
2024年02月

2022年にノーベル平和賞を受賞したロシアの人権団体「メモリアル」幹部だったオレグ・オルロフ氏が27日、軍の信用失墜の罪で禁錮2年6カ月の実刑判決を言い渡された。オルロフ氏は昨年12月、朝日新聞のインタビューに応じ、自らへの容疑を「憲法違反だ」と批判。3月の大統領選で再選が確実なプーチン大統領について、「国民を恐れている」と指摘していた。
――裁判所は昨年10月に言い渡した15万ルーブル(約24万円)の罰金刑を取り消し、検察に差し戻しました。
私を投獄するため、政治的憎悪と敵意で実行したと証明するのではないか。いい結果は期待していない。
――「彼らはファシズムを望み、手に入れた」というSNSに投稿した言葉が問題にされました。
掲載された言葉は軍隊でなく、ロシアの政治体制に対してだ。ロシアがファシズムに堕落した非常に重要な要素として、ウクライナでの戦争に言及している。憲法29条は言論の自由を保障し、軍や政権への厳しい批判も保障されている。
3月の大統領選、「大多数の国民には無意味」
――いまはウクライナでの戦争について、実質的に議論が禁じられています。
ファシズムでは必ず反対意見の弾圧が起こる。(反逆罪で禁錮25年の有罪となった反政権派活動家の)カラムルザ氏は批判以外は何もしていないのに実質的に無期懲役だ。(反政権派指導者で、2月16日に獄死した)アレクセイ・ナワリヌイ氏も完全に合法的に反政権派を組織した。
(1964~82年のソ連トップ)ブレジネフ時代より悪く、(29~53年の独裁者)スターリンの時代にどんどん近づいている。
――3月の大統領選はプーチン氏の当選が確実な状況です。
皇帝の戴冠(たいかん)式のようなものだ。プーチン氏が権力を握るにしても儀式は重要で、一部の国民にも政権の正統性は非常に大切だ。強固な反プーチンの少数派は不満を表明する機会にできるが、大多数の国民には何の意味も無い。
――世論調査では、プーチン氏の支持率は7割を超えています。
いまのロシアの社会調査は信じない。全体主義国家では事実上、不可能だからだ。大多数が真実を語ることを恐れている。支持率が高いのは疑いがないが、メディアに登場できる本物の反政権派がいれば、状況は劇的に変わり、大統領選が1回目の投票で決まるとは思わない。
――実際の支持率はもっと低いということですか。
政権が国民に支持されていると考えているなら、なぜ言論の自由を禁止するのか。彼らが恐れているのは明らかで、実は自分たちが弱いと自覚している。
「21世紀のファシズム」
――プーチン氏は大統領就任当初、改革派との期待もありました。
当初から自由と人権の抑圧に注力し、反政権派の迫害にも関与してきた。(ソ連の秘密警察時代)彼が反体制派の弾圧に加わったことは知られている。政界進出を止めなかったのは、我々の大きな誤りだ。
――ウクライナの政権を「ネオナチ」などと決めつける荒唐無稽な持論の背景には何がありますか。
ロシアには『偉大な帝国』という神話がある。ウクライナはロシアの一部であり、キーウはロシアが生まれた母なる都市だ。いま、なぜ偉大な帝国に兄弟民族(ウクライナ人)を戻したいのか、政権は国民に説明する必要がある。
一般のロシア人にとってナチズムは悪だ。(第2次世界大戦の独ソ戦を指す)大祖国戦争で敵対して多くの人を殺し、我々が勝った。だから(架空の)ナチスがいるからだと、新しい神話をつくっている。
――政権が言うように、ロシア人は米欧やウクライナを恐れているのですか。
