香港郊野遊行・續集

香港のハイキングコース、街歩きのメモです。

2024年04月

越境した憎悪、拡散瞬く間 在日クルド人装い、1人で180件投稿(朝日新聞有料記事より)

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 3日夜、男性は約束の時間に、パソコン画面の向こうに姿を見せた。名前はタイフン、34歳。トルコのイスタンブールで、IT関係の仕事をしていると自己紹介した。

 私たちはゲストではなくホスト。公用語はクルド語であるべきです――。7カ月前、そんな日本語の投稿がXで話題になった。「在日クルド人の投稿」として拡散され、「クルド人怖い」「追い出そう」と排外主義的な主張が増幅した。

 当時、埼玉県南部でコミュニティーをつくる在日クルド人への差別が激化し始めていた。誰が、何のために書き込んだのか。取材を申し込むと現れたのが、「トルコ人で日本に行ったこともない」という男性だった。

 男性は昨年9月、Xで在日クルド人が話題になっているのに気づいた。調べると、トルコ政府がテロ組織に指定している「クルディスタン労働者党」(PKK)の支持者が「日本で組織化されている」との情報を見つけた。厳しい同化政策に反発したクルド人らが、分離独立を求めて立ち上げた武装組織だ。男性は「日本人に警告しなければ」と思ったという。

 グーグル翻訳を使い、日本語で書き込んだ。「クルド人は日本に力を加えるだろう」。反感を誘うような投稿を、少なくとも180件重ねた。

 予想を超えて広がり、投稿の一部を削除した。男性を在日クルド人だと思い込んだ人たちから、「国に帰れ」とメッセージも届いた。男性は「トルコ人として投稿していたら、これほど注目を集めることはなかっただろう。『苦い薬』ほど効き目が大きい」と語った。

 当時、Xにトルコ語でこう書いている。「日本人は無邪気だから何でも信じる。Xで影響力の大きいアカウントは、その気になれば、日本の議題を設定できる」

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 海外から日本語を使い、在日クルド人に関する投稿をしていたのは、1人だけではない。

 「嘘つきクルド人は日本から出て行け」といった発信をしているアカウントの主は、オンライン取材に、韓国に住むトルコ人の会社員男性(27)と名乗った。「在日クルド人がトルコのイメージを悪くしている。何とかしなければと思った」

 「日本では私たちクルド人がルールを決めています」などと投稿したアカウントにXでメッセージを送ると、「イラク在住のクルド人男性」と返ってきた。日本に住む親戚から「クルド語で歌ったら襲われた」と聞き、「(日本人に)腹が立って始めた」と説明した。

 SNS分析ツール「ブランドウォッチ」で、「クルド」に言及したXの投稿数(再投稿含む)を調べた。

 昨年3月は4万件だったが、難民認定申請中でも送還できるようにする入管難民法改正案が審議され、クルド人難民に焦点が当たった4月に24万件に急増。埼玉県川口市でクルド人同士の切りつけ事件が起き、関係者ら約100人が病院前に集まる騒ぎがあった7月には108万件に達した。今年3月は242万件。「関心」が急速に高まった様子がうかがえる。

 地元の当事者団体「日本クルド文化協会」の幹部らは3月、「在日クルド人を誹謗中傷する投稿を執拗に繰り返し、名誉を毀損された」として、ジャーナリストの石井孝明を提訴した。

 石井はXのフォロワー17万人。「クルド人問題を初めて報道した」と投稿している。取材を申し込むと、「私はクルド人の排斥などしていない。日本人は差別などほとんどしていない。この問題は差別とか共生の議論以前の話で、クルド人の迷惑、違法行為で川口市民が苦しんでいるのにメディアが伝えず、一般の人々が声を上げている」などとコメントした。

 「ネットと愛国」の著書があるジャーナリストの安田浩一は「わずか1年足らずのうちに、SNSの中で『クルド人の脅威』がつくり上げられた。過去に例のない加速度だった」という。

 米英が拠点のNPOは昨年6月、ツイッター(現X)が有料サービス利用者のヘイト投稿の99%に対応できていないとの調査結果を発表。「(表示の優先順位を決める)アルゴリズムが有害投稿を増幅していることが示唆される」とした。

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 増幅する憎悪はリアルの世界にもしみ出す。

 28日、川口市などで「日本トルコの友情を壊す不法滞在クルド人は追放しよう!!」などのプラカードを掲げた100人超がデモ行進した。

 クルド人が営む飲食店には「日本から出て行け」との嫌がらせ電話が続く。市役所にも「クルド人を強制送還しろ」と求める電話が400件ほど相次ぐ。支援団体には「クルド人皆殺し万歳」との脅迫メールも届く。来日して20年になる会社経営のクルド人男性(32)は「これまで嫌な思いをすることはほとんどなかったのに」と言う。

