香港郊野遊行・續集

香港のハイキングコース、街歩きのメモです。

2025年08月

あなたが知る米国は消え去るだろう 私がそう思う理由 N.Y.Times(朝日新聞有料記事より)

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トーマス・フリードマン

 ドナルド・トランプ氏が大統領として行ってきた数々の恐ろしい言動の中で、最も危険な出来事が8月1日に起こった。私たちが信頼し、独立している政府の経済統計機関に、トランプ氏は事実上、彼と同じくらいの大うそつきになるよう命じたのだ。

 トランプ氏は、気に入らない経済ニュースを彼にもたらしたという理由で、上院で承認された労働統計局長エリカ・マッケンターファー氏を解雇した。そしてその数時間後に、2番目に危険なことが起こった。我が国の経済運営に最も責任を持つトランプ政権の高官たち(民間企業にいれば、気に入らない財務データを持ってきた部下を解雇することなど決して考えもしなかったであろう人々)が全員、それに同調したのだ。

 彼らはトランプ氏にこう言うべきだった。「大統領、もしこの決定について考え直さないなら、つまり、悪い経済ニュースをもたらしたという理由で労働統計局のトップを解雇するなら、今後、その局がよいニュースを発表した時、誰が信頼するでしょうか」と。しかし、彼らは即座にトランプ氏をかばった。

誠実な共和党の役人は絶滅した

 ウォールストリート・ジャーナルが指摘したように、ロリ・チャベスデレマー労働長官は1日朝、ブルームバーグテレビに出演し、発表されたばかりの雇用統計が5月と6月は下方修正されたものの、「雇用はプラス成長を続けている」と宣言した。ところが、数時間後、トランプ氏が自身の直属である労働統計局長を解雇したというニュースを知ると、彼女はX(旧ツイッター)にこう投稿した。「雇用統計は公正かつ正確でなければならず、政治目的で操作されてはならないという大統領の見解に、私は心から賛成します」

 同紙はこう問いかけた。「では、午前中に『プラス』だった雇用統計が、午後には操作されたのだろうか?」。もちろんそんなことはない。

 トランプ氏のやったことを聞いた瞬間、過去の出来事が私にフラッシュバックした。それは、2021年1月のことだ。トランプ氏が20年の大統領選で敗北した後、ジョージア州の共和党員の州務長官に対し、大統領選の結果を覆すのに十分な票(正確には1万1780票、とトランプ氏は言った)を「見つける」よう圧力をかけ、それができなければ「刑事罰に問う」とまで脅したと報じられた。会話の録音によると、この圧力は1時間にわたる電話の中でかけられた。

 しかし、当時は今と違って、誠実な共和党員の役人というものが存在した。ジョージア州の州務長官は、存在しない票を捏造することに同意しなかった。しかし、そのような共和党員の役人は2期目のトランプ政権では完全に絶滅したようだ。こうして、トランプ氏の腐った人間性は今や私たちの経済全体にとって問題となっている。

 スコット・ベッセント財務長官やケビン・ハセット国家経済会議委員長、チャベスデレマー労働長官、ジェイミーソン・グリア米通商代表部(USTR)代表といったような上司の下で働くとき、彼らが自分を守ってくれないばかりか、職を守るためには生けにえとして自分をトランプ氏に差し出すだろうと知りながら、今後、どれだけの政府官僚が悪いニュースを伝える勇気を持てるだろうか。

「バナナ共和国でしか見られない」

 ここに名を挙げた人物の全員が恥を知るべきだ。特に元ヘッジファンドマネジャーであるベッセント氏は、事態をよく理解していながら介入しなかった。なんという臆病者だろう。ベッセント氏の前任者であるジャネット・イエレン氏は、前財務長官であり米連邦準備制度理事会(FRB)の前議長でもあり、そして真の誠実さを持つ人物だが、労働統計局長の解任についてニューヨーク・タイムズの私の同僚ベン・カッセルマン氏にこう語った。「これはバナナ共和国でしか見られないようなことだ」と。

 外国からこれがどう見られているかを知ることは重要だ。ロンドンを拠点とする債券トレーダーで、市場の専門家の間で人気のニュースレター「ブレインズ・モーニング・ポリッジ」を発行しているビル・ブレイン氏は4日にこう書いた。「8月1日金曜日は、米国債市場が死んだ日として歴史に刻まれるかもしれない。米国データを読むにはある種の技術が必要で、それは信頼に基づいていた。今、それが崩れ去った。データが信頼できないなら、何を信頼すればいいのだろうか」

