
「妄信するのはやめよう」「批判しても、地獄に落ちることなどない」
2021年に国軍がクーデターで全権を握り、反発する人びとを弾圧し始めてから、ミャンマーのSNSにはこんな投稿が目立つようになった。すぐに数千の「いいね」がつく。
批判の対象は、仏教僧だ。
国民の約9割を仏教徒が占めるミャンマーで、僧侶は尊敬の対象だ。市民が托鉢(たくはつ)僧に食べ物を捧げる早朝の風景はいたるところで見ることができる。人びとは、悩みごとがあれば寺を訪ね、僧侶に教えを乞う。よりよい来世を願ってのお布施も欠かさない。仏教と人びとのつながりは、日本人が想像するよりずっと濃密だ。僧侶批判は禁忌であり、考えられないことだった。
「殺害にも、空爆にも黙ったまま」と信徒はまくし立てた
クーデターから2年半が過ぎた。国軍が国民の批判を封じる根拠となっている非常事態宣言は7月末に4度目の延長が発表され、抑圧体制からの出口は一向に見えてこない。国軍に殺害された市民の数は4千人を超す。そんな息の詰まりそうな状況のなかで、仏教や僧侶への帰依が「疑念」に変わりつつある。
「国軍が市民を殺害しても、空爆しても、多くの僧侶は黙ったまま。家を追われた市民を助けた僧侶がどれほどいただろうか」
ヤンゴンの女性教諭(24)はまくし立てるように言った。女性は最近、ミャンマーの誰もが知る高僧、セーキンダ長老の信徒組織を脱会した。
セーキンダ長老はクーデターの前、「私はアウンサンスーチー氏の側にも国軍の側にも立たない。僧侶は政治的に中立であるべきだ」と繰り返し説き、「困ったことがあれば何でも相談しなさい」と言っていた。
だが、クーデター後、セーキンダ長老の側近は信徒に対して反クーデターデモに参加しないようにとの通達を出した。複数の若い信徒がデモに加って拘束された時、セーキンダ長老らは沈黙した。
「信徒をえり好みしたことはない」と反論する僧侶
その一方で、現地メディアは昨年7月、セーキンダ長老が最高権力者であるミンアウンフライン国軍最高司令官のロシア外遊に同行したと報じた。
「これまで口にしたこともなかった僧侶への批判が止まらなくなった」。信徒の会社員男性(28)もそう振り返る。
「私は仏教の教えに集中している。人々の批判は気にしていない」。セーキンダ長老は朝日新聞の取材にそう答えた。「政治的な問題についての質問には、僧侶としては何も答えられない」
1980年代に当時の民主化運動を支持し、明快な説法で老若男女に人気だったティータグー長老もミンアウンフライン氏のロシア外遊に同行した。ティータグー長老は今年8月、ミンアウンフライン氏肝いりで首都ネピドーに建立された大理石製大仏の開眼式典にも出席して説法をした。
「仏教は無力だと知った」「なぜ大勢を殺したミンアウンフライン氏に罰があたらないのか」「因果応報はうそなのか」「一部の僧侶はぜいたくざんまいの生活をしている」――若者の批判にはもうためらいは感じられない。
ぜいたくな振る舞いや国軍との近さが批判されている僧侶のひとりを、ヤンゴンの僧院に訪ねた。
僧侶は顔色を変えることなくこう言った。「私のもとを訪ねてくる信徒をえり好みしたことはないし、拒んだこともない。国軍と戦うための弾薬を私が寄付すれば、若者たちの気持ちはおさまるのか」
支配の「正統性」アピールに仏教を使う国軍
国軍に近いとされた僧侶が何者かに殺害される事件も起きている。国軍系メディアは今年2月、民主派によってクーデター以降、僧侶24人が殺害されたと発表した。
仏教界と国軍の関係は曲折をへている。1988年の民主化運動や2007年の反政府運動には僧侶が合流し、国軍の激しい武力鎮圧を受けた。一方で国軍は、支配の「正統性」をアピールするために盛んに仏教行事を執り行い、仏教の保護を印象づけてきた。
ミャンマーの仏教に詳しい東大東洋文化研究所の藏本龍介准教授は「僧侶には現状を打開する力がないと市民が感じ始め、さらに国軍と近い立場の僧侶がいることも明らかになった。社会の中心にあった仏教や僧侶に対する大きな失望が広がっており、これはミャンマー史上、初めてのことだ」と指摘する。(ヤンゴン=福山亜希)