香港郊野遊行・續集

香港のハイキングコース、街歩きのメモです。

2025年01月

英国「EU離脱」圧勝の町はいま ブレグジットから5年(朝日新聞有料記事から)

写真・図版
英東部ボストンの中心部は、国際色豊かな店舗が目立つ

 英国が欧州連合(EU)を離脱した「ブレグジット」から、31日で5年を迎える。離脱派が信じた「英国の繁栄」は実現したとは言えず、世論調査でもブレグジットは「失敗だった」との見方が大半を占める。EU離脱の選択は何を残したのか。国民投票で「離脱」票の率が最も多かった町を訪ねた。

 「国民投票は確かに町を変えた。でも、ブレグジットは何も変えなかった」

 1月中旬、英東部ボストン。東欧の国々の国旗が目立つ通りにあるオフィスで、イガ・ボントフトさん(42)は言った。2016年の国民投票は町の景色を変えたが、実際に20年にEUを離脱した後に何かがもたらされたとは考えづらい、と。

 故郷のポーランドは他の中東欧7カ国、地中海の2カ国とともに、04年5月にEUに加盟。EU域内では、原則としてどこへでも移住して働くことができる「移動の自由」が保障されている。ボントフトさんは10年に、当時11歳の息子とともにボストンに移住した。

急増した移民

 ボストンのポーランド人コミュニティーは当時、年々大きくなっていた。01年の国勢調査で英国以外で生まれたボストン市民は3%だったが、11年に15%まで急拡大。16年には町の人口約6万6千人のうち、ポーランド人だけで約9千人(約14%)と推計された。

 一帯は英国有数の農業地帯。果物や野菜の収穫などで、地元としても労働力が必要だった。町にはポーランド系のスーパーやパン屋、レストランが次々とできていた。

 「移民には言葉の壁がある」と感じたボントフトさんは16年、支援センターを設立。同郷の移民の相談にのり、翻訳や行政手続きの代行を業務としてきた。

写真・図版
イガ・ボントフトさん

 一方、地元の英国民たちは急激な町の変化に戸惑っていた。それが如実に表れたのが16年6月。ブレグジットを問う国民投票だった。ボストンに住む76%の有権者が「離脱」を選択。英国の全ての自治体で最大の割合だった。

 ボントフトさんは、投票翌日の朝の出来事をよく覚えている。ある男性が窓を開け、自分に向かって叫んできた。「お前、なんでまだここにいるんだ」

 ボントフトさんによると、国民投票以降、ボストンに住む多くのポーランド人が英国を離れた。「ポーランドの経済が良くなってきていたことも理由ですが、多くの人たちが歓迎されていないと感じたからです」。町に巣くう分断の空気が目に見えるようになった。

「聞こえてくる言葉がわからない」

 ボストンで生まれ育ち、55年にわたって骨董品店を営むロバート・ヘンプソンさん(75)は「離脱」に投票した。移民をめぐる課題を目の当たりにし、「英国の運命は、英国で決めるべきだと思った」という。

 「ポーランド人は一生懸命働いてくれた。でも彼らが稼いだお金は地元に落ちず、外国に流れていく」

 町の中心部で談笑する市民は多国籍で、「歩いていても、聞こえてくる言葉がわからない」。離脱票を投じたことは、いまも一切後悔していない。

 医療機関やインフラも、移民の流入によって質が悪化したと感じる。「自分たちのものを、あまりにも気前よく分け与えすぎたのです」。英国の労働市場が14年、EUに加盟していたブルガリアやルーマニアの国民に広く開放され、ボストンへの移住者が増えると、その思いは特に強くなっていったという。

 増え続けた移民に対するまなざしは厳しい。イスラム系移民向けの商店を営むイラク出身のヒワさん(38)=姓は非公表=も「あまりにも多くの労働者がきて、家賃はどんどん値上がりしてしまった。英国は島国だ。これ以上は受け入れられない」と話した。

写真・図版
ロバート・ヘンプソンさん

 ブレグジットが実現し、英国は合法的な移民に対する独自の基準を設けるようになった。ただ、移民全体としては減ったわけではない。23年の移民数は121万8千人。EU域内からは1割ほどの12万6千人にとどまったが、「純増数」は前年比で68万5千人に上った。

