香港郊野遊行・續集

香港のハイキングコース、街歩きのメモです。

2024年11月

民主主義のもろさと「トランプ復権」 揺らぐ米国主導の国際システム(朝日新聞有料記事より)

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米コロンビア大学のマーク・マゾワー教授=2024年9月

記者解説 国際報道部次長・青山直篤

 米大統領選でトランプ前大統領がハリス副大統領に完勝した。第1次トランプ政権は混乱が常態化し、前回の大統領選では敗北を認めず連邦議会襲撃事件を誘発した。米国民はそうしたことがあっても、あえてトランプ氏を選んだ。第2次政権は第1次と比べても強権的な性格を帯びるだろう。

 「トランプ復権」は民主主義の退潮を示すのか。むしろ、その本来の姿がむき出しになったと見ることができるのかもしれない。

 そもそも民主主義は、危うさやもろさをはらむものだ。その自覚と反省がなければ、社会は劣化していく。「復権」への驚きは、私たちが抱きがちな民主主義への過信やおごりの裏返しだ。

 冷戦が終わりソ連が崩壊した時、世界は民主主義の「勝利」に酔った。その甘さに鋭い警鐘を鳴らしていたのが、欧州史の大家マーク・マゾワー氏(コロンビア大学教授)である。朝日地球会議の取材で9月に訪ねると、思考をめぐらせながらこう語った。

 「冷戦が終わり過度の幸福感(ユーフォリア)が広がった。だが、民主主義は比較的最近の現象であり、永遠に続くなどと考える特段の理由はない。そのことを人々に思いだしてほしかった」

 マゾワー氏が現代の民主主義の起点とみるのが、欧州で四つの帝国が崩壊した第1次世界大戦だ。

ポイント

 民主主義はもろい。「トランプ復権」はその反省を忘れた冷戦終結時に源流がある。戦後に米国が主導した国際秩序は大義を見失い、「力と利益」優先の方向に向かう。トランプ氏は日米関係の根幹部分の見直しを迫る。日本の針路を改めて考える時だ。

 19世紀末から大英帝国の覇権の下、著しいグローバル化(貿易・投資の自由化)が進んだ。そのユーフォリアは第1次大戦で破綻(はたん)する。貧困や格差など経済問題が噴き出し、大恐慌で社会を不安が覆った。状況を克服する思想として民主主義とファシズム、共産主義が打ち立てられ、その三つどもえの争いが20世紀を規定した。

 第1次大戦の戦後処理は失敗し、第2次大戦が勃発した。ファシズムに突き動かされたナチスドイツの第三帝国は瓦解する。その大きな要因はソ連の軍事力だった。20世紀末、共産主義を奉じたソ連も内部崩壊した。民主主義が勝ったように見えたのは結果論に過ぎない。

 第1次と第2次の戦間期が残した教訓は「野放しの資本主義が機能しないこと」だったとマゾワー氏は指摘する。

 民主主義を掲げた米国では、資本主義の機能不全に対処するため、ルーズベルト大統領が公共事業による雇用創出などのニューディール政策を進めた。

 第2次大戦は、資本主義を国家の力で管理・動員することにつながった。「戦後も教訓はエリートに共有された。各国が経済計画によって資本主義を飼いならし、国際的に調和させようとした」

 そのエリートの代表格が、ルーズベルト政権の国務長官だったコーデル・ハルだ。強硬な対日交渉で知られるハルは、戦後、国連創設に尽力する。「われわれは指導と協力の責任を持っており、……これを避けようと思っても避けることは出来ない」と論じた(「ハル回顧録」)。

 しかし、こうした態度は米国民の広い民意に支えられたものではなかった、とマゾワー氏はみる。

 筆者が想起したのが、トランプ氏が1987年、米紙ニューヨーク・タイムズに載せた意見広告だ。「米国は、自衛できる裕福な国を守るために金を払うのをやめるべきだ」「何十年も、日本などの国々は米国につけ込んできた。こうした国々の利益を守るため、我々が失っている人命と巨額の金の代償を、なぜ支払おうとしないのか」

 トランプ氏は期せずして、エリートの信念頼みの国際秩序が長続きしないことを訴えていたのかもしれない。

 数年後、冷戦が終わる。マゾワー氏は「1990年代にはゲームのルールを決めるのは西側世界だというおごりが広がった」と振り返る。民主主義のもろさが深く省みられることはなかった。

 2001年の米同時多発テロ後、米国は民主主義の事業と位置づけた対テロ戦争に突き進む。

 米国が中東への介入で国力をすり減らすなか、権威主義的な一党支配と資本主義を融合させた中国が勃興する。

 資本主義の暴走がもたらした08年のリーマン・ショックはエリート層の強欲さと腐敗をさらけ出し、反発と冷笑主義を招いた。こうした動きが「トランプ大統領」を生み出す流れとなっていく。

「敗者」に傷痕残した冷戦

 冷戦は「勝者」を内側からむしばむ一方、「敗者」に傷痕を残した。「帝国の崩壊は困難をもたらす。ソ連の崩壊も、人々の屈辱感を利用するプーチン大統領の台頭を許した」とマゾワー氏は話す。

 プーチン氏は22年、ウクライナを侵略した。マゾワー氏は「絶対に正当化できない」と批判しつつ、ソ連崩壊時に西側も、将来何が起こりうるかについて十分な思慮を欠いていたと指摘した。