 市内で食品店を営む女性は店頭で20年以上、クルド人の住民と向き合ってきた。当初は店の前にゴミを散らかされるなどして、「うちの店どうなっちゃうんだろう」と考えたこともある。それでも片言のクルド語と身ぶり手ぶりでコミュニケーションを続け、下の名前で呼び合う仲になった。

 「どうして彼らのことを知らずに、『出て行け』なんて言えるんだろう。SNSから広まった『クルド人問題』は、空想の世界の話みたい。私にとっては、今、目の前にある日常が現実」

【解説・安田峰俊ちょっと違う側面の話を書こうと思います。もともと、日本における在留外国人の問題や国際問題は、日本国内のラディカルな保守派・リベラル派のそれぞれの市民団体や政治団体、一部の新宗教団体などの間で「シマの取り合い」のような性質を持ってきました。たとえば、中国の少数民族であるウイグル人の問題(近年その人権状況が国際的に知られたことでやや状況が変わりましたが)や、中国民主化問題の一部は保守派のシマ。台湾についても一部そうした面があります。

対してパレスチナや、少し前までの技能実習生・在日ベトナム人の問題(こちらも近年、在日ベトナム人犯罪が増加したことで状況が変わっていますが)などは、リベラル派のシマという具合です。 ▪️ そもそも、大多数の一般の日本人は、在日外国人が直面する問題や、難民などの国際問題に強い関心を持っていません。ゆえにこれらの当事者としては、その目的はさておき自分たちに目を向けてくれる日本人がいるだけでもありがたいという状況があります。 しかし、その結果として、彼ら外国人当事者自身では意図しない形で、日本国内のラディカルな保守なりリベラルなりの党派性を背負わされることになり、対立する陣営の日本人からのレッテル張りや白眼視、場合によっては誹謗中傷に晒されるという不幸な事態が生じます。 ▪️ クルド人の場合、実は当初は、ウイグルなどと同じく一部の右派系市民団体と比較的距離が近く、広義の「保守のシマ」だったと聞いています。 しかし、クルド問題が「親日国」トルコの少数民族問題であることや、もともと川口が排外主義系の市民団体の運動が飛躍した「聖地」だったこと(2009年のフィリピン人一家問題)、さらには一部の在日クルド人側にも各国の移民1世や2世にありがちな異文化摩擦が存在したことなどから、クルド人はラディカルな保守派や排外主義的ポピュリズムに同調するネットユーザーから狙われやすい立場に変わっていきました。 ▪️ その流れが決定的になったのが、記事中でも指摘される入管法改正問題です。 難民申請者が多い在日クルド人は、まさに入管法問題の当事者なのですが、一方で、入管法改正案反対運動というイシューは、極めて濃厚な「リベラルのシマ」でした。
保守派や排外主義者はこれに強く反発することになります。 ▪️ 結果として、保守派や排外主義者の間では、10年ほど前までの在日コリアンヘイトもかくやというレベルで、在日クルド人への排斥感情が盛り上がることになります。 今回の記事のようなトルコ側からの事実上の情報操作は、すでに燃えていた火にさらなる油を注ぐことになりました。 ▪️ 近年、政府や主要メディアではフェイクニュースや陰謀論などの訂正やモニタリングが話題になっています。 党派の左右を問わず極端な人たち(言語化できないなにかに常に怒っていて、自身の党派が定型化して提示した「敵」にその憎悪をぶつける人たち)は、まさにそうしたフェイクニュースや陰謀論の巨大な受容層となっています。 根本的な解決は難しい問題です。ただ、常に観察して指摘していく必要はあります。


加藤泰「日本侠花伝」

7月17日、発売。

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今朝の東京新聞から。

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「彦六なぐらる」 殿山泰司初期出演映画(1940)

南旺映画、千葉泰樹監督。
出演:徳川夢声、若原春江、本庄克二(東野英治郎)、 水町庸子、薄田研二、石黒達也、千田是也
殿山泰司出演の南旺作品は、他に千葉泰樹「空想部落」(1939)、今井正「結婚の生態」(1941)と千葉泰樹「白い壁画」(1942)があるようです。

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「チャオ・パンタン」UK盤Blu-ray

仏盤はとうにリリースされていた「チャオ・パンタン」レストアされたBlu-ray、UK盤がようやくラジエンスから(15ポンド)。
ここは加藤泰の「懲役十八年」も出している不思議なメーカー。

