
夫婦2人の1週間分の食費は数年前まで、60ポンド(1万2千円)程度だった。いまは同じものを同じ分買って、90ポンド(1万8千円)になることもある。
英イングランド東部グリムズビーに暮らす銀行員、ミシェル・ロバートソンさん(50)は、自宅近くのスーパーに行く度に嫌気がさす。
電気やガスの料金は2年前より、月に計200ポンド(4万円)高くなった。「それでも払えるだけ自分は恵まれている」。そう言い聞かせる。

英国では毎日のように、市民の苦しい財布事情が報じられる。インフレ率は2022年10月に前年同月比11.1%を記録し、41年ぶりの高水準に。現在は2.0%まで下がったが、それを実感できる市民は多くない。
グリムズビーは住民から「貧しい労働者階級の町」と位置づけられる。「生活費危機」は極めて深刻だ。その上、公共サービスへの予算配分は削減が続き、人員不足などで医療機関は予約が取りづらくなった。
「100%、保守党には入れない」
2010年から政権を担う与党・保守党への風当たりは強い。ロバートソンさんは前回19年の総選挙で保守党に投票したが、「今回は絶対に、100%、保守党だけには入れない」と言う。
その不満は、日々の生活に関するものだけにとどまらない。ロバートソンさんは、パレスチナ自治区ガザの惨状にも胸を痛める。現政権がイスラエルへの武器の輸出をやめる気配はない。「自衛権の尊重と言うけれど、イスラエルは何を守るというのか」
保守党を信頼できる要素がない。新型コロナの流行期、ジョンソン首相(当時)は国民に制限を課しながら、仲間とパーティーを開いていた。次に首相に就いたトラス氏は財源的に根拠の薄い大幅な減税策を発表し、英国を混乱に陥れた。
「スナク首相もあれこれ約束しているけれど、自分が何を言っているのかさえ、よくわかってないんじゃないかな」
かつて「漁師の町」として栄えた人口約8万6千人のグリムズビー。町にある「漁業遺産博物館」では、漁船での漁師たちの生活を追体験することができる。建物横の港には、1950年代に活躍した漁船「ロスタイガー号」が停泊する。

漁業は町の誇りであり、アイデンティティーでもある。地元のサッカークラブの愛称は「マリナーズ」。サポーターは試合で、魚の模型を持って応援する。
ブレグジット、英国民の58%が「誤りだった」
だが、英国とアイスランドが漁場をめぐって争った「タラ戦争」、そして、英国の欧州経済共同体(EEC)への加盟によって、漁業は衰退の一途をたどったと、町民は憤る。多くの町民は欧州連合(EU)のことを、本部がある「ブリュッセル」と呼び、敵対心を隠さない。「ブリュッセルが町をダメにした」と。
そんな町に希望を与えたのが、ブレグジット(英国のEU離脱)だった。
16年の国民投票では、7割の町民が「離脱」を支持した。19年の総選挙では「ブレグジットを完了させよ」をスローガンにした保守党が議席を獲得。これは、第2次大戦後初めてのことだった。
ただ、ブレグジットから4年以上が経ったいまも、グリムズビーを含め、英国の経済は良くなっていない。世論調査では「ブレグジットは誤りだった」と答える人がじわりと増え、この5月には58%に上った。
一方、「正しかった」と答える人も31%いる。グリムズビーで水産加工会社を営むダレン・ドリンカルさん(58)もその一人だ。
保守党でも、労働党でもなく…

ドリンカルさんは、町の困窮を「移民のせいだ」と考えている。ブレグジットは国境を強化し、移民を規制するものだと思っていた。移民が減れば町は再興し、税負担も減ると信じていた。
だが、移民は減っていない。22年も23年も120万人ほどが英国へとやってきた。英国を離れた人を差し引いた純増数は、記録的な多さだ。難民申請者の乗る小型ボートを止めると言い続けるスナク氏は、それを実現できていない。
保守党がしっかりと移民規制をしていれば――。その思いが強い。
町では労働党の返り咲きが確実視されている。ドリンカルさんもそれはわかっている。ただ、労働党はより穏健な移民政策を掲げ、ドリンカルさんは「いまよりも悲惨な状況になる」とみる。
では、彼はどこに投票するのか。今回の選挙で保守党から大量の票を奪うことが予想されている「改革党」だ。その躍進ぶりは、英国政治の混迷を映し出す。(グリムズビー:藤原学思)