 マゾワー氏の祖父は帝政ロシアから英国に亡命したユダヤ人革命家で、欧州近代史と重なり合う家族史を背負ってきた。いま教える米国では、欧州や日本などと違い、20世紀の凄惨な大戦の痛みが国民の記憶として定着していない。「他国が経験したような形で国土が爆撃を受けることも、外国の占領を受けることもなかった」

 焼け跡の原体験を欠く米国が、世界の平和を守るためのコストを引き受ける戦後の構図がこれほど長く続いたことこそ、むしろ驚くべきことなのかもしれない。

 マゾワー氏は「私たちには米国に頼れない世界を避けたい心情がある」としつつ、英仏独や日本といった「かつての帝国主義国家」にはそれぞれの歴史的な歩みについて内省を深め、国際システムを安定させるように働く重要な役割がある、と強調した。

転換期の世界で探る日本の針路

 国際政治では理想的な平和主義やユーフォリアが広がる時期がある。しかし、そんなユートピアニズムが「特権階級の利益の隠れ蓑」に陥ると、その仮面をはぐ存在として「リアリスト」が台頭する。そう論じたのは、第1次と第2次の戦間期の研究で知られる歴史家のE・H・カーだ。

 力と取引(ディール)を信奉するトランプ氏。世界は当面、むき出しのリアリズムが優先される状況になるだろう。ただ、カーはユートピアがリアリズムで粉砕された後に「新しいユートピアを築く必要がある」とも述べている(「危機の二十年」)。トランプ氏にその構想はうかがわれない。

 東京女子大学長の森本あんり氏は、米国の大義だった「色々な主義主張を載せられる器としてのリベラリズム」が米国社会で侵食されつつあると指摘する。「『米国を再びグレート(偉大)にする』というのは国内の論理だ。外から見ると米国はスモールになる」

 米国主導の戦後秩序に組み込まれてきた日本の針路も問われる。

 原爆投下など圧倒的な力の前に降伏し、米国の保護下で経済を再建した。今もなお、民主主義を真に自得したと言い切るのは難しいだろう。「帝国の崩壊」の困難を日本もまた引きずっている。

 日米安保体制は、米兵が日本を守る代わりに基地使用権を認めるという「人(米軍)と物(基地)の交換」を基本としてきた。東京国際大学名誉教授の原彬久氏は、この交換が「対等」だとする日本側の論理を米側は認めておらず、それが日米の支配・従属関係の根幹にあるという。

 トランプ氏は、この日米関係の本質を突いてきたとも言える。冷戦終結の節目でも、日米の非対称な関係への問題意識は高まらなかった。世界が転機を迎えるなか、原氏は「日本が自立の立脚点を考え直す必要がある」と訴える。 

猫でハリス氏揶揄、犬でトランプ氏批判 米国社会でペットが持つ意味(朝日新聞有料記事より)

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 トランプ氏が返り咲きを果たした米大統領選。選挙戦中、共和党の副大統領候補バンス氏の「猫」に関するある発言が物議を醸した。逆にトランプ氏は、犬を飼わないことを過去の大統領選で非難されていたという。なぜ犬や猫が大統領選で持ち出されるのか。「猫論争」と「犬論争」からは、米国社会や政治とペットの深いかかわりが浮かび上がる。

 「私はカマラ・ハリスとティム・ウォルズに投票する」

 9月10日、歌手のテイラー・スウィフトさんがインスタグラムで民主党の大統領候補だったハリス副大統領への支持を明確にした。猫を抱いた写真とともに投稿された声明の末尾には「愛と希望を込めて テイラー・スウィフト 子どもがいない猫好き女性(Childless Cat Lady)」と記した。

 スウィフトさんが念頭に置いたとみられるのが、バンス氏が2021年にした発言だ。保守派のFOXニュースに出演した際、ハリス氏ら民主党の女性政治家を念頭に「惨めな思いをしている子どものない猫好きの女性によってこの国は運営されている」と揶揄。今年の大統領選でこの発言が改めて批判にさらされることになり、スウィフトさんの声明もこの発言に反撃した形だった。

 「猫論争」はさらに続いた。トランプ氏を支持する実業家のイーロン・マスク氏が「私は君に子どもを与え、人生をかけて君の猫を守るよ」とX(旧ツイッター)で発言。ひわいなニュアンスでスウィフトさんを笑いものにするような投稿は、性差別的だと批判された。

 なぜ猫がキーワードになったのか。米国政治とジェンダーの関係に詳しい庄司香・学習院大教授は、発端となったバンス発言の背景にある米保守層の「ファミリーバリュー」(家族重視の価値観)を指摘する。

 米国では、家族を持つことが社会的に一人前である条件とみなす風土が、開拓時代から長らく続く。「米国は個人主義の国と言われるが、独身でいることへのプレッシャーは日本より強い」。そういった伝統的な価値観から、自らの意思で結婚や出産を選ばない女性を非難したのがバンス発言だった。

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庄司香さん

 「実際は家族を持ちつつ猫を飼っている女性も大勢いるのだが、民主党女性政治家が女性としての責務を果たしていない、と極端なステレオタイプで揶揄した」と庄司さん。

 一方、過去に「犬論争」で非難されたのはトランプ氏だ。

 当時現職だったトランプ氏をバイデン現大統領が破った20年の大統領選では、バイデン氏支持者が「トランプはこの1世紀以上のあいだで犬をホワイトハウスで飼わなかった唯一の大統領だ」と指摘する動画を投稿。レーガン、オバマといった歴代大統領やバイデン氏が愛犬と戯れる様子を、トランプ氏と対比させて映した。バイデン氏も「犬をホワイトハウスに戻そう!」と呼びかける動画を投稿した。

