
今年で誕生140年を迎える米ロサンゼルスの日本人街「リトル東京」が「存続の危機」に直面している。現地を訪れると、米国に残された数少ない日本人街を守ろうと、奮闘する人たちがいた。
(ロサンゼルス=五十嵐大介)
5月の週末、リトル東京の中心部は日本食を目当てにした多くの米国人らでにぎわっていた。アニメショップや日本食店がひしめき、地元ドジャースの大谷翔平選手のグッズなどが店先に並ぶ。白人やヒスパニック系の姿も目立つ。

「訪れる人の多くには、この地区が繁栄しているように見えるかもしれない。だが、多くの外からの圧力や脅威にさらされている」。全米日系人博物館のクリステン・ハヤシさんはそう話す。
米国の非営利団体「歴史保護ナショナル・トラスト」は5月、「米国で最も存続の危機にある歴史地区」11カ所を発表。リトル東京は「この地区をユニークにしてきた歴史的特徴が脅かされている」としてリストに入った。ハヤシさんら地元の関係者はリスト入りを後押ししてきた。「リストに載ることで、人々の関心を集めたかった」とハヤシさんは言う。
リトル東京は1884年、「チャールズ・ハマ」の名で知られた日本人漁師シゲタ・ハマノスケ氏が米国風カフェ「カメ・レストラン」を開いたのが始まりとされる。日本人への排斥運動が強まった1920~30年代、リトル東京は日系人が住むことが許された数少ない場所としてにぎわった。1906年の地震に見舞われたサンフランシスコからも日系人が移り住み、第2次大戦前には3万5千人以上の日系人が暮らした。

真珠湾攻撃翌年の42年、西海岸の日系人が強制収容所に送られ、日本人の姿は消えた。代わりに軍需産業の労働者として南部から移住した黒人が住むようになり、「ブラウンズビル」と呼ばれた。戦争が終わると日系人が戻り始め、街はにぎわいを取り戻していく。70年代以降、日本企業の海外進出が進み、駐在員や旅行者も買い物に来るようになった。
日本の陶器などを売る羅府物産を切り盛りするキャロル・タニタさん(67)は、10代だった70年代、買い物や食事で訪れた日本人街のにぎわいを覚えている。近くで生まれ、両親は強制収容所で暮らした経験を持つ。タニタさんは「うどんなどの日本食が食べられる唯一の場所だった。毎週末に来るのを楽しみにしていた」と振り返る。

だが、バブル崩壊後の90年代、日本の駐在員や旅行者らが減り始めた。2000年代に入ると、ロス中心部の再開発が進み、地価が高騰。大規模な地下鉄の工事も始まり、古くからの中小事業者が離れていった。ロスの住宅価格はこの10年で約2倍に上がった。
追い打ちをかけたのが新型コロナだ。中心部の店は営業できなくなり、「ゴーストタウンのようになった」(タニタさん)。近くに治安の悪い地域もあり、ホームレスも増えたという。
中小事業者のオーナーが高齢化するなか、「後継ぎ問題」も深刻化している。地元団体によると、10年以上操業する中小事業者は08年に約100軒あったが、23年には50軒と半分に減った。

「米国で最古のラーメン屋」を名乗る和食店「こう楽」の3代目オーナー徳田護さん(46)は、リトル東京で飲食店のコンサルタントをしてきた。後継者がいるケースはまれで、子どもに飲食店の仕事をさせたくないオーナーが多いという。「飲食店は効率が悪くて大変な仕事。職人気質のオーナーは、ギリギリまで自分で切り盛りしてしまい、人を育てる準備ができていない」と話す。
徳田さんは日本の大学を出て25歳で渡米。飲食店でアルバイトを続け、リトル東京で複数の店を手伝っていた。コロナ下の20年、手伝っていたこう楽の2代目オーナー山内博さんが病気で亡くなり、家族から店を引き継いで欲しいと頼まれた。創業は1976年。最初は断ったものの、昨年1月に引き継いだ。家族や長年働く従業員の姿を見て「情が移った」という。
「30年、50年後の未来につなぐために決心した。歴史を途切れさせてはいけないという使命感もあった」

未来に向けたプロジェクトも動き始めている。
リトル東京にある日系人部隊記念碑近くの広い空き地で工事が進む。地元団体が市や州などから支援を受け、約250戸の元米兵の低所得者向け集合住宅や店舗、公園を整備する。今年2月に建設を始め、26年の完成をめざす。
リトル東京の伝統を残すため、店舗部分は地域に根ざした日本食店や文化組織を優先して入れる。立ち退きで地区を離れた飲食店「スエヒロカフェ」や120年以上の歴史を持つ洋菓子店「風月堂」なども入居するという。

地元の非営利団体「リトルトーキョー・コミュニティー・カウンシル(LTCC)」のマネジングディレクター、クリスティン・フクシマさんはこの計画に10年以上かかわってきた。日系4世のフクシマさんは「リトル東京は大都市の中にある小さな町のような存在。地域の人々をつなぐ商店や家族をいかに残せるかがカギだ」と話す。
周辺では「多国籍化」も進んできた。地域のツアーガイドを長年務めるマイク・オカムラさん(62)によると、中心部のショッピングモール「日本村プラザ」では、新しい店の多くは韓国系や中国系ら日系人以外が経営しているという。「リトル東京は常に変わってきたし、進化しないといけない」。オカムラさんは多様な若者が日本人街で挑戦する姿を前向きに見る。

若者離れが指摘されてきたリトル東京だが、自分たちのルーツに引きつけられる若者もいる。
日系4世のコナー・アオキさん(24)とケイティー・マクナマラさん(21)は、初デートでリトル東京に来て以来、数カ月に1度は訪れる。家族は日本語を話さないが、アニメショップや日本食に感激したという。

「私たち若い世代にとって、日本の文化に触れられるとても特別な存在。将来、自分たちの子どもを連れてきて、日本文化を伝えられたらすばらしい」。マクナマラさんはそう話した。
リトル東京
リトル東京 ロサンゼルス中心部にある日本人街。市庁舎や市警本部の近くに位置し、ドジャースタジアムからも近い。サンフランシスコ、サンノゼと並び、米国で戦前から残る三つの日本人街の一つ。1995年には国の史跡に指定された。