 彼はさらに、31年5月に自身のニュースレターがどのようなものになるかを想像した。それは、こう始まるという。「トランプ氏の経済真実省(旧米国財務省)の発表へのリンク:『トランプ大統領のリーダーシップの下、米国経済は記録的なスピードで成長を続けている。SNSトゥルース・ソーシャルの傘下にある真実省の雇用統計は、全米での完全雇用を示している。都市部の緊張はかつてないほど低くなっている。すべての新卒者が米国の成長著しい製造業で高給の仕事を見つけており、その結果、トランプ社傘下の多くの大企業が深刻な人手不足を報告している』」

 もしこれがとっぴな話だと思うなら、あなたは明らかに外交政策のニュースをフォローしていない。なぜなら、この種の手法、つまりトランプ氏の政治的ニーズに合うように情報を仕立て上げるやり方は、すでに諜報分野で行われているからだ。

 5月、トゥルシ・ギャバード国家情報長官が、2人の情報機関幹部を解雇した。トランプ氏はトレン・デ・アラグアというギャングがベネズエラ政権の指示の下で活動していると主張していたのだが、2人が監督していた評価はこの内容を否定するものだった。トランプ氏は、ギャング構成員と疑われる者を適正な手続きなしに国外追放するために、ほとんど利用されていなかった1798年制定の敵性外国人法という怪しげな法的根拠を持ち出していたが、2人の評価はそれを損なうものだったのだ。

 そして今、自分で自分の目をふさぐようなこの傾向は、政府のさらに隅々にまで広がりつつある。

「容易な誤り」ではなく「困難な正しさ」を

 バイデン政権時代にサイバー・インフラセキュリティー庁(CISA)長官を務め、米国屈指のサイバー戦専門家でもあるジェン・イースタリー氏は先日、ダニエル・ドリスコル陸軍長官によって、米陸軍士官学校(ウェストポイント)の上級教員職への任命を取り消された。これは、極右の陰謀論者であるローラ・ルーマー氏が、イースタリー氏はバイデン時代のスパイだと投稿した後のことだった。

 もう一度、ゆっくり読んでみてほしい。陸軍長官は、トランプ氏の狂信的な信奉者の指示に従って、(誰の目にも明らかに)米国で最も熟練した無党派のサイバー戦専門家の一人であり、自身もウェストポイント出身である人物の教員としての任命を取り消したのだ。

 読み終わったら、SNSリンクトインでのイースタリー氏の返答を今度は読んでみてほしい。「私は生涯を通じて無党派として、共和党・民主党両政権下で、平時にも戦時にも我が国に仕えてきた。すべての米国民を凶悪なテロリストから守るため、国内外で任務を指揮してきた。これまでのすべてのキャリアで、特定の党派に偏ることなく愛国者として、権力の追求ではなく愛する祖国に奉仕するため、すべての敵から守り抜くと誓った憲法に忠誠を尽くすため働いてきたのだ」

 そして彼女は、自分が教える栄誉を得ることのない若いウェストポイントの士官候補生たちに、こんなアドバイスを添えた。「ウェストポイントの卒業生たちは皆、『士官候補生の祈り』を知っている。その祈りは、私たちに『より容易な誤りではなく、より困難な正しさを選びなさい』と求めている。この言葉は、とてもシンプルでありながら力強く、30年以上にわたり私の指針であり続けた。会議室でも作戦室でも。疑念にさいなまれる静かな瞬間でも、公の場でリーダーシップを発揮する時でも。より困難な正しさは決して容易ではない。それこそが重要なのだ」

 この女性が次世代の戦士たちに教える立場となることを、トランプ氏は望まなかったのだ。

 より容易な誤りではなく、より困難な正しさを常に選択する――。その倫理観は、ベッセント氏やハセット氏、チャベスデレマー氏、グリア氏には全く理解されていないものだ。トランプ氏自身については言うまでもない。

 だからこそ親愛なる読者のみなさん、私は生来の楽観主義者だが、初めてこう信じるようになった。もしこの政権が発足後わずか6カ月で示したような行いが4年間も続き、増幅されるならば、あなたが知っている米国は消え去ってしまうだろうと。そして、どのようにそれを取り戻せるのか、私にはわからない。 

9月まで続いた日本の「忘れられた戦争」 演出したのは米国だった(朝日新聞有料記事)