 21年の国勢調査によると、ボストンでは4分の1ほどの市民が英国以外の生まれだ。「移民が多い多国籍な町」という評判は定着し、その分、一部地元民の不満がくすぶり続けている。

 ただ、世論調査によると、ボストンのある選挙区は英国で唯一、「ブレグジットは誤りではなかった」と回答した市民の方が多かった。町民の多くが、少なくともEU域内からの移民が減ったことに意味を見いだしている。

 一方、英国全体では「ブレグジットは誤りだった」と回答する国民が年々増加傾向にある。ブレグジットを選んだ「後悔」(リグレット)を意味する「ブレグレット(Bregret)」という言葉がさかんに言われるようになった。

 「EUに加盟していた方が、経済状況はよかったはずだ」「移民や国境の規制もうまくいっていたはずだった」。世論調査では、そんな意見が目立つ。

「ブレグジット」とは

 英国は1973年にEUの前身にあたる欧州共同体(EC)に加盟。だが、国内の「欧州懐疑主義」は根強く、キャメロン首相が2015年の総選挙時にEUからの離脱を問うことを決めた。国民投票は16年6月に実施され、「離脱」が51.9%、「残留」が48.1%だった。
混乱は長らく続き、20年1月末に正式に離脱。20年12月末には「移行期間」も終了し、EU市民の移動も制限されるようになった。

今朝の東京新聞から。

P1302735

2023年1月7日の朝日新聞「銃撃事件半年、続く異常な社会『悪は無関心の中に』

hjhf

 安倍晋三元首相の銃撃事件から8日で半年が経ち、山上徹也容疑者(42)=殺人容疑で送検=の鑑定留置は10日に期限を迎える。カルト教団の暴走や社会のひずみを著作で描いてきた小説家の中村文則さん(45)は「僕らは今も異常性が続く社会にいる」と憂う。

事件、起こらなかったのでは

 事件後、山上容疑者が旧統一教会の「2世」(信者の子)とわかり、あぁ、そういうことかと思ってしまいました。2021年に教団の関連団体の集会に「(韓鶴子(ハンハクチャ)総裁らに)敬意を表します」とのビデオメッセージを寄せたことなど、安倍さんが教団側と関係があることは、事件前から知っていましたから。

 山上容疑者が当時、経済的、精神的に追い詰められていたとの報道がありました。厳しい生活状況からの「暴発」という意味では、無差別殺傷事件と似通う面もあると思います。

 ただ、山上容疑者の場合、自身を苦しめるきっかけとなったものがはっきりしていた。だから、狙う対象が総裁という特定の個人に絞られたのでしょう。相手が一神教的な宗教だったのも、無意識に影響したのかもしれません。狙う対象が、一点に集中していくというような。

 でも、総裁は海外で大きな組織に守られ、襲撃が難しい。「では代わりに……」と考えたとき、日本や地方の支部のトップではなく、安倍さんになった。この発想は「飛躍」ではなく、「象徴」の意味合いが大きいと推測します。あのビデオメッセージを見れば、安倍さんを教団に関連する象徴として、「総裁の次に大きな存在」と認識してもおかしくありません。

安倍元首相の無防備な背中を前に山上容疑者は喜んだのか、絶望したのか。記事の後半、中村さんは銃撃までの山上容疑者の心の内に思いを巡らせます。

 そもそも、通常の社会であればこのような事件は起こらなかったし、こんなに異常なものにもならなかったと考えます。

 被害を様々に発生させるような団体は、本来は宗教法人ではなく、小規模なセミナーやサークルのようなものにとどまり、行政指導や警察の介入で早期に解散させられるはずです。仮に事件が起こったとしても、被害者の家族が、相手側のトップをナイフなどで襲うような形になったのではないでしょうか。

 でもこの社会では、多額の献金や霊感商法の問題が指摘されてきた団体が、巨大な宗教法人として認められていた。総裁を狙おうにもナイフでは無理で、銃を自分でつくるしかなくなる。さらに教団と関わりがあるとして、最終的に狙う対象が元首相になってしまった――。

