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マーシャ・ガッセン

 これは、ニューヨークのイーストビレッジにあるラ・ママ実験劇場で最近始まった舞台の話だ。若くて野心的で、魅力的なほど純真な演出家に率いられた俳優たちが、有名なモスクワ芸術座でチェーホフの「かもめ」のリハーサルを終えようとしているところで、ロシアがウクライナに侵攻する。ソーシャルメディアのおかげで、彼らは(ウクライナ北部の)ハルキウやキーウでサイレンが鳴り響き、爆弾が落ちている様子を目の当たりにする。

 私たちは、モスクワの多くの人々が全面侵攻の数日後に経験した衝撃と、信じがたい思い、自分の国、自分の街、自分自身の中にとどまることがまったく不可能に思える感覚を目の当たりにする。彼らは泣く。互いに叫び合う。ある人物は必死にスーツケースへ荷物を詰め始める。

 そして、ショーは続く。

 これは演劇評ではないし、あなたに「かもめ 実話」という芝居を見に行くべき理由を語ろうとしているのではない。私は、亡命中のロシア人演出家アレクサンドル・モロチニコフと社会的なつながりがありすぎるし、そもそも現在の公演はすでに完売している。私が関心を持っているのは別のことだ――衝撃が薄れ、そして(比喩的に)ショーが続く瞬間である。

 アメリカは、まさにその瞬間に入ろうとしていると思う。

 ウラジーミル・プーチン氏が権力を掌握し、体制を固めていく中でロシアに住み、取材をしていた私は、何度も衝撃を受けた。2004年9月、テロリストが数百人の子どもを人質にとっていた学校に戦車が砲撃を加えた後、私は眠れなかった。また、プーチンがこのテロ攻撃を口実にして、公選制を廃止したときも衝撃を受けた。

 08年にロシアがジョージア(グルジア)に侵攻したとき、私は震えた。12年に3人の若い女性たちが教会での抗議パフォーマンスによって刑務所行きの判決を受けたとき、私の世界は変わった。これは、ロシア市民が平和的な行動で投獄された初めての事例だった。14年にロシアがクリミアを併合したとき、私は息ができなかった。そして、反政権派指導者アレクセイ・ナワリヌイ氏が20年に毒殺されかけ、21年に逮捕され、24年にはほぼ確実に獄中で殺されたとき。さらに、22年にロシアが再びウクライナへ侵攻したときにも。

 その過程でたくさんの、小さいけれども破滅的な節目があった。大学やメディアを国家が乗っ取ったこと、LGBTQの人々を違法とする一連の法的措置、多くのジャーナリストや活動家が「外国のスパイ」のレッテルを貼られたことなどである。ショック状態は1日、1週間、あるいは1カ月続くこともあったが、時は流れ、その衝撃的な出来事は私たちの生活の一部となった。

あらゆる場所で、一度に押し寄せた変化

 ここ4カ月のアメリカは、途切れることのない衝撃の連続のように感じられた。市民の権利や憲法上の保護を骨抜きにする大統領令、チェーンソーを持って連邦政府を解体しようとする男、わざと非情に行われた強制送還、路上で連れ去られ、目印のない車で姿を消した人々、そして大学や法律事務所に対する法的な攻撃。

 ロシアにおける専制体制への転換(あるいは、ドナルド・トランプの戦術の一部に影響を与えていると思われるハンガリーにおける専制体制への転換)とは異なり、米国政府と社会の変容は、何十年も、いや数年かけて徐々に進んだものではない。あらゆることが、あらゆる場所で、一度に押し寄せてきたような感じだった。

 そして今では、それが当たり前のようになってしまった。私はこれまでに多くの戦争を取材してきた。そして、戦争がやがて日常のように感じられるようになるのを見てきた――戦争の中で生きている人々にとっても、取材している記者にとっても、それを読んでいる読者にとっても。戦争のレパートリーは限られている。爆撃、砲撃、攻撃、反撃、死者数。最初の衝撃のあと、前線の動きに注意を払い続ける人はほとんどいない。

 イスラエルによるガザでの虐殺は、ウクライナにおけるロシアの戦争を抑制的に見せるほどである。にもかかわらず、19カ月以上にわたり無差別爆撃と飢餓による戦争が続けば、新たな見出しを生み出すことさえできない。ワシントンでイスラエル大使館の職員2人が殺害されれば、それはニュースになる。しかし、パレスチナ人の家族全員が殺されたり、パレスチナの子どもたちが栄養失調で命を落としたりしても、それはガザでは「いつもの一日」にすぎない。米国政府が同盟国による戦争犯罪に無関心であることも、もはやニュースではない。