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2020年10月、「犬をホワイトハウスに戻そう!」としてバイデン氏への支持を呼びかける動画=バイデン氏のツイッター投稿から

 庄司さんは「犬に信頼される人物は信頼できる、とみなす文化が米国社会にはある」と語る。しつけをきちんとし、散歩で外出して社交的に振る舞うことができる、中流階級の白人男性を念頭においた、成熟した人格を示す存在が犬なのだ。バイデン陣営は、犬を飼わないトランプ氏の人格、資質を批判したというわけだ。近年では、保守地盤に挑む民主党の黒人男性上院議員候補が、白人が飼うイメージが強いビーグルを散歩させる動画を投稿してアピールした例もあるという。

 それに対して、散歩をせず、屋内のプライベートな空間で気ままに生活するという猫のイメージは、女性=非論理的というステレオタイプと結びつけられ、政治的にはネガティブなニュアンスを帯びる。「猫についてまわる『気まぐれ』という形容は、政治家が特定の政策に対する立場を変えることへの揶揄にもしばしば用いられる」と庄司さん。

 猫がそのようなイメージを持ったのにはどのような背景があるのか。愛猫家のパブリックイメージの成立について研究した著書「猫を愛でる近代」がある貝原伴寛・日本学術振興会特別研究員は、こうした「キャットレディー」言説が最初期にみられるのは、18世紀ごろの英国ではないかとする。

 中世まではネズミを駆除する「益獣」として位置づけられていた猫が、近世には狩りをせずに愛育されるペットとしての性格を帯びるようになった。それまでも存在してはいた愛猫家が社会で人物類型として認知されるようになり、それまでの古典文学にはなかった「猫をかわいがる未婚女性」という表象が登場した、というのだ。

 貝原さんは、そういった女性が教養のある知的な人物としても描かれることが多いことにも着目する。「愛情が夫や子ではなく、猫や勉学に向かっていると非難する文脈も多い。男性からの、家父長制に組み込まれない存在への恐れもあったのではないか」。今回のバンス発言は、そういった近世、近代の典型的な愛猫家へのステレオタイプを表すものといえるという。

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貝原伴寛さん

 一方で、貝原さんは近年のSNSの進歩で起こる転換にも注目する。「プライベートな空間でしかほぼ見ることができなかった飼い猫の行動が、SNSにより全世界に拡散されるようになり、犬と同じように人々の目に触れるようになった」

 フランスでは右翼政党・国民連合を実質的に率いるマリーヌ・ルペン氏が、飼い猫との写真を頻繁に投稿してソフトイメージを示そうとした。米大統領選でも、猫をモチーフにした生成AI画像でトランプ支持を訴える投稿が数々みられたという。

 「スウィフトさんを揶揄したマスク氏でさえも、建前上は『猫を守る』と言っていることは興味深いことだ。これまではぼんやりとあった猫=左・女性的、犬=保守・男性的、というイメージの構図が転換点を迎えているのかもしれない」

消えた「チベット」、フランス国立美術館に広がる反発 中国の影?(朝日新聞有料記事より)

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パリ中心部のギメ東洋美術館近くで抗議に集まる在仏のチベットの人たち=2024年9月29日

 フランスを代表する二つの国立美術館で展示品や展示室などの表記から「チベット」の地名が消えたことに波紋が広がっている。在仏のチベットの人たちは、チベット自治区でチベット族の同化を進めていると指摘される中国政府の意向に沿う動きだとして反発。仏国内の研究者からも美術館の対応に批判が出ている。

 「チベットは存在する。歴史を尊重しろ」。エッフェル塔が見渡せるパリ中心部の広場で9月29日、在仏のチベットの人々や支援者ら約100人が抗議に集まった。怒りの矛先が向けられたのは、近くに立つギメ東洋美術館。欧州最大級の東洋美術コレクションを誇り、日本でも名を知られるフランスの国立美術館だ。

 抗議のきっかけは、チベットや中国を研究するフランスの専門家27人が8月末に仏紙ルモンドに出した公開書簡で、ギメ東洋美術館とケ・ブランリ美術館がチベット関連の展示室や展示品などの表記から「チベット(TIBET)」の地名を消したと批判したことだった。

 公開書簡の呼びかけ人を務めたチベット研究者のカティア・ビュフトリユさん(76)によると、ギメ東洋美術館は「ネパール チベット」としていた展示室の名称を今年4月までに「ヒマラヤ世界」に変更。ケ・ブランリ美術館はチベットを指す中国語「西蔵」の発音にあたる「シーザン(XIZANG)」に修正していた。

 反発が広がったのは、二つの美術館の対応が、「同化政策だ」と指摘される中国の習近平政権の動きと重なるためだ。

中国の同化政策に沿う動きに研究者らが反発

 チベット自治区をめぐっては、子ども向けの寄宿学校や職業訓練を通じた漢族への同化政策が懸念されており、国連人権高等弁務官事務所(OHCHR)のトゥルク人権高等弁務官が今年3月、人権侵害の是正を勧告した。中国政府は昨年11月に公表した英語版の報告書で、チベット自治区の表記を従来の「チベット」から「シーザン」に変更している。

