香港郊野遊行・續集

香港のハイキングコース、街歩きのメモです。

2024年08月

全米で死にかける地域メディア、でもサンフランシスコは違う N.Y.Times(朝日新聞有料記事より)

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「ミッション・ローカル」は収益の75%が読者からの寄付だ

Local News Is Dying, but Not in San Francisco

 地方メディアのビジネスが苦境に立たされていることは周知の事実だ。全米で「ニュースの砂漠化」が進み、いまや全米の半数以上の郡は、報道機関がたった一つか、あるいは一つも残っていない。

 しかしサンフランシスコでは、実験的な試みをしようという意欲によって、地方メディアが復活しつつある。半世紀の歴史を持つ地元の報道機関は、非営利団体になり始めている。また、資金力のある支援者の助けを借りているところもある。広告収入に頼っていた地方メディアが減少するにつれ、ニュースサイトはその差を埋めるために購読料に頼るようになっている。

 人口約80万人のサンフランシスコには、超ローカルな非営利団体やラジオ局から、「サンフランシスコ・スタンダード」のような億万長者の支援を受けた会社まで、27の報道機関があり、サンフランシスコの記録的な新聞社になろうと競っている。アメリカの大都市としては珍しく、サンフランシスコには10年前とほぼ同じ数のメディアがあるのだ。

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2021年に創刊された「サンフランシスコ・スタンダード」はサンフランシスコ市のニュースに特化し、特に市政の報道に力を入れている

 「ベイエリアには、あらゆる形態のニュース・モデルが存在すると言ってもいいくらいだ」と、サンフランシスコ最大の新聞「サンフランシスコ・クロニクル」の発行人であるビル・ネーゲル氏は、言った。「非常に競争が激しい環境だ」

 この地域がこれほど多くのニュースを支えることができる理由はいくつかある。IT産業によってベイエリアは全米で最も裕福な地域のひとつとなり、その富が大小の寄付を通じて地元のニュースを支えている。また、この地域は教育水準が高く、一般的にそれは有料ニュースの読者数と相関関係がある。

 カマラ・ハリス副大統領、ナンシー・ペロシ下院議員、ギャビン・ニューサム州知事といった地元政界のスターから、ヌーディストの善きサマリア人、無人の自動運転車の事故、争いの絶えない地元政治に至るまで、サンフランシスコには報道すべき、また読むべきニュースがたくさんあることも助けになっている。

 「サンフランシスコは珍しい。この国の多くの大都市は、営利紙に広告を出す大企業であれ、非営利ジャーナリズムに資金を提供する裕福な個人や財団であれ、こうしたことに資金を提供するのに必要なリソースを持っていないからだ」と、「テキサス・トリビューン」の共同創設者で、非営利ニュースの資金調達を支援する「エマーソン・コレクティブ」のアドバイザーであるエバン・スミス氏は言う。「そして、実際にこのような組織を立ち上げ、運営できるだけの才能を持つ人材は、多くの場所にはいない」

 長く続くかどうかはまだわからないが、新しいビジネスモデルはサンフランシスコから南へ車で1時間のところに本社を構えるグーグルやメタのようなシリコンバレーのIT大手に吸収されてきたオンライン広告に代わる、切望されていた選択肢を提供するものだ。

アメリカ国内のあちこちに地元メディアがない「ニュース砂漠」が生まれるなか、サンフランシスコだけは例外なのだそうです。なぜこの地域のメディアは復活しつつあるのでしょうか。

 カリフォルニアの新聞は特に大きな打撃を受けている。メディア連盟のデータによると、2019年から23年にかけて、州の大手新聞7社の日曜版のオンライン版と印刷版の発行部数は30%減少した。

 しかし、サンフランシスコ・クロニクル紙の発行部数は同期間に18%増加した。同紙は現在、約15万人の有料デジタル購読者を抱えているとネーゲル氏は言う。

 サンフランシスコのすべての新聞が同じように好調というわけではない。不動産王クリント・レイリーが所有する「サンフランシスコ・エグザミナー」紙の発行部数は、広告データによると2020年から22年にかけて40%減少した。また、サンフランシスコで働くジャーナリストの数は数十年にわたって減少し続けている。

 ヘッジファンドや新聞チェーンが所有する営利目的の報道機関が縮小するにつれ、代わりに非営利のメディアが成長してきた。非営利モデルのメディアは、ジャーナリズムの財団の全国的なネットワークの助成金をもらえるようになり、読者は税控除の対象になる寄付をすることができる。その代わり、特定の政治家を推薦をしたり、そのメディアを営利企業に売却したりすることはできない。

 サンフランシスコにある「ミッション・ローカル」は、2014年から独立したメディアとして、ベイエリアのメディアで経験を積んだリディア・チャベス氏とジョー・エスケナージ氏によって運営されている。

 「ミッション・ローカル」は、サンフランシスコのミッション地区にある700平方フィート(訳注:約65平方メートル)のオフィスで運営されており、その収入の75%は読者からの寄付によるものだと、チャベス氏は言う。現在のスタッフは3人の編集者と6人の記者、それに5人の夏のインターンで、これまでで最大の人数だ。エスケナージ氏は、ミッション・ローカルの気風を、かつてサンフランシスコで盛んだったが、今ではほとんど姿を消した「オルト・ウィークリー」(訳注:オルトは従来の大手メディアに代わるものとして、小さな規模で、大手メディアが扱わないようなテーマなどを報じるオルタナティブ・メディアのこと。ウィークリーは週刊)になぞらえた。

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「ミッション・ローカル」は市と近隣地区の報道に注力する

 「オルト・ウィークリーの衰退を招いたのはジャーナリズムのモデルではなく、広告モデルだった」とエスケナージ氏は言う。非営利モデルは「読者や寄付者から私たちへの支援がやりやすくなる」。

 他の地方新聞社もこの成功を模倣しようとしている。歴史的に黒人の新聞社である「サンフランシスコ・ベイ・ビュー」は、5月に非営利団体として再法人化したと、ケビン・エプス編集局長は語った。

 エプス氏が10歳で新聞配達をしていた1976年の創刊以来、広告に頼ってきたベイ・ビューにとって、この変化は大きな転機となった。

 「サンフランシスコはオルタナティブ・メディアの中心地であり、それがここのジャーナリズムが他の地域よりも多少なりとも良い状況であることを反映していると思う」とエブス氏は言う。「しかし、我々は他の収入源を見つけなければならない」

 2021年の創刊以来、スタンダードは億万長者のベンチャーキャピタリストで元ジャーナリストのマイケル・モリッツ氏が資金を出してきた。

 モリッツ氏は露骨な市長批判をしてきたため、スタンダードの編集の独立性を疑問視するライバルもいる。彼は市の社会的・政治的活動に3億ドル以上を費やしており、スタンダードのCEO、グリフィン・ガフニー氏は、モリッツ氏が出資する、サンフランシスコの基準からすると政治的には穏健な政治活動委員会トゥギャザーSFの元主催者だ。

 「マイケルは非常に活発に活動している」とガフニー氏はメールに書いた。「しかし、彼の政治活動や慈善活動はスタンダードとは別のものだ」

記者職が11~17万ドルの高給も

 スタンダードは高給で有能なジャーナリストを引きつけており、最近の記者職の求人広告では11万ドルから17万ドルの給与だ。選挙資金違反の調査など、市政に関する報道はしっかりと考慮されている。また、スタンダードは今年後半に新しい購読サービスを開始する予定だと、ガフニー氏は言う。

