香港郊野遊行・續集

香港のハイキングコース、街歩きのメモです。

朝日新聞

博物館の展示一変、「ソフトな抵抗」も許さず 教授が見た香港の変化(朝日新聞有料記事より)

 反体制的な言動を取り締まる香港国家安全維持法(国安法)の施行後、香港では多くの民主派が摘発され、政府に批判的な論調だったメディアも解散に追い込まれました。30日で施行から5年。現在の香港はどうなっているのか。香港問題に詳しい、立教大学の倉田徹教授に聞きました。

 ――今年3月、およそ5年ぶりに香港を訪れたそうですね。どのような変化を感じましたか?

 国安法が施行されたのだな、ということを感じさせるものをたくさん目にしました。国家安全の重要性を強調する様々なスローガンを街頭で見かけましたし、テレビでは国家安全に関する小学生向けクイズ番組を放映していました。

 露骨だったのは歴史博物館です。香港の歴史を紹介する常設展示がなくなり、2019年の抗議活動が「いかにひどいものだったか」を伝える、共産党政権のプロパガンダのような内容に変わっていました。

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立てこもりを続ける若者を警察が包囲していた香港理工大前で撮影に応じる倉田徹・立教大教授=2019年11月25日

 ――国安法施行から5年が経ちましたが、取り締まりは弱まってはいないのでしょうか?

 取り締まりのレッドラインが緩む方向には動いていません。この5年間を見ていてわかったのは、中国は(香港の)民主派を根絶させようとしていることです。

香港政府が警戒する「抵抗」とは

 ――どうしてそう思うのでしょうか?

 国安法施行後の2年間ほどで、嵐のような弾圧がありました。すでに民主派の多くの人物が摘発され、主要組織はつぶれるか、活動が成り立たない状況になっています。

 しかし、香港政府は最近、さらに「ソフトな抵抗」への警戒を呼びかけるようになりました。デモのようなハードな抵抗ではなく、例えば文化や言論活動、学術研究といったものの中に政府にとって不都合な内容をまぶすことも「抵抗」と位置づけたわけです。例えば21年には、香港政府の対応を風刺した子ども向けの絵本を発行したとして、関係者が刑事罪行条例違反容疑で逮捕されたことがありました。

 「ソフトな抵抗」までも抑え込もうとするならば、まだやることはたくさんあります。李家超(ジョン・リー)行政長官は6月、親中派メディアのインタビューで「国家安全の取り組みはまだ始まったばかり」と述べましたが、そういう認識なのだと思います。

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香港のビクトリア公園で男性を取り囲んで連行する警察官ら=2025年6月4日

「一罰百戒」 民主派を不利に

 ――5年前に民主派区議などとして活動していた人々が、現在も就職などで不利な扱いを受けているという見方もあります

 民主派やその支持者への経済的な締め付けはかなり行われているとみています。例えば、香港の食品衛生当局は最近、レストランや娯楽施設に対する許認可の条件に、店の関係者が「国家安全に不利益な行為を行わない」ことを加えました。違反すれば免許や許可が取り消される内容です。

 政府が許認可権限を利用し、民主派を不利に扱うような措置はどんどん広がっています。一罰百戒、民主派を悲惨な状況に追い込んで、まねをしないようにという警告を発しているのです。

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「国家安全維持公署」の看板の前を歩く女性=2020年7月8日、香港

政治と経済で異なる状況

 ――こうした厳しい統制は「香港の中国化」だとも指摘されます

 自治と民主、自由が後退していることは明らかです。例えば、国家安全に関わる政策を策定する国家安全維持委員会の顧問には中国政府の出先機関トップが就いており、相当程度、香港の自治に干渉する仕組みがあることが考えられます。選挙に参加できるのも政権のお墨付きがある人物だけ。政治的にははっきり中国式化しているといえます。

 ――経済的には?

 政治とは異なり、経済に関しては相変わらずコモン・ローに基づき、ビジネス上のトラブルは公正に裁かれていると言えるでしょう。カナダのシンクタンク、フレーザー研究所が24年に公表した「世界の経済自由度」で香港は1位です。

 香港の経済面での国際性を維持することは中国にとってもメリットがあります。米中対立の不透明性が増す中、中国にとって香港の経済的価値はむしろ高まっています。香港の金融センターとしての地位は揺らいでおらず、逆に言えば、中国が経済を理由に国家安全の統制を弱める状況にはないともいえます。

 ――国安法は香港の国際的地位に影響を与えなかったのでしょうか?

 長い目で見て、国安法が香港にプラスだとは思いません。元々香港は「民主はないが自由はある」と言われてきました。多様な情報を耳にしたうえで、物事を判断できることが香港の魅力でした。その情報が遮断され、本当の国際都市として繁栄し続けられるのか、という懸念はあります。

 かつての香港は中国にとって、世界、特に西側諸国とつながる窓口でした。しかし今、西側諸国の香港を見る目は厳しくなっています。香港は中国の経済都市という色合いをますます強めていくことになるでしょう。

出所しても巨額の賠償請求 終わらない「迫害」、心折れ街を離れた(朝日新聞有料記事より)

 「香港政府の代理人弁護士の助手」を名乗る人物が刑務所に訪ねてきたのは2021年3月のことだった。

 当時、暴動罪で拘禁刑4年の判決を受けて収監されていた梁柏添(29)は、その人物からA4サイズほどの封筒を手渡され、受け取りのサインをするよう求められた。

 刑事裁判に関する資料かと思ったが、違った。助手は「政府と警察官の双方が今後、(梁に)賠償請求することになる」と告げた。

 罪ならば今まさに償っている。さらにどうしろというのだ。梁に、絶望がよぎった。

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香港から台湾に移り住んだ梁柏添さん=2025年2月15日、台北

2019年のデモ現場

 19年の大規模デモの現場の多くに、梁の姿はあった。6月に本格化したデモに対し、警察は直ちに催涙弾やゴム弾を発射して応じた。デモ隊と警察の衝突は次第に激しさを増していった。

 7月14日、香港・沙田で起きたデモに梁が参加したときのことだ。商業施設での数百人規模のデモ隊と警察の激しいもみ合いの現場にいた梁は、そこから脱出しようとした。梁によると、その際、床に倒れていた警察官に足をつかまれたため、振り払った。「決して暴力は振るっていない」と梁は訴えるが、これが暴力行為だと判断された。

 約1週間後、警察が自宅を訪ねてきた。梁は弁護士と相談し、警察に出頭。暴動罪で起訴され、20年9月に実刑判決を受けた。警察官2人にけがを負わせたことも認定された。

 判決を受けた日は涙が止まらなかった。「すでに事実を争う意欲は残っていなかった」と話す。

 刑務所に入った梁に対し、政府の代理人が賠償請求をすると告げたのはそれから半年後のことだ。梁の心は再び暗い闇の中に落ち込んだ。

出所しても「解放されない」

 以来、賠償のことが梁の頭を離れなくなった。20人ほどが暮らす監房で、梁は1人眠れない夜を過ごした。23年4月、出所した日も、「まだ解放されたわけではないのだ」という考えが頭をよぎった。

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香港から台湾に移り住んだ梁柏添さん=2025年2月15日、台北