「冲天火」公開直前インタヴュー  (信報、2016年11月16日)より

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神でさえ年をとる。林嶺東

リンゴ・ラムは、撮影しているときは神であり、すべてをコントロールしているというが、神といえどもいつかは老いなければならない。 7年間の活動休止後、ラムは昨年の『迷城』でカムバックを果たし、往年の特徴である街中でのチェイスや実写の戦いをフィーチャーした。 今年公開される『ファイヤー・イン・ザ・スカイ』は、人を不老不死にする "スーパー幹細胞 "の発明を題材にした作品で、彼が初めてSF要素を加えた作品だ! やりたいことは何でもできる。 でも現実には、生と死をコントロールすることはできない」。 友人や親戚の死、そして歳を重ねた自分自身の気持ちから、「心の中に感情があり、不満があり、それを炎で爆発させる」と言う! 映画の内でも外でも、林陵東は相変わらず火に燃えているが、なにしろ60歳である。 その炎の中には、無力感と矛盾が入り混じっている。

インタビューは紅色警報下で行われ、空は暗かったが、林嶺東は空模様を気にせず、終始サングラスをかけていた。 1時間に及ぶインタビューの間、林監督はやはり怒りに燃えていたが、消えゆく歳月に対する憤りを常に見せていた。 インタビューの話題は、彼の新作『Fire in the Sky』のテーマから始まった。この作品は、年齢を感じさせない "スーパー幹細胞 "の発明をめぐる近未来の物語であり、この細胞は競争の対象となる。 末期ガンを患う異母妹のジェン(郭才傑)の治療を求めて香港にやってきた台湾人男性・佳佳(チャン・シャオクァン)が事件に巻き込まれる。 本作は林監督の数少ないSF・近未来映画である。

「この映画は苦しみの中から生まれた。 ダニエル・ウーの母親が14年に癌で亡くなり、私の親も2年前に亡くなった。 僕はもう老人なんだけど、長年映画を作り続けてきて、映画を作るときはいつも自分が神だと感じているんだ! どんな映像を作っても”カット”と。 たとえその俳優が気に入らなくても、私がすべてをコントロールする!」

「でも現実には、生も死も病も老いもコントロールできない。 どうしても今の私の姿を見てほしくないので、白髪の多さを想像してもらえるように、トップハットをかぶり、サングラスをかけるのですが、それを見てほしくないのです......私は偽っているわけでも、見た目に変化をつけているわけでもありません。 実際、観客は私を認識する必要はない。 だからテレビのインタビューはもう受けないんだ。 テレビの力は大きすぎるし、いったんテレビに出てしまったら、もう隠れることはできないからね」。 もう年だから、今の自分の老けっぷりを見られたくないと言う。 タバコは最悪の友だ。残り人生も限られているから、そのうちタバコも吸えなくなるだろう」。

「人生は無力に満ちていて、老いも病も死もコントロールできない。 余計なお世話』と言う人もいる! みんなそうだけど、私には心の中にある感情、不満がある! それを吐き出したい! 吐き出したい、吐き出したい! 吹き飛ばしてやる!"
昨年の『迷城』は典型的なリンゴ・ラムの犯罪映画だったが、その裏では、実は香港を記録したかったのだという。「映画を撮るたびに、何かを記録したいと思っていて、『迷城』は今の香港を描いた映画です」。 新作『ファイヤー・イン・ザ・スカイ』に関して言えば、彼が記録したいのは、今この瞬間の生と死の闘いである。「データ収集は行ったが、実際には(今の技術では)できることは限られている。物語の背景を8年後、10年後へと押し進め、バイオテクノロジーが人類救済のために使われるようになれば、人生は老いや病、死の苦しみから解放されるはずで、私は変わりたいと願っている......」しかし、この映画には新しい技術があり、技術を陰謀として利用するために、技術を "単純に複雑化 "させる悪役がいる。 しかし、新技術によって、悪役は技術を "単純化・複雑化 "し、儲けの手段として利用する。 「生と死には運命がある。 私は人を治すことはできるが、人の心を治すことはできない」。 ガオ・ユー(チャン・ジンチュー)はこの技術を生み出したが、彼女はまた、人は残せても心は残せないと認めざるを得ない。 いつかまた100年生きられるとしても、私は160歳で、脳はまだ働いていて、世界とまったくコミュニケーションが取れない! 今この瞬間、私をこの世に留めておけるのは家族だけだ。 もし映画を続けることができれば、私はもっと映画を撮るだろう。 それができなければ、私は去るだろう。 ゾンビにはなりたくないし、トイレにも行きたくない。 だから僕は安楽死に賛成なんだ。 いつ旅立つかは自分で決めたい。"