このままでは予期せぬ何かが…

 この事件が結果として異常なものになったのは、社会が異常だったからという側面があります。元首相が、カルトと指摘される宗教との関わりを背景に殺害される国など、他にあるでしょうか。安倍さんの側近などで、教団との関係をいさめる人がいなかったことも悔やまれます。

 事件が起きたことで、生活破綻や家庭崩壊といった2世の苦しみ、政治と宗教のゆがんだ関係などが明るみに出ました。一方、教団側を追及する動きに対して「山上容疑者の望み通りになってしまうではないか」といった意見もありました。

 ですがこの場合、原因と結果を結びつける必要はないです。きっかけが何であれ、社会の中で悪いことが発覚した。だから改善する。被害者を助ける。重要なのはそれだけです。逆に、そうしない方が異常です。

 なのに、社会は半年経っても変わらない。教団は宗教法人格をまだ持ち続け、活動にお墨付きを与えるような行動をしてきた政治家たちも居座り続けている。事件の根底にある社会の異常性は、今も継続しているというのが僕の考えです。

もし、面会できるなら…

 教団と深く関わってきた政治家は、責任を取って辞めるべきです。議員を続ける意志があるなら、心を入れ替えて再び立候補すればいい。他方、人々は投票によって政治家に緊張感を与え続けなければなりません。「悪」は人々の無関心の中で行われますから。

 政治家の責任を含め、問題をうやむやにしてしまえば、再び同じような事件が起こる可能性に加え、さらに予期せぬ何かが起こると思います。社会をこのまま放置すれば、本当にマズイですよ。

 母の入信や総額1億円超とされる献金の影響で家庭が壊れ、苦悩してきたことなど、山上容疑者の過去に同情する人もいるでしょう。でも、暴力による社会の変革を肯定することは、社会や理性の敗北そのものです。

 山上容疑者のツイッターの投稿を読みました。ごく普通な、「ネット上によくいるタイプの保守的な人」との印象です。

 報道によれば、総裁が来日するタイミング(19年秋)で襲撃を決意してから今回の犯行に至るまで、結構時間が掛かっています。実は、ずっと逡巡していたのではないでしょうか。

 そしていざ、安倍さんの無防備な背中を前にして、何を思ったのでしょうか。「これなら撃てる」と喜んだのか、「これでは撃ててしまうじゃないか」と絶望したのか。自分で計画しておいて矛盾していますが、恐怖もあったのではないかと思います。人を殺害することは、自分の人生をある意味で終わらせる行為でもありますから。

 山上容疑者と面会できる機会があれば、安倍さんを殺害してはならなかったことはもちろん、人生を無駄にするようなことはすべきではなかったと伝えたいです。今は不幸だったとしても、その先はわからないじゃないかと。人生は、死ぬ寸前までわからないじゃないかと。

 勾留期間が長引くことで、(精神面に影響を及ぼす)拘禁症状が出ていないか懸念しています。裁判が真実に沿って行われることを望みます。


「反ワクチン」派ケネディ氏、政権入りの衝撃 科学不信と陰謀論の芽(朝日新聞有料記事より)

uuuuv

 トランプ米政権が動き出した。個人的に気になっているのは、科学技術や環境・医療に関する政策の今後である。この件で日本でも特に注目されているのは、保健福祉省の長官にロバート・F・ケネディ・ジュニア氏が指名されたことだろう。

 彼は、かつて司法長官も務めた元上院議員のロバート・F・ケネディの息子で、元大統領のジョン・F・ケネディのおいにあたる。まさに「華麗なる一族」の一員として生を受けたわけだが、9歳で伯父を、また14歳で実父を暗殺で失うという悲劇に見舞われた。そのことも影響したのか、特に若い頃は素行が悪かったようだ。実際、彼は16歳の時にマリフアナの所持容疑で逮捕され、寄宿学校からの退学処分も受けている。

 それでも彼はハーバード大で歴史と文学を学び、またバージニア大ロースクールで法学の学位を取得、1982年にマンハッタンの検察で働き始めた。だが、やはり麻薬との縁を切ることができず、翌年にはヘロイン所持容疑で逮捕されてしまう。