 80年前、「終戦の日」の8月15日以降も続いた戦争がある。ソ連との戦いだ。各地で多くの犠牲や困難、そして北方領土問題を生んだが、全体像の研究は21世紀になる頃から始まった。日ロ米中の4カ国語を駆使して史料をひもとき、詳しく分析した成城大学教授の麻田雅文さんに、「忘れられた戦い」という日ソ戦争から見えるものを聞いた。

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  ――戦争は8月15日以降も続いたのですね。

 「そうです。日ソ両軍で兵士200万人超が関わった戦いが、9月に入るまで続いたのです」

 「ソ連が日本に宣戦布告したのは、1945年8月8日深夜です。翌日以降、満州(現中国東北部)や南樺太(サハリン南部)に侵攻しました」

 「18日未明には、カムチャツカ半島と海を挟んで隣りあっていた千島列島の最北端で開戦します。南樺太の中心都市への空襲は22日です。各地で順次停戦しますが、ソ連は今の北方四島まで進軍。日本軍の武装解除終了は9月7日でした」

対日参戦の「報酬」は

 ――なぜソ連は、原爆が投下されて降伏寸前の日本に宣戦布告し、ポツダム宣言の受諾後も戦争をやめなかったのですか。

 「もともと、日ソ戦争を演出したのは米国です。米国は日本を無条件降伏させるため、ソ連の対日参戦を熱望し、働きかけていました。ソ連は米英と同じ連合国陣営でしたが、41年に日本と中立条約を結んでいたためです」

 「ソ連は対独戦の最中で、二正面作戦を避けるため腰が重かった。そのため45年2月の米英ソのヤルタ会談では、ソ連が対日参戦すれば、満州での港や鉄道の利権、さらに南樺太や千島列島も得られるという『報酬』が密約されました」

 「5月にドイツが降伏すると、ソ連は7月のポツダム会談で、8月15日に参戦すると米国に伝えました。ところが8月6日に、思いがけず米国が原爆を投下します。ソ連は、日本が降伏してしまう前に東アジアでの『報酬』を手にしようと、予定を繰り上げて参戦したと考えられます」

 「日本のポツダム宣言受諾後も、ソ連は日本軍に正式な停戦命令が出ていないなどとして、すぐには停戦に応じませんでした。困った日本から頼まれた米国の働きかけなどを受けて、最高総司令官スターリンが満州での戦闘停止を命じたのは18日になってからです。その後も、日ソ双方で停戦の徹底に時間を要したこともあり、ソ連は『報酬』の確保に向けて戦闘や進軍を続けました」

 ――犠牲者は。

 「日ソ戦争に参加した兵士はソ連側が約174万人、日本側が100万人超。ソ連側の死者・行方不明者は1万2千人とされます。日本側はより甚大でしたが、よくわかりません。ソ連側には、日本軍の戦死者数として7万7992人という数が残っていますが、誇張している可能性があります」

 「一方、民間では、停戦後も含めて満州と朝鮮半島北部で約20万人、南樺太では約4千人が犠牲になったといわれています。成人男性の多くはソ連軍に連行されてシベリア抑留を強いられ、女性にはソ連兵からの性暴力もありました。集団自決や、日本本土に帰れなくなった残留孤児・残留婦人も生じ、戦後は戦没者の遺骨収集もままなりませんでした」

甘かった対ソ認識、軽んじられた警告

 ――日ソ戦争の詳しい分析から、何が見えてきますか。

 「現代にも通じる、危機に際しての各国の意識の持ち方がわかります」

 「日本は、軍事力や多くの人の目が南方の戦線や本土決戦ばかりに向けられ、中立条約を結んでいたソ連には甘い認識しかありませんでした。45年4月には条約の不延長を通告されますが、それでもソ連に米英との講和の仲介役を頼み続けていました」

 「日本軍のソ連情報の担当者は、8~9月にソ連が対日参戦する公算が大きいと警告していましたが、軽んじられました。危険が迫っていても日常の延長だととらえ、自分にとって都合の悪い情報を無視したり過小評価したりする『正常性バイアス』だったと思います」

 「ソ連の歴史認識にも目が向けられていませんでした。日本が勝った日露戦争やソ連建国時のシベリア出兵、満州国の国境紛争『ノモンハン事件』で、日ソは鋭く対立して多くの犠牲者が出ていたのに、忘れています。満州国の日本人官僚は『ソ連とは戦争らしい戦争もしていない』『報復されるような心配はあるまいという安心感があった』と回顧しています」