 「私たちがスタンダードを創刊したのは、サンフランシスコには一流の出版物がふさわしいからだ」と彼は言った。「それなのに、われわれの主要な出版物は、ニューヨークを拠点とする巨大メディア・コングロマリットによって運営されている」と付け加え、クロニクルを所有するハーストに触れた。

 ネーゲル氏は、クロニクルは過去160年間サンフランシスコで成功裏に運営されてきたと述べた。「ニュース砂漠の時代において、我々は正しい意図を持った新参者を歓迎する」と彼は語った。

 その他のテックマネーもPAC(政治行動委員会)から独立系ジャーナリストに流れている。財務報告書や取材によると、地元の著名なPACである「より良きサンフランシスコの隣人たち」は、近年、独立系ジャーナリストに少なくとも20万ドルを寄付している。このPACも地元の基準からすると穏健なものだ。

 サンフランシスコのメディアに有効なビジネスモデルが、他の地域でも同じように成功するかは不明だ。非営利の報道機関は、ミシシッピの田舎町からシカゴの都心部まで、あらゆる場所で足がかりを固め、今春にはピューリッツァー賞さえ受賞している。しかし、非営利団体の資金調達は、特に裕福でない地域では、年によってばらつきがある。

 「今でも苦労しています」とチャベス氏は言った。「私たちは毎日、資金集めに頭を悩ませています」。
(Eli Tan/The New York Times、抄訳=宮地ゆう)

関東大震災の朝鮮人虐殺、否定論やまず 公的記録、相次ぐ「発掘」(朝日新聞有料記事より)

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 1923年の関東大震災では「朝鮮人が略奪や放火をした」といった流言飛語が広まり、朝鮮人らが殺害される事件が多発した。9月1日で大震災から101年。史実を否定するような言動がやまない中、粘り強く記録をたどる人たちもいる。

小池知事と林官房長官の説明は

 東京都の小池百合子知事は、震災時に虐殺された人を含む朝鮮人犠牲者の追悼式典に、今年も追悼文を送らない。2017年から8年連続だ。

 小池氏は8月30日の記者会見で、不送付の理由について、式典と同じ9月1日にある震災の犠牲者を悼む大法要で「全ての方々へ哀悼の意を表している」と従来の説明を繰り返した。これまで虐殺の認識を問われると「何が事実かは歴史家がひもとく」などと語ってきたが、この日も「様々な研究が行われていることは承知している」と述べるにとどめた。

 「政府として調査した限り、政府内において事実関係を把握することのできる記録が見当たらない」。昨夏には松野博一官房長官(当時)のそんな発言が問題になった。林芳正官房長官は30日の会見で「認識に変わりはない」と述べ、「災害発生時に、国籍を問わず、全ての被災者の安全安心の確保に努めることは、政府として極めて重要だ」と付け加えた。

司法省などの記録を根拠に

 政府の中央防災会議が09年にまとめた報告書は、「官憲、被災者や周辺住民による殺傷行為が多数発生した。虐殺という表現が妥当する例が多かった」「殺傷の対象となったのは、朝鮮人が最も多かったが、中国人、内地人も少なからず被害にあった」と記す。233人の朝鮮人が殺され、367人が起訴された事件の詳細を記した司法省の当時の記録などを根拠資料としている。

 だが、政府は「報告書は有識者が執筆したもので、その記述の逐一について政府としてお答えすることは困難」との立場だ。15年2月に「調査した限りでは、政府内に事実関係を把握することができる記録が見当たらない」とする答弁書を閣議決定している。

 野党議員らは昨秋の臨時国会で様々な記録を示しながら、政府の認識を相次いでただした。閣僚らは「政府内に事実関係を把握できる記録が見当たらない」という従来の立場を維持しつつ、虐殺に関する文書が「独立行政法人国立公文書館」や「防衛研究所戦史研究センター史料室」などにあることを認めた。

 「政府は10年ほど同様の答弁を続けてきたが、この1年でその矛盾が露呈した。史実を認めないような動きが相次いだことで、皮肉なことに、一般にはあまり知られていなかった朝鮮人虐殺に注目が集まった面もある」。虐殺否定論を検証するノンフィクションライターの加藤直樹さんは言う。

昨年明らかになった二つの公的資料

 新たな資料も相次いで「発掘」された。

 「(朝鮮人が)夜に入ると共に殺気立てる群集の為めに、久下、佐谷田及熊谷地内に於(おい)て、悉(ことごと)く殺さる」

 陸軍の地方組織である、埼玉県の熊谷連隊区司令部が作成した「関東地方震災関係業務詳報」の記述だ。陸軍省が震災での活動内容を報告するよう求め、1923年12月15日付で提出された。震災3日後の9月4日夜、保護のため警察に移送中の朝鮮人四十数人が、今の熊谷市内で殺されたと記録し、「鮮人(朝鮮人の蔑称)虐殺事件」「不法行為」と表現する。

 防衛省防衛研究所の史料室に所蔵されており、「関東大震災『虐殺否定』の真相」の著書がある元朝日新聞記者でジャーナリストの渡辺延志さんが内容を確認し、昨秋発表した。「軍や警察の内部で事態を深刻にとらえた人々による記録が、いまも政府内部に眠り、現在の私たちに託されている」と渡辺さん。

犠牲者の名前、住所も

 元小学校教員で、朝鮮人犠牲者の調査や追悼会を横浜市で続ける団体の代表を務める山本すみ子さん(85)らは昨年9月、神奈川県での記録が見つかったと発表した。

 県知事による内務省警保局長あての1923年11月の報告書で、県内で起きた朝鮮人への殺人57件を含む59件の殺傷事件の日時や概要のほか、殺された145人のうち14人の名前が書かれている。虐殺の歴史研究の第一人者である姜徳相・滋賀県立大名誉教授(故人)が持っていた。

 横浜港の労働者だった朝鮮人男性42人が付近の民衆に殺された、などと記された具体的な犯罪事実は、これまでの証言や当時の報道と符合する。一方、山本さんらは、他の証言や小学生の作文と突き合わせる限り、「虐殺の証言数が多い場所の記録がなく、これが全てではない」とみる。

「刻まなければ」

 山本さんらはこの1年、資料に出てくる殺害現場を一つ一つ古地図で確認し、足を運び、関係者に話を聞いてきた。

 「政府や小池知事のような姿勢は、虐殺の事実を歴史から抹消する行為に等しい。亡くなった人たちが何という名前で、どこに住み、どこで働いていたのか、歴史に刻まなければならない」。9月7日に開く今年の横浜市での追悼会では、新たに明らかになった犠牲者一人一人の氏名を読み上げる。
(二階堂友紀、田渕紫織)

「歴史修正主義」の著書がある学習院女子大の武井彩佳教授の話 

 虐殺など大きな人権侵害が起こった後、年月が経ち、生存者がいなくなると、発生当時は当然のように共有されていた事実について「十分な事実確認ができていない」といった言説が生まれやすくなる。歴史的事実は意識的に継承していかなければ、簡単に埋没する。

 ホロコーストですら否定論があり、欧州の多数の国は、戦争犯罪やジェノサイドに関する否定の禁止を法制化している。法規制の妥当性には議論があるが、日本は最低限の事実の共有が不十分で、それ以前の段階にある。

 歴史の資料を検証し、地道にたどる営みなくして、後の時代に事実は残らない。地域に残る記録や証言を集約する機関や場所をつくるのが、国や自治体の役割だろう。

朝鮮人虐殺をめぐり、この1年で「発掘」された公的な記録

・熊谷連隊区司令部「関東地方震災関係業務詳報」(1923年12月)