悲劇が日常になった米国

 この国でも、私たちを驚かせるようなことはどんどん少なくなっている。エルサルバドルへの強制送還の衝撃を受け入れてしまえば、南スーダンへの送還計画にもそれほど驚かなくなる。トランプ政権が個々の留学生の在留資格を取り消したことを理解してしまえば、ハーバード大学への留学生全体の入学禁止もまったく予想外のことではない。

 政権が何千人ものトランスジェンダーの人々を米軍から排除しようとしていると気づいてしまえば、何十万人もの人々に壊滅的な影響を与えかねない「ジェンダー肯定ケア」に対するメディケイド(低所得者向け公的医療保険)の適用除外も、結局は「よくあること」の一つに過ぎなくなってしまう。戦争中の国のように、人間の悲劇や極端な残虐行為の報告は日常的なものとなり、ニュースにはならなくなっている。

 モロチニコフの劇の最後で、主人公のコン(演出家自身をゆるやかにモデルにしている)は、コンが去った後もモスクワに残った有名な俳優である母親と電話で話す。全面侵攻から3年の間に彼女は適応し、そして何より重要なことに、働いている。

 彼女は息子に、戦争に反対の声を上げた彼の友人である詩人が獄中で亡くなったことを淡々と知らせる。コンは悲嘆に暮れる。「ママ、彼らが友人を殺したんだ」とコンは言う。母親は彼に、葬式に出られなくても気にせず、自分の誕生日パーティーに行くよう促す。「アメリカではすごくいいパーティーがあるのよ。そもそも、誕生日パーティーのほうが葬式よりいいんじゃない?」と。

 彼女は冷酷なわけではなく、ただ現実的なだけだ。合理的な人々はルールを理解し、そのルールの中で生きている。

 私たち人間は、安定を求める生き物だ。かつては考えられなかったことに慣れることで、達成感を得ることもある。そして、かつては考えられなかったようなことが、少しでも後退したように感じられるとき──たとえば、誰かが拘束から解放されたとき(数週間前にコロンビア大学の学生がそうだったように)、あるいは特にひどい提案が撤回されたり、裁判所によって阻止されたりしたとき(たとえばハーバード大学の留学生受け入れ禁止措置が、少なくとも一時的に阻止されたように)──私たちは、それを「暗い時代の終わりの証拠」だと勘違いしやすい。

 しかし、こうした比較的小さな勝利は、私たちの変化の方向性を変えることはなく──目に見えてその進行を遅らせることすらない──それでも私たちが「正常」と感じたがる深い欲求には応えてしまうのだ。小さな勝利は、昨日よりも呼吸できる空気が増え、行動できる余地が広がったような感覚を生み出す。

 私たちが最も行動を起こすべきとき──行動の余地があり、抵抗には一定の勢いもあるとき──にもかかわらず、私たちは、安堵(あんど)感と退屈さにより、つい油断してしまう。

 第1次トランプ政権下で行われたいわゆる「入国禁止令」の推移を思い出してみてほしい。最初に実施されたときは、何千人もの人々が抗議のため街頭に繰り出した。裁判所が差し止めた。2回目の実施はほとんど注目を集めず、ほとんど変わらない3回目の入国禁止令が施行されたことに、多くの人は気づかなかった。そしていま、トランプ政権は対象国を拡大した新たな入国禁止令を策定中である(編注:本コラムがニューヨーク・タイムズで配信された5月下旬時点)。

聞いたことのない、苦い笑い

 モロチニコフが「かもめ 実話」を上演するまでには、2年半かかった。「その過程は困難で、しばしば挫折しそうになった」と彼は私に語った。しかし、その長い道のりは、最終的にはこの舞台にとって良いものとなった。彼は、ロシアにおける戦争の常態化を観察し、それを脚本に採り入れることができた。また、アメリカという国を知ることもできた。

 第2幕はニューヨークが舞台である。登場人物の一人であるうさんくさいプロデューサーがこう言う。「考えてみて。彼がこの国に来たばかりの頃は、自分がロシア人だと言うのさえ怖がっていた。でも今じゃ、みんな仲良しで、世界中で平和を築いている。すばらしい平和だよ」

 ある場面で、別の登場人物が検閲について言及し、こう付け加える。「そんなこと、アメリカじゃ絶対に起きないよね? そうでしょう?」。私がこの芝居を見た夜、観客は笑った。だがその笑いは、私がこの国では聞いたことのない種類の、苦く、そしてあきらめに満ちた笑いだった。