 彼は罪を認め、保護観察と社会奉仕活動を命じられ、薬物治療センターに入った。このころにボランティアとして参加したのが、人生の方向性を決めることになる環境保護団体「ハドソン川漁師協会」であった。

 この団体は後に「リバーキーパー」と名を変えるが、ここでの活動を皮切りに、彼は環境弁護士としての実績を重ねる。99年にはタイム誌がその活動を評価し、ケネディ氏らを「地球の英雄たち」としてたたえた。また水域保護のための環境保護団体ネットワーク「ウォーターキーパー・アライアンス」も設立している。

 私は大学院生時代から若手研究員の頃にかけ、米国の環境問題の歴史に関心があったので、彼の名前は以前から知っていた。かなり肯定的なイメージで彼を捉えていたと思う。

 それだけに、コロナ禍において彼が、極端な「反ワクチン」派の、陰謀論的人物として取り沙汰されていることには、驚かされた。そして今回、トランプ政権に入ると聞いて、まさに耳を疑った次第である。

 それにしても、なぜ彼は「変わって」しまったのだろうか。

 歴史を振り返れば、米国の大企業がさまざまな環境問題や薬害などの原因を生み出したケースはいくつも見つかる。そして対抗する市民の側も、議会や行政に積極的に働きかけるなどして、活発な運動を展開してきた。このように米国は、異なるセクターがぶつかり合う緊張感の中で「正義」が実現すると考える傾向が強い社会であると言えるだろう。

 その際に行政は、企業と市民の間に立ち、法と科学に基づいて問題の解決に注力する役割を担う。また対立が法廷に持ち込まれることも少なくない。それらのシーンで重要な鍵となるのが、科学者による助言だ。

 加えて、当然ながら米国は考え方の異なるさまざまな人々が混在する社会である。そのため、価値観の違いを超えて人々が合意しうる、数少ない共通のモノサシとして、そこでは「科学」が重要な役割を果たしてきた。だから米国において、科学者の発言は重い。それによって、裁判の結果すらもひっくり返るからだ。

 だが、科学はそもそも万能ではない。常に絶対的に正しい知識を示してくれるわけではないのだ。特に、環境問題や生命科学など「なまもの」が関わる領域では、科学の不確実性は無視できない。行政機関や裁判所は、そういう「空気の薄いところ」でも、たとえば化学物質の毒性を評価し、開発による自然環境への影響を判断しなければならない。

 また一般に不確実性の高い問題においては、専門家の間でも意見が割れることがある。そして裁判では、双方が自分たちに有利な証言をしてくれる科学者を連れてくるだろう。

 ケネディ氏は、そのタイプの裁判に深く関わってきた。きっと彼は、科学者たちが異なる証言をする姿を弁護士として繰り返し見てきたに違いない。だがその種の経験を重ねると、一種の「副作用」として、科学を「相対的なもの」と見なす傾向が強まる場合もあるのではないか。

 確かに科学も絶対ではない。だがそこを強調しすぎると、危険な陰謀論の世界に入り込む。絶対ではないものの、他の知識や信念よりは信頼できる点が、科学の良いところだ。

 また、まず覆らないだろうと思われる「岩盤的な知識」もあれば、まだ研究不足で不安定な領域もある。本当の専門家はその「相場観」を知っていて、科学を適切に活用できる。

 だがその専門家への信頼が壊れると社会に疑心暗鬼が広がるだろう。

 米国社会は二つに割れた。それは結局のところ、科学や専門家への信頼も含め、さまざまな相互の信頼が崩れたことを意味している。陰謀論はそんな「培地」で増殖していく。

 有力な科学雑誌サイエンスはケネディ氏に対する長官指名について、「地球が平らだと信じている人がNASAのトップに就くようなものだ」という、著名なワクチン学者のコメントを載せた。辛辣(しんらつ)である。

 だが結局、ケネディ氏自身は、主観的には何も変わっていないのかもしれない。ハドソン川の自然を守っていたころと同様に、今も巨大企業と格闘するヒーローとして、自分を捉えているのではないか。しかし現実には、すでに全く違う「世界線」を彼は生きている。晩節を汚さないことを、期待する。

     ◇

神里達博 かみさと・たつひろ 1967年生まれ。千葉大学大学院教授。本社客員論説委員。専門は科学史、科学技術社会論。著書に「リスクの正体」など 

杜琪峯が日本で?

