香港郊野遊行・續集

香港のハイキングコース、街歩きのメモです。

2024年12月

「原因不明の肺炎」から5年、武漢はいま なお続く社会の後遺症とは(朝日新聞有料記事より)

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5年前にコロナの集団感染が確認された華南海鮮卸売市場。フェンスに移転の案内が貼られていて、人通りはまばら

 中国・武漢市で原因不明の肺炎患者の存在が公表されて31日で5年になる。1100万人都市の封鎖の「成功」は約3年にわたる強硬なコロナ対策を方向づけたが、収束期には抗議活動がたびたび起こり、不満の発火点ともなった。日常を取り戻したようにみえる今も、人々の心に影を落としている。

 街中にクリスマスソングが流れていた12月下旬。武漢の玄関口・漢口駅前では人々がせわしく行き交っていた。マスクをしている人はまばらだ。コロナ禍に駅への出入りが厳しく制限されていた頃の面影はほとんどない。

今も拭えない不信感

 ただ、コロナ禍前の生活に戻ったわけではないとタクシー運転手の男性(61)はいう。「命やお金が軽く感じられる。疫病が広まったら何の役にも立たないとみんな知ったんだ」。コロナで運転手仲間を何人も亡くした。忘年会の参加者もいた。一命は取り留めても、今なお後遺症に悩む人も多いという。

 駅に近い華南海鮮卸売市場はフェンスに移転の案内が貼られ、今はひっそりとしている。この場所で5年前、世界で初めてコロナの集団感染が確認された。

 2019年12月下旬から、市内の病院には発熱を訴える市民が詰めかけていた。だが当局は「ヒトからヒトへの感染は確認されていない」と繰り返し、翌20年1月になっても、多くの市民は通常の生活を送っていた。

 男性も1月25日の春節(旧正月)を前に、運転手仲間たちと忘年会を楽しんだ。その直後の23日、突然、鉄道駅や空港が閉鎖され、事実上のロックダウン(都市封鎖)が始まった。

 男性はホテルに寝泊まりし、「ボランティアで医者や看護師を病院に運んだ」。防護服を着て後部座席との間は薄い仕切りだけ。危険と隣り合わせだった。「割り振りもある。でも、1日600元(約1万2600円)だけ。1千元だって嫌な仕事なのだから、ボランティアみたいなものだ」と語る。

 「武漢はコロナとの闘いに勝利するための決定的な場所である」。武漢の警察博物館では今、習近平国家主席の言葉とともに、医療関係者の記録やボランティアの活躍ぶりなど、封鎖から76日間で感染者を封じ込めるまでの軌跡を展示している。

 だが、武漢の「成功体験」は、その後の習指導部のコロナ対策を縛った。延々と繰り返された封鎖や隔離で経済は冷え込み、武漢では22年11月に抗議活動が起きた。翌月に政府がゼロコロナ政策の大幅緩和を決めると、今度は感染爆発が起きた。

 23年2月には医療保険の改革に反対する高齢者らが武漢の公園に繰り出した。PCR検査や隔離にお金をつぎこんで財政が悪化したことが、医療補助の減額につながったとの受け止めが広がった。

 コロナ禍の「後遺症」は経済にも及ぶ。市民からは不景気を嘆く声が聞かれた。2年前に市民が抗議に繰り出した市場。「ネットニュースを信じないように」というアナウンスや目を光らせていた警察官の姿はなくなり、平穏を取り戻しているように見える。

 「あの時は服飾店の人たちが商売にならないと詰めかけたんだ」。近くの足裏マッサージ店の店員(35)はいう。「多くの店が市場を離れ、お客さんも減った。景気は悪いままだ」

 武漢市統計局などによると、今年9月までの3四半期の国内総生産(GDP)の成長率は5.1%で、コロナ前の19年の7.4%、昨年の5.7%よりも低い状態が続いている。

 政府は今、コロナ禍に世界にその名を知られた武漢を「世界最大の自動運転都市」として売り出そうと大量の自動運転タクシーを導入している。男性は「政府の補助金が出ているから安いんだ。でも、危なくて誰も乗らないよ」と吐き捨てる。

