
病気療養を経て約1年ぶりとなる舞台復帰を前にした取材で=1993年11月、東京・歌舞伎座
《1984年、東京・日生劇場でシェークスピアの「ハムレット」に主演し、イギリスの「古典」に挑戦した》
事前に、イギリスや、デンマークにある芝居の舞台のモデルとなった海辺の城を訪れたので、イメージがわきました。
お陰様で好評を頂き、その後も、87年と90年に演じました。
90年には、東京都江東区にあった劇場ベニサン・ピットで、私が台本・演出のほか、照明や衣装、舞台装置も全て担当し、村上弘明さん主演で「ハムレット」を上演しました。
戯曲を読むと、ハムレットは霊的な何かに操られているような感じなんです。そういう雰囲気を演出にも採り入れました。
元は倉庫だった劇場ですから、客席も、高さや幅を自分で計算して作りました。スピーカーを客席の下に仕込み、お客様が入ってこられると、暗い足元から波の音が聞こえるように工夫もしました。
あんなにくたびれたことはありません。
《92年、京都・南座の顔見世の千秋楽に倒れ、肺膿胸(のうきょう)及び食道亀裂で約8カ月間、入院した》
回復しても、どの程度、舞台が出来るのか分からない。演出家になろうかとか、評論家になろうかとか、色々考えました。
《94年1月、歌舞伎座で舞踊「お祭り」の鳶頭で、無事に舞台復帰した》
「お祭り」は、病気から復帰する役者が、よく上演します。他の役者も、お祝いに、大勢で一緒に出ることが多い。
でも十八代目中村勘三郎、当時の五代目中村勘九郎君が「兄ちゃん、絶対に1人でやってくれ」と言うんです。お父さんの十七代目勘三郎のおじさんが、ご病気の後に1人で踊られて、元気になられたから――と。
それで、1人で踊ることにしました。
(聞き手・増田愛子)