香港郊野遊行・續集

香港のハイキングコース、街歩きのメモです。

2024年01月

「ここは民主主義を守る国境だ」 準備を進めるエストニアの「前線」(朝日新聞有料記事より)

連載 ロシアの隣で エストニアの危機感⑤:国境の壁

 「スマホの電源を切れ」と、エストニアの警察幹部が言う。昨年12月、エストニア南東部にあるロシアとの国境沿いに、バスで向かっていた際のことだ。

 「傍受されると思ってほしい」。淡々とした口調が逆に、真実味を感じさせる。

 エストニアは東隣のロシアと、338キロにわたって国境を接している。川や湖を除けば135キロ。大部分は森林などが行く手をはばみ、往来は困難だ。

【連載】ロシアの隣で エストニアの危機感

ロシアによるウクライナへの全面侵攻が始まって、2月24日で丸2年を迎えます。ロシアの隣国であるということは、どういう意味を持つのか。エストニアの人々の思いや、ここ2年で起きた変化を通じて伝えます。

 国境沿いに着く。木々が密集し、ロシア側からこの雪道を抜けてやってくるとは到底考えづらい。

 だが、エストニア政府は昨年12月中旬、ここを含む国境沿いに、新たに長さ40キロのフェンスを完成させた。これまでの分と合わせ、陸地の国境の半分にあたる63キロに、物理的な「壁」が設けられたことになった。

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ロシアとの国境に設けられたフェンス=2023年12月12日、エストニア南東部、藤原学思撮影

「ウクライナが終われば、ロシアは何かしてこようとするはず」

 このプロジェクトは2014年、エストニアの治安当局者が、国境付近でロシア側に拘束されたことを機に始まった。当局者は1年後に囚人交換によって帰還したが、両国の緊張が高まる理由の一つになった。

 そしていま、この「壁」の意義は増している。

 「ここはエストニアの国境だが、欧州連合(EU)の国境でもある。民主主義を守り、西側諸国を守る国境だ」

 完成式典に出席し、現地で取材に応じたラーネメッツ内相は、そう力を込めた。「ウクライナにおける戦争が終わったら、ロシアはエストニアやNATO(北大西洋条約機構)諸国に何かをしてこようとするはずだ」

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ロシアとの国境沿いに設けられたフェンスの完成式典に参加したエストニアのラーネメッツ内相(左から2人目)=2023年12月12日、エストニア南東部、藤原学思撮影

 プロジェクトはフェンス設置だけではない。全体の完成は25年末を見込まれ、高精度の監視機器で国境を固め、「365日、国境沿いで起きていることを100%カバーする」(警察幹部)。

 ロシアのウクライナへの全面侵攻は「ハイブリッド戦争」と呼ばれる。ウクライナの前線だけではなく、周辺国のサイバー空間や情報空間も「戦場」だ。

 「戦場」には国境も含まれる。フィンランド政府はロシアが第三国の難民をフィンランド国境に誘導していると訴え、昨年11月から、ロシアとの国境を完全閉鎖する措置を取った。エストニア政府も「いつでも閉鎖する準備はできている」という。

 また、今年1月19日には、ラトビアとリトアニアと協力し、今後数年かけて、ロシアとベラルーシとの国境沿いに防衛施設を設ける構想も発表した。

 「ウクライナにおけるロシアの戦争が示したのは、エストニアを守るためには、国境から1メートルの地点から、物理的な防衛施設の設置が必要だということだ」(ペフクル国防相)

歴史も地図も武力で塗り替える

 ロシアの領土への考え方は、ピョートル大帝の17世紀から現在まで、一切変わっていない――。エストニア軍にとって、これが大前提となる捉え方だ。

 ピョートル大帝は、プーチン大統領が崇拝する人物だ。一方、エストニア人にとっては、1700年代の東部ナルバへの侵攻や占領という歴史と結びつく。プーチン氏が22年6月、その侵攻を「奪還」と表現した際には、在エストニアのロシア大使を呼び出して抗議した。

 歴史を都合良く塗り替え、地図も武力で塗り替えようとする。それこそがロシアなのだとエストニア人は考え、有事に備える。

 エストニア憲法は、健康な成人男性に8~11カ月の軍隊への入隊を義務づけている。戦争になった場合には、最大4万3700人を動員できる体制を整え、志願制の国防組織「ディフェンスリーグ」には、傘下組織も合わせると約3万人が参加している。

 国防費は今年、「対国内総生産(GDP)比で3・25%」に到達する見通しだ。ロシアによるウクライナ侵攻により、危機感が高まったことが背景にある。

 ただ、エストニア軍のフィリップス中佐は「GDP比で10%でも良いぐらいだ」と話す。「モノもヒトも維持費ももっと必要だ。3%はあくまでも、最低限のラインだ」

 エストニアの人口は、さいたま市と同程度の133万人。「国を守る」と言えど、ロシアに攻められた場合、現実的には自国だけでは対抗できない。

 そのため、国民がNATOに寄せる支持は大きい。

 国防省によると、04年に加盟した際、NATOの加盟国であることを支持する割合は63%だった。それが23年は、過去最高の82%にまで上った。エストニア系国民以外、つまり、ロシア系国民らからの支持も、23年は57%と過去最高になったという。

 「エストニアはロシアよりも小さい。ロシアには間違いなく、マンパワーがある。ただ、ロシア軍が全員をエストニアに向けて振り分けるとは思えないし、私たちには同盟国がいる」

 そう話すのは、軍第2歩兵旅団トップのティケルプ大佐だ。同旅団が拠点とする南東部ボルは、ロシア国境から30キロ。ロシアが空挺軍を置くプスコフからも、77キロしか離れていない。

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エストニア軍第2歩兵旅団の兵士たち=2023年12月12日、エストニア南東部ボル、藤原学思

 ただ、旅団の拠点には22年12月から、500人ほどの米兵が派遣されている。これはバイデン米大統領がウクライナ侵攻を受けて決定したものだ。米兵は在ポーランドの米軍常設司令部の指揮下にあるが、エストニア軍とは合同で訓練を行うなどの協力関係を築いている。

 また、エストニアには米軍のほかにも、NATOの政策の一環として、英兵600人、フランス兵300人ほどが駐留している。

 フランス軍のポンゾニ中佐は取材に、ある加盟国への攻撃を加盟国全体への攻撃とみなす、NATO第5条の重要性を強調する。

 「これは信頼の話だ。あなたから5ユーロを借りて、1時間後に返すという約束を守らなければ、私は信用してもらえない」

 ポンゾニ氏はまた、エストニアに派遣されることについて「我々にとっては、オペレーション(作戦)ではなくミッション(任務)だ」という表現を使う。

 「ミッションとは、参加するものだ。オペレーションとは、誰かを撃ったり、何かを壊したりするものだ。エストニアは平和な国で、現時点では戦争が起きておらず、みなが一緒に訓練をしている」

 そして、こう強調する。

 「我々の違いは、言葉と軍備品ぐらいだ。もし平時に協力できるなら、危機にも対応できるはずだ」

 「危機」はこない方が良い。ただ、「こない」とは誰も断言できない。

 取材に応じた各国の軍関係者はみな、「ウィー・アー・レディー(準備はできている)」とくり返した。
(エストニア南東部ボル=藤原学思

台湾総統選で見た熱気、「第3勢力」の躍進を支えた人たちの思いは(朝日新聞有料記事より)

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聞き覚えのあるギターの前奏が聞こえて、ふとステージに目をやると、女性が沢田研二さんのヒット曲「時の過ぎゆくままに」の中国語版を歌っていた。まさか、出張先の台湾で聞くとは思わなかった。

 世界が注目した台湾総統選挙が最終盤を迎えていた1月上旬、私は取材のため現地に飛び、与野党3陣営の大集会を回っていた。この日のぞいたのは、長らく台湾の二大政党の一角を占めてきた国民党の集会だ。党の発表によると北部桃園市の会場には10万人超が詰めかけた。30代の私もよく知らない1970年代の日本の歌謡曲を口ずさめるだけあって、見回すと、参加者は中高年層が中心のようだ。

