香港郊野遊行・續集

香港のハイキングコース、街歩きのメモです。

2025年10月

「哀愁の湖」(1945)

『哀愁の湖』は、ジョン・M・スタール監督、ジーン・ティアニー、コーネル・ワイルド、ジーン・クレイン、ヴィンセント・プライス主演の1945年アメリカ映画。
ベン・エイムズ・ウィリアムズの1944年刊行の同名小説を脚本家ジョー・スワーリングが脚色し、著名な小説家との結婚がきっかけで、激しい、執着心に満ちた、危険な嫉妬心を抱く社交界の名士を描いている。

テクニカラーで撮影され、1945年夏、カリフォルニア州、アリゾナ州、ニューメキシコ州の複数のロケ地で撮影された。『彼女を天国へ』は1945年12月20日にアメリカ合衆国で劇場公開。興行収入は800万ドルを超え、20世紀フォックスにとって10年間で最高の興行収入を記録した。

公開後数十年にわたり、『哀愁の湖』はカルト的な人気を獲得し、心理スリラー、メロドラマ、フィルム・ノワールといったジャンルを巧みに融合させた独自の手法で批評家たちの注目を集めてきました。また、ギリシャ神話の登場人物を題材にした数々の視覚的・物語的な言及でも知られています。本作のタイトルは、ウィリアム・シェイクスピアの『ハムレット』に由来しています。劇中で亡霊はハムレットに、ガートルード王妃への復讐ではなく、「彼女を天国へ、そして彼女の胸に突き刺す棘に身を任せろ」と促した。

2018年、本作は「文化的、歴史的、または美的に重要な作品」として、米国議会図書館によって米国国立フィルム登録簿に登録された。



ニューメキシコを列車で旅していた小説家リチャード・ハーランドは、ボストン出身の美しい社交界の名士、エレン・ベレントと出会う。彼女は、かつて執着していた亡き父を思い出させる彼に特に惹かれる。エレンは、父の遺灰を撒くためにニューメキシコを訪れていた。彼女には、よそよそしい母と、ベレント夫人に養子として引き取られた従妹のルースが同行していた(リチャードはルースからこの話を聞いて驚き、「ベレント夫妻に養子縁組された」と言わなかったことに疑問を抱く)。

リチャードとエレンは、同じ友人宅に滞在していることが分かり、二人は急速に恋に落ちる。リチャードはエレンのエキゾチックな美しさと情熱的な性格に魅了される。しかし、二人の情事は、エレンの疎遠になっていた婚約者、弁護士ラッセル・クイントンの突然の来訪によって中断される。エレンはリチャードを驚かせる中、すぐにリチャードと結婚するつもりだと宣言する。

エレンとリチャードはジョージア州ウォームスプリングスで結婚し、その後メイン州北部の湖畔にある彼のロッジで暮らすようになる。当初は二人の家庭生活は良好だったが、エレンはリチャードが大切に思うあらゆるもの、家族や仕事などに対して病的な嫉妬心を抱いていることが徐々に明らかになる。

​​エレンの家族が突然訪ねてきた際、母親はリチャードに、エレンは執着心が強く「愛しすぎる」衝動に駆られる傾向があると警告しようとする。エレンの憤りは、ポリオで体が不自由になったリチャードの愛する10代の弟ダニーが一緒に暮らすようになると、さらに深まる。ある午後、エレンは手漕ぎボートに乗り、湖畔を泳ぎ切ろうとするダニーの後を追う。彼女は、ダニーが水面に浮かんでいるのに苦労し始めても、わざとらしく彼を励まし続ける。エレンは、彼が水面下に沈み、溺れていく様子をボートから見守る。

ダニーの死は事故と推定され、エレンは同情を装う。バーハーバーの自宅に落ち着いた後、リチャードは落胆する。ルースの提案で、エレンはリチャードを喜ばせようと妊娠するが、後にルースに子供は欲しくないと告白し、「小さな獣」に例える。

ある午後、エレンは流産を誘発しようと階段から身を投げる。エレンは成功し、病院で回復した後、リチャードの新作小説に彼女のことを暗示する献辞があったことを理由に、ルースがリチャードに恋をしていると非難する。ルースはエレンを叱責し、家族を襲った悲劇は彼女のせいだと非難する。リチャードはその言い争いを耳にし、ダニーと胎児の死についてエレンに詰め寄る。エレンはダニーを溺死させたことを全く後悔していないと認め、機会があればまた同じことをするとリチャードに冷酷に告げる。激怒したリチャードはエレンのもとを去るが、証拠不十分と判断して刑事訴追は行わない。