 朝鮮人四十数人が「殺気立てる群集」によって「悉(ことごと)く殺さる」と記述。「鮮人虐殺事件」とも

・神奈川県「震災に伴う朝鮮人並びに支那人に関する犯罪及び保護状況その他調査の件」(1923年11月)

 県内で起きた朝鮮人の殺傷事件59件の犯罪事実や、殺害された145人のうち14人の氏名を記載

政府の中央防災会議専門調査会の報告書(2009年)の根拠資料の一部

・司法省「震災後に於ける刑事事犯及之に関連する事項調査書」(1923年11月)

 233人の朝鮮人が殺され、367人が起訴された事件の詳細を政府が調査

・関東戒厳司令部「震災警備の為兵器を使用せる事件調査表」(1923年9月)

 陸軍による殺傷事件20件の詳細(うち12件は朝鮮人が被害者) 

ヒズボラの計算とイランの思惑は 識者に聞く(朝日新聞有料記事より)

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 パレスチナ自治区ガザでの戦闘が、中東全体のさらなる緊張の激化につながるのではないか。そんな懸念が広がっています。

 レバノンのイスラム教シーア派組織ヒズボラが、イスラエルへの本格的な攻撃に踏み切りました。7月末にイスラエルが司令官を殺害した報復だと説明しています。事前に動きを察知したイスラエル軍はロケットの発射装置などを空爆し、本格的な「交戦」に発展しました。ヒズボラの狙いは何だったのか。彼らと連携して攻撃を仕掛けるとささやかれていたイランは何を考えているのか。

 地域情勢に詳しいパレスチナのビルゼイト大学の講師ムハンマド・ハラサさんに聞きました。

 ――ヒズボラの狙いは何でしょうか。

 ヒズボラの立場から見れば、攻撃は「避けられない」ものでした。この攻撃は、ヒズボラが事前に明言した通り、イスラエルが、司令官のフアド・シュクル氏を殺害したことに対する報復です。

 シュクル氏は、最高指導者ナスララ師の側近で、ヒズボラの創立メンバーの一人。イスラエルはこれまでにもヒズボラの幹部を殺害してきましたが、シュクル氏は地位がより高く、軍事作戦を立案する責任者でもありました。ヒズボラにとって、彼の殺害は「(許容できる)一線」を越えるものだったといえます。

ヒズボラにとって、「理想の状態」とは

 さらに殺害された場所はレバノンの首都ベイルート近郊で、イスラエルとヒズボラが日々攻撃の応酬を重ねている国境地域ではありませんでした。

 ヒズボラは、「暗黙のルール」を破ったのは自分たちではなく、イスラエルのネタニヤフ首相だと思っているでしょう。

 ――ただ、昨年10月にガザで戦闘が始まって以降、ヒズボラがイスラエル北部で攻撃の範囲を広げているのも事実です。ヒズボラが、戦闘をより本格化させたいと考えている可能性はないでしょうか。

 ヒズボラは、全面戦争はしたくないと言っています。表向きだけではない。ヒズボラにとって実際、「全面戦争に至らない程度の緊張状態をたもっておく」ことこそが理想的であり、昨秋から断続的に戦闘をしていることの「成果」でもあるということを理解する必要があります。

 ――どういうことですか。

 ヒズボラの軍事力は、所持している兵器のレベルを含めて、(イスラム組織)ハマスを上回ります。しかし、核兵器を持っているとされるイスラエルと戦って勝つ力はありません。ですから、現在のようにイスラエルがガザでハマスと戦い、イランとの本格的な戦闘が始まるリスクを気にしながら、時にイエメンからは(イエメンの反政府武装組織)フーシからの攻撃も意識しなければならない。この状態こそが理想的です。

 これまでのヒズボラの攻撃を受け、イスラエルはすでに北部の国境近くの多くの市民を、安全な地域へ退避させています。こうした市民の生活を支えるための財政的な負担も小さくありません。現状を継続するのではなく、何とか打開したいと考えているのは、ヒズボラよりもネタニヤフ氏のほうでしょう。

 ――ヒズボラは「報復」のタイミングをどう見定めたのでしょうか。

 ガザの停戦交渉の進展が影響したと思います。交渉の行く末はまだわかりませんが、イスラエルとハマスが一時的にでも何らかの「合意」を取り付け、停戦が成立する可能性は排除しきれません。ヒズボラは一連の戦闘の大義として「ガザとの連帯」を掲げています。停戦が実現したときに実際に攻撃をやめるかはともかく、停戦が実現して大義を失う前に、報復は終わらせた方がいいとは言えます。

「報復」に向けてイランが考えていることは何か

 ――大国イランは、イスラエルへの報復を宣言していますが、今回の攻撃には関与しなかったとみられています。何を考えているのでしょうか。

 イランは今、中東だけでなく米国などの動きも念頭において動いています。ネタニヤフ氏は、イランやその代理勢力であるヒズボラなどの組織を挑発して緊張を高め、イスラエルの後ろ盾である米国が、中東への関与を強めるよう仕向けている。これは、イランとしては避けたいシナリオです。さらに新しく誕生したイランの政権は、欧米との対話路線をとりたいと考えている背景もある。

 ただ、イスラエルの出方次第では、そうも言っていられなくなります。政治的には避けたい選択だとしても、大規模な戦闘を選ぶしかない――。この地域では頻繁にそういうことが起きます。

 今回のヒズボラの攻撃が中東全体を巻き込むような戦火の拡大にはつながらなかったとしても、これからもそうであるとはいえないのです。
(聞き手=高久潤) 

「私はカマラよりルックスがいい」 容姿に執着するトランプ氏の心理 N.Y.Times(朝日新聞有料記事より)

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What’s Vexing Donald Trump Now? Kamala Harris’s Looks.

 自身が受けていると感じる(政治的な)迫害、敵の邪悪さ、選挙集会での聴衆の規模……。トランプ前大統領がこだわっている問題については、このように挙げることができる。なかでも、おそらく四六時中、彼の脳裏を離れないことが一つある。それは、他人の容姿[looks]だ。

 トランプ氏の人の外見へのこだわりは、何十年も前からだが、カマラ・ハリス副大統領が民主党の大統領候補に浮上してから、改めて顕著になっている。8月に入ってから、大統領選の対立候補者であるハリス氏の容姿にたびたび言及し、米タイム誌(訳注:8月26日号)の表紙を飾った彼女の姿を「史上最も美しい女優[the most beautiful actress ever to live]」にたとえた。

 さらにトランプ氏は、同誌に掲載されたハリス氏の顔を、俳優のソフィア・ローレンさんや自身の妻のメラニアさんになぞらえた後、自分の方が「彼女よりずっとルックスがいい[much better looking than her]」とはっきり言って周囲を驚かせた。奇抜な言動で知られるトランプ氏ではあるが、それでも耳を疑う発言だった。

 「ずっといい」と78歳のトランプ氏は言い、「私はカマラよりルックスがいい人間だ」と続けた。

トランプ氏の他人の容姿に関する発言は、常習性があるといいます。どのような心理によるものなのでしょうか? NYT記者が学者らに取材しました。

 トランプ氏のロジックに従えば、彼は元モデルの妻よりも自分の容姿の方がまさっていると判断していることにもなる。敵対する民主党陣営の人々は、トランプ発言に驚きつつも笑って受け止めていたが、他人の容姿に対するトランプ氏の執着[fixation]はこれまで、痛烈な打撃を加える政治的手段として、また、男性心理の専門家によれば、彼自身の自己肯定感を高める手段としても使われてきたという。