2大政党の争いが続いていた台湾の総統選は、今回、本格的な「三つどもえ」となりました。選挙最終盤に現地を歩いた岩田記者が見たのは、新しいタイプの集会に集まる若者たちの姿でした。

 ステージを見つめる人の中には、「○○里(町内会)」「○○婦人会」といった看板を掲げる人もいる。大型バスに乗って、動員されてきた人たちだ。集会は党幹部のあいさつや、総統選と同時にある立法院(国会)選の候補者紹介などで数時間続く。会場の隅には、主催者が参加者に配る軽食の箱が山積みになっていた。

「バスも弁当もないのにどうして来た!」

 この翌日、南部の高雄市であった蔡英文政権の与党・民進党の集会もよく似た雰囲気だった。参加者の年齢層は国民党より幅広いが、「○○里」といった所属を示す看板がたくさんあり、近くに大型バスも止まっていた。これまで、台湾ではこれが伝統的な集会の風景だったのかもしれない。

 今回の台湾総統選が従来と大きく違ったのは、本格的な三つどもえとなったことだ。中国との統一を拒む民進党の頼清徳(ライ・チントー)氏(64)と、中国融和路線の国民党の侯友宜(ホウ・ユーイー)新北市長(66)という2大政党の争いに、2019年創立の民衆党が初めて擁立した、同党初代主席の柯文哲(コー・ウェンチョー)前台北市長(64)が参戦した。

 高雄市であった民衆党の集会は、2大政党とは明らかに違っていた。会場はまばゆい光が交差し、アップテンポの音楽が響く。客席に直径2メートルほどの大玉が投入されると、参加者は歓声を上げながら、ジャンプして玉を送っていく。子連れやカップルで来た若者の姿が目立ち、選挙権を持たない未成年者の姿まであった。

 陣営幹部が「バスも弁当もないのに、どうしてここに来た!」と叫ぶと、会場に歓声が湧いた。参加者は頭などに草を模したクリップを付けている。民衆党では支持者を「小草(シアオツァオ)」と呼ぶためだ。「単独では力が弱くても、団結すれば大きな力になる」という意味だという。

 参加者は「台湾を変えるのは柯Pしかいない」、「台湾の希望KP」といった手製のボードを持っていた。「柯P」や「KP」は台湾大学の教授から政界に転じた柯氏の愛称で、Pはプロフェッサー(英語で教授)の頭文字だ。

結婚も、家を買う夢もかなわない

 歯にきぬきせぬ発言が人気を呼び、フェイスブックのフォロワーは200万人を超える。一方で選挙終盤に、嫌ってきたはずの国民党と野党候補一本化交渉に入ったかと思えば、成果なく破綻。一貫性に欠ける言動は批判を集めたが、集会を見る限り、柯氏の勢いは衰えていなかった。

 なぜ柯氏がそれほどまでに支持を得ているのか、私は各地で話を聴き歩いた。

 陳と名乗った北部・新北市のフリーターの男性(32)は、前回、民進党の蔡氏に投票したが、今回は柯氏を熱烈に支持しているという。「今のままでは結婚も、家を買う夢もかなわないから」

 もともと旅行業に就いていたが、コロナ禍で失職し、宅配サービスのアルバイトなどで生活費を稼ぐ。1日10~12時間働いて月収は3万~4万台湾ドル(約14万~18万円)。その3分の1が家賃に消えるという。

 台湾の都市部では、住宅価格が高騰し、賃金が相対的に低い若者の生活を圧迫してきた。新北市の不動産業者によると、親の援助なしで家を買えるのは2割ほどという。蔡政権は住宅問題の緩和を公約に掲げたが、改善し切れていない。

 陳さんは「(蔡政権は)財閥や建設業界と結びついており、問題を解決できていない」と感じている。

 こうした若者の不満に焦点を絞り、問題の解決を訴えたのが柯氏だった。

与党が「既得権益層」に見えて

 高雄市の集会会場にいた建設業の董映彤さん(26)は「党利に走る政治を変え、若者に未来をもたらしてくれそう」と話した。実際に柯氏に投票したエンジニアの男性(39)も、「台北市長時代に、交通政策などで実際にいい変化をもたらした」と信頼を寄せる。

 中国が台湾への統一圧力を強めるなか、蔡政権は米日欧などから支持を獲得するため、中国を刺激する独立がらみの言動を封印。代わりに同性婚の法制化など、リベラルな政策を唱えることで若者らの共感を得てきた。

 だが、台北市に住む同性愛者でフリーターの孫于哲さん(23)は、蔡政権のジェンダー政策は評価するが、今回は民衆党に投票すると話した。民進党の地方派閥の汚職問題などが報じられ「印象が悪化した」と言う。

 孫さんは、与野党3陣営すべての集会を見て回った。「民進党、国民党の集会は参加者に弁当を配るなど大金が投じられているのが見て取れた。クリーンなイメージを強調する民衆党に好感が持てる」

 こうした見方は、取材した民衆党の支持者に共通していた。民進党は台湾の民主化にも大きな役割を果たしたが、16年以降、8年近く与党の立場にある。若者や貧困層らの目には、民進党はすでに「既得権益層」に見えるのだ。政権への視線はどんどん厳しくなっている。

 ふたを開ければ、今回の総統選は、与党・民進党の頼氏が当選を果たした。各候補の得票率は、頼氏が40・05%、国民党の侯氏が33・49%、民衆党の柯氏は26・46%。ただ、頼氏の得票は、蔡氏が4年前に得た817万票を260万票近く下回った。

 財団法人「台湾民意基金会」の世論調査によると、民衆党の柯氏に投票した割合は、20~24歳で47・4%(頼氏は25・2%、侯氏は21・1%)、25~34歳で56・1%(頼氏は26・6%、侯氏は11%)と高かった。2大政党に不満をもつ若者を中心とした票を、民衆党が吸収したことがわかる。

私たちは叫んでいるか?

 民進党の勝利の裏で見られた、民衆党の躍進。この動きは台湾の将来にどうつながっていくのだろう。台湾政治に詳しい東京外国語大の小笠原欣幸(よしゆき)名誉教授は、「2大政党以外の選択肢が生まれた」ことを評価する一方で、柯氏に対しては慎重な見方だ。

 総統選と同じ日に行われた立法院(国会)選挙では国民党が第一党になり、総統と立法院の中心政党の「ねじれ」が生じる中、立法院でキャスティングボートを握るのは柯氏だ。柯氏は、投開票日夜の会見で「(連携相手は)政党ではなく、テーマごとに決める」と述べた。小笠原氏は「柯氏がその影響力を台湾の安定のために使うのか、それとも台湾政治を揺さぶることに使うのか。注視する必要がある」と話す。

 「台湾の選択は!柯文哲!」。取材を終えて帰国した後も、民衆党の集会で支持者が連呼したスローガンが頭から離れない。2大政党への怒り、現状への不満を吐き出す叫びに聞こえた。同じように若者が苦しい状況を強いられているように見える日本で、同世代の私たちは同じように叫び、政治に参加しているだろうか。

 ただ、台湾の若者の政治への熱意に感動するとともに、怒りにまかせて候補者を選択することの危うさも感じた。民主主義や選挙が政治家の人気取りのために利用されないようにするには、自由や平等、平和といった理念を尊重する人を選挙で選び抜き、日頃から政治を監視し続ける辛抱強さが必要だと考えさせられた。
(高雄=岩田恵実) 

「ウクライナが終われば、3~5年でくる」 募るエストニアの危機感(朝日新聞有料記事より)

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エストニア国防省。ウクライナの国旗と北大西洋条約機構(NATO)の旗も掲げられている=2023年12月11日、タリン、藤原学思撮影

 エストニア国防省の建物には、3種類の旗が掲げられている。エストニア国旗、ウクライナ国旗、そして、北大西洋条約機構(NATO)の旗だ。これが、エストニアの国防の「いま」を映し出す。

 取材に応じた国防省幹部は、ロシアがウクライナ侵攻を開始した2022年2月24日のことをよく覚えている、という。

【連載】ロシアの隣で エストニアの危機感

ロシアによるウクライナへの全面侵攻が始まって、2月24日で丸2年を迎えます。ロシアの隣国であるということは、どういう意味を持つのか。エストニアの人々の思いや、ここ2年で起きた変化を通じて伝えます。

