
ベトナム戦争は米国社会にどのような影響を与え、現在はどう認識されているのか。長年にわたって、このテーマに取り組んできた米マサチューセッツ大アマースト校のクリスティアン・アッピー教授に聞いた。
――著作で、「米国の中核的な信条がベトナム戦争によって破壊された」と書かれています。
「米国がベトナムへの関与を始めたのは、自国の例外主義への信頼が最も高い時期でした。米国が資源の豊かさや軍事力の面で優れているだけでなく、善のための勢力だと国民が信じ、そのことを背景に政府への広範囲な信頼もありました。しかし、ベトナム戦争をめぐって政府のウソや欺瞞が明らかになるなか、この信頼は壊れました」
今日にもつながる「矮小化された反戦」
「米国民は次第にベトナム戦争の目的や戦われ方、さらには米国のあり方を問うようになりました。キッシンジャー元国務長官も後に『ベトナム戦争の最大の犠牲の一つは、米国の例外主義の伝統だった』と書いているほどです。その他の多くの犠牲を考えると、ぞっとする発言ですが」
――米国の「例外主義」は第2次世界大戦から生まれたのでしょうか。
「『ファシズムに打ち勝った偉大な勝利』とされた第2次世界大戦が例外主義を加速させたのは間違いありません。ベトナム戦争で戦った世代は、ジョン・ウェインらが主演するハリウッド映画で描かれる、軍事的な正義を見ながら育ちました。ところが、ベトナムに到着すると兵士たちは実際には解放者ではなく、侵略者として位置づけられていたことを実感します」
――米国内のベトナム戦争への見方は、1980年に当選したレーガン大統領の言動などによって変わったのですか。
「レーガン氏は大統領選の途中まで、ベトナム戦争は倫理的に正しく、『リベラルな政治家や過激な学生がいなければ勝利していた』という趣旨の発言をしていました。しかし、側近からのアドバイスもあり、ベトナム戦争からの帰還兵を愛国的なヒーローとし、それを支持しなかった人たちを攻撃する方針に変えていきました」
「これが、ベトナム戦争についての米国内の大きな神話につながりました。帰還兵たちが戦争に反対していた人たちから拒否され、怒鳴られ、つばをかけられたという神話です。つばをかけられたということが絶対になかったとは断言できませんが、かつて帰還兵自身が調べた時は確認できませんでした。にもかかわらず、神話として政治的に利用されました」
「結果的に、米国史上最も大きく、多様で幅広かった反戦運動が国内で矮小化されました。まるで、大学構内にいる自己中心的で偽善、臆病な兵役逃れの人たちによる運動だったかのように。私も『ベトナム戦争の最大の悲劇は我々がベトナムやその人々にもたらした多大な被害や、米国が負けたことではなく、帰還した米兵への恥ずべき対応だった』と考える学生にしばしば出会いました。この神話は、今日の米社会で条件反射的に軍隊への敬意が求められることにもつながっています」
――戦争捕虜(POW)や行方不明者(MIA)に敬意を示す黒い旗は、今も米国でよく見かけます。
「これも、ベトナム戦争の神話に由来します。米軍が撤退した後も、ベトナムが長年にわたって米国人の捕虜を捕らえ続けたという神話です。その証拠はありませんが、一部の政治家やハリウッド映画がそのように訴え続け、一時は米国民の過半数が信じました。いかにベトナムの人たちがひどく、悪魔的かということを示す材料として、戦争の正当化にもつながりました。また、ベトナムでの米国の行動を問うより、米国が受けたとされる被害に焦点を合わせる結果にもなりました」
「その後も、ベトナムが捕虜を捕らえ続けたという証拠は出てきていません。しかし、POW・MIAへの敬意を示す黒い旗は今も、法律に基づいて全ての米政府の建物にも掲げられています。非常に暗いイメージで、被害者としての米国民を象徴しています」
――ベトナム戦争は、「地獄の黙示録」や「プラトーン」などの米映画にもつながりました。
「米国の映画では、ベトナム市民は被害者として登場しますが、立体的に描かれたキャラクターではありません。ハリウッドはほぼ例外なく、ベトナム側の視点でこの戦争を理解しようとしたことはありません」