今、目の前にスーパー幹細胞があったら、この注射を打ちますか? "振り向きたくもない。この世はもうたくさんだ、めちゃくちゃだ、完全にめちゃくちゃだ! 香港を離れて世界の異文化を楽しみたい" 香港に戻ったラムは、青春時代の喪失感を思い出さずにはいられない。「映画も同じですが、30代の頃の元気には戻れません。 試写を観た大陸人たちから、なぜ西貢の若者を撮らなければならないのかと聞かれた。 若者の活力が見えないのか? 昔の私の元気な姿が見えないのか? 空がどれだけ青いか。 水がどれだけ澄んでいるか。 毎日雨が降っているから、私が空が青くなるのを待っていることを知らないでしょう? このシーンを撮りたいんだ! 嫌われようが何だろうが、私には関係ない! あの日、私は水に感動したんだ!" でも、あなたは年をとっても映画に対する情熱がある。 これは普通、怒りですよね? 「そう思います!」。 何に対して怒っているのですか? 「たくさんありすぎて、よく見えない。 考えている暇はなくて、ただ気分を良くするために第二の場所に行くんだけど、なぜかいつもニュースが目に飛び込んでくるんだ。」
現在も映画批評を読んでいるかと聞かれ、「読みたいとは思いますが、私の知る限り、香港には映画雑誌が一冊もありません! 生き残ることもできない。 過去に映画評論家に叱られたことはあるが、それでも映画雑誌というのだから。 地図で見ると、香港ってどのくらいの大きさなんですか? ほとんど見えない。 でも、香港は東洋と西洋が出会う場所で、いろいろなものが一緒になっていて、アドバンテージがあるんです。 昔、本土へのドアが閉まっていた時、私たちはマレーシアや台湾に映画を売った。だから、スピルバーグが最も人気のある瞬間が何であろうと、香港では香港の作品には勝てないんだ」。 90年代に『龍虎風雲』、『監獄風雲』、『學校風雲』、『高度戒備』、『極度重犯』、『目露凶光』などの映画を撮ったこの監督は、香港映画の最も輝かしい時代を目の当たりにしてきた。

「その後、誰かが香港の映画エリートたちを招待した。私はその中の一人ではなかったが、ハリウッドに映画を撮りに行った。 当時は本土市場がなかったので、本土以外にも進出しなければならなかったのです。 私は自分の映画を多くの人に見てもらいたいとずっと主張してきました。 800人のためだけに映画を作るのではありませんでした。 今日、私が報酬を得なければ、香港は私のクルーを養う余裕がないのです! 『高度戒備』(1997年)を撮ったとき、費用はわずか1300万ドルでした。 今日、映画を作るのは簡単ですか、それとも難しいですか? 「昔は今より撮影は簡単だった。 脚本を書いて、完成させるのに2~3ヶ月かかった。 私が脚本を書いていた頃は、脚本を書くのに2~3カ月かかったが、それを2カ月で仕上げ、ポストプロダクション期間を1カ月で切り上げ、それから撮影に入ることができた。 だから、5~6カ月で完成させられたんだ!

「今は1年以上、12カ月もかかっている。 脚本を書いたのが3カ月、プリプロダクションに3カ月、撮影は3カ月で終わるはずだったんだけど、役者が遅れたり、役者がいなかったりした! たぶん4ヶ月。 ドルビーサウンド、北京語版、広東語版など、要求が高すぎて、ポストプロダクションは大失敗だった。 ドルビーサウンド、北京語版、広東語版。私は広東語版がない方がずっと快適だが、香港出身の私は広東語版がなければならない! 実際、世界中がもう広東語版を望んでいないんだ」。

ラムは、撮影中の彼は神であり、他人に干渉されるわけにはいかないため、彼に映画を依頼するのは容易ではないという。 「私の映画には4つの言葉がある。 いわゆる創作の自由というのは、彼らには自由がないということですが、私は自由を言う方です。 だから、彼らに逆らうのは簡単なんだ。 実際、私はとても強気だ。 私は自由だが、投資家は自由ではない。 私を雇うということは、もちろん私のブレーンが欲しいわけで、こうしたい、ああしたいということは言えない。」
林嶺東:「私は自分の作品を売っているのだから、若い生身の人間ではない。そうでなければ、なぜ2年以上も撮影に費やすのか? 3年後、私は何歳になっているだろう? 10年後は? 昔はそれほどしつこくなかったが、今は特にしつこい。 なぜなら、私に残された時間はあまりないからだ。」

2回目の大陸との共同製作となる『Fire in the Sky』は、中国の検閲制度を通過しなければならないが、彼は何の制約も感じていない。 私はあなた方のルールを恐れていませんし、どんなルールも映画の死を望んでいません。 あなたは私の創造物を買い、私の創造物はあなたの上にある! あなたのルールが私を縛るなら、それは私に能力が足りない証拠だ。 前回、私のエンディングは合格でしたか? 通ったよ! (注:『迷城』のエンディングでは、中環で善玉と悪玉が戦い、最後にジョセフ・チャンが高等法院にある正義の女神像のウロコを撃ち落とす) 今回はスカイ・ワン(映画に出てくる超技術ビル)が実は敏感なのだ。 やりたいことはやったのですが、検閲官にプラズマが多すぎると通らないと言われ、タイトにカットしました。 しかし、心にどれほどの制限があるのか? 私の場合は違う。