 出所後、警察の代理人に和解をしたいと電話をしたこともある。「こちらは和解したいと思っていない」と返ってきた。

 24年5月、香港政府から正式に約170万香港ドル(約3100万円)を請求された。出所後、再就職先を見つけることができずにいた梁が支払える額ではない。

 香港政府の請求は「二次迫害」と梁は考えている。「火種となりうる人物の収入源を奪い、生活を断ち切り、この社会に存在させまいとするやり方だ」。24年6月に台湾に赴き、そのまま香港に戻らないことを決めた。

無罪判決を勝ち取ったのに

 ジムトレーナーの湯偉雄(44)も妻とともに21年に香港を離れることを決め、台湾に移住した1人だ。

 19年7月、警察とデモ隊の衝突の現場から遠く離れた場所にいたにもかかわらず「共犯」として暴動罪で起訴された。湯は罪を否認。終審法院まで争って21年11月に無罪が確定した。

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香港から台湾に移り住んだジムトレーナーの湯偉雄さん。台北でもトレーナーとして働いている=2025年4月2日、台北

 ただ、公判の最中、国安法が施行された前後から当局の嫌がらせとも思える行為が始まった。湯が当時、香港で経営していたジムを「通報があった」と警察や消防当局が頻繁に「検査」に訪ねるようになった。通報の理由は「騒がしい」だったり、書類を適切な場所に掲示していなかったりしたというものだった。週に数回、多い時は1日3回の「検査」があった。

迷わず離れた香港

 警察の厳しい取り締まりに市民がおののいていたころだ。「私は危険な人物で、近づかない方がいいとみんな思ったようだ」。ひと月10万香港ドル(約180万円)あった売り上げは2万香港ドル(約36万円)に減った。

 何者かに尾行されていると感じたこともあった。「いつか再び逮捕されるかもしれない」。香港を離れることに、もはや迷いはなかった。

 「かつて香港の最大の利点は多様性だった」と湯は話す。「今では一つの考えしか許されず、その考えに従わねば抑圧される。香港はもはや香港ではなくなってしまった」と嘆く。

英国でも日本でもつきまとう影 弱まる活動、「それでも春を待つ」(朝日新聞有料記事より)



  2020年に香港国家安全維持法(国安法)が施行された後、香港の民主活動家らは当局の迫害を逃れるため海外に移った。警察は国家の安全を脅かしたとして一部の活動家らを指名手配し、100万香港ドル(約1850万円)の懸賞金をかけて追っている。活動家らはいま、どうしているのか。

 「最初の3年間は、(海外に逃れた)メンバーはとても情熱的で、香港のために行動する決意を固めていた。しかし時が経ち、状況は変わった。いま、民主化を求める運動は過渡期にある」

 2014年の民主化デモ「雨傘運動」の学生リーダーの一人だった民主活動家、羅冠聡(ネイサン・ロー、31)は現在、亡命先の英国ロンドンに暮らす。国安法が施行された直後の20年7月2日、香港を離れ、英国に政治亡命した。

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羅冠聡(ネイサン・ロー)氏

 米国務長官(当時)のポンペオら各国の政治指導者らと積極的に面会し、日本語など多言語で出版した本などで香港の状況を世界に訴えてきた。羅は、ノーベル平和賞の候補者としても名前が挙がっている。

 だが各国に逃れた活動家らはいま、厳しい現実に直面しているという。

ウクライナ、中東、相次ぐ紛争で…

 ウクライナや中東などで紛争が勃発し、香港に対する世界の関心は急速にしぼんだ。「(活動家らは)香港支援の声を上げ続けるだけでなく、自分たちの生活や仕事、将来のことも考えなければならない。この2年、活動の勢いが弱まっているように感じる」

 これこそ、中国共産党や香港政府が望んでいることだ。英国でも、香港警察に指名手配されている羅とイベントなどで関わることで、香港に戻ると拘束され、家族が尋問されると心配する香港人も少なくないという。

日本での抗議デモは

 影響は日本にも及ぶ。国安法の施行後、香港でデモができなくなると、在日香港人らによる抗議デモが続けられてきた。昨年6月には東京・新宿で約100人が参加するイベントがあった。しかし、今年はデモの呼びかけはなかった。

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2019年の香港の大規模デモから5年が経つのを機に、香港の民主化を訴えるデモが行われた=2024年6月9日午後、東京都新宿区

 香港の民主化を目指す団体「レイディー・リバティー香港」代表のアリック・リー(38)は「香港当局の監視を恐れ、参加者が集まらなくなった」と話す。この1、2年、デモの参加者が香港に一時帰国した際、空港で別室に連れて行かれ日本での交友関係などについて尋問されるケースが増えたという。デモに参加してきた別の香港出身の男性は「当局の関係者にどこで写真を撮られるかわからない不安がある」と話す。

 リー自身も昨年8月、香港の両親のもとに、リーの顔に×印が付けられた写真と「中国政府の転覆を扇動している」と批判する手紙が送られてきた。手紙には、当局者しか知り得ない情報も書かれていたという。「当局はさまざまな圧力をかけて活動をやめさせようとしている」

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アリック・リー氏。手に持つのは、2019年の香港での抗議活動の中で作られた、ヘルメットとゴーグル、防毒マスクを着用した「香港民主の女神像」のフィギュア

 その圧力の根源が国安法だ。効力は、香港を離れた羅の予想をはるかに上回った。「香港の自由は、崖から落ちるスピードで没落し、政治的な自由も、異論も消えた。今では民主派の中で最も穏健であっても売国奴とみられてしまう」。昨年3月には、国家に対する「反逆行為」を知った人に通報を義務づける「国家安全維持条例」も成立した。

「国安法は守護神」

 中国政府で香港を統括する香港マカオ事務弁公室主任の夏宝竜は今月21日、国安法5周年式典で「国安法は香港の繁栄と安定を守る守護神だ」と誇った。羅は唇をかむ。「行政長官も立法会もすべて親中派。市民が意見を表明することを脅威に感じ、政府の言うことすべてに従うことを前提にした安定は、香港人が望んでいることではない」

 香港に希望はあるのか。その問いに、羅は「私たちは、非常に長い目で見ている」と答えた。中国が変わらなければ、香港が自由を取り戻すのは難しい。でも、今でも香港には投獄された活動家を支援し、民主への思いを静かに支えている人たちが大勢いることが希望だという。「香港人の多くは、厳しい冬と大きな嵐が過ぎ去るのを待ち、安全に春が来るのを待っているのです」

熱狂のなか当選、そして転落 元香港区議「政治に関わらなければ…」(朝日新聞有料記事より)

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元香港区議の李志宏さん=2025年6月5日

 応募した五つほどの就職先からは全て断られた。短期の仕事で糊口をしのぐ。それが、李志宏(30)のいまの暮らしだ。

 李はもともと香港の沙田区の議員だった。しかし区議資格を剝奪されてから、実現すべき理想と目標を見失ってしまった。「まずは自分を養うことを考えなくてはならない」

 李が当選したのは、香港各地で計450超の議席が争われた2019年11月の区議選だった。

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香港区議会選挙の投票のために行列をつくる有権者。民主派が議席の8割以上を獲得して圧勝した=2019年11月24日、香港・沙田

 香港ではこの年、刑事事件の容疑者を中国本土に引き渡すことを可能にする「逃亡犯条例」改正案への抗議をきっかけにしたデモが繰り返されていた。

 民主派は区議選を「政府への不信任投票」と位置づけ、全選挙区に候補者を擁立。李もその一人だった。

 投開票日、李は数十人の支持者とともに区議選の開票所で結果を待った。夜になって李の当選が決まり、さらに各地の民主派の勝利も伝えられた。

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香港で2019年11月25日未明、民主派が勝利した区議選の選挙結果を祝う市民ら