 その日は、エストニアの独立から104年の記念日で国民の祝日。この幹部は、大統領らが出席する記念行事に出る予定だった。だが、早朝に電話を受けた。「ロシアが侵攻を始めた」。関連の演説は急いで書き換えられた。

ロシアの侵攻「既定路線」だったが…

 エストニア国防省にとって、ロシアの侵攻は「既定路線」。驚きはなかったとこの幹部は振り返る。

 「考えるべきは、ロシアに侵攻をする意思があるか、する能力があるかだ。そして、当時は確かにどちらもあった」

 国防省内では、エストニアがロシアの「次の標的」になるとの見方が強い。

 「ロシアに意思はある。ただ、いまは能力がない。『いつか』というスパンではナイーブすぎる。ウクライナでの戦争が終わったら、ロシアは3~5年でエストニアに攻めてくる」。迷わずに、幹部は言った。

 だからこそ、エストニアはロシアの勝利で終わらせないために、ウクライナ支援を惜しまない。22~23年の2年間で行った軍事支援の総額5億ユーロ(約790億円)は、エストニアの国内総生産(GDP)の1・4%に相当する。

 ドイツのキール世界経済研究所によると、これはノルウェーやリトアニアとともに世界トップクラスだ。日本はGDPが大きいこともあり、GDP比で0・15%となっている。

 エストニアのペフクル国防相は昨年12月にこんな声明を発表している。「ウクライナは我々のために戦っており、我々の援助で(ロシアの)戦争マシンが破壊される度に、欧州に対するロシアの脅威が一つ減ることになる」

広がるウクライナへの支援

 ウクライナを支援することは、自分たちを助けることになる――。そうした考えは、エストニアで広がりを見せる。

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エストニア軍のある幹部の制服には、「ウクライナに栄光あれ」と記されたワッペンが貼られていた=2023年12月12日、エストニア南東部ボル、藤原学思撮影

 エストニア議会国防委員会のストイチェスク委員長は「ウクライナの戦地は1千~2千キロ離れているが、私たちエストニアも、ロシアの隣国だ」と改めて強調する。

 「私たちは歴史の中で恐ろしい経験をした。21世紀になっても、18、19世紀の帝国主義に生きる国と向かい合っている」

 外交委員会のミケルソン委員長は「西側諸国はまだ眠っている、と言わざるをえない。私たちの豊かな社会はまだ耐えられるはずだと、そんな幻想を抱いている」と他国の危機感不足を訴える。

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エストニア議会国防委員会のストイチェスク委員長(左)と、外交委員会のミケルソン委員長=2023年12月13日、タリン、藤原学思撮影

 NATOは加盟各国の国防費について「対GDP比で2%以上」を目標に設定している。ストルテンベルグ事務総長は23年3月、22年に目標を達成したのは当時の加盟国30カ国中エストニアなど7カ国だけだったとして、「もっと多くのことを、もっと早くやらねばならない」と訴えた。

 エストニアの国防費は、24年に「対GDP比で3・25%」にまで到達する見通しだ。それでも、ミケルソン氏は「私たちはみな、それを7%や10%にすることもありうると理解している」と主張する。

 もちろん、国防費の増額がすぐに実現可能なわけではない。国防省が委託した23年の世論調査では、増額を支持する国民は4割強にとどまった。

 それでもロシアによるウクライナへの全面侵攻開始後、「攻められたら抵抗する」という意識はエストニア国内で高い。同じ世論調査で、「他国に攻撃されたら武力抵抗が必要だ」と答えた国民は83%。何かしらの形で防衛に参加する意思を示した国民も、64%に上った。

 国防省で防衛産業を担当するシルプ特別顧問によると、エストニアでは、今後2年から2年半の間に、エストニア国内に弾薬を製造する大規模な拠点をつくる計画が進められている。

 現在は土地の選定を進めており、国内外の複数の業者と協議を続けている。製造対象には、ウクライナで不足が指摘されている155ミリ砲弾も含まれる。自国生産ができるようになれば、ウクライナに送る分も増やせる可能性がある。

 シルプ氏は「エストニア人は、ロシアの脅威を理解している。なぜ弾薬製造のための拠点が必要になるのか、それもわかってもらえるはずだ」と世論の理解にも自信を示す。

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タリンにあるロシア大使館の前には、血塗られたプーチン大統領の似顔絵と、ウクライナ国旗の絵が掲げられていた=2023年12月17日、藤原学思撮影

 ウクライナを支援し、自分たちでも守る。その姿勢は情報空間でも同じだ。

 21年の国勢調査によると、エストニアは国全体でもロシア語話者が29%に上る。公共放送ERRがロシア語専門チャンネルを開設したのは、ロシアが一方的にクリミアを併合した翌年の15年のこと。同年にはまた、「ロシアのプロパガンダに対抗する」として、エストニアを拠点とするウェブテレビ局も開かれた。

 ウクライナ侵攻後、エストニア政府の放送当局は、国内のロシア・ベラルーシ系計5チャンネルに放送禁止命令を出した。

 放送当局トップは当時の声明で、「非常時には決断が必要だ。社会の安全への危険を避け、公共の利益を守るために、ただちに行動を起こさなければならない」と説明している。

 タルトゥ大社会問題研究所のトップ、ラグネ・コーツクレム准教授によると、エストニアの政府もメディアも、タリンで暴動が起きた07年以来、ロシア語話者がエストニアで起きていることについて十分な情報を持っていないとの危機感を持ち続けてきたという。

 「ロシアからの情報への信頼度が、あまりにも高すぎた」。コーツクレムさんによると、ロシアが14年にクリミアを併合し、22年に全面侵攻を始めてからは、さらに強く問題視されるようになってきたという。

 「重要なのはメディアリテラシー。それはつまり、メディアの仕組みを理解し、事実と意見を区別し、自らが責任を持ってメディアを利用することだ」とコーツクレムさんは話す。

 エストニアの公立校では10年から、メディアリテラシーがカリキュラムに組み込まれている。そうした努力も実り、メディアリテラシー指数では、最上位にランクインする国の一つになっている。

 また、今年1月には、政府がロシア語教育への資金援助を停止すると発表した。カラス首相は「統一された情報空間」の重要性を指摘。「二つの異なるシステムを持たないようにする」と強調した。

 エストニア語を教育上優先する法案はすでに22年12月に議会で採択されており、教育現場では33年までの移行期間を経て、原則としてエストニア語が使われるようになる。
(タリン=藤原学思

ウクライナが3年目に期する「戦争の転換点」は? 空軍広報官に聞く(朝日新聞有料記事より)

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ウクライナ空軍のユーリ・イフナット報道官=本人提供

 ロシアによるウクライナ侵攻が始まって、2月24日で2年になります。昨年末以来、ウクライナの都市部では民間人が犠牲になるミサイル攻撃が相次いでいます。そんな中、ウクライナ空軍はどのようにして、民間人を守ろうとしているのか。ウクライナ空軍のユーリ・イフナット広報官にオンラインで聞きました。

 ――まず、直近の話を聞かなければいけません。1月24日、ロシア国防省は「ウクライナ人の捕虜ら74人を乗せた輸送機が、ウクライナによって撃墜された」と発表しました。空軍は関わっているのでしょうか。

 ノーコメントです。ロシアは我々の国民や捕虜の命をもてあそんでいます。すべての状況は調査中です。

 空軍には小規模のモニタリング集団がいて、親ロシア派が運営するSNSテレグラムのチャンネルをチェックしています。彼らは「本当に囚人が乗っていたのか」と疑問視していましたが、削除されました。輸送機はエジプトから飛んできたようで、捕虜の輸送には使われていたとは考えにくいものがあります。

 ロシアのプロパガンダは、墜落が明らかになり、わずか15分後からあふれ出しました。彼らのレトリックはウクライナへの援助を減らすことが目的です。米国やドイツといった国際社会に影響を与えるために、墜落の話を利用しているわけです。