北海道新聞に驚きの記事がアップされました。

bbbbb

 香港の有名俳優トニー・レオンさん(62)を主演に香港マフィアの抗争を描くアクション映画が、北海道内を主な舞台に制作される。来冬に撮影を開始し、2027年度の公開を予定。監督ら制作スタッフが29日から札幌市内などでロケ地を探す。
 レオンさんは「恋する惑星」や「インファナル・アフェア」などの主演で知られる。監督は、カンヌ国際映画祭の審査員やゆうばり国際ファンタスティック映画祭の審査員長を務めた、香港アクション映画界の巨匠ジョニー・トーさん(69)。
 トーさんら制作スタッフは29日から札幌市内のほか、富良野市や後志管内ニセコ町など道内を巡って映画の撮影場所などを探す。作品は日本のほか、香港や台湾での上映を予定しており、札幌市は「札幌への観光誘客を大いに期待したい」としている。

れいわ・山本太郎代表「与野党に新自由主義勢力。規制緩和で国を…」(朝日新聞有料記事より)

reiwa

 れいわ新選組の山本太郎代表が、24日召集の通常国会を前に朝日新聞のインタビューに応じた。与党が過半数を割ったとはいえ、野党にも「新自由主義方向の勢力」が存在していると指摘。内閣不信任決議案が提出された場合には賛成する公算に言及しつつも、参院選に向けて他の野党と一線を画す立場を強調した。

 ――少数与党の状況下でどんな国会を目指すか。

 与党が少数になったと言っても、与党と変わらないような人たちが(野党に)いる。新自由主義方向の勢力が、与党、野党ということを言い合っている。

 例えば労働環境を破壊し、様々な規制緩和で国を売り渡すようなことを進めてきた。そこにブレーキをかける。まずは私たちが野党の中でキャスティングボートを握っていくことが一番の近道だ。

 ――石破茂首相とどう対峙していくか。

 石破さんは非常に雄弁な方だが、答弁が空っぽだ。ゼロ回答の答弁を繰り返すことは、国会での質疑、審議を邪魔される以外の何物でもない。

「中途半端に魂を売り続けないで」

 ――2025年度当初予算案への対応は。

 予算が毎年膨れ上がるのは当たり前の話。去年と同じ予算であるならば、成長する余地がなくなってしまう。だが、30年景気が停滞しているこの国に対する根本治療がされていない。対症療法しかされていない予算案には賛成するわけにはいかない。

 ――立憲民主党は予算規模を問題視している。

 自民党とともに滅んで頂きたい。この国の病の原因みたいなものにフォーカスできていない。

 ――日本維新の会は教育無償化、国民民主党は年収の壁の引き上げを条件に予算案への賛成もあり得る。

 「自分たちがやりました」という形にしたいと多分どのグループも思っているだろう。でも中途半端な果実を得るために魂を売り続けるような状態にはしたくない。

 物価や賃金が上がる中、(年収の)壁を一定上げることは緊急措置的にやらなきゃいけない。ただ、低所得の人たち(の生活)が底上げされるものではなく、所得が多い人たちに対してよりインセンティブ(動機付け)が高いものになってしまう。

 ――企業・団体献金は禁止が大原則か。

 それが一番話が早い。資本が政治に介入し、政策を買い上げてきた結果、資本側だけがもうかるシステムが作り上げられた。大胆に規制をかける必要がある。

 ただ、そもそもどうして政治にお金がかかるかについての話し合いはほとんど聞こえてこない。選挙や政治に金がかかるところから改めていかないと。供託金を減らすとかとセットにしないと。