情報のない閉塞感、経済も変調

 最初に新型コロナの集団感染が確認された国だった中国の共産党指導部は、3年間の対応を「決定的な勝利」と総括する。「死亡率が世界最低水準を維持」したことなどが理由だ。

 ただ、中国の市民の体感は「勝利」とは遠い。「ヒトからヒトへの感染」に始まり、ロックダウン(都市封鎖)などのゼロコロナ政策の強化、そしてその突然の解除にいたるまで、節目で肝心な情報が十分には知らされないまま、大きな変化に振り回されることの繰り返しだった。

 2022年末にゼロコロナ政策が解除された途端、中国全土は爆発的な感染の広がりに見舞われた。葬儀場は火葬を待つ人であふれた。その正確な死者数すらも、明らかにはなっていない。

 必要なときに必要な情報がない。一方、言いたいことは言えない。無言の抗議として注目を浴びた2022年秋の「白紙運動」に参加した人たちはその後、当局から厳しい追及を受けた。

 閉塞感が市民に重くのしかかる中、国外へ移民することを指す「潤(英語のrunと発音が似ていることから)」という流行語も生まれた。

 コロナ禍は、長く続いた高度成長が終わりにさしかかり、不動産市場の過熱が調整される局面とも重なった。厳しい行動制限によって、人々の暮らしのありようが変わった影響は今も響いている。

 コロナ後の「リベンジ消費」は空振りに終わった。現在まで続く減速の中でも、消費の冷え込みはとりわけ目立つ。社会の急変を経験した人々が、生活防衛のために貯蓄をさらに重視するようになったことにも原因があると指摘される。

 学習塾やIT業界などへの規制を強めた政権の施策もあり、若年層の失業率は今年11月も16%で高止まりする。

 今年になって目立って増えているのは無差別に人を殺傷することを狙ったとみられる事件だ。経済的な理由が多いとされるが、9月に深圳で日本人学校の男児が殺害された事件を含め、容疑者らの動機や背景は詳細には明かされない。コロナ禍で際立った情報の不透明さと閉塞感は、今も中国社会を覆っている。 

北朝鮮兵、共同訓練経ず戦闘投入 「相当な無理」防研・兵頭氏の分析(朝日新聞有料記事より)

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 ウクライナへの侵攻を続けるロシアに派遣された北朝鮮兵の戦死情報が相次いでいます。現場ではいま何が起きているのか、今後の安全保障環境に与える影響はどんなことが考えられるか。防衛省防衛研究所の兵頭慎治・研究幹事(ロシア地域研究)に聞きました。

 ――今回北朝鮮はどんな狙いでロシアに兵士を派遣したのでしょうか。

 まず実利的な要因があります。食料、エネルギー、そして兵士の給与としての外貨、さらには軍事技術。こうしたものが対価として北朝鮮が直接得られる見返りです。それに加えて戦略的なメリットも大きいです。ロシアが軍事的な後ろ盾であることを政治的に米国、場合によっては韓国などに認識させる。朝鮮半島有事の場合にはロシア軍が出てくるかもしれないと思わせる、という狙いです。

 ――北朝鮮兵は今どこでどんな活動をしているのでしょうか。

 ウクライナ領内でも北朝鮮兵が目撃されていて一部技術要員が入っていると言われますが、いわゆる戦闘活動をしているのはロシア領内でウクライナ側が軍事制圧しているクルスク州に限られているとみられます。ゼレンスキー大統領の「3千人」という発言が正しければ、死傷者数は大幅に増えてきています。これはやはり戦闘地域の前線に、より北朝鮮兵を前面に出して戦闘活動に当たらせているということだと思います。