恐怖心はウクライナ東部紛争が始まった2014年から時間をかけて形成された。テレビは常に北大西洋条約機構(NATO)は攻撃的な同盟で、ロシアに迫っていると教育した。連日のプロパガンダの洪水は批判的な思考を抑圧する。だが、フィンランドとの国境はNATOとの境界となり、ロシアにとっての安全保障は悪化した。(親ロシア派の)分離主義者が支配するウクライナ東部でも22年2月以降、死者数は10倍どころか数桁増えた。
――ロシアは政権が決めた単一の価値観に染まりつつあるように見えます。
全体主義では、国家は一つの価値観を押しつけ、その価値観は政治だけでなく、社会活動や経済など生活全般に侵入する。ロシアの新しい全体主義を、私は21世紀のファシズムと呼ぶ。
――メモリアルがノーベル平和賞を受賞しても状況は変わりませんでした。
国内では何の影響もなかったが、国際的な知名度を高め、抑圧下で働くスタッフを奮い立たせた。賞には我々に力と名声を与える役割はあった。ただ(プーチン政権のチェチェン紛争を批判した)著名ジャーナリストのアンナ・ポリトコフスカヤ(06年に自宅アパートで殺害された)はいくつもの賞を受賞したが、殺人からは守られなかった。
「幅広い国民と対話できず」と後悔も
――メモリアルの目標は弾圧を二度と繰り返さないことでした。なぜ、うまくいかなかったのですか。
幅広い層の国民と話ができなかった。(当局の不当な拘束などから)人々を無料で助けたが、国際条約や人権の考え方がいかに重要かを説明しなかった。(ロシアの)民主政党も普通の人との話し方を知らなかった。初めてそれをし、自らの組織をつくったのがナワリヌイ氏だ。
――政権は、反政権派は「愛国者」でないような雰囲気をつくっています。
私はロシアの愛国者だ。(親政権の)愛国者とリベラル、民主主義者がいると言われても、私には荒唐無稽だ。祖国のために、素晴らしく、美しい未来を私は望んでいる。しかし、そのためにロシアは変わらなければならない。この動画、機械翻訳の妙な日本語字幕が出ます。

【解説】ヨーロッパ総局長・杉山正
国連安全保障理事会の常任理事国が核をちらつかせ、国連憲章を無視して隣国を侵略する。そんな蛮行を止めるすべがないまま、ロシアのウクライナへの全面侵攻から2年が経った。法の支配に基づく安定した国際秩序は遠い夢のように思える。
侵攻は世界の安全保障環境を一変させた。「時代の転換点」としたドイツの国防費増強、武器輸出強化といった政策転換。長年の中立政策をやめた北欧2カ国の北大西洋条約機構(NATO)加盟申請。自国への侵攻に危機感を強めるバルト3国などは対GDP比では世界最多レベルの支援をウクライナにつぎ込んでいる。
英シンクタンクによると、昨年の世界の防衛費は前年比で9%増え、過去最高になった。
欧州はロシアが「武器化」したエネルギー依存から脱し、ウクライナは戦前では考えられないほど、欧州連合(EU)とNATOの加盟に近づいた。
短期間でウクライナの属国化を狙ったロシアの野望は失敗し、NATOの強化とEUの拡大促進というロシアの思惑とは逆の効果を生んだ。
だが、侵攻の長期化で新たな危機が顕在化している。米国を中心に「支援疲れ」が懸念される。バイデン米大統領が支援について「どれだけ長くかかろうとも」と言ってきた決まり文句は、「できる限り長く」とトーンダウンした。支援が細り、東部ドネツク州の激戦地アウジーイウカの前線の兵士からは「危機的な場面でしか砲弾を撃つことができない」という悲鳴のような声も聞いた。その取材の10日後にウクライナ軍はアウジーイウカから撤退した。
これまでも米欧の軍事支援はエスカレートを恐れ、高度な武器の供与に躊躇し、タイミングを逸してきた。供与されるのは「負けない程度の武器」とも言われてきた。そして、昨夏からのウクライナ軍が反転攻勢に失敗すると「疲れ」が表面化してきた。戦況の膠着と「疲れ」の負の連鎖が生まれつつある。
ウクライナで取材していると「自国のためだけの戦いではない」という言葉をよく耳にする。