 予想を上回る勝利に支持者が喜びを爆発させる中、李はどこか冷静になっていく自分に気がついていた。

的中してしまった「予感」

 「この結果が放っておかれるわけがない」。自分が4年の任期を終えることはないだろうと思ったからだ。

 これより前、李は民主派に属する区議会議員の助手を務めるなど、すでに10年近く何らかの形で政治の世界に携わっていた。この間、16年に中国の全国人民代表大会(全人代、国会に相当)常務委員会が「香港は中国ではない」と書かれた横断幕を掲げるなどした香港立法会(議会)議員2人の資格を無効と判断。2人が失職するなど、中国の影響力が増す香港の政治環境の変化を感じ取るようになっていた。

 李の予感は的中する。区議選から7カ月後の20年6月、全人代常務委の可決を経て、反体制的な言動を取り締まる香港国家安全維持法(国安法)が施行された。

 その後の変化は明らかだった。香港の街からデモがほとんど消え、それまでデモに参加していた人たちが「行かない」と言い始めた。香港を離れていく人も少なくなかった。

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国家安全維持法に反対するデモを中止させる警察官ら=2020年7月1日

議員資格の剝奪、デモの行為が有罪に

 全人代は21年には民主派の締め出しを図って選挙制度改変を主導。区議が政府に「忠誠」を誓うことを義務化する条例案も立法会で可決された。李は宣誓したものの、この年の10月に区議の資格は無効だと判断され、議員資格を剝奪された。

 失職だけにとどまらなかった。「公共の場所で秩序を乱した罪」で拘禁刑5カ月の判決を受け、23年7月から服役した。区議だった20年6月に参加した反政府デモで警察官を罵倒したことなどが罪に問われた。

 こうした経緯を経て「香港に失望してしまった」と李は話す。

 政治に携わる仕事を志したのは、「香港を変えてやろう」という大それた目標を持っていたからではない。単純に住民に尽くすのが好きだったからだ。

 2年に満たない区議の間、最も印象に残っている仕事がある。20年のおおみそかの夜、「部屋の鍵を忘れてしまった」という有権者からの電話を受けた李は、友人とともに工具を持って自宅にかけつけ、鍵をあけてあげた。有権者から感謝され、「これこそが私の仕事だ」と思った。ただ、区議の資格を剝奪され、すでに政治の道に可能性はない。

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元香港区議の李志宏さん=2025年6月5日

「違った人生があったのかも」

 新たに安定した仕事を見つけられずにいるのは、前科が影響した可能性があると感じている。ただ、民主派区議だった知人たちも多くが安定した長期雇用の職業に就けていない状況があるという。

 ある元民主派区議は就職するはずだったラーメン店に自らの経歴を伝えたとたん、連絡が途絶えた。李は民主派区議の経歴は「今やネガティブなものでしかない」とみる。

 当時の同志たちのなかで現在も香港で政治の仕事に携わっている人は誰もおらず、収監されたままの人も多い。国安法は施行から5年経ったいまも、こうした人々の人生を変え続けている。

 李は「これまでやってきたことに後悔はない」という。ただ、こう言葉を継いだ。「立候補しなかったら、政治の道に関わっていなかったのならば、違った人生があったのかも知れない。そう思うことはある」=敬称略

当局による経済的な圧力

 国安法施行後の香港では、当局が民主派寄りとみなす人物や団体を経済的な圧力を加えて苦しめていると指摘される。香港記者協会は2025年5月の記者会見で、23年以降、少なくとも20人のメディア関係者や家族について、税務当局から追納を求められていると明らかにした。協会側はこうした措置がメディア関係者や家族への圧力になっていると指摘した。

阿古智子(東京大学教授) 先日、研究者を目指していた前科のある香港の友人に話を聞くと、学者としての道はほぼ閉ざされていると話していました。香港の大学は採用のプロセスにおいて、候補者の犯罪歴を調べるようになっているようです。私の友人は、他の職を探すにしても、この記事で紹介されている李志宏さんのようにかなり苦労するだろうと話していました。政治犯として服役していた人たちを出所後、どのようにサポートするか。経済的、政治的に苦しい状況にありながらも力強く生きようとしているこうした人たちを、なんらかの基準を設けた上で日本も受け入れ、支えていくべきではないでしょうか。

民主派政党「ゲームオーバー」 共産党関係者と会食、追い込まれた冬(朝日新聞有料記事より)

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 軛(くびき)。元は牛馬で車を引くための道具だが、転じて人の自由を束縛するものを指す。香港国家安全維持法(国安法)による厳しい統制が敷かれている香港では、民主や自由を求める「民主派」であることが皮肉にも軛となり、人々にいつまでも重くのしかかっている。

顔見知りの共産党関係者からの言葉

 「ゲームオーバー」

 香港の民主党副主席だった李華明(70)の脳裏にこんな言葉が浮かんだ。肌寒くなり始めていた2024年冬、香港のレストランで向かい合っていた顔見知りの中国共産党関係者の言葉を聞いたときのことだ。

 民主党は1994年、「香港民主の父」とも呼ばれる李柱銘(マーティン・リー)らが設立。香港の中国返還後、初となる98年の立法会(議会)選挙で第1党となるなど、長く香港の民主化運動の中核として活動してきた。しかし現在は立法会の議席は一つもない。

 香港では20年に反体制的な言動を取り締まる国安法が施行された後、民主派の政党や団体が厳しく統制されてきた。

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香港民主派の主要政党、民主党の李華明・元副主席=2025年3月19日

 21年には選挙制度の改変により、選挙の立候補予定者が政府に忠誠を誓う「愛国者」かどうかを事前審査することになり、民主派は事実上排除された。民主党はそれ以降のあらゆる選挙で候補者を擁立していない。

 だが、すでに国安法施行から5年が経とうとしている。25年冬の立法会選で擁立が認められる可能性があるのではないか。李華明はそう考えて、旧知の共産党関係者に探りを入れたのだった。

 「我々は候補者を擁立できるのだろうか?」

 党関係者の返事は思ってもいない一言だった。

ほかの民主党幹部も受け取った「メッセージ」

 「選挙前に(民主党が)まだ存在しているというのか?」

 李はその言わんとするところを即座に感じ取った。「もし解散しなければ、その責任は自ら負うことになる、ということだ」

 それからまもなく、ほかの民主党幹部も様々なルートを通じて、同様のメッセージを受け取っていたことを知った。

「全てを変えた」2019年の出来事

 国安法施行後、民主党関係者の何人もが同法違反などの罪で有罪判決を受けていた。無理に存続しようとすれば、同じ運命をたどる恐れがある。

 民主党は数ある香港の民主派のなかでは比較的穏健な立場とみられていた。かつては中国政府や香港政府との対話に応じ、香港政府が提案した選挙制度改正案で賛成に回ったこともある。18年には行政長官の林鄭月娥(キャリー・ラム)が党の祝賀会に出席し、3万香港ドル(約55万円)を寄付したこともあった。

 李が「全てを変えた」と振り返るのが、19年の逃亡犯条例改正案だ。刑事事件の容疑者を中国本土に引き渡すことを可能にする法改正案に、香港市民の不満が爆発し、大規模なデモに発展した。