 ――一方のソ連は。

 「すでに対独戦で2700万人が死亡し、農村は荒廃して飢饉も広がり、国民は疲弊していました。そこで対日参戦の士気向上に利用したのが『歴史』です。日露戦争の小説が大量に刷られ、シベリア出兵中の日本軍に殺された革命家の肖像が切手になりました。『復讐』というプロパガンダを広めたのです」

 「そして相手の復讐を恐れ、徹底的に立ち直れないようにするのもソ連です。1939年にポーランドの半分を占領した際も、軍幹部や民間人をシベリアに送ったり殺したりしました。日ソ戦争では日本人だけでなく、満州に亡命していた反共産主義のロシア人有力者を見つけ出して処刑しています。住民への過酷な対処は、現代のウクライナ戦争でも共通しており、私は『ロシアの戦争文化』と呼んでいます」

 ――北方領土は今もロシアが支配したままです。

 「岐路となったのは、米国の対応です。最初に千島列島に上陸したがったのは米軍です。対日戦の空爆基地にしたかったのですが、侵攻すると犠牲が大きいと考え、代わりにソ連の進軍準備を支援しました。ソ連軍に艦艇を供与し、島への上陸作戦の経験が少なかったソ連兵の訓練まで請け負いました」

 「それでも米軍は、中部と南部は自ら占領するつもりでした。最北端の占守島(シュムシュ島)など2島と周辺の小島だけがソ連の担当だったのです」

 「ところがソ連のスターリンは8月16日、千島列島と、北海道の釧路と留萌を結ぶ線より北の半分を米国に要求します。当時のトルーマン米大統領は翌日付の返信で、北海道は譲らないとした一方、千島列島は同意してしまうのです。どの島までかは具体的に示さなかったことが命運を分けました。アメリカ軍の幹部が怒り心頭だった記録が残っています。ソ連が米国を狙うミサイル基地になり得るからです」

 「戦後、米国は沖縄や奄美、小笠原諸島を支配しましたが、日本に返還しています。一方、ソ連は北方四島を早々に自国領とします。『喪失』の責任は米国の歴代大統領にもあります。今も米国が北方領土問題に消極的なのは、こうした過去のためでしょう」

 ――日ソ戦争から、どんな歴史的教訓が得られますか。

 「結局のところ、大日本帝国は、終わりに際してあまり国民を守る戦いをしませんでした。むしろ国民を巻き込む戦いをしました。そんな戦い方は避けるべきです。万一の時、国民をどのように守るか、もっと議論を深めるべきだと思います」

 「また、今は台湾と中国に多くの人が目を向けています。しかし、当時も日本は南方だけを考えていました。日本の地政学的な条件は変わっていません。『北』も忘れてはいけません」

 ――それなのに、日ソ戦争は多くの人が「忘れて」いると。

 「二つの『神話』に埋もれた面があります。一つは、米国の原爆投下が戦争を終わらせたという『神話』です。すると日ソ戦争について考えなくなります。二つ目は、天皇の玉音放送があった8月15日の『神話』。戦後は『終戦の日』と呼ばれ、15日以降も続いた日ソ戦争は視界の外に飛んでしまいました」

 「外国の戦争のようにも思われたのではないでしょうか。実際は、日ソ戦争の舞台となった南樺太も千島列島も日本領で、満州には150万人超の日本人が暮らしていました。しかし戦後、日本人が簡単に行くことができない時期が長く続きました」

 「マスコミも、国内は非常に熱心に扱いますが、日本の施政権が及ばなくなったところは、あまり扱いません。広島、長崎や沖縄に比べて、日本社会の中での情報量が明らかに少ない。国や都道府県が主催するような大きな慰霊行事も、ないままです」

 ――冷戦の影響もあったのではないですか。

 「非常に大きかったと思います。冷戦下では言論界も分断され、大学の研究者が日ソ戦争をテーマにすること自体を避ける感覚があったと思います」

 「現地にアクセスできない期間も長かった。満州があった中国と日本の国交回復は1972年。ソ連崩壊は91年。情報が得られ、本格的な調査に行けるようになったのは、その後です。『日ソ戦争』が日本で初めて専門書の書名になったのは99年。それまでは満州、南樺太など個別に研究されることが大半で、全体像を示す言葉がなかったのです」

 ――今のロシアで日ソ戦争はどう見られていますか。

 「ロシアは今も歴史を政治的に利用しています。一昨年から9月3日を『対日戦勝記念日』に位置づけたのは、愛国心を高めて中国との連帯を示し、日本を牽制する狙いからです。千島列島の最北端の占守島では、愛国心を高める施設の建設が進められているという報道もあります」