ウクライナ支援は、「慈善」ではない。二度の世界大戦を経て、国際社会が作り上げた大原則を守ることを意味する。国際法や人権を尊重して、戦争犯罪を防がねばならないということだ。ウクライナだけでこの大規模な戦いを続けられない。復興も含めた支援の停滞は、国際秩序を蝕(むしば)むことにつながる。
東部ドネツク州の前線で戦う兵士ウォロドミール・ナザレンコさん(32)の言葉が印象的だった。「ロシアの論理がまかり通れば、民主主義の価値観の敗北になる。全ての民主世界が何もできなかったことになる。その結末は想像できるでしょう。『支援疲れ』は暴力を傍観する言い訳にはならない」
パレスチナ自治区ガザ地区の情勢も無関係ではない。国連安全保障理事会で停戦決議案に拒否権まで発動し、パレスチナの大勢の民間人犠牲を顧みないイスラエルを支持する米国、そしてイスラエルの攻撃への直接批判を避ける欧州首脳らの行動を見れば、「二重基準」との批判は当然だ。ロシアに付けいる隙を与えてしまっている。ロシアは「西洋対非西洋」のナラティブ(物語)で、「グローバルサウス」と呼ばれる新興・途上国を絡め取ろうとする。
このままでは普遍的であるはずの、米国などがウクライナ支援で説いてきた国際法や人権という言葉は説得力を失う。
だからこそ、最大のウクライナ支援国である米国が、「同盟国」であってもイスラエルに厳しく臨むことが必要だ。二重基準という矛盾を解消し、普遍的な国際ルールを示すことは、戦争犯罪を防止し、ロシアの侵攻を止める力の基盤になる。
10年前、ロシアがクリミア半島を一方的に併合した時、各国は目先の利益を優先し、事実上黙認した。それが今の全面侵攻につながり、国連によると、民間人の犠牲は1万人を超えた。積み上がり続けるロシアの戦争犯罪を止めるため、私たちは、10年前と同じ間違いを繰り返してはならない。(キーウ=杉山正)

16歳だった元少年は、18歳の成人になった。そしてこの1月、ウクライナの国章のタトゥーを、左腕に刻んだ。
ボフダン・イエルモヒンさん。ロシアによるウクライナへの全面侵攻後、激戦地となった南部の港湾都市マリウポリから、強制的にロシア側に連れ去られた。ようやく帰還できたのは、1年半後だった。
10年前に両親を失った。マリウポリで、ある学校長の養子として育てられ、ウクライナ人としての身分証明書も持っていた。
2022年2月24日に全面侵攻が始まった際は、溶接工になるための学校に通う学生だった。ロシア軍が「完全制圧」を宣言する頃まで約3カ月間を、マリウポリで過ごした。
いまはロシアの支配下にあるマリウポリで何人が亡くなったのか。その数は「8千人以上」(国際人権団体「ヒューマン・ライツ・ウォッチ」)とも、「2万5千人」(ウクライナ当局)とも言われる。
この期間のことは、忘れたくても忘れられない。支援した弁護士によると、イエルモヒンさんは「胸に穴の開いた女の子を腕に抱いた」という。
キーウにある現在の自宅でそのことを尋ねると、イエルモヒンさんは唇をかみ、下を向き、首を横に振って「話したくない」とつぶやいた。ただ、こう付け加えた。
「洗脳」受け続けた1年半
「マリウポリで見たものは、僕に悪と戦う力を与えてくれた。彼らが犯したすべての罪、殺されたすべての人たち、すべての子どもたち、破壊されたすべての建物、それらすべてについて、彼らは罰せられなければなりません」
イエルモヒンさんは22年5月ごろにマリウポリから連れ去られた後、ロシアの占領下にある東部ドネツクに送られ、さらに「リハビリ」と称してモスクワ地方にある療養所に移送された。その療養所は「再教育施設」とも呼ばれる。
この経路をたどった男子16人、女子15人は、ウクライナメディアから「グループ31」と呼ばれる。ウクライナ政府によると、帰還したのは、まだ6人しかいない。