撃墜率7割でも多数の死傷者

 ――民間人を守るために、いま何が必要ですか。昨年末から多くの民間人が亡くなっています。

 現在のウクライナでは、弾道ミサイル「イスカンデル」や、極超音速ミサイル「キンジャル」のようなミサイルに対抗できる防空システムが非常に必要とされています。キンジャルやイスカンデルは撃墜が非常に難しいのです。射程が長距離で、我々の都市に損害を与えるミサイルです。

 最も大規模な攻撃を受けた昨年12月29日は、合計で158ものミサイルと自爆型ドローン(無人機)が飛んできました。我々はそのうち114(72%)を撃墜しました。もし撃墜率が5割だったら、もっと多くの犠牲者が出ていました。

 米国製の地対空ミサイルシステム「パトリオット」は必要なものの一つです。私たちはパトリオット用のミサイルを節約しています。コストが非常に高いのです。支援国からパトリオット用のミサイルを供与してもらうのがどれほど困難かも、我々は理解しています。

 ――米国製戦闘機F16の供与、訓練は現在、どのようになっているのでしょうか。

 私たちは現在、旧ソ連時代の機体を多く持っています。「スホイ27」「ミグ29」「スホイ24M」「スホイ25」の4種類があります。これらを徐々に、F16のような多目的な戦闘機に入れ替えていかなければなりません。F16は世界25カ国以上で使用されており、空中と地上の標的をいずれも攻撃することができます。

 様々な国がF16を供与する意思を表明してくれました。パイロットや技術者たちは訓練を進め、施設も準備されています。とはいえ、西側諸国の機体に(合わせて)切り替えるのは容易ではありませんし、各国がF16を求めて列をなしています。

 私は1年前、「F16を手に入れれば戦争に勝てる」と言いました。ただ、5機だけでは何も起こりません。(12機で構成される)中隊を2個つくることができたら、何かが起こるはずです。ロシア機は自由を感じられなくなります。戦争の転換点になるでしょう。

 ロシア機は現在、様々な方面から圧力をかけてきますが、歩兵は航空機なしではやっていけません。空での戦いを優位に進めなければ、攻守を問わず、地上戦で成功を収めることは不可能なのです。

大きな戦果、3年目の戦い

 ――1月14日、ロシア軍の早期警戒管制機「A50」と空中指揮機「IL22」を撃墜しました。ウクライナにとって、大きな戦果です。何がこれを可能にしたのでしょうか。

 ロシア側も、なぜこんなことが可能なのかと驚いています。彼らは何が、いつ実行されたのか、正確に把握できていません。様々な専門家から、異なる見解を得ているようです。

 我々が西側諸国から、遠距離にあるロシア機を撃墜できるような兵器を受け取っています。非常に正確に標的に命中する、高精度の兵器です。パトリオットはすでに、25発の「キンジャル」を撃墜しました。

 どのようにして早期警戒管制機「A50」と空中指揮機「IL22」の2機を撃墜させたのか。正確にお伝えすることはできません。ロシアに考えてもらいましょう。

 ――2024年、侵攻3年目の空の戦いの状況はどうなると考えていますか。

 やはり、制空権を得ることが必要になります。他国がどのような技術や兵器を供与してくれるかにかかっており、より強力な支援が得られれば、戦線には確実に変化が見られることになります。

 ドイツやフランス、米国では軍産複合体における生産が増大しています。ロシアの全面侵攻前には見られなかったものであり、これは第3次大戦の脅威が現実のものであることを示唆しています。

 ――日本に期することはなんでしょうか。

 日本の支援は特筆すべきものです。他国の支援なしにウクライナは生存できません。ウクライナが生存しなければ、民主主義世界全体に悲惨な結果をもたらすでしょう。

 日本がパトリオットを保有し、一方で法的な理由から直接我々に供与できないことは理解しています。ただ、私たちの市民やインフラ施設を守るのに役立ってくれる仕組みがきっと見つかると思っています。

 もちろん、日本が自国の安全保障に関して、中国や北朝鮮といった国が影響を及ぼし、困難な状況にあることもわかっています。いずれにせよ、日本の支援には感謝しています。
(聞き手=藤原学思


「戦車移転」で急増したサイバー攻撃 国民が今も抱く17年前の記憶(朝日新聞有料記事より)

ロシアの隣で エストニアの危機感②:旧ソ連時代の戦車

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旧ソ連時代の戦車「T34」があった場所=2023年12月16日、エストニア東部ナルバ、藤原学思撮影

 タクシー運転手が英語の単語を並べて話す。「目的地、本当に、ここか」。間違いない。確かにここだ。

 ロシアと国境を接するエストニア東部ナルバ。12月中旬、市の中心部から北に約6キロの場所を訪れた。

 片側1車線の道路沿い。木々の向こうに川が流れる。その先はロシアだ。

【連載】ロシアの隣で エストニアの危機感

ロシアによるウクライナへの全面侵攻が始まって、2月24日で丸2年を迎えます。ロシアの隣国であるということは、どういう意味を持つのか。エストニアの人々の思いや、ここ2年で起きた変化を通じて伝えます。

 市内の観光名所を案内する掲示板が、脇にぽつんと立っている。ただ、一帯は雪に厚く覆われ、何があったのかを示すものは、もはや残っていない。

旧ソ連へのノスタルジー

 実は1970年から、旧ソ連時代の戦車「T34」がここに展示されていた。ロシア側から見れば「ナチスとの戦いの象徴」、一方でエストニア側から見れば「占領の象徴」だった。

 だが、ロシアがウクライナに全面侵攻を始めたことを受け、2022年夏に撤去された。一部の住民はその動きに反対運動を展開し、しばらくの間、戦車の跡地にはキャンドルや花束が添えられた。

 ナルバの約5万4千人の住民は84%が「ロシア系」。旧ソ連に対するノスタルジーはなお、色濃い。

 では、この「T34」はどこへ行ったのか。現在の「居場所」になっているエストニアの首都タリン郊外にある「戦争博物館」の別館に向かった。

 エストニア国防省が管理する別館には、遅くとも3日前に付き添いを申し込まなければ、一般客は立ち入ることができない。

 博物館職員のシーム・オイスマさん(37)が案内してくれた。「(当時の)ソ連がこれをナルバに設置したのは、『私たちが君たちをナチスから解放したことを覚えておいてくれ』という考えからです」

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タリン郊外にある「戦争博物館」の別館に置かれている旧ソ連時代の戦車「T34」=2023年12月17日、藤原学思撮影

 T34は簡単には目に触れられないようになったが、一方で博物館の収蔵品になったため、法律で保護が義務づけられている。「訓練所に持っていって、標的にすればいいと個人的には思うけどね」

 この戦車を見に訪れる一部の客は、いまもロシアへのシンパシーを感じているとみられ、花を持ってくるという。「もはやロシアがプロパガンダとして使えるものは、多くないからね」とオイスマさんは言った。

サイバー空間や情報空間の「戦い」

 ロシアにとって、ナルバの戦車の撤去は不快だったようだ。それを裏付けるデータがあると、エストニア国防省でサイバーセキュリティーを担当するカロリーナ・リースさんは語る。

 ロシアがウクライナへの全面侵攻を始めた22年で、大量のアクセスで重い負荷をかけるサイバー攻撃の典型として知られる「DDoS攻撃」はエストニアで302件検出され、前年に比べて4倍になった。また、22年の中でも、月別では戦車が撤去された8月が最多で、66件だったという。

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エストニアに対して仕掛けられた「DDoS攻撃」の月別件数。2022年は、戦車の撤去が話題になった8月が突出して多かったという=エストニア政府提供の資料から

 「エストニアへのサイバー攻撃は、エストニアの政治家の発言や決定と明らかな相関関係があります」。リースさんによると、エストニア議会がロシアを「テロ国家」だとする宣言を出した22年10月にも、サイバー攻撃が増えたという。

 ただ、エストニアは政府として、攻撃主体を突き止めたとしても、公表には慎重な姿勢を貫いている。「ハッカーたちはロシア政府から金銭をもらうために、『成功した』という評判を欲しがっています。公表することが逆効果になることがあるのです」