激怒したエレンは、郡地方検事となったラッセルに手紙を送り、ルースが自分を殺害しようと企てたと非難する。数日後、ルースと母親とピクニックに出かけたエレンは、ヒ素を混ぜた砂糖で密かに自殺する。この中毒により、彼女は数日後に多臓器不全に陥る。リチャードが死の床にあるエレンを見舞うと、彼女は秘密裏に火葬を願い、ニューメキシコにある父親の遺灰を撒いた場所に自分の遺灰を撒いてほしいと頼み、リチャードはそれを承諾する。

エレンが亡くなると、ルースはリチャードの指示で遺体を火葬させる。その後、彼女はエレン殺人罪で起訴され、ラッセルが起訴する。裁判中、ラッセルはルースがリチャードと結ばれるためにエレンを殺害しようと企んだと主張し、ルースがエレンを火葬したのは検死を阻止するための計算された行動だったと仕組む。

頑固なリチャードは、エレンのサイコパス的な嫉妬について証言し、彼女が自分とルースを罰するために自殺を殺人に見せかけたと主張する。ルースは最終的に無罪となるが、エレンの行動を隠していたため、ダニーの死の共犯者として懲役2年の刑を宣告される。刑期を終えたリチャードはロッジに戻り、ルースの温かい歓迎を受ける。

1944年5月、20世紀フォックスの重役ダリル・F・ザナックは、ベン・エイムズ・ウィリアムズの未発表小説『彼女を天国へ』の映画化権を購入し、映画化を計画した。 スタジオはエイムズの小説の権利を取得するために法外な10万ドルを費やし、その翌月1944年6月に出版された。この映画と原作小説のタイトルは、ウィリアム・シェイクスピアの『ハムレット』に由来しています。第一幕第五場では、亡霊がハムレットにガートルード王妃への復讐ではなく、「彼女を天に任せ、彼女の胸に刺し貫く棘に身を任せろ」と迫ります。

1944年11月、製作コード管理局(PCA)はジョー・スワーリングによるこの小説の脚本化を承認しましたが、スタジオに対し、エレンが自ら流産を誘発する描写を最小限に抑えるよう強く勧告しました。 PCAは回答の中で、「エレンが胎児の奇形という理由だけで殺害を計画しているという印象を、いかなる形であれ排除することが絶対に必要となる。彼女が胎児を殺害する理由は、生まれたばかりの胎児が夫の愛情を彼女に取って代わると考えているからだという点を明確に証明する必要がある。これは、『中絶』と称される行為に通常伴う印象を避けるために重要である」と述べた。

1945年2月にPCAに提出されたその後の草稿は、リチャードとエレンが結婚前に不倫関係にあったことを露骨に示唆していたため、不承認となった。その後の草稿で不倫関係が最小限に抑えられた後、脚本は撮影が承認された。
プロデューサーのザナックは、20世紀フォックスのフィルム・ノワール映画『ローラ』(1944年)での演技を評価し、ジーン・ティアニーにエレン・ベレント役をオファーした。ルース役には当初フェイ・マーロウがキャスティングされていたが、最終的にジーン・クレインに交代した。 グレン・ロビー役にはトーマス・ミッチェルがキャスティングされていたが、彼もレイ・コリンズに交代した。

『天国への旅立ち』の主要撮影は1945年5月から8月にかけて行われた。当初、湖とその周辺の屋外シーンは太平洋岸北西部のワシントン州とオレゴン州で撮影される予定だったが、最終的にこの地域のロケ地は利用されなかった。代わりに、これらのシーンは北カリフォルニアのシエラネバダ山脈にあるバス湖で撮影された。DVDの解説で、ダニー役のダリル・ヒックマンは、水が冷たすぎてスタントダブルが水泳シーンの演技を拒否したと述べている。その結果、彼は自らシーンを撮影しました。ある場面で筋肉がけいれんし、溺れそうになりましたが、撮影クルーが撮影台から飛び降りて彼を水から引き上げてくれたおかげで、かろうじて一命を取り留めました。追加撮影はモントレーで行われました。

ニューメキシコ州を舞台にした砂漠のシーンは、アリゾナ州のセドナ、フラッグスタッフ、プレスコット北部のグラナイト・デルズなど、複数の場所で撮影されました。ジョージア州ウォームスプリングスを舞台にしたシーンは、パサデナのブッシュ・ガーデンで撮影されましたが、ロングショットとプロセスプレートはウォームスプリングスで撮影されました。



今朝の東京新聞から。

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「銀座化粧」

東京国際映画祭の企画上映でレストア版を観てきました。
16mm.のマスターポジからの4K修復とのことですが、傷はキレイに消されていましたが、シャープな画調とはいえず、ここまでが精一杯というのが残念。
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保釈の判断、人間的だったか 人質司法めぐる元エリート裁判官の自問(朝日新聞有料記事より)