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香港の逃亡犯条例改正案の撤回を求めるデモに参加した市民ら。拘束者の釈放を求めるプラカードも掲げられた(中央)=2019年8月3日

 中国共産党指導部はこのデモを「国家安全」に対する深刻な危機ととらえ、国安法施行や選挙制度改変など締め付けの強化を香港政府の頭越しに進めていくことになる。

 このデモに、多くの民主党関係者は表立って参加し、市民に参加を呼びかけた。これによって、「民主党は死刑判決を言い渡された」と李はみる。李柱銘が米国務長官のポンペオに逃亡犯条例改正反対を伝えていたことも、中国側の警戒を招いた可能性がある。

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保釈後、記者団の取材に応じる李柱銘氏(前列右から2人目)=2020年4月18日、香港。李氏は民主党結成メンバーの一人で初代主席も務めた。2019年8月の無許可デモに参加した疑いがあるとして逮捕、起訴され、後に執行猶予付きの有罪判決が確定した

「ルールは変わった」

 民主党は現在、財政面でも追い詰められている。資金集めも兼ねた党の集会はこれまでに何度も直前になって会場側からキャンセルを告げられた。3月に党本部で開いた党結成30周年のパーティーにも、「通報があった」として食品衛生当局や消防当局が調査に訪れたという。当局による嫌がらせの一環だとみられる。

 国安法施行から5年が経っても、共産党や香港政府は民主派への圧力を弱める気配はない。むしろ「穏健派」だった民主党ですら存続を許さぬ姿勢を鮮明にした。もはや民主派であること自体が自由を奪う軛となって人々に重くのしかかっている。

 「今が最も厳しい時だ」と李もこぼす。

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香港の逃亡犯条例改正案に反対するデモ行進で、路上を埋め尽くす市民ら。道路の中央は路面電車の電停の屋根=2019年6月9日

 民主党中央委員会は今年2月、解散に向けた手続きを始めることを決めた。「民主党を継続していくことは難しい」。党大会での正式な結論を前に、李はそう言い切る。

 「国家安全を守る法律は必要だ」と李は語る。同時に、反対意見がない議会は健全ではないとも考える。だが、議員を出せない政党に存在意義はない。そうした現実を目の前にしても、自分の中に強い感情が生じることもなくなった。出てくるのは諦めたような言葉だ。

 「誰が議員になるかは中央(中国)政府が決める。すでにゲームのルールは変わったのだ」

香港の民主派団体

 国安法施行以降の香港では、摘発リスクなどから活動維持が困難となった民主派の政治団体や市民団体の解散が相次いでいる。民主派政党の社民連も29日に会見を開き、解散方針を宣言することを明らかにしている。

阿古智子 法の支配を徹底してきた香港では、いったん制度や法律ができてしまうと、それが非常に悪質な内容を含んでいても、それにかかわる組織や人間に一律に適用されてしまう。司法が独立しておらず、その時々の人間関係や政治的力学で交渉や判断が行われる中国では、当局も重点を定めて圧力をかけている。狙いを定められなければ、人々も組織も比較的柔軟に動くことができ、摘発の対象になると思われた人や組織がそうならないこともある。昨今の香港の状況は非常に厳しく、法に触れることを恐れて、発言や資金を出すのを控えることが一般的になっている。とても悲しいことだが、民主派政党の解散は避けられない情勢だろう。しかし、このような情勢は香港の経済に確実に負の影響を与える。さらに、中国の非民主的な統治モデルが国際社会に浸透する動きが加速していることを、私たちはしっかりと認識し、対応すべきだと考える。

無法なのか?トランプ氏のイラン攻撃の背景、東京大・梅川教授に聞く(朝日新聞有料記事より)

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  イスラエルによるイラン攻撃、そして米国による核施設への空爆は世界に大きな衝撃をもたらした。急転直下で締結された停戦合意は維持されるのか。無法にも見える一方的な軍事力行使に踏み切ったトランプ政権の意図はどこにあり、どのような影響を及ぼすのか。米国の政治外交史と現代政治を専門に研究する東京大学の梅川健教授に聞いた。

 ――米国はイランの核施設の空爆で、国連安全保障理事会に諮ろうとさえしませんでした。法の支配からの逸脱ではないですか。

 「国際法違反とみる国際法専門家は多いでしょう。ただし、今回の攻撃に関しては、無法に見えつつも、米国内で近年、積み重ねられてきた理論に沿った行動だった側面があります」

 ――米国は大統領が勝手に戦争を始められる国になったということですか。

 「250年近く前、英国植民地が英国王の圧政に抵抗して生まれたのが米国です。王の勝手な振る舞いで人々を苦しめるような君主制でなく、権力の分散によって権力を制約された大統領が執行する民主主義の仕組みを考えました」

 「戦争開始の宣言は議会、その遂行は大統領と、権限が分離され、建国の父ハミルトンが強調したとおり、王のように専制的には戦争へと進めない。憲法上は、米国の大統領は独断で戦争を始めることができません」

 ――では、トランプ政権は憲法を無視したと?

 「国内法的には今回の攻撃が法に反していると簡単には言い切れません。確かに、1941年の日本による真珠湾攻撃の翌日も2001年の同時多発テロ事件の後も、米国の連邦議会は圧倒的多数で戦争を支持する決議を採択しています。その観点から、今回、議会の承認なしにイラン本土を攻撃したのは違法だと批判する意見は米国内にもあります」

 「しかし現代の米国では別の理論も主張されています。ここ十数年で、大統領は基本的に議会の承認や決議なしに単独で軍事行動ができるという法的、理論的な蓄積がされ、民主党のオバマ政権のころから有力になっています。それが今回のイラン攻撃にもあてはまるという考え方です」

 「日本の内閣法制局のような組織として、米国には司法省法律顧問室があります。大統領の行動の憲法適合性について意見書を出し、党派を超えて引き継がれます。武力行使については18年のものが最新ですが、戦争と軍事行動を区別し、大統領は軍事行動であれば、議会の賛同なしでも行うことができるとの考えをとっています」

 ――「戦争を始めた」と見えるような行為でも、議会承認がいらない場合があるのですか。

 「そういうことです。11年のオバマ政権によるリビアのカダフィ政権に対する介入の際、そのような意見書が出ました。地上軍を派遣しない、短期間で終わる、任務が制限された限定的な軍事力の行使で拡大の可能性がない、といった条件を満たせば、それは戦争ではないというのです」

 ――今世紀に入ってからの対テロ戦争時からも大きく変わったのですね。世界への影響は重大です。

 「その通りです。今回、トランプ政権は好き勝手に攻撃したように見えて、国内の合法性にはこだわり、注意を払いつつ行動したといえるでしょう。国内法の根拠が弱ければ、いくら大統領が最高指揮官でも、軍はその命令を遂行しにくくなります。また、どういうときに軍事力を使えるのかという点では、米国の国益などが挙げられていますが、同盟国の支援のためなら大統領は議会承認なしで軍事行動できるとも、18年の意見書に明記されています」

 「米司法省の法律顧問たちは、特定の国を念頭に置いてこの部分を書いたわけではないでしょうが、日本にとっても非常に重要な点になりえます。それなのに、この文書のことはあまり知られていません」

