香港郊野遊行・續集

香港のハイキングコース、街歩きのメモです。

2024年03月

「兵器を優先せざるを得ない」 続く侵攻と進まぬ街のバリアフリー化(朝日新聞有料記事より)

fffd

 車いすを押す女性が、地上につながる30度ほどの角度のスロープをみて苦笑いを浮かべた。15度でも車いすでは急傾斜だ。

 「1人では無理だ」

 ウクライナの首都キーウの地下道。恋人のオレグ・シモロスさん(26)が乗った車いすを押すブラダ・レレカさん(26)は諦めかけていた。すると、通行人の男性が歩み寄った。2人がかりでスロープを登り、やっとのことで地上に出ることができた。

 2022年2月に始まったロシアによる全面侵攻が続くウクライナでは、砲弾や地雷などで負傷し、手や足を失う人が増えている。領土防衛隊員として戦闘に参加していたシモロスさんも22年10月、対戦車地雷で両足を失った。

 移動に手助けが必要になる人が増える中、侵攻前から整備が進んでいなかったウクライナ各地には、街のいたるところに段差が残る。地下鉄の多くはエレベーターがない。地下道からのスロープが設置されていても角度は急で、周囲の助けが不可欠なほどだ。街は、バリアフリー化が急務となっている。

 ウクライナ地方・国土・インフラ発展省が23年、約5万4千カ所のバリアフリー化率を調べたところ、全体では22%だった。分類別には、鉄道の駅が34%、バス停は21%、国内避難民のアパートは12%にとどまった。

 同じ調査によると、地域別でキーウはバリアフリーのレベルが「平均的」、西部リビウは「高い」、ロシア占領下の東部ドネツクは「低い」との結果が出た。

 インフラを担当する同省のオレクサンドラ・アザルヒナ副大臣は、「旧ソ連時代に造られた建物もあり、恥ずかしいことに首都キーウは全くバリアフリーでない」と打ち明ける。

思うように進まぬバリアフリー化 背景には侵攻

 侵攻前から、バリアフリー化を進める計画はあった。21年4月に、ウクライナ議会で採択された「30年までのバリアフリー空間創出のための国家戦略」だ。この戦略では、エレベーターのない集合住宅のアクセス性を確保するなどの「物理的バリアフリー」や、障害をもつ人がインターネットを使えるソフトの開発などの「情報の利用しやすさ」といった六つの方向からアプローチするとうたっている。

 戦略を策定してからほぼ3年となるが、アザルヒナ氏は「残念ながら、戦争が続いて、思うように進められていない」と話す。「資金の配分を考えたときに、今は兵器を優先せざるを得ない」

 米紙ウォールストリート・ジャーナルによると、ウクライナでは侵攻後、推計2万~5万人が手や足を失ったとされる。キーウ市内の義肢・リハビリセンター「ベズ・オブメジェニ」で侵攻前に1日2人ほどだった患者は、今年2月時点では1日あたり約20人に急増した。以前は即日で義足ができ上がっていたが、今は2週間以上待たなければならない。

 バリアフリー化が進まず、足などを失った人たちは苦しい立場に置かれている。22年10月、地雷除去活動中に砲撃を受け、左足のひざ下を切断した義足の患者(26)は、「街を歩いて足に汗をかいた時、義足を外して拭くと、周囲に変な顔をされる」とこぼす。

 この患者の兄で、車いすを利用する男性は先日、レストランへの入店を拒まれたという。男性は、「例えば、新しく建物を建てるときに法律で基準を設けるなど、バリアフリー実現のために、立法レベルであらゆることをして欲しい」と訴える。

(キーウ=河崎優子) 

ドイツ右翼政党に反対デモ、支持率低下 「移民追放計画」報道で警戒(朝日新聞有料記事より)

cc

  ドイツで「反移民・難民」を訴え、政党支持率で2位につける右翼政党「ドイツのための選択肢(AfD)」に反対するデモが広がっている。AfDメンバーらが参加した会合で、移民らの追放計画が話し合われたと報じられたことがきっかけだ。過激化への警戒などから足元では支持率の低下傾向が見られ、今後の行方が注目されている。