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 一つの論文が、法曹界でひそかに話題になっている。

 刑事裁判官としてエリートコースを歩み、現在は日大法科大学院で刑事訴訟法を講じる藤井敏明さんが今年3月に発表した。裁判官による被告人の保釈の判断が、不当な拘禁を禁じた憲法に反する運用になっていないか――。そこには、古巣と過去の自分を省みる言葉が記されていた。

 大川原化工機をめぐる冤罪事件では、がんで亡くなった同社元顧問の保釈請求に東京地検は「罪証隠滅のおそれがある」と反対し、東京地裁はそれをなぞるように却下を繰り返した。警察と検察による捜査・立件の違法性は国家賠償訴訟で断罪されたが、裁判所の責任は問われず、遺族は保釈判断について検証を求めている。

 裁判所は「人権の砦」としての役割を果たせているのか。「人質司法」を改めるため、裁判官にはどのような実務が求められるのか。藤井さんを訪ねた。

無罪推定と憲法の原則に沿った運用か

 ――プレサンスコーポレーションや大川原化工機をめぐる冤罪事件などで、裁判官への批判が高まりました。

 「当たり前ですが、裁判で有罪が確定する前に人を処罰することは許されない。二つの事件で逮捕・起訴された幹部らが長期間身体を拘束され、企業経営を行う自由だけでなく適切な治療を受ける機会すら奪われたことは、実質的に処罰を受けたのに等しく、正当な理由のある拘束か疑問です」

 「ただ、捜査機関の誤った見込みに基づく身柄拘束や訴追は今後もなくなるとは考えられません。人間は誰しも認知バイアスを免れず、昇進欲や組織の存在誇示などの動機からも、不当な捜査が行われてきました」

 「起訴事件の有罪率99%という状況下で、無実の人を拘束している可能性を裁判官が意識しているのかが問題です。また、憲法34条は、正当な理由なく拘禁されない『人身の自由』を保障しています。裁判官による勾留や保釈の判断は、この『正当な理由』に適合するかどうかが問われます」

 「すなわち、適正な裁判を行うためという身柄拘束の目的と、被疑者・被告人の権利や自由の制約という手段とが均衡しなければならないという『比例原則』に基づき判断される必要がある。現在の保釈実務は、それが十分に検討されているか疑問があります」

あまりに広い「罪証隠滅のおそれ」の解釈

 ――刑事訴訟法の保釈除外についての規定の「罪証を隠滅すると疑うに足りる相当な理由」があまりに広義に解釈、運用されていると指摘していますね。

 「仮に被告人による証人への働きかけが行われても、それによって証人が偽証して、裁判官の判断が誤ったものになる可能性が認められなければ、罪証隠滅のおそれがあるとは言えないはずです」

 「そもそも、保釈時には事件関係者への接触禁止など厳格な条件が課されます。違反すれば保釈を取り消され保証金も没収されるだけでなく、偽証教唆罪にも問われ得る。そんなリスクを冒す者は現実的にどれほどいるでしょうか」

 ――「罪証隠滅」規定が保釈請求の却下に多用される理由として、刑訴法の別の条文の不備も指摘していますね。

 「裁判官がこの規定を限定的に解釈することの障害となっているのが、勾留期間について定めた60条2項の規定です。起訴後の勾留は2カ月で、特に必要がある場合には1カ月ごとに更新できると定められています。更新は1回に限られますが、その制限が除外される場合があり、逃亡のおそれはその除外規定には含まれていません。実刑が確実に見込まれるような被告人を釈放すれば逃亡する可能性が高くても、『罪証隠滅のおそれ』以外の理由では更新の制限を逃れられない場合があり、そのことが解釈を緩くしています」

 「本来は起訴後勾留が不当に長くならないために設けられたはずの条文ですが、逆に長期拘束の原因になっている。この60条2項を削除すれば、罪証隠滅のおそれに関する緩い解釈は、改善される可能性があります」

検察官との情報格差が呼ぶ「相場」処理

 ――しかしそれでも、裁判官が「罪証隠滅」の対象や方法、客観的可能性をもっと精査できないのでしょうか。なぜ、裁判官はこれほど「罪証隠滅のおそれ」を認めるのでしょうか。

 「罪証隠滅や逃亡のおそれがどの程度あるかは、将来の行動を予測する判断になるので、誰にも確実なことは言えません。そして、被告人の身柄の取り扱いに、裁判官によって大きなバラツキがあることは望ましいことではないと考えられがちです」

 「証拠の内容を知り尽くしている検察官に比べ、公判審理前の裁判官は情報量が圧倒的に少ない。罪証隠滅のおそれが高いとして保釈に反対する検察官の意見を排斥できる理由は見当たらないとして処理し、それが裁判所における『相場』にも沿っていると考えられることが多いのではないでしょうか」