 ――立憲の禁止案は政治団体を除外しているが、維新案は政治団体も禁止すべきだと主張している。

 政治団体に制限を加えるのは、ある意味で(憲法が保障する)結社の自由に抵触する可能性が非常に高い。憲法を無視してはいけないので、上限を設けるのはどうか。

 ――選択的夫婦別姓の導入については。

 とっととやれよ、の世界だ。選びたい人が選べるという当たり前の話だ。

内閣不信任案は「逃げることできない」

 ――内閣不信任決議案にどう対応するか。

 少数与党という状況において、不信任案が出て、(衆参)ダブル選挙になることも十分にあり得る。私たちのような小さなグループにとって、(衆参で)選挙を同時にやることは非常に大変なことだが、挑戦者という立場から考えるならば逃げることはできない。

 ――不信任決議案で他の野党との協力もありうるということか。

 常日頃から国会活動で共同の戦線を張ってきていなかった人たちだ。自分たちの政治生命(の維持)や権力拡大のための不信任案に関しては、正直、正面から受け止めるのは難しい。ただし、信任について明確にノーだということを考えるならば、不信任案に対して賛成する方向にならざるを得ないのではないか。

 ――参院選の目標は。

 改選の2議席の現状維持では話にならない。私の願望も含まれているが、最大で7を目指していくべきだと思っている。

 ――野党候補を参院選の1人区で一本化するための「予備選」案をどう評価するか。

 国会活動で何かしらの連携が常日頃からできているなら一本化もあり得るかもしれないが、そんなことは行われていない。選挙直前になって互助会の提案をされても困る。なれ合いにはくみしない。私たちは独自でやる。

 ――共産党と政策的に近いとの指摘もあるが。

 私たちは共産主義革命は必要だと思っていない。大企業の内部留保に課税することも私たちは考えていない。現行ルールで彼らがため込み、勝ち取ったものだ。保守系などから「共産党とほぼ変わらない」というプロパガンダみたいなものがたまに見られるが、全く違う。困っている人を救うのは政治の役目だろうという考え方は共通していると思うが。 

今朝の東京新聞から。

P1232740

「殺人捜査線(The Lineup)」

吉田広明さんの「映画監督ドン・シーゲル」が新年早々に刊行。
というわけで「The Lineup」の画質良好な動画を。

バラエティ誌のレビューでは、この映画は「適度にエキサイティングなメロドラマ」だが、警察の手続き的な部分に時間をかけすぎていると評されている。
タイム アウト誌は、この映画を「殺人者たち」よりも「残忍で、サディスティックで、脅迫的」と評している。
シカゴ リーダー紙のは、この映画を「ハリウッドで最も熟達した職人の 1 人による B 級映画」と評している。
この映画は、1997 年にソニー ピクチャーズと共同でアカデミー映画アーカイブによって保存されている。


劇評:国立劇場「彦山権現誓助剣」 難役に挑む時蔵、修養の基

gjhf

 国立劇場は過去に2度、「彦山権現誓助剣」の通し上演を試みている。劇進行に無理のある原作の物語を、ヒロインお園の「女の半生」に光を当ててまとめた今回の脚本は、筋売りばかりの解説に終わってはいない。同劇場文芸研究会による補綴の成果である。

 よく出る「毛谷村」だけだと、奇矯な性格ばかりが際立って本質の見えにくいお園は、気丈果敢に志操を貫く「女武道」の役柄だ。「一味斎屋敷」で父を虚しく横死させた無念を隠す酔態の芝居は難しく、芸質の硬い時蔵には、まだ研究の余地がある。振幅の大きい難役にこうして向き合い、ドラマの内実に思いを致すことこそ、伝統歌舞伎の修養の基(もとい)だろう。なお、懐中から取り出す仇の黒片袖とお園の着付の黒が重複するので、振袖は紫か紺がよろしいかと思う。

 下等遊女に身をやつした「瓢箪棚」で仇敵・京極内匠との大勝負では時蔵の肩入(かたいれ)姿が素敵に似合う。長らく出ない「朝顔日記」の深雪(みゆき)が見たいと思わされた。