実践的な撮影に定評があり、CGを信じないと発言している林嶺東は、今回CGを多用した。 彼は、映画の舞台、つまり世界一の高さを誇る210階建ての近未来科学研究基地スカイ・ワンは、到達不可能で雲の中に落ち込んでいるため、CGを使わざるを得なかったと説明した。

「映画は私の宗教です。 林嶺東は言った。 しかし、映画は彼の "スーパー幹細胞 "ではない。林嶺東は、若い人たちはこの映画を理解できないだろうとさえ言った。 彼らが私の芝居を観るのは、60代、70代になったときでしょうか。 その人たちが後で理解できるように、この映画がもっと長い期間生き残ることを願っています。"

 

「九龍城寨之圍城」 明報(文化欄)より

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鄭保瑞重塑寨城日常 三不管以外老香港故事

 1994年、九龍城壁都市は取り壊され、誰もが恐れていた無秩序なエリアは姿を消した。 消滅から30年、そのイメージは徐々に変化し、もはや犯罪の温床というだけでなく、クリエイターたちは昔の香港を懐かしむようになっている。 香港電影金像奨の新監督賞に輝いたソイ・チェン監督は、余兒原作の小説『九龍城寨』を映画化したが、監督の目に九龍城はどのように映ったのだろうか。
九龍城のユニークな建築的外観と、当局が大っぴらに統治できない内部の社会状況は、無数の西洋人や日本人の好奇心をかき立て、彼らは城壁都市を記録するために写真を撮ったり本を書いたりした。 1980年代から1990年代にかけて、九龍城を題材にした映画やテレビ番組が数多く製作された。『老夫子』や『跛豪』は、現在の九龍城を題材にした映画の基調となっている黒社会と結びつけられ、『省港旗兵』(ジョニー・マク)は、映画の最後に九龍城内部でロケが行われた。重症を負った本土の匪賊が闇医者に治療を求めるために逃げ込み、警察はギャングを包囲し突入する。『重案組』(カーク・ウォン)では、取り壊される前に撮影が許可され、城壁都市の最後の姿を残した。 
九龍城が取り壊された後も、時折スクリーンに登場する。 九龍城を題材にした『O記三合會檔案』(クラレンス・フォ)、『三不管』(ハーマン・ヤウ)、『追龍』(ジェイソン・クワン)はいずれも九龍城の姿を描こうとしており、TVドラマの『城寨英雄』も内部の生活を再現しようとしているが、セットが民初期に似ているという批判もあり、九龍城の再現が撮影における最大の難関であることが窺える。 そんなに難しいなら、なぜ解体後も九龍城を撮影しようとしたのだろうか?
写真集『City of Darkness: Life in Kowloon Walled City』の中国語版への社会学者ルイ・タイ・ロクの序文によると、ほとんどの人は九龍城に住んだことも足を踏み入れたこともないが、取り壊し後は香港を代表する文化的シンボルになっている・・・・たとえば、混沌の場所。 その代わり、取り壊された後は、香港を代表する文化的シンボル、あるいは混沌の中の秩序ある生活や草の根の活気などとなった。 その想像力は、九龍城の現実と完全に一致するわけではないかもしれないが、昔の香港の想像力は、九龍城という文化的シンボルに正確に投影されている。
『命案』で監督賞を受賞したばかりのソイ・チェン監督の新作『九龍城寨之圍城』は、九龍城の物語である。 余兒原作の『九龍城寨』は架空のギャングの抗争を描いた小説で、最初に香港のコミック化され、2016年のアニメ・コミックフェスティバルで映画化が発表され、8年後にようやく公開される。 映画化にあたっては、1980年代の九龍城壁都市を再現し、アクションシーンも撮影しなければならず、監督の手腕が試された。 ソイ・チェンはインタビューで、この映画を引き受けたのは4、5年前だと明かした。
若い頃は太子や旺角で育ち、九龍市内にはほとんど足を運ばず、九龍城にも足を踏み入れたことがなかった。 内部の本当の姿を見たことはなかったが、それでも「怖い」「混沌としている」という印象は持っていた。 母親が妹の歯を治すために九龍城の歯医者に連れて行こうとしたが、妹は城壁都市を飛び出し、母親に「ここじゃいやだ!」と叫んだため、結局別の歯医者で歯を治したのだという。 原作者の余兒は、九龍城に2度行ったことがあるが、深い印象はなく、隣にあった大きな木に貫かれた家を覚えているという。
映画のために情報を集めたソイ・チェンは、そこがかつて流血の場であったことを知ったが、それは昔の映画産業によって誇張されたものであった。 1980年代になると、黒社会の多くはそこから撤退し、小規模な食品加工工場や刺青屋、商店が立ち並ぶ人々の生活の場となった。 彼のインタビューや著書から、当時の九龍城を振り返るが、彼の琴線に触れるのは、近隣住民のちょっとしたエピソードである。何かを失くした隣人が警察に届け出たため、警察は失くしたものを取り戻すために城壁都市に入ることができた、カンフーの心得があり、近隣住民のために整骨をしていた叔父がいた・・・これは女性宣教師プーン・リン・チェクの伝記である!