 「予断排除のため、公判と保釈判断は別の裁判官が担います。自分が審理しない事件の被告人を保釈して万が一、逃亡や証拠隠滅が生じて公判を壊してしまっては申し訳ない。そういう心理もあると思います。特に国民の処罰感情が強い事件では、従来と違う運用をすることへのためらいを誰しも持つのではないでしょうか」

 「保釈請求の度に裁判官が代わることは多いですが、検察官に事件記録を提出させ検討するものの、短時間で膨大な資料を読み込み事件の本質を見抜くのは、現実問題としてなかなか難しいという側面もあると思います」

 ――大川原化工機の社長ら3人の保釈請求は計20回に及び、判断に関わった裁判官は23人とされます。

 「保釈請求は却下されても、何度も請求できます。ただし、一度判断された保釈について同じ理由によって蒸し返すことはできず、新たに請求する際には、前回以降の事情変更があることを主張する必要があります」

 「否認事件では公判前整理手続きが行われることが多いですが、その初期に保釈請求しても、争点と証拠の整理が進んでいないなどとして却下されることが少なくありません。その結果、場合によっては数カ月から1年以上かけて、争点と証拠の整理が完了するか相当程度まで進んだ段階にならないと、事情変更があったとは認められない。そうした構造的問題があります」

 「この問題を解決するためには、仮に有罪となっても執行猶予となることが見込まれる事件や、無罪判決の可能性があると思われる事件などでは、公判前整理手続きの早期に、裁判官の裁量で保釈する必要があると思います」

実質的な保釈判断できる法改正も視野に

 ――大川原化工機への冤罪では特に、胃がんで亡くなった元顧問による8回の保釈請求を却下し続けたことへの批判が高まりました。最高裁は年明け、個別事例を検証しないものの、保釈の運用について議論を始めます。ただ、憲法が保障する「裁判官の独立」は検証を避ける理由になるのでしょうか。

 「個々の判断を事後に上級審から検証されれば、将来の審理を縛りかねず、他の裁判官の判断にも影響を与えてしまう。やはり検証は難しいでしょう。ただ、それでは遺族も国民も『何も責任を感じていないのか』と裁判所への不信感を募らせるだけ。なぜ検証できないのかという説明と、議論を始めるという表明は、遅くとも最高検と警視庁が検証結果を発表した8月には行うべきでした」

 ――大川原化工機の冤罪事件で問題視されたような保釈実務を改めるには、どうすればよいのでしょうか?

 「他の裁判官が担当する公判を壊したくないという心理が保釈への積極的姿勢にブレーキをかけているのであれば、公判前整理手続きを担当する裁判官が保釈の判断をできるよう法改正すべきです。また、それによって、保釈請求の度に裁判官が代わる可能性を避けられ、同じ裁判官が継続的に保釈を判断することになり、請求の都度、裁判官が一から事件記録を読む必要もなくなります。少なくとも現在よりは、自らの責任で、より実質的で適切な判断ができるようになるはずです」

大川原化工機めぐる保釈、自分も却下していたかも

 ――今年発表した論文で、自身の裁判官現役時代を省みています。

 「大川原化工機やプレサンスコーポレーションの冤罪事件で保釈請求を却下した裁判官は、もしかしたら自分だったかもしれないと感じます。判決の宣告のような重みを感じながら勾留や保釈の判断をしてきたかというと、そんなことはありませんでした」

 「実際、主張が対立し争点がまだわからない、あるいは弁護人への信頼が持てないという理由で、保釈請求を却下したことがあります」

 「先例や標準的な運用に従う保守性は裁判所の特徴的性質ですが、裁判官も本来持っているはずの人間的な感覚がもっと判断に反映されなければならない。後に補償や国家賠償を得られたとしても、不当な身柄拘束の損害で失われた時間や命は取り戻せません。憲法は、不当な身柄拘束を防ぐ役割を裁判官に求めているのです」

ふじい・としあき 1956年生まれ。
82年に判事補任官。東京地裁や東京高裁の判事、最高裁調査官、司法研修所教官、長野地裁所長などを経て、2022年に退官。同年から日大法科大学院教授。

【明石順平】

否認事件において、裁判官が罪証隠滅のおそれを理由として安易に保釈請求を却下する原因は、「先輩達がそうしてきたから」である。 個々の事件を具体的に判断しているようでいて、そうではない。最初から「却下」という結論があり、「罪証隠滅のおそれ」は表向きの理由に過ぎない。だから、どう考えても罪証隠滅のおそれなど無い場合でも、「ある」として保釈請求が却下される。 裁判官は身柄拘束について「令状自動発券機」と揶揄されることがある。検察官の言いなりになって身体拘束を認めるからである。保釈の判断も検察官の言いなりである。そうなる原因は「先輩たちがそうしてきたから」というだけである。 いったん「相場」ができると裁判官は思考停止する。相場に従って判断するだけである。それが一番楽であり、自らの保身に有利だからである。中にはそうではない裁判官もいるが、ごく少数である。 しかし、個々の裁判官の姿勢を批判しても何も変わらない。組織で働く人間はそういうものである。保釈運用について最高裁から具体的な改善指示が無ければ、この状況が変わることは無いだろう。