イエルモヒンさんは再教育施設から孤児院を経て、22年7月にロシア人の「里親」の家庭へと移らされた。ロシア側にいた1年半の間は、「洗脳」を受け続けたという。
「ウクライナ軍には十分な資金がないから、あなたたちの臓器が売られてしまう」「ウクライナが先に攻撃して、ロシアは国境を守っている」
そうしたウソを聞かされては、笑顔を浮かべてやり過ごした。心の中で、憤りが募っていた。
故郷を離れて1年が経とうとしていた23年春、「里親」のもとを抜け出し、ベラルーシ経由でウクライナに帰ろうとした。だが、1千キロほど移動した後、国境近くでロシアの警察に見つかり、失敗に終わった。
そのため、ロシアのテレビに出ることを強要された。「ウクライナの情報当局が誘拐を画策した」という作り話の拡散に協力させられた。「里親」は会見を開き、「彼はロシアの愛国者だ」と言い放った。
逃亡をしようとしてからは、監視の目が強まった。どこに行こうにも、当局者がついて回る。
一方、ロシア当局が過度に自分の動向を気にすることに、こうも感じた。「彼らは僕をおそれている」
ゼレンスキー大統領に「帰らせて」
23年10月ごろ、ロシア当局からある書面を受け取った。それは、成人となる18歳の誕生日(11月19日)を前に、ロシア軍への登録を求める内容だった。
連絡を取り合っていたウクライナの弁護士は、国際世論に訴える手に出た。11月上旬、これまでの経緯を文書にしてSNSに載せて、さらに、イエルモヒンさんがゼレンスキー大統領に向けて「帰らせて」と語る動画も公開した。
こうした動きがウクライナ国内外で大きく報じられ、18歳になる9日前の11月10日になって、ロシアはウクライナへの帰国を認めた。
一方、イエルモヒンさんは飛行機でベラルーシに飛ぶと知らされ、「殺される。(飛行機が墜落して死亡したロシアの民間軍事会社ワグネル創設者)プリゴジンのようになってしまう」と感じたという。
やっと「大丈夫だ」と思えたのは、国境を越え、ウクライナの国境警備隊が抱きしめてくれた時だった。そのときにもらったウクライナ国旗は、いまも大事に取ってある。
将来は歌手として生きていきたい。ただ、国際社会の関心の高まりがなければ、そんな未来を描くことも、ウクライナに帰ることもなかっただろうと、心から思う。ロシア軍の兵士として、同胞と戦わざるをえなかったかもしれない。帰国交渉には、ユニセフ(国連児童基金)やカタール政府、在ベラルーシのウクライナ大使館が協力した。幸運だった。
ウクライナ政府によると、確認できているだけで2万人近い子どもたちがロシア側に連れ去られ、帰ってきたのは2%ほどの388人にとどまる。
「子どもがいなければ、未来はない。ロシアの目的は、過去を台無しにし、現在を消し去り、未来を奪うことです」
「里親」に送りつけたタトゥーの写真
イエルモヒンさんは帰還後、弁護士や国会議員とともに、同じように連れ去られた子どもたちの帰還を進める基金を立ち上げた。「少しでも、恩返しをしたい」。そんな思いからだった。
取材の終盤には、こんなことも口にした。
「お願いがあります。日本政府に協力してもうらことはできないでしょうか。少なくとも、僕の経験を聞いてもらえないでしょうか。僕はただ、僕と同じような子どもたちに、ウクライナに帰ってきてほしいだけなんです」
自分が何者で、どこから来て、どうやって生きていくつもりなのか。そんな思いからタトゥーを入れた1月25日、痛々しさの残る左腕を写真に撮り、その日のうちにロシアの「里親」に送りつけた。
膨れあがったロシアへの憎悪と、比例して肥大したウクライナへの愛国心を、「里親」にわからせたかった。