その後、ソイ・チェンはかつて黒社会の構成員だった老人と知り合うが、彼はプーンのおかげで黒社会やドラッグと縁を切ったという。
彼と彼のクリエイティブ・チームは、かつて九龍城に住んでいた多くの人々に尋ねてみたが、誰ひとりとして生涯そこに留まりたいとは思わなかったという。  でも、外に住む余裕がないときは九龍城に行くんだ。 ここは安いし、仕事もある。 環境はよくないけど、外の世界より安いから、生活して、新鮮な空気を吸って、正気に戻って、自分の生活を見つけて、お金を貯めてアパートを買って、出て行く。 とても奇妙な場所なんだ。 そして、九龍城に住んだことのある人たちは、「ここを懐かしむことはないだろうが、ここに住んでいたときのことを思い出すだろう」と、取り壊すべきだという意見で一致した。
余兒は小説の中でギャングの抗争をフィクション化し、物語に登場する九龍城は現実に基づいているとし、物語の後半では城寨の移転と取り壊しにも触れている。コミック版も余兒が脚色し、主筆の司徒劍僑がデザインしたキャラクターは意図的に現実から逸脱しており、次第に香港のコミックファンに受け入れられるようになった。 ソイ・チェンは映画化にあたり、リアリズムとコミカルなセンスのバランスを取る必要があった。 彼は、3つのバージョンは同じ出発点からスタートし、3つのバージョンのクリエイターがそれぞれ独自の方法でストーリーを作り上げたと考えている。
映画『九龍城寨』は、小説の登場人物の関係をそのままに、難民の陳洛軍(林峯)が、間違って九龍城壁都市に侵入し、そこで兄弟たちと出会い、龍捲風(古天樂)をリーダーとするビッグボス(サモ・ハン)率いる悪の勢力と戦う物語である。 物語、衣装、美術のすべてが1980年代のリアルな香港をベースにしている。 ソイ・チェンによれば、登場人物の服装はコミック版を参考にしたというが、1980年代のリアルさとは違うようだ。 例えば、王九(伍允龍)はコミック版では清朝人のような服装だが、映画版では『老夫子』の飛仔のような服装になっており、王九はコミック版では金色の頭巾を知っているが、映画版では神打と硬気功の神に変身している。 もう一人の登場人物、四仔(張文傑)は、コミック版の硬胴仮面ではなく、その時代にありそうな外傷仮面をつけている。
ポール・チェンは、『九龍城寨』の総予算は約3億香港ドルだと明かし、当初は中国本土でのロケを想定していたが、パンデミックの制約から香港に九龍城を建設することになり、同時にネイザンロードや油麻地果欄など香港でロケができた。 チェン監督の前作『智歯』のセットが九龍の城壁都市のようだと観客に評されたように、『九龍城寨』ではダーティな面を拡大しないことにした。「混沌を拡大するが、混沌の中に秩序があることを願う」。 新作の温かみのある色調に加え、チェンは城壁都市の隣人たちの描写にもこだわった。 役者たちと登場人物について話し合った際、彼は登場人物は黒社会のメンバーだけだが、難民問題や城壁都市の取り壊しにも直面しなければならないとも述べた。
映画を1980年代の香港に近づけるため、映画の細部ではソイ・チェンの思いが明かされる。 龍捲風が暇な時間に美容院で近所の人の髪を切るなど、黑社会は実際に自分たちの仕事を持っていたという。 その後、彼は潮州語や福建語の方言で多くの台詞を吹き替えた。例えば、近所の人に電気を貸してもらうことや、屋上でテレビのアンテナを調整することなど。 最も感動的なシーンは、壁城の人々が『蝦仔爹哋』を見るために集まってくる場面であり、これは彼にとっても家族の思い出である。 「これはとても商業的なアクション映画でありジャンル映画ですが、当時の香港の生活や感覚を見る余地はあると思います。」とチェンは言う。 
映画の最後には、80年代の城壁都市と現在の香港をつなぐような、岑寧兒の歌が流れる。 チェンは、脚本執筆の段階でこの曲を聴いていたことを明かし、主人公のチャン・ロクワンの難民としてのアイデンティティにマッチしていると感じたという。チャン・ロク・クワンは、城寨の家にようやく落ち着いたと思いきや、すぐに解体という運命に直面することになり、彷徨っているのだ。
ソイ・チェンと脚本家の歐健兒が映画の中で表現したかったのは、城寨の精神だった。 実際、香港に住んでいようがいまいが、私たちは第二の場所に住んでいるのであり、そこには家族がいて、その場所が家なのです」。