 「我々はカラフルだ。みんな一緒になってこそ前に進める」。ベルリンの住宅街に近い駅前で17日、親子連れら約300人がAfDに反対する集会を開いた。「カラフル」は肌の色などに関係なく、多様性を認める社会を支持するというメッセージだ。参加した医師のエイクさん(44)は「最近のAfDの動きが心配だ。今、声を上げないと社会がおかしな方向に行ってしまう」と話した。同様のデモが国内各地で相次いでいる。

 引き金は、1月の調査報道団体「コレクティーフ」の報道だ。昨年11月、AfDのワイデル共同代表の顧問(当時)やAfDの連邦議会議員、右翼活動家ら約20人が参加した会合で、移民や難民の「追放計画」が話し合われたとされる。ドイツで市民権を持っていても、肌の色が異なる人らを追放するなどという内容で、追放先として北アフリカに「モデル国家」をつくる提案もされたという。

 AfDは「私的な会合」で党と関係はないと説明。「(両親が移民などの)移民の背景を持つドイツ国民と、持たないドイツ国民を区別することはない」と追放計画も否定した。

 欧州では2022年にイタリアで右翼政党を率いるメローニ首相が就任。昨年11月のオランダ総選挙では極右政党が第1党になるなど右傾化が進み、AfDも支持率を伸ばしていた。

AfDの支持率、足元で低下傾向 

 しかし、この報道を受けAfDや右翼過激主義に反対するデモが相次ぎ、AfDの支持率にも変化がみられる。独民間テレビRTLと世論調査会社フォルザの調査では、AfDの支持率は昨年12月に過去最高の23%を記録したが、直近の3月の調査では17%に低下し、ショルツ首相が所属する社会民主党(SPD)との差が1ポイントに迫った。公共放送ARDなどの調査でも1月に比べ3月は3ポイント低い19%だった。

 フォルザ社長で社会学者のマンフレート・ギュルナー氏は、AfDの支持者は①右翼主義の支持層②ショルツ政権への不満から政権批判が激しいAfD支持に流れた層という、大きく二つに分かれると分析。過激化への警戒から後者が「支持をためらい、支持率が下がる主要な要因になっている」とみる。

 ただ、ドイツ経済は昨年から低迷が続き、難民らの受け入れ負担などへの不満の声も聞かれる。AfDの人気が根強い旧東独3州で9月にある議会選では躍進が予想されており、動向が引き続き警戒されている。

 ギュルナー氏は、今後について「ショルツ政権への国民の不満が続くようであれば、AfDの支持率はこれ以上、下がらないだろうし、再び上昇する可能性もある」と話し、政権運営次第だとの見方を示した。
(ベルリン=寺西和男)

難民収容施設の使用開始に反対デモ 受け入れめぐり分断

 ドイツの右翼政党「ドイツのための選択肢(AfD)」は難民受け入れに反対する活動を各地で行うなどして、ドイツ社会の分断も広がっている。

 ドイツ南西部バーデン・ビュルテンベルク州ザーレムで昨年12月、難民の一時収容施設に使われる予定の元スーパーマーケットの店舗前に、使用開始に反対する約25人のAfDのメンバーらが集まった。さらにその周りをAfDに抗議する人たち約160人が取り囲み、両者の間には緊張が走っていた。

 「(難民らに)経済的、社会的、文化的に搾取されることは許されない」。AfDのメンバーたちは集会で、難民の受け入れに反対する声を次々と上げ、難民への給付金や住宅確保に税金が使われることなどへの不満をぶちまけた。

 地元の難民支援団体や市によると、人口約1万2千人のザーレムはウクライナや中東からの約350人の難民を受け入れているが、一部施設が使えなくなり、追加の受け入れにも備えるため、75人が入れる新たな施設を確保することになったという。

 これに反発を強めたのがAfDだった。AfD地域組織幹部のアンドレアス・ピエクニエウスキさん(58)は取材に「多くの難民が来ればドイツ社会は不安定化するだけだ」と主張。ウクライナから避難している人々についても「ウクライナの多くの部分では戦争は起きていない。ドイツに来る理由はない」と訴えた。

 集会であいさつに立ったメンバーからは、さらに耳を疑うような発言も飛び出した。

 「(この町に来て)余った男たちが、比較的少数の若い女性を奪い合ったらどうなるか。アフガニスタンの若者が、まともな方法で女の子をゲットするチャンスがないと気づいたらどうなるか。それは犯罪統計が教えてくれる」。このメンバーは、ドイツで中東出身者が関わった性犯罪事件を次々と挙げ、「この町が新聞の見出しにならないと誰が保証できるのか」と発言した。