 菊之助の六助は、誰にも共感を持たれる清潔な好青年。高く澄んだ美声を活かした、賢明な造形である。もっとも、同じく凜としたセリフが急所を射抜く彦三郎の京極内匠も高音が利くため、菊之助との対比に明確を欠く憾(うら)みはある。

 「毛谷村」の見せ場であるお園のクドキは、父・萬壽の佳(よ)さを学んだ時蔵の成果。難しいカラミに出る音幸の浪人源八は、舞台行儀が理想的だ。吉弥の老母お幸は、この大役を重ねて演じるたびに腕を上げている。

 大詰「本陣の場」で、孫世代の子役たちを晴れやかに従えた菊五郎の真柴久吉が、口跡明瞭で圧倒的。誠実な古典上演として当節必見の舞台である。
(村上湛・明星大学教授) 

観測された揺れは想定の2倍以上 耐震設計「東京と同じ」でいいのか(朝日新聞有料記事より)

 想定すべき揺れの大きさはどうあるべきか――。

 阪神・淡路大震災では、住宅10万棟以上が全壊し、ビルの中間層がつぶれる被害も目立った。設計の想定より、はるかに大きな揺れが観測された。どんな揺れを想定して耐震設計したらよいのか。30年前に突きつけられた課題はいまも残ると、京都大名誉教授で舞鶴高専の林康裕校長(66)は考える。

 1995年1月17日朝、東京の建設会社に勤務していた林さんはニュースを見て驚いた。すぐ神戸市の実家に電話をかけたが、いつまでたっても話し中のままだった。

 この時、両親は倒壊した古い木造家屋に閉じ込められていた。余震で広がったすき間から抜け出すことができた時、父のパジャマは脱げ、体はすすで真っ黒になって出てきたと後に聞いた。父親は、その2年前、台風に備え屋根瓦をふきかえたが、地震対策は考えなかった。

 関西で大地震は起こらない。多くの人が漠然と考えていたことは、幻想だった。

 被害調査が進むと、建築基準法の下、81年に改正された基準以降の建物被害は少ないことが報告された。「新耐震設計法(新耐震)」で設計された鉄筋コンクリートの建物の被害率は低かった。しかし地域により、新耐震の8~12階程度のマンションの中程度の被害率は25%以上で、70年以前に建てられた低層マンションより高かった。新耐震なら問題ないというわけではなかった。

写真・図版
夜間も崩壊したビルの取り壊し作業が続いた=1995年3月、神戸市

 被災地で観測された強い揺れは、設計で想定している揺れの2倍以上あった。いまの想定で十分なのか、震災から学んで解明していく必要があると林さんは考えた。

 関西で地震は起こらない。根拠はないのにそう言われ、超高層ビルの設計では、東京で毎秒50センチの揺れを想定するところ、関西ではそれより小さい毎秒40センチの想定が多かった。

 「震災後は東京と同じになった。それでも、観測された揺れの半分程度以下だった」と林さん。

大阪で地震が起これば、神戸より……

 阪神大震災で注目された活断層は、大阪にもある。「上町断層帯」と呼ばれる大阪府豊中市から大阪市の中心部を通り、岸和田市に続く40キロ以上の活断層群だ。政府の中央防災会議は最悪の場合、建物97万棟倒壊、死者は4万2千人にのぼると試算した。

 だが、活断層付近の台地は地盤がいいため、揺れを小さく想定して設計する方法も可能だった。

 2000年、京都大に職を得て関西に戻った林さんは、以降この状況に向き合う。

写真・図版
舞鶴高専の林康裕校長

 「地震が起これば、神戸よりもっとひどいことになりかねない」

 林さんは、日本建築学会近畿支部で、毎年のようにシンポジウムを開き、耐震性能を上げる必要性を訴えていく。上町断層が動くと建物はどのように揺れるのか、シミュレーションなどで示した。

 設計者の反応は否定的だった。活断層の地震はめったに起こらない。観測された揺れが設計想定以上でも倒れなかったビルが多い。国から設計の想定の上乗せを求められているわけでもない。安全性を上げるために太い柱と壁を多くしたら使い勝手が悪くなりかねず、さらに建築コストが上がることを建築主にどう説明するのか。