 ――今後、米国はどこへ向かうのでしょうか。

 「予測できない行動が続くでしょう。上下両院で共和党が多数派であり、最高裁判所も保守派が多数を占めています。トランプ氏のように自分は何でもできると思っている人物が大統領に返り咲き、その力を抑制するためにつくられたはずの仕組みが、様々な側面で弱くなっています」

 ――米国の民主主義は大丈夫なのでしょうか。

 「危機感はあります。米国は権威主義に落ち込んでいくという議論があることも承知しています」

 「しかし、私は米国の多元性に期待しています。今後、民主主義そのものの根底が問われるような事態が訪れれば、力を合わせて努力をするのではないでしょうか。そういう事態になれば、党派を問わず、議員も裁判官も国民も、そして州政府も簡単に萎縮しないと思います。トランプ氏のイラン攻撃は無法に見えても、実は彼らなりに国内法に細心の考慮をせざるを得なかったという点は「悪知恵」だと処断するには重く、トランプ政権にも『圧政に抵抗する力』への恐れがあるのかもしれません」

 うめかわ・たけし 1980年生まれ。東京大学教授。東京都立大学教授を経て2022年から現職。専門はアメリカ政治外交史、現代アメリカ政治。
著書に「大統領が変えるアメリカの三権分立制:署名時声明をめぐる議会との攻防」。共著に「トランプ政権の分析」など。近著「トランプのアメリカ:内政と外交、そして世界」。

観光客よ、香港にもっとお金を落として(朝日新聞有料記事より)

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コンサートを前に、香港の啓徳スタジアムに集まった人たち。スタジアムは空港跡地に建設された=2025年4月27日

Hong Kong Looks for Ways to Win Back Big-Spending Tourists

 最近のある休日。中国南西部から香港に到着した姉妹は、12時間足らずの滞在中に、できるだけ多くのものを見ていく計画だ。

 姉で銀行員のフー・ティーさん(30)と、妹で学生のフー・コーさん(20)の持ち物は、小さなバッグだけ。ビジネス街のセントラル(中環)で牛肉麺を試し、ウォーターフロントの遊歩道では交互にポーズを取って夕日を入れた写真を撮影。日が暮れたところで、夜空を背景に輝く街のスカイラインもカメラに収めた。購入したのは薬用オイルと昔懐かしい漫画だけで、2人のこの日の出費は150ドル(2万2千円)足らず。中国本土側に戻って宿泊した。

 中国本土に住む人たちの香港への個人旅行では、この姉妹のように、できるだけ短時間の滞在で出費を最小限に抑える日程を好む傾向がとても強く、彼らは「特殊部隊式旅行客」と自称している。

 本土からの中国人は、金融ハブ香港を訪れる全観光客の4分の3超を占める。しかし、かつては高価な時計やハンドバッグ、有名デザイナーの服など多額の買い物をしていた彼らが、今では時間もお金も使わなくなってしまった。観光経済の再生に取り組む香港当局にとって、これは難題だ。香港観光はこのところ何年も、反政府抗議活動や、新型コロナ禍に伴う制約、国家の安定を優先した取り締まり強化による自由の制限に西側諸国が抱く懸念などで、痛手を被ってきた。

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香港のウォーターフロントの遊歩道に集う観光客。中国本土から短期日程で訪れる自称「特殊部隊式旅行客」がSNSに投稿する写真は、驚くほど似通っている=2025年5月5日

 香港はかつて「アジアの世界都市」を自称していたが、今はイベントの中心地というブランド化に取り組んでいる。ショッピング以上にコンサートや見本市・展示会に力を入れることで、訪問客がリピーターになってより多くのお金を落としていくことを期待している。

旧啓徳空港の跡地に建設されたスポーツパークのスタジアムは、5万席すべてがエアコン付き。スポーツイベントやコンサートに使われています。一方、コロナ禍で落ち込んだ観光消費の戻りはゆっくりで、政府目標にはまだまだ届かない、とNYTは報じています。

 旧啓徳(カイタック)空港の跡地に約40億ドル(約5800億円)を投じて建設されたスポーツパークが今年、お披露目された(訳注:啓徳空港は1998年に閉港。跡地の一部には2013年に、クルーズ船ターミナルも開設された)。スポーツパークの中核施設は紫色を帯びたスタジアムで、5万席すべての座席下にエアコンが備えられている。7人制ラグビーの年1回の選手権大会が3月下旬にここで開催され、ほぼ満員が続いた。

 世界各地のチームが出場し、ニュージーランドの薬局店員サロメ・ベールさん(49)のように、海外から観戦に訪れた人もいた。彼女はこの新スタジアムに言葉が出ないほど心を奪われたことを明かし、最先端の施設と熱狂的な雰囲気のおかげで一生の思い出になったとも語った。

 大会翌月の4月には、スタジアムの開閉式の屋根に万華鏡のような視覚効果が投影された。英国のロックバンド「コールドプレイ」のコンサートのためだ。4夜ともチケットはすべて売り切れた。地元や地域のスターが出演するイベントも多かった。

 いくつかのイベントは、政府が23年に立ち上げた「芸術文化メガイベント基金」の支援を受けている。認可されたイベントに最大190万ドル(約2億8千万円)の補助金が提供される制度だ。政府はサッカーにも、注目度の高い数試合に支援を提供しており、最近ではマンチェスター・ユナイテッド対香港代表のエキシビションマッチが対象になった。

 香港文化スポーツ観光長官に新たに就任したロザンナ・ロー氏が、インタビューに答えて語る。「私たちが恋しくなると、あなたは戻って来る。来るとまた好きになって、私たちの親友の一人になる」

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啓徳スタジアムで開かれた広東語のポップ歌手ニコラス・ツェーのコンサート=2025年4月25日

 観光消費額はコロナ禍で落ち込んだ後、徐々に回復して、最新の23年の統計データでは香港の経済生産高の2.6%を占めた。しかし、これはコロナ禍以前を少し上回ることになる政府目標の5%には遠く及ばない。

 業界の専門家によると、香港の課題はアジアの他都市との差別化にある。競争相手はシンガポールやバンコクで、これらの都市はトップクラスのスターやビジネス会議、スポーツ大会の招致に必要な奨励策を長年にわたって実施してきた。

 「彼らの戦略は自分たちと似通っている。香港にとって大きな問題だ」と旅行・観光事業調査会社チェックイン・アジアのゲーリー・バワーマン代表は言う。

 シンガポールは自動車レース最高峰のフォーミュラワン(F1)を毎年開催したり、テイラー・スウィフト、レディー・ガガのような大スターと金額非公開で独占契約を結んだりと、集客力の高い数々のイベントに巨額の投資をしてきた。

 香港科技大学公共政策研究院のドナルド・ロー上級講師は、このようなイベントは、それがなければ来なかったはずの旅行者を引き寄せるには役立つが、イベント頼みも度を超すと考えものだと指摘する。「シンガポールだって、テイラー・スウィフトのような大物に毎年来てもらえるわけではない。来てもらえたとしても、年に何日かだけだ」

 中国が20年に政治的な反対姿勢を幅広く犯罪とする香港国家安全維持法(国安法)を施行したことを受け、米国をはじめ西側諸国が旅行者に潜在的なリスクを警告したこともあって、香港はその国際的名声が受けた打撃も乗り越えなければならなかった。米中の貿易戦争も、先行きをいっそう見通しにくくしている。