 一方、難民たちを犯罪者扱いするような発言に、警察官を挟んで周囲に集まっていた人々からは「人種差別だ」「ナチスは失せろ」といった声も上がった。

 地元で難民を支援するウォルフガング・オレックさん(72)は「困っている人を助けるのは当たり前。難民を差別するのは受け入れられない」と批判した。

AfDの一部地方組織「右翼過激組織」認定、当局監視も

 ただ、シリアの内戦などを受けて、ドイツは2015年以降、多くの難民を受け入れた。昨年までの9年間で中東などからの難民申請者は240万人を超える。さらにウクライナから避難してきた約127万人も受け入れており、各自治体からは能力の限界を訴える声も出ているのも事実だ。この2年間ではバーデン・ビュルテンベルク州だけでウクライナから19万人以上を受け入れたという。これは隣接するフランス1カ国より多い。このほかにも中東などからの難民申請者は6万人以上になる。

 ザーレムから車で1時間半の同州プフリンゲンでは、市内の二つの語学学校は教師不足や許認可手続き問題で満席が続いている。避難してきた人たちにとって、ドイツ語の習得は生活に必須だが、間に合っていない状態だ。

 隣の自治体では収容施設が足りず、昨年12月から商業専門学校の体育館を使い始めた。学校の敷地を訪れると、シリアから到着したばかりの難民の子どもたちがサッカーをして遊んでいた。

 この地区の首長たちは昨年秋、学校や託児所などに難民の子どもらを受け入れる空きがなく、「できることの限界に達している」などと政府に対策を求める書簡を送った。

 プフリンゲンのシュテファン・ベルナー市長(48)は「手続きや判断が遅いドイツ政府の官僚主義の問題だ。難民たちが非難されるべきではない」と話したが、地元では難民の増加への不満の声も聞かれた。

 高まる不満を背景に一部のAfDの地方組織では、移民排斥の主張を過激化させている。ドイツの憲法擁護庁は昨年11~12月、旧東独のザクセン州やザクセン・アンハルト州のAfDの地方組織を「右翼過激主義組織」と認定し、監視を強めた。同庁は右翼過激主義について「(その人が属する)民族や国家によって人の価値を決めている」とし、人間の尊厳などを定めた基本法(憲法)とは根本的に相反するとしている。

 ドイツは、ユダヤ人の大量虐殺(ホロコースト)を起こしたナチスの台頭を許した苦い歴史から、右翼過激派を当局が厳しく監視しており、一部のAfDの地方組織などの過激化に警戒が強まっている。

荒れ地のインターネットから子どもたちを引き離す方法 N.Y.Times(朝日新聞有料記事より)

bvbr

ミッシェル・ゴールドバーグ

 1月、ふだんはいつだって間違っているはずの共和党のリンジー・グラハム上院議員(サウスカロライナ州選出)の言うことにうなずいてしまう、という奇妙な体験をした。彼は、フェイスブックの親会社メタのトップで大物敵役でもあるマーク・ザッカーバーグ氏を、同社製品が子どもたちに与える影響に関連して非難した。グラハム氏は「あなたの手は血まみれだ」と言った。

 その夜、私はソーシャルメディアの規制に関するパネルディスカッションのモデレーターを務めたが、ニューヨーク州司法長官のレティシア・ジェームズ氏も参加していた。彼女は進歩的な運動家であり、おそらくドナルド・トランプ氏の最も優れた敵対者である。彼女の立場は、グラハム氏とそれほど異なるものではなかった。彼女は、依存性のあるソーシャルメディアのアルゴリズム(計算手順)の普及と、うつ病や自殺願望、自傷行為などの若者のメンタルヘルスの崩壊との間には相関関係があると指摘した。

若い女性にのしかかる「人気投票」や「ありえない美の基準」

 「私自身、それを目の当たりにしてきた」。彼女は、(新型コロナウイルス感染症の)パンデミックで精神科の病床が不足するなかで若い女性の家族を支援した経験を引きあいにそう語った。「彼女は私にソーシャルメディアのことをたくさん話してくれた」