「『ランボー』や『トップガン』のように、ベトナム戦争をモチーフとしつつ、劇画調に米国の軍国主義をたたえるようなヒット映画も多数あります。これは、米国の力に対する誇りを取り戻そうという動きとも連動しました」
――ブルース・スプリングスティーンのヒット曲「ボーン・イン・ザ・USA」もベトナム帰還兵を扱った内容です。
「スプリングスティーンはしばしば、星条旗の前に立ちながら、大音量でこの曲を演奏しました。ある意味で保守的な、愛国的な解釈を歓迎していたとも言えます。実際、レーガン元大統領は84年の再選に向けた大統領選でこの曲の使用許可を求めました」
「しかし、歌詞を聴けば、労働者階級の帰還兵の絶望を扱った曲なのです。主人公は希望のない街に生まれ、自分の意思でもなく軍隊に入り、ベトナムに行かされます。帰ってきてからも、退役軍人省に協力を拒まれ、石油精製所に行っても職を得られません。ほぼホームレスとなった人による叫びの歌詞なのです。この帰還兵の絶望を描いた歌が、いかにして愛国的な曲になったのかということ自体、ベトナム戦争後の米社会の奇妙さを表しています」
トランプ政権は「予測困難」
――ベトナム戦争の教訓は、2001年の同時多発テロの後には生かされたのでしょうか。
「米国がベトナム戦争から教訓を得なかったわけではありません。ただ、それが正しい教訓だったかどうかは別の問題です。外交エリートが学んだのは、『より抑制的に行動すべきだ』ということではなく、『行動はより効果的でなければならない、メッセージ発信を強化しなければならない』ということでした」
「同時多発テロの後に米国が進軍したアフガニスタン、イラクと、ベトナムはそれぞれ別の国ですが、米国が争った戦争には共通項がたくさんあります。いずれも、当初言われていた目的とは異なる理由で戦争が続き、幅広い支持を得ていない政府を支持するために、米国は多数の兵士を送りました。そして、米国内の支持が失われ、『勝つことができない』『間違っている』『非倫理的だ』の少なくとも一つにあてはまると認識されるようになった後も、長期にわたって続きました」
――理想的な世界では、ベトナム戦争からどのような教訓を得るべきだったと考えますか。
「より民主的な外交が行われ、政府の行動について市民がより知らされているべきだと思います。米国憲法で開戦の決定権を委ねられている議会が自分たちの責任を真剣に認識し、行政府も透明性を上げて説明責任を果たすべきです。米国の軍国主義も変わっていません。地球規模の問題については軍事力に頼るより、国際的な外交に沿って解決を試みるべきだと願います。しかし、現在のトランプ政権ではあまり期待できません」
――トランプ政権をどのようにみていますか。
「非常に危険な状況です。特に気になるのは、トランプ大統領は自分が持ち上げられることのほかに、一貫した外交政策が見受けられないことです。パナマ運河やグリーンランド、場合によってはカナダを取るということを言って帝国主義の復活をにおわせる一方、欧州などには全く異なる姿勢で臨んでいます。自分たちが世界で最も強い国でありたいと思う半面、その責任は負いたくないと言っているようです。孤立主義ではないと思いますが、単独主義であり、予測が非常に困難です」
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Christian Appy
米マサチューセッツ大アマースト校教授。
著書にベトナム戦争のオーラルヒストリー「Patriots: The Vietnam War Remembered from All Sides」や、ベトナム戦争と米国の関係を検証した「American Reckoning: The Vietnam War and Our National Identity」など。
現在は、機密文書「ペンタゴン・ペーパーズ」を暴露し、反戦を訴えた故・ダニエル・エルズバーグ氏が残した資料に基づいた著作を執筆中。