 

州兵派遣の街の抵抗 大統領、裸で自転車に乗っては? N.Y.Times

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ニコラス・クリストフ

 「戦争で荒廃した」街の「国内テロリスト」と戦う、としてドナルド・トランプ大統領がオレゴン州ポートランド市に派遣した州兵たちは、予想外の試練に直面することになるだろう。それは、裸の自転車乗りたちだ。

 裸での自転車ライドは、ポートランドの恒例イベントだ。ある団体は「我々の街が軍事化されることへの対応」として、イベントの開催を発表した。

 ここでいう戦場とは、こんな感じだ。

 怒りに燃えるポートランド市民は、ポートランドを「地獄」と表現したトランプ氏に反論するため、インスタグラムで美しい街の風景の写真を共有している。

 ポートランド郊外に住むオレゴン州民の私は、この街には神聖な環境と天使がつくったような料理など、天国のような魅力があると証言できる。だが、公平を期して言えば、重大な問題も抱えている。ホームレスの問題は解決困難で、昨年の殺人事件の発生率はニューヨーク市の2倍以上だった(ただし、今年は前年同期比で41%減少しているが)。ダウンタウンは全米で最もオフィスの空室率が高い場所の一つだ。企業が撤退し、長期的な経済課題となっている。

 州兵たちがオフィススペースを借りれば、ポートランドの助けになるかもしれない。しかし、トランプ氏が「内からの戦争」と戦うためとして兵を送るこの手法は、この街の問題を解決せず、むしろ悪化させる可能性がある。

 実際、私の直感では、トランプ氏がポートランドに兵を送る主な目的は、街頭での暴力を引き起こし、犯罪に厳しい指導者としての彼自身のイメージを強化しつつ、ジェフリー・エプスタイン・ファイル(注:トランプ氏を含む歴代大統領らと親交があったとされる資産家。未成年者の性的人身売買などの罪で起訴され、2019年に自殺した同氏の捜査資料)や、経済の低迷、物価上昇といった問題から有権者の目をそらすことにある。

 トランプ氏の計画は成功するかもしれない。短気な若者たちを扇動して、反撃させる可能性は十分にある。オレゴン州のリーダーたちは市民に対し、踊らされて反応することのないよう呼びかけ続けている。「えさに食いつくな」。それが民主党関係者の口癖だ。

派兵は「必要もなく、望まれてもいない」

 2020年、白人警官が黒人のジョージ・フロイドさんを殺害した事件に対する抗議活動への対応でトランプ氏が連邦軍を派遣しようとしたとき、多くのポートランド市民がえさに食いつき、暴力的な衝突に発展した。振り返ってみると、善意から行われたこうした抗議活動は、人種的正義を前進させることはなく、ポートランドと民主党のブランドを傷つけた。無法状態が広がり、2022年まで殺人事件が急増した。

 ポートランドの犯罪率は依然高いとはいえ、その後は減少している。今年は移民税関捜査局(ICE)の事務所前で抗議活動や小競り合いがあり、これがトランプ氏を警戒させたようだが、ここ数週間は沈静化していた(トランプ氏が派兵を公表するまでは)。

 「反乱が起きていようがいまいが、ポートランドは、反乱を起こした地域のように扱われるひどい運命にあるのだろうか?」と、ポートランドの新聞「ウィラメット・ウィーク」の記者は問いかけた。

 トランプ政権が予算の逼迫を理由に国民の健康保険加入を阻む一方、ポートランドへの派兵に1千万ドルもの予算を費やそうとしているのも腹立たしいことだ。ポートランドでは必要もないし、望まれてもいない。

 改革派で実業家の新ポートランド市長キース・ウィルソン氏は、本当に必要な分野への連邦政府の支援ならば喜んで受け入れると述べた。「代わりに、教師100人や技術者100人、あるいは依存症対策の専門家100人を派遣したらどうだろう」と記者会見で物憂げに語った。

独裁者の典型的な行動に警戒

 私はキャリアの多くを独裁政権の取材に費やしてきたので、トランプ氏が批判的な人々や民主党支持の街に罰を与えるために、事実上自らの親衛隊を創設しようとしていることに、特に警戒感を抱いている。これは独裁者の典型的な行動で、1989年の天安門事件のような極端なケースでは、こうした軍隊が抗議者を虐殺するために使われたのを見てきた。