 ソーシャルメディアが子どもたちに与える影響への懸念は広範かつ超党派的だ。このため社会心理学者のジョナサン・ハイト氏がその重要な新著「不安な世代」(The Anxious Generation: How the Great Rewiring of Childhood Is Causing an Epidemic of Mental Illness)で注目されている。子どもたちの活力や注意力が現実世界から仮想上のものに向くようになったことで、特に女子は、壊滅的な打撃を受けているとハイト氏は指摘する。

 スマートフォンが普及する以前から、女性の思春期というのは十分に悪夢のようなものだったが、インスタグラムやTikTokのようなアプリの登場で、人気投票や非現実的な美の基準が一気に広まった(これとは対照的に、男子はビデオゲームのやり過ぎやポルノに関連する問題が多くなった)。ハイト氏が引用し、批判もしているのは、子どもやスマホに対する懸念は前世代の大人たちがラジオや漫画本、テレビに対して抱いた心配と同じ程度の現代の道徳パニックにすぎない、といった研究だ。こうした見解はもう寝かしつけなければならない。

子どもを守るための法律は言論の自由に反する?

 しかし私は、多くの読者がこれに納得する必要はないだろうと考えている。私たちの政治が問われているのは、そこらじゅうに姿を見せるようになった新しいテクノロジーが広範な精神ダメージを与えているかどうかよりも、それに対処するために何ができるかということだからだ。

 これまでのところ、十分な答えは得られていない。連邦の「子どもオンライン安全法案」は最近修正され、検閲に関するいくつかの懸念は和らいだ。しかし、上院で可決される見通しはあるものの、下院には提出さえされていない。

 連邦政府が動かないなか、赤い州(共和党が強い州)も青い州(民主党が強い州)もそれぞれにオンライン上で子どもを守るための独自の法律を制定しようとしている。だが、その多くが言論の自由を定めた憲法修正第1条に反するとして、裁判所によって差し止められている。ニューヨークの議員たちは言論の自由を尊重しつつ、子どもたちを搾取するソーシャルメディアのアプリを抑え込む法制定に取り組んでいる。この法案は、過激なコンテンツで子どもたちを携帯電話に釘付けにするたにめにソーシャルメディア企業が使うアルゴリズムを標的にしている。法案は通りそうなのだが、裁判所がこれを支持するかどうかは誰にも分からない。

 しかし、子どもたちがインターネットに費やす時間を減らすために、地方政府が憲法上の問題を引き起こすことなく今すぐ取り組める、小さいながらも重要なステップがある。スマホ禁止の学校だ。銃乱射事件が起きたときに子どもと連絡が取れるようにしたいと一部の親は異議を唱えるかも知れないが、はじめの一歩となるのは明らかだ。さらに言えば、公園やフードコート、映画館、ゲームセンターなど、子どもたちが直接触れ合える場所がもっと必要だ。

大人が立ち入り禁止の公園

 「不安な世代」でハイト氏は、子どもたちはインターネット上では無防備である一方、現実世界では過保護にされており、この2つの傾向は連動していると主張する。親の恐怖心、やる気過剰な児童福祉行政、自動車中心の都市計画など、さまざまな理由から、一般的に言っていまの子どもたちは、親たちの時代よりもずっと多くの自由と自立を失っている。スマホの画面を前に家で座っていれば、特定の身体的な危害からは守られるかもしれないが、精神的な危害はより受けやすくなる。

 ハイト氏の本を読みながら、私はパリのレアール地区にある大人は立ち入り禁止の公園のことをずっと考えていた。もし、アメリカの都市や町に同様の公園が点在していれば、子どもたちをインターネットから遠ざけるのはどれほど簡単になることか。私なら、9歳と11歳の子どもたちが「ロブロックス」(オンラインゲームのプラットフォーム)のようなアプリを通じて遠隔で友達と数時間過ごすよりも、近所を歩き回らせるだろう。

 しかし、周りにほかの子どもがいない時に外に連れ出すのは難しい。私が1年で最も好きな日の一つは、ブルックリンで開かれる近隣住民パーティーの日だ。通りは通行止めになり、子どもたちはみんなで遊ぶ。ほろ酔いの親は子どもたちを無視している。これは、適切な物理的な環境がいかに現実世界での人々のつながりを生み出すかを示している。