 ビュフトリユさんは美術館によるチベットの表記の変更について「展示品の起源が不明確になり、チベットの文化が来館者に伝わらなくなる。中国の政策に沿った措置で、到底受け入れられない」と憤る。

 二つの美術館は朝日新聞の取材に、いずれも中国政府からの圧力や干渉を否定。ギメ東洋美術館は「文化的な広がりに応じて展示を科学的に再考した結果だ」と強調した。ケ・ブランリ美術館も「政治的利益で施設の独立性が脅かされることはない」としている。

 しかし、ギメ東洋美術館をめぐっては、ルモンドが9月26日、関係者の話として、中国側の圧力があったと伝えた。一方、ケ・ブランリ美術館は10月7日に「シーザン」の表記を削除し、中国と併記して「チベット」の地名を復活。仏国内での批判を受けて対応をあらためた形だ。

 チベットの表記をめぐって、フランスでこれだけの論争が起こるのは、過去に中国の圧力が疑われる事例があるからだ。

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過去には「チンギス・ハーン」の削除求められたことも

 仏西部のナント歴史博物館は2017年に中国内モンゴル自治区フフホトの博物館の協力を得て、モンゴルの英雄チンギス・ハーンの展覧会を企画。ところが、開催を数カ月後に控えた20年夏、中国政府が美術品を貸し出す条件として展覧会から「チンギス・ハーン」や「モンゴル」「帝国」の文言を削除するように要求してきた。

 ベルトラン・ギエ館長(60)によると、中国側が修正を求めて送ってきた展示の説明書きでは、少数民族や外来の文化の重要性に触れず、中国の歴史を強調する内容だったという。

 結局、ナント歴史博物館は中国との協力を断念して開催を延期。モンゴルや欧州の博物館の協力で、昨年10月にようやく開催を実現した。ギエ館長は「我々の展示内容を統制しようとする中国の動きは強まっており、中国との協力はもはや容易でない」と指摘する。

 パリのアラブ世界研究所は、シルクロードをテーマにした展覧会を企画したが、中国側と展示内容をめぐって合意できず、開催予定から3年が過ぎた今も実現していない。

 中国側との交渉責任者を務めるクロード・モラール所長顧問は「政府公式の歴史がある中国とは文化交流であっても、地政学的な内容を含む企画で協力することは簡単ではない」と話す。
(パリ=宋光祐) 

「the Big Fix」(大いなる賭け)」

ロジャー・L・サイモンの「大いなる賭け」を、本人自らが脚色。
かつて反戦運動家で、今は
私立探偵という異色の主人公を、R・ドレイファスが演じる。自身も製作者に名を連ねるドレ
イファスが、これ以上にないハマり役で生き生きと好演、オフビートなユーモアを生み出す。
選挙運動をめぐる事件に、60年代の学生運動が複雑に絡み合う社会派サスペンス。
スタイリッシュな映像に、ビル・コンティの楽曲がマッチした秀作。


労働者はなぜ民主党を見捨てたのか、最も難しい第一歩 N.Y.Times(朝日新聞有料記事より)

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ニコラス・クリストフ

 先日、私は刑務所から出所した友人を訪ねることになっていた。だが彼は、再び薬物に手を出してしまったきょうだいを救うため、予定をキャンセルしなければならなかった。

 別の古い友人は誰かの車に乗せてもらう必要があった。彼の車がまた故障しているのがわかったのだが、次の給料が入るまで、修理に必要な2ドルのボルトを買う余裕がなかったのだ。

 米国の労働者階級が11月5日に民主党を拒否したのはなぜかと尋ねられると、私は、ここオレゴン州の農村部に暮らすこうした友人たちのことを考える。この地では、ほとんどがドナルド・トランプ氏を支持している。家賃の支払いに苦労し、1回に5ドル分のガソリンしか買わない私の隣人たちが民主党員についてしばしば感じていることは、彼らは自分たちとかけ離れたエリートであり、労働者階級に住まいを見つけることよりも、労働者階級の状況を言い表す代名詞を考え出すことに熱心な人たちだということだ。選挙後の検証では、カマラ・ハリス副大統領の選挙戦の分析が詳細に行われているが、民主党にとっての課題はそのいずれをもはるかに超えたところにある。

 数十年間、有権者は共和党よりも民主党に強く共感してきた。しかし、今年のいくつかの世論調査では、民主党より共和党を支持する人の方が多かった。2026年と28年に争われる上院の各議席を見据えると、民主党が多数を取り戻すチャンスがいつ訪れるのかを判断するのは容易ではない。

 故郷であるオレゴン州ヤムヒルで、私は民主党への幻滅を目の当たりにしている。ここは昔から、林業と農業、軽工業によって支えられてきたが、やがて、労働組合が組織された質の高い雇用がなくなり、覚醒剤が出現して、すべてが変わった。かつて私と同じ6番のスクールバスに乗っていた子どもたちの3分の1以上が、今では薬物やアルコール、自殺、それに無謀な事故で亡くなっている。

52年前の祖父母の世代よりも……

 米労働統計局の驚くべきデータがある。民間ブルーカラー労働者の平均収入は、インフレ調整をすると、現在よりも実は1972年の方が高かった。つまり、今日のブルーカラー労働者の平均収入は実質ドルベースで、52年前の祖父母の世代よりも少ないことになる。

