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 「こういう時代ですから、新しいもの、面白い娯楽、たくさんございますけれど、愚直に古いものを守っていく俳優が、いてもいいのかなと思っております」

 若手女形の中村梅枝(36)は、多様な新作が彩る近年の歌舞伎界にあって、古典の作品を軸に取り組んできた自身の姿勢を「愚直」と表現する。6月、歌舞伎座で、父が43年間名乗ってきた中村時蔵の名を六代目として襲名する。大きな節目を控え、その思いを聞いた。

 ――いよいよ襲名です。

 「6月公演の台本が届きまして、台本の宛名が『中村時蔵様へ』となっておりましたので、そうか、次の公演からは時蔵なんだなということを実感しました」

「僕には、まだ早い」父からの勧め、一度は断った

 ――お父様から襲名のお話があったのは2021年6月、博多座の公演に出演中のことだったそうですね。

 「話があると言われ、ご飯に誘われて。『何の話だろう』と思っていたんですよ。そうしたら時蔵を譲ると言われて。想像していなかったので戸惑いました。皆さんが『いいんじゃない』と言ってくれるかどうか不安でしたし、父に死ぬまで時蔵でいてもらいたいという気持ちもありましたから、『僕には、まだ早いと思います』とお断りをしました。それから約2年、ことあるごとに「どうだ」と言われるので、父に会わないようにしていましたね」

 ――決意するきっかけとなる出来事があったのでしょうか。

 「一昨年の末かな。中村獅童の兄さんが父に、『6月の萬屋錦之介の公演を復活させたい』という相談をされまして。その時に父が、名前を僕に譲ろうと思っているという話を、兄さんにしました」

 ――お父様の時蔵さんと獅童さんは、三代目中村時蔵を祖父に持つ、いとこの間柄。萬屋錦之介は、お二人には叔父にあたります。20代で映画界に転じましたが、1970~90年代、6月に歌舞伎座で、一家に連なる俳優を中心とした公演を開いていました。

 「私が初舞台をさせて頂いたのも、その公演でした。昨年、『新作歌舞伎 ファイナルファンタジーⅩ(FFⅩ歌舞伎)』の稽古で獅童の兄さんとご一緒になった時に『どうなの?』と。『僕には、まだ時蔵は無理だと思います』と言うと、『そんなことないと思うけれど』と言って下さって。それも大きかったかなあ」

 「兄さんの『小川家(三代目時蔵家の本名)で芝居を開けたい』という願いは、確かに僕もそう思いました。定例化するかどうかは分からないにしても、一つ形になっていけば、小川家は人数が多いですし、女形も立役(たちやく)もいて、老け役もできる。若い人や子供もいます。ほぼ大体の演目ができるはずですから」

成長した若手「力になってあげたい」

 ――この公演では、梅枝さんの息子さんが五代目梅枝、獅童さんの二人の息子さんが、中村陽喜(はるき)、中村夏幹(なつき)として初舞台を踏みます。

 小川家の方に限らず、梅枝さんより年下の20~30代前半の俳優さんが近年、新春浅草歌舞伎をはじめ、若手公演で活躍するようになってきました。

 「彼らが浅草歌舞伎を10年間やってきて、力をつけてきていることも感じます。何より『FFⅩ歌舞伎』に出た時、僕は(新作に)慣れていない分、年下の中村米吉君や中村橋之助君、上村吉太朗君に随分助けられました。そうした姿を見て、古典でも彼らと一緒にやっていきたいという思いは、強くなってきました」

 「新作になると、どうしても若い子たちの力が必要になります。でも、彼らも古典に出たくないわけじゃないのは、よく知っているので、なるたけ彼らの力になってあげたい。彼らに力がつけば、様々な古典でお客様の心を打つ芝居が出来るようになる。それは新作にもいかされていくと思います」

 ――梅枝さんご自身は先輩たちと、古典の作品に出演することが多かったですね。

 「同い年や1歳違いの俳優がいるのは、うらやましいです。切磋琢磨もできるし、いずれ良い関係性になっていくものだと思いますのでね。僕は常に一番年下で、一番下手、という時が本当に多かったです。なので、うぬぼれる暇はなかったですね。いま振り返ると、それはとてもありがたかった」

お客様の心に残る芝居を

 「古典の難しさに初めて直面したのは、『寺子屋』の戸浪を演じた時です(12年)。そこから、何をどうしたらいいか分からない時代が続きました。(15年に)『義経千本桜』の典侍(すけ)の局(つぼね)を演じることになり、坂東玉三郎のおじ様に初めて指導して頂いたのは、かなり大きかったです。おじ様には、答えではなく、考え方の新たな選択肢を示して頂いた感じがしました。そこから随分変わりましたね。それで(18年に) 『壇浦兜軍記(だんのうらかぶとぐんき)』の阿古屋を演じることにまで、なりましたので」

 ――襲名披露として、6月の歌舞伎座では、大化の改新を題材にした「妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)」から、「三笠山御殿」のお三輪。7月の大阪松竹座では「嫗山姥(こもちやまんば)」の荻野屋八重桐(おぎのややえぎり)を、共に初役で演じます。

 「お三輪にとって、好きな男性を救うことが結局、政変を助けることにつながっていくわけですけれど、それを最初から背負って出てきてしまうと、哀れさが薄れていってしまいます。どれだけ『恋に恋する』普通の町娘として出てこられるかということが、僕はとても大事だと思っています」

 「『嫗山姥』は、うちではとても大事にしている演目です。父は、曽祖父と祖父のやり方を覚えていた古いお弟子さんの中村時蝶さんに教わり、それを今回、私が受け継ぎます。とても古風でね。様々な役柄が出てきて、派手で明るい。いい演目ですし、今後もやっていきたいなと思います」

 ――時蔵として、改めて大事にしていきたいと考えているのは、どのようなことでしょうか。

 「『歌舞伎とはなんぞや』と聞かれると、やはり古典の演目に、その要素が多分に含まれると思います。なるたけ古典を突きつめて、その中でお客様の心に残るような芝居を模索していければと思っています」

 「今の若い子を見ていると、やはり新作に多く関わっているせいか、とにかくテンションで乗り切ろうとする人が、とても多いんですね。『芝居は気持ち』。その通りなんですけれど、『気持ちがあればいい』という理論でいってしまうと、歌舞伎はどの俳優さんでも出来ることになってしまう」

 「気持ちを伝えるには、技術が必要です。歌舞伎のような古典芸能では、その技術をきっちり習得し、それを使ってお客様に感動を伝えるのが、とても大事なことだと思っています。歌舞伎の品や格のようなものを、自ら落とすようなことは、僕はしたくない。まだまだ途中ですけれども、それをちゃんと習得し、その上でお客様に見て頂く。僕の使命かなと思っています」

 「口幅ったいことを申しまして……」

(聞き手・増田愛子)