 「不安な世代」を読み終えた直後、テーマが一部重なる本が郵便で届いた。「ファミリー・アンフレンドリー(家族にやさしくない)」(Family Unfriendly: How Our Culture Made Raising Kids Much Harder Than It Needs to Be)だ。著者のティモシー・P・カーニー氏は、6人の子を持つ保守的なカトリックの父親で、子だくさんを奨励したがっている。彼と私の意見はほとんど一致しないが、子どもたちが現実の世界でもっと自主性を持てるよう、「子どもたちが歩きやすく、自転車に乗りやすい」地域社会にする必要があると考える点では完全に一致している。

 カーニー氏は、小児科ジャーナルの2023年の論文を引用し「精神障害の増加の主な原因は、子どもや10代の若者たちが大人の直接的な監視や管理なしに遊んだり、歩き回ったり、その他の活動に参加する機会が数十年にわたって減少していることである」と結論づけている。

 子どもたちをインターネットから引き離していきたいのであれば、代わりにもっと良い行き場所を与える必要がある。 

今朝の東京新聞から。

P6012478

フィジーが中国警官を国外退去に 首相「援助の代償は?」と問いかけ(朝日新聞有料記事より)

kkkh

 南太平洋の島国フィジーが、自国に駐在する中国人警察官を中国に送還したことがわかった。ランブカ首相がオーストラリアメディアのインタビューで明らかにした。フィジーは中国と警察協力協定を結んでいるが、2022年のランブカ政権誕生後、破棄を検討していた。ランブカ氏は「中国の存在感の高まりが太平洋地域の民主主義を弱体化させることを懸念している」と語った。

 軍事クーデターで実権を掌握したバイニマラマ前政権は、豪州やニュージーランドとの関係が悪化したことから中国と接近し、2011年に中国と警察協力協定を結んだ。以後、中国の警官派遣を受け入れ、フィジーの警官を中国で訓練させるなどしてきた。

 しかし、政権交代で誕生したランブカ政権は豪州などとの関係を重視し、協定を見直す方針を示していた。

 15日にティコンドゥアンドゥア内務・移民相が英紙の取材に、協定の維持を決めたと述べたが、その後、ランブカ氏は豪ABCニュースが28日に報じたインタビューで、フィジーに駐在していた中国警官を国外退去させたと明かした。「深く検討した結果、中国の警官を駐在させる必要はないとの結論に至った」としている。

 ただ、中国側との協議は続いているとし、中国での上級警察官の訓練は「長年にわたり恩恵を受けてきた」として、続けたいとの意向も示した。

ソロモン諸島、バヌアツでも 中国警察の影響力拡大

 台湾や南シナ海をめぐって緊張を高める米中は、補給などの要衝となる太平洋島嶼国との関係強化を図ってきた。日本や豪州も米国と足並みをそろえており、上川陽子外相が2月、フィジーの首都スバを訪問し、「太平洋・島サミット」の中間閣僚会合に共同議長として出席。中国を念頭に「力または威圧による一方的な現状変更の試み」への反対を確認する議長声明を発表した。

 米豪は太平洋地域での中国警察の影響力拡大に警戒感を示している。

 ソロモン諸島は22年に中国と安全保障協定、23年に警察協力協定を締結し、中国から財政支援を引き出した。バヌアツにも23年に中国が警察の専門家グループを派遣。警察物資を提供し、警察の能力向上やインフラ整備について協議した。

 米国と防衛協力協定を結んでいるパプアニューギニアも昨年、中国から警察の訓練や機材、技術提供の提案を受け、交渉していることが明らかになった。ハワイに近いキリバスでも、中国の警察官が職務にあたっていることが2月にロイター通信の報道で発覚した。

 フィジーのランブカ政権は22年の政権発足以来、経済分野などで中国との関係維持を図りつつ、中国の影響力拡大への警戒感を繰り返し表明してきた。23年8月には、一部の島嶼国でつくる「メラネシア先鋒グループ」の首脳会議で、「太平洋が平和と非同盟の地帯である必要性を、常に念頭に置いておかなければならない」と警鐘を鳴らした。

 ランブカ氏は豪ABCのインタビューの中で、中国に援助を求める国々を非難する意図はないとしたうえで、「しかし、その代償は? それらの国の指導者たちが自問することだろう」と述べた。