 だから当然、人々は既得権益層に腹を立てる。今回の選挙では、大統領と距離を置こうとしない副大統領がその象徴となった。

 「労働者階級を見捨ててきた民主党が、労働者階級に見捨てられたとしても、それほど大きな驚きではない」とバーニー・サンダース上院議員は声明で述べた。「民主党指導部が現状を擁護するなか、米国民は怒り、変化を求めている。そして彼らは正しい」とも。

 たしかに私はリベラル派であるが、サンダース氏ほどではないだろう。ただ、労働者階級の米国人への政策は、民主党の方が共和党よりもはるかに優れていると思う。労働組合を支援し、最低賃金を引き上げ、ジョー・バイデン大統領の下で製造業の雇用創出と子どもの貧困削減の戦略を練り上げたのは民主党だった。

 トランプ氏は製造業について口ではうまいことを言っているが、トランプ政権下では(パンデミックが原因で)20万人近い工場の雇用が失われた。一方、バイデン氏はこれまでに製造業で70万人近い雇用増を実現させている。

 同様に、トランプ氏は選挙期間中、飲食店従業員にチップを非課税にすることを約束したが、2017年当時のトランプ政権は、企業が従業員のチップを懐に入れることを認める規則を提案した。

 リベラル派は自分たちの政策の方が優れていると宣言するだけでは十分ではない。民主党はますます、大学教育を受けたエリートたちの政党になっており、遠く離れたところで上からものを言ううるさ型という印象を残念ながら持たれがちだからだ。こうした状況は、高学歴の左派の一部に宗教を軽蔑する傾向があることでさらに悪化している。多くの有権者にとって宗教は、困難な時代における安心のよりどころなのである。

 ギャラップ社の調査によると、米国人の74%が神の存在を信じている一方で、25歳以上で学士号を持つ人は38%しかいない。このことを考慮すると、見下すような態度は致命的な戦略だ。

労働者の目に映る民主党の「お説教」

 見下すような態度が本当にあるのだろうかと疑問に思う人には、私が8月に、トランプ氏支持者を侮辱するべきではないと警告した際のメールを見ていただきたかった。実に多くのリベラル派が「それでも、トランプ支持者は侮辱されて当然だ」というような反応を示したのだ。

 私は、民主党が党勢を小さくしてでも、純度を重んじていることを心配している。左派の多くは、ウェストバージニア州選出のジョー・マンチン上院議員による定期的な妨害行為に激怒したが、今にして思うと、トランプ氏の地盤出身である上院議員が自分たちの仲間にいることに限りなく感謝すべきだった。

 民主党はしばしば所得を再分配する政策を掲げるが、多くの困窮する米国人が同時に求めているのは、尊厳の再分配と機会拡大の何らかのビジョンである。だが実際には、彼らはアイデンティティーと無神経な言葉遣いについてのお説教を受けたのだった。「ウォークネス」(社会正義意識に目覚めること)は、ささいなことのように思えるかもしれないが、本能的に人の感情を害し、暴走する党の象徴として受け取られた。

 高学歴の左派の多くは、言葉を巧みに使う世界に生きており、言語を微調整し、代名詞を提示しようとする動きを、包括的であろうとする取り組みとして受け止めていた。だがそれは、労働者階級の友人たちには、自分たちを排除し、総じて混乱をもたらすものとして映った。彼らは、ハリス氏が州刑務所の受刑者に性別適合手術の費用を支払うことに賛成している古い動画(おそらく誤解を招くようにつなぎ合わせたもの)を見て、目を白黒させた。彼らには自分の医療費を払う余裕もないのだから。ホームレスになった友人たちは「住まいのない人(unhoused)」と呼ばれたかったわけではなく、ただ住まいが欲しかっただけなのだ。

民主党を罰する用意はできていた

 移民問題について私には葛藤がある。私は難民の息子なので、トランプ氏による家族引き離し政策や、子どもの時に親に米国に連れてこられた「ドリーマー」と呼ばれる移民を蔑視する態度にはぞっとした。しかし、米国の庇護政策が機能不全となり、一般の米国市民が長年にわたって国境での取り締まり強化を訴えてきたのに、民主党がその訴えに耳を貸さずに手遅れになってしまったのも、また事実である。有権者に民主党を罰する用意ができていたのも当然だ。

 だからこそ今、トランプ氏が中南米系有権者のほぼ半数を獲得し、黒人とアジア系有権者の支持率を伸ばし、若い男性、そして若い女性の有権者の支持さえも増やした状況になっている。学士号を持たない人からのトランプ氏の得票率と、学士号を持つ有権者からのハリス氏の得票率はほぼ同じだったが、前者の方がその数ははるかに多い。

 民主党は、最低賃金、育児、労働組合、雇用、富裕層への増税、医療サービスの利用についての対話を続けられれば、労働者階級のあらゆる肌の色の有権者を獲得する競争を展開できる。しかし、その第一歩がいちばん難しいかもしれない。民主党はプライドを捨て、自分たちを拒絶して宿敵を選んだばかりの労働者階級の有権者に対して、もっと敬意を示さなければならないだろう。 

小選挙区制なのに多党化 改革モデルだった英国から見る日本の選択肢(朝日新聞有料記事より)

 政権交代のある二大政党制の国へ――。そんなかけ声で30年前に日本で政治改革が実施されたとき、モデルにされたのは英国だった。だが、実はそのあと英国では多党化が進んで二大政党制が分解したと、政治学者の近藤康史さんは指摘する。政治改革は誤算だったのか。そして、気づけば日本も多党化のもたらす課題に直面していないか。英国と日本の政党政治を見つめてきた近藤さんに聞く。

日本の現状も多党化?