 サイバー攻撃の多くは、市民に実害が出る前に食い止められる。ただ、必ずしもそうとは限らない。23年9月には、エストニア国鉄の発券システムが攻撃を受け、24時間ほど切符を買えない状況が続いたという。

 「戦い」はウクライナの前線だけではなく、ウクライナ以外の周辺国も巻き込んで、サイバー空間や情報空間でも起きている――。

 ロシアによるウクライナへの全面侵攻開始後、頻繁にそう指摘される。エストニアも例外ではない。「IT立国」として知られるエストニアが本格的な対策に乗り出したのは、07年の出来事が背景にある。

 それはロシアの偽情報がからみ、国民の記憶に深く刻まれている。

 きっかけは、タリン中心部にあった旧ソ連兵の銅像を移転する計画が実現に近づいたことだった。

 「タリン解放者の記念碑」と呼ばれていたその銅像は、戦車と同様、一部のロシア語話者にとって「ナチスに対するソ連の勝利」を象徴するものだった。

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ロシアの「戦勝記念日」の2007年5月9日、タリンにある墓地で旧ソ連兵の銅像に花を手向ける人たち=ロイター

 だが、多くのエストニア人にとって旧ソ連は、91年8月の独立回復に至るまでの「占領者」でもある。07年3月の選挙では移転計画が大きな争点となり、連立政権によって決められた。

 だが、ロシアメディアが「移転」ではなく「破壊」と報道するなどの偽情報を流し、エストニアのロシア系市民と警官の衝突に発展した。混乱に乗じた略奪も発生し、死傷者や逮捕者が出た。

 さらに同時期に、エストニアの政府機関や銀行、メディアに対する大規模なサイバー攻撃が発生。現金が引き出せなくなったり、報道が困難になったりした。

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タリンにある旧ソ連兵の銅像近くで2007年4月26日、デモ隊を追い払おうとする機動隊員ら=ロイター

 この攻撃ではロシア政府の関与が疑われたが、今も攻撃主体ははっきりしていない。ただ、ここで明白になったのは、情報空間やサイバー空間における目に見えづらい攻撃が、いかに国家の脅威になるかということだった。

 長年にわたるソ連の占領を経て、独立を果たしたエストニア。ソ連解体後も、ロシアが地続きで国境を接する隣国であることには変わりがない。そんな国が抱える強い危機感は、街中に見て取ることができる。
(タリン=藤原学思

中国が最も警戒する外交官、垂秀夫氏に聞く 変質する隣国とその理由(朝日新聞有料記事より)

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 中国が最も警戒する外交官――。外交官として中国と約40年渡りあい、在職中はそんな評をも得た垂秀夫氏が昨年末、駐中国大使の任を終えて退官した。近年、枕ことばとともに紹介される官僚も少ないが、激しい仕事ぶりと中国理解の深さで知られた。変質する隣国と、私たちはどう向き合えばいいのか、聞いた。

 ――台湾総統選がありました。中国の習近平国家主席は中台統一を「歴史的必然」と言っていますが、在任中にどこまで目指すつもりでしょう。

 「皆さん誤解があると思う。確かに習氏は台湾問題を自分のレガシー(政治的遺産)にしようとしているのだろう。香港返還が鄧小平のレガシーになったように。しかし、香港が返還された1997年7月1日、鄧はもうこの世にいなかった。返還が決まったのは84年の中英合意だ」

 ――改革開放に道を開いた鄧は、英国式の香港の諸制度を受け入れる一国二制度を唱えて香港返還に道筋をつけました。

 「鄧がやったのは歴史的な変換点を作り、レールを敷いたこと。習氏の考えていることを理解するヒントになる」

 約2時間にわたった垂氏のインタビューを2回に分けて報告します。前編のこの記事では台湾問題や米中関係、中国の対外戦略などについてお聞きました.後編では日中関係を中心に伺います。

台湾問題、私たちが今すべきこと

 ――米軍高官の発言などから、一時、2027年の台湾武力侵攻説も広まりました。

 「ウクライナ侵攻では、軍事的に圧倒的優位と思われたロシアがウクライナの激しい抵抗に遭っている。それだけ見ても、武力行使のリスクは明らかだ。確かに中国は武力行使の可能性を放棄したことはなく、安全保障の問題は常に最悪のことを想定しなくてはならない。しかし、すぐに武力侵攻する蓋然(がいぜん)性はどれほどあるのか」

 「私たちは、今やらねばならないことが何かを、一つ一つ丁寧に考えていく必要がある。経済の変調、軍の腐敗、対米関係など、中国も多くの問題を抱えている。武力侵攻より現実的なシナリオとしてありうるのは、台湾周辺の海上封鎖ではないか。中国が行動を起こす理由や口実を与えないことが重要だ」

 ――総統選はどう分析されましたか。

 「プロセスは単純ではなかったが、結果としてはおおむね予想されていた形ではあった。重要だったのは、浮動票の行方。2大政党の(中国と距離を置く)民進党も、(対中融和路線の)国民党も選挙に勝つためには必ず浮動票を取りにいかなくてはならない。浮動票は(統一でも独立でもない)「現状維持」の若者が多いが、今回はその層をほぼ、(新興の第3勢力)民衆党の柯文哲(コー・ウェンチョー)氏が取ったのではないか。腐敗や女性問題が頻発している民進党と国民党に、若者はほとんど関心を持っていない」

 ――どの政党も立法院で過半数を取れませんでした。

 「中国が『選挙結果は民進党が主流の民意を代表できないことを示した』と言っているのも、一理はあるのかもしれない。結果として、中国が(選挙結果に)過激に反応しなくても良くなったという面もある」

なぜ中国は強くあろうとするのか

 ――習氏は国内で強権的な統治体制をつくり、対外的にも強硬路線を強めています。

 「根源的な原因は、中国の国家戦略目標の変化だ。共産党政権のレジティマシー(正統性)に関わる問題でもある。彼らは(共産党政権を打ち立てた)毛沢東の時代に中国が立ち上がり、鄧小平の時代に豊かになったと説明し、習氏の時代には中国を『強くする』という目標を掲げるようになった」

 ――習氏が変えたのですか。

 「直面した状況により、変えざるを得なかったのです。発展のひずみとしての貧富の格差や腐敗、環境問題は胡錦濤指導部の時代(02~12年)に深刻になっていた。実は胡氏は2000年代の半ばに『共産党の執政党としての地位は永遠でも不変でもない』と発言したことがある。これはものすごい意味がある。共産党も倒れるかも知れないと言ったわけだから。各地で暴動が続き、そう言わざるを得なくなっていた」

 ――内なる危機感ですね。

 「共産党政権を本質的に動かすのは、常に国内の問題だ。習氏は胡指導部の危機感を引き継いでいる。習氏は共産党のレジティマシーについての回答として、もはや豊かさだけではダメだと。豊かさの追求だけではまた同じ問題が起きると考えて、『強さ』を求めることにしたんだと思う。彼が革命的に考え方を変えたわけではなく、政権の流れがあることを知る必要がある」

 「ただ、習氏はそれらの課題に強権的に対応した。そうしなければ社会の安定は保たれないという深刻な認識に加え、彼自身、強権的な手法が横行した文化大革命の時代に育ったという要因もあっただろう。いずれにせよ、習氏は徹底的に反腐敗・反汚職をやり、環境問題に力を入れ、絶対的貧困の撲滅と共同富裕を掲げて格差の解消に取り組む姿勢を見せている。胡錦濤時代の大きな課題に一つずつ対応している。共産党政権は連続性の中で見なければならない」

 ――豊かさの追求から強さの追求へ。その転換が、ある意味で迫られたものだったと。

 「強さを求めるのは被害者意識と裏表でもある。自分たちはいじめられているとか、狙われているとの意識がこれまでより強く出てきた。スパイを排除し、軍事費を増やさねば国や党を守れないと考えるようになった。最優先目標が経済成長から『国家安全』に変わったのです」

中国が望む世界

 ――こうした変化は、米中対立をはじめ対外関係にも影響していますね。

 「中国が強くなろうとする時、最終的に向き合わねばならない相手は米国だ。簡単に言えば、米欧がつくってきた国際政治経済秩序を変えていくという話なので、リーダーだった米国とはぶつかる。(米中関係を落ち着かせる)踊り場は探したけれども、米国は見透かしていた」

