、今度はプールが男女を一緒にします。温泉は逆に男女で分かれました。男女の配置を例にとりましたが、今の常識にも歴史的な起源があります。そこを見きわめるのが風俗史ですね」

 ――国際日本文化研究センターは87年の設立当初、当時の中曽根政権との関係や「日本学」の危うさから、批判もされました。井上さんは最初から籍を置いています。

 「たしかに、政府主導での設立に対する批判は当初、多かった。ただ、センターをつくった中心人物である初代所長の梅原猛さんとフランス文学者の桑原武夫さんは、2人とも京都大学で学び、自由な知性や精神の持ち主でした。梅原さんは当時、東京の学会からは半ば右翼視されていましたが、私は『何を研究しようと自由だから』と誘っていただきました」

 「私は桑原先生のファンでした。早くから、明治維新の進歩性をフランス革命と比較しながら高く評価していましたね。そこは日本自慢かな。戦前のフランス留学時もパリの図書館にこもらず、地方をよく回られた。遅れて保守的なフランスを体感した桑原先生ならではの慧眼(けいがん)だったと思います。まあ、京都へのうぬぼれも、フランスをありがたがらない評価につながったかな」

書くうちに嫌な記憶が続々と

 ――井上さんが著した「京都ぎらい」シリーズは、「洛中」(京都市中心部)生まれの選民意識のいやらしさを、彼らに京都人とはみなされない「洛外」育ちの立場から書きつづった内容でした。

 「洛中への恨みがたまっていたわけではありません。執筆を依頼されて、京都本はなぜステレオタイプに陥るのかを考える内容でいいなら、と引き受けた本でした。でも書くうち、洛中の人によそ者扱いされた昔の嫌な出来事を思い出し、洛中の悪口になりました」

 ――見方によっては、京都出身のねじれた自意識も感じますし、実は京都(洛中)と同じくらい東京が嫌いなのでは、とも。

 「『京都ぎらい』は、書店のポップで『本当は好きなくせに』と書かれました。そう見えるんでしょうね。実際、私のしゃべり方はすっかり京都弁なんですよ。自分の心の在りように京都らしさを感じ、自己嫌悪に陥ることもあります。ただ、京都には『京都弁』と言うだけで怒る人がいます。『京都弁』じゃない、『京言葉』だ、と。私の『京都ぎらい』は、彼らを標的にしているんですね」

 「一方で、首都圏の人、特に若い世代には、価値あるものは全て東京で生まれている、と疑いなく信じる人が多くなったとも感じます。大文字焼きの送り火は、箱根で生まれ、あとで京都に持ち込まれたと信じている女優さんに会ったこともあります。洛中人には、『東京って東側の京都やろ』と見下す手合いがまだいますが、ごまめの歯軋(ぎし)りですね。『東京中心主義』が強まっていく傾向は変わらないでしょう。少なくとも、文化庁が移転したくらいではね」

(聞き手・中島鉄郎) 

「これから歌舞伎は」思い出す中村吉右衛門の言葉 しのぶ公演9月に(朝日新聞有料記事より)

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 2021年に世を去った、二代目中村吉右衛門をしのぶ「秀山祭九月大歌舞伎」が9月、歌舞伎座で開かれる。夜の部では、中村又五郎が、息子の中村歌昇、中村種之助と「菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ) 車引(くるまびき)」で共演。又五郎は「吉右衛門のお兄さんに薫陶を受け、お稽古して頂いたことをしっかりとかみしめて、舞台に臨めたら」と語る。

 仕える主人たちの対立によって、敵味方にわかれた松王丸(又五郎)と、梅王丸(歌昇)、桜丸(種之助)、三つ子の兄弟のいさかいを描く。力強い演技と華やかな様式美が際立つ、荒事の代表的な一幕だ。

 又五郎は、1996年に初めて松王丸を演じた時、吉右衛門に稽古をつけてもらったという。兄弟2人を阻む役回り。「力ずくというよりは、体から出てくるパワーのようなもので、2人を押さえつけなければいけないということを、教えて頂きました。それが表現できるか、課題です」

 梅王丸役の歌昇は、14年に香川県の金丸座で演じて以来。「おじ様からは、梅王丸の重たい衣装の中で、どれだけ存分に体を使うかということを教えて頂きました。成長した姿をお見せしなければいけないと思っております」と言う。

 初役で桜丸を演じる種之助は、「これを機に勉強し、おじさんに少しでも褒めてもらえるように勤めたいと思います。歌舞伎座という舞台に見合う桜丸を目指していければ」。

 吉右衛門の晩年、同じ楽屋になった時に、「これから、歌舞伎はどうなるんだろうね」と話していたことを思い出すという種之助。「おじさまが、どういう歌舞伎をこの先、望んでいたかは分からないですけれども、教わってきたもの、見てきたものを、僕らは守っていきたい」。歌昇は「ここ最近の歌舞伎座の番組(演目の組み合わせ)を考えると古典が並んでいますが、それが『秀山祭』の良さだと思います」と話す。

 「伝統とは、教えて頂いたことを守りながら、いかに自分の個性を出すかです」と又五郎。「ただ、次の世代には、その個性ではなく、先人が築き上げてきた『核』の部分を伝えていく。それ以外にないと、僕は思っております」

「秀山祭九月大歌舞伎 二世中村吉右衛門三回忌追善」は9月2~25日(11、19日休演)
(増田愛子) 
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