 「彼ほど他人の容姿にこだわる大統領はこれまでいなかったと思う」と語るのは、「米国における男らしさ[Manhood in America]」の著者であるマイケル・キンメル氏だ。「自身の人工的に日焼けした肌から、髪形、あるいは体重に関するウソに至るまで、彼にとって外見が全てなのだ。彼は肉体的な外見に執着している[obsessed with physicality]」。

 これまでにハリス氏の容姿について言及した人は他にもいる。民主党全国大会(8月19~22日)で、クリントン元大統領はハリス氏のことを「1千ワットのほほえみ[thousand watt smile]」を持っていると評した。また、2013年には、ハリス氏は「この国で飛び抜けて格好いい司法長官だ」とオバマ大統領(当時)が発言して話題となった。

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 しかし、トランプ氏の(他人の容姿に関する)発言は明らかに常習性がある[habitual]。実際、選挙戦で彼が相手に浴びせる準備万全の侮辱的発言の多くは個人の容姿に向けられている。キンメル氏やメンタルヘルスの専門家らによれば、こうした発言は、敵対者に対する力を誇示して、他者に対する優位性を演出する手法だという。

 これまでのトランプ氏の選挙戦では、そうした例がたくさんあった。例えば、16年の大統領選の共和党予備選では、身長5フィート8インチ(約173センチ)のマルコ・ルビオ上院議員(フロリダ州)を「リトル・マルコ」と呼び、小馬鹿にする態度を取った。あるいは、ニュージャージー州のクリス・クリスティー前知事について、彼を「太ったブタ」と呼ぶ人がいるなどとしんらつに言った。

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2016年3月、米大統領選の共和党予備選の候補者討論会に臨んだトランプ氏とマルコ・ルビオ上院議員(左)

相手が女性の場合、さらに攻撃的に

 相手が女性の場合、トランプ氏の発言がさらに攻撃的になることがこれまでによくあった。一例は、トランプ氏から性的暴行を受けたと米作家ジーン・キャロル氏に訴えられたときのことだ。トランプ氏は、彼女は「私の好みではない[not my type]」と言って否定した(それでも、ニューヨーク連邦地裁の陪審は二つの関連訴訟で、トランプ氏によるキャロル氏への性的暴行と〈それを否定するトランプ氏の言動に対して〉名誉毀損を認め、合計で9千万ドル〈約129億円〉近い額の支払いを命じる評決を下した)。

 トランプ氏はこれまでに多くの侮辱的な発言をしてきたが、一方でそれらに付随する奇妙な傾向がある。彼はしばしば、公の場での(特定の人に対する)発言に賛辞をちりばめるのだ。たとえば、時にはわざわざ男性の容姿まで褒めあげる。

 一例を挙げると、今年6月下旬のバイデン大統領との討論会後、バージニア州チェサピークで勝利感を味わいながら開いた選挙集会でのことだ。トランプ氏はバージニア州のグレン・ヤンキン知事の息子について「父親より見栄えがいい」と評した。また、元連邦議員に対して「格好いい」と言ったり、共和党の下院議員候補のデリック・アンダーソン氏を「映画スターのようだ」と絶賛したりしたこともあった。

 つい最近では、自身が副大統領候補に指名したオハイオ州のバンス上院議員を評して、彼の最良の特徴のひとつは、ひげと情熱をたぎらせた青い目を持つルックスだと語った。

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トランプ氏は、副大統領候補に選んだバンス上院議員(右)の容姿をしばしば褒める

 時にトランプ氏は選挙演説で他の男性の容姿を過剰に褒める。たとえば、大統領時代にメキシコ大統領から派遣された交渉担当者と対面したときを回想してこう話したことがある。

 「彼(メキシコ大統領)は実にハンサムな男性を派遣した。とても素晴らしく、実にハンサムで、なんとも立派ないでたちだった」。今年2月にメリーランド州での遊説中にメキシコの交渉担当者について語ったときの発言だ。彼のスーツの値段を聞きたいぐらいだったとも言い、「彼はハンサムなヤツだった」と続けた。

 男らしさ[masculinity]について多くの著作があるタウソン大学のアンドリュー・ライナー上級講師は「馬鹿げた話に聞こえるかもしれないが、実際、こうした点で彼は進歩している」と指摘する。

 「以前のトランプ氏なら、決まってまっすぐ急所を突こうとした。現在の彼はまず褒め言葉から入り、次にパンチを繰り出している」

自分自身に対する不安?

 心理学者で、「Hidden in Plain Sight: How Men's Fears of Women Shape Their Intimate Relationships」(日常に潜む:男性の女性への恐怖心はいかに親密な関係を形成するか)の著者であるアブラム・ワイス氏は、トランプ氏のお世辞と非難の根底にあるのは、まさに自分自身に対する不安[insecurity]なのかもしれないと話す。

 「彼は、信じられないほど自分の容姿に気を使う」とワイス氏は指摘する。「それは、他の男性が魅力的に見えなければ、自分がより魅力的に見えるという、お山の大将を決めるゲーム[a game of king of the mountain]だ」

 確かにトランプ氏は時々、人をけなすときの前振りとして、お世辞を言うことがある。たとえば、フロリダ州の元知事候補で、後に薬物中毒でリハビリ施設に入所したアンドリュー・ギラム氏について語った際、トランプ氏は何度か、ギラム氏の容姿を褒めた後に、「彼は、クラック中毒者だったと判明した」というオチを付けていた(訳注:クラックはコカインの一種)。

 また、トランプ氏は、他の男性、特にオバマ前大統領が褒められることを明らかに嫌っている。

 「『彼はとてもハンサムだ。ああ、オバマさんはとてもハンサムだ。彼の演説は実に素晴らしい』と言う人たちがいる」とトランプ氏は昨年、ペンシルベニア州で語り、「彼は何を話している? 中身は何もない」と続けた。

 そして、トランプ氏がハリス氏との比較で自分の容姿について語ったことが示唆するように、彼はたとえ自分が褒める側になっても、自分自身についての褒め言葉を聞きたいのだ。たとえば、マンハッタンの裁判所で刑事裁判が開かれているとき、トランプ氏は、自分は法廷で寝ているように見えても、寝ているのではなく、「美しい青い目」を休ませているだけだ、とSNSに投稿した。

 また、トランプ氏は、自分から褒め言葉を求める誘惑にも勝てないように見受けられる。たとえば、22年に彼がオハイオ州で聴衆の前で演説していた際、聴衆の中に魅力的な人物を見つけたかのようなそぶりを見せたときはこんな感じだった。

 「ああ、何とハンサムな……」とまず切り出した。

 そして、少し間を置いた。

 それから「大統領だ」と続けた。自分を褒めたのだ。

 そして、聴衆は大いに沸いた。
(Jesse McKinley/The New York Times、抄訳=城俊雄)

ロシアの「情報工作」に揺れる小国 「第2のウクライナ」と恫喝(朝日新聞有料記事より)

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 ある小国に、ロシアが「情報工作」を活発化させている。

 「大統領や与党は憲法違反を繰り返している」「偽りの選挙を止めよう」

 SNSに、そんな主張があふれていた。

 別のSNSでは、ロシア国旗が翻るモスクワ・赤の広場の写真が添えられていた。「北大西洋条約機構(NATO)が存在しなければ(各地の)戦争はない」。ロシアのプーチン政権のようなプロパガンダが繰り広げられていた。