 ――中国は世界をどのように変えたいと思っているのでしょう。

 「多くの人は中国が明確な世界戦略をもって色んなことを進めていると思っているが、私は全くそう思わない。中国はもっと受け身。自分たちが覇権をやっているとも思っていない。たとえば、昨年45周年を迎えた日中平和友好条約には(双方が覇権を求めず、覇権を目指す動きに反対するとした)覇権条項がある。日本側は条項の『歴史的意義』と言ったりして中国を牽制(けんせい)しようと思う一方、中国側も(対米対立などを念頭に)喜んで使ってくる。それは、彼らが自分で覇権をやっているつもりがないからだ」

 「鄧小平の時代も今も、彼らは明確な世界戦略を持っているわけじゃない。彼らが目指しているのは、米国が主導してきた国際的な政治経済秩序を、彼らが主導でき、彼らにとってより合理的なものにすることだ」

 ――彼らにとって合理的な秩序とは。

 「彼らは目指す秩序を『人類運命共同体』とか、発展・安全・文明の三つの『グローバル・イニシアチブ』などのコンセプトで示そうとしているが、実態はよく分からない。たとえば、領土や主権の不可侵といったことを書いているが、(それに反する)ロシアのウクライナ侵攻に対しては何もできなかった。だから、結局きれいごとでダブルスタンダードだねと思われてしまう」

 「しかし、民主主義にも色々あり、それぞれの国にはそれぞれの発展段階があるといった中国の主張は、(植民地支配など欧米との歴史的な葛藤を抱える)グローバルサウスの国々には受け入れられやすい。コロナ禍でも欧米先進国が自国の対策を優先して途上国を切り捨てた面があるのに対し、中国はワクチンやマスクを大量に途上国に供与した。外交上、大きな得点になったことは事実として受け止める必要がある。『中国製は効かない。何の意味もない』と言っていたら、彼らと中国の関係は絶対に理解できない」

米国の自責点

 ――経済成長を優先した時代、中国の立ち居振る舞いには欧米的な秩序や価値観への敬意や遠慮のようなものがあったように思います。

 「米中対立に関して、中国の学者に言われたことがある。上昇気流と下降気流がぶつかれば乱気流が起きるのは当然だと。最終的に昇っていくのは中国だというのが彼らの認識だ。胡錦濤時代以前にはなかったものだ。胡錦濤時代からの政権の連続性はあるんだけれども、次第にそういう自信が芽生え、膨らんでいるのは確かだ」

 ――何がそうさせたのですか。

 「民主主義の宗主国ともいえる米国の揺らぎは大きい。前回の大統領選後にトランプ支持者が連邦議会を襲った事件は、中国の民主化を志向する人たちにも大論争と動揺をもたらした。(米軍のアフガニスタン撤退による)カブール陥落も、米国の影響力の限界を印象づけた上で大きかった」
(聞き手 中国総局長・林望)

垂秀夫(たるみ・ひでお) 1961年生まれ。外務省入省後、86年に南京大学留学。89年以降、北京勤務は4度に及び香港や台湾にも駐在した。

【視点】倉田徹(立教大学教授)台湾と香港の問題はしばしば相互に参照されますが、両地の置かれていた状況は極めて大きく異なります。香港は英国による植民地統治の下にあり、その返還は地元の香港人の意思に関係なく、宗主国・英国が決定しました。これに対し、台湾は自己完結した独自の政権を持ちます。仮に台湾が中国との統一を交渉する場合、台湾の政権自身が交渉主体となります。しかし、台湾の圧倒的多数の民意が「一国二制度」を受け入れないとしている現在、交渉による平和統一はほぼ考えられません。外交交渉で決着した香港の場合、1984年から1997年まで13年間の過渡期をおいて、「道筋をつけて」統一に向かいましたが、果たして台湾について、どうやって中国が「歴史的な変換点を作り、レールを敷く」のか、極めて不透明だと考えます。

「ロシアに行く」その日はもう来ない 150m先の隣国、少年の葛藤(朝日新聞有料記事より)

 ロシアの隣で エストニアの危機感①:国境沿いの街

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エストニア東部ナルバ(左)とロシア西部イバンゴロド(右)の間に流れる川。両岸にかかる橋の往来は、ロシアのウクライナ侵攻後、少なくなったという=2023年12月16日、

 視界は、二つの国を同時にとらえる。

 東にロシア、西にエストニア。川によって隔てられ、両岸には150メートルほどの橋がかかる。両国を行き交う人びとやバスが見える。

 2023年12月中旬、エストニア東部ナルバ。北大西洋条約機構(NATO)や欧州連合(EU)とロシアは、この街で分かれる。

【連載】ロシアの隣で エストニアの危機感

ロシアによるウクライナへの全面侵攻が始まって、2月24日で丸2年を迎えます。ロシアの隣国であるということは、どういう意味を持つのか。エストニアの人々の思いや、ここ2年で起きた変化を通じて伝えます。

 零下の川沿いを歩く市民は少ない。そんななか、ニット帽をかぶり、手袋をして、雪かきをする少年がいた。17歳の高校2年。ここで生まれ育ったという。

 「特別なことはなく、ただただ、退屈な街ですよ」

ウクライナ侵攻で離れた心の距離

 白い息を吐き、少年は笑う。両親のルーツは、ロシアとウクライナ。いまは家族でエストニアで暮らす。

 「自分が何人なのか、自分でもよくわからない」

 少年が口にしたその言葉は、この街でよく聞かれる。市の統計では、5万4千人の市民のうち、84%がロシアにルーツがある「ロシア系」。34%がロシアの市民権を有する。ロシア語でのやりとりが当たり前で、首都タリンでは問題なく通じる英語を理解する市民は少ない。

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エストニア東部ナルバの駅に着き、列車を降りる市民たち=2023年12月16日、エストニア東部ナルバ、藤原学思撮影

 少年も母語はロシア語で、ロシアのパスポートを持っていた。それに、モスクワには親族がいる。

 「でも、もう行きたくなくなった」

 そんな気持ちになったのは、22年2月、ロシアによるウクライナへの全面侵攻が始まってからだ。

 ウクライナ侵攻は少年の家族の中でタブーになっている。特に、同居する祖母との会話には気を使う。

 「おばあちゃんはユーチューブの動画をたくさん見ていて、『ウクライナはおぞましい』って言うんだ」

 自分はそうは思わない。エストニアのニュースを見ても、「ロシアはウクライナをネオナチから救っている」なんて信じられない。ブチャで起きた大量殺人はどう説明をつけるのか。

 侵略を正当化できる理由が見当たらないし、プーチン大統領を支持するロシア国民にも疑問を覚える。性的マイノリティーへの締め付けが強くなっているのも気になる。

 文字どおり、「目の前の国」であるロシア。でも、ウクライナ侵攻を機に、心の距離が一気に離れた。逆に「エストニア人」としてのアイデンティティーが強くなったように感じる。

 高校を卒業したら、タリンで暮らしたい。ニューヨークやロンドンも良いかもしれない。「ロシアの政治や大統領がもっと良かったら、いまとはもっと状況が違ったら、いつかはロシアに引っ越しても良いと思ってたんだけど」

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ロシアとエストニアの国境が引かれる川で、ボートに乗って釣りをする男性。川向こうにはロシアの街が広がる=2023年12月16日、エストニア東部ナルバ、藤原学思撮影

 少年の目線は、川の向こうへと流れる。その「いつか」は、もはや来ないと思っている。パスポートの更新は、もうしない。

ナルバでの「奇妙な」体験

 かつてスウェーデンの支配下にあったナルバには、1704年にロシア側によって占領された過去がある。だが、プーチン氏の見方は異なる。

 プーチン氏は2022年6月、ロシア帝国の初代皇帝であるピョートル大帝の生誕350年に際し、「彼はなぜナルバに行ったのか。彼は領土を『奪還』したのだ」とたたえた。そして、自分たちにも「奪還」する義務があると言い放った。