(バンコク=大部俊哉
 

「Deported」ロバート・シオドマク

ロバート・シオドマクによるノワール・タッチのメロドラマ(日本未公開)。
全編イタリア・ナポリでの撮影、主演のジェフ・チャンドラー以外はほぼイタリア俳優。
撮影監督はA・マンと何作か共同しているウィリアム・ダニエルズ。



deported 1950




「ワン・ウェイ・ストリート」1950年、未公開作。

ダン・デュリエ贔屓としては気になる映画。
監督はヒューゴ・ネゴフレーゼ。


その「エモい記事」いりますか 苦悩する新聞への苦言と変化への提言(朝日新聞有料記事より)

jjjj

 このところ、エピソード主体の「ナラティブで、エモい記事」を新聞の紙面で見かけることが少なくない。ナラティブとは物語や語りを意味する。要は、お涙ちょうだいの日常描写ものの記事のことである。朝日新聞だけではない。他の全国紙でも共通の現象だ。

 こうした記事について筆者は昨年、委員をつとめる毎日新聞社の「開かれた新聞委員会」で、「世の中が複雑になり、エピソードは一つの例に過ぎないだけに、それを読むことにどれだけの意味や理由があるのかと感じる」と批判的に発言をした。朝日新聞のコメントプラスでも3月20日、その必要性について疑問を呈するコメントを出した。

 「ナラティブで、エモい記事」とは、具体的に言うと、データや根拠を前面に出すことなく、なにかを明確に批判するのでも賛同するわけでもない、一意にかつ直ちに「読む意味」が定まらない、記者目線のエピソード重視、ナラティブ重視の記事のことだ。

 実例を挙げるのははばかられるので控えるとして、たとえば、「わが町のちょっとイイ話」の類の記事であり、「地元で愛された店が閉店する」「学校教員の小話」「日々の記者の独白やエッセー」などを念頭においている。ただ、書かれたテキストをどう受け取るかは読者次第、そもそも好きに読めばいいし、厳密にカテゴライズするのも難しいので、批判もなかなか難しく、すこぶるタチが悪い。

 それでもあえて本稿ではこれを批判的に取り上げ、なぜそう考えるのか、論を深めたい。現代のメディア環境における新聞の役割に関わる重大な問題だと思うからである。

PVなどの「数字」は出ても…

 旧知の新聞社の知人によると、SNS上で、つまるところデジタル版において、この手のエピソード型、ナラティブ型の記事はよく「読まれる」らしい。よくクリックされ、PVなどの「数字」が出るというのだ。こうしたネット経由で読まれた記事は、事後的に紙面展開を模索したりすることもあるようだ。

 多くの新聞社でデジタル化が進み、執筆した記者本人が「いま、どれだけネット上で読まれているか」を知ることができる時代である。どことは書かないが、なかにはそうしたデータが記者の評価と結び付けられている社もあると聞く。

 記者にすれば、ネットの反応が気になって当然だし、それが「読まれる」記事を書くインセンティブになるのも分かる。とはいえ、新聞社の紙面とネットがシームレスにつながり過ぎている現状は、あまりに無批判過ぎるように見えて、好ましいあり方とは思えない。

 新聞、そして新聞社は、クリック数を増やすために存在するのではないし、クリックが増えたところでそれほど経営改善に役に立たないことも、過去10年で明らかになった。新聞社にとって必要なのは存続のための「売上」なのであって、それはクリック数やPVと常に結びつくわけではない。

 情報過剰の現代、ネットやSNSなどの発展により、社会には24時間、365日、大量の情報があふれている。加えて、いまやネットやSNSは若者だけのものではない。総務省の「令和5年版 情報通信白書」によれば、60歳未満の年齢階層別インターネット利用率は95%を超え、70歳未満層でも85%を超える。また、何らかのソーシャルメディアを利用している人の数は1億人を上回るという。老若男女、あらゆる人たちが、情報を過剰に浴びているのである。

 そのような環境において、紙であろうがオンラインであろうが、決して安価とはいえないコストを払って新聞を読む意義はどこにあるのか。もっと言えば、新聞記事が、真偽不明の情報とお涙ちょうだいエピソードにあふれた通常のネットと同じであったなら、それだけのコストを払う意義を感じられるだろうか。

 情報が少なかった時代には、信頼できる情報を中心に、できるだけ早くその量を増やすことが、なにより重要であった。ネットが普及するまで、新聞やテレビといったマスメディアにはそうした役割が期待されてきたし、「社会の木鐸」と言われるときにも、それが前提となっていた。