 最新の政府統計によると、世界から香港への訪問者数は24年、ほぼすべての地域で18年を下回った。香港展覧会議業協会(HKECIA)のスチュアート・ベイリー会長によると、欧州や米国のビジネスパーソンに尋ねたところ、その多くが香港について否定的な印象を持っていたという。

 「香港に来る人を増やすには、香港のことを知ってもらうよう努めるのが上策だ。誤解がたくさんあるからだ」とベイリー氏。

 前出のロー長官は、香港の開放性を主張した。「法律を守り、適切な行動をする真の旅行客である限り、香港を楽しめるはずだ」と語る。

 香港は、東南アジアや中東のような地域から来て、より高額のお金を落としていってくれる訪問者たちにアピールしている。かつては中国の端にある西洋化された街というのが魅力だったが、今では中国の近隣都市との緊密な関係を進んで受け入れている。

 ロー長官によると、香港当局は中国本土の当局と連携しながら、広州や深圳などの都市を含む地域ツアーの一部として、香港への誘客を促進する方針だ。

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香港のタクシー乗り場。2024年に世界各地から香港を訪れた観光客の数は、ほとんどの地域で18年を下回った=2025年5月5日、ニューヨーク・タイムズ

 最近は、多くの香港住民がより安価な娯楽を求めて、週末や祝祭日に中国本土に押し寄せるようになった。このため、香港への集客はますます重要になってきている(5月上旬の中国版ゴールデンウィーク〈労働節〉の5連休には、旅行客約110万人が香港を訪れたのに対し、住民168万人以上が香港を離れた)。

 香港のウォーターフロントにある大観覧車の運営会社オーナー、マイケル・デンマーク氏は、この「大脱出」を念頭に、「私たちは訪問者との関係を構築しているところだと認識することが大切」と語った。過去12カ月で観覧車に乗った250万人のうち、85%が中国本土から来た人たちだとデンマーク氏は指摘する。その大部分が香港を囲む人口約8千万人のグレーターベイエリア(訳注:広州、深圳、恵州など9自治体から成る地域)からだったという。

 デンマーク氏は、中国人がより高額なアトラクションに消費意欲を示すか実地で試そうと、シルク・ドゥ・ソレイユ(訳注:カナダを拠点に、多彩なアクロバットを含む独創的なステージショーを世界各地で演じるパフォーマンス集団)の1カ月公演を共同プロデュースしている。チケットは60ドル(約8700円)から250ドル(約3万6千円)で、スポンサーの補助を受けている観覧車の料金2.5ドル(約360円)より大幅に高い。彼は中国のソーシャルメディアや旅行会社と連携し、中国人旅行者を含む様々な顧客層を狙った専門のマーケティングチームも立ち上げた。

 「どの協賛企業も目をぱっちりと大きく見開き、両腕をしっかり広げて、グレーターベイやその先から来る中国本土の人たちみんなを受け入れようとしている」と、デンマーク氏は話した。

私たちはトランプ時代の新段階に突入しようとしている N.N.Times(朝日新聞有料記事より)

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マーシャ・ガッセン

 これは、ニューヨークのイーストビレッジにあるラ・ママ実験劇場で最近始まった舞台の話だ。若くて野心的で、魅力的なほど純真な演出家に率いられた俳優たちが、有名なモスクワ芸術座でチェーホフの「かもめ」のリハーサルを終えようとしているところで、ロシアがウクライナに侵攻する。ソーシャルメディアのおかげで、彼らは(ウクライナ北部の)ハルキウやキーウでサイレンが鳴り響き、爆弾が落ちている様子を目の当たりにする。

 私たちは、モスクワの多くの人々が全面侵攻の数日後に経験した衝撃と、信じがたい思い、自分の国、自分の街、自分自身の中にとどまることがまったく不可能に思える感覚を目の当たりにする。彼らは泣く。互いに叫び合う。ある人物は必死にスーツケースへ荷物を詰め始める。

 そして、ショーは続く。

 これは演劇評ではないし、あなたに「かもめ 実話」という芝居を見に行くべき理由を語ろうとしているのではない。私は、亡命中のロシア人演出家アレクサンドル・モロチニコフと社会的なつながりがありすぎるし、そもそも現在の公演はすでに完売している。私が関心を持っているのは別のことだ――衝撃が薄れ、そして(比喩的に)ショーが続く瞬間である。

 アメリカは、まさにその瞬間に入ろうとしていると思う。

 ウラジーミル・プーチン氏が権力を掌握し、体制を固めていく中でロシアに住み、取材をしていた私は、何度も衝撃を受けた。2004年9月、テロリストが数百人の子どもを人質にとっていた学校に戦車が砲撃を加えた後、私は眠れなかった。また、プーチンがこのテロ攻撃を口実にして、公選制を廃止したときも衝撃を受けた。

 08年にロシアがジョージア(グルジア)に侵攻したとき、私は震えた。12年に3人の若い女性たちが教会での抗議パフォーマンスによって刑務所行きの判決を受けたとき、私の世界は変わった。これは、ロシア市民が平和的な行動で投獄された初めての事例だった。14年にロシアがクリミアを併合したとき、私は息ができなかった。そして、反政権派指導者アレクセイ・ナワリヌイ氏が20年に毒殺されかけ、21年に逮捕され、24年にはほぼ確実に獄中で殺されたとき。さらに、22年にロシアが再びウクライナへ侵攻したときにも。

 その過程でたくさんの、小さいけれども破滅的な節目があった。大学やメディアを国家が乗っ取ったこと、LGBTQの人々を違法とする一連の法的措置、多くのジャーナリストや活動家が「外国のスパイ」のレッテルを貼られたことなどである。ショック状態は1日、1週間、あるいは1カ月続くこともあったが、時は流れ、その衝撃的な出来事は私たちの生活の一部となった。

あらゆる場所で、一度に押し寄せた変化

 ここ4カ月のアメリカは、途切れることのない衝撃の連続のように感じられた。市民の権利や憲法上の保護を骨抜きにする大統領令、チェーンソーを持って連邦政府を解体しようとする男、わざと非情に行われた強制送還、路上で連れ去られ、目印のない車で姿を消した人々、そして大学や法律事務所に対する法的な攻撃。

 ロシアにおける専制体制への転換(あるいは、ドナルド・トランプの戦術の一部に影響を与えていると思われるハンガリーにおける専制体制への転換)とは異なり、米国政府と社会の変容は、何十年も、いや数年かけて徐々に進んだものではない。あらゆることが、あらゆる場所で、一度に押し寄せてきたような感じだった。

 そして今では、それが当たり前のようになってしまった。私はこれまでに多くの戦争を取材してきた。そして、戦争がやがて日常のように感じられるようになるのを見てきた――戦争の中で生きている人々にとっても、取材している記者にとっても、それを読んでいる読者にとっても。戦争のレパートリーは限られている。爆撃、砲撃、攻撃、反撃、死者数。最初の衝撃のあと、前線の動きに注意を払い続ける人はほとんどいない。

 イスラエルによるガザでの虐殺は、ウクライナにおけるロシアの戦争を抑制的に見せるほどである。にもかかわらず、19カ月以上にわたり無差別爆撃と飢餓による戦争が続けば、新たな見出しを生み出すことさえできない。ワシントンでイスラエル大使館の職員2人が殺害されれば、それはニュースになる。しかし、パレスチナ人の家族全員が殺されたり、パレスチナの子どもたちが栄養失調で命を落としたりしても、それはガザでは「いつもの一日」にすぎない。米国政府が同盟国による戦争犯罪に無関心であることも、もはやニュースではない。

