
異例の経営危機に陥っているフジテレビについて、1990年代から30年以上にわたり取材を続けてきたジャーナリストがいます。
クーデターに発展した創業家との権力争い、ライブドアによる乗っ取りの危機。フジサンケイグループの歴史を見つめ、社会の公器としてふさわしいのかを問うてきた目に、今回の事態はどう映っているのか。「メディアの支配者」などの著作で知られる中川一徳さんに聞きました。
――フジの記者会見には参加しましたか。
「10時間に及んだ2回目の記者会見には参加しました。手持ち式の金属探知機によるボディーチェックや目視による所持品検査が行われるなど、非常にものものしい雰囲気でしたね。誰が来て何が起きるかわからないなか、フジはかなりのリスクを取ってフルオープンの会見を開いたと感じる一方、混乱状況を予見し、あえて放置したとも思いました。落ち着いて質疑ができる雰囲気ではなかったので、質問はせずに途中で帰りました。聞いてみようかと思うことはあったのですが」
――なにを聞きたかったんですか。
「人事のことです。局長以上の人事権は社長にあるのか、会長にあるのか。また日枝久・取締役相談役に拒否権があるのか、行使したことはあるのか。人事権はこれまでどう変遷してきたのか。そういったことを経営陣がどう説明するのか関心がありました」
「これはあくまで私の見方ですが、あの会見で壇上にいた人たちは、会長であれ社長であれ、いずれも簡単に首をすげ替えられるだけの存在でしかありません。元幹部など多くの証言を重ね合わせてみると、人事権は事実上、依然として日枝氏が持っているからです。もちろん今回の事態を引き起こした要因は複合的なもので、他局も含めてテレビ業界に沈殿していた問題が噴出した側面はあるでしょう。ただやはり、日枝体制の責任が極めて重いと私は考えます」
――どういう責任ですか。
「彼がやってきた最大の悪弊は、グループ内で情実人事を続けてきたことです。適正な人事評価が軽視され、日枝体制に対して従順な、上意下達の人たちが目立ってポストを得ていくのを長年にわたって見てきました。セクハラまがいの言動で有名な人物が人事部局で要職に就いて驚いたこともあります。コネ入社が多いのも特徴で、良識的な人たちは頭を抱えるようなことが、30年以上も繰り返されてきた。組織が腐敗するのは避けがたいと思います」
「それを最も象徴しているのが2022年に港浩一氏が社長に就任した人事です。彼はバラエティー制作部門の出身ですが、私はバラエティー番組の制作現場で起きた事故などに彼がどう対応したかを20年ほど前から取材してきたので、港社長のもとで今回の事態が起きたことには、正直言って驚きません。そのような人物を重用してきた日枝体制が引き起こした経営危機だと思います」
ルビコン川を渡って
――なぜ日枝氏はそこまでの権力を持ったのでしょうか。
「フジテレビやニッポン放送、産経新聞などを含むフジサンケイグループはもともと、故鹿内信隆氏の一族が支配するオーナー企業でした。また当時フジテレビはニッポン放送の子会社にすぎない存在でもありました。そこで1992年にクーデターを起こし、グループ議長やフジ会長を務めていた鹿内家の3代目・宏明氏を追い落としたのが、当時フジ社長だった日枝氏でした。『パブリックカンパニー』に生まれ変わるためという大義名分のもと、自分の首が飛ぶかもしれないという生半可でないリスクを取って日枝氏がルビコン川を渡る決断をした結果、クーデターを成し遂げます」
「2005年には、ニッポン放送の子会社化を進めるなかで買収を仕掛けてきたライブドアに対し、財務の悪化も顧みず巨費を投じて防衛に成功しました。クーデターとライブドア事件を乗り切ることで、盤石の体制を作り上げたのです。こうした過去の圧倒的な成功体験があるがゆえ、日枝氏には相当に強固な自負心があると思います。17年に会長から取締役相談役に退いた格好になってはいますが、フジサンケイグループ代表の座はまだ譲っていません。クーデターによって世襲はなくなったものの、かといって日枝氏の後継者が出てくるわけでもない構造になってしまっているのです」