「機能のジャーナリズム」が求められる時代

 しかし、速さの点でも量の面でも、ネットにはかなわないことが明らかになった今となっては、マスメディアはその役割を変えていく必要がある。メディア環境が変わるなか、新聞が従来と変わらなければ、「社会の木鐸」としての役割を果たすことはままならない。

 真偽不明の情報が大量にある状態が標準だとするならば、こうした情報を分析、精査し、意味を析出させながら、意思決定に貢献できる妥当な中身、量にまとめて提示するのが、現代の信頼できるメディアの役割であり、「社会の木鐸」としての新聞記者の姿ではないか。

 筆者は、情報が少なかった時代のジャーナリズムを、速報、取材、告発を重視する「規範のジャーナリズム」と呼んでいる。これに対し、ネットやSNS、さらにAIによって情報があふれた時代に求められているのは、整理、分析、啓蒙(けいもう)に貢献する「機能のジャーナリズム」だというのが筆者の見立てだ。10年ほど前からこのような主張を行っている。

 「データ偏重、エビデンス偏重の時代」というような趣旨のオピニオンを朝日新聞でも見かけたことがあるが、筆者が見るところ、日本社会やメディアはデータ偏重、エビデンス偏重にはなっていない。新聞紙面に変化の兆しは感じるが、海外の新聞やメディアと比べると、データだらけ、エビデンスだらけというには程遠いように見える。それどころかまったく物足りない印象だ。

 もちろん、ナラティブ型やエピソード型の記事のすべてが悪いわけではないし、それらを排除すべきだと言いたいわけでもない。結局のところ、バランスだ。ただ、そうした記事が「紙面やネットに載る意味」を踏まえて書かれてきたかどうか、問うてみてほしいと言いたいのである。

 特に紙の新聞においては、掲載できる記事の総量に限りがあるだけに、読者がそのナラティブなりエピソードを読まなければならない理由を、デジタル以上にはっきりさせる必要がある。新聞のフロントとも言える1面となれば、なおさらだ。

重み増す記事の価値判断

 ちなみに、筆者は複数の紙の新聞を購読している。朝日新聞も自腹で買って読んでいるが、一面にこの手の記事を見かけるたびに、「読者をヒマ人扱いしている」と感じてしまう。もっと読むべき、掘り下げるべき出来事が世界にはあふれていないだろうかと憤ると同時に、余計なお世話とはいえ、新聞社の経営資源を心配してしまう。

 データのうえでは、近年、新聞業界は経営状態に窮していることになっている。発行部数は減少し、デジタル化も遅れ、新たなビジネスモデルを見つけられずにいる。支局や記者の数を減らし、コスト削減に邁進する一方、デジタル化で出稿量が増えるなか、記者の働き方改革も進めなければならずやりくりに苦悩している、とも。

 新聞社に余力があるなら、ナラティブ型、エピソード型の記事があったとしても、“余興”として目をつぶることもできるかもしれない。だが、先述したように、現実はそうではない。ある記事が書かれていることで、潜在的にそのコストを投じることができた別の記事が「書かれていない」ということでもある。この点は、もっと意識されてよいのではないか。掲載する記事に果たしてそれだけの価値があるかということは、もっと考えられるべきだろう。

 以上、論じてきたように、ナラティブやエピソード型記事の量産が抱える問題の根は案外深い。今なお、伝統的なメディアには、いや伝統的なメディアほど、規範強化の機能があるがゆえに、新聞が根拠にあまり基づかないあるナラティブを発信すると、そのナラティブが規範的な意味を持つ懸念もある。

 だからこそ、今後も筆者は、おそらくは新聞社にとっても、その愛読者にとっても愉快ではないであろう警鐘を鳴らし続けてみたい。誰も望んでいないとしても。

 もちろん、敏(さと)い読者諸兄姉はすでにお気づきであろうが、こうした記述も今のところもっぱら筆者の主観にとどまっている。杞憂ならよいが、そうでないなら、いま一度、現代のメディア環境における新聞の役割を考える契機としてほしいし、筆者も次はデータでアプローチしてみたい。
(社会学者・西田亮介=寄稿) 

中国知識人が自由求め日本へ脱出 都内のサロンで感じる「一衣帯水」(朝日新聞有料記事より)