 10月に大統領選と、欧州連合(EU)加盟の是非を問う国民投票を控える旧ソ連の親欧米国モルドバ。隣国ウクライナへのロシアの軍事侵攻が始まると、政権はロシアとの対決姿勢を強めて欧米への接近を加速させた。同時に、SNSで偽情報を拡散する親ロシア勢力への懸念が強まった。

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サンドゥ大統領や与党幹部らが「国民から金を盗んだ」と批判する投稿=フェイスブックから

「ロシア支配」からの脱却 親欧米国のいま

 欧州連合(EU)加盟を目指す旧ソ連のモルドバとジョージアでロシアの影が急速に色濃くなっています。飛び交う偽情報やウクライナ侵攻の影響を受けるなか、「ロシア支配」からの脱出への苦闘が続いています。

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露骨なロシアの介入姿勢

 現地報道によると、詐欺などの罪で有罪となり、ロシアに逃亡してかくまわれている野党指導者イラン・ショル氏と元国会議員の2人は、6月の1カ月間にフェイスブックでの情報工作に約5万5千ユーロ(約900万円)を投じた。直前の1カ月の2倍近くになるという。

 こうした動きに、欧米諸国も危機感を抱く。5月に首都キシナウでサンドゥ大統領と会談したブリンケン米国務長官は、偽情報対策などに1億3500万ドル(約200億円)の支援を約束。欧米はモルドバとの軍事協力も進めている。

 それでも、ロシアの介入が止まる気配はない。

 ショル氏は4月、大統領選に向けた野党連合「勝利」をモスクワで結成。モルドバのガガウズ自治州のグツル首長らが参加した。

 少数民族が多数の同州は一定の自治権が認められ、ロシア語を公用語とするなど親ロシア色が濃い。グツル首長は昨年、国外のショル氏の支援を受けて当選。モルドバがEUに加盟すれば、法律が定める「自決権」を行使すると主張し、「独立」の可能性を示唆した。ロシアから送られる資金で年金などを増やすとまで公言した。

 グツル氏は3月、ロシアでプーチン大統領と会談。6月上旬にサンクトペテルブルクで開かれたプーチン氏肝いりの国際フォーラムでは、親ロシア勢力による「モルドバブース」が設けられ、グツル氏は「モルドバ人がロシアとの友好関係を支持していると世界に示した」と強調した。

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「モルドバブース」では、ロシアとの友好関係をアピールしていた=6月6日、サンクトペテルブルク

 モルドバでは昨年、ショル氏の政党が非合法になり、10以上のロシア語テレビ局も「偽情報を流した」として放送禁止になった。背景には、情報工作によって国内が混乱に陥ることを恐れる政権の危機感がある。

 その政権は、首長選での買収の疑いでグツル氏への捜査を進める。これに対し、ショル陣営は批判を強め、「大統領選や国民投票で不正があれば街頭に出る」と、徹底抗戦する構えだ。

 政権には「強権的だ」との批判も出るが、親欧米系のシンクタンク欧州政策改革研究所のイユリアン・グロザ理事はこう言う。

 「我々は国家の弱体化を狙うロシアのハイブリッド戦争に直面している。ある程度の異例な手法もやむを得ない」

微妙なバランス、ウクライナ侵攻で一変

 ソ連崩壊後、モルドバは微妙なバランスの中で平和を維持してきた。

 ソ連崩壊直後の1992年、ロシアの支援を受けた分離派が支配する東部の未承認国家「沿ドニエストル」と紛争になった。停戦後、同地域にロシア軍が駐留したが、互いの住民が自由に往来するなど、実質的に実効支配を認める形で「共存」が続いてきた。穏健派も含め、いまも国民の3割は親ロシアとされ、ロシア語話者も多い。

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沿ドニエストルと政権側の地域を結ぶ船には、双方のナンバーの車が止まっていた=5月26日、モルドバ東部モロバタ

 一方、ソ連編入前の一時は一つの国家で、民族や言語もほぼ同じ隣国ルーマニアは、EUやNATOに加盟している。モルドバは独立後、人口250万人のうち、サンドゥ氏ら政権幹部を含む3分の1がルーマニア国籍を取得したとの見方もあり、親ロ派住民は「ルーマニアとの再統合を狙っている」との警戒感を抱く。

 ロシア、欧米がそれぞれ支援する勢力を通じて綱引きを続けてきたが、どちらかに極端に振れることはなかった。

 それがウクライナ侵攻で一変した。EUは侵攻後にウクライナとモルドバを加盟候補国に格上げし、今年6月には加盟交渉が始まった。世論調査では、国民の6割が加盟賛成とされ、政権は国民投票で承認を得たい考えだ。

 キシナウで6月上旬にあった加盟支持のデモには数百人の学生が集まり、「モルドバはEU加盟を望む」「私たちは欧州人だ」などと声をそろえた。高校生のヨネラさん(17)は「加盟は最良の選択肢。自分たちの手で未来を変えたい」と訴えた。

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EU加盟支持を訴える学生ら=6月1日、キシナウ

 一方、ロシアのモルドバへの天然ガス供給が途絶えるなどつながりは薄れる。影響力低下を危惧したロシアは「モルドバは第2のウクライナになる」と恫喝する。親ロシアの国民には、「ロシアと欧米との戦争に巻き込まれたくない」との懸念も強まる。

 かつてのソ連は米国と並ぶ超大国で、教育や医療が無料だったとノスタルジーが残る人も多い。侵攻後はガスの料金が6倍になるなど物価高が加速。デモを見ていた80代男性は「バスもパンも値上がりばかり。政府が悪い」と吐き捨てた。

 野党はこうした不安を後押しに、国民投票のボイコットを呼びかけ、不成立にしたい考えだ。アレクサンドル・ムラフスキー元副首相は「ロシア語話者の大半がEU加盟に反対だ。加盟するにしても、ロシアとの関係は維持すべきだ」と主張する。
(キシナウ=中川仁樹)

今朝の東京新聞から。

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「国宝」、かつては珍獣扱い 政治化のきっかけは日中戦争”宣伝戦”(朝日新聞有料記事より)

「珍獣の婿探し 女探検家来る」

1937年8月8日付の東京朝日新聞の夕刊2面に、こんな見出しが躍った。

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1937年8月8日付の東京朝日新聞の記事。中国でパンダを捕らえる旅に出た米国人のルース・ハークネスさんを取材した

 記事は、米国人のルース・ハークネスさんが、パンダを捕まえるために中国に向かう船旅の途中、横浜港に立ち寄ったことを伝えている。

 この話には前段がある。ハークネスさんは、上海で客死した探検家の夫の遺志を継ぎ、前年の36年に四川省でパンダの生け捕りに成功。生きたまま米国に連れ帰った。

 パンダが生きたまま外国に渡ったのは初めてのこと。米シカゴの動物園に引き取られ、多くの人が一目見ようと詰めかけ、パンダのぬいぐるみも売られたという。米国はこの時、恐らく世界で初めてのパンダブームに沸いた。

 そこで翌年、スーリンと名付けられたこのパンダのパートナーを見つける旅に出たというわけだ。記事の中でハークネスさんは「私によくなついていてそれはそれは可愛いものです」と語っている。

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マレーシアの首都クアラルンプールにあるネガラ動物園で飼育されているパンダ=2024年5月5日