 ――小選挙区制を採り入れて二大政党制を目指そう。そんなかけ声とともに政治改革が実施されてから30年。総選挙後の日本政治の現状はどうでしょう。

 「二大政党制というよりは多党制に近い状態なのではないかと思います」

 「小選挙区制は一応ありますが、野党同士が選挙区で一つにまとまる動きはありません。選挙後に協力する動きもなく、個々の野党が与党と個別交渉しようとする姿勢が目立ちます」

 「これらは二大政党制下における政党の動きというよりも、多党制のドイツや多党化した英国などでのそれと重なるものです」

分解進んだ英国の二大政党制

 ――多党化した英国と重なるとのお話ですが、1990年代に進んだ日本の政治改革は、英国を「二大政党制のモデル」と想定しての実践だったのでは?

 「そうです。日本の政治改革が目指したのは、政党間の競争があって有権者への説明責任が果たされる政治でした。安定した多数の政権が政策を実行するけれど、失敗したときは責任をとって政権交代する。それが一番典型的に成立しているとして英国の二大政党制がモデルにされたのです」

 「確かに、そのころまでの英国は長い間、労働党と保守党という2大政党が小選挙区制のもと交代で政権を担う国でした。しかし、まさにその90年代前後に英国では、多党化が加速したのです。二大政党制の分解と私は呼んでいます」

 ――どのような分解が見られるのですか。

 「労働党と保守党を合わせた得票率はかつては9割ほどに達していましたが、今年7月の総選挙ではついに6割を切っています」

 「まず、二大政党が単独で過半数を取れない状況が出現しました。2010年の総選挙では保守党と自由民主党の連立政権が生まれ、17年の総選挙では保守党が北アイルランドの地域政党に閣外協力をしてもらう形で政権を組んでいます」

 「また今年の総選挙では、多党化で票が割れて一政党が大勝する、少し前の『自民一強』に似た結果も生じています。結果として日本の政治改革が目指した理想の英国像は、近年はほぼすべての総選挙で実現していません」

 ――なぜ、小選挙区制の国なのに二大政党制が分解してしまったのですか。

 「民意の多様化が挙げられます。たとえば英国では今回の総選挙で、移民反対を掲げる改革党が躍進しました。日本維新の会のように特定地域で強さを見せるスコットランド国民党という地域政党もある。そうした党が少しずつ2大政党の勢力を削っているのです」

 「とはいえ、二大政党制化を促す小選挙区制の効果自体が消えてしまったわけではありません。その効果に限界が見えてきたというのが英国の現状でしょう」

政治改革は誤算だったのか

 ――二大政党制を目指す日本の改革は誤算だったという結論なのでしょうか。

 「そもそもどこまで二大政党制を目指していたのかも明確ではありません。小選挙区だけではなく比例代表制も付け加えた選挙制度だからです。二大政党制を主な目標にしつつも多党化を促す効果も組み込んだ、折衷的な改革でした」

 「それでも10年ごろには、二大政党制化を促す効果が強く表れた時期もありました。しかし一度それを経験したあとは、『そこまでして目指すべきものではないのでは』という折衷的な面の方が強く出ているのが実情です」

 ――二大政党制は実現しないのでしょうか。

 「まだ分かりません。今は分岐点なのだと私は思います。三つの方向性が見えているけれど、どの方向に進むかはまだ分からない。具体的には①二大政党制②多党制③両者の間を揺れ続ける、の3方向です」

 「いまは、第4党である国民民主党に期待が集まっています。『政権交代ではなく閣外協力や連立でも政治を変えられるのでは』という期待でしょう」

 「この方法がうまくいけば、『多党制でいい』と思う人が増えると思います。しかし、もし期待が満たされなかったら『やはり政権交代でないとダメか』という機運が高まらないとも限りません。二大政党制という選択肢が注目される可能性も、なくはないのです」

大きな方向性、確認しあう議論を

 ――多様な政策ニーズをより政治に反映させていくために今後、何を意識していけばいいでしょう。

 「政治改革の教訓は『選挙制度を変えれば競争的な二大政党制が育つだろう』との想定は楽観的すぎた、ということでしょう。政策立案能力のある野党を育てるためにどういう制度を作るか、といった宿題に取り組む作業を地道に進めていくべきだと思います」

 「一つ一つの政策が実現されるかどうかを見ては『実現のために必要なのは政権交代なのか、連立政権や閣外協力でも出来るのか』という新しい問いについて有権者同士で考え、『二大政党制がいいのか多党制がいいのか』という方向性を互いに確認しあう。そういう作業を丁寧に積み重ねていくべきでしょう」



 「二大政党制と

泰昌餅家九龍分店全線結業 

「泰昌」、近年クローズするペースが早まったと思いきや紅磡店も。
とうとう残り6店舗になってしまいました。
こうなると中環店に足を運ぶしかないかと。
香港01で伝えています。