悲劇が日常になった米国

 この国でも、私たちを驚かせるようなことはどんどん少なくなっている。エルサルバドルへの強制送還の衝撃を受け入れてしまえば、南スーダンへの送還計画にもそれほど驚かなくなる。トランプ政権が個々の留学生の在留資格を取り消したことを理解してしまえば、ハーバード大学への留学生全体の入学禁止もまったく予想外のことではない。

 政権が何千人ものトランスジェンダーの人々を米軍から排除しようとしていると気づいてしまえば、何十万人もの人々に壊滅的な影響を与えかねない「ジェンダー肯定ケア」に対するメディケイド(低所得者向け公的医療保険)の適用除外も、結局は「よくあること」の一つに過ぎなくなってしまう。戦争中の国のように、人間の悲劇や極端な残虐行為の報告は日常的なものとなり、ニュースにはならなくなっている。

 モロチニコフの劇の最後で、主人公のコン(演出家自身をゆるやかにモデルにしている)は、コンが去った後もモスクワに残った有名な俳優である母親と電話で話す。全面侵攻から3年の間に彼女は適応し、そして何より重要なことに、働いている。

 彼女は息子に、戦争に反対の声を上げた彼の友人である詩人が獄中で亡くなったことを淡々と知らせる。コンは悲嘆に暮れる。「ママ、彼らが友人を殺したんだ」とコンは言う。母親は彼に、葬式に出られなくても気にせず、自分の誕生日パーティーに行くよう促す。「アメリカではすごくいいパーティーがあるのよ。そもそも、誕生日パーティーのほうが葬式よりいいんじゃない?」と。

 彼女は冷酷なわけではなく、ただ現実的なだけだ。合理的な人々はルールを理解し、そのルールの中で生きている。

 私たち人間は、安定を求める生き物だ。かつては考えられなかったことに慣れることで、達成感を得ることもある。そして、かつては考えられなかったようなことが、少しでも後退したように感じられるとき──たとえば、誰かが拘束から解放されたとき(数週間前にコロンビア大学の学生がそうだったように)、あるいは特にひどい提案が撤回されたり、裁判所によって阻止されたりしたとき(たとえばハーバード大学の留学生受け入れ禁止措置が、少なくとも一時的に阻止されたように)──私たちは、それを「暗い時代の終わりの証拠」だと勘違いしやすい。

 しかし、こうした比較的小さな勝利は、私たちの変化の方向性を変えることはなく──目に見えてその進行を遅らせることすらない──それでも私たちが「正常」と感じたがる深い欲求には応えてしまうのだ。小さな勝利は、昨日よりも呼吸できる空気が増え、行動できる余地が広がったような感覚を生み出す。

 私たちが最も行動を起こすべきとき──行動の余地があり、抵抗には一定の勢いもあるとき──にもかかわらず、私たちは、安堵(あんど)感と退屈さにより、つい油断してしまう。

 第1次トランプ政権下で行われたいわゆる「入国禁止令」の推移を思い出してみてほしい。最初に実施されたときは、何千人もの人々が抗議のため街頭に繰り出した。裁判所が差し止めた。2回目の実施はほとんど注目を集めず、ほとんど変わらない3回目の入国禁止令が施行されたことに、多くの人は気づかなかった。そしていま、トランプ政権は対象国を拡大した新たな入国禁止令を策定中である(編注:本コラムがニューヨーク・タイムズで配信された5月下旬時点)。

聞いたことのない、苦い笑い

 モロチニコフが「かもめ 実話」を上演するまでには、2年半かかった。「その過程は困難で、しばしば挫折しそうになった」と彼は私に語った。しかし、その長い道のりは、最終的にはこの舞台にとって良いものとなった。彼は、ロシアにおける戦争の常態化を観察し、それを脚本に採り入れることができた。また、アメリカという国を知ることもできた。

 第2幕はニューヨークが舞台である。登場人物の一人であるうさんくさいプロデューサーがこう言う。「考えてみて。彼がこの国に来たばかりの頃は、自分がロシア人だと言うのさえ怖がっていた。でも今じゃ、みんな仲良しで、世界中で平和を築いている。すばらしい平和だよ」

 ある場面で、別の登場人物が検閲について言及し、こう付け加える。「そんなこと、アメリカじゃ絶対に起きないよね? そうでしょう?」。私がこの芝居を見た夜、観客は笑った。だがその笑いは、私がこの国では聞いたことのない種類の、苦く、そしてあきらめに満ちた笑いだった。 

アベノマスク、見えぬ契約過程 巨額の税金投入も「やりとりは口頭」(朝日新聞有料記事より)

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 政府が400億円超をかけて調達し、多くの在庫を生んだ「アベノマスク」事業は適正だったのか。契約過程を検証するため、上脇博之・神戸学院大教授(憲法)が関連文書の開示を国に求めた訴訟の判決が5日、大阪地裁で言い渡される。ほぼ「口頭」で意思決定していたと担当職員らは法廷で証言したが、本当に記録はないのか。

 新型コロナ対策の布マスクは2020年4月に安倍晋三首相(当時)が各戸配布を表明し、通称「アベノマスク」と呼ばれた。政府は約3億枚を調達したが、約8300万枚が在庫になった。

 上脇教授が国に関連文書の開示を求めると、出てきたのは受注業者と交わした見積書や契約書などの「結果」のみ。契約過程を示す文書は不開示とされたため、その決定を取り消すよう求めて21年2月に提訴した。

 訴訟で国側が強調したのは、現場の混乱ぶりだった。

「間違えると大変」裁判長もつっこみ

 昨年8月の法廷。マスク調達のために厚生労働省内につくられ、複数省庁の職員が集まった「合同マスクチーム」で、統括役だった厚労省職員が証人尋問に臨んだ。

 「いかに早くマスクを確保できるかが課題だった」「結果責任を果たすためにも、プロセスに時間を割く余裕はなかった」と説明し、当時の労働環境をこう表現した。

 「この職について30年で最も過酷だった。過労死ラインを超える勤務が慢性的に発生する、極めて異例な状況だった」

 そうした状況のなか、業者と直接やりとりした別の職員ら5人も、現場での意思疎通について「口頭が基本だった」と法廷で口をそろえた。

 このうち、経済産業省からチームに加わった職員は「業者から電話やメールが毎日のように来ていた。メールは容量が限られ、2~3日に1度消していた」と説明。原告側から「記録を残さないと不便では」と問われると、「上司が近くにいる時に口頭で価格や数量、納期などを報告した」と答えた。

 これには、徳地淳裁判長も突っ込みを入れた。「単価や枚数は間違えると大変なことになる。全て記憶して口頭で報告していたのか」。職員は「そうです」と答えた。

 一方で、「消去していた」というメールの一端も浮かんだ。

PCに残された100通以上のメール

 原告側が業者から入手したメールには、チームの職員と面会した際の記録があった。国が改めて調査をすると、職員2人のパソコンに100通以上のメールが残っていたことが判明した。

 だが、その中身はわかっていない。契約過程がわかるとみて原告側は開示を求めたが、国が応じていないからだ。

 訴訟の争点は、本当に契約過程を示す記録はないのか、残っていたメールは開示対象ではないのか――という点だ。

 原告側は「業者との交渉経過を文書に残さないことはあり得ず、業者のメールもその存在を示している」と主張。メールは行政文書管理規則で「その都度廃棄」が許されるような、組織の意思決定に関わらないものとは違う、と訴えた。