 ここでそんなことは起こらないと思うが、トランプ氏はかねて、反対派を抑圧するために軍事力を動員することに関心を示してきた。2020年、人種差別に抗議する人々について「撃てばいいじゃないか?」「脚などを撃てばいいんじゃないか?」と尋ねてきたと、元国防長官のマーク・エスパー氏は回想した。連邦判事のウィリアム・G・ヤング氏は既に、トランプ政権が移民当局の捜査官を動員し、パレスチナ人を支援する移民の発言を組織的に封殺し、学内活動を萎縮させたと認定している。

 1990年代にアイダホ州ルビーリッジやテキサス州ウェーコで起きた衝突事件で、連邦軍の行き過ぎた介入を非難していた保守派が、今やトランプ氏が国中に連邦軍を派遣するのを称賛していることには、驚かされる。

 もしトランプ氏がオレゴン州で本当に反乱を起こしている人を見つけたいのなら、私はどこにいるのか教えることができる。2021年1月6日の連邦議会議事堂襲撃事件に加わったとして有罪判決を受け、今は大統領恩赦で免責を享受している人が数人いる。

勢力を拡大する覆面捜査官たち

 トランプ氏は、特にICEを強力な武装組織へと変容させている。捜査官たちはしばしば覆面をかぶり、身分証明書の提示を拒否し、路上から人々を覆面車両で連れ去っている。レーガン元大統領が指名したヤング判事は、捜査官の覆面着用が「ひきょうなならず者や、軽蔑された(白人至上主義の秘密結社)クー・クラックス・クラン(KKK)」を連想させ、「アメリカ国民を恐怖に陥れて沈黙させる」ことを意図するものだと警告した。

 トランプ氏は、国内で活動するこうした影の勢力を大幅に拡大している。ICEの予算は、連邦捜査局(FBI)や麻薬取締局、連邦刑務所局とその他の連邦機関の予算総額を上回る見込みだ。

 トランプ氏は9月、国家安全保障に関する大統領覚書を出し、連邦政府の対テロ権限を行使し、国内の脅威を鎮圧するよう指示した。この脅威には「反米主義、反資本主義、反キリスト教」や「移民や人種、ジェンダーに関する極端な思想」を掲げる人たちも含まれると、指令は示唆している。

 トランプ氏は米軍を政治化し、より個人的な軍隊に変えようとしている。この夏、彼は海兵隊員700人をロサンゼルスに派遣した。州兵ではなく正規軍の国内派遣は30年以上なかったことだ。国土安全保障省長官のクリスティ・ノーム氏は、その意図は「社会主義者たちから都市を解放すること」と主張し、政治的な目的を示唆したようだ。

 トランプ氏は国内での武力行使を可能にする反乱法を発動させる考えをほのめかしてきた。州兵のポートランド派遣でそこに少しずつ近づいている。国内の都市を軍事的な「訓練場」として利用するよう推奨したのは、とりわけ不適切だ。

 「我々の軍隊を政治化し、自国のコミュニティーの同胞のアメリカ人を威嚇させるというこの危険なパターンは、まさに非アメリカ的である」と、退役軍人でイリノイ州選出のタミー・ダックワース上院議員(民主党)は記している。

 さて、トランプ大統領。私たちを独裁政治に引きずり込むのではなく、別の道を選ぶことで冷静になることを提案させていただけないだろうか。そう、例えばポートランドで裸になって自転車に乗るとか。 

「神探」N.Y.公開インタビュー(2008年)



1996年に香港で銀河映像を設立して以来、ジョニー・トーは世界で最も想像力豊かで多作なジャンル映画監督として活躍してきました。アメリカでは主に『​​ミッション』(1999年)や『放逐』(2006年)といった、自己反省的でスタイリッシュなギャング映画で知られていますが、数々のヒット・ロマンティック・コメディも手掛けています(2002年の恍惚の超自然ラブストーリー『左目は幽霊を見る』など)。どんな題材であれ、彼の映画は熟練の職人技で躍動し、すべてのショットは最大限の明瞭さと緊張感を求めて巧みに調整されています。トー監督の映画には無駄な動きは一切なく、銃声や目玉のシーンの一つ一つが、その背後にいる登場人物の重みを物語っています。