 「ただ、そこで語られている『歴史』は、必ずしも正確ではない。ロシアの歴史教科書には、ソ連が北海道を占領することについて『米国と合意が成立していた』というフィクションも盛り込まれています」

 ――そんなロシアと、今後どう向き合うべきでしょうか。

 「日本側まで同じように歴史を使って相手をたたくのは、建設的ではありません。日本とロシアの距離は近い。2022年の知床半島沖での遊覧船沈没事故では、遺体が国後島やサハリンに流れ着き、引き渡されました。今年7月にはカムチャツカ半島で地震もあり、事故や災害時は協力しあうべき位置関係にあります」

 「またシベリア抑留の時、日本人の扱いは、担当したソ連兵によって違いました。日本人によくしてくれたソ連兵の中には、過去に家族が日本人に友好的に接してもらった経験がある人もいました。国家同士が互いに大義名分を掲げる中で、どれほど民間交流しても、領土問題は解決しないし争いも防げないかもしれない。でも草の根の交流は、万が一の場合も何らかの交流が戻るきっかけになるかもしれない。日ソ戦争は、そのことも教えてくれていると思います」

J・トー語る

BBC中文との独占インタビューで、ジョニー・トーは、現在の政治情勢の中で香港の映画監督たちがいかに創作に邁進しているかについて語った。「今、私も香港も魂を失ってしまった」と彼は述べ、特に人権と自由を失っていると語った。インタビューの中で、彼は『黒社会』第3作の構想に至るまでの道のりと、撮影がまだ始まっていない理由を明かした。また、ジョニー・トーは『鮮浪潮』を通して、香港の創造的自由と検閲のレッドラインによる制約についても考察した。新世代の監督たちが海外で「香港映画」を制作するケースが増えている中、彼は「新しい香港映画」の未来と、両岸の中国語映画をめぐる政治的論争について語った。

香港の新進監督の育成地と目される「鮮浪潮」国際短編映画祭は、2024年に初めて香港芸術発展局(HKART)からの資金援助を受けられなくなった。ジョニー・トーが自ら立ち上げ、20年近く続くこの取り組みは、香港の新進監督の育成を目的としている。当局によると、「鮮浪潮」は2017年以降、芸術発展局を通じて旧内政局芸術体育発展基金から5年間の移行期間の資金援助を受けており、2022年には2年間延長された。しかし、2024年に当局からの資金援助を受けられず、ジョニー・トーは「これは政府の信頼の欠如を示している」と考えている。





杜Sir.、台湾で。

台湾のフィルムセンターで始まる銀河映像レトロスペクティブにJ・トーが現れるという台湾蘋果の記事です。
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2000年、ジョニー・トーは映画『鎗火』で第19回香港電影金像奨と第37回金馬奨の最優秀監督賞を受賞しました。
「『鎗火』には実はたくさんのストーリーがあるんです!」と語り、親友の邱復生が製作資金を出してくれたことをどれほど幸運だったかを振り返りました。「彼は250万香港ドルを出してくれ、『
香港に帰って製作しろ』と言ってくれたんです!当時、香港では映画に投資する人など誰もいませんでしたから。」

250万香港ドルを受け取って香港に戻ったジョニー・トーは、脚本もなしに急いでスタッフを編成し、わずか1ヶ月で製作準備、19日間の撮影で、彼はほぼ全額を使い果たしていました。
「ですから、今この映画をご覧になったら、間違いやNGシーンがたくさんあるかもしれません!どうかお許しください。19日間で250万香港ドル、全部使い果たしてしまったんですから!」

『鎗火』は、この映画祭でフィルムを通して台湾の観客に上映されました。フィルム素材は、以前から本作の資金提供者である邱富生氏が提供しました。邱富生氏は、『鎗火』の制作、撮影から国際的なプロモーションまで、精力的に支援してきました。邱富生氏は、「この映画は私にとっても、そしてジョニー・トー氏にとっても、非常に大切なものです。30年後、50年後も人々が見たいと思うような映画を、台湾と香港の両方で保存したいと思いました。それが私の夢です」と述べています。

オープニング作品のプレ上映会を主催した国立映画テレビセンターの朱明仁会長は、「撮影終了後、35mmフィルムを東京現像所に送り、適切な温度と湿度の環境で保存してくださった邱富生氏に深く感謝いたします。だからこそ、この映画祭でこのような貴重なバージョンを鑑賞していただけるのです」と付け加えました。

