
米コロンビア大学のマーク・マゾワー教授=2024年9月
記者解説 国際報道部次長・青山直篤
米大統領選でトランプ前大統領がハリス副大統領に完勝した。第1次トランプ政権は混乱が常態化し、前回の大統領選では敗北を認めず連邦議会襲撃事件を誘発した。米国民はそうしたことがあっても、あえてトランプ氏を選んだ。第2次政権は第1次と比べても強権的な性格を帯びるだろう。
「トランプ復権」は民主主義の退潮を示すのか。むしろ、その本来の姿がむき出しになったと見ることができるのかもしれない。
そもそも民主主義は、危うさやもろさをはらむものだ。その自覚と反省がなければ、社会は劣化していく。「復権」への驚きは、私たちが抱きがちな民主主義への過信やおごりの裏返しだ。
冷戦が終わりソ連が崩壊した時、世界は民主主義の「勝利」に酔った。その甘さに鋭い警鐘を鳴らしていたのが、欧州史の大家マーク・マゾワー氏(コロンビア大学教授)である。朝日地球会議の取材で9月に訪ねると、思考をめぐらせながらこう語った。
「冷戦が終わり過度の幸福感(ユーフォリア)が広がった。だが、民主主義は比較的最近の現象であり、永遠に続くなどと考える特段の理由はない。そのことを人々に思いだしてほしかった」
マゾワー氏が現代の民主主義の起点とみるのが、欧州で四つの帝国が崩壊した第1次世界大戦だ。
19世紀末から大英帝国の覇権の下、著しいグローバル化(貿易・投資の自由化)が進んだ。そのユーフォリアは第1次大戦で破綻(はたん)する。貧困や格差など経済問題が噴き出し、大恐慌で社会を不安が覆った。状況を克服する思想として民主主義とファシズム、共産主義が打ち立てられ、その三つどもえの争いが20世紀を規定した。
第1次大戦の戦後処理は失敗し、第2次大戦が勃発した。ファシズムに突き動かされたナチスドイツの第三帝国は瓦解する。その大きな要因はソ連の軍事力だった。20世紀末、共産主義を奉じたソ連も内部崩壊した。民主主義が勝ったように見えたのは結果論に過ぎない。
第1次と第2次の戦間期が残した教訓は「野放しの資本主義が機能しないこと」だったとマゾワー氏は指摘する。
民主主義を掲げた米国では、資本主義の機能不全に対処するため、ルーズベルト大統領が公共事業による雇用創出などのニューディール政策を進めた。
第2次大戦は、資本主義を国家の力で管理・動員することにつながった。「戦後も教訓はエリートに共有された。各国が経済計画によって資本主義を飼いならし、国際的に調和させようとした」
そのエリートの代表格が、ルーズベルト政権の国務長官だったコーデル・ハルだ。強硬な対日交渉で知られるハルは、戦後、国連創設に尽力する。「われわれは指導と協力の責任を持っており、……これを避けようと思っても避けることは出来ない」と論じた(「ハル回顧録」)。
しかし、こうした態度は米国民の広い民意に支えられたものではなかった、とマゾワー氏はみる。
筆者が想起したのが、トランプ氏が1987年、米紙ニューヨーク・タイムズに載せた意見広告だ。「米国は、自衛できる裕福な国を守るために金を払うのをやめるべきだ」「何十年も、日本などの国々は米国につけ込んできた。こうした国々の利益を守るため、我々が失っている人命と巨額の金の代償を、なぜ支払おうとしないのか」
トランプ氏は期せずして、エリートの信念頼みの国際秩序が長続きしないことを訴えていたのかもしれない。
数年後、冷戦が終わる。マゾワー氏は「1990年代にはゲームのルールを決めるのは西側世界だというおごりが広がった」と振り返る。民主主義のもろさが深く省みられることはなかった。
2001年の米同時多発テロ後、米国は民主主義の事業と位置づけた対テロ戦争に突き進む。
米国が中東への介入で国力をすり減らすなか、権威主義的な一党支配と資本主義を融合させた中国が勃興する。
資本主義の暴走がもたらした08年のリーマン・ショックはエリート層の強欲さと腐敗をさらけ出し、反発と冷笑主義を招いた。こうした動きが「トランプ大統領」を生み出す流れとなっていく。
「敗者」に傷痕残した冷戦
冷戦は「勝者」を内側からむしばむ一方、「敗者」に傷痕を残した。「帝国の崩壊は困難をもたらす。ソ連の崩壊も、人々の屈辱感を利用するプーチン大統領の台頭を許した」とマゾワー氏は話す。
プーチン氏は22年、ウクライナを侵略した。マゾワー氏は「絶対に正当化できない」と批判しつつ、ソ連崩壊時に西側も、将来何が起こりうるかについて十分な思慮を欠いていたと指摘した。
マゾワー氏の祖父は帝政ロシアから英国に亡命したユダヤ人革命家で、欧州近代史と重なり合う家族史を背負ってきた。いま教える米国では、欧州や日本などと違い、20世紀の凄惨な大戦の痛みが国民の記憶として定着していない。「他国が経験したような形で国土が爆撃を受けることも、外国の占領を受けることもなかった」
焼け跡の原体験を欠く米国が、世界の平和を守るためのコストを引き受ける戦後の構図がこれほど長く続いたことこそ、むしろ驚くべきことなのかもしれない。
マゾワー氏は「私たちには米国に頼れない世界を避けたい心情がある」としつつ、英仏独や日本といった「かつての帝国主義国家」にはそれぞれの歴史的な歩みについて内省を深め、国際システムを安定させるように働く重要な役割がある、と強調した。
転換期の世界で探る日本の針路
国際政治では理想的な平和主義やユーフォリアが広がる時期がある。しかし、そんなユートピアニズムが「特権階級の利益の隠れ蓑」に陥ると、その仮面をはぐ存在として「リアリスト」が台頭する。そう論じたのは、第1次と第2次の戦間期の研究で知られる歴史家のE・H・カーだ。
力と取引(ディール)を信奉するトランプ氏。世界は当面、むき出しのリアリズムが優先される状況になるだろう。ただ、カーはユートピアがリアリズムで粉砕された後に「新しいユートピアを築く必要がある」とも述べている(「危機の二十年」)。トランプ氏にその構想はうかがわれない。
東京女子大学長の森本あんり氏は、米国の大義だった「色々な主義主張を載せられる器としてのリベラリズム」が米国社会で侵食されつつあると指摘する。「『米国を再びグレート(偉大)にする』というのは国内の論理だ。外から見ると米国はスモールになる」
米国主導の戦後秩序に組み込まれてきた日本の針路も問われる。
原爆投下など圧倒的な力の前に降伏し、米国の保護下で経済を再建した。今もなお、民主主義を真に自得したと言い切るのは難しいだろう。「帝国の崩壊」の困難を日本もまた引きずっている。
日米安保体制は、米兵が日本を守る代わりに基地使用権を認めるという「人(米軍)と物(基地)の交換」を基本としてきた。東京国際大学名誉教授の原彬久氏は、この交換が「対等」だとする日本側の論理を米側は認めておらず、それが日米の支配・従属関係の根幹にあるという。
トランプ氏は、この日米関係の本質を突いてきたとも言える。冷戦終結の節目でも、日米の非対称な関係への問題意識は高まらなかった。世界が転機を迎えるなか、原氏は「日本が自立の立脚点を考え直す必要がある」と訴える。