トー監督は、脚本家でミルキーウェイの共同設立者でもあるワイ・カーファイと、ボディビルディングを題材にした仏教スリラー『大雙佬』(2003年)など、彼の最も大胆なプロジェクトでタッグを組んできました。そして、ニューヨーク・アジアン・フィルム・フェスティバルで上映され、7月18日にニューヨークで公開される『神探』でも再びタッグを組んでいます。燃え尽き症候群に陥った警官(ラウ・チンワン)が、人間の内面の人格をそれぞれ別の人間として見ることができると主張する、難解なノワール映画です。ブラックコメディと心理的な思索を、ピストル・オペラの要素に押し込めています。私はトー監督とメールで、この映画だけでなく、彼の崇高な新作スリ物語『文雀』(今年のニューヨーク・アジアン・フィルム・フェスティバルにも出品されているが、現在アメリカでは配給されていない)、そして次回作であるジャン=ピエール・メルヴィルの『仁義(Le Cercle Rouge)』のリメイクについても話す機会を得ました。

ワイ・カーファイとの仕事関係はいかがですか?彼は『神探』で共同監督としてクレジットされています。

簡単に言うと、ワイ・カーファイは銀河映像の頭脳であり、私は現場を担当する腕だと考えています。すべてのアイデアはワイ・カーファイから生まれますが、撮影に関わることはすべて私が担当しています。『神探』では、ストーリーが非常に複雑だったため、ワイと私は一緒に撮影現場にいました。私が間違った撮影をしないように、頻繁に話し合いました。ワイがいなければ、『神探』は存在しなかったでしょう。

『神探』の最後の銃撃戦や『大事件』の長回しのオープニングテイクのような、大規模なアクションシーンを撮影する際、どのように準備するのですか?事前にすべてのショットの絵コンテを作成するのですか?それとも、現場に到着してからブロッキングを決めるのですか?それとも両方ですか?

私は絵コンテは作成しません。すべて頭の中で管理しています。『大事件』では、最初のロケハンの後、キャストやスタッフとリハーサルをしながら、段階的にシーケンスを計画しました。あまり早く計画を立てるのは好きではありません。撮影の楽しさが薄れてしまうからです。

『文雀』は3年間かけて撮影されたと伺いました。制作プロセスについて教えていただけますか?

『文雀』は私にとって、個人的で楽しいプロジェクトでした。シーンでもイメージでも、アイデアが浮かんだ瞬間に撮影していました。基本的には3年間撮影していましたが、プロジェクトの合間には3~4ヶ月ごとに数日ずつ撮影していました。ベルリン映画祭の招待がなければ、おそらく撮影を続けていたでしょう!俳優たちの忍耐力と、3年間を通してほぼ同じ姿勢を保っていた能力に、本当に感謝しています。

この映画の当初の構想はどのようなものでしたか?撮影の過程で変化はありましたか?

『The Mission』を撮影した時は、ボディガード集団の話でした。その後、『PTU』を制作しましたが、こちらは警官集団の話でした。そこで、今度は銃や流血なしで、チームワークをテーマにした映画を作るのは楽しいだろうと思いました。

音楽についてコメントをいただけますか?ミシェル・ルグランがジャック・ドゥミ監督のために手がけた作品に大きく影響を受けているようですね。

私にとって「オールド・香港」は東洋と西洋の文化が融合した場所でした。ですから、「エキゾチック・オリエンタル」という響きが、この映画にぴったりだと思いました。「スージー・ウォンの世界」の音楽にも通じるものです。映画のラストシーンはジャック・ドゥミ監督へのオマージュなので、作曲家もその方向性を汲んでくれました。

あなたの作品はフィルムの粒子感を非常に豊かに表現されていますが、デジタル写真についてどうお考えですか?HDで撮影することを考えたことはありますか?

私は35mmフィルム派ですが、ニコンD3など、最近のデジタルカメラの進化には感銘を受けています。また、デヴィッド・フィンチャー監督の「ゾディアック」の手法もとても気に入りました。

「ボーン」シリーズは、アメリカで過激な編集手法でちょっとした話題を呼びましたね。編集を非常に重視する方として、これらの映画をご覧になったことはありますか?また、そのスタイルについてどう思われますか?

『ボーン』シリーズは詳しくありませんが、編集はストーリーテリングにおいて非常に重要であり、単に動きやスピード感を与えるためだけのものではないと思います。香港映画は過去に編集に重点を置きすぎて、結局、観客はストーリーそのものに興味を示さなくなってしまったのです。

あなたは非常に多作な作家で、ジャン=ピエール・メルヴィルの『赤い輪』のリメイクの準備を始めたと聞きました。映画監督として、メルヴィルのどのような点を重視していますか?

リメイク版は現在企画中で、脚本はワイ・カーファイが手掛けています。

私の作品とメルヴィルの作品は、視覚的な面だけでなく、哲学的な面でも多くの共通点があると思います。 
正直に言うと、若い頃はメルヴィルのことをあまり知りませんでした。アラン・ドロンのファンだったので、彼の映画は公開当時から全部観ていました!