 国側は、文書を作る義務があるのは「政策立案や事業の実施方針に影響を及ぼす場合」だけだとし、過程を全て記録していなくても問題はないと主張。メールは「都度廃棄」が許され、開示対象ではないと反論した。

 上脇教授は国の姿勢も問題視する。網羅的に開示請求をしたのに対し、国が「多忙を極めていた」として、問い合わせなく「契約から納品までの過程」と狭めて該当文書を探していたことが審理中に判明した。

 「都合の悪い文書は出さないという姿勢が見えた。巨額の税金が投入された国の政策は妥当だったのか、検証に資するような判決を期待する」 

アメリカが守ってくれると「思わない」77% トランプ外交が生み出す疑念(朝日新聞有料記事より)

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 いざというときに米国が本気で日本を守ってくれると思うか――全国世論調査でそう尋ねたところ、7割以上の人々が「そうは思わない」と答えた。疑念の広がりは、日米安保体制のどんな危機を映しているのか。相手を信じていない状態でも同盟は機能するのか。外交史の研究で知られる国際政治学者の細谷雄一さん(慶応大学教授)に聞いた。

犠牲にされる同盟国の利益 見捨てられる不安に

 ――朝日新聞社が今年2~4月に実施した全国世論調査では、いざという場合に米国は本気で日本を守ってくれると思うかという質問に対して「そうは思わない」と答えた人の割合が77%に上っていました。

 「もっともな疑念だと思います。ロシアと手を握ってウクライナを見捨てたように、米国は、中国と手を握って台湾や日本を見捨てるのではないか。そんな疑念の表れでしょう。同盟国である米国への日本の信頼は、さらに低下していく可能性があります」

 ――トランプ政権によるウクライナ停戦への動きがなぜ、見捨てられる不安を呼び起こすのでしょう。

 「侵略を受けた当事者であるウクライナの死活的な利益が、実際に犠牲にされたからです。そればかりか、ウクライナを支援する欧州諸国、米国とは同盟関係にあるはずの諸国の利益も犠牲にされました。逆に優先されたのは、対立していたはずのロシアとの間での大国間関係の安定です」

 「トランプ政権は東アジアでも、同盟諸国の利益を犠牲にして超大国同士の安定的共存を図るかもしれない――日本国民が自国の未来をそんなふうに暗く想像しても無理はありません」

 「ロシアは2022年のウクライナ侵攻で、欧州において戦後初めて、軍事力で大規模に国境線の変更を行いました。第2次世界大戦の反省から国際社会は、軍事力による国境線の変更を厳しく禁じてきたのに、です。しかしトランプ政権は、そのことを問題視しません」

自主防衛を求める機運、今なぜ

 ――そのせいか日本では、自主防衛の強化を求める声が増えてきています。

 「合理的な反応でしょう。安全保障上、日本が自国を守る手段は三つあります。①国連に代表される『集団安全保障』で守る②自助努力的な『自主防衛』で守る③他国と『同盟』を結ぶことで守る――です。③を形にしたものが日米安保条約体制でした」

 「戦後日本はこれら三つを組み合わせることで安全を守ってきましたが、今、①と③が機能しないかもしれないという不安が生じています。ロシアの侵略に対して国連安保理の制裁が機能しないうえ、米国が同盟国の利益を犠牲にする恐れも見えてきたからです。①も③も頼りにできないから②に期待が高まっている。そんな図式でしょう」

 ――北大西洋条約機構(NATO)のもとで同じく米国と同盟を結んできた欧州諸国では、実際に独自の防衛力を増強しようとする動きが広がっています。

 「欧州と日本は同列には論じられません。ロシアの脅威に備える欧州と、中国・ロシア・北朝鮮の脅威に備える日本では、前提条件が異なるからです」

 「たとえば欧州連合(EU)全体の国防費はロシアの数倍あります。米国の支援抜きでも抑止できそうに見える数字です。しかし、日本の国防費は中国の4分の1ほどに過ぎません」

 「他方、自主防衛を考える上で欧州と日本には注目すべき共通点もあります」

核の傘、「次善の悪」として

 ――共通点とは?

 「核戦力の面では欧州も日本も相手より劣勢にある現実です。英仏の持つ核を合わせても、ロシアの10分の1程度しかありません。そして中国・ロシア・北朝鮮という核保有国を前に、日本の保有数はゼロ。つまり欧州も日本も、米国の『核の傘』抜きでは抑止力に不安が残ります」

 ――気がかりなのは、日本でも一部から、核保有の検討を始めようとの声が現れ始めていることです。

 「ウクライナ戦争後の世界では、残念ながら核戦力の増強や核拡散が進むと思います。大国による侵略を避けるためには核武装が有効だという認識が、広まってしまったからです」

 「しかし、日本独自の核保有は日本の選択肢にならないと思います。政治・経済・外交的にあまりに巨大なコストがかかるからです。今まで通り、米国の核の傘への依存を『次善の悪』として続けるべきでしょう」

 ――米国は中国と対立しようとしているのだから、日米同盟を引き続き重視してくれるはずだ。そんな希望的な推測が日本のメディアには多く見られます。

 「日米の専門家の多くは実際これまでそう語ってきたし、私の中にも正直そうした楽観がかつてありました。しかし、トランプ氏が中国や北朝鮮との間でのディールを求める可能性も否定できず、同盟国の利益を犠牲にすることも考えられます。米国は今後、欧州からもアジアからも手を引いていく可能性が高いと見るべきでしょう」

米国への疑念 抱き続けてきた欧州

 ――いざというとき守ってくれないだろうとの疑念を抱きながらでも、同盟は機能するものでしょうか。

 「日本では疑念が表面化してこなかったので、不安が今生じるのは当然です。しかし、欧州は違います」

 「欧州の同盟国内には『米国はいざというときには我々の利益を犠牲にするだろう』との疑念が戦後一貫して存在していました。同盟不信ゆえに自立的な安全保障を求める動きと、米国の核抑止に依存しようとする動きの間で、ずっと揺れ続けてきたのです」

 ――欧州が疑念を抱かされた機会として、どんな例があったのですか。

 「代表例の一つは1956年のスエズ危機です。英仏が共同管理していたスエズ運河をエジプトが国有化すると宣言し、現地の権益を守るために英仏が軍事攻撃に踏み切った事件です」

 「米国は英仏の同盟国でしたが、敵であるソ連とともに反対し、英仏を制裁する側に回りました。米国は信用できないとの疑念が欧州に広がり、自主防衛への機運が高まりました」

自立とは何か、模索を

 ――欧州の経験からどんな姿勢を学べるでしょう。

 「欧州におけるNATOの歴史とは、自立か依存かの間で揺れながら、どちらか一方だけを採用することはせず『両面戦略』を採ってきた歴史だと思います」

 「それに比べると、戦後日本は米国依存に偏り過ぎたと言えそうです。日米同盟を強化する努力は続けるべきですが、『自立とは何か』の模索も進めるべきでしょう。自主防衛の力を高めたり、自由民主主義と法の支配を重んじる国々との協力関係を積極的に広げたりする政策が必要です」

 「戦前の日本は孤立に向かってしまいましたが孤立と自立は違います。適切に他者への依存を自覚することもまた自立への道です」 
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