 ただそれ以前は、パンダのふるさと中国でも、生息地である四川省や甘粛省の一部の人を除いては一般的に知られる存在ではなかった。地元ではたまたまわなにかかったパンダの毛皮が取引されていた記録があるが、経済的にも特別に価値があるとは見なされていなかったようだ。

 そんなパンダに熱視線を送ったのは外国人だった。

今や世界で愛されるパンダですが、中国でもほとんど知られていなかった時代がありました。パンダの魅力に気づいた中国が政治的に利用するようになった背景には、日本との戦争が深く関わっていました

 19世紀後半から、欧米の宣教師や狩猟家が中国内で活動するようになり、海外では見たことがない白黒の熊のような動物の希少性に着目。収集の対象となった。初めは標本として国外に持ち出され、生きたまま海を渡った。

 その後、乱獲を危惧した当時の中国国民党政府はパンダを国外に持ち出すのを禁じる法律を39年に公布。国家としてパンダを管理する方向にかじを切った。今でこそ中国内で「国宝」扱いのパンダだが、中国がその価値を見いだしはじめたのはこの頃だ。

 中国が海外にパンダを初めて贈ったのは41年。日中戦争が37年に始まり、国民党政府が重慶を臨時首都とした時期にあたる。

宣伝に使われたパンダ

 「中国パンダ外交史」の著書がある東京女子大学の家永真幸教授は、パンダ贈呈の狙いについて「蔣介石政権は日中戦争を国際問題化するため、パンダをプロパガンダに使って米国からさらなる支援を引き出そうとした」と分析する。

 日本軍に押し込まれていた国民党政府は、米英などの国際社会を巻き込んで協力を取り付けなければますます戦況が不利になるとみていた。

 そのため、米国でもてはやされるようになったパンダを宣伝戦の一環として贈り「中国は米国と同じようにパンダを愛する文明国で、日本の不当な侵略に苦しんでいる」と訴え、援助を得ようとしたとの見方だ。これがパンダを外交政策的に利用した最初の事例とみられるという。

 当時の朝日新聞でも、この出来事は報じられた。ただ、パンダを「四川特産の穴熊」と書いているところからも、このころの日本ではあまり知られていなかったことがわかる。

 米国へのパンダ贈呈で前面に立ったのは蔣介石の妻、宋美齢だった。そして記事は宋美齢をこうこき下ろしている。

 「重慶側は、アメリカに、イギリスにめまぐるしい秋波を送り続けているが、これは宣伝に抜け目のない宋美齢が考え出したアメリカのご機嫌取りの一つ」

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1941年11月26日付の朝日新聞の記事。米国へパンダを贈る蔣介石政権を「アメリカのご機嫌取り」と批判した

 日本の世論も家永教授の指摘と近い感覚を持っていたことがうかがえる。

西側諸国に渡った「平和の使者」

 中華人民共和国の建国後、パンダの管理は共産党政権が担い、外交ツールとして贈呈する手法も引き継がれた。60年代までは冷戦下の政治状況を反映し、贈り先は社会主義陣営の旧ソ連と北朝鮮のみ。70年代に入ると中国と国交を結ぶなどした西側諸国にも贈られるようになり、パンダは「友好の使者」の役割を担った。日本には、日中国交正常化が決まった72年に「カンカン」と「ランラン」が贈られ、空前のパンダブームを巻き起こした。

 中国政府は当初は相手国に贈与していたが、その後有償で貸し出すようになった。密猟などにより80年代にかけて野生の個体数が1114頭まで半減。危機感を持った中国はパンダ保護に本腰を入れるようになり、84年以降は贈呈から「繁殖研究のための貸与」へと形を変えた。

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インドネシアのボゴールにある動物園「タマンサファリ」。中国の融資で建設された高速鉄道に乗るパンダの模型が飾られていた=2024年4月

 パンダの贈り先、貸出先は共産圏から西側諸国へと移り、習近平指導部のもとでここ10年ほどは欧州や東南アジアへと広がりを見せている。22年には中東初となるカタールにもパンダが渡った。

 家永教授は、これらの国の共通点として、パンダの飼育能力があり、一定の経済力を備えていることを指摘。また、「長期化する米国との対立をにらんで中国が関係を強化しようとしている国」として、外交方針にそった決定だとみる。

 パンダがなぜ可愛いと思われるのか、学術的に解明されているわけではないというが、少なくとも中国は海外からのそうした視線を意識した行動を取っている。その意味では「中国の国際協調主義の表れ」と見ることもできるという。「パンダは『愛される中国』を体現する役割を背負い続けるだろう」。家永教授はそう考えている。
(北京=井上亮)

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「The Furious」撮影レポート(ヴァラエティより)

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バンコク中心部スラウォンの古い小売店を数日で改装した「警察署」は、外観があまりにもリアルで、数人の歩行者が立ち止まって見入ってしまう。おそらく、隣接するパトポン歓楽街で起きた軽犯罪を通報するためにここに来るべきなのだろうかと不思議に思っているのだろう。

建物の中に入ると、この建物が武術アクション映画「The Furious」のセットとして一時的に使われていたことがすぐに明らかになる。擦り切れて錆びた灰色の金属製の机が並ぶ1階には、現役で荒っぽい警察署のあらゆる装飾が揃っている。どの壁にも指名手配のポスター、ミッションステートメント、求人広告、規則などの掲示がある。しかし、映画の舞台が特定の国ではなく、東南アジアの無名の地域であることを明らかにしているのは、背景のセリフが主に英語であることだ。そして、警察の道具箱の間には、次のテイクのために準備されている照明やカメラ機材が山積みになっている。 
3か月間の撮影のうち18日間使用されたこの警察署は、復讐アクション映画「The Furious」の重要なロケ地である。
ベテランプロデューサーのビル・コン(「グリーン・デスティニー」「HERO」)は、この映画が、アジアの武術映画が現代のハリウッド映画のハイテクなスリルにまだ匹敵できるということを強く思い出させるものとなることを期待している。
コンはアジア全域の俳優やファイターを起用し、ドニー・イェンの仲間で、現在はアクション振付師から監督に転身した谷垣健治を中心に映画を作り上げている。谷垣は香港でキャリアの大半を過ごしているため、彼の撮影現場ではタイ語、日本語、英語よりも広東語が主流となっている。
Variety が制作現場を訪れた日、この駅は完成した映画の最後の部分に登場するドラマシーンのために使用されていた。2 人の囚人が思いを語るこのシーンは、最後の嵐の前の静けさを表現している。逆アングルが主流で、スペースがないにもかかわらず、セットアップには 3 台のカメラが必要だ。

ビル・コンは、脚本によると、最終シーンは合計 15 分から 20 分で、そのうち 3 分を除いてすべてハードコア アクションになると説明する。「しかし、観客に息抜きをさせるために、戦闘の合間にドラマシーンが必要です。観客が登場人物に共感できるように」とコングは言い、さらにこう付け加えた。「私は監督にはなれません」
監督である谷垣は、1階の隅でようやく発見されるまで、どこにも姿を見せない。彼は低いプラスチックの椅子にしゃがみ込み、動かずに、アンテナとWi-Fiコネクタで縁取られたモニターの列をじっと見つめている。