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70年の歴史を持つ香港の由緒あるブランドで、現在は稲香集団の傘下にある泰昌餅家は、紅磡店に期限切れのため日曜日(17日)に閉店した旨の張り紙を掲示した。
リース契約を解除し、顧客に青衣支店に行くよう指示しました。
かつてパッテン元香港総督も愛して「世界一おいしいエッグタルト」と称賛された泰昌餅家は、最盛期には香港に28店舗もあったそうですが、現在は6店舗のみとなっています。香港島と新界の支店にはありますが、シンガポールではまだ 12 店舗が営業しています。
泰昌餅家 の公式ウェブサイトによると、「泰昌餅家」は 1954 年にオープンしました。最初の店舗は中環のパイファ街のソーホー地区にあり、有名な食べ物にはクッキー生地のエッグタルト、エッグタルト、菠蘿包などがあります。中でも焼きエッグタルトは香港で大人気で、クリス・パッテン知事も「世界一美味しいエッグタルト」と絶賛したほど。

2007 年に、泰昌餅家は稲香グループに買収され、その 2 年後には株式の 80% を取得し、現在は稲香グループが最大株主となっています。
政府観光局もウェブサイトでこのブランドを宣伝し、香港の旅行ガイドやネットで長年香港で必ず食べるべき食べ物として推奨されており、世界中でよく知られていると説明しています。

データによると、泰昌餅家は最盛期には香港、九龍、新界に28の支店を持っていたが、その数は年々減少している。最近、一部のネットユーザーは、紅磡支店に貼られた通知を発見し、賃貸契約満了により同支店の最終営業日は11月17日になると述べ、顧客は引き続き青衣店を利用可能と書かれている。これは、九龍地区のすべての支店が閉店したことを意味します。

泰昌餅家 の香港でのビジネスは年々縮小しており、ウェブサイトの情報によると、香港島と新界には 6 店舗しか残っていないそうです。しかし、香港よりもシンガポールに多くの支店を持っていて合計12店舗、これは香港の2倍です。

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描けない、占領下の未来と終戦 ウクライナ侵攻1000日 国境ルポ(朝日新聞有料記事より)

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ウクライナ南部へルソン州から逃れてきたオクサナ・コスチンさんと娘=2024年11月18日

 2022年2月24日。ロシアによるウクライナへの全面侵攻が始まった。「戦争はすぐ終わる」。そう信じてやまなかった。

 2024年11月18日。侵攻は続き、999日目。オクサナ・コスチン(33)は左手で7歳の娘の手を、右手でスーツケースをひき、ロシアの同盟国、ベラルーシとの国境沿いにあるウクライナ北西部ドマノベに着いた。

 ウクライナの国旗が、「ヨーロッパ」と名のつく商店が、笑顔で歓迎する支援員らが目に入る。

 黒海に面したウクライナ南部ヘルソン州の港町から、8日間の旅路。同じ国なのに、ロシアとベラルーシを経由しなければならなかった。

 「いまどういう感情か、自分でもわからない」と言った。紅茶の入った紙コップを包む両手が震えている。つかの間の安心は、戦争が続いているという圧倒的な現実にかき消される。

 侵攻後にロシア軍が制圧した州都ヘルソン出身の教師。戦争が始まると、「少しでも安全な所に」と60キロ南の港町に移った。ヘルソンは22年11月に解放されたが、港町はロシア軍に占領されたままだった。

 「きっとそろそろ」。そう信じ続けるのも、もう限界。「人生には限りがある」。戦争でそれを学んだ。「明日死ぬかもしれない。もう、時間を無駄にはできない」

 ただ、ロシア側とウクライナの直接の行き来はいまはできない。ウクライナの統治が及ぶ地域に入るには、円を描くように移動し、ドマノベの「人道回廊」を通るしかない。いま、ここはロシア側から母国に戻る、唯一の回廊になっている。

 国境警備隊や支援団体によると、毎日50人前後がここを抜ける。徒歩でしか渡れない。

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ベラルーシとの国境沿いにある検問所付近=2024年11月18日

 オクサナは、ロシアの占領下での未来をどうしても描けなかった。「ロシアを好きになれる理由なんて、ありますか」。故郷であるヘルソンに戻る道を選んだ。

 「私の夢は戦争が終わり、人々が平和に暮らすこと」。領土の一部を諦めても仕方がないと考えている。最新の世論調査でも、そう考える人は32%に上る。「命あっての領土ではないですか」

 ヘルソンで少しでも、元の生活を取り戻す作業を始める。元通りになることはないと、わかってはいるけれど。

 ドマノベに来るウクライナ市民の事情は、それぞれ異なる。ただ話を聞いた誰もが「もう終戦を待てない」と言った。

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クリミア半島での暮らしについて語るポリーナさん=2024年11月18日

 14年にロシアに一方的に併合されたクリミア半島出身のポリーナ(18)もそうだった。「名字は言えない」。両親がクリミアに残る。自分の発言で危険な目に遭わせたくない。

 グラフィックデザイナーになりたい。でも、制裁を受けるロシアの占領下ではできないこと、行けない場所が多すぎる。

 ロシア側の検問で、ロシアを支持するかを聞かれた。「戦争には関与したくありません」とかわすと、「はいか、いいえかで答えろ」。心を殺し、「はい」と言った。

 愛国教育も、ロシア国歌も、ウソだらけの選挙も、もうたくさん。「ロシア側にいることは、おりの中にいること」

 もう、クリミアには戻らない。覚悟を決めたはずなのに、仲の良かった母親を思うと、涙があふれる。

 この999日は、あまりに長かった。「1日だって、とても長い」。戦争の終わりはいまや、想像すらできない。

 首都キーウに行く。ウクライナ人としての身分証明書を手に入れる。そしてふつうの18歳のように、自由に生きたい。

 18日夕、避難者を乗せたバスは1時間ほど、南へ南へと、片側1車線のハイウェーを走る。

 窓の外には、ウクライナ軍が築く防衛線や塹壕が見える。いくらウクライナの中では比較的安全とはいえ、ベラルーシ側から攻められないという保証は、どこにもない。

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ボランティアとして、国境からの送迎を担当しているセルヒーさん=2024年11月18日