自分が守りたいもの、ウクライナ人としてのアイデンティティーを示したかった。それを壊そうとしたロシアに。(キーウ=藤原学思)

今年1月16日、1本の動画が、ウクライナのジャーナリストたちを揺さぶった。
SNSで拡散された5分ほどの動画は、権力者の不正を追及する調査報道メディア「ビフス」の複数のスタッフが、違法薬物を購入したり、使用したりする様子を暴露するものだった。
隠しカメラ、仕掛けたのは…
売人とやりとりする電話が盗聴され、薬物が使用されたパーティーの様子が盗撮されていた。ビフス側によると、パーティーは昨年末にキーウ郊外で開かれたもので、誰かが、意図的に隠しカメラを仕掛けたことは明らかだった。
代表のデニス・ビフスさん(38)は、映像が広まったその日のうちに声明を出し、当該の職員を解雇したことを明かした。一方、違法なやり口で報道の自由に圧力をかけようとしたことに、ビフスさんも、ウクライナ国内のメディアも憤りの反応を示した。
1月22日、取材に応じたビフスさんは疲れ切っていた。映像の公開から、関連の対応に追われていた。「早く、いつも通りの仕事をしたい」。不祥事ばかりが注目されるのは、本望ではなかった。
自身の名を冠したメディアを立ち上げたのは、2013年にさかのぼる。それ以降、当局者の不正や汚職を暴き続け、数多くのスクープを世に放ってきた。
昨年10月には、ウクライナ警察の副長官がロシアの犯罪組織のトップと強いつながりを持ち、便宜をはかられていた疑いを特報し、辞任に追い込んだ。
ビフスは現在、30~40人ほどのスタッフが同時進行で複数の調査報道を手がけ、1カ月に10本ほど、調査結果を報じる。「誰もが私たちのことを嫌っている」とビフスさんは言う。
これまでも、「ニュースルーム(編集局)が圧力にさらされている」と感じることが何度もあった。ただ、ベッドルーム(個人の空間)まで脅威にさらされたことはなかった。「戦争との関連はわからない。ただ、いかなる政権であれ、時間の経過とともに態度が変わっていくものだ」
戦時下であろうが、なかろうが、スタイルを変えるつもりはない。「民主主義に貢献する」。その思いが強い。
「ジャーナリズムに求められるのは、プロセスを楽しむことだ。調査報道には時間がかかる。大きなゴールではなく、小さなゴールを積み重ねようとする信念を持たなければならない」
「犯人」を必ず明らかにする
ビフスさんは1月時点の取材にそう語り、誰が盗聴器やカメラを仕掛けたのか、それも必ず、報道で明らかにすると誓った。
その言葉通りになった。
2月5日、隠しカメラを仕掛けた人物が、パーティーが開かれた建物に「企業イベント」名目でくり返し出入りする映像を入手したとして、証拠の画像をつけ、実名で明らかにした。
「犯人」は、諜報(ちょうほう)などを通じてテロや組織犯罪を取り締まる「ウクライナ保安局」(SBU)の職員たちだった。ウクライナメディアによると、SBUはこの盗撮に関与した職員や幹部らを解任した。
一連の事件は「報道機関への弾圧」と受け止められ、国内外で報じられた。報道の自由の担保は民主主義を維持する上で欠かせず、欧州連合(EU)加盟をめざすウクライナにとっても重要課題だ。
事態を重く見たSBUのマリュク長官は、主要7カ国(G7)の駐ウクライナ大使を集め、「言論の自由のさらなる措置について話し合った」(SBUのフェイスブックから)。マリュク氏は、民主主義的な価値を守るための重要な柱の一つが報道の自由であると強調し、「メディアの独立性は100%確保されなければならない」と再発防止を約束したという。
「政府の制御、困難」
ただ、戦時下において、完全な報道の自由を保つことは難しい。
「現在の状況では、社会の側が政府を制御することは極めて困難になってしまっている」