成瀬巳喜男「雪崩」

1937年、原作は大仏次郎。
出演:佐伯秀男、汐見洋、英百合子、霧立のぼる、丸山定夫、江戸川蘭子、三島雅夫
 

今朝の東京新聞から。

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もはや「プーチン皇帝」か 大統領選の歴史的な圧勝劇、くすぶる不満(朝日新聞有料記事より)

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 3月に行われたロシア大統領選は、プーチン大統領が87%の得票率で圧勝した。「終身大統領」としての地位をほぼ確実にしたとも言えるが、盤石に見える体制の裏側では、政権への不満や社会の閉塞感が色濃く漂っている。

 大統領選の初日、モスクワの投票所に入って驚いた。投票箱が透明のプラスチックで、しかも投票用紙の多くが折られておらず、誰に投票したのか丸見えだったからだ。

 自らを「ロックスター」と名乗るアレクサンドルさん(59)は、プーチン氏に印をつけた投票用紙を自分の顔と並べてスマホで撮影し、投票箱に入れた。「投票したとブログに投稿したかった。私は愛国者なんだ」

 今回の選挙は、事前にプーチン氏当選という結果が出るのが明らかだった。緊張感に欠け、投票先を誰かに隠す必要もない、ロシア社会の空気を如実に表していた。

「ロシアは君主制であるべき」

 近くの公園で散歩をしていたリューバさん(35)は「みんなプーチン氏が圧勝すると知っている。私もプーチン氏に投票する」と笑った。

 ロシア憲法は連続3選を禁止しており、プーチン氏も2000年から2期8年務めた後、いったん首相に退いた。12年に復帰して18年に通算4選を決めると、20年の憲法改正で任期をリセット。さらに2期12年の任期を可能にする道を開いた。

 すでに24年間にわたり権力を握る71歳のプーチン氏が36年まで大統領を続ければ、ロシア帝国の女帝エカテリーナ2世や、ソ連の独裁者スターリンを超える。すでに「皇帝」にも例えられている。

 そんなプーチン氏に残された課題は、「どのように選挙に勝つか」だけだった。

 22年2月に始めたウクライナ侵攻は、米欧中心の世界秩序を打ち砕き、自らの新たなレガシー(遺産)にする思惑だった。ところが、ウクライナの抵抗で侵攻が長期化し、計算が狂った。

 ここから、プーチン政権はなりふり構わず国民を「統制」し、メディアと一体になって「圧勝」ムードをつくった。

 反政権派の弾圧だけでなく、側近だった民間軍事会社ワグネル創設者のプリゴジン氏ら、国防省や軍を批判する勢力を排除。表向き、ロシアを「政権支持」の一色に塗りつぶした。

 また、「ウクライナのネオナチ政権の非道」や「米欧の脅威」、「祖国防衛の尊さ」などを繰り返し主張。侵攻で戦った兵士を「裏切らない」と称賛し、自治体や企業、教育分野で重用してリーダーにする考えを示すなど、兵への志願を奨励した。一方で、昨年4月以降、高額の報酬などを約束して契約兵を集め、追加動員への社会不安は表面上鎮めた。

 侵攻後に発動された米欧の厳しい制裁ですぐに行き詰まるとの見方もあった経済は、成長率が22年のマイナス1・2%から23年はプラス3・6%(速報値)に回復。今もスーパーには商品があふれ、人気のレストランはほぼ満席だ。観光地も旅行客でいっぱいだ。

 結局、プーチン氏は87.28%を得票。投票率も77.49%で、いずれもロシア大統領選の過去最高を更新する「歴史的な勝利」となった。

 開票翌日の3月18日夜、政権のレガシーとされる「クリミア併合」から10年を祝う集会が、赤の広場で開かれた。

 「ロシア! ロシア!」。ぎっしりと広場を埋めた観衆の大歓声を浴びながら、プーチン氏がステージに現れた。満足そうな表情で、大統領選の他の3候補を両脇に従えていた。

 クリミアやウクライナ東・南部4州の「併合の偉業」を強調。観衆に向けて「ロシア万歳!」と叫ぶと、国歌の大合唱が始まった。

 振り返れば、ソ連の最高指導者の多くも死ぬまで権力を握り続けた。プーチン氏はロシア史で初めて、選挙で平和的な政権交代を実現したが、実質的にはエリツィン元大統領の「禅譲」だった。