写真・図版
大阪市中心部。右手前から左奥へと南北に延びる阪神高速1号環状付近には上町断層帯がある

 しかし、次第に設計者も向き合わざるをえなくなっていく。07年、大阪府と市は、上町断層の地震の揺れを予測した。最悪の場合、阪神大震災の2倍以上の強い揺れが想定された。「長周期パルス」と呼ばれる、超高層建物にとって厳しい揺れが生じることも予測された。

 対応するにはどのような設計を考えたらいいのか。

設計者と研究者で独自の指針作り

 09年、高さ60メートルを超す超高層と免震ビルの設計者と研究者は、通称「大震研」と呼ばれる研究会を作った。

 建築基準法は、まれな大地震では損傷せず、ごくまれな大地震では損傷しても倒壊しないことを求める。人命を守る最低限の基準だ。超高層と免震ビルは1棟ずつ、ごくまれに起こる地震でも建物が倒壊しないことを確認する。この確認で使われていた揺れに上乗せし、対応する設計法を11年に独自の「指針」としてまとめた。

 設定した揺れは3段階で、おおざっぱにいうと、法で規定している標準的なレベルの1.2倍(レベル3A)、1・5倍(3B)、1・8倍(3C)とした。設計者が説明し、建築主と相談してレベルを決め、対応する設計法を選ぶ。設計者としては一致団結して3Bをめざそうということになった。

 実は、3Aについては、新築したばかりの超高層建築の所有者が落胆しないように提示した「経過措置」のつもりだったと日本建築総合試験所の多賀謙蔵常務理事(68)は振り返る。損傷はしても倒壊しないことを検証するために踏み込んだ解析で示した。ところが、最近、超高層建物の耐震設計のチェックをしていると、3A、あるいは上町断層を考慮しない設計すら目にするという。

 「これが第一歩で少しずつ上げていけばいいと思っていたが、3Aの意味を明示しなかったことが悔やまれる」と話す。

写真・図版
多賀謙蔵さん

 1995年1月17日、日建設計の技術者だった多賀さんは、「絶望的」だと思った。かつて増築の設計を手がけた神戸市の建物の敷地に活断層があることを知っていた。設計前にわかり、建築主に説明し、建物の配置や耐震壁を増やすなどできるだけのことはしたが、建物は無事ではないだろうと思った。おそるおそる建物の無事を確認し、地表で活断層がずれていないとわかった時は心底ほっとした。

 設計時に相談した地質学者から、日本は度重なる変動でいわば「傷だらけ」だと聞いた。自然災害の素因だらけで、人知が及ばない自然の力をつねに認識しつづけなければならないと学んだという。

戦後の建築活動の総決算

 自然の力は、人の行為を無残に露呈する。阪神大震災当時、安井建築設計事務所に勤務していた辻英一さん(83)は、震災を「戦後の建築活動の総決算」のようだったと振り返る。

写真・図版
辻英一さん

 自社が手がけた建物は無事だったが、壊れたビルのコンクリート破片は手で折れるほど劣化していた。材料も機材も不十分だった敗戦後、現場では鉄筋などの盗みや手抜きもあったと聞いた。

 技術やモラルは上がったが、経済性が重視され、計算プログラムで最低の耐震基準を満足すればよいという流れができた。

 「新耐震」だから大丈夫ということではない。余裕がある設計か、施工管理が適切かといった違いから、いつの時代の建物でも被害の程度はばらつきがある。

 大きな被害の原因は明らかになったが、設計の想定よりはるかに強い揺れに襲われた建物が軽い被害ですんだ理由はよくわかっていない。建物の耐震性能を解析する技術も進歩したが、謎は残る。揺れを予測する技術も進歩したとはいえ、断層がどう動くかといった仮定によって、推定のばらつきは大きい。実際に何が起こるのかはわからない。

 大震災の教訓に建築業界がどう向き合い、どのように安全性を上げることができたのか。林さんは言う。

 「それが試されるのは未来です」。

www.flickr.com
記事検索
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

プロフィール

大頭茶

月別アーカイブ
*iphone アプリ 開発
*ラティース ラティッセ
  • ライブドアブログ