ロシアがクルスク州奪還を急ぐ理由

 ――12月に入って前線での活動が本格化したのですか。

 報道ベースの犠牲者数を見る限りはそうです。おそらくこれまでは北朝鮮兵の練度を確認したり、あるいは前線に近い場所で少し共同行動を取ったりしながら連携を図っていたとみられます。北朝鮮兵が実際に派兵されたというニュースが出てから時間が経っていますから、ロシアも政治的な配慮もしながら慎重な形で投入していたのだと思います。

 12月4日にはロシアと北朝鮮の包括的戦略パートナーシップ条約が発効されました。これに基づいた派遣だとは両国とも表向きは言っていませんが、これも一つのタイミングとなって本格的な戦闘への投入が始まり、それによって被害の規模も拡大しているのだと思います。

 ――ロシアも北朝鮮に配慮していたのですか。

 それはそうです。やはり金正恩総書記の顔も立てないといけないですし、兵士が生きて本国に戻ることで戦闘経験のフィードバックになるわけですから。

 ただ、ロシアはクルスク州の奪還は急いでいるんです。というのも、米国のトランプ次期大統領の和平案は今の戦線を凍結する、というものになる可能性が高いからです。ロシア領内のクルスク州をウクライナに取られている状況では、プーチン大統領は停戦交渉に応じられないですから。それでロシアも背に腹は代えられないので、早期奪還に向けて前線に北朝鮮兵を押し出している状況だと思います。

 ――死者数が増えているのは、北朝鮮兵の技術的な問題も影響していますか。

 まず今回の派兵は、身分証明書を偽造するなどロシア兵だと偽っているのが特徴です。ロシア軍人として入るならば一元的な指揮の下で戦うわけですが、実態としては全くの外国部隊です。北朝鮮とロシアはこれまで軍事訓練は一度も一緒にやったことがないですから、実際の戦場で初めて一緒に共同行動をとるというのは、どう考えても無理な話です。

 北朝鮮兵の一部には「暴風軍団」という特殊部隊がまざっているとも言われますが、国防に穴を開けてまで派遣することはないでしょうから、全てであるはずはありません。それに今回の戦争はやはりドローンなどの現代戦の要素が入ったある意味「最前線の戦争」ですから、全くそういうところへの対応が取られていないことも、死者数の増加に影響を与えていると思います。

いきなり実際の戦争 今回の連携は異例 

 ――言葉の壁の問題も指摘されていますが、過去の多国籍軍や連合軍では問題にならなかったのでしょうか。

 そういったケースはいわゆる別々の国の部隊として入っているので形式が違います。それにある程度共同訓練の経験があったり、連携のベースがあったりする国同士がほとんどです。今回の北朝鮮とロシアはそういったものが全くなくていきなり実際の戦争ですから、かなり異例のケースと言えます。ロシア側の犠牲をいとわない戦い方と、北朝鮮が考える戦い方とでは隔たりが大きいと思うので、そこにも相当な無理がある気がします。

 ――日本を取り巻く安全保障環境への影響はどう考えますか。

 まずこのウクライナ戦争が、事実上、北朝鮮が参戦することで東アジアの安全保障問題にもリンクしたということです。戦争が長期化すればするほど、ロシアの北朝鮮への軍事依存は高まっていく。そうすると、経済的にも軍事的にも政治的にも、北朝鮮がロシアから得る見返りが多くなっていきます。正恩氏からすると、ロシアの有事に派兵したんだから、逆に朝鮮半島有事の時はロシア軍が来るだろうと当然考えます。

 これまで朝鮮半島の問題は正恩氏だけを見ていれば良かったのが、その背後にロシアがいて、軍事的な結びつきがどうなっていくかをちゃんと見据えておかないといけなくなりました。東アジアの安全保障問題が複雑化するという観点においても、やはりこのウクライナ戦争を早く終わらせないといけません。 

七代目尾上菊五郎、初芝居は「めでたく明るく」 八代目誕生への思い(朝日新聞有料記事より)

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 国立劇場主催の初春歌舞伎公演は、恒例の尾上菊五郎劇団が中心の舞台。「彦山権現誓助剣(ひこさんごんげんちかいのすけだち)」を14年ぶりに通して上演する。