シーンは1分間続く。俳優たちは隣の独房を歩き回り、タバコを吸ったり、伸びをしたりして、そして演技に臨む。2分後、彼らはセリフを話している。しかし、独房に一緒にいる人やヘッドフォンをつけていない人には、セリフは聞こえない。最後に、谷垣は香港風に「カット」を叫ぶ。
すぐに騒音レベルが急上昇し、谷垣が隠れていた場所から飛び出す。以前の硬直した状態と同じくらい機敏に。しわだらけの笑顔と豊かな髪を持ち、サッカー選手のような足で素早く歩き回る。最初に頼るのはスタントマンと俳優たちだ。

谷垣は時々携帯電話を取り出して、以前のリハーサルや以前のテイクの映像を見せ、自分が望むやり方を正確に示す。またある時は、陽気に動きを演じる。彼は日本版ジャッキー・チェンを彷彿とさせ、今にも彼がおおげさにずっこける姿を想像するのは容易い。
谷垣は、長回しを好むのは、映画の魔法が起こる時間があるからであり、3台のカメラで撮影した映像が編集されないわけではないからだ、と説明する。

「ジージャ(ヤニン)やジョー・タスリムは、通常、1回目のテイクで必要なものを撮れます。でも私はいつも奇跡を期待して、テイクをもっと撮りたいと思っています。奇跡が起きることもあります」と谷垣は語る。

アクションシーンに慣れた経験豊富なキャスト陣であっても、谷垣は自分が要求していることが多すぎることを自覚している。「通常のアクション映画では、スタントマンを使います。ここでは、すべて俳優同士です」と谷垣氏は言う。「私たちが行った準備は非常に役に立ちました。振り付けのおかげで、カメラの前に立つと、台本なしで自然に見えますが、私は現場で動きを微調整するのが好きです」
監督は、リハーサルが「信頼関係を築くのに役立ち」、それが「手の込んだスタントをより安全にする」と語る。「画面上では危険に見えるが、実際にはそうではないことをやります」と監督は言う。
「アクションは『九龍城寨』とはまったく違います。リアリズムに非常に重点を置き、格闘技映画の限界を押し広げていることに満足しています。」

共同プロデューサーのトッド・ブラウンは、初めてセットを訪れ、警察署の設備の一部が頑丈であることに落胆しているが、その言葉に安心はしていないようだ。「あまり壊れやすいようには設計されていないようです」とブラウンは言う。
谷垣はニコニコと説明しながらも彼はまた、真剣そのものでもある。「前にも言いましたが、私たちは 格闘技映画の限界を押し広げたいのです。3 分の 2 が終わった今、その目標が達成できたことに満足しています」と彼は言う。

谷垣とコンは、タイのスタッフを称賛する点で一致している。「タイのスタッフは非常にプロフェッショナルで、日本のスタント チームと一体化しています」と谷垣は言う。

コンも同意し、地元のスタッフの親しみやすさと柔軟性が、タイが国際映画プロジェクトの人気の目的地になった理由だと付け加えた。また、多くの場合、手下として雇われ、主要キャストに殴られるタイ人俳優の集団もいる。
制作は予定通り7月下旬に終了し、公式予算は「2000万ドル未満」に近づいており、次の動きはブラウンとXYZフィルムズの同僚によって行われる。彼らは、来たるトロント国際映画祭でこの映画を正式に販売開始し、2025年に完成した映画を届けることを目指している。

ブラウンによると、トロントでバイヤーミーティングが開催され、「Netflixやその他の企業も招待される」という。「もちろん、劇場公開を狙っていますが、ストリーミング業者が本当にこの映画を私たちから引き取りたい場合に備えて、テイクアウト価格も考えています」と彼は言う。
公開は2025年第2四半期を予定しているが、プロデューサーはベルリン映画祭でのプレミア上映も可能性としてあると語る。「映画祭はかつてこの種の映画にとって素晴らしい舞台だった。その伝統を忘れていないことを願う」とブラウンは言う。 

人口300人の村、夫も子どもも孫も失った 「勝利の形わからない」(朝日新聞有料記事より)


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 自宅から5分ほど自転車をこぎ、毎日、墓地へ行く。ひまわり畑を背に、木の十字架をなで、口づけをして声をかける。「会いにきたよ」

 36歳の息子、イーホル。誰とでもすぐに仲良くなって、歌うのが好き。家族思いで働き者。

 8歳の孫息子、イバン。元気いっぱい。鶏を飼っていて、えさやりを欠かさずしていた。

 34歳の娘、オルハ。物静かだけれど、パン作りも裁縫も得意。アイロンのかかった服がまだ、ハンガーにかかっている。

 69歳の夫、アナトリー。少し怠け者で、子どもたちに頼りっぱなし。一緒に旅立ったのは、子どもたちがいなければ何もできないからだろうか。

 みんな、死んだ。

 墓には同じ命日が刻まれる。2023年10月5日。4人の命はこの日、ロシア軍のミサイルによって奪われた。
夏でも枯れないよう、彩りが失われないよう、たくさんの造花を供える。

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孫息子が眠る墓で、十字架に口づけをするコジルさん=8月21日

 自宅に戻る。とても静かで、とても広くて。「私1人だけになっちゃって」。リビングで昼寝をするネコに視線をやる。「この子が娘のようなもの」。
4人の遺影はテーブルにも、棚にも飾ってある。「夫はね」「娘はね」。思い出を話し出すと、止まらない。

村唯一のカフェが集い場

 ウクライナ北東部ハルキウ州フロザ村。バレンティーナ・コジルさん(57)は村を「みんなが、みんなを知っている」と描写する。

 10分あれば車で回ることができる。牛や鶏も道を歩く村には、300人ほどが暮らしていた。週末や祝日には、村で唯一のカフェ兼商店「スプートニク」に集った。

 だが、22年2月に始まったロシアによる全面侵攻が、すべてを変えた。

 半年あまり、村はロシア軍に占領された。解放を信じて待つ村民や避難する村民がいれば、ロシア軍に迎合する村民もいた。
22年9月に村は解放されたが、ロシアに対する意見の違いで、関係がぎくしゃくするようになった。

 23年10月5日は、戦死した村出身の男性兵士の遺体が埋葬され、「スプートニク」で追悼の昼食会が開かれていた。

 国連機関の独立調査によると、現場には64人がいた。メインの料理が運ばれた頃、店にロシア軍のミサイル「イスカンデル」が直撃した。
ウクライナ保安庁によると、解放前にロシアに渡った元村民の兄弟が、昼食会の時間と場所をロシア軍に密告していたという。

 ミサイル攻撃では59人が亡くなり、5人しか生き残らなかった。国連機関は犠牲者全員が民間人で、周辺に軍事施設はないと結論づけた。

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フロザ村の墓地。多くの埋葬者の死亡日として、「2023年10月5日」が記されていた

 コジルさんはその日、外せない用事で村にはいなかった。攻撃を知り、家族に順番に電話をかけても、誰も出なかった。

 翌日に遺体を確認した。損傷が激しく、息子と孫の遺体は識別できなかった。
DNAを提供し、娘も「ピアニストのように長い指とマニキュア」で確認した。

「戦争の終わり」はどうあるべきか

 愛する4人を失ったいま、「最善の」戦争の終わり方など、存在しない。

 「諦めたくない」とは思う。「この状況を抜け出すには、勝利しかありえない。ただ、勝利がどのような形であるべきなのか、私にはわからない。少なくとも、後戻りはできない」