写真・図版
ゼロコロナ政策に抗議する集会の参加者で、JR新宿駅南口前の歩道は埋め尽くされた=2022年11月30日


■あすを探る 安田峰俊さん

 先日、神保町にある中国人経営の書店で、中国語で講演する機会があった。近年は中国の体制に疑問を持った富裕層や知識人らが日本に脱出する「潤(ルン)」という現象が盛んで、都内には書店の形式をとった中国知識人のサロンが、少なくとも3カ所ある。

 講演のテーマは日本人の対中認識と、日本国内の中国言説だ。内閣府のリサーチでは、かつて日中友好ブームに沸いた1970~80年代、日本の対中好感度は70%前後だったが、89年の天安門事件によって急落する。やがて2000年代なかばの反日デモを境に中国は明確に嫌われ、現在は世論の80%以上が中国に親しみを持たない。

 現代の日本社会における「中国共産党に不都合」な言説は、中国の人権問題を批判する良心的なものから、排外主義的なものまで玉石混交であり、後者は日本人の対中意識の悪化が大きな要因となっている――。

 こうした内容は、サロンの在日中国人たちには好評だった。中国では往年の反日デモがほぼ忘れられており、言葉の壁から日本の世論の把握も難しいため、斬新な話題だったらしい。

 ところで、こうしたサロンが生まれた背景でもある「潤」現象は、日中関係に詳しい人の間では、かなり大きな社会変動としてとらえられている。

 従来、中国人が言論や経済活動の自由を享受できた場所は香港だったが、近年の政治的弾圧を通じて環境が悪化。結果、いまや中国人にとっての「自由の最前線」は日本になった。私の観察では、中国社会の文化的・経済的な上位層の人々が、おそらく数百人以上は日本に引っ越したとみている。

 いまや都内で、中国の国営放送の元幹部、新疆ウイグル自治区の少数民族弾圧の事情を知る弁護士、金融系の国有企業の内部関係者といった、中国国内ではなかなか話を聞けない人たちとも簡単に会える時代である。現在の日本は、世界で最も中国の情報が入る土地に変わっている。

 自国の体制に批判的な中国人の若者が、日本留学を選ぶケースもすくなからずある。22年に起きた反体制運動「白紙運動」が東京で盛り上がりを見せたのも、その影響が大きい。

 日本社会が彼らをどう包摂し、どう活(い)かすかは私たちの大きな課題だろう。一方、中国政府の在外スパイ活動は、中国人の反体制派の取り締まりに重点を置く。なので、日本政府の許可なく設置される「海外派出所」(都内に拠点が確認された中国の在外公安組織)のような主権侵害も、今後は激しくなるはずだ。日本はこちらの対処にも直面しなくてはならない。

 往年の日中友好ブームの時代、日中両国は「一衣帯水(イーイーダイシュイ)」(極めて隣接しているたとえ)だとする表現がよく使われた。現在の日中関係はその真逆だが、日本は中国の政治的変動の影響を、かつてなく大きく受けるようになった。

 新たな「一衣帯水」が生まれているとも言えるだろう。

(やすだ・みねとし ルポライター。著書に「八九六四 完全版」など) 

「死刑五分前」(Black Tuesday)



「死刑五分前」(Black Tuesday)1954年
監督:ヒューゴー・フレゴネーズ
撮影:スタンリー・コルテス
出演:E・G・ロビンソン、P・グレイブス、ジーン・パーカー

ロビンソンのギャング役といえば「犯罪王リコ」「キー・ラーゴ」などが思い浮かぶが、ここではそれらと違って、人情のかけらも情け容赦もない役どころ。
倉庫にあった玩具を嬉々としていじりまわす姿も不気味。投降しようとする仲間を撃ち、階段を突き落とす場面では、階段そのものの急さ、狭さ、そこを落下してゆくアクションの激しさで、「殺し屋ネルソン」の冒頭場面を思い起こさせる。
主な舞台が刑務所と倉庫で、全編ほとんど密室空間で繰り広げられることになり、その息苦しさが主人公たちの行き場のなさを印象づける。

*吉田広明「B級ノワール論」より
www.flickr.com
記事検索
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

プロフィール

大頭茶

月別アーカイブ
*iphone アプリ 開発
*ラティース ラティッセ
  • ライブドアブログ