 エネルギー関連企業で働くセルゲイさん(62)は、「政権を批判することで、国を弱体化させてはならない」と、民主主義に懐疑的な立場だった。

 「ソ連時代も含めてロシアはずっと事実上の『君主制』。これからもそうあり続けるべきだ」

プーチン氏に投票、「ほかの候補知らない」

 1月中旬、侵攻反対を訴えて大統領選への立候補を表明したナジェージュジン元下院議員の選挙事務所前には、零下6度の寒さの中、立候補に必要な署名のため数百メートルの列ができた。

 IT技術者のエカテリーナさん(28)は「私は(ロシアでウクライナ侵攻を指す)特別軍事作戦を支持しない。彼は唯一の反戦候補だ」と話した。

 署名には住所などの個人情報も書くため、当局に反戦の立場を知られるのではと、尻込みする人が多いと見られていた。だが、最終的に必要数の倍以上の20万人超の署名が集まり、ナジェージュジン氏でさえ、「1カ月前には誰も実現すると信じていなかった」と驚いたほどだ。

 しかし、中央選挙管理委員会は検証の結果、無効な署名が多いとして同氏の立候補を却下。プーチン氏以外の候補者は政権に近い「体制内野党」の3人のみで、過去最少の候補者数となった。

 思い出したのは、前回18年の大統領選だ。ブロガー出身で、政権批判で頭角を現した反政権派指導者ナワリヌイ氏が、草の根の反政権運動では初とみられる全国組織をつくり、プーチン氏に挑んだ。

 ナワリヌイ氏は、冤罪(えんざい)との批判もある過去の有罪判決から、立候補が認められる可能性はなかった。それでも、各地の集会に数千人規模の若者が駆けつけ、「政権交代が必要だ」などと叫んだ。結局、選管はナワリヌイ氏に正式な選挙活動さえ認めなかったが、支持者を熱狂させる「カリスマ」の力を、政権が強く警戒したのは間違いない。

 その後、ナワリヌイ氏は国内線の機中で毒殺未遂に遭い、治療を受けたドイツから帰国直後に空港で拘束された。昨年8月には「過激派組織の創設」などの罪で禁錮19年を言い渡されたが、獄中から「プーチンなきロシアを」と訴え続けた。

 ところが、大統領選1カ月前の2月16日、当局はナワリヌイ氏が急死したと発表した。妻ユリアさんは遺志を受け継ぎ、投票最終日の正午にプーチン氏以外に投票する「反プーチンの正午」への参加を呼びかけた。

 警察が厳重に警戒する中、各地の投票所に行列ができた。初めて大統領選で投票したというアレクセイさん(30)は「戦争を止めるために意思表示をした」と強調した。

 実は、プーチン氏の支持者にも濃淡はあった。モスクワのナジェージュダさん(38)は「ほかの候補はまったく知らないから、プーチン氏に投票する以外にない」と話し、「消去法」だったことを明かした。

 ウクライナ侵攻をめぐっては、昨年12月の世論調査で、「来年の期待」に軍事作戦の終了を挙げた人が45%でトップだった。妊娠中のリューバさん(35)はプーチン氏に投票したが、生まれてくる子どものためにも、「戦争はプーチン氏自身が終わらせるべきだ」と注文を付けた。

 だが、「侵攻の勝利」にこだわるプーチン政権に、終結の青写真があるようには見えない。契約兵による兵力補充や経済成長も、いつまでも維持できるとは思えない。

 こうした声を封じるため、「歴史的圧勝」の結果を手にしたプーチン氏が、さらに強権的な姿勢を強めるのではないか。テレビの画面で自信にあふれる表情を見る度に、そんな不安をぬぐうことができない。

解説:
記事には「政権への不満や社会の閉塞感が色濃く漂っている」とある。まあ、そのとおりだろう。 ただ、2011~2012年の時点で、それは明らかだった。本来であれば賞味期限が切れた体制を、延命して、今日に至るわけである。 その最大のカンフル剤が、2014年のクリミア併合と、それに伴うロシアを取り巻く国際的な緊張の高まりだった。ロシアを守るために奮闘するプーチンを国民皆で盛り立てなければならないという心理的効果が働いた。 2022年以降のウクライナ侵攻に関しては、2014年ほどの熱狂はないものの、やはり難局にあってはプーチンのような強い指導者が必要という国民心理は根強い。 よく、ロシアがウクライナを侵攻した結果、フィンランドやスウェーデンのNATO加盟を招き、プーチンはオウンゴールをやらかしたということが言われる。しかし、それは物事の一面に過ぎない。プーチン政権が最も重視するのは、内部の体制固め、引き締めだろう(この場合の「内部」にはベラルーシやウクライナも入っているのが困ったことなのだが)。NATOの脅威が迫ることは、それを進める上で好都合という面もあるのではないか。(服部倫卓)

 
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