 「誠におめでたい、明るいお芝居。大勢のお客さまに見物して頂きたい」と、尾上菊五郎。

 殺された師匠の敵討ちを助ける剣の達人・六助と、その師匠の娘・お園が出会う場面「毛谷村」が度々上演されている、この作品。六助とお園、両方の役を演じた経験を持つ。

 「本当は、六助は田舎剣士じゃなくちゃいけないんだよね。でも私がやると、どうしても、ちょっと江戸前になっちゃうんです」と笑う。

 今回は、真柴久吉として芝居の大詰に登場。「捌(さば)き役(思慮分別に富む役柄)として、気持ち良くお芝居を終わらせたい。面白くしようと、相談して作っています」

 2025年は、長男・尾上菊之助の八代目菊五郎、孫の尾上丑之助の六代目菊之助襲名を、5、6月の歌舞伎座で披露する。

インタビューの後半では、30代前半で七代目菊五郎を襲名した当時の思い出、そして若手俳優に期待することなどをうかがっています。

 名を継がせると決めたのは、2年前に脊椎(せきつい)を痛めたことが大きいという。

 「やっぱり年中、『菊五郎』という名前が舞台で活躍していてほしいわけです。それが出来ないのが悔しいから、早く息子に継がせて……と」

 自身は30代前半で七代目菊五郎を襲名した。

 名前を継ぐに当たっては、新橋の料亭に、松竹の幹部や六代目中村歌右衛門をはじめ当時の大看板を招き、父の七代目尾上梅幸がお伺いをたてる「儀式」があったという。

 「父親が『この度、せがれに菊五郎を継がせようと存じますが、いかがでございましょう』と。そうしたら、皆さんが拍手をして下さって」

 梅幸に呼ばれ、ようやく、黒紋付き姿で控えの部屋から出て「どうぞ、よろしくお願いします」とあいさつしたという。「現役ばりばりの先輩方が『やりたいように、やりなさい』と言って下さって、心強かったですよ。それほど、襲名とは重いものだった。時代は随分、変わりました」

 以来、50年以上にわたり親しんだ名前。それだけに「他の名前を考えるのは嫌だなと思って」と、今後も七代目として菊五郎を名乗り続ける。心境の変化は「何もないんですけれどね」と笑う。

 「跡が出来てくれるということは頼もしい」と喜びつつ、八代目には更なる飛躍を期待する。「今、色々な役をやらせて頂いていますよね。それは当人の喜びです。今度は、それでお客様を喜ばせなくちゃいけない。そう思っています」

 「それは歌舞伎界全体に言えることでね。100%一生懸命演じて、今度は100%の目で自分の演技を見るようにならないと。そうしないと、一方通行の演技になっちゃうんですよ」

「ミニチュア」は「面白くない」

 昨年から今年にかけ、菊五郎劇団で長年共演してきた市川左團次と市川團蔵を相次ぎ失った。

 「『髪結新三』をやろうと思っても、大家さんを、弥太五郎源七を一体誰がやるんだろうとなっちゃう。やっぱり、世話物はチームでやっているわけでしょ。そのチームの人間が、ポロポロッと欠けちゃうと、何か、がっくりしちゃってね」と打ち明ける。

 25年には、久しぶりに「仮名手本忠臣蔵」など三大名作の通し上演も予定されている。

 「特に『忠臣蔵』は色々な要素が入っていますからね。これを通しで、同じ年代の役者が演じるというのは、良いんじゃないかなあ。お客様も、それを望んでいると思います」と語る。

 通し上演では、若手の活躍を楽しみにしているという。

 「今の若い子はコミックから(作品の題材を)採ったりとか、色々なことを考えてやっている。それは今の時代を反映していいことだけれど、やっぱり三大名作は大事にしてほしい」

 若い俳優を教える時は「指導」し過ぎないようにしているという。

 「見て気がついた所だけ、ちょっと口出しするぐらいで。ミニチュアになっちゃうと、見ていて面白くないんですよ。やっぱり、その人の感性で演じるものだから。努力を切っちゃうようなことは、したくないんです」 