――日枝氏が長く君臨している実態は、パブリックカンパニーの理念とは相いれないように見えます。
「フジサンケイグループでは、メディア企業として自分たちが社会の公器であるという考え方が他局に比べて薄いように感じることが多いんですよね。たとえばTBSの場合、ドラマを作っている制作陣のなかにも『自分たちが稼いだ金で報道が頑張ってくれ』というような共通認識があったと方々で聞くんですね。70年代などは特にそういう空気だったと。もちろんフジにもそういう人たちはいるでしょうが、会社の成り立ちも影響してか、非常に弱い」
「グループ初代議長の鹿内信隆氏は経団連の前身のひとつである日本経営者団体連盟の出身で、フジは開局当初から産業界との結びつきがとても強いのが特徴です。社員を採用する時点で、権力に対して疑義を呈するようなタイプの学生はあまり採らない傾向が強かったようです。そのため、これは取材をしながら実感してきたことですが、フジには従順な人たちがものすごく多いんです。絶対権力者の日枝氏が長年にわたって人事を掌握するなか、日枝氏の影響力をそぎかねない人物は本流から外れていく。体制に対する言論が抑圧され、萎縮が蔓延している状況が30年以上も続くのを見てきました。現場にいる人たちの声を聞いても、鹿内家がグループを支配していた時代でさえ、これほどの窒息感はなかったように思います」
永らえた要因
――投資ファンドなどの株主だけでなく、社員集会などでも経営体制の刷新を求める強い声が上がっています。日枝氏が経営層にとどまるのは難しい状況ではないでしょうか。
「私は、日枝氏が闘う気まんまんでいるのではないかと推測しています。たしかにナショナルスポンサーが次々とCMを降りたのは経営にとってとても大きいことです。社会の環境変化は著しいスピードで進んでいて、一般の消費者を相手にする企業は世間の空気を如実に感じ取っています。ニッポン放送を子会社化する過程で日枝氏と極めて近しい関係になった主幹事証券会社の大和証券さえもCMを降ろしましたからね。それほどスポンサーは追い詰められている。しかし、日枝氏は大きな裏切りだと思っているのではないでしょうか」
――社会が変わっているのに、日枝氏が変わっていないということですか。
「彼の内面世界では、変わる必要がなかったのでしょう。広告収入が減ってきているとはいえ、免許事業で権益ビジネスのモデルに安住していれば多くの収益を出すことができるからです。親会社も含めて社外取締役などが機能していなかった問題もあります。彼らは今になって『経営刷新小委員会』を作りましたが、そもそも取締役会の一員としてこれまでは何をしていたのでしょうか。私にはアリバイのような組織にも見えます。朝日新聞など他のメディアがきちんと批判をしてこなかったことも、日枝体制が問題を抱えながら永らえてきた要因の一つだと思います」
「いずれにせよ、この危機的状況を収拾しようとするなら、日枝氏の動向が焦点であることははっきりしています。彼の退場を求める声は大きいものの、意外と日枝体制は粘り強いかもしれません。クーデターとライブドア事件に続く今回の第三の危機に対してはまだ手を打てていませんが、日枝氏が自身の影響力や存在感が小さくなることをそう簡単に良しとするようには思えません。フジの統治構造をそれなりに知ることになるであろう第三者委員会がどんな調査報告をするのか注目していますが、深く踏み込むことができるかどうか。そしてグループの核が公益に資する報道機関だというなら、社会にどう必要とされているのか、若手社員は考えるはずです。その自省を基に、フジ内部で心ある人たち、人望や胆力のある人たちが軸になり、日枝氏や経営幹部が蓄積してきた悪しき価値観を打ち破れるかどうかだと思います」
中川一徳さん
なかがわ・かずのり 1960年生まれ。月刊誌「文芸春秋」記者を経て独立。フジサンケイグループの権力闘争を描いた2005年の「メディアの支配者」で講談社ノンフィクション賞などを受賞。19年には続編となる「二重らせん 欲望と喧噪のメディア」でライブドア事件などの実相にも迫った。
noteでも「フジTVの『閲覧を禁じられた社史』」などの記事を公開している。