香港オーバーツーリズム

ショッピング天国から山の楽園へと変貌を遂げた香港は、高層ビル群と金融の中心地として知られ、その美しい自然と豊かな生物多様性を満喫する観光客をますます多く惹きつけています。しかし、このエコブームは静かに懸念を引き起こしています。

ゴールデンウィーク初日(10月1日)、環境団体グリーンピースは香港のサイクン諸島を訪れ、ユネスコ世界ジオパークに指定されているシャープ島を1日で4,000人以上が訪れたことを明らかにしました。彼らは、スニーカーでサンゴを踏みつける、沿岸生物を掘り起こす、違法な焚き火調理、ゴミのポイ捨てなど、数々の生態系破壊行為を目撃しました。これらの写真が公開され、広く注目を集めました。

受け渡される歌舞伎の芸 松本錦吾さんが語る「高麗屋」七十余年(朝日新聞有料記事より)

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 親から子へ、師から弟子へ。歌舞伎の芸は、人から人へと受け渡されてきました。11歳で「高麗屋」(松本幸四郎家)に入門して七十余年、一門の最長老であり、名脇役として舞台を支え続けてきた松本錦吾さんに聞きました。

高麗屋入門の巡り合わせ

 11歳で八代目松本幸四郎師(初代白鸚、1910~82)の内弟子になりました。いまの十代目幸四郎(52)の祖父です。この入門には、あるいきさつがありましてね――。

 私の父も歌舞伎役者で、七代目幸四郎さん(1870~1949)の弟子だったのですが、途中から関西歌舞伎に移り、私は大阪で生まれ、京都で育ちました。

 八代目が、主演映画「花の生涯」を京都で撮った時、父に声を掛けてくださった。両親は八代目夫妻が滞在していた旅館にあいさつにうかがったのですが、その場で、母が脳溢血で倒れてしまった。その時、おふくろは奥様の手を握り、「忠(ただし)をお願いします」と頼んだそうなんです。忠は私の本名です。それが8月のこと。10月には東京に来て、八代目の家から小学校に通い始めました。

 以来、70年以上、「高麗屋」(幸四郎一門)のひとりとして舞台を務めています。役を演じるのはもちろん、後見(舞台上で演者を補佐する役)としても、ありとあらゆる舞台に立ち会ってきたので、たいていの演目は、せりふも声の調子も、動きも、この体に染みついている。

 例えば、高麗屋の家の芸である「勧進帳」は、子供時代に「太刀持ち」で出て以来、弁慶と富樫以外は、義経、四天王、番卒と全ての役で、千何百回演じています。だから、十代目、その息子の市川染五郎(20)にも、先人たちがどう演じてきたのか、具体的に、しっかり伝えています。それが11歳から育ててくれた師匠への恩返しです。

 映像を見て、形をまねることは出来ますが、衣装の重さ、差した刀の具合などを考えながら、どのくらいの勢いで動き、脚を踏ん張るのか、といったことは、体験していないとわからない。「ビデオ先生」は教えてくれませんからね。

 高麗屋一門が東宝へ移籍した時期は、もちろん、一緒に行きました。当時の若旦那(六代目染五郎、九代目幸四郎、現・二代目白鸚=83歳)がシェークスピアの「ハムレット」を演じた時は、私も出ましたよ。タイツをはいたのは、あの時だけですが。ミュージカルですか? それは出てない。私が歌うと、長唄になっちゃいますから、ははは。

 7月に前橋市で舞踊公演がありました。戦争中、群馬に疎開していた七代目が、戦後すぐ、復興のために「橋弁慶」を演じた縁で、80年ぶりに、ひ孫の十代目が同じ演目の一部を披露し、私が振り付けました。「橋弁慶」は昔、父に教わった。父は師匠の七代目に習ったと思います。巡り巡って、つながっているのですねえ。

 教えるということでは、国立劇場の歌舞伎俳優養成の講師をずいぶんやりましたよ。アマチュアでは、いろいろな大学の歌舞伎研究会の指導もしていました。新潟へも教えに行っていました。いまも関わっているのは、九州の「久留米ちくご大歌舞伎」。今年も10月26日に公演があります。

 歌舞伎座の「秀山祭九月大歌舞伎」の「寺子屋」での春藤玄蕃は、初めて演じた役でした。小太郎で出た東京での初舞台から、何度も何度も出ていますから、初役といっても、せりふは入っていて、苦労はないのですが。

 「書きもの」(新作)のせりふが覚えられなくなったら引退だと思っていますが、まだ頭に入るので、しばらくは現役で舞台に立てそうです。

まつもと・きんご 1942年生まれ。
49年に大阪で初舞台。53年八代目松本幸四郎の弟子に。65年、三代目松本錦吾を襲名。88年に幹部に昇進した。国立劇場の歌舞伎俳優養成の講師も務めた。
 
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