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現場に残されていたスマートフォン

 傷みが目立つ天井を指さす。「この家も、戦争前は家族で『リフォームをしよう』って言っていたんです」。あるはずだった未来が、失われた。

 8月24日、ウクライナは全面侵攻から2年半を迎えた。理不尽な戦争に「妥協はない」としてきた市民にも、変化が出始めている。5月の世論調査で、「できるだけ早く平和を達成し、独立を維持するため、領土の一部を諦めても仕方がない」とする回答が、初めて3割を超えた。

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 「みな、戦争に疲れ果てている。それは間違いない。先が見えない、計画を立てられない状態で『生きている』とは言えない」。それでも――。「ウクライナが降伏して領土を渡したところで、ロシアが約束を守るはずがない」

 コジルさんは「彼らは新たな武器を手に、きっとまた攻めてくる」と言った。

 「それを平和とは呼べない」

(フロザ村=藤原学思)

中村吉右衛門の志継ぐ「秀山祭」 中村歌六、尾上菊之助が語った思い(朝日新聞有料記事より)

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9月の東京・歌舞伎座では、今年も「秀山祭」が開かれる。2021年に世を去った二代目中村吉右衛門が、明治末~昭和にかけて活躍した初代の芸を後世に伝えようと、06年に始めた公演。今年もゆかりの演目が並ぶ。亡き人の志を受け継ぎ、出演する中村歌六と尾上菊之助が思いを語った。

中村歌六「兄さんは本当に心血を注いでいた」

 「吉右衛門の兄さんは『秀山祭』を、本当に心血を注いでフル回転で勤めていらっしゃいましたね。兄さんが残したいと思っていたのは、初代さんの型じゃないと思うんです。型ではなく、芝居に対する考え方。『ハートで演じる』ということを、後世に伝えたくて、始められた。それは続けていきたいと思います」

 播磨屋一門として、その長だった吉右衛門の思いを受け継ぐ歌六。「今年も『秀山祭』と冠をつけて頂き、皆さんでやって頂けることは、本当にありがたいと思っています」と語る。

 今回演じるのは、初代吉右衛門も度々勤めた「摂州合邦辻」の合邦道心。菊之助演じる娘の玉手御前が、義理の息子に道ならぬ恋心を抱き、さらに毒酒を飲ませて病気にしたと知り、思いあまって自ら手にかけてしまう父親の役だ。

 「情はすごくある人なんですよね。娘のことは可愛い。でも、娘が道ならぬことをしているのは、自分たちの育て方が悪かったからではないかという気持ちが、どこかにあるのかな」と、その心中を推し量る。「こんこんと諭すけれど、自分の手に掛けなくてはしょうがない、となる。合邦は元は鎌倉武士ですから、性根は通っているわけですよね」

 9年前に初めてこの役を勤めた時は、祖父の三代目中村時蔵が1956年に玉手御前を演じた際の映像を参考にしたという。

 この舞台で合邦道心を演じていたのは、八代目市川中車。「亡くなった(市川)段四郎さんに『中車の大叔父は若い頃から初代さんを尊敬していて、メモもいっぱいとっていた』と聞いたことがあったので、一番、初代に近いのではないかと思いまして。他の先輩方のものも拝見して、自分なりに組み立てていきました」。そう振り返る。

 実際に演じてみると、言うことを聞かない玉手御前に詰め寄る場面など「たたみ込むように話すところが、なかなかうまくいかなくて……」。

 「常々、もう1回やりたいと思っていたので、菊之助さんに声をかけて頂いてありがたく、うれしいですね。せいているだけになってはいけないので、しっかりと心理や、その時の状況が広がるようにできればいいなと思っております」

 今年の秀山祭では、昼の部に「摂州合邦辻」、夜の部に、二代目吉右衛門が名演をみせた「妹背山婦女庭訓」の「太宰館(だざいやかた)花渡し」と「吉野川」が上演される。どちらも人形浄瑠璃から歌舞伎に移された義太夫狂言で、重厚な人間ドラマが展開する。

 「もちろん新作も素晴らしいし、世話物もいい。でも僕は、義太夫狂言あっての歌舞伎でしょ、という感覚なんですね」

 「毎年、秀山祭が続いて、きちんとした義太夫狂言が一つはある。そういう兄さんも目指していた興行が、先々もずっと続いていけばなあと思っております」

 初代吉右衛門が亡くなったのは、自身が3歳の時だった。「手をつないでもらって一緒に撮っている写真はあるんですが、記憶にはないですから」

 父や周囲からは、初代の楽屋によく呼ばれ、可愛がられていたと聞いた。また、初代の当たり役だった「河内山」と「籠釣瓶花街酔醒」の主人公のセリフのまねが得意で、楽屋でやってみせるたび、初代が「上手だ、上手だ」と大喜びしてアメをご褒美にくれたこともあったという。

 「初代さんに限らず、古い先輩方の舞台を覚えていなくても、『見ている』というのは、僕の一つの財産。大事にしていきたいと思っております。なかなか自分では分からないですけれど、そういう昔の匂いが出たらいいですね」
(増田愛子)

尾上菊之助「お客様の胸に飛び込んでいけ」教えを胸に

 菊之助が「摂州合邦辻」の玉手御前を演じるのは、今回が9年ぶり4度目だ。「演じる度に難しさ、そして発見がございます。秀山祭で、歌六兄さんの合邦で玉手をさせて頂ける。うれしく思います」と話す。

 玉手御前を初めて演じたのは2010年。今年1月に亡くなった、人形浄瑠璃文楽太夫の豊竹咲太夫の教えを受けた。

 稽古では、大名家の奥方だという格を持ちつつも、「玉手は『十九(つづ)や二十(はたち)』であることを忘れず、老けないように」と言われたと振り返る。「思い出のお役です。師匠がお亡くなりになった今年、教えて頂いた役を、なるべく手がけたいなと思っておりました。ご縁を頂き、とてもありがたいです」

 大名家の当主の後妻となった玉手御前は、跡継ぎの俊徳丸を異母兄・次郎丸が暗殺しようとしていると知る。義理の息子2人の命がともに助かるよう一計を案じ、俊徳丸に恋を仕掛ける。彼女の恋心は全くの偽りか、あるいは真実のものか――。

 菊之助は「次郎丸を生かさなければいけないし、俊徳丸も守らないといけない。最初は、そういう彼女の一念だったんだと思います」。息子としての俊徳丸への「いとおしさ」が、「だんだん、恋心を秘めたものに変わっていったのではないでしょうか」とみる。

 俊徳丸やその婚約者から疎まれ、娘の乱行に激怒した合邦に刺された玉手御前は、死の間際、この恋は計略だったと明かす。

 「両親に対し『恋でない』と言いますけれど、彼女が打ち消すほど、俊徳丸にほれていたことがお客様に伝わると思っています」

 「全ての思いを受け止めて、最後は解脱していくような心境になれれば」と願う。

 一方、夜の部では「勧進帳」で、松本幸四郎の武蔵坊弁慶に対峙する、富樫左衛門を勤める。

 義父、二代目吉右衛門は生前、「80歳で弁慶を勤める」ことを目標にしていた。生きていれば今年、その夢はかなうはずだった。

 「岳父は、絶対やるんだということをおっしゃっていました。その思いを引き継いで、幸四郎さんが弁慶を演じる。そこに、富樫として携わらせて頂きます。岳父はこの場にいませんが、心は引き継がれ、残っていくものだと思いますので」

 「型はもちろん守らなくてはいけませんけれど、型は型として、『お客様の胸に飛び込んでいけ』ということを、よくおっしゃっていたのを覚えています。型に心を込め、真情で演じる。それを目指していきたいです」
(増田愛子) 
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