 現在はエストニア領である街の占領をめざすような発言に、エストニア政府も黙っていなかった。駐エストニアのロシア大使を呼び出し、抗議した。ただ、ナルバ市民が必ずしも、エストニア政府の見方を共有しているとは限らない。

 「英語もエストニア語もわからない人たちは、ロシア語で情報を仕入れます。世代間で話がかみ合わないことも多い。白か黒かというよりも、みんな、相手が何を信じているのかわからない。誰もが灰色のグラデーションの中にいる感じです。だから、侵攻のことを話さないんです」

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エストニアの首都タリンから移り、東部ナルバで暮らすヨハンナ・ランヌーラさん=2023年12月16日、エストニア東部ナルバ、藤原学思撮影

 地元で芸術施設の館長を務めるヨハンナ・ランヌーラさん(33)は、そう説明した。21年秋にタリンからナルバに移り、「まるで外国にいるかのような違和感がある」と話す。

 ランヌーラさんは学生だった13~15年、ロシア第2の都市サンクトペテルブルクで過ごした経験がある。

 「すばらしい文化、すばらしい人たちとの出会いがありました。でも、全面侵攻を機に、ロシアに対する態度を変えざるをえませんでした」。少年と同じく、ロシアを再訪するつもりはないと言い切った。

 ナルバでの暮らしは時に、ランヌーラさんにとって「奇妙な」体験を伴う。

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ロシアの「戦勝記念日」である2023年5月9日、エストニア東部ナルバから、対岸のロシア・イバンゴロドで開かれている記念行事の様子を眺める市民=ロイター

 23年5月9日、ロシアの戦勝記念日。川沿いに集った数百人のナルバ市民が、ロシア側に設置された大きなスクリーンを眺め、音楽に耳を傾けた。

 エストニア政府は祝賀イベントを禁止したが、国境の向こうから流れるものを止めることはできない。「ウクライナであんなことがあったのに、おかしい、としか言いようがない」。そう感じたという。

 ウクライナ侵攻について、ランヌーラさんには自分なりの線引きがある。それでも、街全体で見れば、やはり「灰色」なのだと何度も強調する。

 「言葉の問題、政治の問題、教育の問題。そうしたことは、イエスかノーかで簡単には片付けられない。結局のところ、ロシアはすぐそこの隣国なんです」

 人びとはアイデンティティーに悩み、家族やコミュニティーは分断に苦しむ。そして、これ以上の摩擦が生じないよう、できるだけ「灰色」のままで時をやり過ごす――。歴史的にロシアの影響を色濃く受けてきたナルバは、そんな街だとも言える。

 それを象徴するような出来事が、22年夏にあった。その「現場」はいまや厚い雪に覆われ、そこに何があったのか、そこで何があったのか、一見してもわからない。

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旧ソ連時代の戦車「T34」が展示されていた場所。現在は雪に覆われ、何があったのか、もはやわからない=2023年12月16日、エストニア東部ナルバ、藤原学思撮影

 議論の的になったのは、旧ソ連時代の戦車だった。

     ◇

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エストニア東部ナルバから眺めたロシア西部イバンゴロドの城塞。両岸には橋がかかり、行き来する市民の姿も見える=2023年12月16日、藤原学思撮影

 ロシアによるウクライナへの全面侵攻が始まって、2月24日で丸2年を迎えます。ロシアの隣国であるということは、どういう意味を持つのか。エストニアの人々の思いや、ここ2年で起きた変化を通じて伝えます。
(エストニア東部ナルバ=藤原学思

「議論が私たちを強くする」マイダン革命のリーダーだったキーウ市長(朝日新聞有料記事より)

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 ウクライナの首都キーウのビタリ・クリチコ市長(52)が1月24日、朝日新聞の取材に応じました。ゼレンスキー大統領との「確執」が度々報じられますが、インタビューの後半では、戦時下において、ウクライナ国内の民主主義を維持することの難しさなどを聞きました。

 ――ウクライナ国内の話を聞きます。戦時体制は本質的に、民主主義に一定の制限をかけるものです。戦い続けることと、民主主義を維持することのバランスをどう取るのか。この点はいかがでしょうか。

 祖国の民主主義的な価値観を守ることは非常に重要です。何のために戦っているのか、それを忘れてはなりません。民主主義的なシステムや価値観こそが優先課題です。戦争状態にあるということは、極めて、極めて異常な事態です。ただ、戦時下であったとしても、民主主義的な価値観は守られなければならないのです。

ゼレンスキー現政権の評価は

 ――ゼレンスキー大統領の現政権についてはどう評価していますか。

 そうですね……。完璧な人間なんていません。誰もが完璧になりたいですが、誰もが人間です。大きなミスを犯さないことが重要なんです。個人的な意見ですが、大きな課題というのはゼレンスキー大統領にとってだけではなく、ウクライナにいる全員にとっての課題なのです。いま必要なのは、「結束」です。ウクライナ国内外で、あらゆる政治的な力を結束させること。それが平和と自由にとって重要になると、みなが理解しなければいけません。

 ――ドイツ誌「シュピーゲル」の最近のインタビューで、あなたは「ウクライナは権威主義への道を歩んでいる」「ロシアと変わらなくなる」と語っています。このインタビューは多くの人が目にしました。真意はどこにあったのでしょうか。

 もし誰かが過ちを犯したのであれば、私はそれについて声をあげたいということです。声をあげないということは、同意することを意味します。中央政府が過ちを犯したのであれば、私は声をあげる。そしてそれが過ちを正し、同じ過ちをしないことにつながります。

 ――中央政権はどんな過ちを犯したと考えているのですか。

 まさにいま、国内で「政治ゲーム」を始めていますよね。よくないことです。政治的な力の結束をめざすにあたって、市民にとっても悪い兆候です。

 大統領は、ウクライナ国内で争いをするのではなく、ウクライナにいる全ての人を結束させなければいけないのです。それが非常に重要です。

追加動員について

 ――追加動員について聞きます。戦況からして、ウクライナ軍が追加動員を必要としていることは明らかです。その場合、キーウの人びとをどのように説得しますか。

 私たちの人口はロシアよりもはるかに少ない。財政的なリソースもロシアほど多くないですし、天然資源も人材もそうです。ロシア兵はウクライナ兵の何倍も多く、最前線のウクライナ兵にはローテーションが必要となります。

 動員はウクライナで、国民から非常に嫌がられます。ただ、国民に対して、国を守るために戦うことがいかに重要かを説明することが大切です。自宅のソファに座って、誰かが守ってくれるのをただ見ているというのは間違っています。自分の居場所にいれば、誰もが守られるはずだというのは、誤った意見です。

 私たちの将来がかかっているのですから、国民にその重要性、その理由をはっきりと説明しなかったことは、私は誤りだったと思います。

「議論が私たちをもっと強くする」

 ――今年行われることになっている大統領選挙について聞きます。戦況や戦時下にあることに鑑みると、今年中に選挙を実施することは極めて難しく思えます。

 正直に言って、現在問題になっているのは「ウクライナは生存するか、否か」ということです。

 もちろん、選挙は民主主義の根幹の一つです。ただ、私たちは極めて異例な状況にあります。選挙は国内における政治的な争いであり、民主主義国家としてのウクライナが生きるか死ぬかといった、大きな困難を抱えた状況では、戦争が終わるまで選挙を排除するほかないでしょう。

 つまり、現時点では、国内における政治的な争いは「毒」です。選挙はいつか行われると、誰もが理解しています。私たちには結束が必要なのです。

 ――現在は戦時体制法で一部の自由や権利が制限されています。この状況下で、ウクライナ議会、特に野党の活動をどう評価していますか。

 政治的な透明性がカギになるでしょう。非常に重要です。争いではなく、議論によって、すべての政党がまとまることが重要です。

 戦時下にあるという異例の状況でも、民主主義的なシステムは守らなければなりません。それは政府も議会も同じです。個人的な意見ですが、議論が私たちをもっと強くするし、過ちを避けることにもなります。

マイダン革命のリーダーだったクリチコ氏

 ――親ロシア路線の政権を崩壊させた2014年の民主化運動「マイダン革命」からまもなく10年です。国民は当時、民主主義への希望を寄せていました。ただ、マイダン革命はロシアの介入を招き、いまは戦争状態にあります。マイダン革命のリーダーの1人として、この10年間の戦いをどう評価しますか。