そう話すのは、ウクライナの著名ジャーナリスト、ビタリー・ポルトニコウさん。X(旧ツイッター)には33万人以上のフォロワー、ユーチューブには53万人以上の登録者を抱える。ネットメディア「エスプレッソTV」でも、自身の番組も持っている。
ポルトニコフさん自身、22年2月にロシアによる全面侵攻が始まった直後、西部リビウの自宅に何者かによって盗聴器を仕掛けられた。
ポルトニコフさんの報道の姿勢は明確だ。「軍事的にセンシティブなものについては、一定程度の制限を加えられても仕方ない。だが、政治的、社会的問題については、検閲されてはならない。私たちは第2次大戦時のソ連のように、言論を弾圧するようになってはいけない」
「報道の自由度」は改善も、ある要請文が
国際NGO「国境なき記者団」(RSF)が昨年5月に発表した「報道の自由度ランキング」で、ウクライナは79位と、前年の106位から順位を上げた。ロシアは、155位から164位にさらに順位を落としていた。
ところが、そのRSFは今年2月、ウクライナ政府に対して、ある要請文を出した。「ウクライナに対し、『統一ニュース・テレマラソン』を終わらせるよう求める」。そんな表題がつけられた。
「テレマラソン」はロシアの全面侵攻が始まった翌日、ロシアの偽情報やプロパガンダに対抗するために、ウクライナ国内の民放4局、公営放送2局が合同で始めた枠組みだ。
ウクライナでは他にドラマやバラエティーも流れるが、この6局はどれをつけても、同じ内容のニュースが流れるようになっている。23年度は、6億フリブニャ(約24億円)の国家予算が割り当てられた。
RSFは「メディアの多元主義を損なっている」と指摘。この2年間でウクライナにおける個別のテレビ局の体力がついたとして「どのチャンネルも多元性と編集の独立性を維持しつつ、ロシアのプロパガンダと戦うことができる」と主張した。
ポルトニコフさんも、テレマラソンの現状に懸念を示す。「反転攻勢にしても、人びとが過度な期待をする一つの要因になってしまった。国民には、真実を伝えることが最も大切なのです」
メディアを監視するNGO「ディテクター・メディア」などが今年1月に発表した調査では、国民の4割超が「テレマラソンは妥当性を失った」と回答。キーウ国際社会学研究所の調査でも、テレマラソンへの信頼度は低下し続け、2月の調査では「信頼しない」が47%と、「信頼する」(36%)を初めて上回った。
「ディテクター・メディア」のイーホル・クリャスさんは、テレマラソンについて「安全保障上の規制の必要性を抱えながら、社会に情報を提供するという点で、全面侵攻開始初期には一定程度、肯定的な役割を果たした」と話す。
一方、クリャスさんは、テレマラソンに参加する6局のうち5局が「現政権寄りの視点しか提供していない」と問題視。戦況などで現実を必ずしも反映していない「報道」が目立ってきたとして、「テラマラソンはその役目を終えた」と語った。
戦時下でも権力の監視を怠らず、報道の自由をできる限り維持する。それがロシアにはない、自分たちなりの「民主主義を守る戦い」だ――。ビフスさんも、ポルトニコウさんも、クリャスさんも、同じような言葉を口にした。
(キーウ=藤原学思)

ウクライナとガザの戦争が続いている。ロシアの侵攻に対するウクライナの反転攻勢は失敗に終わり、ウクライナ軍は激戦地アウジーイウカから撤退した。イスラエルのガザ攻撃ではパレスチナの犠牲者が2万9千人を超えたと発表され、エジプト国境のラファ攻撃が目前に迫っている。
周辺国は戦火の拡大を憂慮したが、戦闘地域はまだ広がっていない。ロシアとの戦争を恐れたのか、NATO(北大西洋条約機構)諸国によるウクライナへの武器支援は立ち遅れ、ロシア軍による空爆拡大を許した。ガザに加えてレバノン南部でも戦闘が伝えられているが、イランもイスラエルとの戦争につながる攻撃は自制している。