香港電台「獅子山下2024」

「On Any Sunday」(1971年)

公開時はマックイーンの「栄光のルマン」にあやかった日本題名を付けられたけれど、今だったらそのままカタカナで「オン・エニィ・サンディ」でしょうか。

 


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きっかけは1通のメール 被団協への「感謝」、機内アナウンスに乗せ(朝日新聞)

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被団協代表委員の箕牧智之さん(中央)と機内で記念撮影した渡辺慶子さん(左)=スカンジナビア航空提供

 日本時間の13日朝、北欧から羽田空港に到着したスカンジナビア航空(SAS)の機内に日本語のアナウンスが響いた。

 「これまで生涯をかけて行ってきた、そして、これからも続けていくであろう貴重な活動に対し、深く感謝すると同時に、核兵器も戦争もない平和な世界が1日も早く訪れますよう、心よりお祈り申し上げます」

 ノルウェー・オスロで開かれたノーベル平和賞の授賞式に出席した日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)の代表団が、帰国のために搭乗していた便だ。

 客室乗務員を長年務める渡辺慶子さんは、ノーベル平和賞のニュースをチェックしていた。数日前に帰国便の担当になり、被団協の80~90代の代表委員3人が行きの便でエコノミークラスだったと知った。3人は授賞式に登壇したほか、要人との面会や国内外の記者会見、交流イベントなど過密な日程をこなしていた。

 「ハードなスケジュールのなか、分刻みで動いてきた高齢の方々にとって、10時間以上のフライトは大変だ」

 帰国便でも、3人はエコノミークラスに乗ることになっていた。ビジネスクラスに少し空きがあるため、初めて最高経営責任者(CEO)に直接メールを送った。

 「高齢の方たちなので、何とかなりませんでしょうか」

 ただ、帰国便が出発する直前に送ったメールをCEOが見ているとは思えない。返信も期待していなかった。

 ほどなくメールが返ってきた。

 「素晴らしいアイデアだと思う。喜んでサポートします。搭乗者の名前を教えてほしい」

 そんな内容だった。帰国便で、代表委員の3人はビジネスクラスになった。

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渡辺慶子さんと被団協代表委員の田中熙巳さん=スカンジナビア航空提供

 渡辺さんは、母親の戦時中の疎開体験を聞いたり、被爆地の長崎を訪れて被爆の実情を見たりしてきた。「未だに原爆で苦しんでいらっしゃる人たちがいっぱいいる。苦しい思いをされたにもかかわらず、一生涯かけて活動を続けてこられた」

 伝えたかった気持ちを、到着時の機内アナウンスに添えて、日本語で読み上げた。

 「これからも平和への声を上げ続けてください。SAS乗務員一同、皆様のご健康とご多幸をお祈り申し上げます」

 機内は、温かい拍手に包まれた。

ダイアン・レインの未公開映画

『キャトル・アニーとリトル・ブリッチズ』は、バート・ランカスター、ジョン・サヴェージ、ロッド・スタイガー、ダイアン・レイン(当時16歳)、アマンダ・プラマーが出演した1981年のアメリカ西部劇で、ネッド・バントラインの小説で読んだ西部の無法者たちに憧れ、家を出て犯罪者たちに加わった19世紀後半のオクラホマ準州の2人の少女の人生(実話)に基づいている。
この映画は、ウォード自身の著書に基づいてデヴィッド・エアとロバート・ウォードが脚本を書き、ラモント・ジョンソンが監督。





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今朝の東京新聞から。

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「死刑執行を国民の義務に」 作家・森巣博さん、存続論への問題提起(朝日新聞有料記事より)

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 死刑とは国民の名で行われる殺人なのに、その執行を国民が刑務官に代行させている現状は不正義だ――ばくち打ちとしても知られる作家の森巣博さんは、そう考える。それでも世論の多数が死刑制度の存続を望むというのなら、いっそ執行を国民の義務にして「市民参加の死刑執行」へ転換すべきだ、とも。一体、どんな提案なのか。