 運転するのは、ボランティアのセルヒー(48)。この2年8カ月強の間、休んだことはない。

 「もう、きょうでやめよう」。避難所や駅に送り届けた後、毎日言い聞かす。でも、翌日にはまた、「心が反応する」。だから、車を走らせる。

 「クリミアを含めて、領土が全部戻ってきてほしい。ロシアにすべて補償してほしい。責任を取ってほしい」

 その日が来るのか、自分にはわからない。誰にわかるというのだろう。

 ドマノベから南に70キロのコーベリ。一時避難所となっている町の教会は、1日10人ほどが利用する。入り口からすぐの場所には、それぞれの人生を詰めたバッグが積みあがっている。

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ウクライナ北西部コーベリの教会は、ロシアの占領地から逃れてきた人たちの避難所として利用されている=2024年11月18日

 バレンティーナ(57)はロシア軍が占領する東部ドネツク州、マリウポリ近郊からたどり着いた。2年半ぶりに、キーウにいる息子と孫に会いにいく。

 侵攻開始前は、やりがいのある仕事があった。楽しい計画があった。明るい未来があった。「幸せになるために必要なものが、すべてあった」

 いまは、違う。「ロシアについてどう思うか」。そんな質問に、思うまま答える自由すらない。息子と話すのに、「余計な」ことを言わないよう気を使う。

 幸せは自分の手でつかむから、せめて、以前の生活に戻れないだろうか。そうなれば、それだけで「勝利」と呼びたい。

 長い夜が明けて、11月19日。全面侵攻が始まって1千日目を迎えた。平和の足音は聞こえない。それぞれの徒労感が積みあがっていく。
(ウクライナ北西部ドマノベ=藤原学思)

今朝の東京新聞から。

PB212614

民主派に実刑 香港自治 否定する暴挙(朝日新聞・社説より)

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立法会選挙に向けた民主派の予備選の投票所となった飲食店の前に並ぶ市民ら=2020年7月11日、香港

 政府を批判する勢力が議会で多数をとるべく活動するのは、民主政治の常識だ。それが違法とされ実刑まで科されるという不条理な判決がきのう、香港で言い渡された。

 香港の高等法院(高裁)が民主派の45人に4年2カ月以上の禁錮刑を言い渡した。中心的な立場の法学者、戴耀廷さんは禁錮10年だった。

 彼らは2020年に予定された立法会(議会)選挙に向けて候補者を絞り込む予備選を実施。過半数の議席を獲得し、行政長官に辞任を迫るのが目的だった。だが、政府をまひさせる計画として香港国家安全維持法(国安法)の国家政権転覆罪で起訴され、判決はそれを追認した。

 自由で民主的であるべき政治活動を否定するゆゆしき判決であり、香港は香港市民の自治に委ねるという大原則にも背いている。

 問題は、2019年に香港で大規模な反政府デモが続いて危機感を抱いた習近平政権が、香港の頭越しに全国人民代表大会で国安法を制定、治安強化を図ったことにさかのぼる。今回の判決は、同法を政治活動に広く適用した結果だが、乱用というほかない。

 立法会選挙はその後、当局が「愛国者」と認めなければ立候補できない制度に変えられた。政府に批判的な民主派は完全に排除された。

 中国本土にも人民代表と呼ばれる議員はいる。だが、選挙は共産党が差配し、市民が自由に立候補することは事実上できない。香港にもそのやり方が押しつけられた。

 しかも国安法関連の裁判は行政府が指名する裁判官が行う。長く守られてきた司法の独立までが損なわれている。

 国安法の制定で香港市民の自由は奪われた。中国政府や香港政府を批判するメディアは沈黙させられている。廃刊に追い込まれた新聞「リンゴ日報」の創業者、黎智英さんも、同法違反の罪に問われて裁判が続く。

 世界を見渡せば、民主政を装う権威主義体制が幅を利かせている。制度としての選挙は存在しても、野党系の立候補を妨害したり、投開票で不正操作をしたりして、民意の支持を得たかのような体裁を繕う手段へと堕している。

 その実例が新たに一つ加わることになるのだろうか。もともと香港返還時に定めた基本法では、行政長官も立法会の議員も、普通選挙により選ばれるよう制度化を進めると約束していたはずだ。

 香港市民はいま、口を閉ざし、耐え忍んでいる。その苦境に関心を寄せ、香港の外からも香港の自治のために声を上げていきたい。

倉田徹(立教大学) 「香港の外からも香港の自治のために声を上げていきたい」との社説の主張には意味があると思います。香港の中で声を上げることができないのはここに書かれているとおりですが、香港は国際都市で、世界と人の流れが繋がっているだけでなく、今でも中国大陸と異なりインターネットの規制も緩やかです。各種のSNSや、朝日新聞を含む海外大メディアのサイトは香港ではブロックされません。  香港の人々は声を出していなくても、耳を傾けています。そのことを想像して私たちは発言すべきだと考えています。

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