戦闘地域は拡大しなくても、大量破壊と殺傷は続いている。対空兵器と砲弾の不足するウクライナ軍はロシア軍の進撃を阻止できなかった。ガザでは、イスラエルの攻撃を前に行き場を失ったパレスチナの人々が水も食糧も医療も手に入らない状況に置かれている。
*
破壊された市街地の写真には、生命を奪われ、住む場所を追われた人々の姿が写っていない。人間の不在によって戦争の暴力を伝える画像を前にして、考えさせられる問いがある。暴力を終わらせるために何ができるのだろうか。
戦争を終わらせる条件は何か。素朴な問いだが、国際政治においてよく議論されるのは現在起こっている戦争の終結ではなく、将来の戦争を防ぐことだった。抑止力の強化による侵略防止も外交と緊張緩和による紛争の予防も、現在の戦争ではなく将来の戦争に注目した議論だ。
いったん戦争が起これば、終わらせることは難しい。戦争当事国の片方が勝利を収めるか、あるいはどう戦ったところで戦争に勝てない、戦争を止めて和平合意を結ぶほうがまだましだと戦争当事国が思い知るまで、戦争が続くことになる。
では、戦争を放置するほかに選択はないのか。必ずしもそうではない。
私はウクライナについては、ロシアとウクライナとの停戦ではなく、ウクライナへの軍事・経済支援を強化し、侵攻したロシアを排除することが必要であると考える。他方ガザについては、イスラエルのラファ攻撃だけでなく、ガザ攻撃のすべてとヨルダン川西岸への入植の即時停止が必要だと考える。
一方では軍事支援、他方では即時停戦を求めるのだから矛盾しているように見える。だが、国家の防衛ではなく民間人、一般市民の生命を防衛するという視点から見れば、この選択に矛盾はない。
ロシアによるウクライナ侵攻は主権国家の領土に対する侵略であるとともに、軍人と文民を区別することなく、ロシア軍兵士の犠牲さえ顧慮せずに殺傷する、国際人道法に反する攻撃である。メリトポリでもアウジーイウカでも大量爆撃によって街が廃墟にされてしまった。
*
現状では2022年の侵攻開始時よりもロシアの支配地域が拡大した。この状況で停戦を求めるなら、ロシアの勢力拡大ばかりか一般市民に対する攻撃と強圧的支配を容認することになる。ここで必要なのはロシア政府の暴力への反撃であり、侵略者を排除する国際的連帯である。ウクライナへの軍事支援は国家主権の擁護であるとともに、ウクライナに住む一般市民の生命を守る選択である。
ではガザについてはどうか。イスラム組織ハマスのイスラエル攻撃は一般市民への無差別攻撃であり、まさに排除されるべき暴力である。だが、ネタニヤフ政権によるガザ攻撃は、ハマスの攻撃をはるかに上回る規模における一般市民への殺傷だ。国家主体ではないハマスは国際人道法の適用外だとかガザ攻撃がジェノサイドに該当するかなどという議論は国際法上の概念の問題に過ぎない。イスラエルのガザ攻撃は、文字通り直ちに、停止しなければならない。
現実の戦争は私の提案とは逆の状況にある。NATO諸国の国内ではウクライナにロシアとの停戦に応じることを求める声があがっており、米大統領選でトランプが勝ったならその声はさらに強まるだろう。イスラエルのガザ攻撃については誰が米国の大統領であってもイスラエル支援の継続が確実であり、それがハマスに囚われた人質の生命さえ顧みないネタニヤフ政権の武力行使を支えている。
起こってしまった戦争の終結は難しい。これまでの戦争でもアフガニスタン、イラク、そしてシリアで、民間人への無差別攻撃が放置された。だが、過去の誤りを繰り返してはならない。一般市民を犠牲とする戦争を一刻も早く変えなければならない。(千葉大学特任教授・国際政治)