テーマプログラム「奇峯無邊 銀河無際:杜琪峯與銀河映像」では、厳選された20本の映画が、豪華なラインナップで上映されました。これは、銀河映像の作品をテーマにした上映会としては、おそらく過去最大規模です! キュレーターの卓南氏は、映画テレビ視聴覚センターの音響と照明効果も一流で、「最前列の席でも素晴らしい」と強調しました。
さらに、8月23日には『我左眼見到鬼』(2002年)の屋外上映会が、9月7日には『毒戰』上映後に脚本家・游乃海氏による講演会が開催されます。 

破綻が明らかな「核燃料サイクル」 看板降ろせぬのは原発続けるため(朝日新聞有料記事)

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原子力委員会 元委員長代理 鈴木達治郎さん

 極東の資源小国にとって「核燃料サイクル」はかつて、夢の半永久エネルギーかのように言われた。国は1950年代から、高速増殖炉の開発と使用済み核燃料の再処理を国内技術で行うことを目標に、巨額の資金をつぎ込んできた。しかしその「円環」はもう途切れている――そう説き続けてきたのが、国の原子力委員会の委員長代理を務めた鈴木達治郎さんだ。

 福島第一原発事故、そして原型炉もんじゅの廃止など、政策見直しの機会は幾度もあった。それなのになぜ、事実上破綻している「サイクル」の看板を国は下ろせないのか。

高速炉も再処理工場も滞り……

 資源小国日本にとって「核燃料サイクル」は、金看板でした。

 原発から出る使用済み燃料を全て再処理してプルトニウムを取り出し、再び燃料に使う。「夢の原子炉」高速増殖炉で、使った以上の燃料を生み出す。こうしてエネルギーの自主独立が成る――。でも、この永久運動かのような「輪っか」は、もう途切れています。

 国費1兆円以上を投じた高速増殖原型炉もんじゅは廃炉作業中。政府はフランスとの共同開発に望みをつなぎますが、マクロン政権は次世代炉の開発を停止しています。中核である青森県六ケ所村の再処理工場は1997年に完成するはずが、たび重なるトラブルで27回も延期され、まだ本格稼働していません。日本は現在、再処理も、プルトニウムとウランを混ぜるMOX燃料加工も、海外に頼ったまま。つまり、「自主独立」とは程遠いのです。

 高速炉がダメなら、MOX燃料を普通の原発で燃やそうというプルサーマル計画がありますが、これも行き詰まっています。使えずにたまり続けたプルトニウムは現在44.5トン。長崎型原爆7400発分に相当し、国際社会の疑念を呼んでいます。

 経済産業省は、再処理の効果として廃棄物量や有毒度が減ると説明していますが、高速炉が実現しない現状では科学的根拠は希薄。むしろ経済性と安全リスク、核不拡散の面で不利だと、原子力委員会の小委員会も結論づけています。サイクル先進国だった米国や英国、ドイツでも、使用済み燃料を全量再処理せず直接処分する方法が選ばれています。

国民と国際社会が犠牲者に

 そもそも50~60年代、各国が核燃料サイクルを目指したのは、ウラン価格が高騰しプルトニウム発電の方が発電コストが安くなる時代がいずれ来る、という前提条件がありました。でもウラン資源量は飛躍的に増え、一方で原子力開発が停滞してウラン需要は伸びず、是が非でも実現を目指す必要性はなくなって久しいのです。

 それでも国がサイクルを掲げるのは、輪が切れた途端、原発を維持する基盤が崩れるからです。新たな「燃料のもと」であるはずの使用済み燃料は「資産」ではなくなり、青森県から持ち帰るよう各電力会社は迫られる。でも原発立地自治体との約束上、それは難しい。最終処分場もまだ存在しないので、持って行き場はない。破綻が明白なサイクルが続いているかのように取り繕わなければ、原発を続けられないのです。

 独立した第三者機関による総合的評価を行い、サイクル政策を全面的に見直す時です。少なくとも全量再処理を続ける合理的理由はない。六ケ所村再処理工場の総事業費は15兆6千億円。私たちの電気料金で賄われています。タブーなき議論をしなければ、犠牲になるのは国民と国際社会です。

すずき・たつじろう 1951年生まれ。長崎大核兵器廃絶研究センター客員教授。専門は原子力工学、核軍縮・不拡散政策。2010~14年に原子力委員会委員長代理を務めた。電力中央研究所上席研究員などを経て15年から現職。核兵器と戦争の根絶を目指す科学者集団「パグウォッシュ会議」評議員。 
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