死刑は国民の名で行われる殺人

 私は死刑という刑罰に強く反対します。死刑は、国民の名で行われる国家による殺人だからです。

 いわゆる先進国では、ほとんどの国で既に死刑は廃止もしくは停止されており、今も執行を続けているのは米国と日本だけです。その米国も全50州のうち半数以上で廃止・停止。韓国には死刑制度があるけれど、1997年の執行から停止しているとされます。

 林芳正官房長官は先日、死刑制度を廃止するのは適当ではないと述べたそうです。国民世論の多数が死刑を「やむを得ない」と考えていることを理由に挙げた、と報じられました。

 8割の世論が死刑制度を支持しているのだから制度を存置しておいてよい。そんな容認論がいまだに幅を利かせているとは……。死刑は殺人だという自覚が決定的に欠如しているとしか言いようがありません。

「市民参加の死刑執行」という選択

 そうであるなら、自覚を持った市民を増やせばよろしい。「市民参加の死刑執行」に制度を切り替えるのです。選挙人名簿から無作為抽出で選ばれた数人の市民に死刑執行を担当させる。裁判員制度にならって市民参加を広げましょう。

 いま、日本では拘置所の刑務官に死刑執行を担当させていますよね。しかし人の命を奪おうというときに、ほかの誰かに実行させて自分は手を汚さずに涼しい顔をしているのでは、まるでヤクザの親分です。日本国の国民は、もっと誇り高い人々だったはずだ。

 殺人は法律がなくてもやってはいけない「自然犯罪」に属する事項です。そもそも公務員に負託していい行為ではないでしょう。日本国民が公務員に殺人を代行させてしまっている現状は、死刑制度から派生する重大な不正義です。

 世論が死刑の存続を願うというなら、死刑の執行は国民の義務にする。それがフェアというものです。

「死刑は虐殺の一形態」と訴えた被害者遺族

 「我が子を殺された親の立場になれ」という批判にどう答えるか、ですか?

 一つだけ答えましょう。私の住むオーストラリアでは、インドネシアのバリ島で起きた爆破テロ事件(2002年)で息子を失った父親が犯人を死刑にすることに強く反対した、というニュースが報道されました。「死刑も虐殺の一形態だ」と父親は語っていたそうです。

 実は「市民参加の死刑執行」というこの提案を私は17年前に朝日新聞に寄稿しています。日本では先日、死刑囚だった袴田巌さんの無罪が確定しましたね。それでも死刑廃止への機運が浮上しないのは、死刑は殺人であるという意識の希薄さを改めて示すものです。

 マスコミによる無責任なあおりも、その一因でしょう。凶悪犯罪の犯人は処刑されても仕方ない、そんなやつらに人権を認めてやる必要はないのだと言わんばかりの報道や演出が、ワイドショーなどで繰り返されてきた歴史がありました。

 冗談ではありません。人種や民族、国籍、宗教、思想や賞罰にかかわらず誰もが持つからこそ人権です。凶悪犯罪者は殺していいのだとあおるメディアと、死刑を殺人と自覚しない市民の共犯関係を、どう崩すか。それが日本の死刑問題を考えるカギでしょう。

森巣博

 もりす・ひろし 1948年生まれ。豪州在住。カジノ賭博で稼ぎ、「兼業作家」を自称する。著書に「越境者たち」「蜂起」「無境界家族」など。 

流れるK-POP、揺れるペンライト 若者を突き動かした「戒厳」(朝日新聞有料記事より)

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  民主主義が傷つけられた――。そう感じた韓国の若者は次々と街頭へ出て、声を上げた。その手にはアイドルの応援に使うペンライト。14日に弾劾訴追案が可決された尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領が出した「非常戒厳」は社会に衝撃を与え、新たな政治参加の形が広がっている。

 ソウル・汝矣島(ヨイド)の国会前。通りを埋め尽くした若者たちが、設置されたステージの方を向く。K-POP音楽のリズムに合わせ、「尹錫悦、退陣しろ!」と叫びながら、BTSやNCTといった人気グループの「応援棒」(ペンライト)を一心に揺らした。コンサートさながらの盛り上がりだ。聯合ニュースによると、警察の推計では集会に20万人超が参加したという。