2年前、ロシアがウクライナに侵攻した2日後。大阪大学大学院生のロシア人、イリーナ・アフジュシェンコワさん(36)は、ボランティアで講師をしていた国際交流の授業で、大阪府豊中市の小学校にいた。
この日の授業は開戦前から予定されていたが、日本にとっても隣国であるロシアを児童がどう見ているか不安がよぎった。市内の別の小学校に通う息子のことも気がかりだった。
イリーナさんは、ある文字をプロジェクターで映した。
「政府≠国民」
ロシア人がみんな戦争を支持しているわけではない。イリーナさんも15歳からプーチン大統領に反対する政党に入り、デモに参加したこともある。政治に熱心だったというより、それが楽しかったからだけれども。
この日を最後に、小学校での交流に招かれることはなくなった。ただ、ロシア人という理由で嫌な思いをしたことは「日本では一度もない」という。
開戦から間もなく、イリーナさんが暮らす市内の公営団地に、ウクライナを逃れた数家族が越してきた。役所の手続きや病院通いなどに付き添いを買って出た。
ウクライナ人に特別な思いがあるかというと、「それはない」。ロシア語で通訳ができるから。それだけだと言う。
一方、ウクライナ側。避難者にもロシア人にわだかまりのない人はいるが、多くはそうでない。
近所に越してきたオクサナ・アニソウェッツさん(33)の家族もそうだ。娘と母の3人で、ブルガリアに逃れた後、日本でも避難者を受け入れていることを知って来日した。
東部ルハンスクの故郷の町は、ロシア軍のミサイル攻撃で壊滅。自宅も経営していた宝飾店も失った。
仲の良かったいとこは戦死した。彼のことが大好きだった娘のエリーナさん(5)には、いまもそのことを伝えられない。
中部のドニプロに逃れた父とはビデオ通話で毎日話す。持病があるので心配だ。日本で一緒に暮らす母はいまも不安やパニックに襲われ、薬を飲み続ける。
「不安になる余裕もない」というオクサナさんは、ホテルで客室清掃の仕事をしている。幼い子の母親として、勤務の融通が利くのがありがたいという。
日本語学校にも通ったが、育児と仕事があるので半年でやめた。「もう帰る所がない」と、当面は日本で暮らす覚悟だ。
「旅行先にも考えなかった」という未知の国に来たオクサナさんにとって、日本暮らしが長いイリーナさんは頼もしい存在だ。
それでも当初は「ロシア人なので話すのは嫌だった」と明かす。イリーナさんが積極的に助けてくれ、つき合いを続けるうちに気持ちがほぐれていったのだという。いまはジムなどへ一緒に行く友人にもなった。
ただ、オクサナさんはいまもロシア語を聞くのは嫌だという。イリーナさん以外のロシア人は避けている。「戦争が起きるまで、国が憎いからといって、その国の人まで嫌いになる気持ちは分からなかった」
なぜ、イリーナさんは別なのか。そう聞くと「言葉にするのは難しい」と話した。
そんなオクサナさんたちの気持ちに、「もちろん複雑な思いはある」とイリーナさん。「私に戦争の責任はあるのか。ないとは言えないけれど、そう考えないようにしている。心が持たないから。考えても、どうにもできないし」
戦争に反対する友人の多くがロシア国外に脱出したが、かつて反プーチンを叫んだ仲間の一部は「愛国的」になった。哲学者の親友は、写真でロシア軍の象徴となった「Z」の文字を編み込んだセーターを着ていた。
政府のプロパガンダを信じる祖父母と電話で話せば口論になる。政治の話は家族ともしなくなった。故郷に帰りたくても、いまのロシアには戻れない。「すごく悔しい」。イリーナさんも戦争に苦しめられている。(浅倉拓也)
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