 ロシアのナラティブ(物語)をたくさん聞いてきました。2014年に(マイダン革命に反発したロシアがウクライナの南部クリミア半島を一方的に併合し、ウクライナ東部に軍事介入して)戦争が始まった理由について、彼らは「急進派、ファシスト、ナショナリストが権力を持ったからだ」と主張します。これはフェイクニュースです。

 この戦争が始まった主な理由は、ウクライナが欧州の一員になることをプーチンが認めなかったからです。バルト三国やポーランドにしても、プーチンはいまも、非常に不快に思っています。

 マイダン革命は、戦争が起きた理由ではありません。欧州の価値観、人権、機会の平等、報道の自由を重んじたものです。私たちは、反対派が投獄されたり、殺害されたりするロシアのルールの中では暮らしたくない。プーチンはなにかしら決断するときに、マイダン革命を単なる言い訳として使うわけです。

 ――マイダン革命からの10年間で、ウクライナの政治や社会は何を成し遂げたと考えますか。

 より多くの権利を感じられるようになりました。政府が国民の声を聞かないのなら、国民が政府を変えられる。人びとはそれを理解しました。そして自由な選挙もそうでしょう。ロシアの選挙は、選挙前から結果がわかっていますから。
(聞き手=藤原学思、喜田尚) 

キーウ市長が見据える戦争の行方 侵攻700日、独占インタビュー(朝日新聞有料記事より)

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  ロシアによるウクライナへの全面侵攻が始まって700日となる1月24日、キーウのビタリ・クリチコ市長(52)が朝日新聞の取材に応じました。キーウではロシア軍によるミサイル、ドローン(無人航空機)攻撃が相次ぎ、昨年末以来、死傷者が多く出ています。それでも、「戦い続けるしかない」と話すクリチコ氏のインタビューを2回に分けて伝えます。

当初、「ウクライナはもって数日」と言われていた

 ――これまでの700日間のウクライナ人、ウクライナ軍の戦いをどう評価しますか。

 700日と言えば、ほぼ2年です。この戦争が始まった当初、世界中の専門家が言っていたのは「世界で最も大きく、最も強い軍の一つであるロシア軍に対して、ウクライナはもっても数日、あるいは数週間だろう」ということでした。

ビタリ・クリチコ

1971年7月、現在のキルギス生まれ。ボクシング・ヘビー級の元世界王者。2006年にキーウ市議になり、12年の議会(国会)選挙では、自らが率いる野党「民主改革連合」(ウダル)が第3党に躍進した。14年に3度目の立候補でキーウ市長に当選。ウクライナ語のほか、ロシア語や英語、ドイツ語を話す。

 それが、まもなく戦争が始まって2年です。私たちは祖国の防衛に成功しています。

 ロシアはウクライナを占領しようと試み、いまは困難な戦いを強いられている。ウクライナを支援してくれている全ての友人に非常に感謝しています。私たちには支援が必要であり、状況は簡単ではありません。ロシアを過小評価したくはないし、かといって過大評価したくもありません。

 彼らはこの戦争で大きな問題を抱えており、(プーチン)大統領は北朝鮮に行って、武器を請いました。ウクライナと戦うのに、十分な武器がないからです。

 ただ、私たちにとっても(この戦争は)困難なものであり、大きな挑戦です。

 こうした困難を予想してはいませんでしたが、私たちは戦うしかない。それ以外に選択肢はありません。なぜならば、私たちの領土、都市、夢がかかっているからです。

 ロシアがウクライナを独立国家として認めることは決してありません。「ウクライナはロシアの一部だ」と言います。一方で私たちは民主主義の未来のために戦っています。ロシアの一部になんかなりたくない。欧州の一部でありたいし、そのために戦っているのです。

ロシアはいま、小休止が必要

 ――ロシアは昨年末から都市部への攻撃を強め、キーウでは昨日(1月23日)も20人以上が負傷する攻撃がありました。

 かつてないほどの困難を抱えていた1年前の冬よりは、いまは安全です。当時は非常に重要なインフラ施設がロシアによる攻撃の被害を受け、大きなエネルギー不足が生じました。公共交通機関も初めてストップしてしまいました。今年は対ミサイルシステムが強化され、ほとんどのミサイルや自爆型ドローンを撃墜することができています。ただ、対ミサイルシステムの数が少なく、一部の街に被害が出てしまっています。

 ――「戦い続けるしかない」とのことですが、ウクライナ側として、それ以外の「プランB」は検討すべきでしょうか。

 ロシアは「妥協点、解決策を見つけよう」と口にするという(交渉を装った)ゲームを仕掛けています。ロシアに多くの領土を譲渡してしまう形で妥協することは、公正ではありません。ロシアにはいま、小休止が必要なのでしょう。私は、しばらくしたらロシアがまた攻撃を激化させると確信しています。

 彼らの主な標的はキーウです。いまのところ、彼らにとって別の選択肢は見当たりません。私たちは戦わなければならないし、強くならないといけません。

 ――シンプルな質問をします。あなたは、「勝利」と「平和」をどのように定義しますか。

 ……難しい質問ですね。「勝利」とは、ロシア兵がウクライナ領から去ることです。そして「平和」とは、双方の兵士が互いに戦いをやめることです。

 ――戦争は、あとどれぐらい続くと考えますか。

 難しい質問です。私には答える準備ができていません。ただ、民主主義的な価値観を守ること、祖国に平和をもたらすことが非常に重要であって、そのための道筋を探さなければなりません。私たちが戦っているのは、自由な未来のためです。子どもたちのためです。

「支援疲れ」に対抗するために

 ――ウクライナに対する支援について、最大の支援国である米国では、支援予算が議会で駆け引きの材料となり、欧州連合(EU)でもハンガリーが支援に反対しています。こうした「支援疲れ」に対抗するためにはどうすればよいでしょうか。

 以前、世界中がウクライナの「勝利への意志」に驚かされました。それは「疲れ」よりもはるかに大事なものです。

 私たちはみな人間です。空襲警報の下で、いつ何時でもロシアのミサイルやドローンがくるということを理解して暮らすのは、とても難しい。あなた自身の命を奪うかもしれないし、家族と会えなくなるかもしれないのですから。前線ではもう2年近くも戦いが続いています。

 ただ、私たちにとって失敗は許されないのです。

 多くのひとが私がスポーツをしていた(ボクシングのヘビー級元世界王者)という経歴を知っているでしょう。長い戦いで6~8ラウンド目ぐらいになると、心臓が体から飛び出しそうになるし、「もうダメだ」「もう無理だ」と思うわけです。

 ただ、相手のことを忘れてはいけません。相手もコンディションが悪い場合があります。もっと疲れているかもしれない。

 ――ボクシングで言うと、現在を何ラウンド目ぐらいにたとえますか。

 世界戦(12ラウンド)なら、7、8ラウンド目あたりでしょうか。後半に入っていることは間違いありませんね。

 ロシアでは「なぜ私の息子や兄弟が殺されたのか」というデモが起きています。「なぜ、ロシア人が世界から歓迎されなくなったのか」「なぜ、(冷戦期の東西の緊張・分断を意味する)鉄のカーテンが戻ってきたのか」「なぜ、世界的な企業はロシアを去ったのか」。それを(ロシア国民が)疑問視しています。

 私たちは強くなければいけません。諦めないことが非常に重要なのです。

日本に望むこと

――2月19日に日本で経済復興推進会議があります。日本には何を望みますか。

 日本政府、日本国民には、その支援に心から感謝しています。私たちにとって、非常に重要なことです。支援がなければ、生存することは難しいのです。

 ウクライナの復興についてですが、再建するのは建物や道路、橋だけではありません。

 ウクライナには、戦時中であっても改革が必要です。汚職や司法の改革、政府の改革もそうです。透明性が必要です。同じ価値観を共有し、支援を必要としているのであれば、信頼できるパートナーにならなければならないのです。
(聞き手=藤原学思、喜田尚)

    

今朝の東京新聞から。

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