 この集会に参加した大学3年の趙下恩(チョ・ハウン)さん(22)は「自分個人の利益のためだけに戒厳を道具として使った」と尹氏を批判した。非常戒厳の前まではデモに参加したことはなかったが、「戒厳」と聞いて、ノーベル文学賞を受賞したハン・ガンさんの小説「少年が来る」を思い出し、悲しみがわいた、と話した。戒厳下で民主化を訴える大学生や市民が軍に弾圧された光州事件を描いた作品だ。「可決されて本当にうれしいが、当然の結果だ」とかみしめる。

 尹氏の弾劾を求める集会は、非常戒厳の宣布後、連日開かれている。参加者は「楽しみながら政治に意見するのは新鮮」と、笑顔も見せる。

「誕生日プレゼントに政権交代を」

 3日夜の非常戒厳の宣布後、13日までの間にも、多くの市民がこの場所で声を上げてきた。「民主主義社会で戒厳なんて話にならない」。大学1年の李瑜真(イユジン)さん(20)は電車で2時間半かけて集会にやってきた。手には、非常戒厳の翌日に誕生日を迎えた応援するアイドルの名前とともに、「誕生日プレゼントに政権交代を」と書いた紙を掲げていた。「20代がどれほど政治に関心があるか見せなければ」と話した。

 高校2年生の男性(16)も、こうした集会に初めて参加した。「歴史を学んだ者として恥ずかしい。大統領が自ら社会主義国家を作ろうとしている」。普段から集会に参加している「既存世代」の会社員男性(55)は会場を見渡し、「軍事政権時代、戒厳について学校で話もできなかったが、今の世代は過去の歴史を学んでいる。SNSなど、情報を得るツールもいくらでもある」と感心していた。

「ろうそく」から「ペンライト」、ネットで話題

 韓国では、ろうそくが市民の抵抗の象徴となってきた。2016~17年に朴槿恵(パク・クネ)大統領(当時)が弾劾に至った前後には、100万人を超えるともいわれた市民が「ろうそく集会」で怒りを表した。

 今回の非常戒厳後は、1回目の弾劾案の採決があった7日の集会で、20~30代が中心の「ペンライトデモ」として、ネット上で話題になった。以来、家にあったアイドルのペンライトを持った若者が集会に集まってくるようになった。

 聯合ニュースによると、警察は7日の集会には約15万人が集まったと推計している。また、京郷新聞は同日夕時点で、20~30代が参加者の4割近くを占めたと報じた。

 一方で、特定の政党によらない一般市民だと強調するため、「全国応援棒連帯」「全国家でゴロゴロ連合」などと、既存の団体の名前のパロディーの旗を掲げる人の姿もあった。

カフェや飲食店に寄付で応援

 集会に足を運べない人がネットで参加できるアイデアも広がっている。寒空の下で、参加者が温かい飲食をできるようにと、参加できない人らが国会周辺のカフェや飲食店に寄付をするサイトが登場。こうした寄付は「先払い」と呼ばれ、ネット上には「コーヒー100杯」など、先払いを受けた店の一覧がみられる地図も登場した。

 芸能人も先払いに一役買った。人気歌手のIUさんの所属事務所は13日、飲み物やコムタンなどを先払いしたと公表した。

 韓国外国語大日本研究所の招聘研究委員、河昇彬(ハ・スンビン)さんは、ろうそくやペンライトをともすのは、「夜間の集会で存在感を示す、たいまつのようなものだ」と指摘する。

 朴槿恵氏の弾劾デモの際、与党議員が「風が吹けば消える」と話し、大きな批判を浴びた。その後、消えないLEDのろうそくが普及したが、今回はそれがペンライトに変化した。河さんは「政治参加に消極的な層が集会に出てきていることが、今回の事態の深刻さを表している」と話す。

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