
応募した五つほどの就職先からは全て断られた。短期の仕事で糊口をしのぐ。それが、李志宏(30)のいまの暮らしだ。
李はもともと香港の沙田区の議員だった。しかし区議資格を剝奪されてから、実現すべき理想と目標を見失ってしまった。「まずは自分を養うことを考えなくてはならない」
李が当選したのは、香港各地で計450超の議席が争われた2019年11月の区議選だった。

香港ではこの年、刑事事件の容疑者を中国本土に引き渡すことを可能にする「逃亡犯条例」改正案への抗議をきっかけにしたデモが繰り返されていた。
民主派は区議選を「政府への不信任投票」と位置づけ、全選挙区に候補者を擁立。李もその一人だった。
投開票日、李は数十人の支持者とともに区議選の開票所で結果を待った。夜になって李の当選が決まり、さらに各地の民主派の勝利も伝えられた。

予想を上回る勝利に支持者が喜びを爆発させる中、李はどこか冷静になっていく自分に気がついていた。
的中してしまった「予感」
「この結果が放っておかれるわけがない」。自分が4年の任期を終えることはないだろうと思ったからだ。
これより前、李は民主派に属する区議会議員の助手を務めるなど、すでに10年近く何らかの形で政治の世界に携わっていた。この間、16年に中国の全国人民代表大会(全人代、国会に相当)常務委員会が「香港は中国ではない」と書かれた横断幕を掲げるなどした香港立法会(議会)議員2人の資格を無効と判断。2人が失職するなど、中国の影響力が増す香港の政治環境の変化を感じ取るようになっていた。
李の予感は的中する。区議選から7カ月後の20年6月、全人代常務委の可決を経て、反体制的な言動を取り締まる香港国家安全維持法(国安法)が施行された。
その後の変化は明らかだった。香港の街からデモがほとんど消え、それまでデモに参加していた人たちが「行かない」と言い始めた。香港を離れていく人も少なくなかった。

議員資格の剝奪、デモの行為が有罪に
全人代は21年には民主派の締め出しを図って選挙制度改変を主導。区議が政府に「忠誠」を誓うことを義務化する条例案も立法会で可決された。李は宣誓したものの、この年の10月に区議の資格は無効だと判断され、議員資格を剝奪された。
失職だけにとどまらなかった。「公共の場所で秩序を乱した罪」で拘禁刑5カ月の判決を受け、23年7月から服役した。区議だった20年6月に参加した反政府デモで警察官を罵倒したことなどが罪に問われた。
こうした経緯を経て「香港に失望してしまった」と李は話す。
政治に携わる仕事を志したのは、「香港を変えてやろう」という大それた目標を持っていたからではない。単純に住民に尽くすのが好きだったからだ。
2年に満たない区議の間、最も印象に残っている仕事がある。20年のおおみそかの夜、「部屋の鍵を忘れてしまった」という有権者からの電話を受けた李は、友人とともに工具を持って自宅にかけつけ、鍵をあけてあげた。有権者から感謝され、「これこそが私の仕事だ」と思った。ただ、区議の資格を剝奪され、すでに政治の道に可能性はない。

「違った人生があったのかも」
新たに安定した仕事を見つけられずにいるのは、前科が影響した可能性があると感じている。ただ、民主派区議だった知人たちも多くが安定した長期雇用の職業に就けていない状況があるという。
ある元民主派区議は就職するはずだったラーメン店に自らの経歴を伝えたとたん、連絡が途絶えた。李は民主派区議の経歴は「今やネガティブなものでしかない」とみる。
当時の同志たちのなかで現在も香港で政治の仕事に携わっている人は誰もおらず、収監されたままの人も多い。国安法は施行から5年経ったいまも、こうした人々の人生を変え続けている。
李は「これまでやってきたことに後悔はない」という。ただ、こう言葉を継いだ。「立候補しなかったら、政治の道に関わっていなかったのならば、違った人生があったのかも知れない。そう思うことはある」=敬称略
当局による経済的な圧力
国安法施行後の香港では、当局が民主派寄りとみなす人物や団体を経済的な圧力を加えて苦しめていると指摘される。香港記者協会は2025年5月の記者会見で、23年以降、少なくとも20人のメディア関係者や家族について、税務当局から追納を求められていると明らかにした。協会側はこうした措置がメディア関係者や家族への圧力になっていると指摘した。
阿古智子(東京大学教授) 先日、研究者を目指していた前科のある香港の友人に話を聞くと、学者としての道はほぼ閉ざされていると話していました。香港の大学は採用のプロセスにおいて、候補者の犯罪歴を調べるようになっているようです。私の友人は、他の職を探すにしても、この記事で紹介されている李志宏さんのようにかなり苦労するだろうと話していました。政治犯として服役していた人たちを出所後、どのようにサポートするか。経済的、政治的に苦しい状況にありながらも力強く生きようとしているこうした人たちを、なんらかの基準を設けた上で日本も受け入れ、支えていくべきではないでしょうか。